ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
かつては多くの国と交流があったことで頻繁に使用されていた迎賓館だが、現在ではほぼ鎖国のようなことをしているために使われなくなった建物にツグミたちは案内された。
もっとも迎賓館といっても名ばかりで、実際には軍の高級士官の宿舎レベルの質素なものだ。
なにしろ数十年前から国賓と呼べる客はいなくなり、ごく稀に
そしてツグミと遊真が案内された部屋は20年以上前に使用されたきりで、以降は一度も使われていないとイェルンは言う。
「ツグミ、きみはこの部屋を使うといい。ここはかつてきみの父上、つまりオリバが滞在していた部屋だ。そして隣のユーマの部屋はユーゴが使っていた部屋。こうして時を経てそれぞれの子供たちが使うことになるとは想像もしていなかったよ」
その話を聞いてツグミは部屋の中をぐるりと見渡した。
(わたしが知るのは霧科織羽のことだけだけど、ここにはエウクラートンのオリバが存在した証がある。イェルン少佐は父のことを知っていて、ここであったことを話してくれるってことだから楽しみに待ってよう)
「ああ、夕食は私とトリュスときみたちの
「わかりました」
「久しぶりにユーゴやオリバの話ができると思うと私も楽しみだよ。じゃあ、あとで」
そう言い残して部屋を出て行くイェルンの後ろ姿を見ながらツグミは織羽、そして遊真とレプリカは有吾の姿を重ねていた。
◆
夕食はイェルンの馴染みの料理屋へ行き、個室で会食をすることになった。
料理は特に豪華でも質素でもないものだが、すべての食材がトロポイ国内で生産されたものだということだからすごいとツグミは感激した。
それが政府主体であったり個人の取引であったりはするものの、そうやって生活を豊かにしていく。
しかしトロポイは国の存在自体を隠しているから他国との接触は限られていて、99パーセントは自給自足で済ませているのだそうだ。
この国には
アフトクラトルのヴィザがトロポイという国の名と自立トリオン兵の存在を知っていたのは、彼がその前からトリガー使いとして様々な国へ侵攻していたからであろう。
その後のトロポイは戦争を放棄したのだが、アフトクラトルのような軍事強国がその技術を狙って侵攻してくることが度々あり、有吾とオリバが偶然この国に立ち寄った時も戦争の真っ只中であったのだ。
彼らのようにトロポイを目指してやって来るのではなく偶然にたどり着いてしまう「客」も年に数件あるらしく、その多くは記憶を操作されて何も覚えていないままに国外へ
有吾とオリバの場合はトロポイが危機に陥っていた時に援軍として戦い、勝利に導いたという国益に適う人物であったために「約束」を守ることを条件に記憶はそのままふたりは
その「約束」とはトロポイに関する情報を他人に漏らさないことで、ふたりは自分の子供たちにすら話さなかったことは彼らが信義に厚い誠実な人物であった証拠だ。
だからこそトロポイ側もツグミたちのことを容易に受け入れたのだろう。
もっともレプリカが彼女を認めたのだから国益に反することはないという確信があったわけだが、イェルンは彼女と話しているうちに彼女自身を道義を重んじる人間だと判断したことで、話は順調に進んでいる。
すでに軍総司令官まで報告は上げられていて、明日の朝一番には宰相を経由して国王へと伝えられるだろうとのこと。
約20年前の戦争で有吾とオリバを英雄として称えた本人であるから、きっとツグミと遊真のことを歓迎して最大限の援助はしてくれるはずだとイェルンは伝えた。
◆
その後、イェルンが出会った有吾とオリバという同世代の青年たちの「昔話」をしてくれた。
エウクラートンを脱出した有吾とオリバはキオンの追っ手を逃れるために立ち寄った国でいくつかの工作を行い、有吾の故郷である
その途中で彼らの艇のエンジンが故障をしてトロポイに不時着をしたのだが戦争の真っ只中であったため、祖国と同胞を守るために不利な条件ながらも必死になって戦っているトロポイ軍に味方することになった。
その時にオリバはミリアムの
敵は
通常ならここで敵を撤退させれば終わるものなのだがそれでは次の侵攻を許してしまい、逃げた敵から情報を得た新たなる敵が生まれる可能性もある。
そこで残った敵をすべて無力化し、彼らの記憶を消去した。
トロポイへ侵攻したことはもちろんのこと、トロポイという名称すら彼らの記憶から消されてしまったために
こうして数ヶ月に及ぶ戦いはトロポイが辛勝という結果に終わり、破壊された国土はトリガーによって復旧を目指すことになる。
しかし犠牲は大きいものがあった。
いくら優れたトリオン兵や
この戦いでは兵士と民間人合わせて300人以上の犠牲者と1000人近くの負傷者が出た。
その負傷者の中にオリバがおり、イェルンの命を救う代償として左腕を失うことになったのだった。
そこで当時から優れた医療面のトリガー
その2ヶ月間に有吾はレプリカを作成し、旅のサポートを任せることにしたという。
レプリカによるとそこから先はトラブルに巻き込まれることはなく、無事に
ただしレプリカが当時のトロポイの最先端技術によって作られたものであるため、城戸や最上たちにも内緒であった。
だから城戸たちはレプリカの存在を知らなかったのだ。
その後のオリバは霧科織羽という
ここから先はツグミが知っている織羽の話、遊真が経験をした有吾との旅とカルワリアでの有吾の最期の話をイェルンとトリュスに話した。
それを聞いていたイェルンとトリュスは朋友がもうこの世にいないことを哀しみ、話が終わると献杯をしたのだった。
有吾だけでなく織羽もトロポイと深い関わりがあることを知ったことはツグミにとって大きな収穫であった。
しかしトロポイで知り得た情報は口外することはできず、自分の胸に納めておかなければならない。
それはツグミ自身が信頼されたから教えてもらえた情報であって、城戸や忍田たちが信頼に足りうると認めてもらえていない以上は伝えることはできないからだ。
(それでも霧科織羽ではなくエウクラートのオリバという人物の謎がわかったことは良かった。…そうなるとボーダーを立ち上げて第一次侵攻後の新体制になるまでの間のトリオンの入手先はお父さんの持っていた
ツグミだけでなく遊真にとっても自分の知らない
しかし彼にとって一番の目的は延命手段を得ることで、それが叶わなければこの旅の意味はなくなってしまう。
だから単純に喜んでばかりはいられず、すべてはトリュスの技術とその技術を他国の人間に譲渡することを許可してくれる国王の寛容さに任せるしかないのだ。
会食が終わるとレプリカはトリュスとともに
明日の朝までには
それによってわずかでも遊真の
◆◆◆
翌朝、ツグミと遊真が一緒に食事をしていると、そこに国王の使者だという青年が現れて「国王陛下がおふたりを昼食にご招待したいそうです」と告げた。
その意味するものは彼女たちを国賓として認めたということで、遊真の新しいトリガー製作に許しが出たということにもなる。
そしてそのすぐ後にトリュスがレプリカを伴ってやって来て、「レプリカ
「見た目はまったく変わっていないし思考や記憶に関わる回路も弄ってはいない。ただトリオンを周囲にいる人間から集めてそれを原動力として作動する機能をつけただけだ。そしてここが重要な点なんだが、ユーマとツグミのふたりのトリオンの情報を記憶させ、きみたちのトリオンは吸収しないようにした。特にユーマからトリオンを吸収してしまったら身も蓋もないからな」
トリュスの詳しい説明を聞いても理解できた部分はわずかであったが、それでもレプリカが自身でエネルギーを調達できるということはわかってツグミと遊真は手を取り合って大喜びをした。
次は遊真の換装専用トリガーの作製で、こちらも目処は付いているとなればもう心配は無用だろう。
しかし順調に進みすぎていることにツグミは違和感を覚えたが、トロポイ側の描いたシナリオに文句を言ったところで意味はないのだ。
「アタシはこれからユーマのトリガー製作に取り掛かるんだが、本人にも協力をしてもらわなければならない。そこで午後にアタシの研究室まで来てもらいたい。いいな、ユーマ?」
「ああ」
「わたしに何かできることはありますか?」
ツグミがトリュスに訊くと意味深な笑みを浮かべて言う。
「たぶんきみにはきみに相応しい役目が待っているはず。だからアタシの仕事にきみの手伝いは無用だ。きみはきみのやるべきことを果たしたまえ」
「…はい」
そう言われてはツグミも引き下がるしかない。
しかし自分に相応しい役目と言われてピンと来ないものだから納得できずにいた。
そして国王との昼食会の後にトリュスの言葉の意味がわかった。
◆◆◆
トロポイも
国王はエルヴィンという名の65歳の男性で、有吾とオリバが来訪した当時の国王でふたりを救国の英雄として讃えたのは彼である。
だからツグミと遊真に会えたことを心から喜んでおり、家臣たちにはふたりに対して最上級の扱いを命じ、当然のことながら遊真の延命に全力を注ぐようトリュスに指示をしたのだった。
エルヴィンは有吾とオリバの「その後」を知りたがり、ツグミと遊真は自分の知る限りのそれぞれの父親の話をして彼を喜ばせ、そして哀しませた。
彼は多くを語らなかったが、それでもツグミには彼が他国の青年たちのことを心から気に入っていたことは言葉の端々から感じていた。
彼は有吾とオリバがトロポイという国が目指す世界を理解していて、トロポイの最高機密である自立トリオン兵の技術を教えたのも悪用されないという確信があったからだろう。
イェルンの話ではエルヴィンは社交的で好奇心旺盛、人を見る目は確かで慈愛に満ちた賢王だということ。
そんな彼が午後の市内視察にはツグミを同伴したいと言い出した。
極力情報を外部に漏らさないようにしている国の元首が他国の人間に何を見せようというのかとツグミは首を傾げるのだった。
◆
エルヴィンはツグミを城郭都市内にある学校、診療所、市場などの施設へ案内し、最後に城郭の外に出て都市全体を見渡すことのできる山の上へとやって来た。
中央に王城がそそり立つ巨大な都市を見ながらエルヴィンがツグミに尋ねた。
「ツグミ、
「あまりにも漠然とした質問ですね。…単純に比べることはできませんが、わたしが知っている
「きみもそう思うかね?」
「はい。ですが
ツグミはそう言って
一般家庭にも上水道が整備されていてすぐに飲用できる水が配られ、冬でも温水が簡単に利用できること。
電気やガスによって調理は容易で、冷蔵庫があるために冷蔵・冷凍で食料が長期保存できること。
洗濯や掃除も優れた道具があって、それが庶民階級でも容易に手に入れることができることなどの話をすると、エルヴィンは身を乗り出して聞き入っていた。
すべてがトリオンという物質によって構成されている
ところが
どちらが正しいとか間違っているという問題ではなく、双方をバランス良く利用することで庶民の生活はより豊かになることだろう。
ただひとつ言えるのは
もし
それを理解したキオンを始めとしたボーダーを理解する国々が同志となり、
その考え方はトロポイも同じで、トリオンやトリガーの技術では数段劣る
そこにツグミたちが飛び込んできたのだから、彼にしてみれば「渡りに船」なのである。
彼女たちを歓迎するのは当然で、それが英雄の子供たちであればなおさらだ。
レプリカが連れて来て、イェルンが認めたことでエルヴィンはツグミに対して信頼を与えたが、まだひとつ決定打的なものがなく自ら話しをすることで確かめようとしていた。
「
「それもありますが、それ以上に身分や慣習などに縛られて自由に生きることができそうにないことがわたしには耐えられそうにないからです」
そう言ってエルヴィンに理由を説明する。
女性の数が少ないために女性を大事にする習慣があることは正しいと同時に間違っている。
出産可能な若い女性の数が少ないから大切にするというのではなく、男性と同じくらい大勢いたとしても出産という命懸けの仕事をする女性に対して労わるのは当然であり、年老いて出産できなくなれば扱いがぞんざいになるというのでは女性を道具として扱っていると思われても無理はない。
性別に関わらず他人を敬愛できるようになるべきで、そのためには当人が他人から尊敬される人物にならなくてはいけない。
そうなると子供の頃からの教育やしつけが重要で、日本では義務教育と称して一定の年齢に達すると誰でも学ぶ機会を得ることができることなどを熱心にエルヴィンに話した。
「子供の頃からの教育が重要なのか…。たしかに幼い頃から大人が正しい道を示せば子供はそれに従うようになる。ただし大人が正しくないと子供は間違った方向へ進んでしまうことになるのだから、まず私が国民を正しく導かねばならぬということだな」
「国王陛下が自らそう考えるのであればこの国の未来は明るいものとなるでしょう。ですがトロポイが他国と交流をせず、国の存在自体を隠そうとしているのであればいずれ限界を迎えるでしょう。それに人間とは欲深い生き物ですから、贅沢を覚えてしまえば元の生活水準に戻ることは容易ではありません。キオンやエウクラートンのような同盟国であれば積極的に技術交流を行うことができますが、貴国がこのまま鎖国を続けるのであればボーダーも力を貸すことはできません。陛下はわたしのことを信頼なさってくれましたがそれはわたしがオリバの娘であり、実際に話をしてみて人柄を認めてくださったからです。ところがボーダーの代表である城戸やわたしの養父である忍田といった幹部の人間のことは会ったこともないのですから信頼できるとは限らない。まずは相手のことを疑いの目で見ることから始まり、国益に値するか否かをいちいち確認しなければ心を開くことができないとなれば交流は難しいでしょう」
「うむ…」
「自国にとって都合が悪いことであれば相手の記憶を操作して忘れさせてしまう。それも必要な場合もあるでしょうが、それではいつまで経っても国対国の交流はできません。そしてわたしは相手に信頼されたいならば自分の方が率先して相手を理解すべきと考えています。今回はユーマくんの延命に関して最後の綱としてトロポイにまいりましたから、わたしはこの国にとって不利益とならない存在だということを証明し、それを認めてもらったことでこうして陛下と対等に話をさせていただいております。仮にですが陛下は
「……」
黙りこくってしまったエルヴィンにツグミは謝罪した。
「国王陛下に対して大変失礼なことを申し上げました。事によっては記憶操作だけでは済まない極刑になることをいたしましたが、わたしはこれまで他の国の元首の方々にも同じように接してきました。たぶんわたしの家族や友人たちはいつもハラハラしながらわたしの行動を見守ってきたことでしょう。ですがこれも信頼ゆえにできたことです。別に貴国に門戸を開けと言っているのではありません。ただ戦争をなくしたいという気持ちは同じでも国を閉ざして自国にだけ優しい世界であれば良いという貴国と、他国と交流をしてその中で戦いではなく対話によって平和な世界を目指そうとする
そう言ってツグミは西に傾きかけた太陽を眩しそうに見つめたのだった。