ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
数度にわたって遠征会議が行われ、「第1回拉致被害市民救出ヒエムス遠征」の詳細が決まった。
流れは次のとおりである。
まずフランコ国王にボーダー総司令城戸正宗の名で親書を作成し、その中にエクトスによって拉致された市民のうち六十余名がヒエムス国内にいる確証を得たので彼らを引き渡してもらいたい旨を記載した。
人身売買を含めた交易を生業としているエクトスが顧客情報を外部に漏らすはずがないので、そうなるとこの情報はボーダーが独自に調べたのだと思うのが自然だ。
実際には麟児が
ヒエムスも以前から
ところがボーダーが
さらにキオンと対等な条件で同盟を結ぶという話が事実であるとわかると、ボーダーに対して興味と同時に警戒心を抱くようになる。
そこにボーダーの使者が国王宛の親書を持って来て、その親書に拉致被害市民を返してほしいと伝えるのだから国王以下国の主だった連中が大混乱となるのは目に見えている。
まず
しかし市民の返還要求には応じることはできず、だからといって拒否すれば軍事侵攻の可能性があると
アフトクラトルと対等に戦えるだけの戦力を持ち、キオンと同盟を結んだという事実がボーダーの「力」を底上げしており、ヒエムスを交渉の場に引きずり出すことはそう難しくはないだろう。
もちろんそこは使者の腕次第となるが、城戸はツグミにこの役目を命じた。
これまでの実績から鑑みれば当然といえば当然な判断だが、彼女の他に適任者がいないというのが現実である。
トリガー使いの養成は順調に進んでいったが、それは城戸の
ところが
唐沢は生来の性格と前職で鍛え上げた交渉力によってボーダーを支えてきたが、それは国内の政府や関係団体、支援者との仲介役であって
いや、
そこで素質のあるツグミを補佐役として同行させたことで様々な場面に立ち合わせ、交渉を行うために何が重要なのかを教え込んだのだった。
ツグミが交渉役として向いていると判断した理由はいくつかある。
まず「自分だけが得をしようとは考えず、win-winとなる結果」を模索する彼女の姿勢が
交渉事は勝ち負けではなく双方の利益を最大化することを目的とするもので、そのことを彼女は無自覚に行っている。
また事前に入念な下調べをしておき、相手がどんなものに関心を持っていて何を求めているのかを正しく知っているので相手が喜びそうな提案もできるのだ。
さらに複数のシナリオを想定しておき、相手の出方によって即座に代案を提示できるよう準備をしているので想定外のことで慌てるということがめったにない。
そして唐沢が注目している彼女にとっての最大の武器が「年上の人間に受けがいい」という点であった。
礼儀正しくて相手の話題に対応できるだけの知識を持っているため会話をしていて楽しいのだから好まれるに決まっている。
ツグミはその会話の中から相手の性格や好み、また何を求めてどこまで妥協できるのかなどの情報を引き出すことを無意識にできるために、相手はまったく警戒せずに彼女との会話を楽しんで
現にキオンのテスタやアフトクラトルのハイレインとランバネインは彼女の説得に心を動かされて自ら
もっともこれは
ここで重要なのは利用されていたと気付いたとしても自分がそれと同じだけ彼女を利用して得をしているので怒りが湧くことはないということ。
むしろ彼女の手腕の見事さに感心して笑うしかないのだ。
そうやって周囲の影響力のある人間を次々に味方にしてしまうツグミの「才能」は今後拉致被害市民救出のために
ツグミが使者としてヒエムスへ赴くのは2月20日で、現地での滞在時間を含めて帰還は3月6日の15日間を予定している。
ここでヒエムス国王がボーダーと対話をする意思があるという返事を貰うことができれば第一段階はクリア。
次は城戸がヒエムスに出向き、そこで交渉を始めることとなる。
もちろんその場にはツグミも同席し城戸のサポートをするのだが、この時
ただし艇にはA級隊員数名を待機させておき、最悪の事態には彼らにも働いてもらうことになるだろう。
このA級隊員は風間隊と三輪隊の2
遠征経験の多い風間隊はともかく
とはいえ三輪本人が承諾しなければ三輪隊として参加できなくなるわけだが、彼に打診したところ意外なほど呆気なく承諾したという。
彼にどのような心境の変化があったのかは本人以外誰も知る由もないのだが、少なくとも彼がヒエムスへ行って住民を皆殺しにするといった物騒なことにはならないはずだ。
こうして現在ヒエムスにいるであろう63人 ── 65人のうち青葉と涼花のふたりは帰還している ── の三門市民を引き渡してもらうための交渉を行うことになるのだが、今の時点では相手がどのような要求を突きつけてくるのかはわからない。
なにしろヒエムス政府は65人の人間を購入するために「ヒエムスで1年間に生産された作物の半分」をエクトスに引き渡していた。
それがどれだけの価値なのかわからないがその人間を国民に払い下げていて、水戸涼花という16歳の少女を買ったカルーロから聞いた彼女の
したがってひとり当たり数百万から数千万円の値段が付けられたことになり、相手が法外な値段を吹っ掛けてこようものなら億単位の金がかかることになる。
しかし
これはボーダーにとって都合が良い。
ヒエムスに限らず
また
ならばそれを解決する方法を提供すればいいことになる。
また既にある技術や知識であればボーダー側が骨を折る必要はなく、場合によっては経費がほとんどかからずに済むかもしれない。
ここは城戸とツグミの腕の見せどころとなるだろう。
あまり考えたくはないのだが交渉が決裂してしまった場合、ボーダーはそこで諦めて帰ることはできないが、だからと言って即実力行使というわけにはいかない。
いろいろと不利な条件となる敵地での戦いは極力避けたいが、相手が引き渡しに応じないのであれば手段を選んではいられないのだ。
そうなった時のために必要となってくるのは情報で、現在のところは昨年11月に調査隊が派遣された時に調べたものと、ヒエムスに住んでいた涼花とカルーロそしてトリガー使いとして売られた青葉から聴取したものしかない。
それでも鎖国をしているような状態の国の情勢がわかるだけマシというもので、それを頼りに戦闘プランを考えていた。
風間隊のステルス戦闘と
彼らにゼノンの
拉致された市民がヒエムスに売られた時期はレプトとの戦いが激しかった時で、そのために政府は37人のトリガー使いを高額な値段で購入していて青葉は戦争に参加していた。
千佳ほどではなかったがトリオン能力が高い彼女はトリガー使いとして重宝がられ、男性の多い軍の中では大事に扱われていたくらいである。
その青葉の情報ではヒエムス軍の規模はトリガー使いが約60人、一般兵が約150人。
トリオン兵はバムスターやモールモッドのような小型のものを状況に応じて投入するという形で、ゼノンや麟児に言わせれば「アフトを撃退したボーダーなら制圧は簡単」というレベルの軍事力らしい。
しかしだからといってヒエムスに侵攻して従属させるものではないので、できるだけダメージを与えないようにしながら残り63人の市民を救出することが
ヒエムス軍との戦闘は極力避けることが基本だが戦端を開くことになった場合の準備も疎かにはできず、そのための準備は時間がかかるために早速行動に移っていた。
◆◆◆
今年もバレンタインデーの季節がやって来たのだが、忙しくて時間がないものだから渡す相手を上層部メンバーとゼノン隊の3人とレクス、そして迅と少数に絞ることにした。
前日のうちに材料を買って来て13日の朝から自分の部屋のキッチンで作るものはナッツ入りとバナナ入りのチョコブラウニーの2種。
しかし有能な諜報員である上に1年以上も三門市に滞在している彼らが何も知らないはずもなく、去年の2月といえば玉狛支部にいるツグミの情報収集していた時期である。
彼女は2月13日にやることといえばひとつしかないと判断し、ゼノンたちはソワソワしながら当日の朝を待っていた。
そして14日当日、ゼノンたちは「義理チョコ」としてツグミの手作り菓子をそれぞれ受け取った。
彼らもそれが本命ではなく義理だということを承知しているから落胆することはなく、添えられたメッセージカードに書かれた「いつもありがとうございます。これからも大切な友人としてよろしくお願いします」の言葉に感動してしまう。
なにしろ女性から改まってプレゼントを貰うという経験がない
レクスはバレンタインデーが「女性から男性にお菓子を贈る日」という認識で、ハロウィンが「大人が子供にお菓子をくれる日」であるのと同じ感覚らしく、いつもとは少し違った菓子を貰って子供らしく喜んでいた。
本部基地では上層部メンバー用のチョコレートは会議室に置かれている箱に入れるというルールがあり、女性職員や隊員は該当者の名前の書かれた箱に自分のプレゼントを入れるシステムになっていた。
本人に直接渡そうとしてトラブルが発生したために昨年から直接手渡しは禁止となり、会議室の箱に入れるという方式を取ることとなったのだ。
それを沢村が回収して該当者に渡すことで上層部の間で「誰がどれくらい貰ったのか」を知られずに済むという最大の
今年もそのルールに従って箱に入れるシステムで、ツグミはそれぞれの箱にメッセージカードを添えた紙袋を入れて会議室を出た。
◆◆◆
午後はボーダー総合外交政策局局長として上層部メンバーの会議に出席し、B級ランク戦Round3夜の部を見物するために食堂でひっそりと夕食をとることにした。
なにしろ夜の部はたった2試合で暫定8位にまで駆け上がった玉狛第2が出場するだけでなく、その相手が6位の鈴鳴第一と7位の那須隊という順位こそ違えど1年前のRound3と同じ組み合わせなのだ。
那須隊は抜けた日浦茜に代わって夏目出穂が、玉狛第2には麟児が加わってメンバーにも多少変更はあるが、誰もが
あの時はB級になったばかりの修たちがそれぞれの持つ最大の力を出し切って
トリオンはなくとも考える力を持っていて遊真と千佳に適切な指示を与えることのできる隊長としての役目を果たした修。
人は撃てなくてもその膨大なトリオンによって地形を変えることで仲間が戦いやすくなる状況を作ることができる千佳。
ツグミにとってはこのRound3こそが玉狛第2
しかしRound4で二宮隊、影浦隊、東隊との戦いに敗れRound3の勝利によって6位という上位グループに食い込んですぐに8位に後退してしまったことで、修が「自分でも点が取れるようになりたい」などと欲を出してしまった。
もちろんそれは悪いことではなく誰であっても同様に考えるものなのだが、修に限ってはそうとも言えない。
強くなりたいという向上心は認めるが、彼にとっては1点でも多く取って勝つことでA級昇格に近付くためという自分本位な理由であったから見当違いな方向へ進んでしまったのだ。
A級の先輩たちが適切な指導をしたおかげで自分が点を取るのではなくエースが点を取ることのできる状況を作ることこそが目的達成の近道であることを知り、その後の試合で効果を上げる「ワイヤー陣」を覚えた。
ヒュースの加入もあって最終的には2位という結果を収めたが、所詮付け焼刃でしかない上にランク戦でしか通用しない技であったから目的を果たしたヒュースが抜けたこともあって昇格試験は不合格。
強くなって遠征に参加することができるだけの実力をつけたいと考えてB級ランク戦を勝ち抜いたのならば今頃二宮隊と共にA級昇格を果たしていただろうが、「ランク戦で得点できる戦い」を続けてきた結果は見てのとおりである。
そして「A級になって遠征に参加する」という目的は青葉と麟児の帰還によって意味のないものとなってしまった。
千佳は自分の手で友人と兄を探したいという動機で入隊し、修は麟児から千佳のそばにいてやれという頼みを引き受けたがその麟児が戻って来たのだからボーダーにいる理由はない。
ボーダーが千佳というトリオンタンクを手放したくないために、麟児の罪を帳消しにする条件をボーダー残留としたのは卑怯ではあるが彼の罪の重さを考えれば当然の措置である。
ところが皮肉なことにA級とか遠征といった「呪縛」から解放されたことによって玉狛第2は精神的な成長を遂げた。
時間がないからと闇雲に突っ走り小手先の技を覚えて強くなった気がしていた修だが、彼に考える時間的余裕ができたことで真に必要なものを見付け、それによって精神的な余裕が身に付いたのだろう。
それは玉狛第2の戦い方にも表れていて、Round1とRound2では以前とは違う「目標」が見られる戦いだった。
ツグミは帰国してすぐに玉狛第2のログをチェックし、それを見たからこそRound3をリアルタイムで観戦しようという気になったのだ。
◆
そんなツグミが観覧室の最後尾の席で試合開始を待っていると、後ろからポンと肩を叩く者がいた。
「よっ、久しぶりだな」
「あ、キョウスケじゃない。お久しぶり」
声の主は京介で、ツグミは玉狛第2の試合だからわざわざ本部基地まで見に来たのだと思った。
「今日はバイト、ないの?」
「ああ。解説を頼まれたからな、店長にシフトを変更してもらった」
「解説かぁ…。それならここにいるのが当然よね。でもバイトを休んでもかまわないっていうんだから、やっぱオサムくんたちのことが気になるんでしょ」
「いいや、バイトを休んでもそれ以上のギャラが支払われるからな」
「え? 解説するとギャラが出るなんて初めて聞いたわよ」
「今期からそういうことになったらしい。ここだけの話だが、1回で1万円出る」
「うそぉ!? 防衛任務よりも割がいいじゃないの。それじゃあスーパーのレジ打ちよりも
すると京介は真顔で言った。
「嘘に決まってるだろ。おまえ、玉狛を出て行ってから小南レベルで騙されやすくなったんじゃないか?」
それに対してツグミも真顔で答える。
「嘘だってわかって付き合っていたに決まってるでしょ。いくら
「だろな。おまえがおれの嘘に引っかかるようになったらボーダーもおしまいだ」
「当然。でも解説をするのは本当よね。そうでなければ
「当然。今日は緑川とふたりで解説だ」
「へぇ~、なんか面白そう。じゃあ、頑張ってね」
「ああ」
京介はそう言い残して解説席に着いた。
開始15分前ということで観覧席はほぼ満席になっていて、あとは緑川と実況担当のオペレーターが着席するのを待つだけである。
ところが開始10分前になっても解説席には京介ひとりだけで、ツグミが様子がおかしいと考えていると桜子が血相を変えて駆け込んで来て京介に耳打ちをする。
京介は立ち上がって周囲をぐるりと見渡してからツグミの席へとやって来た。
「ツグミ、ちょっとトラブルが発生した。俺と一緒に解説を頼む」
「え? ええぇぇぇえ!?」
京介に腕を掴まれ引っ張り上げられると、そのまま有無を言わさずに解説席に座らされたのだった。