ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
ボーダーの遠征部隊本隊が到着しないうちに事は進み、レプト軍のヒエムス遠征はわずか2時間弱で終結してしまった。
ヒエムス・レプト共にに人的被害はゼロで、トリオン兵はヒエムス側で1割弱、レプト側でも4割を失うに留まった。
戦闘が短時間で終わったためにこれだけの被害で済んだといえるのだが、それは総合外交政策局の局員による「工作」のおかげで、ツグミたちの支援がなかったらヒエムス・レプト両軍とも正面衝突をして大きな犠牲を生じていたことは明らかだ。
レプト軍の司令官であるボスマンの身柄はゼノンとリヌスによってヒエムス軍に引き渡され、トリガー使いと一般兵は軍総司令部内にある体育館に連行された。
彼らがおとなしく従ったのは大きな戦力となるトリガー使いが大量に投降してしまって戦闘が成り立たないという点と、ヒエムス側に「ミリアムの
ボーダーの
ここでボーダーを怒らせることは
彼らの扱いはヒエムス軍の管轄だが、拉致被害者市民のトリガー使い26人に関しては総合外交政策局が対応することになっている。
ボーダーに助けを求めて逃げて来た保護すべき三門市民なのだから当然であり、ニクラスも彼らを捕虜ではなく亡命者として扱うことにした。
ツグミたちは彼らをヒエムス軍の兵士の寮に案内をし、これまでの経緯と帰国までの手続きについて説明をしている途中で本隊の遠征艇が到着したという一報が届き、感極まった彼らは抱き合ってこれまでの苦労が報われたと喜び合った。
本隊のメンバーはといえば到着してすぐにレプト軍がすでに降伏したと聞かされ、驚くと同時に残念がる者もいた。
特に太刀川や米屋のような
仕方がないのでヒエムス軍の精鋭と呼ばれるトリガー使いに彼らの相手をしてもらって親善目的の模擬戦…ということになったのだが、ほとんど勝負にはならなかった。
これはボーダーでA級になると改造が可能になったり玉狛第1のように各自が専用トリガーを持つようになるが、B級では規格化されたトリガーのみであることと良く似ている。
しかし大きく違うのはボーダーでの訓練が
だから複数のトリガー使いが
太刀川と米屋は別の
ところが
ランバネインの
それにボーダーでは仮想戦闘モードによる訓練で好きなだけ技術を磨くことができるが、
かつてボーダーは
だが今では
ちなみにストレス解消にならなかった太刀川に対しては三門市に帰ったら忍田が相手をしてやるということで収まりがついたのだった。
◆◆◆
遠征部隊本隊の仕事はレプト軍を迎え撃つ際の戦力の増強であったから、戦う相手がいない以上は
トリオン能力の高い千佳や麟児には遠征艇のトリオン補給という仕事があるが、そうでない者にとっては何もすることがない。
特にやることのない本隊メンバーたちは半日の休暇を与えられ、各自が好きに過ごすこととなった。
街へ遊びに出かけることも許可され、
三輪隊の4人が出かけたのは軍総司令部に近い市場である。
別に用事があるというわけではなく、なんとなくそちらに足を向けただけだ。
ボーダー隊員たちには日本円にして3000円程度の現地の通貨を渡されていて、それで土産を買うも良し、買い食いをするも良しということになっている。
「特に土産を買うってこともないだろうから、何かこれで美味いもんでも食わねえか?」
米屋の提案に反対する理由はなく、屋台の並んでいる広場の一角に4人はぞろぞろと歩いて行く。
ヒエムスの都市部では自宅でまともな料理を作って食べることができるのは比較的裕福な家庭だけで、庶民だと朝食は購入したパンとわずかな干し肉などの加工肉、昼食は朝の残りのパンで作った弁当や屋台で購入した軽食、そして夕食はリーズナブルな食堂で食べるというのが一般的である。
そのせいで比較的安価な屋台や食堂が多く、単身者にとってはありがたいのだそうだ。
「雰囲気がなんとなく中世から近世にかけてのヨーロッパの街並みってカンジですね」
古寺がそんな感想を口にすると、隣を歩いていた奈良坂が答えた。
「実際にトリオンの技術を除けば俺たちの世界のその時代とあまり変わらない文化レベルらしいからな。住民の顔つきや建物なんかが西洋風だからそう感じるんだろ。ドイツのメルヘン街道にある町に似ているな。アルスフェルトとかノイシュタットとか。古い木組みの家屋が並んでいるところなんかはテレビの旅行番組で見たことがある」
「じゃあ、食いもんもドイツっぽいのかな? ソーセージとかあったら食おうぜ。なあ、秀次も何か食いたいだろ?」
米屋は食べることしか頭にないようだ。
それも当然で、宿舎で食べた朝食だけでは物足りないためにさっきから腹の虫が騒いでいたのだった。
しかし三輪は興味なさそうな顔で言う。
「俺はいい。腹は減っていないし町にも興味はない。俺はここで待っているから、おまえたちは好きにしてくればいい」
「そうか? じゃあ、何か美味そうなものがあったら秀次の分も買って来てやるよ。朝があれっぽっちなんだから腹が減ってないわけがねぇもんな。そこで待ってろよ」
米屋は奈良坂と古寺の3人で屋台が多く並んでいる通りの方へ歩いて行った。
チームメイトの背中を見送った三輪は近くにあったベンチに腰掛けてぼんやりと空を見上げて自問自答する。
(アフト遠征ではC級を救出するためとアフトの奴らにひと泡吹かせてやりたいと思ったから参加したが、この遠征には参加する理由などなかった。
三輪にとってこのヒエムス遠征は無意味なものであったことは間違いない。
しかしならば遠征に不参加の意思を示せば済むはずで、仮に三輪隊が参加せずとも残りの
米屋は参加する気まんまんでいたが、奈良坂と古寺は隊長である三輪に従っただけで、三輪本人がNOと言っても米屋は個人で参加することもできた。
今回の遠征は忍田がアフトクラトル遠征に参加した者にだけ声をかけ、その中で希望者を募ったのだから強制されたものではない。
姉の仇である
しかし6年経った今でもずっと引きずっているのは彼くらいなものだろう。
他の人間が冷淡で彼だけが人の心を持っているというのではなく、多くの人間が心の整理ができて過去を振り返らずに前を向いて歩いているだけで、むしろ未だに過去に囚われている彼の方が稀な存在だ。
それだけ姉のことを大事に思っていたという証拠なのだが、そのせいで
第一次
ボーダーに入隊してしばらくは
さらに遊真がこちら側の世界にやって来たことをきっかけに嵐山に諭され、遊真を含めた
もしかしたら
三門市に敵として現れる
しかしだからといって今さら
自分でもどうしたら良いのかわからず、相談したくても適当な人物がいないという状況の中での
ボーダーという組織の過渡期においてボーダー隊員の中には多かれ少なかれ彼と同じような悩みを抱いている者はいるはずで、今後の
現に三輪は悩んでいて、自分自身の判断や行動にすら理由がわからないでいた。
三輪は視線を街の中へ向けた。
目の前にある風景は三門市のそれとは大きく違うが、人々の表情は朗らかで何ら変わるところはない。
(別にこいつらが姉さんを殺したんじゃない。
自嘲気味に笑う三輪。
以前の彼であったら戦場なら喜んで向かっただろうが、こうした平和な
それだけ彼の心境に変化があった証拠で、
◆
そんな三輪に声をかける7-8歳くらいの少年がいた。
「お兄ちゃん、こんなところで何をしてるの?」
三輪にはそれが自分に対して呼びかけたのだと気付かず、視線を人々の群れに向けたままでいる。
「ねえ、お兄ちゃんはこの辺の人じゃないよね? どっか遠くから来たの?」
三輪に振り向いてもらおうと少年は声をかけ続け、反応がないのでジャケットの裾を引っ張った。
ようやく少年の存在に気付いた三輪は怪訝そうな顔で言う。
「なんだ、小僧。俺に何か用なのか?」
「小僧じゃない。ぼくにはトールって名前があるんだ」
「ふ~ん…。で、俺に何の用だ?」
面倒くさいと思いながらも無視するわけにもいかず相手をしてやることにした三輪。
トールは興味津々という目で三輪を見ながら訊いた。
「お兄ちゃんはこの辺で初めて見る顔だけど、どこから来たの?」
「おまえが知らないずっと遠いところからだ」
「遠いところって…もしかして
「何でそう思うんだ?」
「だってヒエムスでは黒い髪の人って珍しいんだよ。それでぼくの知っている女の人に同じように黒い髪の人がいて、その人は家族と一緒に
トールの言う黒髪の女性とは拉致被害者市民のひとりなのだと三輪は察した。
「なるほどな。たしかに俺は
三輪が最後まで言わないうちにトールは目を輝かせて叫んだ。
「じゃあ、お兄ちゃんはトリガー使いなんだね!」
「あ、ああ…」
「すごいなぁ…。ぼくもトリガー使いになって姉ちゃんを守る強い男になりたいんだ」
「おまえには姉ちゃんがいるのか?」
「うん。…5年前に母さんが死んでからずっとぼくのことを育ててくれた優しくて美人で世界で一番の姉ちゃんなんだ」
嬉しそうに姉の自慢をするトールに少し嫉妬をしながらも、かつて自分がそうだったと思い出して姉の笑顔を脳裏に浮かべた。
するとトールが三輪に言う。
「お兄ちゃん、さっきよりも顔が優しくなったね。もしかしたらぼくの姉ちゃんのことを想像した?」
「バカを言うな! …いや、俺にも姉さんがいたから思い出していただけだ」
「へえ~…お兄ちゃんにも姉ちゃんがいたんだ。…あれ? いた、ってことは今はいないの?」
トールの問いに三輪はムッとした顔で答える。
「
するとトールは申し訳なさそうな顔になって言う。
「ごめんなさい」
「何、謝ってんだ。おまえが悪いわけじゃない。もちろんおまえの家族もこの国の人間も悪くない。だからおまえが謝ることはないんだ」
そう言って三輪はトールの頭をポンポンと軽く叩いた。
「お兄ちゃんって優しいね」
「ちっ、優しくなんかねぇよ。俺は事実を言っただけだ。それと姉ちゃんを大切にしろよ」
「わかってるよ」
トールはそう言ってから思い出したかのように続けた。
「そういえば
トールが満面の笑みを浮かべて言うものだから、三輪も自然と表情が緩んだ。
「治るっていっても常に食事に気を付けないとダメだし、なによりも家族が支えてやらなきゃいけない。俺にはできなかったがおまえの姉ちゃんは生きているんだからな」
「うん。…あっ、姉ちゃんが来た! 姉ちゃん、こっちだよ!」
「え?」
トールがいきなり立ち上がると元気良く手を振り出したので、三輪は驚いて彼の視線を追うとそこには16-7歳くらいのロングヘアの美少女が大きな買い物かごを抱えて歩いていた。
「トール!」
少女もトールの姿を見付けると右手で荷物を持って左手を大きく上げて振った。
「……」
三輪には彼女の笑顔が慈愛に満ちた聖母のように見え、自分の姉の姿と重ねてしまい胸がギュッと締めつけられる。
おまけに彼女の声までもが似ているように感じられ、彼女の向かって駆け出すトールに続いて自らもフラフラと立ち上がって後を追おうとすると突然背後から肩を掴まれた。
「秀次、おっ待たせ~」
「おわっ? …なんだ陽介か。驚かすなよ」
片手に小さな紙袋をふたつ持ち、もう片方の手で三輪の肩を叩いたのは米屋であった。
「別に驚かすつもりはなかったんだけどよ。何見てたんだ?」
「いや、別に…」
三輪は口ごもるが、三輪の視線の先に少女とその弟らしき少年が仲睦まじそうにしている光景があったものだから米屋にはすぐにわかってしまった。
「
「ああ。大切なものに囲まれて生きていきたいから、その大切なものを守れる強い人間になりたい。俺たちと同じだ」
三輪が
するとトールとその姉が三輪たちの方に近付いて来る。
そして少女が三輪に微笑みながら言った。
「弟の話し相手になってくださってありがとうございました。この子は人懐っこいものですから知らない人にでもすぐに声をかけて話をしたがるんです」
自分の姉を思い出させる美少女に話しかけられたものだから、三輪は顔を真っ赤にしてぎこちなく笑みを浮かべた。
「いえ、トールと話をしていて楽しかったですよ。友人と待ち合わせをしていたところ暇つぶしができたので、こっちこそ感謝しています」
「そんな、感謝だなんて…。わたしこそ
三輪は「その方」がツグミであることはすぐにわかった。
遠征に参加する際に忍田から説明があり、拉致被害者市民の救出のためにその代価として大量の医薬品や栄養補助食品の提供を行っていることを聞かされていたからだ。
その時には偽善だと感じていたが、こうして実際にその恩恵を受けて喜んでいる人間と面と向かってみると意味のある行為に思えてきた。
なによりもこれまで敵だと盲信していた
単純だが三輪の
三輪は素直な気持ちで少女に言った。
「あなたの言う『その人』のことを俺は良く知っている。あなたと同じくらいの年齢で、
すると少女ははにかみながら礼を言う。
「ありがとうございます。…でもわたし、女子と呼ばれるような年齢ではないんですよ。今年で21歳ですから」
「あ…すみません。すごく若く見えたので勘違いしてしまいました」
三輪は慌てて謝罪し、そして思い出した。
(そういえば
三輪がそう思ったようにトールは13歳であった。
来年の春には軍の幼年学校に入学し、トリガー使いとなるために勉強と訓練の毎日となる。
そうなれば家族と別れての寮生活となり、大好きな姉にもなかなか会えなくなる。
しかし姉を守るためにはトリガー使いにならなくてはと考えていて、三輪がトリガー使いだと知ると彼への憧れや尊敬の気持ちで接していたのだった。
一方、三輪が美少女と親しげに話している様子を米屋は少し離れた場所からニヤニヤしながら見守っていた。
(姉さんと弟…幸せそうなこの組み合わせの
それからまもなく奈良坂と古寺が戻って来て4人が合流し、三輪は名残惜しいとは思いながらも仲間たちと一緒に戻ることにした。
別れ際にトールが言う。
「お兄ちゃん、また遊びに来てね」
「ああ、いつになるかわからないがきっとまた来る」
三輪は自分でも意外はことを口にしてしまったものだから少し驚いた。
しかしそれは本心であり、決して社交辞令などではない。
以前の彼であれば絶対にありえない穏やかな笑顔に米屋たちは安堵し、彼に釣られて一緒に微笑んだ。