ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
エルヴィンはツグミに言われたことをずっと気にしていて、王城の自室で物思いに耽っていた。
トリオンやトリガーの知識や技術では数段劣る
(ツグミの言うように戦争のない未来を目指していても、他国と交流をせず国の存在自体を隠そうとしているのであればいずれ限界を迎えるのは明らかだ。
現在のトロポイは他国に比べると国民の生活は豊かで、戦争の不安がないから安心して暮らしていくことができる。
しかし100パーセント満足しているとは言えないだろうし、過去の悲劇を二度と起こさないためとはいえ鎖国状態でいることによって不便を強いられている点があるのは否めない。
どうしても自国では生産できないものがあれば他国から輸入するしか方法はないのだから、鎖国をしているとなれば入手は不可能だ。
(ユーゴから
しかし生体エネルギーであるトリオンはその国の人口に比例して多ければ多く集めることができ、少なければ少ししか集めることはできない。
さらに
アフトクラトルのように軍事力を高めて他国に侵攻し、たくさんの国を従属させてその国のトリオンを吸い上げてさらに力を高めていく国。
ガロプラのようにアフトクラトルとの戦争に負けて従属させられ、独立は保たれていても現実には支配されていた国。
ヒエムスやレプトのように独立国として国を維持しているが互いに国力が拮抗しているためにトリオンを奪い合う戦争を延々と続けてきた国。
そこにこの間違った「
それが
彼女は父親が
彼女が求めるものは自分の手の届く範囲の幸福で、小さな幸せさえあれば十分だと考える普通の少女だ。
単純に自分や家族や友人が
中にはハイレインのように敵同士として戦った者もいて、彼女の両腕では抱えきれないほど大切なものが増えてしまっている。
彼女が引いた
世界が大きく変わろうとしていることはエルヴィンも感じている。
(トリオンを使わない技術の導入によってトリオンを奪い合う戦争はなくなる。そうなれば我が国の国家機密であるトリガーやトリオン兵の情報も不要となるだろう。我が国の社会的価値はなくなるが、むしろその方が他国に門戸を開いて平和的な交流をすることに支障はなくなるのだから歓迎すべきことではないだろうか?)
イェルンはエルヴィンを「社交的で好奇心旺盛、人を見る目は確かで慈愛に満ちた賢王」と称していたがそれは国民に向けた一面であって、新しいことに興味はあるが実際に手を出そうとしても躊躇してしまう慎重な人間であった。
別に慎重なことは悪いことではないし、一国の王としてはその方が良いこともあるからだ。
ところが慎重が臆病になってしまうと一歩前に踏み出す勇気が出せないどころか尻込みをしてそこでゲームオーバーとなってしまうことにもなりかねない。
今エルヴィンは立ち止まっているものの片足を上げて前に下ろそうかどうか迷っている。
その下ろす先が頑丈な大地であれば良いが脆い岩の上であった場合に自分だけでなく国民すべてを道連れにしてしまう恐れがある。
(ツグミはオリバの娘だ。信じるに値する人物の言葉に不安を持つなんて…。私はこの歳になっても…いや、この歳になってしまったから思い切ったことができなくなってしまったのだ。私も若い頃はあらゆる物事に対して積極的に関わり、周囲の人間に止められたことも何度もあった。王たる者がそれではダメだと言われ、いつの間にか私は臆病だとも言えるほど慎重な人間になってしまっていたのだ)
エルヴィンは立ち上がると窓の外を眺めた。
眼下には王都の街並みが広がっており、堅牢な城壁の内側はまばゆい光が溢れているが、城壁の向こう側は真っ暗闇であった。
城壁の外には人の住む町や村はほとんどなく、一番近い集落でも王都から10キロメートル以上離れているから王城から見えるはずもないのだ。
それは城壁の中に可能な限りの国民を住まわせることはメリットが多いからで、住民から効率良くトリオンを集めることができるだけでなく他国からの侵攻が起きた場合でも住民の安全の確保が迅速に行われるという2点が主なものである。
しかしそのどちらも保守的な政策によるもので、トリオン依存の体質にどっぷりと漬かっていて抜け出せないからであり、国民の安全を保証しなければ軍備の削減を彼らが許しはしない。
もし
さらにボーダーの主催する同盟に加わるメリットは軍事面で大きい。
同盟参加には「相互不可侵」の条件もあるため、キオンが敵になるどころか味方となってくれることから他国の侵攻に怯えることがなくなる。
アフトクラトルも同盟に興味をしてしているという噂であるから、アフトクラトルによる侵攻の可能性も減って心配の種はなくなるというものだ。
(ボーダーのやり方なら現実的で平和裏に事を進めることができる。おまけに
エルヴィンとオリバが交わした約束…
今となっては無意味なものかもしれないが、エルヴィンがずっと気にかけていたことであったからせめてツグミとともに叶えたいと考えるのは無理もない。
「トロポイの優れたトリオン技術は軍事ではなく人々の生活にこそ役立てるべきであり、人の未来を奪うトリガーではなく人に未来を与えるトリガーをつくってもらいたい」
オリバはトロポイを離れる時にエルヴィンにそう伝えた。
それだけのことだから約束と考えているのはエルヴィンだけだが、その時に彼が実現させようと決めたのだから自分自身への約束というべきものだろう。
(オリバの血と遺志を継ぐ彼女なら不可能を可能にしてくれる。彼女のことを信頼しているというのなら、トコトンまで信じて彼女に委ねてみよう)
晩秋の夜の風は冷たく、エルヴィンの頭を十分に冷やしてくれたようだ。
これ以上窓を開けていると風邪を引きそうだと、彼は窓を閉めてから机の引き出しに入っている王家の紋章入りの便箋 ── 国王直筆の命令書やプライベートな書簡に使用する ── を取り出すとツグミ宛の手紙を書く。
そして封筒に入れると従僕に渡してツグミに届けるよう指示をした。
◆◆◆
翌日、朝食を終えたツグミは王城へと呼ばれた。
ボーダー総合外交政策局長・霧科ツグミとして招聘されたもので、エルヴィンだけでなく宰相や各大臣、トリガー制作局長など政府の要職に就く人物が勢ぞろいして彼女を迎えた。
前もって話を聞いていなかったらさすがの彼女でも気後れするメンバーが総揃いしており、そこでボーダーが同志の
前夜にエルヴィンの使者から手紙をもらっていて準備は万端ではあるが、やはりこういった
(国王陛下がわざわざこんな場を用意してくれたってことは善処しようという気になってくれたってこと。ここで
ツグミは城戸よりも厳しく威圧感のある表情の面々を前にして、ボーダーが
そして静かに聞き入っていた政府首脳陣はツグミという個人が各国の元首クラスの人物と個人的な友情を深めて信頼を得ているから成功しているのだと理解するに至った。
なにしろ自分たちもオリバの娘ということを別にしても
自分の娘や孫と同じくらいの年齢の少女がふたつの世界を平和的に繋ぐ架け橋となろうとしているのだから、彼らは身近なこととして感じるのかもしれない。
最後にツグミは自分の声に耳を傾けてくれたエルヴィンたちに心を込めた礼を言い、深々と頭を下げた後に清々しい笑顔を見せた。
その笑顔が意味するものは自分の満足できる結果が出るか出ないかに関わらず、自分にできることを精一杯やったという達成感がそうさせたのだった。
それから質疑応答の時間があり、
ツグミによるワン・マン・ステージが終了したのは昼過ぎで、彼女はそのまま昼食会へ誘われた。
その席では公式な説明会の時とは一転して和やかな雰囲気となっていて、エルヴィンを始めとした政府首脳陣は年齢や性別、住む世界が違っても相手を尊重して同じ道を歩くことができる可能性があるのだと理解できたことだろう。
◆◆◆
トロポイ滞在5日目の朝、遊真のための換装専用トリガーが完成した。
トリュスの説明ではこのトリガーを使用することによって
それによって
それでも現状維持よりははるかに改善されたということだから、トロポイまでやって来た甲斐はあったと言えよう。
しかし問題もある。
まずある程度トリオン能力のある人間に常に囲まれていないとトリオンを集めることができない。
蓄電池のように貯めておくことができれば良いのだが、そこまでは現在のトロポイの技術ですら不可能だったようだ。
さらにこの換装専用トリガーはその名のとおり換装専用で戦闘用ではない。
つまり武器を搭載しておらず、ボーダーの防衛隊員を続けることは不可能となるのだ。
これまで
ところがこの換装専用トリガーを使用すると
仕組みは複雑すぎるので説明を省くが、簡単に言えば
「トリオン体A」の状態で「トリオン体C」に換装すると「トリオン体C」の上にさらに「トリオン体B」という3つ目のトリオン体を重ねがけはできないということだ。
それは本人にとって不本意なものとなるが、それでも延命という修や千佳たちを哀しませることにならないのなら甘んじて受け入れると本人が自分の意思で決めたのだった。
彼が決心をした時にレプリカはそばにいたが、いつものように「それを決めるのは私ではない。ユーマ自身だ」と言って彼の意思を尊重したわけで、ツグミが事前にそのことを知っていても賛成も反対もしなかったことだろう。
これでトロポイにおいてやるべきことはすべて終わったことになり、3人は帰国の準備を始めた。
◆
その日の夕方、慌ただしいとは思いながらもトロポイを発つことにしたツグミたち。
イェルンとトリュスに艇まで送ってもらい、そこで新たな事実を知った。
「その艇のことだけど、キオンの最新技術を使ったエンジンを搭載していたということだから部下を使っていろいろ調べさせてもらったよ。きみたちの許可を得ないで勝手にやってしまったけど、まあその代わりにちょっとした
そう言うトリュスにツグミは訊いた。
「オマケって何ですか? それがトロポイの技術に関するものならボーダーの技術者に調べられてしまいますよ。それに今さらですがわたしのこの国における記憶を消去しなくてもいいんですか?」
「きみがこの国にとって敵となるというのかい? そんなことがないと確信しているから国王陛下はお礼の意味も含めてここでの記憶を『思い出』というお土産としてきみに持たせたんだ。ありがたく受け取っておきなさい」
「はい、わかりました。ありがたくいただいておきます」
「よし、それでいい。それからユーマにもう一度言っておく。くれぐれも ──」
「わかってるって。おれは残されたこの命でオヤジの遺志を継ぐことに決めたんだ、きりしな先輩みたいに
遊真の言葉にトリュスは満足げに笑みを浮かべた。
「いい覚悟だ。そう遠くない未来にアタシらが
「その日を楽しみにお待ちしております」
ツグミと遊真はそれぞれイェルンとトリュスと握手をし、別れを惜しみながらも艇の中へと入って行った。
そして艇が
「ツグミが
「そうですね。彼女のことだからもっと面白いことをしてくれるでしょう。それに本当にいつか
「ああ。…じゃあ、戻ったらアタシはすぐに例のブツの複製に取り掛かる。キオンの技術もなかなか侮れないようだ」
「我が国が引きこもってい時が止まっているように見えても世界は動いているんですよ。過去の遺産に頼っていて取り残されないようにしないといけないってことです。さあ、行きますよ」
イェルンとトリュスは明かりの灯った王城を目印にして帰途についたのだった。