ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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494話

 

 

三門中央駅から普通列車で約2時間。

六会駅で下車して、駅前からバスで約15分の場所にある「Mutsuai Marine Kingdom」は大規模な海洋レジャーリゾートで、水族館を中心としたファミリー向けの娯楽施設が充実していて日帰りでも十分「庶民の娯楽」を体験できる。

近界(ネイバーフッド)には海のない国が多いため近界民(ネイバー)たちが生きて泳いでいる魚を見ることはまずない。

だからこれまでもゼノン隊の3人やエリン家の家族たちを案内していて彼らは非常に喜んでいた。

特にレクスは群れで泳ぐイワシの姿やユラユラと漂う色鮮やかなクラゲなどがお気に入りで、玄界(ミデン)へ来て約1年になるがこれで4回目の訪問となる。

ツグミが忙しい時でも誰かが暇を作っては彼を連れて行ってやった。

ツグミには子供が大好きなものをもっと好きになることは大事だという信念があって、レクスの気持ちを大切にしてあげたいという優しさによるものだ。

もっとも彼女自身が水族館好きで、ゴマフアザラシやコツメカワウソ、キングペンギンなどの「モフモフ」な動物たちに会いたい気持ちがあってレクスに付き合っているとも言えるのだが。

そして4月からシャチのショーが始まったというニュースをテレビで知ったレクスが行きたがっていたというのが訪問の一番の理由である。

両親と離れて暮らしている少年へのせめてもの慰めとなればいいと考えていつか連れて行こうと考えていたツグミ。

しかし拉致被害者市民の救出計画や近界民(ネイバー)の受け入れ態勢を整えるなど総合外交政策局長としての仕事が山積みで後回しになっていた。

やっとそれが叶ったのだった。

 

 

 

 

テスタとジルドのふたりにとっては見るものがすべて珍しく、初めての経験ばかりなので朝からずっと興奮しっぱなしである。

駅の券売機で切符を購入することも初体験で、ツグミに教えてもらいながら券売機に紙幣を入れたり行き先のボタンを押すなどして切符を手に入れた姿は宝物を手に入れた冒険者のようであった。

ところが彼らはICカードをタッチするだけで改札を抜けていくツグミたちの姿に仰天し、さらに自動改札の切符投入口へ切符を入れると別の場所から飛び出すように出てくる様子にも驚いてしまう。

電車に乗る前からこの状態で大丈夫かと思うほど、テスタとジルドはテンションMAXであった。

 

そして目的の列車が入線してくるのを待ち、乗車すると4人掛けのボックスシートを通路を挟んでふたつ確保できたのはラッキーである。

まあ日曜日ではあっても6月の閑散期であるからこの程度なのかもしれない。

3人ずつ分かれて腰掛け、車窓の景色を話題にして会話が弾むツグミたち。

近界民(ネイバー)にとって旅行というものは庶民にとって縁のないもので、遠くに住む親類の冠婚葬祭で移動することはあっても旅を楽しむという感覚はない。

上流階級の人間でも領地と首都の移動か、もしくは別荘を持っていてそこで数ヶ月滞在するというものなので、一般に言う観光旅行という概念はないらしい。

休日とは身体を休めるためのものであり、わざわざ何かをして疲れるなどありえないという感覚らしく、そもそも日々食べていくことにも困窮するようなレベルの人間にとって「娯楽」など想像もできるはずがないのだ。

 

変わりゆく車窓の景色は見慣れたツグミであっても新しい発見がある。

さまざまな経験をすることで価値観や視点が変わるらしく、同じものを見ても感想が違うのだ。

その多くは「近界(ネイバーフッド)にもあったらみんな喜ぶんじゃないかな」というもので、他人にはまったく興味のなかった彼女の頭の中は常に誰かの幸せを考えているようになっていた。

もちろんすべての人間を幸せにしたいなど傲慢な考えは持っていないが無関心でもいられなくなっていて、自分にできることがあればそれを「やらない」という選択肢は存在しない。

なにしろ彼女は「やらないで後悔するよりも、やって結果が得られないとしても後悔はしない」という考えの持ち主なのだから。

 

 

◆◆◆

 

 

「Mutsuai Marine Kingdom」に到着したツグミたちはまず「太平洋エリア」へと向かう。

この水族館のメインである大水槽の魚たちに圧倒されたテスタとジルドは海の中の世界に引き込まれてしまった。

誰であっても初めて目にすれば同様の反応をするだろうが、広大な海に浮かぶ陸地の上で暮らしている玄界(ミデン)の人間ではなく海そのものを知らない近界民(ネイバー)となればその感動は比ではない。

ツグミが両親に初めて水族館へ連れて来てもらった時に人知の及ばない自然に対する畏敬の念を抱いたが、テスタとジルドは列車の車窓から見た海の一部が切り取られて目の前に存在するという事実と、それを可能としている玄界(ミデン)の技術に恐れ入ってしまったのだった。

 

続いて「南氷洋エリア」や「熱帯雨林エリア」「深海エリア」「珊瑚礁エリア」などさまざまな海を再現した水槽が並ぶ通路を過ぎ、最後に日本の原生林や里山にいる淡水生物の展示をしている半屋外型の施設を見て回った。

キオンにも湖や川は存在するのでコイやイワナのような淡水魚は生息していて食用にもするらしいのだが、それらの生態を知っているかというとそうではないらしい。

だからここまでいろいろな環境にいる魚を見ただけでかなりのカルチャーショックを受けたのだが、テスタとジルドもレクスと同じように玄界(ミデン)の魅力にハマってしまったようだ。

 

屋外の展示施設にはウミガメや渚に住む小さな生き物に触れることのできるタッチングプールやイルカショーの行われるプールがあり、ここでのシャチのショーをレクスが見たがっていたのだ。

ツグミもシャチを見るのは初めてで、全体が見渡せる後部中央の席で開演時間を今か今かと待っていた。

こういう時の彼女は小学生のレクスと同じレベルではしゃいでしまい、その隣で迅やテスタたちは微笑ましいといった顔で眺めている。

しかしショーが始まると近界民(ネイバー)たちは巨大で美しいフォルムのシャチが人間(トレーナー)の合図で大きくジャンプをしたり、背に乗せて泳ぐ様子に歓声を上げていた。

彼女たちの周囲には大勢の観客がいたが、テスタたちが近界民(ネイバー)だなどとは誰ひとりとして想像もできないだろう。

近界民(ネイバー)であろうと玄界(ミデン)の人間であろうと関係ない。

誰だって心動かされるような経験をすれば喜んだり悲しんだりするし、家族や友人に囲まれて安らかに生きていきたいと思うもの。

ならば利害関係が一致すれば争う必要などないのだ。

ボーダーが近界民(ネイバー)と戦う理由は同胞の命と財産を守るためで、近界民(ネイバー)が攻め込んでくることがなければ防衛組織としてのボーダーは不要である。

近界民(ネイバー)もトリオンを必要としないエネルギー源を手に入れることができれば無駄に戦争をすることもないはずで、戦争の原因を取り除くことは不可能ではないはずだ。

ここにいる近界民(ネイバー)玄界(ミデン)の人々の間に憎しみや利害関係は一切ない。

そして見事なイルカやシャチのパフォーマンスを見て感動し、喜んでいるという点だけは共通している。

もしここでテスタたちが近界民(ネイバー)だと公言したところで争いは起きるはずがなく、仮に彼らを批判する人がいればそれは単に無知や他人から与えられた間違った情報による誤解や無理解から生じるもの。

子供のレクスが近界民(ネイバー)だと知って石を投げるような真似をする大人がいれば、逆に周りの人間がそんな馬鹿な奴を非難して止めるだろう。

無理解による対立であればお互いに相手を良く知ることによって解決するもので、「近界民(ネイバー)=侵略者」という意識を取り除くことは重要である。

…などという難しい話をすっかり忘れ、ツグミは純粋に水族館を楽しんでいた。

なにしろショーの後は「海獣エリア」と「水辺の動物たち」という彼女の大好きなモフモフたちの集まっている施設に寄ったものだから、触れることはできないまでも芸をするアシカやプールでプカプカ浮いているだけのアザラシ、微動だにしないハシビロコウなどを嬉々として眺めていて、そんな彼女の姿は17歳の普通の少女であった。

 

 

 

 

昼食にシーフードバーベキューを堪能し、珍しい生き物の生態を観察してお腹も心も満足したツグミたちは三門市への帰途についた。

帰りの列車の中ではそれぞれの感動を大切にしたいのか、ただ単に疲れたのか誰もが寡黙となり、レクスとテオは途中から居眠りを始めてしまう。

お互いに身体を寄せ合って眠るその姿は兄弟のようで、キオンとアフトクラトルというライバル国の人間同士であるとは想像もつかない睦まじさだ。

キオンはテスタが今後の外交で原則として武力行使をしないと他国に公約している。

それはアフトクラトルに対しても例外ではなく、これでアフトクラトルの国王であるハイレインが同様に武力を使わないと宣言すれば近界(ネイバーフッド)の勢力バランスは大きく変わるだろう。

力で従属させている国は独立を求めて宗主国に対して声を上げることになり、どこか1国でも成功すれば次々を同様の国が現れる。

当然のことながらアフトクラトルがいくつもの国を従属させていたのは自国の利益のためであり、食料や労働力、トリオンなどを奪う目的があったからでその権利を簡単に放棄するとは思えないが、その失った利益以上のものを手に入れることができれば一考するはずだ。

そうなるとキオンで玄界(ミデン)の技術や知識を取り入れた経済活動によって戦争よりもはるかに大きな利益を得たという「結果」を出せば、二匹目のどじょうというわけではないがアフトクラトルもキオンに負けじと玄界(ミデン)の恩恵を受けようとしてボーダーに接近してくると考えられる。

人間は「プロスペクト理論」によって「得をしたい」という気持ちより「損をしたくない」という気持ちが強い。

利益が出るかどうかわからないものに投資するのは臆病になるが、誰かが投資をして成功しているとわかれば積極的になる。

つまりキオンが得られる利益が存在し、その利益をアフトクラトルも同様もしくはそれ以上に得られる状況にあってそれを物にしないのは「損になる」と考えて玄界(ミデン)と手を結ぼうと思うわけだ。

ならばキオンとの結び付きを強固なものにし、アフトクラトル…ハイレインに羨ましいと思わせることができればいい。

現時点でできることは少ないが、ボーダーのスポンサーの協力を得てキオンに譲渡できるものが増えればその事実を知ったハイレインが何もしないはずがなく、何らかの打診をしてくるだろう。

ツグミはそう考えていたが、それよりも先にハイレインは行動を開始していた。

 

 

◆◆◆

 

 

テスタとジルドの滞在は7日間であり、その短い時間の中でできる限り多くの「お土産」を持って帰ってもらうためにツグミは全力で走り回っていた。

この「走り回る」は文字通り走り回っていて、テスタとジルドの案内を迅とテオに任せ、彼女自身はスポンサーへのお願いに電話だけでは失礼だと言って面会をして頭を下げて依頼をしていたのだ。

相手も忙しい立場の人間であるから5分10分という単位でしか会うことは叶わず、そのために遅刻があってはならないと愛用のクロスバイクで目的地まで走り、場合によってはエレベーターを待つより走った方が早いと言って階段を駆け上がって行く。

こういう時はトリオン体に換装しているので30階や40階くらいなら平気だが、周囲の人間に怪しまれないようにする配慮は必要だ。

そして表向きの仕事はもちろんのこと他人には知られることのない裏方の仕事まで彼女は行っているので寝る暇もなさそうなものだが、彼女には「午後11時就寝、午前5時起床」という睡眠時間6時間の原則を守る()()があるので、残りの18時間の中で上手くやりくりしている。

ツグミが忍田と交わした約束は「絶対」で、彼女が忍田の弟子として剣の稽古を始めた7歳の時から10年以上続いている習慣でもあった。

 

こうしてツグミが自分のためであり、三門市民のためでもあり、近界民(ネイバー)のためでもある仕事を続けている間、テスタたちは「観光」を楽しんでいた。

もっとも「観光」という名の「視察」だが、テスタに言わせれば自分自身が楽しむことでそれを祖国のために役立てるのだから趣旨は私的な旅行で間違いはないらしい。

 

 

 

 

そしてテスタと城戸たちボーダー上層部メンバーとの会談の場を設け、最終確認ができたところで「ボーダー・キオン・エウクラートンによる三国同盟」の締結を公式に発表することになった。

実際には今年の1月に行われたものだが、まだ発表する時期ではないとしてボーダーとごく一部の関係者のみが知るものであった。

しかし第一次近界民(ネイバー)侵攻における拉致被害者市民の帰国交渉を進めているボーダーにとって追い風となる今、同盟締結の発表をするには最適なタイミングなのだ。

キオンという大国が友好国であるという()()が今後の拉致被害者市民救出計画を加速させると説明すれば市民も反対することはなく、日頃の行いによって市民の信頼を得たゼノンたちの祖国でもあるのだから好意的に受け止めてもらえるはずである。

そのために同盟締結調印式では日付が特定されないようにしながら証拠となる動画を撮影しており、後で上手く編集して必要であれば新たな動画を撮影して加えればいかにもこのタイミングで同盟が締結されたかのように装うことができるようになっている。

そこで6月15日に調印式が行われたことにし、翌16日にマスコミに発表。

17日にテスタ本人が三門市民向けの演説をすることに正式決定した。

その演説も三門市民会館で、市民の前で行うことを本人も承知してくれている。

ここなら体育館のように座席の準備はしなくて済み、立ち見も入れれば1000人は入ることができる。

マスコミは三門ケーブルテレビと三門新聞という市内の2社に限定して市民優先とすることにした。

テスタが市民の前で生演説をする条件だったと言えば他のマスコミ関係者も黙るしかない。

なにしろ同盟国の国家元首が出した条件であるから、ボーダーを責めるわけにはいかないのだ。

もちろんテスタが生演説などしなくてもかまわないのだが、彼が一般市民の前に立って宣言をすることは社会に対しての影響力の点で大きく違ってくる。

マスコミ関係者も自分の社で撮影したものではないが十分な資料を渡されていれば報道は可能であるから、くだらないことでボーダーを敵に回すことはないはずである。

同盟締結調印式典のVTR編集はメディア対策室に手伝ってもらい、1月の出来事を6月にあったことに()()しても違和感ないものとなっている。

この動画はこれまでボーダーの記者会見に出席したマスコミ関係者すべてに16日の夕方までに届けられ、当日の17時以降に開封してニュース番組等で放映することを許可する旨の書面を同封しておいた。

したがって夕方のニュース番組では速報として報道するだろうし、中には番組の内容を変更することなどもありうるし、朝刊の紙面の差し替えなど大騒ぎになることは間違いない。

そして翌日17日の午前10時から三門市民会館において「市民向け」にテスタが演説をすることも報告しておく。

原則マスコミ立ち会いは禁止ということになっているため、この規則を守らなかったマスコミは今後一切記者会見等に出席させないことも明記しておいた。

さらに三門市民には16日の17時に防災無線とSNS、三門市役所HP、そしてボーダーのメディア対策室HPによってテスタの演説が行われることと、先着1000人が公聴できることを発表することになっている。

 

これまで時間をかけて民間人に対して近界民(ネイバー)の印象操作を行ってきていて、「良い近界民(ネイバー)であれば仲良くしよう」というボーダーにとって良い風潮が見られる。

第一次近界民(ネイバー)侵攻の犯人はエクトスで、昨年1月の大侵攻はアフトクラトルと「三門市民にとっての敵」が明らかになり、逆にアフトクラトルや拉致被害者市民の救出の手伝いをしてくれているキオンやメノエイデスなどの友好的な国が存在することを強くアピールしてきたから、キオンと同盟を結ぶことに関して否定的な意見は聞こえてこなかった。

ここでレプト遠征を前にしてキオンと同盟を結んだことを発表することでさらにボーダーにとって追い風となるのは明らかである。

それにテスタが生で演説することで同盟締結が半年近く前に行われたことを上手く誤魔化せるというメリットもあった。

ボーダーのやっていることは三門市民のためであるが、その市民を騙していることは間違いない。

ならば嘘でも真実同様のことにしてしまえばそれでいいと言うのがツグミの考え方で、「誰も不幸にならない嘘は人を不幸にする真実よりはるかにマシ」だと信じているのだ。

以前に行われた記者会見でゼノンはテスタが近いうちに三門市訪問を考えていると公言しているので、それが実現したと考えるのはごく自然で違和感はない。

そしてこの同盟締結の発表をこのタイミングで行うことが最適であると考えたのはツグミだけでなく、テスタ自身がそれを目的として来訪したと告白したことでツグミは成功を確信した。

テスタは三門市民に向けて演説をするつもりでいたのだから演説原稿も完成していて、本人の準備も万全である。

ボーダー側が言い出さなければ何もなかったことにして帰るつもりでいたそうだが、ツグミの思考パターンを熟知している彼は半々どころか9割以上の確率で「この機を見逃すはずがない」と踏んでいたそうだ。

 

ツグミやテスタだけでなくボーダー側の関係者がそれぞれ自分の役目をしっかりと果たし、16日の朝を迎えたのだった。

 

 

 

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