ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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455話

 

 

ツグミは城戸と忍田のふたりを連れて「小麦畑」へと連れて行った。

昨年の8月にエウクラートンを訪問した際、ツグミは首都ニネミアの東にある広大な未開発地の草原を10ヘクタールほど耕作してそこに小麦畑を作る手配をしていた。

エウクラートンと気候が似ている北海道で広く栽培されている品種の小麦の種を選んで持ち込んでいた。

そこで収穫した小麦を使ったパンを作ろうというのである。

もちろんエウクラートンにずっと滞在しているのではないから畑の面倒は現地の農民にやってもらうことになっていて、ツグミの指示どおりにしていれば4ヶ月後には豊かな実りの季節を迎えるはずだ。

そしてここで育った小麦で作ったパンがエウクラートン人の口に合えば生産量を増やすことになるだろう。

これは玄界(ミデン)の技術の導入の手始めであり、ひとつの成功が次の成功へのステップとなる。

 

話には聞いていたが実際に自分の目で見た忍田は感嘆の声をもらした。

 

「すごいな…。玄界(ミデン)の作物を近界(ネイバーフッド)で育てることで従来の作物と比べてもらい、玄界(ミデン)の方が優れているとなれば自国でも導入したいと思うようになる。場合によっては拉致被害市民との交換に使えるかもしれないぞ」

 

「ああ。近界民(ネイバー)たちに必要なのはトリオンよりも衣食住の食の欲求を十分に満たしてやることだ。ゼノン隊の3人から近界(ネイバーフッド)の庶民階級の暮らしがどんなものか聞かされたが、とにかく毎日の食事に苦労しているらしいからな。美味いものを腹いっぱい食べる幸せを玄界(ミデン)で知ったとも言っていた。それぞれの国の状況にもよるが、玄界(ミデン)の作物の種苗を譲ることで拉致被害市民を取り戻すことができるのなら交渉で済むかもしれぬ。隊員たちを危険に晒すことがなくなれば、市民の批判の声もトーンが下がるだろう」

 

城戸が気にしていたのは未だに存在する反ボーダーを掲げるグループがいることである。

事あるごとに第一次近界民(ネイバー)侵攻はボーダーによる自作自演であり、行方不明になっている市民はどこかで監禁されているとSNS等で訴えていて、そんなデタラメを信じるひと握りの人間が存在するのだ。

世の中には陰謀論が好きな人種が一定数おり、「ボーダーの人間こそが近界民(ネイバー)である」だとか「三門市は最新兵器の実験場として利用された」などという愚にもつかない与太話が世間に広まってしまった。

実害はないものの「正義の味方」のイメージに傷が付くとなれば放ってはおけず、いつものように唐沢が前職のツテを利用して明らかなデマを除いてすべてを握り潰した。

そんな面倒事が生じる素地をなくすには拉致被害市民の救出を成功させることが一番である。

 

「小麦で成功したら次は甜菜(ビート)を試してみようと思っています。近界(ネイバーフッド)において砂糖はほぼ100パーセントが甜菜(ビート)が原料となっています。ですが栽培している国が少ないために砂糖は贅沢品で、庶民の口にはなかなか入りません。エウクラートンの土壌と気候は甜菜(ビート)栽培に適していると思われます。他にも品質の良いジャガイモや豆類など試してみたいものがたくさんあります。そして玄界(ミデン)の作物の評判が上々であればその噂を聞きつけた他の国がエウクラートンとの交易を希望し、さらにもっと多くを望むなら玄界(ミデン)…ボーダーに対して交渉の窓口を開くことになるでしょう。玄界(ミデン)とは敵対するよりも手を結んだ方が得だとわかれば近界民(ネイバー)たちはもう二度と(ゲート)を開いてトリオン兵を三門市に送り込んで来ることはなくなるはず。やって来るのが玄界(ミデン)と交易をしたいとか技術を学びたいといった友好的な近界民(ネイバー)ばかりになれば、世間はボーダーの界境防衛機関の役目を十二分に果たしたと認めてくれるでしょう」

 

ツグミは日差しの眩しさに目を細めながら未来を語った。

しかし忍田にとっては複雑な気分である。

 

(遠大な計画を立ててそれに邁進する様子は織羽義兄さんに似ている。あの人も近界(ネイバーフッド)玄界(ミデン)の未来をいつも楽しそうに語っていたな…。しかしおまえがやりたいことをすることに私は異存ないが、それは同時に私と一緒にいる時間が減るということなんだぞ。それがわかっているのか、ツグミ?)

 

忍田の気持ちを知ってか知らずか、ツグミは続けた。

 

「キオンは寒冷地ゆえに農作物が育ちにくいですが、玄界(ミデン)にあるカラマツやナラといった建材に向いている木材と似た種類の木がたくさん生えています。近界(ネイバーフッド)での建築は基本的に石材やレンガのような建材を使用していて、木材は燃料としてしか使われていないそうです。キオンに玄界(ミデン)の技術を輸出し、その代価として豊富な木材資源を玄界(ミデン)で輸入する。玄界(ミデン)側が一方的に与えるだけではダメで、こうして対等な関係を維持し続けることが大事だと思っています。スカルキ総統は自国には価値のあるものは何もないなんて言っていますが、日本のように家屋に木材を使用するのであればキオンの木材資源は価値あるものです。きっと近界(ネイバーフッド)の国々には近界民(ネイバー)にとって価値を見い出せないものの中にわたしたちにとっては非常に価値あるものがたくさん存在するんじゃないかと想像するとすごく楽しい。もし将来…そう遠くない未来に玄界(ミデン)近界(ネイバーフッド)が自由に行き来できるようになったら、そしてわたしにその自由があったならいろいろな国を訪ねてみたい。そしてお父さんや有吾さんの足跡を辿ってみるのも面白そう」

 

ツグミの願いが叶うか否かは本人の行動による部分が大きい。

3年後に彼女が女王となっていれば叶わない夢で終わってしまうもので、叶えるためには3年以内に近界(ネイバーフッド)()()()旅行できるシステムを構築する必要がある。

3年とは長いようで短い。

本人も自分の願いを叶えるためには自分で行動して結果を出さなければならないことは重々承知している。

 

「ひとまず夢の話はここまでにしておいて、今のわたしがやるべきことを考えなければなりませんね。…女王陛下とリベラート殿下は聡明なお方ですから無茶なことを強制することはありません。そして3年という猶予は妥当な線だとわたしは考えていますから、わたしの要求をほぼ100パーセント呑んでくれるはずです。この3年の間にまずは拉致被害市民全員の救出、出入国管理のルールの作成はやってしまいたいと考えています。他にも近界民(ネイバー)の留学生を受け入れて玄界(ミデン)の文化や技術を学ぶ学校を設立するとか、玄界(ミデン)から近界(ネイバーフッド)の国へと留学することができるよう政府に働きかけるとか他にもやりたいことがたくさんあります。それで女王継承問題が()()()()()()()()()()解決したとして、それを前提に城戸司令にお願いがあるんです。話だけでも聞いてもらえませんか?」

 

ツグミは城戸に向かって言った。

 

()()と言うからにはボーダーという組織の中でのことだな? 言ってみろ」

 

「はい。唐沢部長の外務・営業部内に対近界民(ネイバー)の渉外担当部署を設置してもらいたいんです。これから近界民(ネイバー)との交流が増えてくるでしょうから、今のうちに受け入れ態勢を整えておきたいと考えています。たとえば同盟国の人間に限りパスポートとビザを発行して出入国を管理するとか、三門軟石の採掘場の廃坑を正式な港として整備するとか。もちろんそういったことはボーダーが近界(ネイバーフッド)のいくつかの国と同盟を結んでいることを公式に発表してからであり、日本政府や関係部署に働きかけて許可を得てからになりますが、OKが出たからといってすぐにできるものではありませんから、早いうちに下準備は進めておくべきだと思うんです」

 

「たしかにそのとおりだな。いいだろう。この件に関しては帰国してから唐沢くんを交えて話をすることにしよう」

 

「ありがとうございます。じゃあ、そろそろお昼ご飯の時間ですので戻りましょう。エウクラートンは農業国なので旬の野菜が新鮮で美味しいんですけど、この季節は特にアスパラガスが絶品。今朝は間に合わなかったですけど、お昼にスープとサラダにして出してくれるってことですので楽しみにしていてくださいね」

 

目の前に広がる畑よりも遠くて広い未来を見つめているツグミの表情は生き生きとしている。

その様子を見た城戸と忍田は彼女がもう父親に甘える子供ではないことを思い知らされたのだった。

 

 

◆◆◆

 

 

エウクラートン女王としての回答は翌日ということになっていたが、その日の晩餐の席でツグミにとって最善の結果が得られた。

女王は長年続いてきた慣習を廃止したことによって神殿を出て、リベラートや賓客などと食事の席を共にすることができるようになっていて、ツグミだけでなく城戸と忍田を招待しての会食を開いた。

その席で彼女はツグミの提案をのむこととなり、ツグミが20歳の誕生日を迎えた100日以内にエウクラートンへ来て戴冠式を行うという条件だけを追加してきた。

それはツグミも想定内のことであり、城戸と忍田も彼女が納得したのであれば認めるという話であったので従うしかない。

 

「ところで女王陛下が3年の猶予を認めてくださったのは、リベラート殿下から例のお話を聞いたからですよね?」

 

ツグミが女王に訊くと、彼女は頷いた。

 

「ああ。可能性に賭けてみようかと思ったのじゃ。願いが叶えば我が国にとってだけでなくそなたにとっても最善の結果が得られるはずで、リベラートも努力をすると申しておった」

 

「努力…ですか。たしかに頑張ってもらわないといけませんね。3年って長いようで短いですから」

 

意味深な笑みを浮かべてツグミが言うと、城戸と忍田は自分たちが知らない()()があるのだと気付いて彼女に訊いた。

 

「ツグミ、事情を教えてくれ。私も城戸さんもおまえのことに関しては当事者なのだから話を聞く資格はあると思うが」

 

忍田がそう言うと、城戸は黙って同意とばかりに頷いた。

 

「う~ん…リベラート殿下のプライベートに関わることなのでわたしの口からは言えません」

 

「ならば私が説明しよう」

 

リベラートはツグミに代わって事情を話した。

 

「実は…私の妻は子供を産めぬ身体であったようで、名門貴族の娘だということで結婚したはいいのだが王家の血筋を途絶えさせてしまった。もっともこれはエウクラートンの王家の慣習で、死別でなければ再婚ができないという誰にとっても利のない決まり事のせいだ。妻は自分のせいだと言って心を病んでしまい、10年近く自室に引きこもってしまっているくらいだ。彼女が自死でもしてくれたら…と思ったこともあったが、さすがに彼女がナイフで自分の手首を切ろうとした時には止めたよ。しかしツグミにそんなくだらない決まり事のせいでみんなが不幸になるなら撤廃してしまえばいいと教えてくれた。彼女は自分が女王になる交換条件のように言っていたが、私たちはオーラクル家にかけられた呪縛から解放してくれたのだと考えている。議会でも正式に認められ、これまでの王家の婚姻や女王の行動の制限等の法律は撤廃された。そこで私は妻のジーナと離婚をし、新たに別の女性を妻として迎えることに決めた。その女性はまだ18歳と若く身体は丈夫で、私もまだ62であるから望めば子供の2-3人くらいは持てるだろう。幸いに女王からのお許しも出たことなので近々正式に結婚式を、と考えている」

 

リベラートは恥ずかしそうに説明をした。

18歳の女性とは地方領主の息女で、花嫁修業として王宮に勤めることは普通に行われていて珍しいことではない。

リベラートとその女性 ── イレーネとは祖父と孫ほど歳が離れているものの、彼女が王宮勤めを始めた頃からお互いに好意を抱いていたらしい。

しかし肉体関係は一切なく、彼女は修業を終えると実家に帰ってしまって二度と会うことはできないことになっていた。

ところがリベラートが再婚できるとなりイレーネに事情を説明してプロポーズをしたところOKであったため、ツグミの提案を受け入れることになったのだ。

3年の内にリベラートに子供ができればその子が王家を継いでくれるようになるわけで、(マザー)トリガーの操作ができるかどうかわからないが、可能ならツグミがその子に女王の座を譲ればいい。

(マザー)トリガーの操作については3-4歳になればわかるらしいので、上手くいけばツグミが女王でいる期間は10年程度で済むだろう。

ツグミと迅の子供ではエウクラートンの血が4分の1しか流れていないことになるが、リベラートとイレーネの子供なら純粋なエウクラートン人となるために女王も歓迎している。

さっそくリベラートは今夜からイレーネと同衾するということにしたのだが、さすがにツグミの前で言えないのでそのことについてリベラートは黙っていた。

 

「ところでジーナ皇太子妃殿下はどうなるのですか?」

 

ツグミが訊くと、リベラートは少し哀しそうな顔をして答える。

 

「彼女には実家に帰ってもらうことにする。王宮(ここ)にいて何の楽しみもなく年老いていくだけではあまりにも哀れすぎる。実家の現当主は彼女の弟だそうだから、実家に帰ってのんびりと隠居するが良いだろう。そこで暮らした方が彼女のためだと思う。勝手な言い分かもしれないが、私にはもうそれくらいしかできないのだ」

 

ジーナとは離婚せずにイレーネを愛妾とするという案もあった。

イレーネ(愛妾)の子をジーナ(正妻)の子として育てることで体面を守ることができるわけだが、それでは王家にとっては良いもののジーナにとってはプライドを傷つけることになるのだ。

子供の産めなかった53歳の女性が自分より35歳も若い娘の産んだ子供を我が子として育てるなど、よほど愛情の深い女性であればいいが、そうでなければとても酷い仕打ちをしていることにもなる。

ならば離婚が可能となった今、ジーナの方から離婚を申し出て実家に帰ったという形にすることでいくらかでも彼女の心と身体を労わることができればその方がいい。

そして彼女に説明して本人の了承を得て、ジーナが離婚を申し出て女王がそれを承認したということになっている。

実家での受け入れ態勢が整い次第ジーナは王宮を去る予定である。

 

ツグミは複雑な気持ちだった。

 

(自分が提案したこととはいえ何だかスッキリしないな…。でもこれをきっかけに閉鎖された王宮というカゴの中から出て健康を取り戻すことができたなら、残りの人生を自分自身のために生きてくれたらいい。近界(ネイバーフッド)では女性が子供をたくさん産んで育てると周りが賞賛する。逆に子供を産めないと価値がないと蔑まされるらしい。だいぶ前の日本でも同じような考え方を持つ人が大勢いたらしいけど、産みたいのに産めない女性がどんな気持ちでいたのか理解できなかったのね。ジーナさんも辛かったと思う。もっと早く馬鹿げたルールを撤廃していたら、彼女にも別の人生があったでしょうね。でもあと何年かわからないけど、残りの人生は自分のために生きてもらいたい。あとは本人の努力次第だわ)

 

何度もエウクラートンを訪問していたツグミだったが、ジーナには一度も会っていなかった。

リベラートは彼女の話題になることを避けていたし、女王も彼女のことを「あの女」呼ばわりしていたから嫌っていることは明らかで、ツグミはそれ以上王家の問題に踏み込むことができなかったのだった。

しかしこれで誰にとっても幸せになれる道が示されたことになり、ツグミは自分のやってきたことに後悔はないと自信を持っている。

あとは顔も見たことのない近界民(ネイバー)の女性の幸福を祈るだけだ。

 

 

ツグミの問題もひとまず解決したことで、和やかな晩餐会となった。

これでエウクラートンでの用事は済んだわけで、このあとはキオンにいるゼノンとテオとレクスの3人と合流するだけである。

予定ではエウクラートン滞在を3日としていたためあと2日も残っていて、ツグミは女王の話し相手となり、城戸と忍田はリベラートに連れられてエウクラートンの庶民の暮らしや議会の見学をすることとなった。

 

そしてそれぞれが()()を得て、ツグミたちはエウクラートンを発った。

 

 

◆◆◆

 

 

その頃キオンではレクスのことを気に入ったサーヴァが首都の中だけでなく日帰りで行くことができる範囲内を自ら案内していた。

彼は帰国してすぐに退役し、自由の身となったことで彼が近界(ネイバーフッド)玄界(ミデン)を行き来して調整役を引き受けることになったのだ。

国家元首であるテスタが自由に行動できない以上、彼の代理となる人間は必要だ。

サーヴァなら艇の操縦もできるから単独で行動できるし、何よりも彼の名声は近界(ネイバーフッド)中にとどろいているため、彼に危害を加えようなどという愚か者はいない。

そして本人が軍の総司令官という役職は後進に譲り、残りの人生を自分のために生きたいと言い出したのだから誰にも止めることはできないというもの。

もっとも彼は玄界(ミデン)の娯楽に触れてしまったために「近界(ネイバーフッド)玄界(ミデン)を行き来して調整役」をやると言いながら三門市に居を構える気満々であった。

仮にそうなったとしてもボーダーや玄界(ミデン)に仇なすどころか有益な情報を提供してくれるのであれば大歓迎で、友好的な近界民(ネイバー)の代表としてPR活動に加わってくれたなら世間は近界民(ネイバー)を自分たちと価値観を同じくする隣人(ネイバー)として認めてくれるようになるかもしれない。

それにトリガー使いとしての腕を鈍らせたくないというのであれば、ボーダーには相手をしてくれる若者は何人もいるから大丈夫だろう。

 

 

キオンでゼノンとテオとレクスの3人と合流し、一行は帰国の途に就いた。

わずか12日間の短い渡航ではあったが、ツグミにとって女王後継問題に目処がついたことでボーダーの活動に専念できるようになったし、城戸と忍田も3年間は彼女が三門市で暮らすことが()()確定しているために胸をなで下ろしている。

帰国すれば第1回拉致被害市民救出遠征に向けて全力を傾けることになるわけで、狭い艇内ではあるがツグミたちは束の間の休息を楽しむのだった。

 

 

 

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