ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
ツグミは先発隊として1日早く出発したことで、総合外交政策局長としての仕事を済ませてしまえば後は本隊が到着するまで
そこで今までできなかった街の散策に出かけることにしたのだが、修を護衛役ということにして連れ出した。
王都の外に出るわけではないしツグミもトリガーを常に携帯しているので彼女よりも弱い護衛役を伴う必要はないのだが、総合外交政策局の仕事に興味を持ち出した修に「
交渉を成功させるための一番のポイントは「自分と相手のことを良く知る」ことで、
この空いた時間は修にとって実地研修として最適な機会で、ツグミはエヴァルドとニクラスによる夕食の誘いを断ると修とふたりだけで夕闇迫る街の中へと出かけたのだった。
「王都というだけあって街の中はけっこう賑やかですね。三門市の繁華街くらいの人がいて、人々の雰囲気も明るくていいカンジです」
修が周囲をキョロキョロと見回しながら言う。
「そうね。この辺りは王都の中でも比較的裕福な住民の街だし、レプトが侵攻してくるという情報は伝わっているけど不安がないのね、きっと。それだけ軍や兵士たちのことを信頼しているんだと思う。三門市民だって
「ぼくもそれはわかります。家族と友人と一緒に普通に暮らしたいという気持ち、それが誰にでもあるささやかな願いであること。それを壊そうとする奴らから街を守ろうとするのは誰だって同じ。それなら戦争ではなく話し合いで解決できることならその方がいいと考える
「そう。人間なんてものは楽して得をしたいと思うもので、それが可能だとわかればこっちの話に乗ってくるというもの。まず相手を対話のテーブルに着かせることが重要。
「はい。そして自分の願いさえ叶えば後はどうでもいいという考え方が間違っていることを理解しました。人は生きていく上で大勢の他人と関わっていて、よほどのエゴイストでなければ他人が苦しんだり悲しんでいても自分さえ良ければかまわないなんて言えるはずがない。ぼくの関わっている世界は狭くても、広い世界の一部であることは確かです。ぼくとは関係の薄い人はいても無関係な人はいないんだって思えるようになりました」
「そうね。わたしも自分と自分の手の届く範囲の人たちが幸せならそれで十分だったけど、それって自分の世界が狭かったことと世界の広さを知らなかったから。
楽しそうに話すツグミを見ていた修はふと思った。
(ボーダーの人たちはいろいろな理由で、そしていろいろな手段で戦っているけど、それを楽しいと思っている人は少ないと思う。霧科先輩だって好き好んでボーダーにいるんじゃないと思う。自分が目指す未来のために戦っているのであって、楽しんでいるわけじゃないはず。それなのに楽しそうに見える。それが『やりがい』ってものなのかな? ぼくがボーダーで戦うのは今辞めてしまえば逃げ出したことになるからで、後ろ向きな理由でしかない。このままじゃ空閑の身体のことも解決の手段なんて見付かるはずもない。瀕死の状態の生身の身体を
そう思うといろいろなことが前向きに考えられるようになり、玉狛第2の隊長ではない自分の姿を想像してみた。
(防衛隊員を辞めるつもりはないけど、もし辞めて職員として働くようになったとしてもそれは
修がそんなことを考えているとは知らないツグミは繁華街の一角に目的の店を見付けて修に声をかけた。
「オサムくん、あそこみたいよ。『赤熊亭』…ニクラス閣下がオススメだと言っていた店。行ってみましょう」
ツグミが街へ出て食事をしたいと言い出したことで、ニクラスは自分の知る限り最も安全で料理の美味しい店「赤熊亭」を紹介した。
彼女たちが散策していたエリアは軍の関係者が多く住んでおり、そのほとんどが男性の単身者なので夕食は街中の食堂や居酒屋で済ませるのだそうだ。
「安全」というのはその店の客層が尉官以上であり、比較的礼儀正しく食事ができる人間しか出入りしないからである。
誰でも酒が入れば気分が高揚して騒ぎが起きるのだが、この店ではグラスワインをひとり2杯までと決められているのでそういった騒ぎも起きない。
店主がニクラスの元部下で、店内で問題を起こせば即刻軍総司令官に連絡されるために客は皆おとなしく食事をするのだ。
そして店主に「
しかしツグミたちが店内へ入ったとたん、中で食事をしていた10人ほどの客たちが一斉に手を止めて立ち上がり、その場で敬礼をした。
「え? ええっ!?」
呆気にとられてしまいツグミと修は店の入口で立ち止まる。
するとひとりの若い士官 ── 軍服を着ているのですぐにわかる ── が彼女たちに近寄って来た。
「ようこそ、
「はあ…」
さすがのツグミでも周囲の状況にのまれてしまったようで、思考回路が少々止まってしまったらしい。
「さあ、こちらへ」
青年士官に店の奥のテーブルに案内されるツグミ。
修はその後を付いて行くことしかできずにいる。
すると別の客がカウンターの奥にある厨房の中に声をかけた。
「大佐殿、
「おう、わかった」
奥の方から年配らしき男性の声がして、すぐにその声の主と思われる50代前半の赤髪の男性が現れた。
がっしりとした体格で眼光鋭い歴戦の勇士といった雰囲気だが、ツグミたちの前に来た瞬間に様子がコロッと変わった。
「ようこそいらっしゃいました。ワシがこの店の店主のネーロでございます」
久しぶりに再会した友人を出迎えるような親しさと感激が全身から溢れ出てくるような笑顔で、それが営業スマイルではなくネーロという人間の本質なのだろうとツグミには感じられた。
しかし言葉遣いは慣れていないようで、彼女がヒエムス政府に招かれたVIPだということで恐縮してしまっているのだろうと察した。
「はじめまして。わたしは
「はい。さあ、お座りください。それでどんなものをお召し上がりになりますか?」
大きな身体を小さくして接客するネーロの様子が滑稽で、ツグミは苦笑しながら言う。
「無理をせずに自然体でお願いします。たしかにわたしたちはヒエムス政府に招かれた客という立場ですが、わたしはみなさんと同じ『自分の大切なものを守るために戦う』ひとりの人間です。特別扱いはせずに他のお客さんと同じように接してください。言葉遣いだっていつもと同じでかまいませんよ」
すると態度を一変させて言った。
「そうかい? だったらそうするぜ。堅苦しいのは苦手なんだよ。で、何を食いたい? ワシは大抵のものは何でも作れるが、得意料理は熊肉の煮込みだな」
「では、わたしはそのオススメをお願いします。オサムくんはどんなものが食べたい?」
「じゃあ、ぼくも同じで」
「そんなら熊肉の煮込み、二人前だな。他には? 閣下から酒を飲ませちゃダメだって言われてるんだが、何か飲み物も欲しいよな? 山ぶどうの果汁なんかどうだ?」
「ええ、それもお願いします」
「よし、少し待ってろ」
ネーロが厨房へ下がると、今度は客として店内にいた下士官たちがツグミの周りに寄って来て声をかける。
「なあ、
「あのアフトの
「
ツグミに興味のある青年たちが矢継ぎ早に質問をするものだから、それに答える彼女は忙しい。
先に運ばれて来た山ぶどうのジュースを飲みながら楽しげに下士官たちと話を続ける。
一方、修は蚊帳の外にされており、ツグミたちのやり取りを眺めていた。
(
修が考えるように諜報活動において相手にスパイ行為をしていることを悟られないようにして情報収集をするのであれば、ツグミのように物怖じせず自然に振舞うことができる性格は非常に有利となる。
未成年の女性であるから居酒屋や少々いかがわしい店への出入りは不可だが、普通の食堂や市場など女性が多くいる場所であれば違和感はない。
そして周囲の人間に合わせて会話を進め、いつの間にか必要な情報を集めて自然に去って行く。
アフトクラトル遠征では彼女が街の住民から情報を集め、その中でさらわれたC級隊員の居場所を見付けることができたのだった。
だから諜報活動の重要性はボーダー上層部も認めており、A級隊員の中から何人かがゼノンたちからその技術を学んでいて、拉致被害者市民救出計画にも参加している。
(あれ、いつの間にか全員が自分の席を離れて先輩のそばに集まって来ている。すごい人気だな。だけど先輩は平然と会話を楽しんでる。相手が
ツグミが下士官たちに囲まれて楽しそうに話をしているうちに料理が運ばれて来た。
「お待たせ。これが当店自慢の熊肉の煮込みだ。さあ、食べてくれ」
ネーロは熱々の皿をふたつテーブルの上に置いた。
ひと口サイズの肉や根菜類がデミグラソースらしき赤いスープで煮込まれた料理だ。
ツグミはメノエイデスでウェルスに熊肉はご馳走であると聞かされていて、以前から熊料理に興味があった。
「では、いただきます」
ツグミは手を合わせていただきますを言うといきなり熊肉を口に入れる。
そしてもぐもぐしながらにっこりと笑い、十分に味わうと飲み込んだ。
「美味しい…。想像していたよりも獣臭さがなくて食べやすいです。獲ってきた熊をすぐに適切な処理をしたからでしょうね。臭の元となる脂身の部分を丁寧に取り除いてあって、時間をかけて煮込んであるのでとても柔らかいです。それに根菜の旨みが十分に引き出されていて、ソースの味をまろやかにしていますね」
ツグミが感じたままを素直に言葉にすると、ネーロは大喜びで言った。
「おお、嬢ちゃんはわかってるねぇ。この肉は北の山で獲ってきたとびきり上等な熊肉で、あんたが言うように丁寧に下処理をして、ワシが特別に調合したスパイスとソースで煮込んでいる。だからどこの店の熊肉料理より美味いんだ」
「名物料理が熊肉の煮込みだから店の名前が『赤熊亭』なんですね?」
ツグミがそう尋ねるとネーロは困ったような顔になり、周りの客たちは大笑いする。
訳がわからないツグミにひとりの下士官の青年が教えてくれた。
「赤熊ってのは大佐殿が現役だった頃のあだ名なんだよ。ほら、体格が熊みたいだし、ヒエムスの軍服はこんなカンジの紺色なんだけど、大佐殿の部隊はトリオン体の設定をいじって派手な赤色の軍服にしていたんだ。大佐殿は勇猛果敢なトリガー使いで、レプトの連中はほんの少しでも大佐殿の部隊の赤い軍服を見かけると一目散に撤退したくらいだ。それで部下たちから親しみを込めて『赤熊』って呼ばれていて、退役後に開いたこの店の名前を『赤熊亭』にしたってことなんだよ」
「なるほど…」
「でも戦場で真っ赤な軍服って普通はありえないだろ? 大佐殿だけならともかく部隊の兵士がみんな赤い軍服だなんて目立ってしまって敵の標的になるだけだってのに」
呆れた顔で言う青年にツグミは首を横に振ってから言う。
「そんなことはありませんよ。
ツグミに褒められて気を良くしたネーロは元部下の客たちに自慢げに言った。
「ほ~ら、
「はいはい」
下士官の青年たちは「大佐殿には逆らえない」とばかりに自分の席に戻って食事を再開したのだった。