ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
午後7時に女王主催の歓迎晩餐会が王城内のメインダイニングで開かれた。
ボーダー側からはツグミたち5人、ラグナ側は女王のダフネの他に宰相、外相、軍総司令官、そしてダフネの婚約者であるロレンソという24歳の青年の5人である。
人数的にはバランスは良いのだが、ボーダー側は10代3人、20代と30代がひとりずつであるため、30代のゼノンが使節団の団長に見えてしまうほど若い集団だ。
一方、ラグナ側はダフネとロレンソ以外の3人が全員50代で貫禄がある。
第三者から見たらボーダー側が圧倒的に不利な状況に思えるだろう。
しかし人の価値は年齢や肩書ではない。
ダフネの人選は国賓を招いた晩餐において当然のものだが、若い自分が舐められることを警戒して貫禄のある年長者を集めたようにも見えるものだ。
この晩餐はあくまでもボーダーの一行を歓迎するものなのでトラブルは起きるはずもないのだが、ツグミとダフネというふたりの少女が初めて顔を合わせるのだからタダでは済まないだろう。
本人たちよりも周囲の人間たちの方が緊張していて、特に修と千佳は面子の迫力に圧倒されていて場の空気に完全にのまれてしまっている。
「
バタフライスリーブが特徴的なローズピンクのドレスを着たダフネの挨拶で晩餐会は始まった。
フィリピンの女性の正装である「テルノ」に良く似たデザインのドレスの素材はシルクかサテンのようだが、
また見栄えが良くなるだけではなく丈夫になるので一石二鳥となり、彼女のドレスもその類いだと思われる。
ボーダー側は日本の自衛隊の礼装を元にデザインしているので軍服に近い地味なものだ。
華やかさの点では圧倒的にダフネの勝利だが、外交とは見栄えで勝敗が決まるものではないことは当然承知しているはず。
まだ何かマウントを取るための策は講じているにちがいない。
ところがツグミはダフネの計略などまったく気にしていないかのように料理を楽しみ、彼女の隣席の宰相 ── イシドロという名の52歳の男性と談笑していた。
円形のテーブルにボーダーの5人とラグナの5人が交互に腰かけているために両隣は相手国の人間となっていて、ツグミの反対側の隣席にはダフネがいる。
しかしダフネはその隣のゼノンと話をしているものだから、お互いに相手と会話をするどころか顔を見ることもない。
傍から見ると仲が悪そうだが、それぞれ情報収集をしているだけなのだ。
相手のことを知らなければ武器を持たずに戦場に立つようなもので、それぞれ自分の
もちろん都合の悪いことは教えてもらえないが、相手の趣味や嗜好を知ることはそれをきっかけとして相手の懐に飛び込む手段となるのだから十分だ。
問題はどうやって情報を引っ張り出すかなのだが、こうしたことに関してはツグミの方が一枚も二枚も上手である。
日頃から年長男性に気に入られる態度や会話を心掛けているが、ダフネにはそのスキルがない。
8歳で女王となったものだから、周囲の大人に対する心遣いや配慮というものをまったく身に付けていないのだ。
言葉遣いも幼く傲慢で、分別のつかない子供なら可愛いで済むようなものでも国家元首であり17歳という年齢であればそれなりの態度というものがある。
先の挨拶の言葉もイシドロに書いてもらったものを暗記して言っただけで自らの言葉ではない。
さらに
ダフネはラグナ側が有利だと考えているが、それはヒエムスやレプトでも条件は同じだったはず。
ボーダーがキオンと同盟を結んだことや拉致被害者市民を帰国させた立役者がツグミであることをゼノンから聞かされたダフネは自信が揺らぎ、イシドロと楽しそうに会話をしているツグミの様子を横目で見ながら唇を噛んだ。
(何てこと…。ボーダーがこの子に総合外交政策局長なんて肩書を与えたのは本人の実力だってこと? この子にそんな力があるようには思えないけど、少なくともボーダーはこちらを甘く見ているわけじゃないってことは確かだわ。それにしても無口で笑顔なんて見せたこともない偏屈なイシドロを会話に引き込むだけでも十分すごいって思う。だけどその程度でキオンと同盟を結ぶなんてこと不可能よ。絶対に何か裏があるわね。…このゼノンって人はキオンの人間だもの、上手く聞き出せばその秘密がわかるかも?)
ダフネは何とかしてゼノンからツグミの情報を得ようとして笑顔で話しかける。
しかしツグミのように会話を楽しみながら情報を得るというのではなく、相手に探りを入れるというものであるからいくら愛想が良くても会話を楽しむということができない。
だからゼノンも適当にはぐらかしたり別の話題を持ち出して会話が長続きしないのだ。
一方、ツグミは順調に情報収集を行っていた。
直接的にダフネの情報を得るのではなく、これまでに訪問した国々の話をしながら各国の元首や首脳陣の人柄や考え方など
ラグナの宰相であるイシドロにとって他国の政治や経済などに興味がないはずがなく、ツグミの話に飛びついてくるというわけだ。
そしてその中で知り合った同世代の少女 ── エウクラートンのイレーネやメノエイデスのエカ、ヒエムスのリータとマリ ── との交流はとても楽しいだけでなく有意義で、住む世界が違っても大切なものは同じで気持ちは通じ合うという話をしたことでイシドロはツグミのことをひとりの人間として認めた。
ダフネは家族を失っただけでなく同世代の友人がいない孤独な女王だ。
本来なら彼女の姉が女王になるはずだったのだが例の大惨事のせいで彼女は両親と姉を一度に失ってしまったのだった。
そんな彼女のことを可哀想だと思うイシドロを含めた側近たちは彼女を甘やかし放題で、それが彼女を増長させる原因にもなっている。
自分の意思ではない女王就任で8歳の少女には国のあらゆること ── 国土の維持から国民の生活の保障など ── をその身にすべて負わされたのだからその義務に応じた権利を要求する、つまりワガママを言うのは当然だろう。
ただそれが容認できるレベルならいいが、度を過ぎれば堪忍袋の緒もいずれは切れてしまう。
そこでイシドロはツグミにダフネの友人になってもらいラグナの女王としての品格を身に付けてもらいたいと考えたのだ。
そうなればダフネの身の上や趣味嗜好など教え、彼女のことを託したいという態度を見せることになり、ツグミもイシドロの気持ちを察してその依頼に応えたいと思うようになる。
このふたりの気持ちなど知らずダフネは自分の思いどおりにならないことでイラつき始めていた。
(何なのよ、もう!
自分の態度や姿勢が原因だということが理解できないダフネ。
結局欲しい情報を得られないままに晩餐会は終了した。
次は翌日の午前に行われるダフネとツグミの直接会談で、その際にはイシドロやゼノンたちは臨席するもののRound2は「本人同士の直接対決」となる。
本来なら外相や外務の事務官との交渉となるのだが、ダフネのツグミという自分と同世代の少女に対して「勝てる」という根拠のない自信のために即直接対決となったのだ。
Round1では互いに情報収集という目的があって直接対決には至らなかったが、次は間違いなく
ここで「負ける」ということは国益に大きく影響するものとなり、絶対に負けられないと考えているダフネ。
ところがツグミの方は勝ち負けという考え方すらなく、双方にとって利益のあるwin-winにしたいと思っているためにダフネとの会談を楽しみにしていた。
◆◆◆
夜も更け、ダフネは寝室でなかなか寝付かれずにいた。
(イシドロから聞いた話だと
ダフネも女王である以上は何よりも国民の生活レベルの向上を目指している。
例の事故で多くの犠牲者を出した国の元首としての責任は十分感じているようだが、突然降って湧いたように女王にさせられたことに関してはまだ納得できていなかった。
(あんな事故さえなければ今頃わたしはのんびりと暮らしていたはずなのよ。新しい
今でもあの事故によって心に受けた傷が疼き、枕を濡らす夜もある。
ダフネは強がって見せるもののやはり17歳の少女で、誰もいない時にはひとりで年相応の姿を見せてしまう。
婚約者のロレンソは元々姉の婚約者であり、ダフネには優しいものの愛してはくれていないことを自覚していたから頼ろうという気にもならないのだ。
(ロレンソはまだ姉さまのことを忘れられずにいる。ふたりは愛し合っていたものね。だからわたしが女王になったからわたしと結婚する流れになったみたいだけど、たぶんわたしが姉さまに似ているから。わたしを身代わりにして一生姉さまを愛し続けようっていうんだわ。わたしは優しいロレンソが兄さまになってくれることが嬉しかったのに、彼がわたしの夫となるなんて…。愛されていないってわかっていて結婚しなければならないなんてお互いに不幸だっていうのに、名門貴族がどうとか王家は血筋が大事だとか、わたしの気持ちよりもそっちが優先だものね。国民は大切だけど、そのために自分が犠牲になるって…これが正しいことなのかしら? 王家に生まれたからってわたしが全責任を負うなんて…。誰もわたしの気持ちなんてわかってくれないのよ!)
ダフネはすべてを投げ出してラグナから逃げてしまいたいと思ったこともあった。
しかし国民が自分を信じ頼ってくれていることが嬉しくてずっと我慢をしている。
女王であるから自分に存在意義があると考え、女王でない自分には何も残らないと信じ込んでいるからなのだ。
◆
同じ頃、ツグミはフカフカのベッドの上で熟睡していた。
イシドロからダフネのことをいろいろ聞かされ、自分と似たような立場で悩み苦しんでいてもそれを周囲に知られまいと虚勢を張っている少女と友人になりたいと心から思っていて、明日の会談が楽しみで仕方がない。
それで明日は万全の体勢で挑もうと考えているうちに眠りに落ちていってしまったのだった。
相手との知恵比べであり、お互いが大切なものを守るために本気でぶつかり合うことは勝ち負けを競い合う戦いよりもずっと価値があると信じているからだ。
これまでは年長者との
それも自分と対等に戦えると認識している相手であるから早く戦いたくてたまらないのだ。
◆
そしてラグナから遠く離れた三門市でも物思いに耽っている若者がいた。
(ツグミ…今頃どうしているんだろうな? おまえのことだから何も心配することはないだろうが、俺の
迅にとっての
◆◆◆
一夜明けて、ツグミは千佳を誘って早朝から王城の厨房でラグナの料理人たちと一緒に菓子を作っていた。
本来なら客人である彼女たちが裏方の人間と一緒に作業をするなどありえないことなのだが、前日のうちにイシドロから許可を得ており、料理人たちも楽しそうに手伝っている。
それは会見の際にお茶だけでなく菓子を出すのだが、その菓子を自ら作ってダフネにご馳走したいためで、ダフネの好みを聞いてから何を作るかを決めたのだ。
この国では比較的簡単に牛乳や卵などの食材は揃うため、砂糖やチョコレートなど入手しにくいものだけを三門市から持って来ていた。
厨房内に朝食の料理の匂いが漂う中、菓子も仕上げの段階まで進んでいた。
しかし生地を焼いた後の粗熱をとらなければその先の作業ができないため、仕上げは料理人に任せることにする。
「手順は説明したとおりで、そう難しいことではありませんのでお願いします。会見の際にお茶と一緒に出してください」
そう言い残してツグミと千佳は自分の部屋へと戻って行く。
「ダフネさんに気に入ってもらえるといいですね」
千佳がそう言いながら笑うので、ツグミも同様に微笑みながら答えた。
「ええ。女の子は甘いものが好きだというのはどの世界でも共通している真理だもの、きっと大丈夫。チカちゃんやオサムくんたちの分は別に部屋へ届けてもらう手はずだからあなたも楽しんでね」
「はい。…でもツグミさんの会見の間、わたしの方が緊張して味なんてわからないかもしれません」
「それなら早く無事に会見を終わらせるから待っててもらおうかな? ともかく心配することはないから。お世話役の女性に頼めば庭の散歩とかもできるからリラックスして過ごしていてね。本当ならわたしの戦いを見てもらいたいけど、ラグナ側が遠慮してほしいと言うんだから仕方がないのよ」
「わかっています。それにあなたがわたしと修くんの将来の選択肢を増やすためにここに連れて来てくれたことを理解していますから。せっかくこんな遠くまで来たんですから、ちゃんと収穫といえるものを持って帰ります。そうでないと留守番をしている兄さんや遊真くんに顔向けできません」
「いい覚悟だわ。…出会った頃と比べてずいぶん成長したわね。
「はい!」
常に怯えながら周囲の顔色ばかり窺っている過去の彼女の気配はまったくなく、ツグミは安心して自分の役目に専念できることを確信した。