ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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553話

 

 

ラグナ側の要求はボーダー側の提示したものよりもはるかに大きなもので、いくら拉致被害者市民のためだと言っても支払いの上界を超えるものであった。

国民のために医薬品や日常雑貨などを提供するということは他の国でも行ってきたことだが、ボーダーが用意できる量の3倍を要求してきたのだからツグミは不可能だと答えるしかない。

しかしこれで交渉は決裂というのではなく、これからお互いが少しずつ歩み寄ることで妥協点を見付けるのだ。

ラグナ側の要求はボーダー側が絶対にダメだという量をわかっていて吹っ掛けてくるし、ボーダー側は実際に用意できる量を少なく見積もって本来の半分くらい量を提示している。

つまりこれからが勝負なのである。

もっともラグナ側は貰えるものはいくらでもOKなのでボーダー側がどこまで値切ることができるかがポイントとなるのだが、そこがツグミの腕の見せ所なのだ。

今回は交渉の師匠である唐沢が隣にいて弟子の手腕を見守っているので、ツグミも緊張しながらもそれが心地良くて交渉自体を楽しんでいるようである。

互いに要求を言い合い少しずつ「着地点」に近付いていくのだが、お互いに絶対に譲れない部分というものがあって物資の量についてはどうしても「差」が出てしまう。

こういう場合には別のものを提供するわけだが、これは予めこうなることを想定して用意をしておいた。

その「別のもの」とは形のあるものではなく、情報や知識・技術提供という無形の()()である。

医薬品を提供するにしてもその知識がなければ役に立たず、医師や看護師が適切に判断して患者に投与しなければならない。

そこでラグナから医療従事者を留学生として三門市に招いて勉強してもらうことを提案した。

この点は三門市民病院と三門市立大学に協力を依頼してありすでに承諾を得ている。

三門市と市民のボーダーに対する信頼度は非常に高く、近界民(ネイバー)であってもボーダーが()()()()()()()()()のであれば安全だという認識が広まっている。

さらにヒエムスやレプトから帰国した市民とその家族が「玄界(ミデン)規定(ルール)」を守って暮らしていることが市民感情を和らげていることから、新たな国の近界民(ネイバー)の受け入れが容易になっているのだ。

なにしろ大規模侵攻の張本人であるアフトクラトルを同盟に加えるという城戸の爆弾発言があっても反対意見よりも賛成意見の方が圧倒的に多く、来月の市議会では市民の意見を元にしてアフトクラトル同盟加入について議論されることになっている。

近界民(ネイバー)が自分たちの生活を脅かす得体の知れない怪物(モンスター)であれば市民もただ恐れるしかなく「近界民(ネイバー)=敵」であったが、彼らが同じ地域で一緒に暮らしていても何も問題がないとなれば拒否する理由はない。

近いうちにヒエムスやレプトからも留学生が三門市にやって来て玄界(ミデン)の医療を学ぶ予定であるから、そこにラグナの人間が加わったところで単に受け入れ人数が増えるだけである。

初めから留学生の受け入れは計画の中にあるのだが、あえてそれを始めから言わずに「切り札」のように使用するのは交渉の基本だ。

ラグナ側も物資を手に入れるところまでは頭にあってもそれをどう使用するのかわからなければ意味がないということに気付いていなかった ── ラグナに限らずほとんどの近界民(ネイバー)は物さえあればそれで十分と考える傾向がある ── ので、後出しで「使い方、わかる?」と訊くと黙り込んでしまう。

医薬品は使い方を間違えれば有益どころか命を奪うことにもなりかねない。

適量を投与すれば薬になるものであってもその適量がわからなければ毒にもなってしまう。

病気を治そうとして死なせてしまっては意味がないどころか貴重な国民の命を無能な政府が奪ったことになる。

だからツグミは予め近界民(ネイバー)側の要求が物資だけであることを明確にさせておき、使用方法等の説明は別扱いとすることで近界民(ネイバー)側にこれ以上無理な要求をさせない手法を使うのだ。

たとえば抗菌薬のペニシリンを100回分提供するとしても近界民(ネイバー)側がそれをどのような症状の患者にどのように投与するのか知らなければ宝の持ち腐れとなる。

しかしここで50回分に減らしても使用方法を教えてもらえば意味のあるものとなるのだから、ツグミはそこを上手く利用しているわけだ。

結果、ここでも彼女はボーダーの予算内で抑えることはできた。

そして三門市民の女性24人とその家族は全員ラグナで暮らすこととなった。

当初は三門市で暮らしたいという希望者もいたのだが、ダフネが「三門市で暮らしたいと思わなくなるほど良い政治を行う」と彼女たちの前で宣言をしたため、しばらくは様子を見ようということにしたのだ。

もちろん希望があれば里帰りは可能で、年に2回全員が里帰りできるようにすると約束もした。

全員がラグナに残ると決めたのは年若いダフネが国民のことを第一に考えて政をしようという強い意思に皆が期待をしている証拠でもある。

逆に言えば彼女が愚かな女王だと判断された時には24人の女性たちとその家族は全員三門市へと移住することになるだろう。

 

この交渉の間ずっと唐沢は口出しせずにツグミのやることを見守っていた。

その表情は楽しそうで、愛弟子の成長を喜んでいるようであった。

これで彼女が全力で近界民(ネイバー)()()()()()のだという証人になってもらえば、これからの彼女の仕事はもっとやりやすくなるはずだ。

交渉会議は3時間ほどで終わり、午後7時の晩餐まで自室で休憩ということになった。

 

「ツグミくん、ちょっといいかな?」

 

部屋を出たところで、唐沢がツグミに声をかけた。

 

「はい、かまいませんけど」

 

「それじゃ庭を散歩しながら話をしよう」

 

ツグミと唐沢は他のメンバーと別れて王城の庭園へと足を向けた。

 

 

 

 

「さっきの交渉はなかなかの見ものだった。相手もきみと同じくらいの年齢の少女だが彼女もまた年齢にそぐわない為政者としての覚悟を持っていて立派なものだと感じたよ」

 

唐沢がそう言うと、ツグミは笑顔で答えた。

 

「ええ、彼女とはこれからもずっと良き友人でいられそうです。立場や考え方が似ているところがあって、話せば話すほど互いを理解しあえてラグナとボーダー双方にとって最善の結果を出そうと一緒に考えることができます。実を言うとさっきの交渉も茶番なんですよ」

 

「茶番?」

 

「そうです。24人の女性たちがどのような答えを出すのかはある程度は想像できますから、彼女たちの意思を尊重しながらもラグナにとって最も良い着地点を見出さなければなりません。そこでダフネが女王として良い政治をすると彼女たちの前で宣言しました。その言葉が本物であるからこそ彼女たちはラグナで生きていこうという気持ちになったんです。登城した彼女たちを庭で待機させ、ダフネがベランダから彼女たちに向かって自分の気持ちを語るという少々芝居じみた演出をしたのもあの場の勢いではなく、そうすることをシナリオに織り込んでいて行っただけです。そうでなければ彼女たちは待機させずに帰宅させていたはずです」

 

「ああ、なるほどな。おれは単に彼女たちが自分と家族の今後がどうなるのか結果を待っているだけだと思ったよ」

 

「結果の通知だけなら後で書面なり事務官が伝えに行けばいいだけです。そしてあの交渉全体が事前に打ち合わせができていたひとつの芝居だったんです。お互いに自分の意見を言い合ってなかなか折り合いがつかないように見えたでしょうけど、あれば全部芝居です。わたしとダフネはふたりきりで話し合いをして、そこでふたりが納得できる『結果』も出していました。実際にラグナ側の要求はボーダー側の想定の3倍で、さすがにそれば無茶だというものでした。でもエクトスに支払った代価が国家予算の半分だったと聞けば頷けるものです。だからといってこちらが承諾できるものではありませんので、医薬品や日常雑貨などの量を減らした分を別の形で提供するということになりました。それが留学生の受け入れです。三門市側の受け入れ準備は整っていますので、それを説明するとダフネは乗り気になってくれました。なにしろ近界民(ネイバー)たちの医療知識は玄界(ミデン)の数百年前のレベルですから、細菌やウィルスといった概念もないし血液型が複数あることも知りません。トリオン兵や武器(トリガー)などの兵器を作る技術はあっても、顕微鏡で人間の細胞がどのようになっているのか見たこともなく、熱を出したり怪我をした時には野山に生えている薬草を煎じて飲ませたり傷口に塗るなどという代々言い伝えられてきた民間療法レベルでしかないんです。近界民(ネイバー)の戦争がトリオン体で行われるものなので、兵士たちは基本的に負傷しないので治療技術が進歩しませんでした。医療に限らずその他の技術革新は戦争と結び付いていて、玄界(ミデン)では大きな戦争が起きるたびに様々な分野の技術が進歩していったのは悲しいかな事実です」

 

「……」

 

近界(ネイバーフッド)では戦争がないので技術革新がなかったと言うのならまだマシですが、戦争は絶え間なく行われていて人が死ぬような事態にならなかっただけ。戦争で人が死ななくても病気や怪我は日常生活の中で普通にあるわけで、医療面の技術革新がないために幼い子供たちが原因不明の病気で死んでしまったり、若い女性が妊娠や出産の際に適切な対応を受けられずに五体満足な赤ちゃんを産むことができないなど、玄界(ミデン)の開発途上国以下の環境に置かれています。原因がわかれば治療方法を探すことができますが、近界(ネイバーフッド)ではその原因を見付けることができるだけの知識の技術もありません。どの国も人口がなかなか増えないという悩みを抱えているのに医療面が進歩しないのは他国から奪えばいいという考え方が蔓延っているからです。トリオン、労働力、食料、その他必要なものがあれば大量のトリオン兵を作り、トリガー使いを育てて自国よりも弱い国に攻め込んでそこから奪う。そんなことを繰り返してきた愚かで哀れな人類が近界民(ネイバー)なんです」

 

「……」

 

「だから玄界(ミデン)の医薬品を提供しただけでは意味はなく、それを適切に使用できる医療従事者を育てるところから始めなければいけません。そこで医薬品は留学生の派遣を条件に提供することにし、留学生の受け入れがあるので量を減らしてもらうという理由を作ることができます。そうなると問題は24人の女性たちとその家族で、その多くが三門市で暮らしたいという気持ちが強い。ですがラグナにとっては重要な()()でもあるわけで、ダフネはラグナに残ってもらいたいと考えている」

 

「なるほど、上から諦めろとは言えないから彼女たちが自らラグナに残るという選択をさせるよう誘導したのか」

 

「そのとおり。ダフネの治世は女王就任時からずっと好評ですから彼女が約束をすれば信じてくれるという自信がありましたので、今回は留学生を優先して三門市で受け入れることにし、学んだことを祖国に持ち帰って役立ててもらうことによってラグナ国民の生活向上を目指すという流れになりました。ダフネも納得してくれて、あのような結果に落ち着いたように見える芝居をふたりでしていたということです。初めのうちはお互いの要求をバンバン言い合って交渉決裂かと思わせておき、誰にも介入させずにふたりだけで戦っているように見せたのも茶番に思わせないために演出です。真剣勝負に見えたんじゃないですか?」

 

ツグミはそう言って意味ありげな笑みを見せる。

そこで唐沢は思い出した。

以前に彼女へ交渉の基本を教えた時に「交渉とは相手と利害を調整し、相手と自分の双方が利益を分かち合える合意に達するための相互コミュニケーションである」というウィリアム・ユーリーの言葉を引用した。

 

(ツグミくんはこの国に滞在している間にダフネ女王とあんな茶番を演じることができるほど親しくなっていたようだが、その滞在は予定になかったはず。この国に来てから決まったことなのだから突発的なことであっただろうに、それを上手く利用して交渉を成功させている。コミュニケーションが重要だということは話したが、それはたった一度きりだった。それをしっかり覚えておいて()()で効果を上げたか。今回初めて彼女が近界民(ネイバー)と交渉をしている姿を見たが、総合外交政策局長という役職は彼女にピッタリだな。そんな彼女が三雲くんを後継者に考えている。これはなかなか面白いことになりそうだぞ。ますます彼女たちの将来を見届けたくなったな)

 

今回の唐沢のラグナ派遣は本人の希望ではあるものの、城戸たち上層部メンバーがツグミの仕事ぶりを実際に見てみたいと考えていたのでちょうど良い機会でもあった。

普段はツグミ本人の報告及び迅やゼノンといった彼女と特に親しい人間の評価でしかなかったため、ここで唐沢が第三者として公正な判断を下せばそれは彼女の「力」が本物であると証明されるというもの。

そしてその評価は彼女にとって歓迎すべきこととなり、それこそが新たな「力」を彼女に与えることになるのだ。

 

「ツグミくん、きみの仕事ぶりは城戸司令に報告をさせてもらう。ま、おれがきみに肩入れしていておれの主観が若干入るだろうことも城戸司令たちも承知しているが、それでもおれをこの国に派遣したのはきみの仕事をしている姿を彼ら自身が見たいと思っていてもそれができないからだ」

 

「はい」

 

「そしてさっきの交渉内容に関する報告書はこれから書こうと思っている。その前に面白い話を聞かせてもらって良かったよ。明日の最終交渉の際に留学生の人数や留学時期を正式に決定するようだからそれが終わってからでもいいんだけど、この印象を早く記録しておきたいからね。お疲れのところ時間を取らせて悪かった」

 

「いいえ、そんなことはありません。わたしも白状してしまいたかったのでちょうど良かったです」

 

「白状?」

 

唐沢が怪訝そうに訊くと、ツグミはさらりと答える。

 

「さっきの交渉は完璧に見えたでしょう。でもそれは前もって綿密に打ち合わせをしてあったもので、内容もすべて織り込み済みであったためです。すごいイリュージョンを見て感動をしても実際にはいろいろなタネが仕込んであるのと同じ。それを内緒にしておくのはフェアじゃない気がしたんです」

 

「ハハハ、きみらしいな。つまり今ここで聞いた内容は報告してしまってもかまわないということかい?」

 

「報告書に書いて城戸司令に提出するのはかまいませんが、オサムくんたちには内緒にしておいてください。彼らに種明かしをしてしまうのは()()早いです」

 

「まだ…ね。わかった、彼らには内緒にしておくよ」

 

「ありがとうございます」

 

「では、そろそろ戻ろうか。初夏といっても日が陰ると急に肌寒くなってくるね」

 

「ラグナではこの時期湿度が低くて夜間は冷たい風が吹きますから。近界(ネイバーフッド)の国々では(マザー)トリガーの操作によって気候は自由に調整できるそうです。だから一般には主食である小麦の成長に適切な気候に設定しているそうです。そして地震や台風といった自然災害も起きないので、そういう点では玄界(ミデン)よりも暮らしやすいかもしれませんね」

 

ツグミは唐沢と並んで歩きながら自分が経験した近界民(ネイバー)との交流や近界(ネイバーフッド)の自然環境について話した。

彼女の近界(ネイバーフッド)渡航の報告書は唐沢も読んでいたが、彼女が感じたことを本人の口から聞いたのはこれが初めてでありとても興味深いものであった。

そして復路では時間がたっぷりとあるため、もっと詳しく話を聞こうと思う唐沢だった。

 

 

◆◆◆

 

 

翌日の午前、最終交渉が行われた。

まずボーダー側はラグナ政府に医薬品、日常雑貨、保存食、栄養補助食品などの提供と留学生3名 ── これは第一班であって最終的には10人ほどになる予定 ── を3ヶ月以内に受け入れることを約束した。

そしてラグナで暮らすことになった24人の女性とその家族に対しては帰国した拉致被害者市民への補償と同等の補償をすることになるが、政府に提供するものとは別に必要だと思われるものを定期的に届けることになった。

ラグナ側は留学生の選定をすることになるが、玄界(ミデン)と比べて教育レベルが天と地ほどの差があるために非常に難しいものとなりそうだ。

それでも医療に従事した経験があるのならど素人よりはマシということで、王家の主治医と他に民間人からふたりを選ぶことになるだろう。

ツグミとダフネはそれぞれの書類にサインをし、交換をして「儀式」は終わった。

 

そしてツグミのラグナにおける役目は終わり、帰国の途に就くこととなる。

これまでいくつもの国を訪問していた彼女だが、この国には特別な思い入れがあるために少々センチメンタルな気分に陥っていた。

ダフネとも良い友人となり、次に会えるのはいつになるかわからないとなればそれも仕方がないことなのだが。

前夜のうちに私物の整理も終えており、後は心の整理がつけられるかどうかだ。

ダフネも初めてできた同世代の友人で、ツグミが帰国してしまうことを寂しがっていた。

いくら5-7日で行くことができる近い距離にあるといってもダフネは女王という立場上は国を離れることはできないから、ツグミが会いに来てくれるのを待つしかない。

ツグミもまだ拉致被害者市民の救出計画で残りが6ヶ国で260人以上いるとなれば私的にラグナを訪問するのは不可能だ。

せめてラグナで暮らすことになった女性たちの慰問という理由をこじつけて行くのが精一杯。

仲良くなった分だけ別れが辛くなるのは近界民(ネイバー)だろうが玄界(ミデン)の人間だろうが関係ない。

そして相手を想う気持ちも住む世界など関係ないのだ。

 

 

肌に当たる風が冷たく感じるようになった頃、大きく西に沈みかけた太陽の光に照らされてツグミとダフネはお互いに向かい合って自分の両手を相手の肩に置いて顔を見合わせた。

これはラグナにおける親友同士の再会を約束する儀式で、これを行えば必ずまた会えるというジンクスがあるのだそうだ。

 

「ツグミ、必ずわたしに会いに来なさい」

 

「ええ、もちろん。ダフネも国民にとって良き女王でいてちょうだいね。悪い噂が聞こえてきたら二度と来ないわよ」

 

「大丈夫。期待に応えるだけじゃなくてそれ以上に素晴らしい女王になるから」

 

「それなら今度来る時にはお土産をたくさん持って来るから楽しみにしていてね」

 

そんな会話をしているうちにふたりの目には涙が浮かんでいた。

強がっていてもまだ10代の少女たちなのだ。

 

太陽が完全に地平線の向こう側に消えてしまうと別れの時がやって来た。

ボーダーの一行は馬車に分乗して艇へと向かい、そこでツグミは名残惜しいと思いながらも艇のタラップを上がる。

そして数々の良い思い出を積んだ艇は(ゲート)の向こう側へと静かに消えたのだった。

 

 

 

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