ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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504話

 

 

ツグミは先発隊として1日早く出発したことで、総合外交政策局長としての仕事を済ませてしまえば後は本隊が到着するまで()となる。

そこで今までできなかった街の散策に出かけることにしたのだが、修を護衛役ということにして連れ出した。

王都の外に出るわけではないしツグミもトリガーを常に携帯しているので彼女よりも弱い護衛役を伴う必要はないのだが、総合外交政策局の仕事に興味を持ち出した修に「近界民(ネイバー)の実態」を見てもらおうという趣旨である。

交渉を成功させるための一番のポイントは「自分と相手のことを良く知る」ことで、近界民(ネイバー)は自分と同じ人間だが自分の知っている世界とは違う発達を遂げた別の文化を持つのだということを認識しなければスタート地点に立つことすらできない。

この空いた時間は修にとって実地研修として最適な機会で、ツグミはエヴァルドとニクラスによる夕食の誘いを断ると修とふたりだけで夕闇迫る街の中へと出かけたのだった。

 

 

「王都というだけあって街の中はけっこう賑やかですね。三門市の繁華街くらいの人がいて、人々の雰囲気も明るくていいカンジです」

 

修が周囲をキョロキョロと見回しながら言う。

 

「そうね。この辺りは王都の中でも比較的裕福な住民の街だし、レプトが侵攻してくるという情報は伝わっているけど不安がないのね、きっと。それだけ軍や兵士たちのことを信頼しているんだと思う。三門市民だって近界民(ネイバー)が襲ってくる不安があっても市外へ転出しないのはボーダーの存在が大きいから。アフトの大侵攻では民間人に被害が及ぶことはなく、近界民(ネイバー)にさらわれたC級や市民を救出できたことも信頼へと繋がっている。この国の兵士も自分の家族や友人を守りたいという気持ちが強くて、その気持ちが大勢の人たちの希望になる。これは近界(ネイバーフッド)であろうと玄界(ミデン)であろうと変わらない。親しい人たちと一緒に楽しく暮らしたいという誰もが持つ最も基本的な『願い』。それは普遍の原理 ── 真理だとわたしは信じている」

 

「ぼくもそれはわかります。家族と友人と一緒に普通に暮らしたいという気持ち、それが誰にでもあるささやかな願いであること。それを壊そうとする奴らから街を守ろうとするのは誰だって同じ。それなら戦争ではなく話し合いで解決できることならその方がいいと考える近界民(ネイバー)がいてもおかしくない。実際にキオンの総統はボーダーと手を組んで平和裏に物事を解決しようとしていて、同じ考えのボーダーと手を組むことで国益に繋げている。戦争なんて手段に訴えなくても利益となるとわかれば無駄な争いはなくなるってことですよね?」

 

「そう。人間なんてものは楽して得をしたいと思うもので、それが可能だとわかればこっちの話に乗ってくるというもの。まず相手を対話のテーブルに着かせることが重要。ボーダー(わたしたち)の場合は玄界(ミデン)のトリオンを使わない文明が存在し、それがいかに素晴らしいかをわかってもらうだけで十分。無駄にトリオンを使う戦争をせずとも国民の生活水準を向上させる手段があるって知ったんだもの。ヒエムスのフランコ王も高い代価を支払って買った三門市民を手放してでも、それ以上の価値のあるものを手に入れられるとわかったから素直に全員を返してくれた。その価値のあるものといってもわたしたちが日常的に使用している医薬品や食料だから難しいことじゃない。お互いが利益を得るwin-winってことになって、誰も傷つくことなく無事に交渉は成立する。その交渉をするのがわたしたち総合外交政策局の仕事で、武器(トリガー)を使わない戦いでもあるってわけ。この交渉という戦いで人が死んだり傷つくことはないけど、真剣勝負で一瞬の気の緩みが負けになる戦いであることは間違いない。それはわかるわね?」

 

「はい。そして自分の願いさえ叶えば後はどうでもいいという考え方が間違っていることを理解しました。人は生きていく上で大勢の他人と関わっていて、よほどのエゴイストでなければ他人が苦しんだり悲しんでいても自分さえ良ければかまわないなんて言えるはずがない。ぼくの関わっている世界は狭くても、広い世界の一部であることは確かです。ぼくとは関係の薄い人はいても無関係な人はいないんだって思えるようになりました」

 

「そうね。わたしも自分と自分の手の届く範囲の人たちが幸せならそれで十分だったけど、それって自分の世界が狭かったことと世界の広さを知らなかったから。近界(ネイバーフッド)の存在を知らなければ近界民(ネイバー)が戦争をやっていようが貧困で苦しんでいようが知るはずがない。でも知ってしまった以上は自分と関わりのない世界や人たちではないことになる。彼らがトリオンを求めて戦争をやっているせいで三門市民が苦しむという事実が明らかになったんだから、近界民(ネイバー)の問題を解決しなければいつまで経っても同じことを繰り返すだけになる。そんな負のスパイラルから脱却するために現状を打破するのが対話という手段なのよ。武力を伴わず、相手のことを対等な人間と認めて話し合い、お互いが納得できる状況を生み出す。武器(トリガー)を使う戦いよりずっと難しいことだけど、結果さえ出すことができればとても大きな効果を生み出す。やりがいのある仕事だわ」

 

楽しそうに話すツグミを見ていた修はふと思った。

 

(ボーダーの人たちはいろいろな理由で、そしていろいろな手段で戦っているけど、それを楽しいと思っている人は少ないと思う。霧科先輩だって好き好んでボーダーにいるんじゃないと思う。自分が目指す未来のために戦っているのであって、楽しんでいるわけじゃないはず。それなのに楽しそうに見える。それが『やりがい』ってものなのかな? ぼくがボーダーで戦うのは今辞めてしまえば逃げ出したことになるからで、後ろ向きな理由でしかない。このままじゃ空閑の身体のことも解決の手段なんて見付かるはずもない。瀕死の状態の生身の身体を(ブラック)トリガーで辛うじて()()()()()()だけなんだから。…でもさっき先輩はいろいろな近界民(ネイバー)と交流していくうちに空閑の身体のことで何かできることが見付かるかもって言っていた。もしかしたらトリガーを軍事ではなく医療面に特化した国があって、空閑みたいな身体でも治すことができる国があるかもしれない。だったらぼくはそれが蜘蛛の糸のように頼りない希望であっても縋りたい。先輩と一緒に外交という手段で近界(ネイバーフッド)を回ることで見付けることができるかもしれないというなら、それこそがぼくの自分のやりたいことで、やるべきことであり、そしてやれることに違いないんだ)

 

そう思うといろいろなことが前向きに考えられるようになり、玉狛第2の隊長ではない自分の姿を想像してみた。

 

(防衛隊員を辞めるつもりはないけど、もし辞めて職員として働くようになったとしてもそれは()()じゃない。自分が『そうするべき』ことだと思ったのであれば、それは進む道を変えただけで逃げたことにはならないはずだ。…でもまだぼくにやれることなのかはわからない。ただひとつ拠り所となるのはこれまで先輩が厳しいことを言っていたのは全部ぼくのためで、アフト遠征だって試験に不合格のぼくが参加できるよう配慮もしてくれた。母さんに承諾書の印鑑を押してもらう時だってぼくひとりじゃ無理だったけど、先輩が母さんに頼んでくれたから遠征に参加できた。先輩の言葉や行為は全部ぼくのためになることばかりで、厳しいのも意地悪じゃなくてぼくがボーダー隊員として一人前になってほしいから。先輩がぼくに総合外交政策局の仕事を見せようとするのは、ぼくにこの仕事が向いているかはともかく()()()と信じてくれているからだ。それならその期待に応えたい。先輩の厚意に甘えるだけでなく、結果を出してそれをお礼にしたい。いや、そうしなければいけないんだ!)

 

修がそんなことを考えているとは知らないツグミは繁華街の一角に目的の店を見付けて修に声をかけた。

 

 

「オサムくん、あそこみたいよ。『赤熊亭』…ニクラス閣下がオススメだと言っていた店。行ってみましょう」

 

ツグミが街へ出て食事をしたいと言い出したことで、ニクラスは自分の知る限り最も安全で料理の美味しい店「赤熊亭」を紹介した。

彼女たちが散策していたエリアは軍の関係者が多く住んでおり、そのほとんどが男性の単身者なので夕食は街中の食堂や居酒屋で済ませるのだそうだ。

「安全」というのはその店の客層が尉官以上であり、比較的礼儀正しく食事ができる人間しか出入りしないからである。

誰でも酒が入れば気分が高揚して騒ぎが起きるのだが、この店ではグラスワインをひとり2杯までと決められているのでそういった騒ぎも起きない。

店主がニクラスの元部下で、店内で問題を起こせば即刻軍総司令官に連絡されるために客は皆おとなしく食事をするのだ。

そして店主に「玄界(ミデン)の客人が行くから歓迎してくれ」とニクラスが依頼をしているため、未成年のツグミと修でも和やかに食事ができるはず…であった。

しかしツグミたちが店内へ入ったとたん、中で食事をしていた10人ほどの客たちが一斉に手を止めて立ち上がり、その場で敬礼をした。

 

「え? ええっ!?」

 

呆気にとられてしまいツグミと修は店の入口で立ち止まる。

するとひとりの若い士官 ── 軍服を着ているのですぐにわかる ── が彼女たちに近寄って来た。

 

「ようこそ、玄界(ミデン)のお客人。お待ちしていましたよ」

 

「はあ…」

 

さすがのツグミでも周囲の状況にのまれてしまったようで、思考回路が少々止まってしまったらしい。

 

「さあ、こちらへ」

 

青年士官に店の奥のテーブルに案内されるツグミ。

修はその後を付いて行くことしかできずにいる。

すると別の客がカウンターの奥にある厨房の中に声をかけた。

 

「大佐殿、玄界(ミデン)のお客人ですぜ」

 

「おう、わかった」

 

奥の方から年配らしき男性の声がして、すぐにその声の主と思われる50代前半の赤髪の男性が現れた。

がっしりとした体格で眼光鋭い歴戦の勇士といった雰囲気だが、ツグミたちの前に来た瞬間に様子がコロッと変わった。

 

「ようこそいらっしゃいました。ワシがこの店の店主のネーロでございます」

 

久しぶりに再会した友人を出迎えるような親しさと感激が全身から溢れ出てくるような笑顔で、それが営業スマイルではなくネーロという人間の本質なのだろうとツグミには感じられた。

しかし言葉遣いは慣れていないようで、彼女がヒエムス政府に招かれたVIPだということで恐縮してしまっているのだろうと察した。

 

「はじめまして。わたしは玄界(ミデン)から来ました霧科ツグミ。ボーダーという組織の総合外交政策局長を務めております。こちらはわたしの部下の三雲修。…って、どうやらこの様子ですとニクラス閣下から連絡が入っていたみたいですね?」

 

「はい。さあ、お座りください。それでどんなものをお召し上がりになりますか?」

 

大きな身体を小さくして接客するネーロの様子が滑稽で、ツグミは苦笑しながら言う。

 

「無理をせずに自然体でお願いします。たしかにわたしたちはヒエムス政府に招かれた客という立場ですが、わたしはみなさんと同じ『自分の大切なものを守るために戦う』ひとりの人間です。特別扱いはせずに他のお客さんと同じように接してください。言葉遣いだっていつもと同じでかまいませんよ」

 

すると態度を一変させて言った。

 

「そうかい? だったらそうするぜ。堅苦しいのは苦手なんだよ。で、何を食いたい? ワシは大抵のものは何でも作れるが、得意料理は熊肉の煮込みだな」

 

「では、わたしはそのオススメをお願いします。オサムくんはどんなものが食べたい?」

 

「じゃあ、ぼくも同じで」

 

「そんなら熊肉の煮込み、二人前だな。他には? 閣下から酒を飲ませちゃダメだって言われてるんだが、何か飲み物も欲しいよな? 山ぶどうの果汁なんかどうだ?」

 

「ええ、それもお願いします」

 

「よし、少し待ってろ」

 

ネーロが厨房へ下がると、今度は客として店内にいた下士官たちがツグミの周りに寄って来て声をかける。

 

「なあ、玄界(ミデン)ってどんなところなんだ? オレたちに教えてくれよ」

「あのアフトの(ブラック)トリガー使いたちを追い返したって本当か?」

玄界(ミデン)の飯って美味いのか?」

 

ツグミに興味のある青年たちが矢継ぎ早に質問をするものだから、それに答える彼女は忙しい。

先に運ばれて来た山ぶどうのジュースを飲みながら楽しげに下士官たちと話を続ける。

一方、修は蚊帳の外にされており、ツグミたちのやり取りを眺めていた。

 

近界(ネイバーフッド)では若い女性が少ないってことだから、霧科先輩は超人気者なのかな? …いや、女性だからというだけでなく、ボーダーの人間だからというのでもなく、人として魅力があるから自然と人が集まってくるんだろうな。こういう食堂や市場なんかに集まる人から情報収集をするのも諜報部隊の仕事だと教わったけど、その環境に自然に溶け込める人間でないと難しいって言っていたっけ。その点では先輩みたいに誰にでも好かれるタイプは得意なんだろうな。ぼくじゃ溶け込むどころか完全に浮いてしまってスパイだってバレそう…)

 

修が考えるように諜報活動において相手にスパイ行為をしていることを悟られないようにして情報収集をするのであれば、ツグミのように物怖じせず自然に振舞うことができる性格は非常に有利となる。

未成年の女性であるから居酒屋や少々いかがわしい店への出入りは不可だが、普通の食堂や市場など女性が多くいる場所であれば違和感はない。

そして周囲の人間に合わせて会話を進め、いつの間にか必要な情報を集めて自然に去って行く。

アフトクラトル遠征では彼女が街の住民から情報を集め、その中でさらわれたC級隊員の居場所を見付けることができたのだった。

だから諜報活動の重要性はボーダー上層部も認めており、A級隊員の中から何人かがゼノンたちからその技術を学んでいて、拉致被害者市民救出計画にも参加している。

 

(あれ、いつの間にか全員が自分の席を離れて先輩のそばに集まって来ている。すごい人気だな。だけど先輩は平然と会話を楽しんでる。相手が近界民(ネイバー)でも関係ないんだ。同じ人間で同じように戦争なんかしないで親しい人たちと一緒に穏やかな毎日を過ごしたいと考えてるなら、お互いに目指すものは同じということで協力しようという話になる。実際にトリオンを必要としない技術を確立すればトリオン目当ての戦争がなくなるのは確かで、キオンはそれを目的にボーダーに協力してくれているんだからな。先輩には不思議な魅力がある。それもこの人の『力』のひとつで、武器(トリガー)を使わない戦いための武器なんだ)

 

ツグミが下士官たちに囲まれて楽しそうに話をしているうちに料理が運ばれて来た。

 

「お待たせ。これが当店自慢の熊肉の煮込みだ。さあ、食べてくれ」

 

ネーロは熱々の皿をふたつテーブルの上に置いた。

ひと口サイズの肉や根菜類がデミグラソースらしき赤いスープで煮込まれた料理だ。

ツグミはメノエイデスでウェルスに熊肉はご馳走であると聞かされていて、以前から熊料理に興味があった。

 

「では、いただきます」

 

ツグミは手を合わせていただきますを言うといきなり熊肉を口に入れる。

そしてもぐもぐしながらにっこりと笑い、十分に味わうと飲み込んだ。

 

「美味しい…。想像していたよりも獣臭さがなくて食べやすいです。獲ってきた熊をすぐに適切な処理をしたからでしょうね。臭の元となる脂身の部分を丁寧に取り除いてあって、時間をかけて煮込んであるのでとても柔らかいです。それに根菜の旨みが十分に引き出されていて、ソースの味をまろやかにしていますね」

 

ツグミが感じたままを素直に言葉にすると、ネーロは大喜びで言った。

 

「おお、嬢ちゃんはわかってるねぇ。この肉は北の山で獲ってきたとびきり上等な熊肉で、あんたが言うように丁寧に下処理をして、ワシが特別に調合したスパイスとソースで煮込んでいる。だからどこの店の熊肉料理より美味いんだ」

 

「名物料理が熊肉の煮込みだから店の名前が『赤熊亭』なんですね?」

 

ツグミがそう尋ねるとネーロは困ったような顔になり、周りの客たちは大笑いする。

訳がわからないツグミにひとりの下士官の青年が教えてくれた。

 

「赤熊ってのは大佐殿が現役だった頃のあだ名なんだよ。ほら、体格が熊みたいだし、ヒエムスの軍服はこんなカンジの紺色なんだけど、大佐殿の部隊はトリオン体の設定をいじって派手な赤色の軍服にしていたんだ。大佐殿は勇猛果敢なトリガー使いで、レプトの連中はほんの少しでも大佐殿の部隊の赤い軍服を見かけると一目散に撤退したくらいだ。それで部下たちから親しみを込めて『赤熊』って呼ばれていて、退役後に開いたこの店の名前を『赤熊亭』にしたってことなんだよ」

 

「なるほど…」

 

「でも戦場で真っ赤な軍服って普通はありえないだろ? 大佐殿だけならともかく部隊の兵士がみんな赤い軍服だなんて目立ってしまって敵の標的になるだけだってのに」

 

呆れた顔で言う青年にツグミは首を横に振ってから言う。

 

「そんなことはありませんよ。玄界(ミデン)でも同じようなことをした人がいますから。今から400年ちょっと前に国内がまだ群雄割拠の時代があり、その中で真田という武者とその部下の兵士が『赤備え』といって全身赤い色の防具で身を固めて、勇猛果敢に戦ったという事実があります。よほど自分の力に自信がなければできないことですし、それに従う部下も主のことを信頼しているから付き従うことができる。すごくかっこいいじゃないですか」

 

ツグミに褒められて気を良くしたネーロは元部下の客たちに自慢げに言った。

 

「ほ~ら、玄界(ミデン)からの客人の方がワシのことを理解しておる。ワシが姿を現すだけで敵は戦意を失い、そのおかげで戦わずして敵を撤退させたこともあったくらいだ。ワシの戦いっぷりが敵に知れ渡っていたことで、おまえたちが危険な目に遭わずに済んだのだと思えばワシにもっと感謝すべきだぞ」

 

「はいはい」

 

下士官の青年たちは「大佐殿には逆らえない」とばかりに自分の席に戻って食事を再開したのだった。

 

 

 

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