ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
ボーダーの艇からゼノンたち4人を呼び、ツグミたちボーダー一行はフランコとラーラの心尽くしのもてなしを受けた。
晩餐会とは銘打っているものの、ヒエムス国民の窮状を鑑みてささやかなものであった。
しかし前回や前々回の見た目ばかり豪勢にした料理より質素でありながらも手の込んだものばかりで、それだけツグミたちを歓迎しているのだとわかる。
ツグミが気を利かせて塩や砂糖などの調味料をお土産に持って来ていてそれを使用したから味付けも数段良くなっている。
それも会食の雰囲気を和やかなものとしていた。
やはり美味しいものを食べると誰でも笑顔になれるものなのだ。
晩餐会を終えるとツグミを除いた6人は自室へと戻って休むことにした。
ゼノンたち艇の居残り組4人はトリオン抽出、テオは
迅もツグミのアシスタントとして雑務を引き受けてくれたのだから、全員が相当疲れているはずなのだ。
ツグミも疲れてはいるがヒエムス政府との交渉は彼女にしかできない仕事であるから、彼女の勤務時間はもう少しだけ続く。
「…と、これが今回納入した物資の目録ですのでお受け取り下さい。次回は医薬品の他に小麦など農作物の種や肥料などを運んできます。小麦に関してはエウクラートンという農業国において実証実験済で、ヒエムスでも作付面積当たりの収穫量が現状の1.5倍から2倍が見込めます。また
ツグミは伝えるべきことは伝え、後はフランコたちがヒエムスという国をどのような未来へ導いていくかを決めるだけである。
彼女にできることはいくつかの可能性や選択肢を示すことだけで、どれを選ぶのかは当事者つまりヒエムスの人間にしかできないのだから。
「ツグミ、きみの提供してくれた可能性はどれも魅力的だ。同盟加入を含めて検討させてもらおう。…エヴァルド、きみには宰相としての仕事もあるが、
フランコが申し訳なさそうに言うと、エヴァルドは首を横に振った。
「いいえ、陛下と巫女様が少しでもお健やかな日々を過ごすことができるよう、そして国民が健康で和やかに暮らせるよう尽くすのが私の仕事です。それに忙しいことは私にとって苦ではないのですよ。むしろ暇を持て余してぼんやりと一日が過ぎ去っていくよりもはるかに良い。政庁には優秀な人材が何人もおりますから、私が少々留守をしたところで政治が滞ることはありません。もし陛下のお許しがいただけたなら、
「それはいい。ボーダー側の受け入れが整えばいつでも許可しよう」
「ありがとうございます、陛下」
ツグミはフランコたちの様子を見ながら思った。
(これこそがあるべき姿なのよね。以前は宰相が巫女の顔色を伺いながらの独裁で、責任は取りたくないからと国王に判子だけもらうという形だけの王政だった。でも国王と宰相が話し合い、国の運営に大きく関わる巫女が同席して干渉はせずに黙って見守る。この3人なら正しい政治が行われると思う。うん、大丈夫。この国となら上手く付き合っていけるわ)
拉致被害者市民を全員救出すれば終わりではない。
◆◆◆
一夜明け、ツグミと迅は前日と同じように軍の寮の食堂で本人確認作業を行う。
対象は27人の女性で、彼女たちは全員が
27人全員が帰国を希望しているものの
それも確認をしながら行うために前日の作業より時間がかかることは明らかで、午前と午後の二部制で行うことになった。
ツグミが前日と同じ席に腰掛けて待つと、迅がひとり目の女性を連れて食堂へやって来た。
「お待たせしました。さあ、こちらへお座りください」
ツグミは女性に声をかけ、テーブルの向かい側の椅子を指し示した。
不安そうな表情の女性に対して彼女は安心させるように優しく微笑む。
「お名前と誕生日、そしてさらわれた時の年齢を教えてください」
「名前は相田聡美(あいだ さとみ)、誕生日は12月9日で、さらわれた時は16歳でした」
ツグミは資料を見ながら言う。
「相田聡美さんですね。本人かどうか確認するためにいくつか質問をします。三門市での住所を教えてください」
「三門市緑が丘×-×-×です」
「当時の家族構成をお願いします」
「両親と弟がふたりの5人家族です」
「はい、ありがとうございました。こちらの資料と照らし合わせて本人と確認できました。…では、あなたにお伝えしたいことがあります。あなたが
聡美の顔が青ざめた。
突然現れた怪物に街を蹂躙され、1200人もの死者が出たとなれば誰だって恐ろしく感じるものだ。
「あなたの家族と家は無事です。あなたは運悪く東三門地区にいたために
「はい。その日は日曜日だったので、わたしは買い物に出かけていてその途中で…」
「運が悪かったとしか言いようがありませんね。それでも家族と家が無事であったことは幸いです。中には家族全員がお亡くなりになって、天涯孤独の身の上となってしまった方もいらっしゃるのですから」
「そうなんですか…。そうなるとわたしなんてまだマシな方なんですね。それで家族はわたしのことを…」
「もちろんあなたの帰りをずっと待っていらっしゃいますよ。ご無事でいてくださってありがとうございました」
ツグミが頭を下げると聡美は両目に涙を浮かべて嗚咽を始めた。
約6年間の苦しかったことや悲しかったことなどの思い出が溢れ出てきてしまったのだろう。
ずっと堪えていたものが「三門市に帰ることができる。家族に会える」とわかったとたんに気持ちが緩んで抑えきれなくなったにちがいない。
手元にある資料で聡美には28歳の
可能であれば家族全員三門市で暮らしたいという希望を出していて、今回は一時帰国をして
ボーダーでも
配偶者となった
三門市に農地を確保してそこで働いてもらうにしても人数に限りがあるわけで、場合によっては職業訓練校などに通ってもらい農業以外の仕事に就いてもらうしかないだろう。
しかしその前に
なにしろ外国人が日本で暮らすとしても人種的な違いや習慣などで地元民とのトラブルが絶えないのだから、それが
とにかく三門市で暮らすのであれば
◆
午前中に13人、昼食を挟んで午後から14人の本人確認と事情説明を終えたツグミ。
前日よりもはるかに憔悴しきっていて、さすがに迅も声をかけずにはいられなかった。
「ツグミ、大丈夫か? 無理すんなよ」
「無理はしていないですけど、やっぱり疲れました。覚悟はしていましたが、家族の死亡を伝えた時の彼女たちの顔は直視できませんでした。もちろん隠しておけることではないので誰かが伝えなければならず、それがわたしの総合外交政策局長としての仕事なんですから嫌だとかやりたくないなんて言っていられません」
「……」
「でも全員が帰国もしくは一時帰国すると言ってくれたことで安堵しました。ボーダーとしてはひとりでも多くの拉致被害者市民の安否を確認して帰国させたという
ツグミにとって拉致被害者市民の帰国作業とは彼らのためというよりもボーダーの「実績」を作るためという意味の方がはるかに大きい。
ボーダーの存在意義を広く示し、ボーダーでなければできないことだとはっきり認識させることで市民の期待を集め、それに応えることを繰り返していけばボーダーのやることに対して異論を唱える者は自然と消えていく。
ボーダーという組織を完全な「正義」とすることによって
「とにかく確認作業は終わりましたので、あとは艇のトリオンタンクが満タンになれば出発できます。ゼノン隊長たちが頑張ってくれていますので、今日中に残務を済ませようと思っています。さあ、明日は
そう言って無理に微笑むツグミの姿を見ていると迅は無性に抱きしめたくなるが、場所が場所だけに遠慮することにした。
「だが一度部屋に戻って休め。残務処理で俺にできることがあればやってやる。テオだって自分の仕事を終えたはずだから手が空いているだろう」
「じゃあ、2時間ほど仮眠できるだけの余裕があるので…」
ツグミはそう言ってから少し顔を赤らめて続けた。
「…添い寝してください。ジンさんの匂いに包まれて眠ったら元気が取り戻せそうです」
「それくらいのことならお安いもんだ」
「お安いもんだ」などと迅は言うが、最愛の女性に指一本出せない
(それでもこいつが幸せだと感じられるなら我慢くらいするさ。ま、おやすみのキスくらいはOKかな?)
ツグミと迅は並んで迎賓館の自室へと戻って行った。
◆◆◆
ヒエムス滞在最終日、艇のトリオンタンクはゼノンたち4人のおかげで満タンとなり、いつでも出発OKの状態となっていた。
拉致被害者市民男性36人と女性27人の帰国準備も完了し、全員揃って食堂で昼食を済ませると艇への移動を始める。
トリガー使いの男性たちはヒエムスに未練はないのだが、女性たちは短期間とはいえ家族と離れ離れになってしまうこともあって複雑な気持ちのようである。
見送りに来ている家族も彼女たちが一時帰国だと言っても二度と帰って来ないかもしれないという不安があるらしく、今にも泣き出しそうな顔でいる子供に微笑みかける
ツグミはそんな女性たちの様子を見ていて思った。
(出会いこそ不幸なものだったけど、こうして新しい家族を作ることができたことは幸いだった。少なくとも彼女たちは新しい家族と別れたくはなく、それだけ愛されていたってことだもの。三門市で暮らすかヒエムスで暮らすかの二択になるけど、三門市で暮らす希望があれば精一杯のことはしよう。ヒエムスに残ることになったとしてもヒエムスとの国交が続く限りは支援をする責任がある。
ツグミは同盟に加わった国同士をそれぞれの国民が自由に行き来できるようにしたいと考えている。
もちろん初めからすべての人間が自由往来するのは不可能で、まずはボーダーと各国の要人やそれに準ずる人間に限った者となるが、
ツグミがそこまで自分の力でやろうなどと考えてはおらず、自分の拓いた道を歩いてくる同じ志を持つ者に任せたいと考えている。
なにしろ彼女の願いは迅と結婚してささやかな家庭を作ることであって、
◆
ボーダーの艇に到着したツグミたちと拉致被害者市民63人は「作業」を始めた。
前もって説明は済んでいるのだが不安そうな表情をしている人にツグミは改めて言う。
「みなさんにはトリオンキューブの状態になってもらい、その状態で三門市まで運ぶことになります。それはみなさんを一度に帰国させるためにどうしても必要な措置であり、そのために帰国説明会でみなさんから承諾書を書いてもらっているのですから今さらNOとは言わないでください。安全性は保証されています。わたし自身がトリオンキューブになり、こうして何の後遺症もなく暮らしているのですから、みなさんも1週間ほど夢も見ないほどの深い眠りによって心と身体の疲れを癒してください」
それでも不安そうな顔でいる女性たちが4人いるが、それは彼女たちがさらわれた時の状況を考えれば当然のことだ。
しかしだからといってトリオンキューブの状態にしないと用意した食料や飲料水などが足りなくなり、経由地で補給をしなければならないので旅程が狂ってしまう。
どうしようかと考えていると、麟児がツグミの隣に立って声を張り上げた。
「みなさんが不安に思うのは当然です。そこで俺がみなさんに安心してもらえるよう見本としてトリオンキューブになります。それを見て俺たち…いや、霧科局長の気持ちに応えてあげてください。彼女はみなさんを帰国させるために寝る間も惜しんでこのプロジェクトに全力を投じているんですから」
そう言うとツグミの方を見て微笑んだ。
これは彼なりの罪滅ぼしなのである。
第一次
ツグミも麟児の気持ちは理解しているので、ここは彼の厚意に甘えることにした。
「彼が身を持って示してくれるとのことですので、どうかご協力ください」
不安だと感じている女性4人を連れてキューブ化装置のある部屋まで行くと、麟児は自らすすんで装置の中に入る。
そして装置のスイッチをツグミはONにすると1分ほどで麟児の身体が1辺20センチくらいの立方体に変化した。
そのキューブをツグミは取り出して見せる。
「キューブ化を解除する装置がボーダー本部基地にありますのでそこで元の姿に戻ることができます。このような状態となれば食事や水分補給など不要となり、次に目が覚めた時には三門市にいる…ということになります。怖がることはありません。一日も早く帰国するためにどうかご協力お願いします」
ここまでされたら嫌だなどワガママを言ってはいられない。
みんな納得してくれてキューブ化の作業は1時間半で完了した。
トリオンキューブになった63人と麟児のキューブは倉庫に
◆◆◆
ツグミたちがヒエムスへ行っている間、三門市では拉致被害者市民の帰国受け入れのための準備が進められていた。
「三門スマートシティ・プロジェクト」における住宅建設が最優先となっていて、第1期の集合住宅150戸は突貫工事で行われたおかげで5月15日に完成している。
屋上には太陽光発電システムが設置され、そこで発電された電気を各戸で使用することになる。
家電についてはスポンサーの大手家電メーカーが自社の最新製品を設置していて、他にも日常生活の必需品に関してはスポンサーが気前良く提供してくれた。
そのため即入居可能で、帰国したその日から生活できるようになっている。
まだ周辺の整備は済んでいないが、数ヶ月のうちには公園や診療所、三門市役所の支所などの公的施設も完成する予定だ。
だからツグミたちがいつ帰って来ても拉致被害者市民が「住む場所がない」ということにはならない。
家族が健在で実家がある人もいるので全員がこの集合住宅に住むことにはならないが、「第1回拉致被害市民救出ヒエムス遠征」の次には「第2回拉致被害市民救出レプト遠征」が計画されているので、入居者はどんどん増えていくはずだ。
総合外交政策局とは別に帰国者への対応を行う部門を設置することになった。
これは三門市とボーダー双方から人員を出し合う形で「三門市生活サポートセンター」としてスマートシティ内に事務所が置かれる。
いくら元々三門市民であったといっても6年も留守をしていて、中には小中学生の時に拉致されたために義務教育も終えていないという成人もいるくらいだ。
そういった人たちをサポートする専属の職員は必須で、あらゆる問題に対応できるよう例によって唐沢の人脈からそれに相応しい人材を推薦してもらっている。
今後考えられるマスコミ関係者と帰国者のトラブルに関してはメディア対策室から「取材ルール」が提示されていて、個人への取材を行う場合はメディア対策室に申し込みをすることを原則とし、直接本人への取材は禁止となっている。
仮にルール違反をすれば今後は一切ボーダー関係の取材はNGという厳しいものであるため、帰国者がマスコミの人間によって不快な思いをすることを防ぐことができるはずだ。
もちろんそのためには帰還してすぐに記者会見を開かなければならないのだが、そちらは根付たちが手配をしてくれている。
ヒエムスから63人もの拉致被害市民が帰国するのだからこれまで行ってきた人類初の有人
あとはヒエムスからの艇が無事に帰還するのを待つだけである。