ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
ツグミがヒエムス訪問を終えて三門市に到着した頃、ヒエムスではボーダーとの交渉のために政府が国民に払い下げをした
エクトスから購入したのはトリガー使い37人と花嫁としての女性28人の合計65人。
トリガー使いは軍で管理していることで居場所は把握しているのだが、花嫁となった女性たちは全国に散っている。
そんな彼らの他にレプトとの戦争で捕虜にしたトリガー使いもいて、その「全員」の現況を把握しておくようツグミは
次回の訪問の際に報告をしてもらい、そこでボーダーが納得できる内容であったならヒエムス側の要求を可能な限り呑むことで
したがってヒエムス側の報告にボーダー側が納得できない場合には交渉の場につくこともなく物別れになる可能性もあるのだが、それは即ちボーダー側は実力行使によって同胞を連れ帰るという意味にもなる。
端的に言えば「戦争」だ。
ヒエムス政府としては今一番恐れているのがキオンを味方にしているボーダーと戦争をすることで、そうならないようにするには全員を五体満足な状態で返すことが必須である。
トリガー使いは軍の管轄であるから問題はないが、国民に払い下げした女性たちは代価を支払った男性の
少なくとも払い下げした金額と同額を支払わなければ納得するはずがなく、女性を引き渡すことはないだろう。
もっともボーダー側からその分の賠償金の代わりとなるものを受け取り、対象者に渡すことで問題は解決する。
しかし調査の段階でセルジョが頭を抱える事態となってしまっていた。
ツグミはヒエムスを訪問した際にセルジョに対してヒエムスが
それは麟児がエクトスに戻った時にこっそり盗み出してきた資料によるもので、非常に信頼できるものであるから「トリガー使いとして男性36人・女性1人、花嫁として女性28人の合計65人」と確定している。
ボーダーはその正確な人数を把握しているとツグミが告げたものだから、セルジョは嘘をついたことを認めて謝罪した。
さらにレプトとの戦争でレプトにいた
そして居場所を特定できなかったのは3人である。
(参ったな…。3人も行方不明とはさすがに言い訳は難しいぞ。ボーダーは全員の所在をハッキリさせるよう何度も念を押していたからな。…トリガー使いのハルカワ・アオバが何者かに売り渡されて
セルジョの判断は正しい。
ツグミは涼花の家族が三門市にいることをあえてヒエムス側に伝えてはいなかった。
(レプトの捕虜3人のうちふたりは軍にいることはわかったが、ハトハラ・サトシという男が行方不明となっている。トリオン器官の衰えでトリオン抽出ができなくなったために農園主に払い下げをしたところまではこちらでも把握していたが、その農園から逃走したらしくその先は不明。この男が
セルジョは上手くいけば自分の功績で、失敗すれば国王のフランコに責任を負わせるという卑怯な計画を立てていた。
しかしツグミはハイレインと何度も頭脳戦を繰り返して常に勝者となってきたほどの策略家である。
それを知らないセルジョは彼女を舐めており、いずれ痛い目を見ることになるのは火を見るよりも明らかであった。
◆◆◆
次回のヒエムス訪問は4月10日出発で、参加メンバーはツグミ、城戸、ゼノン、テオ、そして風間隊の風間、歌川、菊地原の合計7人と決まった。
風間隊が参加する理由は
城戸はボーダーの最高司令官でしかないが
ヒエムス側の要求には可能な限り対応するつもりなのでツグミは唐沢を通じて様々な手を打ってある…のだが、それは保険のようなもので
ヒエムス国民にとって今一番必要なものと今後必要となるものはリサーチ済みで、ヒエムスとの友好関係を築くことができればその先の支援についても考えている。
とにかく交渉という戦いにおいての師匠である唐沢からも「お墨付き」を貰っているほどの実力者であるから、城戸は自分から何かをすることはなくすべてをツグミに任せるつもりでいるようだ。
彼女がボーダーの任務7割プライベート3割と無理をせずに自分のペースで物事を進めていることは城戸にとっては安心材料で、以前のように加減をせずに無茶をして倒れてしまう心配はなさそうだと胸をなで下ろしている。
「三門市民救出計画」はまだ始まったばかりで、エクトスに拉致された市民は少なくとも9ヶ国に散らばっている。
ヒエムスとの交渉は「第一次計画」で、最後のひとりが帰国するまでには途方もない時間がかかることだろう。
しかしこの一歩を踏み出して確実に足跡を残さない限り次の一歩は踏み出せない。
このヒエムスとの交渉が上手くいけばそれが
ツグミひとりだけに負担をかけずに済むようになると城戸だけでなく忍田たち上層部メンバーは期待をしている。
過去にいろいろあったために鬼怒田や根付は彼女に対して良い印象は持っていなかったが、さすがにここまでの結果を出しているとなれば認めざるをえないものとなった。
すべては地道な努力とそれに伴う「結果」であり、この拉致被害者市民救出計画を成功させることもツグミや城戸にとっては「目的」を達するための「経過」に過ぎない。
そしてその「目的」が達成された後、ようやく彼女たちには心の安寧がもたらされることだろう。
◆◆◆
3月から4月にかけてというのは人生における転機を迎えるシーズンである。
ボーダー隊員の多くは中学生や高校生といった学生であるから、学校を卒業するタイミングの学生は自らの未来を見据えて進路を決めなければならない。
中学を卒業する者はボーダー提携校の三門市立第一高等学校、六頴館高等学校、または星輪女学院などに進学するケースが多い。
千佳、出穂、ユズル、駿は揃ってボーダー推薦で第一高校へ進学。
青葉も千佳が行くからと同校を受験して合格したために、4月からは皆で高校生ライフを送ることになる。
修は可もなく不可もなくといった成績で2年に進級し、修に勧められて一緒に入学した遊真は周囲の協力もあって辛うじて進級できた。
栞や奈良坂といった六頴館組のほとんどが三門市立大学へ入学し、星輪の小南もエスカレーター式で系列の女子大に進学した。
レイジは大学を卒業し、このままボーダー活動を続けることにした。
彼は父親のようにレスキュー隊員、つまり特別救助隊に入隊することを希望していたがこのタイミングでボーダーを見捨てるようなことはしたくないと言ってボーダーに残ることに決めたのだ。
しかし消防官の採用試験を受け、レスキュー隊員になろうという志は捨ててはいない。
こうしてみると誰もがボーダー活動と勉学を順調に両立させているかのようだが、必ずしもそうとは言えない。
太刀川のように留年ギリギリの状態で進級が確定するまでは本部基地への立ち入り禁止となる者がいれば、大学進学のために三門市を離れなければならないとボーダーを辞める者もいる。
学校を卒業してボーダーに就職するというケースは以外に少ない。
それはボーダー活動を一生の職業にするという考えがなく、学生時代のアルバイト感覚でいる隊員が多いためだ。
実際にランク戦を含めた模擬戦は部活のようなものだし、なによりもA級隊員にならなければ固定給はなく、B級隊員のままではトリオン兵討伐の出来高払いのみなので、ボーダーの給料だけでは生活できない。
おまけにトリオン兵の出現は昨年の9月からゼロとなっているため、B級隊員には救済措置として市内巡回(基本8時間)1回につき5000円が支給されることになった。
それでもコンビニやファストフード店でのアルバイトの方が割が良いために、ボーダーに残るとなれば経済的に厳しいものとなる。
そのような状況の中、正隊員の約17パーセントが進学・就職を理由に3月末にボーダーを辞めることになった。
しかし入隊希望者はまだまだ多く、昇格試験で正隊員になる訓練生もいることで運営に支障は起きていない。
それにいずれは防衛機関としての規模を縮小することになるだろうから、しばらくの間はこれでいいだろうと城戸は判断した。
◆◆◆
4月4日は朝から薄曇りの天気であったが降水確率0パーセントということでお花見は予定どおりに行うことになった。
ビールやジュースなどの飲み物をクーラーボックスに入れるといった作業はゼノンたちが積極的に引き受けてくれて、ツグミは前夜から準備をしておいた料理を重箱に詰めている。
そのうちに迅がレンタカ-を借りて来て、荷物を積み込むとツグミしか知らない目的地へと向けて出発した。
「遠征艇を停めてある採石場の跡地へと向かってください」
助手席に座るツグミが迅に言った。
「了解」
迅は慣れた手つきでハンドルを操る。
旧三門軟石採石場は人目を避けて艇を停めることができるという理由でボーダーが購入して私有地となっている。
過去の地震で作業に使っていた道路が封鎖されていたが、土砂を取り除く工事が3月半ばに終了したために鉄製の門が設けられ、そこに「ボーダー関係者以外立ち入り禁止」の看板が掲げられている。
ボーダー関係者といってもここに用事のある人間はツグミたちのように
工事が終了するまではヘリポートを設置して本部基地のヘリポートとの間をヘリコプターで移動していたが、自動車が使えるようになったおかげで「関係者」であるツグミは城戸から鍵を渡されていて自由に出入りできる。
ゼノンの所有するタキトゥスの
それは遊真の
なにしろ
その内蔵されたトリオンが使用者の能力を数倍に押し上げていると考えられるのだが、そうなればいずれは
実際に
ならば遊真の
そのことは本人にも伝えられていて、
こうした経緯によってツグミたちは車で採石場跡地へと向かっているのであった。
無事に採石場跡地に到着すると、ツグミは大きな南京錠を開けて中へ入る。
そこは彼女たちにとって何度も利用している慣れた場所なのだが、陸上競技の300メートルトラックが丸ごとひとつ納まるほどの広さの空き地の一角にこれまでに見たこともないほど見事なヤマザクラの大木があって、今が盛りとばかりに真っ白な花を咲かせているのを見付けて全員が息をのんだ。
「2月にヒエムスへ行くためにここへ来た時、このヤマザクラの木があるのを見付けたんです。樹齢は300年から400年らしいんですが、ということはここが採石場として現役だった時も春になるとこのように見事な花を咲かせていたことになります。作業の邪魔になりそうなものですが伐採されずに残ったということは、作業員のみんながこの木を大切にしてきたからだと思うんです。だから整地の作業員さんには伐採しないようにお願いしておきました。…でもこんなに見事な花を咲かせるなんて想像もしていませんでした」
ツグミが満開のヤマザクラの木を見上げながらしみじみと言う。
「正確にはオオシマザクラという名前の桜で、桜餅に巻いてある葉はこの桜の葉を塩漬けにしたものなんですよ。これまでずっと知られずにいた桜の木ですが、こんなに美しい桜が誰にも見てもらえないなんてもったいないですよね。だから今回はわたしたちだけですけどここでお花見をしようということにしたんです。来年、再来年…いつか誰でも見ることができるようになるといいんですけど、こちら側の世界の人間が
そう言って微笑むツグミに迅たちはそのとおりだと言いたげに黙って頷いた。
「さあ、ここで宴を開きましょう。ジンさん、緋毛氈をここに敷いてください。この日のために用意したんですから」
ブルーシートでも役には立つが、せっかくのお花見にビニールシートでは味気ない。
ゴザでもいいがそれでは色気がないと、ツグミは通販で緋毛氈を購入していたのだ。
さらに野点て傘も用意し、風情は完璧である。
これらの価格は決して安いものではないし年に1回しか使わないのであれば贅沢だといえるのだが、侘び寂びや風流といったものにこだわるツグミにとってはどうしても譲れない。
彼女は幹部となったことで固定給に出張手当やボーナスが出るとなれば許される範囲だと考えたのだ。
重箱も忍田家で受け継がれてきた漆塗りの豪奢なもので、1週間前に
その時に忍田とは庭の桜で父娘ふたりだけの花見をしていて、残り少なくなったふたりだけの時間を過ごしたのだった。
重箱の中には各人のリクエストが反映された料理が入っている。
お弁当として定番のタコウィンナーやハンバーグ、得意のだし巻き玉子だけでなく、春らしく菜の花のベーコン巻きや桜えびのおにぎり、さらに彩り鮮やかなキッシュ、デザートには桜餅と抹茶ムースと手間のかかったものばかりだ。
しかしツグミひとりで全部作ったのではなく、テオがハンバーグの成形をしたりレクスがおにぎりを握ったりと手伝ってくれている。
その前にもゼノンとリヌスは食材の買い物に付き合ってくれて、重たい荷物を彼女の代わりに持ってくれた。
こうして全員で力を合わせて、桜の花の下で宴を催すこととなったのだから皆で心から楽しめるというもの。
特にレクスにとっては生まれて初めての経験で、雨が降らないようにとテルテル坊主まで作って晴れを望んでいたくらいだ。
その甲斐もあってか朝のうちは薄曇りだった空も昼近くになって青空へと変わっていた。
ゼノンは清酒、リヌスはビール、運転手の迅と未成年組の3人はジュースを紙コップに注ぎ乾杯をする。
「今日という良き日を来年も共に過ごせますように。…乾杯」
「乾杯!」
ツグミの音頭で乾杯をすると花見の宴が始まった。
各々が直箸で料理を自分の皿に載せて食べ始める。
寮の生活でツグミの料理に舌が慣れてしまったことで、どれを食べても美味しいと感じるようになっていた男性陣は先を争うように重箱の料理に手を出していった。
周囲が山に囲まれていてツグミたち6人しかいないのでどれだけ大声を出したりはしゃいでも誰にも迷惑はかからない。
それにトイレは艇の中のものを使えばいいし、料理や飲み物が足りなくなれば艇の倉庫の備蓄品を持って来ればいいという最高のお花見場所であることは間違いない。
そしてツグミは将来ここを
花を見て美しいと感じたり心が和むのは
飲んで、食べて、サッカーやバトミントンといったスポーツをして、疲れたら昼寝をしてと春の一日を満喫したツグミたち。
しかし周囲が山に囲まれているために午後も2時を過ぎると日陰になってきて、じっとしていると肌寒く感じるようになってしまった。
名残惜しいとは思うもののこれが最後ではなく来年も同じように花見ができると思えば誰でもツグミのように1年後が楽しみだというポジティブな考えを持つようになる。
来年の今頃にまたこのメンバーで集まることができるかどうかはわからないが、そんな「夢」を持つことができるのは彼女たちが「自分の理想の未来は自分の手で創る」という気持ちで生きているからだ。
「来た時よりも美しく」という言葉のように、ツグミたちは自分たちの出したゴミだけでなく整地作業員の捨てていった空のペットボトルや空き缶なども全部回収してから楽しい想い出だけを残して採石場跡地を後にした。