ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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487話

 

 

ツグミたちの乗った艇がボーダー本部基地中庭に降り立ったのは5月27日の夜であった。

さっそく艇に乗っていた6人と研究室(ラボ)で仕事をしていた技術者(エンジニア)たちでトリオンキューブとなっている麟児と帰国者を全員運び出し、ひとりずつ順番に()()していく作業を始める。

その間にツグミは残業をしていた城戸と忍田に帰還の報告をし、艇の中で書き上げた報告書を提出した。

 

「お疲れだったな、ツグミ」

 

城戸がツグミに労いの言葉をかける。

 

「はい、ひとまずヒエムスに残っていた全員を連れ帰ることができましたので安堵しています。これから先がまた大変なことは承知していますが、今日はゆっくり眠れそうです。それからわたし以上に疲れているゼノン隊長たちにも声をかけてあげてください。彼らのおかげで途中寄港をしてトリオン補給をすることなく一気に帰って来ることができたわけですし、操縦もジンさんとテオくんが交代でやってくれましたから彼らの方がわたしよりもはるかに疲れているはずです」

 

「ああ、わかっている。彼らはおまえを支えるかけがえのない()()たちだ。彼らにもゆっくり休んでもらうため今日はすぐにでも帰宅してもらおう。特に雨取兄妹のふたりは玉狛で待っている連中がいるからな」

 

「そうですね。チカちゃんと麟児さんには頑張ってもらいましたし、1週間も経たないうちにB級ランク戦が開幕しますから身体を休めてもらわないと。わたしは玉狛支部へ行って林藤支部長にご挨拶したいと思っています」

 

「それがいい。明日は〇九三〇時から帰国者の健康診断と今後の生活の説明会を行う予定になっている。そして昼食は彼らのために慰労パーティーを開くつもりだ。メニューは肉料理でいいんだろうか?」

 

「人数が多いですから立食式のBBQがいいと思いますが、肉だけでなく生魚も長い間食べていないとのことですからお寿司なんかも出してくれると喜びますよ。ちなみに明日の朝食には白米、味噌汁、生卵、焼き鮭、納豆などを用意してもらえると嬉しいです。ヒエムスでのアンケートで朝ごはんに食べたいものとしてこれらのリクエストが多かったので」

 

「わかった、手配しておこう」

 

城戸との会話が終わるとすぐに忍田がツグミに言う。

 

「玉狛支部まで雨取兄妹を私が送って行くんだが、おまえも一緒に来るか?」

 

「はい、ぜひお願いします。それじゃあ、ジンさんたちには先に寮へ戻ってもらいましょう」

 

ツグミは迅と麟児にそれぞれメールを送り、千佳と麟児とは駐車場で合流することになった。

駐車場へ向かう道すがら、忍田は父親として娘に話しかけてきた。

 

「ツグミ、このところ近界(ネイバーフッド)を何度も往復していて休む暇もないだろ? いくら例のこともあって20歳になるまでに目処をつけておかなければならないとしても焦りすぎなんじゃないか?」

 

「心配になる気持ちはわかります。でも焦っているのではなく、今後自分が楽をするために今を頑張っているだけなんですよ」

 

「どういう意味だ?」

 

「これでヒエムスにいた拉致被害者市民を全員帰国させたことになりますが、今回の63人だけでなく先に帰国した篠山さんや田崎さん、それに涼花さんたちが三門市で暮らしていくために何ができるかを考えてサポートをしていく。彼らが元の暮らしを取り戻すことはできなくてもそれ以上に帰って来て良かったと思える毎日を提供することでボーダーの責任は果たせるはず。レプトを入れてあと少なくとも8ヶ国ある拉致被害市民救出遠征でわたしがいなくても誰かがその代役を務められるようにしておく必要があって、そのマニュアルを作ることもわたしの仕事ということ。わたしだっていつまでも総合外交政策局長を続けていられるわけがないんですからね」

 

「……」

 

忍田はツグミの言葉の裏にある意味に気付いて黙りこくってしまった。

マニュアルを作るということは重要な仕事だし、彼女以外の人間が近界民(ネイバー)との交渉ができるようになる必要はある。

しかし「いつまでも総合外交政策局長を続けていられるわけがない」という言葉には彼女がボーダーを辞めるという意味もあるし、危険を伴う仕事でもあるから命を落とす可能性もあると遠回しに示しているとも受け取れるのだ。

それに彼女にはエウクラートンの次期女王候補であり、エウクラートンという国が滅びるかもしれないという状況においていくら赤の他人のことであっても「見捨てる」という選択肢があったとしてもそれを選ぶとは思えない。

自分がいなくなった後のことを考えて行動をしているツグミのボーダーの人間としての姿に忍田は胸を打たれるが、同時に自分の娘がそこまでの覚悟で()()()()()のだと思うと胸が締め付けられてしまった。

 

(私のことを世界で一番大好きだと言ってくれているし、それが本心からの気持ちだということはわかっている。本人の意思で私の前からいなくなるということはないだろうが、不可抗力によって連れ去られるということもありうる。それを踏まえた上で行動しているツグミ(この子)は私の想像以上に大人なのだな。…しかしそこまでの覚悟をさせなければならない我々大人はなんとも不甲斐ない。せめてこの子が心置きなく仕事ができるよう、そして毎日を過ごすことができるようバックアップしてやらなければならん。せめて帰国者のサポートに関してはこの子が動かずとも済むよう取り計らってやろう)

 

 

◆◆◆

 

 

ツグミが玉狛支部の敷居をまたいだのは14ヶ月ぶりであった。

別に来たくないということではなかったのだが、特に用事もなかったものだからずっと足が遠のいていただけ。

それにレイジや修たちとはアフトクラトル遠征の訓練などで本部基地で顔を合わせていたし、ケンカ別れをしたのではないから会ったところで気まずい雰囲気はなかった。

 

「懐かしいわね…。出て行った時と全然変わっていない」

 

橋の上から玉狛支部の建物を見上げて感慨深げに言うツグミ。

 

「…あ、微かにカレーの匂いがする。もしかしたら今夜はコナミ先輩のカレーかな?」

 

玄関を開けるとカレーの匂いが漂っていて、食堂の方から栞がパタパタと走ってやって来た。

 

「お帰りなさい、千佳ちゃん、麟児さん。いらっしゃい、忍田本部長、ツグミちゃん」

 

そう言った栞の表情はツグミが玉狛支部で暮らしていた時と変わらず、()()から1年以上経ったことなどまるで嘘のようだ。

千佳と麟児は自分の家の感覚で中へ入って行くが、ツグミは玄関で立ったまま栞に訊く。

 

「ご無沙汰しています。ところで林藤支部長はいらっしゃいますか?」

 

「うん、執務室にいるよ。でももうすぐ晩ご飯だから、そろそろ下りて来るんじゃないかな。晩ご飯、まだなんでしょ? 一緒にご飯、どう?」

 

「ありがとうございます。でもこのあと用事がありますし、林藤支部長との面会はすぐに終わるものなのでわたしが執務室に伺います」

 

「そう…?」

 

栞は少しだけ残念そうな顔をするが、ツグミが近界(ネイバーフッド)から帰って来たばかりであることと総合外交政策局の局長という立場にあることを承知しているので無理に引き止めることはできないと諦めたようだ。

階段を上って行くツグミの後ろ姿を見送っていると、忍田が栞に声をかけた。

 

「心配することはない。別に例のことを引きずっているわけではないし、玉狛に愛着がなくなったわけでもない。ただ今はやることが多すぎて余裕がないだけなんだ。記者会見、ヒエムスからの帰国者の生活のサポート、次のレプト遠征の準備などあの子にしかできないこともあって、自分のプライベートに関することはそれらをすべて終わらせてからだと考えている。今の仕事が一段落したらまたここに遊びに来ようなんて考えているんじゃないかな。それがいつになるかはわからないが」

 

「ええ、焦らずに待っています。彼女がアタシたちのことを家族だと思っているのなら、アタシたちは黙って見守るだけです」

 

「そうしてくれ。じゃあ、私も林藤の部屋へ行って来る」

 

ツグミの後を追うように忍田も階段を上って行った。

 

 

 

 

ツグミと忍田が執務室に入ると、部屋の主はのんびりと新聞を読んでいた。

 

「林藤支部長、こんばんは。今日は帰還のご挨拶とお礼にまいりました」

 

「お礼? 俺が何かしたっけか?」

 

林藤は新聞を畳んで机の上に置くとツグミに訊く。

 

「チカちゃんと麟児さんを貸していただいたので往復の時間を短縮することができましたから。それと艇の中でふたりとはゆっくり話ができました。これはすべて林藤支部長の配慮のおかげです」

 

「そっか、それは良かったな」

 

「玉狛第2はもっと強くなりますよ。来月から始まるB級ランク戦が楽しみです」

 

「ほう、おまえがそう言うってこと、千佳は()()()()()ってことだな」

 

「はい。ですが雨取夫妻と麟児さんの関係が微妙な状態ですので、彼の問題が解決するかどうかで少し影響が出そうですね。この件に関しては家族4人だけで解決しなければならないことですから、周りの人間は見守ることしかできません」

 

「まあな。他人が介入すれば余計に問題が悪化するのは目に見えている。ま、時間が解決するってこともあるから俺もしばらくは傍観しようと思ってんだ」

 

「林藤支部長は基本的に『問題は本人に解決させ、どうしてもダメな場合にのみ助言を与える』って方針ですものね」

 

「ああ、放任主義っての? 俺はみんなを信じているからな。それよりも帰って来たばっかりでおまえも忙しいな。俺への挨拶なんていつでも良かったんだぜ」

 

「忍田本部長がチカちゃんたちを送り届けるということなので、わたしがそれに便乗させてもらったんです。それとひとつお願い事があって」

 

「お願い事?」

 

「はい。30日にヒエムス帰国者の記者会見を行う予定ですが、それが終わるまでレクスくんを預かっていただきたいんです。半月以上もお世話になってしまいましたが、あと3日お願いします。記者会見を終えれば寮のメンバーも落ち着いて、わたしも面倒をみることができると思いますので」

 

ツグミたちが近界(ネイバーフッド)へ行っている間は寮にレクスひとりきりになってしまうため、彼を玉狛支部に預けていた。

レクスは4月から三門市内の小学校に通っていて、寮に住むメンバーが交代で世話をしていたのだが、今回のヒエムス行きはツグミだけでなく迅やゼノン隊の3人すべてが留守をするということで玉狛支部に預けて面倒をみてもらっていたのだ。

玉狛支部なら必ず誰か大人がいて、さらに陽太郎という子供もいるために寂しくないだろうと考えたからで、レクスも玉狛のメンバーと上手くやってくれていた。

 

「別に3日とは言わずにずっといてくれてもかまわないぞ。あの子は素直で賢い子だからみんなに可愛がられていて、陽太郎のいい遊び相手になってくれている。ま、おまえがディルクから預かったという責任があるから自分で世話をしたいと思うんだろうが、おまえも忙しい身だ、子供の世話まで完璧にこなすのは難しいだろ? ここならゆりやレイジがいるし、桐絵や宇佐美も面倒みてくれている。もちろん本人が帰りたいって言うならその意思を尊重するが、とりあえず俺が訊いてみる」

 

「ありがとうございます。今回は全員で留守をしてしまいましたが、今後は必ず誰かが残るようにしますし、わたしもしばらくはヒエムスからの帰国者の生活サポートを中心に動きますのでレクスくんには不自由はさせません」

 

「おまえの気持ちはわかってるさ。だから本人に選ばせようってんだ。なに、あの子は一番おまえに懐いてっから、おまえの負担にならない自信があるなら戻りたいって言うだろ。心配すんな」

 

「はい」

 

「で、忍田は単なる運転手として来たワケじゃないだろ? 何か用か?」

 

それまでずっと黙っていた忍田に林藤が訊いた。

 

「ああ、少々込み入ったことで話がある。…ツグミ、おまえは少し席を外していてくれ」

 

真剣な表情で言う忍田にツグミは小さく頷いた。

 

「わかりました。では、先に下りています」

 

ツグミはそう言って執務室を出ると、ひとりで階段を下って行った。

 

 

 

 

食堂からのカレーの良い匂いと賑やかな声が十数メートル離れたツグミのいる廊下まで届いていた。

その和やかな様子は彼女が玉狛支部で暮らしていた時とまったく変わっていない。

ただその輪の中に彼女がいなくて、輪の外側から客観的に眺めている点だけが以前とは違う。

 

(いつでも戻ることのできる場所であっても、戻りたい場所ではなくなっている…。それはわたしの価値観や考え方が変わったからなのか、それとも巣立ちができたからなのかわからない。ただ…もうここには今のわたしに必要なものは何もない気がする。あれほど執着して失うことを恐れていた大切な場所なのにこんなことを思うようになったのはわたしが冷たい人間になったからなのかな?)

 

そんなことを考えるが、ツグミは首を横に振った。

 

(そうじゃない! 今のわたしにはもっと大切なものがたくさんあって、優先順位が変わっただけ。玉狛支部にいるよりも本部所属になった方が自分のやりたいことをやれるって判断したんだし、ここを去ったからといって2年間の思い出がなくなってしまうわけでもない。今だってカレーの匂いを嗅いだだけでコナミ先輩のチキンカレーの味を思い出せる。ここでの2年間はわたしの人生に欠くことのできない大切なもので、今のわたしがあるのは玉狛支部で暮らしたからだって自信持って言えるもの)

 

楽しそうな仲間たちの邪魔をしたくないと、ツグミは静かに玄関ドアを開けて外へ出た。

 

 

◆◆◆

 

 

栞に夕食に誘われた時「このあと用事があります」と答えたツグミだったが、別に急ぎの用事があるわけではない。

しかしのんびりと食事をしている暇もなく、橋の欄干に腰掛けながらこのあとのスケジュールを考えていた。

 

(明日は帰国者全員の意思確認をしなきゃ。まずは記者会見への出欠。全員が出席してくれたらいいんだけど、本人の気持ちを考えたら嫌だと思う人もいるだろうし。いちおう顔出しNGにはするし匿名にもできるけど、晒し者になるのは事実だものね。健康診断を午前中に行うようだから、診断が終わった人から順に確認作業をしよう。それによって会見の内容も変わってくるからね。それで今日中にマスコミ関係、行政、スポンサー各位といった関係者に記者会見を行う旨の連絡を済ませる。お昼から夕方にかけて帰国者のためのパーティーを開くということだから、家族との対面はこのタイミングでいいかな。家族にはメディア対策室から連絡をしてもらっているから、そっちは全部お任せでいいわね。パーティーが3時間弱で終わるから、その日のうちにスマートシティ内の部屋へ案内できるから貸切バスの手配もしておかなきゃ。大型が2台あれば十分ね。30日にも記者会見を行う体育館までの輸送があるから一緒に予約しておくとして、後は…)

 

やるべきことが多すぎて並の人間ならパニックになりそうなものだが、ツグミにとっては造作もないこと。

普通ならひとつの大きな引き出しに全部入れてしまってゴチャゴチャになってしまうが、彼女はいくつもある小さな引き出しに分けて入れて整理整頓できるので、いわゆる「並行処理」が彼女の得意分野なのだ。

オペレーターになっても十分に活躍できただろうが、それ以上にトリガー使いとしての資質が優っていたものだからずっと戦闘員であった。

これからは武器(トリガー)を使って戦うことはなくなるだろうが、別の武器を手に()()()()()()()()()()()をやってくれることだろう。

 

 

 

 

5分ほど経ったところで忍田が玄関ドアを開けて出て来た。

ツグミが橋の欄干に腰掛けている姿を見付けると駆け足で近寄って来て申し訳なさそうな顔で言う。

 

「待たせて悪かったな、ツグミ」

 

「いいえ。それじゃ申し訳ありませんが寮まで連れて行ってください」

 

「何を言っているんだ? 夕飯がまだだろ。どうせ寮に戻っても食べるものなんてインスタントのものしかないはずだ。だからどこか好きな場所に連れて行ってやる。私も本部基地の食堂で軽く済ませただけなものだから腹が減ってきたんだ」

 

「それなら…炒飯と餃子が食べたいです」

 

「炒飯と餃子? そんな安いものではなくもっと高いものだってかまわないんだぞ」

 

「別に値段の問題じゃなくて、本当に食べたいんですもの。ラーメンはカップ麺で代用できますが炒飯と餃子はそうもいきません。中華って無性に食べたくなる時があるんですよ」

 

「それじゃあ、酢豚とエビチリも頼んでふたりでシェアするか? そうすればいろいろ食べられるぞ」

 

「賛成! だとしたら宝来軒ですね。あの店なら本格中華もバッチリですから」

 

ツグミは忍田の腕に自分の腕を絡め、仲の良い父娘として駐車場へ向かったのだった。

 

 

 

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