ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
ツグミは城戸と忍田のふたりを連れて「小麦畑」へと連れて行った。
昨年の8月にエウクラートンを訪問した際、ツグミは首都ニネミアの東にある広大な未開発地の草原を10ヘクタールほど耕作してそこに小麦畑を作る手配をしていた。
エウクラートンと気候が似ている北海道で広く栽培されている品種の小麦の種を選んで持ち込んでいた。
そこで収穫した小麦を使ったパンを作ろうというのである。
もちろんエウクラートンにずっと滞在しているのではないから畑の面倒は現地の農民にやってもらうことになっていて、ツグミの指示どおりにしていれば4ヶ月後には豊かな実りの季節を迎えるはずだ。
そしてここで育った小麦で作ったパンがエウクラートン人の口に合えば生産量を増やすことになるだろう。
これは
話には聞いていたが実際に自分の目で見た忍田は感嘆の声をもらした。
「すごいな…。
「ああ。
城戸が気にしていたのは未だに存在する反ボーダーを掲げるグループがいることである。
事あるごとに第一次
世の中には陰謀論が好きな人種が一定数おり、「ボーダーの人間こそが
実害はないものの「正義の味方」のイメージに傷が付くとなれば放ってはおけず、いつものように唐沢が前職のツテを利用して明らかなデマを除いてすべてを握り潰した。
そんな面倒事が生じる素地をなくすには拉致被害市民の救出を成功させることが一番である。
「小麦で成功したら次は
ツグミは日差しの眩しさに目を細めながら未来を語った。
しかし忍田にとっては複雑な気分である。
(遠大な計画を立ててそれに邁進する様子は織羽義兄さんに似ている。あの人も
忍田の気持ちを知ってか知らずか、ツグミは続けた。
「キオンは寒冷地ゆえに農作物が育ちにくいですが、
ツグミの願いが叶うか否かは本人の行動による部分が大きい。
3年後に彼女が女王となっていれば叶わない夢で終わってしまうもので、叶えるためには3年以内に
3年とは長いようで短い。
本人も自分の願いを叶えるためには自分で行動して結果を出さなければならないことは重々承知している。
「ひとまず夢の話はここまでにしておいて、今のわたしがやるべきことを考えなければなりませんね。…女王陛下とリベラート殿下は聡明なお方ですから無茶なことを強制することはありません。そして3年という猶予は妥当な線だとわたしは考えていますから、わたしの要求をほぼ100パーセント呑んでくれるはずです。この3年の間にまずは拉致被害市民全員の救出、出入国管理のルールの作成はやってしまいたいと考えています。他にも
ツグミは城戸に向かって言った。
「
「はい。唐沢部長の外務・営業部内に対
「たしかにそのとおりだな。いいだろう。この件に関しては帰国してから唐沢くんを交えて話をすることにしよう」
「ありがとうございます。じゃあ、そろそろお昼ご飯の時間ですので戻りましょう。エウクラートンは農業国なので旬の野菜が新鮮で美味しいんですけど、この季節は特にアスパラガスが絶品。今朝は間に合わなかったですけど、お昼にスープとサラダにして出してくれるってことですので楽しみにしていてくださいね」
目の前に広がる畑よりも遠くて広い未来を見つめているツグミの表情は生き生きとしている。
その様子を見た城戸と忍田は彼女がもう父親に甘える子供ではないことを思い知らされたのだった。
◆◆◆
エウクラートン女王としての回答は翌日ということになっていたが、その日の晩餐の席でツグミにとって最善の結果が得られた。
女王は長年続いてきた慣習を廃止したことによって神殿を出て、リベラートや賓客などと食事の席を共にすることができるようになっていて、ツグミだけでなく城戸と忍田を招待しての会食を開いた。
その席で彼女はツグミの提案をのむこととなり、ツグミが20歳の誕生日を迎えた100日以内にエウクラートンへ来て戴冠式を行うという条件だけを追加してきた。
それはツグミも想定内のことであり、城戸と忍田も彼女が納得したのであれば認めるという話であったので従うしかない。
「ところで女王陛下が3年の猶予を認めてくださったのは、リベラート殿下から例のお話を聞いたからですよね?」
ツグミが女王に訊くと、彼女は頷いた。
「ああ。可能性に賭けてみようかと思ったのじゃ。願いが叶えば我が国にとってだけでなくそなたにとっても最善の結果が得られるはずで、リベラートも努力をすると申しておった」
「努力…ですか。たしかに頑張ってもらわないといけませんね。3年って長いようで短いですから」
意味深な笑みを浮かべてツグミが言うと、城戸と忍田は自分たちが知らない
「ツグミ、事情を教えてくれ。私も城戸さんもおまえのことに関しては当事者なのだから話を聞く資格はあると思うが」
忍田がそう言うと、城戸は黙って同意とばかりに頷いた。
「う~ん…リベラート殿下のプライベートに関わることなのでわたしの口からは言えません」
「ならば私が説明しよう」
リベラートはツグミに代わって事情を話した。
「実は…私の妻は子供を産めぬ身体であったようで、名門貴族の娘だということで結婚したはいいのだが王家の血筋を途絶えさせてしまった。もっともこれはエウクラートンの王家の慣習で、死別でなければ再婚ができないという誰にとっても利のない決まり事のせいだ。妻は自分のせいだと言って心を病んでしまい、10年近く自室に引きこもってしまっているくらいだ。彼女が自死でもしてくれたら…と思ったこともあったが、さすがに彼女がナイフで自分の手首を切ろうとした時には止めたよ。しかしツグミにそんなくだらない決まり事のせいでみんなが不幸になるなら撤廃してしまえばいいと教えてくれた。彼女は自分が女王になる交換条件のように言っていたが、私たちはオーラクル家にかけられた呪縛から解放してくれたのだと考えている。議会でも正式に認められ、これまでの王家の婚姻や女王の行動の制限等の法律は撤廃された。そこで私は妻のジーナと離婚をし、新たに別の女性を妻として迎えることに決めた。その女性はまだ18歳と若く身体は丈夫で、私もまだ62であるから望めば子供の2-3人くらいは持てるだろう。幸いに女王からのお許しも出たことなので近々正式に結婚式を、と考えている」
リベラートは恥ずかしそうに説明をした。
18歳の女性とは地方領主の息女で、花嫁修業として王宮に勤めることは普通に行われていて珍しいことではない。
リベラートとその女性 ── イレーネとは祖父と孫ほど歳が離れているものの、彼女が王宮勤めを始めた頃からお互いに好意を抱いていたらしい。
しかし肉体関係は一切なく、彼女は修業を終えると実家に帰ってしまって二度と会うことはできないことになっていた。
ところがリベラートが再婚できるとなりイレーネに事情を説明してプロポーズをしたところOKであったため、ツグミの提案を受け入れることになったのだ。
3年の内にリベラートに子供ができればその子が王家を継いでくれるようになるわけで、
ツグミと迅の子供ではエウクラートンの血が4分の1しか流れていないことになるが、リベラートとイレーネの子供なら純粋なエウクラートン人となるために女王も歓迎している。
さっそくリベラートは今夜からイレーネと同衾するということにしたのだが、さすがにツグミの前で言えないのでそのことについてリベラートは黙っていた。
「ところでジーナ皇太子妃殿下はどうなるのですか?」
ツグミが訊くと、リベラートは少し哀しそうな顔をして答える。
「彼女には実家に帰ってもらうことにする。
ジーナとは離婚せずにイレーネを愛妾とするという案もあった。
子供の産めなかった53歳の女性が自分より35歳も若い娘の産んだ子供を我が子として育てるなど、よほど愛情の深い女性であればいいが、そうでなければとても酷い仕打ちをしていることにもなる。
ならば離婚が可能となった今、ジーナの方から離婚を申し出て実家に帰ったという形にすることでいくらかでも彼女の心と身体を労わることができればその方がいい。
そして彼女に説明して本人の了承を得て、ジーナが離婚を申し出て女王がそれを承認したということになっている。
実家での受け入れ態勢が整い次第ジーナは王宮を去る予定である。
ツグミは複雑な気持ちだった。
(自分が提案したこととはいえ何だかスッキリしないな…。でもこれをきっかけに閉鎖された王宮というカゴの中から出て健康を取り戻すことができたなら、残りの人生を自分自身のために生きてくれたらいい。
何度もエウクラートンを訪問していたツグミだったが、ジーナには一度も会っていなかった。
リベラートは彼女の話題になることを避けていたし、女王も彼女のことを「あの女」呼ばわりしていたから嫌っていることは明らかで、ツグミはそれ以上王家の問題に踏み込むことができなかったのだった。
しかしこれで誰にとっても幸せになれる道が示されたことになり、ツグミは自分のやってきたことに後悔はないと自信を持っている。
あとは顔も見たことのない
ツグミの問題もひとまず解決したことで、和やかな晩餐会となった。
これでエウクラートンでの用事は済んだわけで、このあとはキオンにいるゼノンとテオとレクスの3人と合流するだけである。
予定ではエウクラートン滞在を3日としていたためあと2日も残っていて、ツグミは女王の話し相手となり、城戸と忍田はリベラートに連れられてエウクラートンの庶民の暮らしや議会の見学をすることとなった。
そしてそれぞれが
◆◆◆
その頃キオンではレクスのことを気に入ったサーヴァが首都の中だけでなく日帰りで行くことができる範囲内を自ら案内していた。
彼は帰国してすぐに退役し、自由の身となったことで彼が
国家元首であるテスタが自由に行動できない以上、彼の代理となる人間は必要だ。
サーヴァなら艇の操縦もできるから単独で行動できるし、何よりも彼の名声は
そして本人が軍の総司令官という役職は後進に譲り、残りの人生を自分のために生きたいと言い出したのだから誰にも止めることはできないというもの。
もっとも彼は
仮にそうなったとしてもボーダーや
それにトリガー使いとしての腕を鈍らせたくないというのであれば、ボーダーには相手をしてくれる若者は何人もいるから大丈夫だろう。
キオンでゼノンとテオとレクスの3人と合流し、一行は帰国の途に就いた。
わずか12日間の短い渡航ではあったが、ツグミにとって女王後継問題に目処がついたことでボーダーの活動に専念できるようになったし、城戸と忍田も3年間は彼女が三門市で暮らすことが
帰国すれば第1回拉致被害市民救出遠征に向けて全力を傾けることになるわけで、狭い艇内ではあるがツグミたちは束の間の休息を楽しむのだった。