ツグミがテスタの隣に並ぶとテスタは彼女の肩に手を置いて観客に向けて言った。
「みなさん、私と彼女は生まれた世界も年齢も性別もまったく違います。共通点はまったくと言っていいほどなく、片や近界の軍事国家の元首で片や玄界の防衛組織の末端の兵士というふたりが対等だと思えませんよね。ですが私たちは対話によってお互いのことを理解し合い、相手のことを信頼できると確信したからこそキオンと玄界は同盟締結にまで至ったのです。なぜ共通点のない私が彼女と対話をする気になったのかわかりますか?」
観客に問いかけるが答えが戻って来るはずがない。
するとテスタは「簡単なことだよ」と言いたげな顔で言った。
「私と彼女のように何事においても立場というものには上下がありますが、人としての価値はそれとは別物です。私は自分よりも10歳以上も年下の少女から対等に向き合うことの大切さを教えられました。彼女は目上の人間に対しての礼儀をわきまえていて、言葉遣いは丁寧で自分が何を目的としてやって来たのかをわかりやすく説明してくれました。キオンとボーダーが手を結ぶことによってお互いにどのような利益が生まれるのかを具体的に話してくれて、立場が上である私の方が彼女と対等に話をしたいという気になったのです。ボーダーの提示した条件は非常に魅力的なもので、利害関係が一致したのでまずはこちらがボーダーのアフトクラトル遠征のためにささやかながら技術支援を行いました。当時のボーダーの最優先課題がアフトクラトルにさらわれた若い隊員たちの救出であり、キオンにとって最大の抵抗勢力であるアフトクラトルは共通の敵でしたからね。その遠征は成功し、今度はボーダー側がキオンに対して技術的な支援をしてくれることになり、そうやってそれぞれの足りないものや必要としているものを相手が補うことで上手く付き合っていくことができるようになったのです」
そう言ってからテスタはツグミと顔を合わせて微笑んだ。
「『国力』とは経済・軍事・科学・技術・文化・情報などの能力や他国への影響力など総合して判断するものですが、近界においては軍事に力を入れて他の分野は軽視されがちです。なにしろ軍事力に力を入れることによって他国へ侵攻して『奪う』ことしかしてこなかった我がキオンやアフトクラトルといった軍事大国が近界で睨みを利かせていて、それに対抗するには中小の国々は対抗できる戦力を持つしか手はなく、逆にむしろ強国の傘下に入ってしまった方がいいと考える国もあるくらいです。宗主国に逆らわなければ他国の侵略を受けることはなく、これ以上悪いことにはならないと諦めるのも簡単ですからね。ツグミから玄界には『長いものには巻かれろ』という言葉があると教えられましたが、弱小国が生き延びるにはそれしか道はないのでしょうか? いいえ、そんなことはありません。まずは力を持つ国の人間が自国だけ良ければいいという考え方を捨てることから始めれば良いのです。そこで私は強者側のキオンが弱者側の国に手を差し伸べて引き上げてやるべきであると考え、それを実行に移すことにしました。長きに渡って国民の生活水準を向上させることに無関心だった近界の国々ですが、ここで近界民たちは歴史的な転換点を迎えることになります。玄界には近界民が持っていない優れた技術や知識があり、特に医療面では非常に進んでいることを知りました。なにしろ玄界では市販されている薬を飲むだけで簡単に治るような病気でも近界民にはその原因すらわからず、どのような病気かわかっても庶民が薬を購入することはまず不可能。そうやって多くの人間、特に抵抗力のない子供たちが命を落としてしまうのです。そのせいで労働人口は非常に少なく、人間が大勢いる玄界へ行って使えそうな人間を拉致するという暴挙に出てしまう。もしボーダーという組織がなければ数千数万という人間が近界へ連れ去られ、過酷な労役に苦しむことになったでしょう。なんとも酷いことです」
テスタはそう言って悲しそうな顔をした。
「しかし今後はそのような心配は無用です。これまでトリオンを大量に使って軍備を整えて近界で君臨してきたキオンが玄界と同盟を結んだとなれば他国の近界民たちが興味を持たないはずがありません。そして私がキオンの総統として武力に頼らずに近界を秩序と安寧をもたらすという意思を表明すれば、それに同調する国も現れることでしょう。人間とは『得をしたい』という気持ちより『損をしたくない』という気持ちが強いのだそうです。キオンが玄界と同盟を結んだことで多くの利益を得るのだと他国に証明することで、同様に恩恵を受けたいと考える国が現れるのは火を見るよりも明らか。自分たちも戦争をしたり玄界の人間を拉致するよりも簡単且つ多くの利益を手に入れることができるとわかれば『損をしたくない』と考えて、今後は玄界に交流を求めて近界民がボーダーに接触を試みることでしょう。ここでキオンとボーダーが同盟関係にあると知っていれば無闇に武力行使をすることはないはず。それだけキオンという国の名前はボーダーにとって強力な『武器』となるのです。武器と言っても武力に訴えるのならキオンが黙っていないという無言の圧力で、私は同盟国に不利益が生じることがなければ絶対に兵器を使用することはありません。玄界ではこの『武器』のことを『伝家の宝刀』と呼ぶらしいですね。抜いたら最後という意味で、私は自分を戒めるためにこの言葉を忘れずにいるつもりです」
そう言うとテスタはツグミの背中をポンと後ろから叩いた。
それは彼がツグミに何かを促している合図で、このタイミングですることといえばひとつしかない。
(でももしこの人の期待しているものと違っていたら…)
そんな不安が脳裏を横切るが、チラリとみたテスタの顔はツグミの心の迷いを払拭させるものだった。
言葉はないがその表情に「どんなことをしても完璧にフォローしてみせる」という自信を感じ、一歩前に出てツグミは口を開いた。
「みなさんならスカルキ総統のおっしゃることを理解できることでしょう。弱者側から対話を要求したところで強者側は一蹴してしまうでしょうから、いつまで経っても状況は変わりません。ですが強者側から対話を求めるのであれば弱者側は渋々でも話し合いの場に引っ張り出されます。そこで提案される内容が自国にとって利益のあることだとわかればお互いに手を結ぼうという気になるもので、キオンが近界の国々に声をかければ自国もキオンと同じように玄界から得た技術や知識を享受できると考えて積極的に平和的な外交を求めるようになるはずです。国同士の関係においてそれが重要なのは明らかで、これまで生じた問題の多くが武力を使わずとも解決するものだったと閣下はおっしゃっていました。ならば今後はこういったトラブルは激減することでしょう。近界でのトラブルが減少すればボーダーの行う拉致被害者市民救出計画も邪魔をされることはなくなりますし、相手国が交渉の際に無理難題をふっかけてくることもないと思われます。バックにキオンが控えていることが近界に広まれば、キオンを敵にしたくないと考えて無難な線で妥協してくれるというものです。この三国同盟は始まりに過ぎません。キオンやエウクラートンのようにボーダーの理念を理解して同じ道を共に歩こうという国が現れたなら、相手が小国であろうと大国であろうと対等に接して加盟国を増やしていきます。いずれは国際連合のような組織を作り、近界にも平和と秩序をもたらしたいというのが閣下の理想の未来なのです」
ツグミがそう言ってテスタに微笑むと、彼もまた同じように微笑み返した。
「もしこの場に『いくら綺麗事を並べても三門市を襲って被害を与える近界民と同じじゃないか』と思う方がいらしたらぜひ手を挙げてください。別にその方を責めようというのではなく、直接閣下とお話をしてみれば考え方が変わると思うからです。軍事大国で戦争が日常であったキオンで生まれ育った彼がなぜその慣習に逆らって困難な道を歩こうとしているのかがわかるはずですよ。閣下はとてもフレンドリーで、わたしが初めてキオンを訪問した際には手料理でもてなしてくれました。さあ、閣下に対して意見や批判、反論などある方はいらっしゃいませんか?」
テスタと話をしてみたいという市民は大勢いるだろう。
しかし今名乗りを上げれば「彼に対して意見や批判、反論などある方」だと宣言するようなものだ。
ここまで丁寧に説明をされ、多くの人間が理解できたと思われる状態で自分だけが理解できなかったと言えば周囲の人間から白い目で見られるのは明らかで、普通の人間ならここで手を挙げるはずがない。
多数意見に対して反論をすると周囲に冷たい空気が漂うという経験をしたことのある者ならわかるはずで、こうした大勢の人間のいる場所で自分の意見を堂々と言うにはよほど勇気がなければ不可能だ。
仮にいたとしてもテスタなら快く引き受けてくれるだろうから心配はないと、ツグミはこんな大それたことを言ったのだった。
そしてしばらく待つが手を挙げる者はおらず、これでテスタの発言を認めて同盟締結にも異論はないという雰囲気を作り出した。
1000人もの市民が全員テスタとツグミの言葉に納得したかどうかわからないが、少なくとも意見・批判・反論はなかったのだから賛成多数で受け入れられたという既成事実を作り上げたことになる。
これはツグミのアドリブだが、テスタは驚きもせず当然の流れだと言わんばかりの満足気な顔でいた。
ひとまずこれでテスタの演説は終わりとなる。
しかしこれで解散というわけではなく、最後の仕上げをしなければならない。
これは三国同盟の締結を報告する報告会であり、まだ当事者であるエウクラートンの関係者が登場していないのだ。
このままでは疑問に思う人間も現れるだろうし、マスコミ関係の人間から追求があるのは想定内である。
そこでエウクラートンはリベラートからのビデオメッセージを流す計画で、その映像は1月に行われた締結式の時に収録してあった。
実を言えばテスタの分の映像もその時に収録してあったのでそれを使用しても良かったのだが、本人がいるのだからということで市民の前で生の姿を見てもらったのだった。
テスタとツグミが上手の椅子に腰掛けるとここで根付の司会がここで入る。
「続きましてもうひとつの同盟国であるエウクラートンの代表者であるリベラート・オーラクル皇太子殿下のお言葉をいただくことになるのですが、王家の方は極めて大勢の民衆の前に出ることが許されていないという慣習があるそうで、残念ながらこの場にはお越しいただけませんでした。そこで市民のみなさんに向けたビデオメッセージをいただいておりますので、今からそれを見ていただきます」
するとまた照明が落とされ、スクリーンに映像が投影された。
そしてリベラートが三門市民に向かって語りかける。
「ミカド市のみなさん、はじめまして。私はエウクラートンのリベラート・オーラクル、女王の代理として玄界へとまいりました。本来でしたらみなさんの前に出て直接お話をしたかったのですが、当王家では宗教上の理由で王族は大衆の前に出ることができません。そこで失礼かと存じますが映像にてご挨拶と我がエウクラートンのご紹介をしたいと思います」
そう前置きしてからリベラートは一旦姿を消し、ツグミたちが撮影したエウクラートンの光景が映し出された。
北海道の田園風景を思い起こす美しい丘陵の畑が見渡す限り広がり、そこには小麦やじゃがいもなどの作物が植えつけられている。
それを素朴な農民たちが収穫する様子や、集落の中央にある広場で祭りをやっている人々の笑顔などが次々と流れた。
エウクラートンの人間は日本人に良く似ていることもあって、観客たちはキオン以上に親しみを感じているようだ。
10分弱のエウクラートンの様子の映像が終わり、再びリベラートの姿が映し出される。
「短い映像でしたが、エウクラートンのことが少しはわかっていただけたかと思います。我が国はキオンの周囲を回る軌道を持つ衛星のような国で、過去に戦争で負けて独立は保たれていたものの従属国のような立場に甘んじてきました。ところがスカルキ閣下が総統の座に就くと方針が大きく変わり、現在では対等な立場での文化・経済交流を行っています。スカルキ閣下からキオンが玄界と同盟を結ぶという話を聞き驚きましたが、それ以上に我が国にも加わってほしいと言ってくださったことでこれまでずっと友好国として見てくれていたのだと知って安心しました。エウクラートンの主産業は農業で他に取り柄のない国です。私が言うのもなんですが、国民は温厚で争いを好まず、みなさんと同じく黒い髪と瞳を持つ素朴な人間ばかりです。私はツグミという少女がはるばるとキオンまでやって来てスカルキ閣下と堂々と交渉をしたという話を聞いて興味を持ちました。そして会ってみたいと思っていたところ、彼女が私に会うためにエウクラートンに立ち寄ってくれて、その時は本当に嬉しかった。話をしていると彼女のことがまるで孫娘のように思えてきて、容姿も似ていることから血のつながりがあるのではないかと勘違いしてしまうほど愛着がわきました。ボーダーはキオンだけでなく我が国とも交流を持ちたいと申し出てくれて、条約の内容も玄界の既存のものを参考にしているそうですが、何も知らない私たち近界民にも理解しやすく説明してくれたのは彼女です。きっとたくさん勉強をしてこの同盟締結に関わる仕事をしてくれたのでしょう。私は彼女の誠意を裏切ることはできません。リベラート・オーラクルはエウクラートンの皇太子としてこの三国同盟の締結を心から祝福し、この同盟の理念が近界の隅々にまで広がることを祈念しております」
ここでVTRは終了した。
映像ではあってもリベラートの真摯な姿は三門市民の目に好ましく映り、王族という高貴な立場ならこの場に出ることが無理なのも仕方がないと諦められる空気になっていた。
そして最後に城戸が玄界の代表として市民に向けてお礼と今後のボーダーの方針について話すことになった。
「ここにお集まりの市民のみなさん、『玄界、キオン及びエウクラートン間三国同盟』締結に関する報告会並びにテスタ・スカルキ総統閣下の演説会にお越しいただき誠にありがとうございました。この同盟締結は玄界と近界というふたつの世界の不幸な歴史に終止符を打ち、共存の道への第一歩を踏み出すきっかけとなるものです。現在は3ヶ国ですので三国同盟と呼んでいますが、締結式で見届け人となってくださったメノエイデスとヒエムスも同盟に加わることに意欲的ですから、近いうちに新たな加盟国が増えることでしょう。近界に仲間を増やすことは拉致被害者市民救出計画の進行を妨げるものではありませんし、若き隊員たちに危険が及ぶことなく、また近界で待っている同胞を一刻も早く救い出すために重要なものであることはご理解いただけたと思います。…しかし近界民によって心や身体に大きな傷を負った方、大切な家族や財産を失った方が大勢いらっしゃることは事実。中には心の整理ができていないという方もいらっしゃることでしょう。ボーダー隊員や職員の中にもみなさんと同じで過去の悲劇に引きずられている者がいます。ですからすべての方にこの同盟締結を認めてくれとは言えません。ですがボーダーはこれが最善であると信じていて、いずれこの判断が正しかったのだということを結果として証明してみせるとこの場にてお約束いたします」
城戸はそう言って深く頭を下げた。
彼は過去のいきさつから近界民を敵視し、完全なる排除を目指していた。
ボーダー内でも「城戸派」と呼ばれる近界民に恨みを持つ隊員たちのリーダー的存在として君臨していたのだが、それは表向きのものであった。
「近界と玄界の友好の架け橋になる組織を作る」というボーダー創設の理念を捨てたわけではなく、それを叶えることのできない自分の無力さを近界民憎しと感情のすり替えをしていた。
だから近界と玄界の友好の架け橋になろうとした織羽の遺志を継ぐツグミに自分の願いを託したことでボーダーという組織自体が近界民への宥和政策へと転じた。
城戸派の人間にとって彼の行動は裏切りに思えるが、それが理由でボーダーを辞めた人間はいない。
熱心な城戸の親派であった三輪ですら数々の戦いや近界民との交流によってボーダーの方針を受け入れることができるようになっている。
もちろんボーダーを辞めてしまえば復讐の手段を失ってしまうと考えて我慢をしているのかもしれないが、それでも入隊当時の「近界民を憎む気持ちが生きる原動力」であった頃に比べて凪いでいる海のように心が穏やかになってきているから心配する必要もないだろう。
現にこの報告会の様子は三門ケーブルテレビによって生中継されていて、会場に入ることのできない人間は自宅や職場、公共施設のモニターなどで視聴していて、三輪は仲間たちと一緒に本部基地のロビーに設置された大型モニターで他の隊員たちと中継の映像を見ていた。
以前の彼であったら近界民が映っただけで苦々しい顔をして立ち去ってしまっただろうが、歴史が動いた瞬間を冷静に見ることができたのだから彼の心境にも大きな変化と成長があったことは間違いない。
多くの市民が未だ近界民を脅威の対象として警戒しているが、ボーダーが近界民と不可侵条約を結んだとなれば不安はいくらかでも減る。
近界だけでなく玄界でも世界各地で戦争は続いていて、一見平和に見えるようなところでも炉や火鉢などの灰にうずめた炭火 ── 埋み火のように戦火の種火として残っている。
それが大火になってすべてを燃やし尽くしてしまった例もあり、その場合多くの被害を受けるのは名も無き市井の人々なのである。
だからこそ多くの人々が平和を渇望していて、わずかでも平和な日常を掴むことができるのであれば何にだって縋りたいと思うものだ。
そこにキオンという近界における大国がボーダーと協調路線を歩むことを目に見える形で示してくれたのだから、三門市民だけでなく玄界の人々にとって明るい兆しが見えたも同然。
もちろんキオンが一方的に条約を破棄して攻め込んで来ないという確約はないが、会場でテスタという人間の人柄や考え方を知った三門市民は誰よりも強く「信じよう」「信じられる」という気持ちになったことだろう。
報告会並びに演説会はボーダー側の思惑どおりに成功を収め、後の歴史書に「20XX年6月15日、『玄界、キオン及びエウクラートン間三国同盟』締結」と記されることとなった。