ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
「彼女のあなたへの愛情はあなたが想像しているような甘いものではなかったと思います。政略結婚ですからお互いの家の当主が本人たちの意思を無視して勝手に決めたもの。親の命令で結婚相手を決められたとなれば恋愛感情などそう簡単に沸くものではありません。むしろ逆らいたいという気持ちが生まれ、相手のことを理解しようとさえしないかもしれません。そしてあなた自身は彼女に対して心が動かなかったようですが、彼女はあなたの
「そういうものなのか…」
「はい。平凡な男性よりもちょっと危険なにおいを漂わせている男性の方が魅力的だという女性は多いです。結婚をするとなれば平穏な家庭を求めるくせに、恋愛では刺激のある方がいいと思うんでしょうね。まあ、これは女性の性格にもよりますけど。そしてあなたが軍備を増強していくつもの国へ侵攻し、勢力を拡大していく様子を彼女はすぐそばで見ることができる特権を得て、さらにトリガー使いとしてあなたの役に立っているという充実感も得られます。ずっと負け知らずでいて、あなたと一緒に戦っていると自分があなたにとって欠かすことのできない大切な
「……」
「エネドラの素行が問題となり、彼を
「……」
「ボーダーがアフト遠征を成功させたことであなたの計画は破綻してしまいました。ディルクさんをボーダーにさらわれるという想定外の事態が起き、『神選び』の期日ギリギリまで拘束しなかったことが決定的な失敗となってしまい、さらに他国へ侵攻する余裕もないことからあなたは
「俺のことを愛しているから俺のために死ねる。死ぬ前に愛されているという幻を胸に抱いて心安らかに…ということか」
「それもあるでしょうが、彼女はここで命を賭けた一世一代の大芝居を打つことに夢中だったと思います。ここで何も知らずにいる健気な女性を演じなければ
ハイレインはツグミの言っていることの意味がわからず、テスタに無言で問いかけるが彼もまたわからないという様子で首を横に振った。
「男性であるおふたりにはわからないでしょうね。ですがだからこそ効果のあるやり方だったんです。当時彼女にはふたつの道がありました。ひとつは逃走して生き長らえる道で、もうひとつはあなたへの愛に殉じて『神』となる道。彼女が後者を選んだ理由は簡単です。もし逃げてしまえば愛する男性から忘れ去られる存在となってしまいますが、『神』になることができたならあなたにとって永遠の女性になれるからです」
「永遠の女性?」
「はい。彼女はあなたの前では自分の立場を知らないフリしていましたが、ランバネインさんにはこっそりと打ち明けていました。そんなことをすれば彼の口からあなたを騙していることがバレてしまう恐れがあります。それなのになぜそんなことをしたと思いますか?」
「わからん」
「ここで重要なのはランバネインさんに話す時にあなたには内緒にしておいてくれと頼んだことです。ランバネインさんは彼女との約束ですから守らなければいけないと考えてあなたには言いませんでしたが、『神選び』が終わってしまえばもう話してもかまわないだろうということで
「……」
「恐ろしい女だ…と感じたのではありませんか? でも彼女にとってはこれが自身の愛を成就させる唯一の方法だったわけです。ランバネインさんに告白せず手紙も残さなければ真実は闇の中で、あなたが彼女のことを思い出すことはない。でもあえて『神』になった後で真相がわかることにしておけばあなたに忘れ去られる存在にはなりません。彼女にとって愛されない以上に辛いのはタダの
「……」
「そして彼女が『神』に選ばれなかった時のシナリオも用意してありました。彼女は無事にあなたの正妻となり、タイミングを見計らって自分からあなたの策略を知っていてなお従ったのだと告白をしたでしょう。それだけあなたのことを愛しているのだと行動で示したわけですから、あなたに人の心があれば愛人を作るなんてことはできないというもの。『神選び』で負けて王になることを諦めざるをえないあなたはベルティストン家当主として
「……」
ハイレインは無言で俯いてしまった。
これはツグミの推測でしかないものなのだが、そんなはずがないと全面否定するだけの材料もないので反論できないのだ。
むしろミラと長い間一緒にいた彼には「もしかしたら…」と心当たりがあるらしく、ツグミの仮説が正しいとするならミラへの罪の意識も和らぐものだからその仮説が真実であると思い込みたくなる。
それこそがツグミの「策略」であった。
彼女の仮説が真実であろうと誤解であろうと、ミラを悪女に仕立て上げることでハイレインの罪の意識は軽減される。
ツグミはミラに対して恨みはないが、これから生き続ける人間を死ぬまで苦しめるようなことをする彼女のことは許せない。
自分のことを忘れられたくはないという彼女の気持ちは理解できるが、死人同様の人間が生者をいつまでも縛り続けることを正当化する理由として納得はできないのだ。
それにハイレインにはアフトクラトルの国王としての役目をきちんと果たしてもらわなければならず、ツグミには落ち込んでいる彼の姿がずぶ濡れになっている捨て猫のように見えてしまい放ってはおけない。
言葉もなく俯いている覇気のないハイレインの姿を見た者は誰であっても彼をアフトクラトルの国王であるとは信じられないだろう。
彼には
「あなたがミラさんを犠牲にしてまで手に入れた国王の座は
「それが真理だと言うのなら、おまえこそが真の強者ということになるな。たしかに今の俺にはおまえに勝てない。恥を忍んですべてを告白したが、だいぶ気持ちが楽になった気がする。…たしかにミラは俺に騙されたことに気付かないまま生贄にされるほど愚かで素直な女ではなかったな。すべてを承知し、俺の計画を逆に利用するほど賢く狡猾な女だと言われた方がしっくりする。俺はあいつを愛することはできなかったが、いつまでもそばにいてほしいと願っていた。これは真実だ。『神選び』に固執しなければ別の道があったのではないかと今さらながら後悔している。そんな情けない今の俺でもあいつは愛していると言ってくれるだろうか…?」
するとツグミは自信満々に答えた。
「もちろん彼女は愛していると言いますよ。それに好きな男性が萎れている様子を見たら、女性は『わたしがいないとダメなのね』と思ってしまうものです」
「そうか…」
ハイレインはそう言うとしばらく考えてからテスタに言った。
「申し訳ないが5分…いや、3分でいいからツグミとふたりきりにしてもらえないだろうか?」
「ああ、別にかまわない。じゃあ、私はベランダに出て少し涼んでくるよ。キオンの人間にはこの部屋は少し暑すぎるからな」
そう言って立ち上がるとベランダに出た。
防音がしっかりとしている窓だから部屋の中にいる人物の声は聞こえないだろうし、ツグミたちのいる部屋から死角になる場所にわざわざ移動してくれた気遣いはテスタらしい。
ハイレインはツグミに言った。
「嫌なら断ってかまわない。しかし俺のことを哀れと思うのなら少しだけでいいからミラの代わりに甘えさせてくれないか?」
「いいですよ。わたしに彼女の身代わりが務まればいいんですけど」
そう言ってツグミが微笑むと、ハイレインはこたつから出て彼女のそばに移動すると縋るように彼女をギュッと抱きしめた。
「……」
「いかがわしいことをするつもりはない。ただこうしておまえを抱きしめたい。俺はあいつにこうして甘えても良かったんだよな?」
「ええ。…あなたは子供の頃からずっと頑張りすぎたから疲れてしまったんです。だから今のあなたに一番必要なのは癒し。もっとそのことに早く気が付けば、あなたもミラさんもふたりで幸せになれる未来があったかもしれませんね。でも過ぎ去ってしまったことをいつまでも悔いても意味はありません。早く立ち直って再び歩き出すことができるように、今だけはアフト国王ではない
ツグミは右手をハイレインの後頭部に伸ばし、優しく頭を撫でてやる。
「気持ちがいい。こんなことをされたのは何年ぶりだろうか…」
「人は好きな人とハグをしたり頭を撫でられたりすると安心するものですが、それはオキシトシンというホルモンが分泌されているからなんだそうです。赤ちゃんがお母さんに頭を撫でられながら眠ってしまうのも同じ効果だと言われています。こんなふうに触れ合っているとオキシトシンが分泌されて、その結果脳がリラックスし、ストレスが消えて幸福感を得ることができるんですって。それもあなたがわたしに対して心を開き、わたしがあなたのことを本気で助けてあげたいと思う気持ちが信頼関係を生んだからです。こうしていると弱い自分であっても悪くはないと思えてくるんじゃありませんか? 誰も愛せないとしても自分のことくらいは愛して大切にしてあげなきゃダメですよ」
「難しい話は良くわからないが、おまえの言うとおりにしよう」
「これからはランバネインさんにも弱みを見せて何でも相談してみてはいかがですか? あの人なら『やっと兄者が俺に頼ってくれたぞ!』とか言って大喜びしそう」
「そうだな。しかしあのむさ苦しい大男とハグするのだけは勘弁してほしいものだ。そしておまえとならいつでも大歓迎だぞ」
「あら、今回限りですよ。わたしには将来を誓った大切な男性がいるんですから。ここであなたとハグしているなんて知られたらものすごくヤキモチ焼かれそうです」
「今夜ここであったことはすべて秘密だという約束だからな、絶対にバレるようなことはするなよ」
「もちろんです」
「そして最後にミラに言えなかったことをおまえに言いたい。…ありがとう。おまえには心から感謝している」
ハイレインはそう言って両腕に力を込めた。
ツグミはそれに応えるように彼の頭を引き寄せて
「ハイレイン様、私の想いが届いてとても嬉しいです。私はあなたのおそばにいられませんが、最後まであなたのことをお守り申し上げます」
「頼む。いつまでも俺を支えてくれ」
「はい」
一見ラブシーンにしか見えない光景だが、これは1年前に敵同士として出会ったふたりに揺るぎない友情が芽生えた瞬間であった。