ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
ツグミが総合外交政策局局長に就任したことを発表した3月の放送の時にも視聴者の反響は大きかったが、市民の救出に成功した報告会であるからその反響は数倍となった。
ボーダーの各支部に寄せられた市民の声は1000を超え、そのうち90パーセント以上は期待や応援などの好意的な意見である。
しかし残る数パーセントは「
もっともこれは想定内のことで、否定的な意見であっても役に立つものであれば大歓迎だとツグミは事もなげな様子で言う。
それぞれに返事を書きたいとさえ思うのだが、こういったネガティブな意見を言う人間は自分の正体を明らかにしない匿名ばかりなので返事を届けることができないために諦めるしかない。
それでも直接相手に伝える手段はなくとも一般に広く伝えることはできると言って、メディア対策室の広報のHPに投書の内容とそれに対するツグミが自ら書いたメッセージを載せてもらい誰でも見ることができるようにした。
放送を見ていたのは三門市民だけでなくスポンサー企業のお偉いさんたちもいて、それぞれに思う所があるのか資金援助の増額を申し出てくる企業もあった。
彼らも単に慈善事業の一環としてボーダーに援助をしているのではなく「見返り」を期待しているからこそ多額の援助を続けているのだ。
一般人には極秘事項として知らされていない機密情報も一部 ── といってもボーダーの正隊員ならば知っているレベル ── を知っているので、その有益性に気付いた人間なら今まで以上に支援しようという気にもなるはず。
ボーダーに対する貢献度、つまり支援金額が多ければ多いほど見返りも大きくなり、今後の企業経営に大いに役立つと考えているわけだ。
特にトリオン体の技術が欲しい企業は多い。
換装すれば身体能力が生身の状態よりも大幅に強化されることに加え、トリオンによる攻撃以外によって傷付けられることがほぼなくなる。
現状ではトリオンによる攻撃はありえないので、単純に身体能力の強化というメリットしかない。
医療・介護分野や物流・荷役など重量物を扱う作業で使われている一般にパワードスーツとかアシストスーツなどと呼ぶ装置があるが、トリオン体に換装することによって同等の、いやそれ以上の役割を果たすことができるようになるとしたらどうだろうか。
高価な装置がなくても換装することができるだけのトリオン能力さえあれば誰でもその仕事に従事できるようになる。
危険な作業でも怪我の心配は不要となるので、工事現場などでは非常に利用価値の高い技術となるのだ。
それがわかっているからなのか、建設業や物流関連の企業は支援に積極的であり、小笠原雪弥の愛信建設もそのひとつである。
ボーダーに対しての「投資」で、ボーダー側も軍事転用される恐れがないと判断した企業のみをスポンサーとして厳選している。
いずれはトリオンの秘密も公開されることになるだろうから、その前に自社で独占とまではいかなくとも優遇してもらおうという魂胆であるのは明らかだが、それこそボーダーと企業が「win-win」となるのなら問題はない。
「大人たちの世界」ではいろいろな駆け引きが繰り広げられていてもツグミには直接関係はなく、
ゼノンとリヌスとテオは素顔を晒したことで、これまでのように変装用トリガーを使用せずに買い物などの街歩きをすることができるようになった。
もちろん変装して買い物することに何ら問題はないのだが、あえて自分たちが
三門市民のほぼ全員が例の放送を見ているために彼らは超有名人となっていた。
ゼノンは無骨だが真面目で頼りがいのある兄貴、リヌスは爽やかでハンサムな好青年、テオは明るくて親しみのある弟ポジションの少年ということが強調されたものに仕上がっていたため、番組を見た市民の彼らへの印象は非常に良好で、彼らの顔を見れば手を振ったり近寄って来て積極的に話しをしようとする。
もちろん警戒したり遠巻きに見ている人もいるが、彼らが三門市に馴染んでいる姿を見ているうちに受け入れることはできなくても拒絶はしなくなるだろう。
◆◆◆
拉致被害者市民救出計画が本格的に進んでいることを公表したことで、ツグミの仕事はますます忙しくなった。
ヒエムスでフランコと取り決めをした支援物資の確保や輸送の手配などそれらはすべて総合外交政策局の仕事なのだが、局員はツグミを含めてその道のプロではないから
そこで唐沢が自分の知人の連絡先を教えてくれた。
直接その人物に電話をすればよほど入手の難しいものでなければ翌日には本部基地に届けてくれるという。
これまでにもアフトクラトル遠征では「カタギには入手困難な少々ヤバイもの」を用意してもらったことがあるが、どれもこれも唐沢を通じてであった。
連絡先を教えてもらったことでこれからは直接依頼ができるために時間と手間を省くことができるようになる。
ボーダーに入隊して以来、過去から現在に至るまでの彼女の行動、結果、そして結果に伴う城戸たち上層部メンバーからの信頼によって得た「力」が総合外交政策局局長の肩書きで、彼女の判断ひとつで外部との交渉をも可能としている証なのだ。
いくらS級といっても一防衛隊員では不可能なことだが、幹部ともなれば責任は伴うものの権利の及ぶ範囲は広がる。
並の人間ならその重圧に押しつぶされそうになるものだが、彼女の場合はそのプレッシャーさえも自らを鼓舞するエネルギーに変えてしまう。
そもそも彼女は「責任を負わされたくないから何もしたくない」ではなく「責任さえとれば何でもできる」と言って張り切るタイプであり、「責任をとりたくないから絶対に成功させる」となるわけだ。
たとえ困難であっても自分にできると思われるものが目の前にあれば必ず挑戦するのは「必ずしも失敗すると限ったものではないのだからやってみる価値はある」と考え、もし何もせずにいて「あの時にやっておけばよかった」と後悔したくないという彼女の17年の人生経験から得た彼女自身の「真理」である。
自ら望んで手に入れた「力」であり、それを最大限に使って目的を果たすことこそ彼女にとって「望むところ」なのだ。
それにどれだけ忙しくて大変な仕事であっても迅やゼノンたちが
気が置けない仲間たちと一緒に同じ目的に向かって進む。
それは学生が文化祭や体育祭に向けて一致団結して臨む姿にも似ていて気分が高揚している状態にあるとも言えるが、多くの三門市民の命や人生を背負っているとなれば冷静でいなければならず、何よりも城戸や忍田たちに心配をかけてはならないと自らを戒めている。
そして自分の力だけではなく周囲の人たちの協力があって物事が上手く進んでいるのだという謙虚な気持ちがあるからこそ、彼女を取り巻く大人たちは彼女を信頼して重要な案件でも任せているのだ。
◆◆◆
ヒエムスへ引き渡す物資の手配が完了し、出発日が5月11日と決まった。
帰国したのが4月29日で、それから半月も経たずに再びヒエムスへ行くというのだから慌ただしい。
1日でも早く拉致被害者の三門市民を家族や友人と再会させたるためにはひとつひとつの仕事を丁寧かつ迅速に行わなければならない。
一時帰国を含めて最大で63人の人間が生還するという一大イベントとなるわけで、それを待ち望んでいる人間はその数倍に及ぶことになる。
ヒエムスにいる63人の三門市民を乗せるとなればアフトクラトル遠征の本隊が使った大型の艇を使わなければならず、そのためには大量のトリオンが必要だ。
トリオン体になった上でキューブ化すれば定員の問題はないのだが、キューブ化する装置が大きくて普段ツグミたちが使用している艇には載せられない。
そのために大型の艇を使わざるを得ないわけで、ツグミ、ゼノン、リヌス、テオ、そして迅の総合外交政策局メンバー全員でヒエムスへ赴くこととなった。
ところが幹部会議の途中で林藤が加わり「
千佳が参加してくれたらヒエムスを発つ前に艇のトリオンタンクを満タンにでき、復路でも途中で給油ならぬ給トリオンをせずに済むから期間を3-4日は短縮できるだろう。
ツグミとしては大歓迎であるもののB級ランク戦に影響が出るのではないかと不安になるが、5月1日が最終Roundで、次のランク戦開始は6月2日であるためにちょうど
しかし長期間留守をすれば訓練ができずに他の
たしかにB級ランク戦の結果は玉狛第2と影浦隊が同点首位となったのだから、彼らの実力は誰もが認めるものとなっている。
本人たちも納得して遠征に参加すると言っているということで、ツグミはその厚意に甘えることにしたのだった。
そして11日の朝、城戸と忍田、林藤、そして修と遊真に見送られ、ツグミたちはヒエムスへと出発した。
◆◆◆
大型の遠征艇といっても物資を運ぶためのものではないために倉庫部分はそれほど広くはない。
したがってヒエムスに引き渡す物資を厳選し、倉庫だけでなく多目的室や居室で使用していない部屋まで使うこととなり、廊下にまで医薬品などの入ったダンボール箱が置かれている。
居室は男女別に2部屋使用していて、男性メンバーは5人で1部屋のため窮屈そうであるが女子部屋はツグミと千佳のふたりだけで余裕があるため、空いているベッドや床には7人分の食料や日用品が詰め込まれていて、まるでダンボール箱の山の中に人間が間借りをしているように思えるほどであった。
もっともこれは往路だけで、復路は物資を全部下ろしてキューブ化した市民を倉庫で保管するだけであるから楽になる。
しかしヒエムス以外に8ヶ国に分かれている拉致被害者市民の救出と、その後の
ツグミがこの件を上申すればまた鬼怒田の血圧とストレスレベルが上がり、
艇が三門市を離れてまもなく、狭苦しい艇の一室でツグミと千佳がそれぞれベッドに腰掛けて話をしていた。
居室でスケジュール確認をしようとしていたツグミに千佳の方から話しかけてきたのだ。
「ツグミさん、ちょっといいですか?」
遠慮がちではあるものの、以前のようにオドオドしている様子はない。
それは彼女のメンタル面が改善された証拠で、玉狛第2のメンバーとしてB級ランク戦を戦っているうちに自分自身に自信が持てるようになったのだろう。
いや、それだけではなく青葉と麟児が帰って来たことで「自分のせいでふたりが
「いいわよ。時間はたっぷりとあるんだから、ちょっとでなくてもかまわないからね」
ツグミはそう答えて書類の束を放り出すと、千佳と向かい合った。
「こうしてふたりきりで話すのってものすごく久しぶりね。アフトの遠征の訓練や試験の時に少しだけ話はしたけど、いつもわたしがチカちゃんに厳しいことばかり言っていた気がする。あの時はごめんなさいね」
「いえ、ツグミさんが謝るようなことじゃありません!」
千佳は慌てて否定し、そしてすぐに訂正した。
「すみません。総合外交政策局の局長なんですから霧科局長と呼ばなきゃいけないですよね」
「そんなこと気にすることはないわよ。まあ、他の人がいる時とか公の場といったところではこうしたことに厳しい人もいるから注意した方がいいかもしれないけど、ふたりだけの時は好きに呼んでかまわないから」
「わかりました。それでお話というのは、その…いろいろとお世話になったのにきちんとお礼とお詫びを言っていなかったので、それを言おうと思って」
「お礼とお詫び、か…。今さらってカンジもするけど、あなた自身がきっちりとけじめをつけたいってことなのよね? いいわよ、どうぞ」
千佳は胸がドキドキしているのか右手を胸に当てて深呼吸をひとつすると、ツグミの目をしっかりと見て言った。
「ツグミさん、玉狛支部にいた時にはいろいろと面倒をみていただきありがとうございました。そしてわたしのことでご迷惑をかけてごめんなさい」
たぶん心の中で何度も繰り返してきたのだろう。
彼女は途中でつかえることもなく、はっきりとした口調で礼と謝罪の言葉を告げた。
しかしその表情にはわずかだが不安の色が浮かんでいる。
それは自分が正直な気持ちを告げたとしても、ツグミがそれを信じてくれているかどうかわからないと心配しているためであった。
その様子に気付いたツグミは彼女を安心させるために微笑みながらゆっくりと頷いてから言う。
「大丈夫。今のあなたの言葉なら信用できるから。あなたが本心からお礼を言いたかったことも、謝りたかったこともちゃんと伝わっている。だからそんな顔をしなくてもいいわよ」
千佳は安心したのか、軽く脱力してベッドに深く腰をかけてから再び深呼吸をひとつした。
「これまでのあなたの行動とその結果があなたの言葉が真実だという裏付けになっている。言葉というものはとても簡単に口から出てくる。だからこそ言葉というものは相手に正しく伝えなければいけないと思うのよ。言葉は簡単に人を傷つけることができるし、人の命を救うこともできる手段にもなる。実際にわたしはあなたをずいぶん傷つけてきたわね」
「ツグミさんの言葉で傷ついたというのなら、それはわたしの心の中にその言葉が真実であって認めたくないという気持ちがあったからです。わたしの言葉を信じてもらえなかったのは、わたしの行動がその言葉と違うことをしていたからで、ツグミさんは悪くありません」
そうきっぱりと断言する千佳。
「…しばらく会わないうちにずいぶんと逞しくなったわね」
「はい、わたしもそう思います」
千佳はそう言って微笑む。
「ツグミさんの言葉が
「それは立派な心がけだわ」
「それでA級昇格試験で不合格だったことで
「……」
「わたしは『人を傷つけたことを誰かに責められることが怖いから』人を
まるで懺悔をしているような千佳であった。