ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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552話

 

 

修と千佳は自分の部屋へ戻り、ツグミの部屋には迅だけが残った。

ラグナ滞在中は彼もこの部屋で寝泊まりするのだから当然で、ずっとツグミたちの話を黙って聞いていたがふたりきりになるとようやく口を開いた。

 

「メガネくんと千佳ちゃん、ちょっと見ないうちにずいぶんとたくましくなっただろ?」

 

「ええ。彼らには防衛隊員よりもこっちの仕事の方が向いていたってことです。そもそも武器(トリガー)を持って戦うことが不自然だっただけ。オサムくんはチカちゃんを守りたかっただけですし、チカちゃんは麟児さんとアオバちゃんを探しに行きたかっただけ。ふたりとも近界民(ネイバー)と戦いたいわけではなかったんです。麟児さんとアオバちゃんが帰国したことで彼らにはもうボーダーにいる理由はなくなってしまいましたが、辞めるにしてもそれが『逃げ』に思えてしまう。でもこれでボーダーにいる()()()()理由を自分で見付ける…いえ、作ることができたんです。いろいろ迷いはあったでしょうが、あそこまで力強く宣言したんですからもう心配はいりません」

 

「そうだな。俺もメガネくんがボーダー隊員に相応しいとは思っていなかったが、あいつが入隊することでボーダーにとって大きな利益になる未来が視えたから城戸さんを口説いて入隊させた。あいつが苦労する未来も視えていたが、遊真と千佳ちゃんというキーパーソンを引っ張り込むために必要だったからな。まあ、苦労はしたが良い仲間を得ることはできたし、人間として大きく成長したことは間違いない。これからは俺も見守るだけでよさそうだ」

 

迅がそう言うと、ツグミはやれやれという顔で答えた。

 

「悠一さんはそれでおしまいでしょうけど、わたしにはこれからまだやらなければならないことがあるんです。総合外交政策局長としては局員の福利厚生について城戸司令に掛け合う必要が生まれます。今は総務や経理などの職員の給与や勤務条件と防衛隊員のそれの中間的なもので()()()()な状態ですから、ここをしっかりとさせなければいけません。部下を守るのは上司の役目ですからね。…ちょっとこれを見てもらえますか?」

 

ツグミは自分のブリーフケースの中から愛用のノートPCを取り出して起動すると文書ファイルを開いた。

 

「これはわたしが以前から考えていた給与と福利厚生についての案です。総合外交政策局の職員は今のところ悠一さん、オサムくん、ユーマくん、チカちゃん、麟児さん、ゼノン隊長、リヌスさん、テオくん、そしてわたしという9人です。今後規模を拡大することになるでしょうが、とりあえずこの9人の勤務環境の向上を目指して上申書を提出しようとタイミングを見計らっていたんです。ラグナへ発つ前にゼノン隊の3人とユーマくんと麟児さんに関しては確認を取ってあり、今後も総合外交政策局で働いてくれるそうです。ゼノン隊はスカルキ総統直々にボーダーに協力するよう命令されていますし、テオくんなんて三門市に残りたいからと家族まで連れて来ちゃったくらいですから腰を落ち着けてくれることでしょう。ユーマくんはオサムくんと一緒にいたいだろうし、もうトリガー使いとして戦うことができない以上は近界(ネイバーフッド)へは帰れない。エクトス(故郷)の裏切り者となってしまった麟児さんも同じで、戸籍のない彼らはボーダーの庇護の下で暮らす方がいいと判断したんでしょうね。彼ら近界民(ネイバー)組が全員局員を続けてくれるんですから、あとはオサムくんとチカちゃんのふたり。彼らにはちょっとした試練を与え、それを乗り越えてくれただけでなく自分自身で局員を続ける決心をしてくれました」

 

「ふむ…」

 

「そうなると今度はわたしが総合外交政策局長としてやるべきことをやる番です。勤続年数、職種、その他特殊技能や資格を持っているかどうかなどで給与は決まるようですから、それらを考慮して設定してみました。福利厚生についてはボーダーが他の企業とは違う組織なので問題点が問題となっていなかったところがマズいですね。隊員・職員の半数以上が学生ですから年一回の健康診断は学校任せになっていて、それ以外の成人に関しては三門市が行う集団検診でお願いしています。ですが住民票のない近界民(ネイバー)には検診の案内なんて届きません。それならボーダーも一般企業と同じように検診を行うべきです。…などいくつかの問題点を挙げ、その解決策について提案してみたんです」

 

迅がPCのモニターを覗き込むとそこには大手から中小の民間企業や国家・地方公務員の情報が羅列されていて、それを参考にして現在の総合外交政策局員の特殊な事情を鑑みた条件が提示されていた。

さらに今後防衛隊員から総合外交政策局に異動をした場合や、新規に一般から採用した場合などについても書かれている。

 

「へえ~、良く調べて書いてあるんだな。ま、情報源(ニュースソース)は唐沢さんだろうが、いつの間にこんなことを…?」

 

「第3回の拉致被害者市民救出計画がラグナに決定するまで少し時間があったでしょ? もっと前からきちんとした規定(ルール)が必要だと思っていたから考えてはいたんですけど民間企業や公務員がどんな内容なのかわからないし、根拠のないものを上申しても認めてもらえないから唐沢部長にお願いして情報を集めてもらい、その上でボーダーの現行のものと比べて妥当なものにしてみました」

 

したり顔で言うツグミに迅は苦笑する。

 

(簡単に言うけどこれだけのことを調べ上げて、その上で金額や就業条件などを書き連ねているんだから相当な仕事量だったはず。いったいいつ寝ているんだよ…って、ちゃんと11時には寝て5時には起きているんだよな。こいつが忍田さんとの約束を破るはずがない。…ってことは起きている18時間を効率良く使って仕事をしているってことか。高校を退学したからその分は時間が増えたが、俺には絶対真似できねぇな)

 

「俺には詳しいことはわからないが、城戸さんに見せても文句のつけようがなくて承認されるんだろうな、これは」

 

「ええ、もちろんですよ。内容がダメダメで突っ返されたらやり直さなければならないでしょ? それは時間の無駄です。やるからには一発で合格するものでなきゃ。それにこの中には総合外交政策局に入局する人たちにとっても目安となるものです。職員採用においても近界民(ネイバー)との外交という難しい仕事を行うわけで、原則として最低でもB級上位レベルのトリガー使いでなければ近界(ネイバーフッド)へ連れて行けません。新規採用の条件についても書かれていて、もし総合外交政策局で働きたいという希望者がいたらまずは防衛隊員希望者と同じく訓練生から始めてもらい、正隊員になったところで局長(わたし)が使えるかどうか判断するという規定(ルール)にしています。中には近界(ネイバーフッド)へ行ってみたいというだけの理由で入局したいなんていう人間もいるでしょうから」

 

「先のことも考えているんだな」

 

「当然ですよ。わたしがボーダーを辞めたとしてもボーダーという組織が存続する以上は近界民(ネイバー)との平和的交流は続きます。わたしがいないからという理由でそれが断絶してしまわないように後進の育成と、彼らが働きやすいように環境を整えておくこともわたしの仕事です。わたしがやりたいと言い出した仕事ですから、中途半端で投げ出すことはできません。でも時間が限られているのですからそれまでにやれるだけのことはやっておく。オサムくんたちに城戸司令との交渉をさせるのは酷というもの。わたしとあの人が上手くやっているのは旧ボーダー時代からの積み重ねがあってこそで、他の誰にもできないことなんですから」

 

エウクラートンでは現女王のエレナが高齢のため、その役目を果たせなくなる前に新たな女王が即位しなければならないが、現在その王位継承順位の一位がツグミである。

彼女には王家の血筋であるとはいっても人生をエウクラートンに捧げる義理はないのだが、近界(ネイバーフッド)の国々は(マザー)トリガーとそれを操作する人間が存在しないと滅びてしまうという「(ことわり)」があり、彼女が拒否すればエウクラートンとその国民に未来はない。

ひとまず彼女が20歳になるまでは彼女は自由にしても良いという許しを得ており、20歳になったとたんに女王就任というわけでもなく、その時点で彼女が女王の座に就くとなればボーダーを辞めることになる。

またリベラートとイレーネの間に娘が生まれてその子が女王としての資質を持っていれば彼女が王位継承第一位となるのだから、ツグミが女王を続けずに済むという道も存在するのだ。

しかし来るべき時のために準備をしておくことは必要で、ボーダーを去った時のためにいろいろ手はずを整えておくことは彼女にとって憂いをなくすため、つまり自分のためにやっておくことなのである。

自分の去った後の準備をしておいてそれが不要となることを彼女は望んでおり、今はその真っ最中なのだ。

 

「さあ、明日からはラグナ政府との交渉の続きです。この国に残るか三門市に移住するかは本人たち次第。今頃は女性たちから三門市でのことを聞きながら家族会議をしていることでしょう。正午までに彼女たちから『回答』を受け付け、交渉会議は午後からということですのであなたも同席してください。午前中はとても素敵な場所にご案内しますので楽しみにしていてくださいね」

 

それからツグミと迅はおやすみのキスをしてからそれぞれの寝室へと入って行った。

 

 

◆◆◆

 

 

翌朝、朝食を終えたツグミは迅と一緒にダフネ湖の湖畔を散歩していた。

これはデートというべきなのだろうが、会話の内容が湖のできたきっかけであるからしんみりとしてしまう。

 

「トリオン研究施設で何らかの実験をしていて、その最中に事故が発生して王都を一瞬にして消滅させてしまうほどの大爆発が起きたらしいんだですけど、当事者はすべて死んでしまったからそれ以上のことはわからない…と公式にはそうなっています。でもどうやらその実験というのが新兵器の開発だったらしいんです。ラグナは元々優秀な技術者(エンジニア)が大勢いて他の国のように武器(トリガー)やトリオン兵の開発に熱心だった。でも先代の王は軍備に力を入れたいからトリオンの配分を巫女に指示するんですけど巫女は軍備よりも国民の生活向上のためにトリオンを使うべきだと言って(マザー)トリガーの操作を拒否したそうです。いくら国王が国家元首だと言っても(マザー)トリガー操作の権限は巫女にあるんですから、巫女がNOと言えばNO。エウクラートンのように女王が巫女というパターンなら起きないトラブルで、この国も政は国王と家臣たちが行っていて国の方針を決めていたわけですけど、(マザー)トリガーに関わることだと巫女が拒否すれば却下となる。これでは巫女による独裁制だと言われても仕方がないんですけど、彼女は軍備よりも国民の生活を一番に考えているから、国民の支持は国王派より巫女派になる。国王だってアフトのような国に攻め込まれてしまわないように国防力を高めたいという理由で国民を蔑ろにしているわけじゃない。ふたりはそれぞれ国民のためを考えてやっていたことなんですけど考え方が違うためにトラブルになってしまった。もしかしたらそのトラブルが発端となって事故が発生したのではないかという噂が広まったんです。国王派の人間が神殿に押し入って巫女に銃を突き付けて無理やりトリオン抽出量を増やせと命じたんじゃないかって。真相はわかりませんが、今後は巫女の資格のある女性が王となることに決まり、こうしたトラブルは二度と起きないということで沈静化しました。でもそれって暗に国王と巫女のトラブルが原因だって認めちゃったことになるんですけどね」

 

ツグミはラグナ滞在中に調べたことについて迅に説明する。

そしてボーダーでもこのような事故が発生するかもしれないという可能性を秘めていると言いたいのだ。

 

「ボーダーの本部基地地下にある(マザー)トリガーは操作をする人間を必要とはせず、現在は自然発生的に生み出されるトリオンを使用しているだけなので問題はないでしょうけど、もし仮に操作ができる人間が見付かってトリオンの抽出量を増やそうとすればその()()を間違えるとラグナの二の舞になってしまう恐れがあります。トリオンの技術を導入することでわたしたちの生活はより一層便利になるとか安全になるなど誰もが欲するでしょうけど、本部基地を中心とした東三門に大きな穴を開けたくはありませんからね。鬼怒田室長はもっとトリオンを抽出して武器(トリガー)の開発をしたり本部基地の防御を頑強なものにしたいでしょうけど、現状維持でお願いしましょう。(マザー)トリガーやトリオンに関することはまだまだわたしたちには知らないことが多いですから、わずかでも危険だと思われる行為は厳禁です」

 

近界民(ネイバー)たちにとっては(マザー)トリガーの寿命が尽きることは祖国を失うことになり、そのために「神」を捧げて寿命を延ばし続ける。

一方玄界(ミデン)では国土の維持には無関係なために使い切ってしまえばそれでおしまいだが、(マザー)トリガーがなくとも祖国で生きていくことはできる。

そうなると無茶な使い方をしないとも限らないわけで、ツグミはそれを心配していたのだった。

すると迅がツグミの頭を抱えて彼女の額を自分の胸に押し当てる。

 

「心配するな。城戸さんたちはそんなにバカじゃない。ただこういう可能性が存在することを知らないでいたらどうなるかわからないが、知れば(マザー)トリガーの扱いにも慎重になるさ。それに三門市に攻めて来る近界民(ネイバー)がいなくなるってことならこれ以上の防衛力強化は不要だろ? おまえはそのために武器(トリガー)を用いない戦いをしているんじゃないか。そしてその効果も少しずつだが出ている。おまえはそんな心配なんかしないで結果を出せばいいんだ」

 

「…はい」

 

「これでもう憂いはないだろうから、そろそろおまえのいう素敵な場所へ連れて行ってくれよ。ここがその場所ってことはないんだろ?」

 

「ええ。この先に樹齢が200年を超える大きな木があるんです。つまりこの湖ができる前から生えていて、辛うじて爆発から逃れることができた運の良い木なんですよ。それでこの木に触れて願い事をするとそれが叶うって言われているんです。恋人同士がふたりでこの木に触れて愛を確かめ合うと永遠に結ばれるということで、いわゆるパワースポットになっている場所です」

 

ツグミは迅と腕を組んで歩き出した。

初夏の眩しい日差しを浴びながら、ふたりだけの静かな時間が過ぎていく。

目的の大きな木に着くと、ふたりは手を握り合い、もう片方の手をそれぞれ木に触れて祈った。

そんなことをせずともふたりの愛は真実であり永遠のものだが、特殊な環境にいるツグミたちだって縁結びのご利益があると聞けば普通の恋人同士のようにやってみたいと思うものだ。

そして改めて確信する。

自分たちの願いを叶えるには神に頼むだけではなく自分たちの行動が重要であるのだと。

 

 

◆◆◆

 

 

三門市から戻って来た24人の女性たちは近界民(ネイバー)の夫や子供たちと相談をして自分たちが幸せになれるであろう選択をした。

女性たちの多くは自分の故郷である三門市で暮らしたいと思っているが、彼女たちの夫はラグナの人間だし子供たちは混血(ハーフ)であっても生まれ育ったのはラグナなのだから玄界(ミデン)よりも近界(ネイバーフッド)の方が暮らしやすいと思うものだ。

しかし彼女たちから聞かされた玄界(ミデン)の進んだ文明や便利な道具、美味しい料理や珍しいものに興味がないはずがなく、約半数の家族が三門市に移住したいと申し出てきた。

残りの半数の家族も今はまだ決めかねているという感じで、新しい環境での暮らしに不安があるとか住み慣れた場所を離れる勇気がないだけで三門市での暮らしが嫌だというのではなさそうだ。

ラグナ政府としてはすでに20人もの人間を返し、さらに自国民まで去られてしまうのは非常に()()

もちろんボーダー側にその代価となるものを十分に支払う準備はあるものの、ラグナ側はボーダーから引き出せるだけ引き出そうと考えている。

当然のことながらボーダーも相手の要求を無制限に受け入れることはできず、一定の線で折り合いを付けなければならない。

そこでツグミは人質としてラグナに残るというチャンスを最大限に活かし、ダフネという人間とラグナのことを良く知るために積極的に行動した。

特に庶民と触れ合うことで国情を知ることができ、ダフネが女王としてどのような政をしているのかも彼らから()()を聞くことができる。

そう考えて農作業を手伝い、その中で例の「仮説」が思い付いたのだった。

そしてラグナが住みやすい場所であるからこそ、三門市が恋しいにも関わらずこのままずっと家族と共に住み続けたいと思う女性たちがいるのだ。

もしダフネが暴君や暗君であったら迷うことなく三門市に移住したいと思うだろうが、彼女は若いながらも女王として立派に責務を果たしているということになる。

ツグミは彼女のことがますます気に入った。

悲劇が起きた旧王都の跡地を美しい湖に変え、憩いの場所とすることで慰霊の気持ちを持ちながら国民に心の安らぎを与えたいという気持ちに打たれた。

さらに思いがけずに責任のある役目を押し付けられたが逃げずに立ち向かっているという自分と同じ境遇の彼女にシンパシーを感じ、彼女もまたツグミのことを「敵」ではなく「味方」と認めてくれたことで友情を育むに至った。

だからこれまでのヒエムスやレプト以上に力を入れていて、キオンやアフトクラトルのように「近界(ネイバーフッド)への足掛かり」にしようと考えている。

キオンとアフトクラトルの軌道はそれぞれ最接近する時期には2日か3日で往復できるのだが離れていると半月もかかってしまう。

しかしラグナは玄界(ミデン)とは無関係な軌道を描いていて、常に片道5日から7日しか掛からないという点が()()にするのに適しているのだ。

ラグナに補給基地を置くことによってこれまで以上に多くの国へ行くことが容易となり、今後の拉致被害者市民救出計画も進めやすくなる。

そのためには強い信頼関係がなければ不可能で、ツグミは24人の拉致被害者女性とその家族に対してラグナ政府だけでなくボーダーの幹部やスポンサーたちとも交渉をしなければならないと考えていたので、唐沢のラグナ来訪は天啓に思えたほどだ。

ツグミがラグナ政府とどのような交渉をしたのか証人となってくれる人物が彼なら心強い。

それに近界民(ネイバー)近界(ネイバーフッド)の現状を知ってもらう機会を得たことによって、交渉のプロがボーダーの幹部の説得に協力してくれるだろうと考えてのことだ。

 

こうして午後2時からボーダーとラグナ政府の交渉が再開した。

 

 

 

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