ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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509話

 

 

ボーダーの遠征部隊本隊が到着しないうちに事は進み、レプト軍のヒエムス遠征はわずか2時間弱で終結してしまった。

ヒエムス・レプト共にに人的被害はゼロで、トリオン兵はヒエムス側で1割弱、レプト側でも4割を失うに留まった。

戦闘が短時間で終わったためにこれだけの被害で済んだといえるのだが、それは総合外交政策局の局員による「工作」のおかげで、ツグミたちの支援がなかったらヒエムス・レプト両軍とも正面衝突をして大きな犠牲を生じていたことは明らかだ。

 

レプト軍の司令官であるボスマンの身柄はゼノンとリヌスによってヒエムス軍に引き渡され、トリガー使いと一般兵は軍総司令部内にある体育館に連行された。

彼らがおとなしく従ったのは大きな戦力となるトリガー使いが大量に投降してしまって戦闘が成り立たないという点と、ヒエムス側に「ミリアムの(ブラック)トリガーを使うキリシナ・ツグミがいる」という恐怖心によるものであった。

ボーダーの(ブラック)トリガー使いがヒエムスに加勢しているという事実はレプト軍、特にボスマンにとって想定外であり脅威となる。

ここでボーダーを怒らせることは()()()()()()不利となると判断した彼は部下たちにもヒエムス側に従うことを命じたのだった。

彼らの扱いはヒエムス軍の管轄だが、拉致被害者市民のトリガー使い26人に関しては総合外交政策局が対応することになっている。

ボーダーに助けを求めて逃げて来た保護すべき三門市民なのだから当然であり、ニクラスも彼らを捕虜ではなく亡命者として扱うことにした。

ツグミたちは彼らをヒエムス軍の兵士の寮に案内をし、これまでの経緯と帰国までの手続きについて説明をしている途中で本隊の遠征艇が到着したという一報が届き、感極まった彼らは抱き合ってこれまでの苦労が報われたと喜び合った。

 

本隊のメンバーはといえば到着してすぐにレプト軍がすでに降伏したと聞かされ、驚くと同時に残念がる者もいた。

特に太刀川や米屋のような戦闘狂(バトルジャンキー)は人型近界民(ネイバー)と戦うことを楽しみにして遠征に参加していたため、戦闘が終わっていたとなればショックを受けるのも無理はない。

仕方がないのでヒエムス軍の精鋭と呼ばれるトリガー使いに彼らの相手をしてもらって親善目的の模擬戦…ということになったのだが、ほとんど勝負にはならなかった。

近界民(ネイバー)のトリガー使いたちは上級者になれば専用トリガーを与えられるが、それ以外は規格化されたトリガーしか使えない。

これはボーダーでA級になると改造が可能になったり玉狛第1のように各自が専用トリガーを持つようになるが、B級では規格化されたトリガーのみであることと良く似ている。

しかし大きく違うのはボーダーでの訓練が個人(ソロ)だけでなく部隊(チーム)単位で行われることが多いのだが、ヒエムスに限らず近界民(ネイバー)個人(ソロ)での訓練しか行わないというのだ。

だから複数のトリガー使いが部隊(チーム)で戦うとなるとボーダー側にとって非常に有利である。

太刀川と米屋は別の部隊(チーム)であり普段から連携の訓練などしたことはないが、それぞれの戦い方を熟知しているので連携は難しくない。

ところが近界民(ネイバー)は協力をすることがあっても連携をすることはないため、2対2の模擬戦ではボーダー組の方が圧倒的に強かったのだ。

ランバネインの雷の羽(ケリードーン)やヒュースの蝶の楯(ランビリス)レベルの武器(トリガー)であればいい勝負となっただろうが、特に代わり映えのしない(ブレード)トリガーでは太刀川の旋空弧月に敵うものではない。

それにボーダーでは仮想戦闘モードによる訓練で好きなだけ技術を磨くことができるが、近界民(ネイバー)たちにはそれがないためにトリオンがなくなればそこで訓練はおしまいとなる。

かつてボーダーは近界(ネイバーフッド)へ遠征して現地の近界民(ネイバー)から武器(トリガー)を譲り受けたり奪ったりしたものを技術者(エンジニア)たちが解析し、それを独自に進化させたものを使っていたために玄界(ミデン)はトリガー後進国とみなされていた。

だが今では近界民(ネイバー)たちの技術を上回る武器(トリガー)を開発し、それを使用するトリガー使いたちの訓練も進んでいて、いつの間にか近界民(ネイバー)たちを驚愕させるほどの先進国になっていたのだ。

ちなみにストレス解消にならなかった太刀川に対しては三門市に帰ったら忍田が相手をしてやるということで収まりがついたのだった。

 

 

◆◆◆

 

 

遠征部隊本隊の仕事はレプト軍を迎え撃つ際の戦力の増強であったから、戦う相手がいない以上は()を持て余すだけ。

トリオン能力の高い千佳や麟児には遠征艇のトリオン補給という仕事があるが、そうでない者にとっては何もすることがない。

特にやることのない本隊メンバーたちは半日の休暇を与えられ、各自が好きに過ごすこととなった。

街へ遊びに出かけることも許可され、近界民(ネイバー)の街に興味などないという三輪もチームメイトに引っ張り出され、暖かな小春日和のような日差しの中を散策することにしたのだった。

 

 

三輪隊の4人が出かけたのは軍総司令部に近い市場である。

別に用事があるというわけではなく、なんとなくそちらに足を向けただけだ。

ボーダー隊員たちには日本円にして3000円程度の現地の通貨を渡されていて、それで土産を買うも良し、買い食いをするも良しということになっている。

 

「特に土産を買うってこともないだろうから、何かこれで美味いもんでも食わねえか?」

 

米屋の提案に反対する理由はなく、屋台の並んでいる広場の一角に4人はぞろぞろと歩いて行く。

ヒエムスの都市部では自宅でまともな料理を作って食べることができるのは比較的裕福な家庭だけで、庶民だと朝食は購入したパンとわずかな干し肉などの加工肉、昼食は朝の残りのパンで作った弁当や屋台で購入した軽食、そして夕食はリーズナブルな食堂で食べるというのが一般的である。

そのせいで比較的安価な屋台や食堂が多く、単身者にとってはありがたいのだそうだ。

 

「雰囲気がなんとなく中世から近世にかけてのヨーロッパの街並みってカンジですね」

 

古寺がそんな感想を口にすると、隣を歩いていた奈良坂が答えた。

 

「実際にトリオンの技術を除けば俺たちの世界のその時代とあまり変わらない文化レベルらしいからな。住民の顔つきや建物なんかが西洋風だからそう感じるんだろ。ドイツのメルヘン街道にある町に似ているな。アルスフェルトとかノイシュタットとか。古い木組みの家屋が並んでいるところなんかはテレビの旅行番組で見たことがある」

 

「じゃあ、食いもんもドイツっぽいのかな? ソーセージとかあったら食おうぜ。なあ、秀次も何か食いたいだろ?」

 

米屋は食べることしか頭にないようだ。

それも当然で、宿舎で食べた朝食だけでは物足りないためにさっきから腹の虫が騒いでいたのだった。

しかし三輪は興味なさそうな顔で言う。

 

「俺はいい。腹は減っていないし町にも興味はない。俺はここで待っているから、おまえたちは好きにしてくればいい」

 

「そうか? じゃあ、何か美味そうなものがあったら秀次の分も買って来てやるよ。朝があれっぽっちなんだから腹が減ってないわけがねぇもんな。そこで待ってろよ」

 

米屋は奈良坂と古寺の3人で屋台が多く並んでいる通りの方へ歩いて行った。

チームメイトの背中を見送った三輪は近くにあったベンチに腰掛けてぼんやりと空を見上げて自問自答する。

 

(アフト遠征ではC級を救出するためとアフトの奴らにひと泡吹かせてやりたいと思ったから参加したが、この遠征には参加する理由などなかった。近界民(ネイバー)のために戦うなんてボーダーの仕事じゃないし、もう拉致された市民を救出したんだからヒエムスなんて国は放っておけばいい。近界民(ネイバー)同士の戦いにボーダーが手を貸す理由なんてないというのに、なぜわざわざ出向いてやる必要がある? おまけにせっかく来てやったのにレプトの奴らが降伏して戦いは終わってるって…。同盟国ならまだしも単なる友好国でしかないちっぽけな国に何の価値がある? 俺は何のために来たんだ…?)

 

三輪にとってこのヒエムス遠征は無意味なものであったことは間違いない。

しかしならば遠征に不参加の意思を示せば済むはずで、仮に三輪隊が参加せずとも残りの部隊(チーム)だけで任務遂行できる計画に変更すれば良かったのだ。

米屋は参加する気まんまんでいたが、奈良坂と古寺は隊長である三輪に従っただけで、三輪本人がNOと言っても米屋は個人で参加することもできた。

今回の遠征は忍田がアフトクラトル遠征に参加した者にだけ声をかけ、その中で希望者を募ったのだから強制されたものではない。

 

姉の仇である近界民(ネイバー)が憎いという三輪の気持ちはボーダー内に同様の境遇を持つ者も多いから周囲の人間も理解してくれている。

しかし6年経った今でもずっと引きずっているのは彼くらいなものだろう。

他の人間が冷淡で彼だけが人の心を持っているというのではなく、多くの人間が心の整理ができて過去を振り返らずに前を向いて歩いているだけで、むしろ未だに過去に囚われている彼の方が稀な存在だ。

それだけ姉のことを大事に思っていたという証拠なのだが、そのせいで近界民(ネイバー)を憎み続けるのは彼自身を疲弊させるだけである。

第一次近界民(ネイバー)侵攻直後であれば、その憎しみを生きる糧にすることもアリだったがもうそんなものに縋ってばかりではいけない。

ボーダーに入隊してしばらくは近界民(ネイバー)への復讐しか頭になかったために隊務規定に背くような行為も見られたが、忍田によって旧東隊に()()()()()()ことでだいぶ落ち着いてきた。

さらに遊真がこちら側の世界にやって来たことをきっかけに嵐山に諭され、遊真を含めた近界民(ネイバー)と関わることによって徐々に心境に変化が見られるようになっている。

もしかしたら近界民(ネイバー)を憎み続けることに疲れてきたのではないだろうか?

三門市に敵として現れる近界民(ネイバー)の数は激減し、世論では「すべての近界民(ネイバー)が悪ではなく、良い近界民(ネイバー)なら仲良くしよう」という風潮になっているために、彼自身の心の中にある「近界民(ネイバー)は殲滅すべし」という信念のようなものも揺らぎつつあった。

しかしだからといって今さら近界民(ネイバー)と仲良く付き合っていくことはできず、どうしたらいいのか迷っているといったところだろう。

自分でもどうしたら良いのかわからず、相談したくても適当な人物がいないという状況の中での近界(ネイバーフッド)遠征参加である。

ボーダーという組織の過渡期においてボーダー隊員の中には多かれ少なかれ彼と同じような悩みを抱いている者はいるはずで、今後の近界民(ネイバー)との付き合い方を考えるきっかけとなる出来事のひとつになるはずだ。

現に三輪は悩んでいて、自分自身の判断や行動にすら理由がわからないでいた。

 

三輪は視線を街の中へ向けた。

目の前にある風景は三門市のそれとは大きく違うが、人々の表情は朗らかで何ら変わるところはない。

 

(別にこいつらが姉さんを殺したんじゃない。近界民(ネイバー)といってもこいつらは無関係だ。第一次侵攻の犯人はエクトスって国の連中で、それも政府が張本人でこいつらみたいな庶民ではない。こいつらを恨むってのはお門違いってもんだ。それにしても俺みたいなアンチ近界民(ネイバー)がこんなところでぼんやりしているなんて滑稽だな、フッ…)

 

自嘲気味に笑う三輪。

以前の彼であったら戦場なら喜んで向かっただろうが、こうした平和な近界民(ネイバー)の街などに足を踏み入れることもなかったはず。

それだけ彼の心境に変化があった証拠で、近界民(ネイバー)に対する憎しみも薄れてきたということだ。

 

 

 

 

そんな三輪に声をかける7-8歳くらいの少年がいた。

 

「お兄ちゃん、こんなところで何をしてるの?」

 

三輪にはそれが自分に対して呼びかけたのだと気付かず、視線を人々の群れに向けたままでいる。

 

「ねえ、お兄ちゃんはこの辺の人じゃないよね? どっか遠くから来たの?」

 

三輪に振り向いてもらおうと少年は声をかけ続け、反応がないのでジャケットの裾を引っ張った。

ようやく少年の存在に気付いた三輪は怪訝そうな顔で言う。

 

「なんだ、小僧。俺に何か用なのか?」

 

「小僧じゃない。ぼくにはトールって名前があるんだ」

 

「ふ~ん…。で、俺に何の用だ?」

 

面倒くさいと思いながらも無視するわけにもいかず相手をしてやることにした三輪。

トールは興味津々という目で三輪を見ながら訊いた。

 

「お兄ちゃんはこの辺で初めて見る顔だけど、どこから来たの?」

 

「おまえが知らないずっと遠いところからだ」

 

「遠いところって…もしかして玄界(ミデン)?」

 

「何でそう思うんだ?」

 

「だってヒエムスでは黒い髪の人って珍しいんだよ。それでぼくの知っている女の人に同じように黒い髪の人がいて、その人は家族と一緒に玄界(ミデン)に行ってしまったから」

 

トールの言う黒髪の女性とは拉致被害者市民のひとりなのだと三輪は察した。

 

「なるほどな。たしかに俺は玄界(ミデン)から来た。おまえたちの国がレプトと戦争になりそうだってことで加勢に来たんだが ──」

 

三輪が最後まで言わないうちにトールは目を輝かせて叫んだ。

 

「じゃあ、お兄ちゃんはトリガー使いなんだね!」

 

「あ、ああ…」

 

「すごいなぁ…。ぼくもトリガー使いになって姉ちゃんを守る強い男になりたいんだ」

 

「おまえには姉ちゃんがいるのか?」

 

「うん。…5年前に母さんが死んでからずっとぼくのことを育ててくれた優しくて美人で世界で一番の姉ちゃんなんだ」

 

嬉しそうに姉の自慢をするトールに少し嫉妬をしながらも、かつて自分がそうだったと思い出して姉の笑顔を脳裏に浮かべた。

するとトールが三輪に言う。

 

「お兄ちゃん、さっきよりも顔が優しくなったね。もしかしたらぼくの姉ちゃんのことを想像した?」

 

「バカを言うな! …いや、俺にも姉さんがいたから思い出していただけだ」

 

「へえ~…お兄ちゃんにも姉ちゃんがいたんだ。…あれ? いた、ってことは今はいないの?」

 

トールの問いに三輪はムッとした顔で答える。

 

近界民(ネイバー)に殺された。もう6年も前のことだ」

 

するとトールは申し訳なさそうな顔になって言う。

 

「ごめんなさい」

 

「何、謝ってんだ。おまえが悪いわけじゃない。もちろんおまえの家族もこの国の人間も悪くない。だからおまえが謝ることはないんだ」

 

そう言って三輪はトールの頭をポンポンと軽く叩いた。

 

「お兄ちゃんって優しいね」

 

「ちっ、優しくなんかねぇよ。俺は事実を言っただけだ。それと姉ちゃんを大切にしろよ」

 

「わかってるよ」

 

トールはそう言ってから思い出したかのように続けた。

 

「そういえば玄界(ミデン)から分けてもらった薬を飲み始めてからは、姉ちゃんは体調が良くなったって言ってた。国王陛下の命令でこの街に住む女の人は全員お医者さんの診察を受けて、姉ちゃんは薬を飲むように言われたんだ。これまで疲れやすくてすぐに息切れがするって言ってたのに、最近ではそんなことがなくなったんだってさ。それと貴族とか金持ちしか牛や豚の肉は食えないんだけど、肝臓の部分だけは庶民に安く分け与えるようにという命令も出て女の人は優先的に肝臓を食べるようにってことで、そしたら身体の調子が良くなったって近所の人も言ってた。玄界(ミデン)ってすごいね。誰にも治せなかった病気を治す方法を知ってるんだから」

 

トールが満面の笑みを浮かべて言うものだから、三輪も自然と表情が緩んだ。

 

「治るっていっても常に食事に気を付けないとダメだし、なによりも家族が支えてやらなきゃいけない。俺にはできなかったがおまえの姉ちゃんは生きているんだからな」

 

「うん。…あっ、姉ちゃんが来た! 姉ちゃん、こっちだよ!」

 

「え?」

 

トールがいきなり立ち上がると元気良く手を振り出したので、三輪は驚いて彼の視線を追うとそこには16-7歳くらいのロングヘアの美少女が大きな買い物かごを抱えて歩いていた。

 

「トール!」

 

少女もトールの姿を見付けると右手で荷物を持って左手を大きく上げて振った。

 

「……」

 

三輪には彼女の笑顔が慈愛に満ちた聖母のように見え、自分の姉の姿と重ねてしまい胸がギュッと締めつけられる。

おまけに彼女の声までもが似ているように感じられ、彼女の向かって駆け出すトールに続いて自らもフラフラと立ち上がって後を追おうとすると突然背後から肩を掴まれた。

 

「秀次、おっ待たせ~」

 

「おわっ? …なんだ陽介か。驚かすなよ」

 

片手に小さな紙袋をふたつ持ち、もう片方の手で三輪の肩を叩いたのは米屋であった。

 

「別に驚かすつもりはなかったんだけどよ。何見てたんだ?」

 

「いや、別に…」

 

三輪は口ごもるが、三輪の視線の先に少女とその弟らしき少年が仲睦まじそうにしている光景があったものだから米屋にはすぐにわかってしまった。

 

近界民(ネイバー)っていってもオレらと同じだよな。美味いもん食えば幸せだし、家族や仲間と一緒にいると楽しい。悪い奴もいれば良い奴もいて、戦争やりたい奴らはひと握りの権力者で、ここらにいる連中はオレらと同じで戦争なんてもんには関わりたくない平和な日常を送りたい普通の良い奴らばっかりだ」

 

「ああ。大切なものに囲まれて生きていきたいから、その大切なものを守れる強い人間になりたい。俺たちと同じだ」

 

三輪が近界民(ネイバー)に対して理解ある態度を示したものだから、三輪は少し驚いたが良い傾向だと笑顔になった。

するとトールとその姉が三輪たちの方に近付いて来る。

そして少女が三輪に微笑みながら言った。

 

「弟の話し相手になってくださってありがとうございました。この子は人懐っこいものですから知らない人にでもすぐに声をかけて話をしたがるんです」

 

自分の姉を思い出させる美少女に話しかけられたものだから、三輪は顔を真っ赤にしてぎこちなく笑みを浮かべた。

 

「いえ、トールと話をしていて楽しかったですよ。友人と待ち合わせをしていたところ暇つぶしができたので、こっちこそ感謝しています」

 

「そんな、感謝だなんて…。わたしこそ玄界(ミデン)からいただいたお薬のおかげでこうして買い物に出ることもできるようになりましたので玄界(ミデン)のみなさんには感謝しています。数ヶ月前まではすぐに息切れをしてしまって買い物どころか炊事洗濯もままならない状態でした。弟にも面倒をかけてしまいましたが、今では毎日元気に過ごすことができるんです。国王陛下が国民の健康を第一に考えてくださったからですが、やはり玄界(ミデン)の代表の方がわたしたちのような庶民に対して気を配ってくれたからだと思うんです。その方に直接お礼を言うことはできませんが、あなたにこの気持ちをお伝えすればその方にも伝わるんじゃないかという自己満足でしかないんですけどね」

 

三輪は「その方」がツグミであることはすぐにわかった。

遠征に参加する際に忍田から説明があり、拉致被害者市民の救出のためにその代価として大量の医薬品や栄養補助食品の提供を行っていることを聞かされていたからだ。

その時には偽善だと感じていたが、こうして実際にその恩恵を受けて喜んでいる人間と面と向かってみると意味のある行為に思えてきた。

なによりもこれまで敵だと盲信していた近界民(ネイバー)と会話を交わすだけでなく感謝されて嬉しくなるなど彼にとってはコペルニクス的転回で、これまでずっと胸の底にあった近界民(ネイバー)への憎しみが少女の微笑みと感謝の気持ちによって払拭されてしまったのだった。

単純だが三輪の近界民(ネイバー)への憎悪は姉を殺されたことによるものだから、彼女に似ている少女 ── 容姿が似ているわけではないが、少なくとも三輪には似ていると感じられた ── から「許し」を与えられたと感じたならば6年間の心の澱みは一気に洗い清められたとしてもおかしくはない。

 

三輪は素直な気持ちで少女に言った。

 

「あなたの言う『その人』のことを俺は良く知っている。あなたと同じくらいの年齢で、近界民(ネイバー)に対して偏見のない女子だ。あなたの気持ちを伝えておくよ」

 

すると少女ははにかみながら礼を言う。

 

「ありがとうございます。…でもわたし、女子と呼ばれるような年齢ではないんですよ。今年で21歳ですから」

 

「あ…すみません。すごく若く見えたので勘違いしてしまいました」

 

三輪は慌てて謝罪し、そして思い出した。

 

(そういえば近界民(ネイバー)の庶民は十分な栄養が摂れないくて成長が遅いんだったな。近界(ネイバーフッド)はどこも食料事情が悪く、栄養バランスが悪いから成長にも影響があるってことか。もしかしたらトールも幼く見えるが12-3歳くらいなのかもしれないな)

 

三輪がそう思ったようにトールは13歳であった。

来年の春には軍の幼年学校に入学し、トリガー使いとなるために勉強と訓練の毎日となる。

そうなれば家族と別れての寮生活となり、大好きな姉にもなかなか会えなくなる。

しかし姉を守るためにはトリガー使いにならなくてはと考えていて、三輪がトリガー使いだと知ると彼への憧れや尊敬の気持ちで接していたのだった。

 

一方、三輪が美少女と親しげに話している様子を米屋は少し離れた場所からニヤニヤしながら見守っていた。

 

(姉さんと弟…幸せそうなこの組み合わせの近界民(ネイバー)を見て笑顔でいられるようになったか。以前の秀次なら近界民(ネイバー)ってだけで拒絶反応を起こしていただろうし、自分の姉さんは近界民(ネイバー)に殺されたのに何でこいつらは生きてんだって怒りまくっただろう。だけどいつまでも怒りや恨みで生きていくのは本人にとっても辛いだろうし、そばで見ているオレもけっこう辛かった。おまえが過去に囚われていては姉さんだって辛くて哀しかったとオレは思う。だから今のおまえを見れば姉さんだって喜ぶにちがいない。良かったな、秀次)

 

 

それからまもなく奈良坂と古寺が戻って来て4人が合流し、三輪は名残惜しいとは思いながらも仲間たちと一緒に戻ることにした。

別れ際にトールが言う。

 

「お兄ちゃん、また遊びに来てね」

 

「ああ、いつになるかわからないがきっとまた来る」

 

三輪は自分でも意外はことを口にしてしまったものだから少し驚いた。

しかしそれは本心であり、決して社交辞令などではない。

近界民(ネイバー)の国へ近界民(ネイバー)に会うために行く。

以前の彼であれば絶対にありえない穏やかな笑顔に米屋たちは安堵し、彼に釣られて一緒に微笑んだ。

 

 

 

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