ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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479話

 

 

すべてを失ったセルジョは絶望し、政庁の廊下を力なくフラフラと歩いていた。

巫女ラーラの信頼と愛情を失ったことは個人的な関係の破綻というだけでなく、彼の社会的立場が脆く崩れ去っていくきっかけともなるのは明らかで、不正がバレて役立たずという烙印を押されたからにはクビを言い渡されるのを待つか、自ら出て行くかの二択しかない。

しかしセルジョは気付いていなかった。

単にクビを言い渡されて政庁を追い出されるのなら命までは奪われることはないのだが、ボーダーとの交渉で失敗もしくは条件の悪い取引を強いられることにでもなれば責任は彼が負わされる。

一族とは無関係な家柄の男性を婿にして国王に据えることで、万が一の時に責任を負わせることを繰り返してきたヒエムス王家。

本来ならフランコがその犠牲になる立場なのだが、今後のボーダーとの交渉の結果次第ではセルジョがその身代わりとなる可能性が生まれてきたのだ。

もしセルジョが冷静であったのなら自らの犯した失敗と行く末について考えて、すべてを捨ててでも安全な場所に逃げるという道を選んだだろうが、今の彼にそんな精神的余裕はない。

同僚に声をかけられても気付かないほどで、ようやく政庁内の自室に戻るとベッドの上に崩れるように倒れ込んだ。

 

(クソッ…玄界(ミデン)の連中のせいで私は何もかも失うのか…!)

 

セルジョは心の中で悪態をついた。

 

玄界(ミデン)の連中が来なければすべては上手くいっていたんだ。いずれリータが巫女となり、私は巫女様の実父として何の不自由もなく生きられるはずだったというのにその計画は全部ダメになってしまった。それはすべて奴らのせいだ! …しかしラーラ(あの女)が知っていたとは不覚だった。エクトスから買った玄界(ミデン)人を購入額より1割ほど上乗せしてして払い下げて差額を儲けたことは私とごく一部の限られた人間しか知らないこと。その情報が漏れたとなれば誰かが密告したとしか考えられないが、そんなことをすれば自ら身の破滅を招くだけ。そうなると…もしや奴か!?)

 

セルジョの頭にひとりの男の顔が浮かんだ。

それは彼同様にラーラの寵愛を得て軍最高司令官になったアシッドという男である。

アシッドはラーラの息子の父親で、セルジョに政務のトップのポストを与えたように、彼を軍のトップに据えたのだった。

同じ手段で権力を手に入れたことでお互いにライバル視しており、同時に同じ女性を愛している恋のライバルでもあった。

 

(私を追い落とすためとなればどんな卑怯な手でも使う男だ。奴が寝物語にでも話したのかもしれぬ。しかし奴が私の不正を知るはずがない。ならば…)

 

政庁内にアシッドのスパイが紛れ込んでいるとセルジョは考えた。

その根拠は彼自身が軍にスパイを送り込んでいるからだ。

互いに牽制し合っていて、スキあらば相手を蹴落とそうとしているライバル同士なので考えることも同じということなのだ。

そうなるとツグミや城戸よりもアシッドへの恨みが強くなっていった。

 

(こうなれば奴も道連れにしてやる。今に見てろよ、アシッド!)

 

まさに「イタチの最後っ屁」の見本のような醜い最後を演じるつもりのセルジョであった。

 

 

◆◆◆

 

 

ラーラとの会談を終えたツグミは城戸とフランコの待つ部屋に戻るとすぐに神殿であったことを報告し、今後の交渉はフランコを相手にすることを許されたと話すと城戸とフランコは安堵の表情を浮かべた。

彼らもまたツグミがラーラへの不敬として罰を受けるのではないかと心配していたわけで、良い方向へ舵を切ることができたとして喜ぶべきである。

ただし当然のことながらラーラのプライベートに関することは秘密だ。

そうはいっても彼女がフランコのことが好きで、その満たされない思いを他の男性たちと関係を結ぶことで紛らわせていたことは知ってもらわなければ先に進めない。

そこでツグミはフランコだけに話すことに決め、城戸に席を外してもらって事情を打ち明けることにした。

 

「…そうか、私は長い間勘違いをしていたのだな」

 

フランコはひどく辛そうな顔をして吐き出すように言った。

 

「そして愚かな私は彼女を苦しめていた。あの瞬間、目と目が合った時に私は愛らしい彼女に好意を抱き、叶わぬ思いをこの胸に封印してずっと生きてきた。彼女も同じ気持ちだったなんて滑稽じゃないか」

 

そう言って自嘲な笑みを浮かべながらツグミに訊いた。

 

「私たちは長い時間をお互いに相手を想う気持ちを抱えながら無為に過ごしてしまった。 私が彼女のことをずっと思い続けてきたと言って信じてもらえると思うかい?」

 

「それは陛下の誠実なお気持ちを正直に告げればいいだけです。陛下は愛人を持つことを許されていたというのにずっとひとりでいました。巫女様は寂しさを愛人たちとの逢瀬で忘れようとしましたが、陛下はそれすらせずにただひとりだけの想い人のことを大切にしてきたのです。わたしなら陛下のような一途な男性のことを拒むことはありえません」

 

「…しかし20年近く離れて暮らし、顔を合わせたこともあの時だけだったのだ。その時間を今からでも取り戻すことができるだろうか?」

 

「時間なんてものは状況によって感じ方が違うものです。1時間とか1日といった単位は普遍なものでしょうけど、同じ時間でも『あっという間』であったり『果てしなく長い』ものであったりします。子供の時にはとても長いと感じた1日や1年も歳をとるとあっという間に過ぎ去っていきます。これは1日、1年という時間がその人にとってどのような重みや価値、そして一生の中でどれだけの割合を持つかで違ってくるということです。会えない時間が20年もあったなら、一緒にいる密度の濃い時間を20年間過ごせばいいじゃないですか」

 

「これから20年も生きられるだろうか? きみたちの世界と違って近界民(ネイバー)はそう長く生きられないのだよ。私もあと10年生きられるか…」

 

フランコが寂しげに言うと、ツグミが力強く否定した。

 

「今の生き方を続けるならそうかもしれませんが、近界民(ネイバー)のみなさんが意識改革をすれば叶わない夢では終わらずに現実のものとすることができるのですよ。寿命が短いのは栄養バランスの悪い食事や医療技術の未熟さなどが原因となっています。わたしの故郷の日本という国でも100年前だと50歳から60歳くらい生きたら長生きだったようですから、近界民(ネイバー)でも同様に寿命を伸ばすことは不可能ではありません。玄界(ミデン)では100歳を超えるお年寄りが大勢います。だとすればまだ40代のおふたりなら人生の半分しか過ぎていない、まだ半分も残っていると考えてもいいのではありませんか? 100歳まで生きる覚悟ならそのうちの20年くらい大したことではありません」

 

100歳まで生きるというのはオーバーだが、そう考えることで時間はまだ十分にあるのだと思えるようになる。

P・F・ドラッカーの名言に「コップに『半分入っている』と『半分空である』とは、量的には同じである。だが、意味はまったく違う。とるべき行動も違う。世の中の認識が『半分入っている』から『半分空である』に変わるとき、イノベーションの機会が生まれる」というものがある。

一般に「コップの水理論」と呼ばれる有名なものだが「物事の事象をネガティブに捉えないで、ポシティブに捉えましょう」という教えを説いたものとされるが実際にはそう簡単なものではない。

しかしフランコたちの場合には「人生はこれからだ」と思わせることだけで十分なのだ。

 

「とにかく会うことが第一歩です。巫女様と陛下はこの国の最高権力者でなんですから、おふたりが面会することを否定したり拒む者がいたらその権力で排除してしまえばいい。そして会って、お話をして、和解して、お互いの気持ちを確認し合って…そのあとのことはそれから考えればいいと思いますよ。慣習とか意味のない規則なんてものよりも人と人が愛し合うことの方がずっと大切で価値があり、そしてそれこそが命を懸けてでも守るべきものなんですから」

 

ツグミの言葉には説得力があり、一度耳を傾けるとそれがまるで真理であるかのように心に響いてくる。

フランコもまた彼女に諭され、勇気を出して一歩を踏み出す覚悟を決めた。

 

「わかりました。ダメだったとしてもこれ以上状況が悪化するものではありませんしね。彼女と会って正直な気持ちを告白してみます」

 

「実は今夜わたしは巫女様に私的に会食の招待を受けていて、神殿の私室でふたりきりで食事をすることになっているのです。ですがわたしが体調を崩してしまって欠席をすることになれば巫女様はおひとりでの寂しい食事となってしまいます。そこでわたしの代わりに別の方が巫女様と食事をすることで寂しい思いをさせずに済むはず。こうしたことをお願いするのは恐れ多くとても心苦しいのですが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、陛下に代役をお願いできませんでしょうか?」

 

「よかろう。きみがそこまで言うのなら、私はきみの友人としてその代役を引き受けよう。今はそれくらいしかきみの気持ちに応える手段がないからな。…ありがとう、ツグミ。心から感謝している」

 

そう言ってフランコがツグミの手を握って頭を下げた。

するとツグミが微笑みながら言う。

 

「お気持ちはしっかりと受け止めました。あとは目に見える形で()()をしてくださいね」

 

その言葉の意味するものはひとつしかない。

 

「ああ、わかっている。私が国王として責任を持ってきみたちの満足する結果となるよう努力する」

 

「ありがとうございます、国王陛下」

 

ツグミにとってフランコとラーラの関係は想定外のことであったが、それすらも即時に()()()()()()()として計画として取り入れる。

こうして脚本家本人の手によって少々書き直された「第二幕」が始まろうとしていた。

 

 

◆◆◆

 

 

ラーラの元にはツグミからのメッセージカードが届けられた。

そこには「体調を崩したので会食には代理としてフランコ王が出席いたします」と書かれており、ラーラはそれを見てツグミの()()を把握したらしく代理出席を許した。

そしてメッセンジャーにツグミへ見舞いの品を送り届けるように指示し、「安静にして明日の昼には神殿に参るように」とのメッセージを添えた。

見舞いの品とはフルーツの盛り合わせで、ヒエムスでは入手が難しいオレンジやメロン、桃といったものも入っている豪勢なものである。

疲弊している国民が大勢いる国の王家の贅沢を許したくはないが、それがラーラの精一杯の感謝の気持ちだと思うことでツグミはありがたく受け取ったのだった。

 

そして神殿のラーラの私室では彼女とフランコのふたりだけの晩餐が行われた。

そこでどのような会話があったのはさすがのツグミにも想像はできないしする気もないので、この晩餐での出来事はふたりだけの秘密で誰にも知る由はない。

しかしフランコがラーラの部屋で一夜を過ごしたとなればふたりが和解したことは疑いようがなく、ツグミはふたりの幸せを祈るだけであった。

 

 

◆◆◆

 

 

翌朝、軍の本部基地司令部では騒ぎが起きていた。

ヒエムスでは主産業である農業は労働人口が足りないために、農家の繁忙期には軍人が手伝いに行くことで辛うじて成り立っていた。

小麦の収穫時期がそろそろ終わる頃なのだが、それでも軍の半数近くの兵士が出払っている状態だ。

したがってこの時期を狙って侵攻してくる国がないとも限らず、有事の際にはすぐに出動できるよう態勢を整えている。

しかし本部基地司令部では緊張している状態でも、現場に派遣されている兵士たちにとっては厳しい管理下から解放されるために気が弛んでいたり羽目を外す者も多い。

まもなく帰還命令が発令されるとなれば今のうちに遊んでおこうと考える者が出るのは当然で、毎年の恒例行事のようなものだから司令部でも監視していたはずだった。

それなのに兵士のうち10人が脱走したのである。

王都から20キロほど離れた村2ヶ所でそれぞれ5人ずつが共同生活をしていて、作業前に村人が彼らを呼びに来た時にもぬけの殻となっていて脱走に気が付いたのだった。

まったく関わりのなさそうなふたつの村で共通するのはどちらもレプトとの戦争の際に捕虜にした玄界(ミデン)のトリガー使いがいたということ。

近界(ネイバーフッド)の国々では捕虜や他国から購入した兵士が脱走しないようにバラバラにして管理しているのが通例だ。

仲間がいるとなれば心強く、いざという時に力を合わせて逃げ出そうとすることもありえるのだが、たったひとりで誰も味方がいないとなれば心が折れてしまう。

だからヒエムスでもエクトスから購入したトリガー使いはもちろんのこと、レプトからの篠山と田崎もそれぞれ別の部隊に所属させて顔を合わせることもないようにしていた。

ところが連絡を取ることができないというのに同じタイミングで彼らは脱走した。

これは明らかに何者かによる工作があったと考えられたのだが、犯人探しよりも先に脱走兵を捕まえることが重要だとして追手が差し向けられた。

そしてその日のうちに10人のうち8人までが確保されたのだが、篠山と田崎のふたりは発見できずに夜を迎えてしまう。

この事件の概要は、とある人物が篠山と田崎のそれぞれに「玄界(ミデン)から救出隊が来ている。王都のはずれに艇が停めてあるから、そこまで行けば玄界(ミデン)へ帰ることができる」と告げたのだ。

彼らにとって故郷に帰る絶好のチャンスであるから、その先のことなど考える余裕もなく使者から手渡された地図を頼りに深夜であるにも関わらず逃走をした。

その時に一緒にいたヒエムスの兵士も逃走したのだが、闇夜の中を歩いているうちにはぐれてしまい、目的地の正確な場所を知っている篠山と田崎のふたりだけが朝早くにボーダーの艇にたどり着いたのだった。

艇で待機していた風間が篠山と田崎を第一次近界民(ネイバー)侵攻における拉致被害者市民を確認し、通信機で迎賓館にいる城戸に連絡をしたことで、ツグミたちはヒエムス政府と軍部の騒ぎをいち早く知ることができた。

 

この騒動の黒幕はもちろんセルジョである。

彼は軍最高司令官アシッドを陥れるために兵士の脱走というスキャンダルを起こしたのだ。

もちろんこんな恥ずべきことは軍の外部に知られたくないから隠し通そうとするだけでなく、脱走兵士の中に玄界(ミデン)のトリガー使いがいてもボーダー側に報告せず極秘に処理をしようとするのは目に見えている。

そこで篠山と田崎にはボーダーの艇の場所を教えて、ボーダー側には事件のことをあえて知らせるようなことをした。

こうしてアシッドが何もなかったかのように振る舞えばボーダー側の信頼を失い、そのことがラーラの耳に入ればアシッドも自分同様に捨てられるとセルジョは考えたのである。

案の定アシッドは自分の部下の不祥事であるから何らかの責任は取らされると考え、事件自体を隠滅することにしたのでラーラやフランコには知らされなかった。

それがツグミの口からふたりの耳に入ることになったものだから騒動は単なる兵士の脱走には留まらず、軍内部の綱紀粛正と責任者の処分という話にまで発展してしまう。

以前にも青葉がトリガー使いとしてこの国の軍にいたのだが、鳩原智史を探してヒエムスへやって来た麟児たちが菓子や酒などの嗜好品と交換で彼女を救い出したことがあり、それが軍内部で大問題となって事件に関係した兵士が処分されたことがある。

それからまだ半年も経っていないとなれば、軍全体が弛んでいて引き締めが必要であることは間違いないと判断されるのは当然だ。

そしてアシッドは最高司令官の任を解かれ、地方支部の司令官という閑職に追いやられてしまったのだった。

なにしろ支部に所属する兵士は5人から多くて10人という小規模なもので、(ゲート)等が開いて他国の人間が密入国をしないかの監視くらいしか仕事がない。

おまけに周囲に民家などない世間から隔絶された僻地であるから、大怪我をしたり病気になったとしても()()()になる可能性も高い。

セルジョはアシッドの処分を聞くとこれ以上ないというほど高らかに笑い、荷物をまとめておとなしく政庁を出て行った。

 

新しい宰相にはエヴァルドが就任した。

そもそもセルジョが腹心の彼をフランコを監視するために専属執事にしたのだから優秀な人間であることは間違いない。

その上フランコが厚い信頼を寄せていることで、ラーラがエヴァルドを宰相にしたのは当然のことといえる。

それはツグミたちボーダー側にとっても喜ばしいことで、この先の交渉はより捗ることになるだろう。

 

 

◆◆◆

 

 

イレギュラーな事件が起きたものの、ツグミたちの計画は順調に進んでいた。

艇に積んできた医薬品や栄養補助食品などを政庁へと運び、軍医とラーラの主治医にツグミはそれらの使用方法について説明をした。

ラーラの鉄欠乏性貧血については日頃の食事の内容に関しても主治医に指示をし、次の訪問時にはトリガー使い36人を全員総司令部へ集めておくよう依頼をした。

花嫁となって配偶者と子供のいる27人の女性については全員が農業に従事しているためにすぐに帰国というわけにはいかない事情がある。

そこで彼女たちには帰国と一時帰国というふたつの道を用意し、どちらかを選んでもらうことにした。

ヒエムスに残るにしても三門市にいる家族や友人に会いたいという気持ちはあるはずで、今すぐに帰るか残るか決めろと無茶なことはいえないということで一時帰国という選択肢を用意したのだ。

そして話がスムーズに進んでいったため、予定を1日繰り上げて帰還することとなった。

 

 

 

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