ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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555話

 

 

寮に戻ったツグミは洗濯も後回しにしてすぐに着替えをし、迅の運転する車で須坂邸へと向かった。

本当なら自室で手足を伸ばしてゆっくりしたいところなのだが、須坂の気持ちを量ると断るという選択肢はない。

須坂が企業の利益を考えてボーダーのスポンサーになったのではなく、自分の家族を助けたいという必死の思いからボーダーのために可能な限りの支援をしたという経緯を知っているツグミとしては彼が自分の喜びと感謝を伝えたいという気持ちが痛いほど良くわかるのだ。

彼が家族と再会した時の様子はその場に居合わせた迅から詳しく聞いており、話を聞いただけで涙ぐんでしまったほど。

須坂家の手厚いもてなしを受け、ツグミはボーダーの仕事が三門市民の生命と財産を守ることだけではなく、過去に心と身体に傷を負った人たちに対するケアも重要であると改めて自分に言い聞かせたのだった。

 

 

ツグミと迅が寮へ戻って来るとゼノンとリヌスは留守であった。

「テオの家族と一緒に休暇を過ごしてきます」というリヌスの几帳面な字で書かれた置手紙があり、ふたりが三門スマートシティ内のテオの家に行ったことがわかった。

ゼノンとリヌスには帰るべき実家というものはないため、以前から行きたいと言っていた温泉旅行はどうかとツグミは提案していたのだが、テオに誘われて彼の家へ行ったようである。

ツグミがテオの携帯に電話をすると「ゼノンとリヌスはおれのもうひとつの家族なんだから、本当の家族と一緒にみんなで過ごすのは当然だ」と言う。

たしかに家族同様のゼノン隊を離れたくはないという理由でキオン本国での勤務を蹴っただけでなく両親や弟妹たちを三門市に連れて来てしまったくらいの彼であるからゼノンとリヌスを家族だと断言するのは当たり前なのだ。

 

 

「そうなるとレクスも玉狛支部に預かってもらっているから、今夜はふたりきりってことだな、ツグミ」

 

迅がツグミに言う。

 

「そうですね。ここでふたりきりというのは初めてだと思います。必ず誰かがいて、多い時には10人近く住んでいましたからね。それに近界民(ネイバー)のお客さんも度々滞在していて、いつも賑やかだったから今日は何だか静かすぎて怖いくらいです」

 

「それなら今夜は俺と寝るか?」

 

「それもいいですね。でも明日の朝は早く起きて真史叔父さんの朝食に間に合うよう家に帰らなきゃいけないし、何よりも下ごしらえをしておかないとマズいので、悠一さんは自分の部屋で先に休んでください。わたしは用事を済ませてから寝ます。あ、洗濯物はランドリールームに出しておいてください。わたしが一緒に洗っておきますから」

 

「あ…わかった」

 

残念そうな顔をする迅。

久しぶりにふたりきりの夜を迎えたというのにツグミはまったく()()()はないようだ。

結婚するまで清い関係でいようという約束ではあるが、一線を越えなければいいということで同衾することはこれまでにも多々あった。

しかし今夜はツグミがNOとは言わないまでも積極的ではないので迅も諦めざるをえない。

 

(忍田さんのためにわざわざ朝早くに忍田家に行って朝食を作ってやろうというんだから今夜は仕方がないな)

 

ツグミにとって迅は最愛の男性だが、忍田こそが世界で一番大好きな人であることは変えようのない事実である。

あと2年弱という限られた時間でできる親孝行といえば料理を作ったり家の掃除や洗濯くらいしかないのだから睡眠時間を削ってでもしてあげたいと思うものだ。

 

(いくら俺がこいつのことを大事にしても、男としては一番でも全人類となれば忍田さんには永遠に敵わない。それは別にかまわないが、エウクラートンの女王になればそう簡単に会えなくなるんだよな。こいつの背負ったものを俺も半分は背負ってやろうと覚悟は決めているけど、忍田さんに会えなくなる寂しい気持ちをどれだけ癒してやれるんだろうな…)

 

ツグミがエウクラートンで女王になる時には迅も一緒に行って「王配」として彼女のサポートをすることに決めている。

それは彼もまた三門市を離れるということだが、別にそのことで寂しいとか辛いという気持ちは彼にない。

家族はおらず、友人はいてもそれが足枷になるようなものではないし、三門市に特別な愛着もないのだからツグミと一緒にどこへでも行こうと思うのは当然だ。

しかしツグミには離れがたい気持ちがあり、本人も20歳になるまではやりたいことをさせてもらいたいと女王に申し出て許しを得ている。

残り少ない時間をいかに効率良く使い、やるべきことをやってしまおうとする彼女の姿は他人からすれば生き急いでいるかのように見えてしまう。

迅や事情を知っている周囲の大人たちは心配するが、本人は単に後悔をしない生き方をしているだけだと笑い飛ばしていた。

 

(俺はこいつのやりたいようにやらせてやることくらいしかできない。結局なんでもかんでも自分でやろうとするこいつを見守ることしかできないって、俺って保護者枠? ま、長い間兄ポジションでいたからな。自然とそうなるか)

 

そんなことを考えながら迅はツグミにおやすみを言うと自分の部屋へと行ってしまった。

ツグミは自分と迅の洗濯物を洗濯機に放り込み、自分の部屋に戻ると朝食の準備を始めた。

 

(久しぶりだからダシ巻き玉子は絶対よね。そのためには昆布とかつお節で出汁を取らなきゃいけないし、冷凍庫に入れてある鮭のカマを解凍して、それから明日の朝に炊けるよう炊飯器もセットしておかなきゃ。さっき帰りに寄ったスーパーで買った卵と漬物はそのまま袋に入れて冷蔵庫へ…っと。他に何かあったかしら?)

 

ツグミはまだしばらく身体を休めることはできそうにない。

しかし午後11時の就寝時間は必ず守るという忍田との約束であるから、いくらやることがたくさんあっても時間は厳守。

だから効率良くやろうとして、周囲の目には生き急いでいるように見えてしまうのだ。

本人はそんな意識はないのだが、他人よりも思考スピードが速いので他人にはできないことも彼女にはできてしまう。

そして2時間弱の間にすべての仕事を終え、久しぶりに自分のベッドでぐっすりと眠ったのだった。

 

 

◆◆◆

 

 

翌朝、ツグミと迅は6時に寮を出て忍田家へと向かった。

忍田は平時に限るが毎朝6時に起床して庭で鍛錬を行い、その後に朝食を自分で作ってひとりで食べ、8時に出勤をするというパターンを繰り返している。

母親が長期で療養施設に入っているために自分のことは全部自分でやっているので、当然食事だけではなく洗濯や掃除も自らやらなければならず、週一の休日 ── ボーダーの人間といっても近界民(ネイバー)の侵攻がなければ普通のサラリーマンや公務員と大差ない ── には身体を休めるどころか一番忙しい日になってしまう。

そこで3日間の特別休暇はツグミと迅が忍田家で暮らして忍田の面倒をみようというのだ。

とはいえ突然の3日間の休暇に忍田が合わせることはできず、辛うじて2日目と3日目に彼は有給を取って3人で1泊2日の温泉旅行へと出かけることになっている。

 

 

「ただいま帰りました~」

 

ツグミは合鍵で玄関の戸を開けると元気良く呼びかけてから家の中に上がり、その足で庭へと向かった。

そこでは忍田が上半身裸で木刀を振っており、ツグミの姿を見ると素振りをやめて縁側に置いてあったタオルで汗を拭う。

 

「お帰り、ツグミ。久しぶりだな」

 

「ええ。昨日帰国しましたがお互いに忙しくて会えませんでしたからね。電話での声が元気そうなので心配はしていませんでしたが、こうやって顔を見ると安心します」

 

「私もだ。娘が近界(ネイバーフッド)へ行ってばかりで、今回は他のメンバーが帰国してもおまえだけは帰って来なかった。事情は理解しているが、親として心配していたんだぞ」

 

「それは申し訳ありません。そのお詫びも兼ねて今日から3日間、親孝行させていただきます」

 

ツグミがひととおり挨拶を終えると、続いて迅が忍田に挨拶をする。

 

「忍田さん、親子水入らずのところお邪魔してすみません。これも城戸さんの命令なんで」

 

申し訳なさそうな顔をする迅に対して忍田は真面目な顔で答えた。

 

「たしかにツグミとふたりきりになれないのは残念だが、おまえは将来の息子なんだぞ。家族3人で一緒に過ごすことが嫌だということはない。むしろこうして気を遣ってくれた城戸さんに感謝しているくらいだ。おまえとは10年以上の付き合いがあるが、それは単にボーダーの仲間という関係でしかなかった。それが家族になれるというのだから不思議な気持ちではあるな。むず痒いというか、落ち着かないというか…とにかくひと言で言うなら気恥ずかしくて嬉しい、かな?」

 

忍田にとって迅は最愛の娘を自分から奪っていく憎い男である。

いくら「ノーマルトリガー最強の男」とか「ボーダーの虎」などと呼ばれる戦士であってもツグミのこととなるとタダの父親と変わりない。

だから娘の幸せを第一に考えていて、ツグミが選んだ男が迅なのだから許すしかないとふたりの交際を認めた。

しかし考えてみればツグミという人間を最もそばにいて理解しているのが迅であるという確信がある。

おまけに近界(ネイバーフッド)へ頻繁に渡航するという危険な任務に就くツグミに付き添って守ることができる人間も彼しかいないと考えている。

忍田自身も迅のことは人間として認めており、ツグミが下手に「どこの馬の骨だかわからない男」と付き合いたいなどと言い出さなかったことは安堵しているくらいだ。

だから迅のことを家族として受け入れることに何ら問題はないのだが、やはり親バカな忍田にしてみれば嬉しいような寂しいような複雑な気分なのである。

 

「真史叔父さん、これから朝食の支度をします。15分もあればできると思いますので待っていてくださいね」

 

ツグミはそう言い残してひとりで台所へと歩いて行ってしまった。

残された忍田は木刀の素振りを再開し、迅は縁側に腰掛けてその様子を見物することにした。

 

 

「忍田さんが30歳を過ぎてもまだ十分戦えるのはそうした毎日の鍛錬の賜物なんですね?」

 

迅が素直な感想を言うと、忍田は素振りをしながら答えた。

 

「これはもう習慣だから今さらやめる方が難しい。20年以上…人生の半分以上ずっと繰り返してきたんだ、これが私を形作るパーツのひとつだと考えている。これをやめたら忍田真史という人間が誤作動するんじゃないかという気さえするんだ」

 

「あなたらしい言い方ですね。ツグミとそっくりですよ。いや、ツグミがあなたに似ているんだ。あいつも毎朝鍛錬を続けていて、遠征中でも可能であればやっている。ラグナでも迎賓館のテラスで木刀を振っていたんですけど、場所が場所だけに違和感たっぷりでした」

 

「あの子も7歳の時からずっと続けているからそれが当たり前になっていて、逆にやらないと物足りないのだろうな。精神を鍛えるには肉体を鍛えるという体育会系の思想に同意する気はないが、それでも目覚めてから本格的に行動を開始する前に軽く身体を動かすのは理に適っていると思う。それにできるだけ長くトリガー使いでありたいと思うから、これが気休めであったとしてもやっておきたいんだ」

 

「ツグミも()()()()自分の身は自分で守ることができなければ近界(ネイバーフッド)へ行くことは無謀だと言っていました。でもいずれは民間人でも渡航できるよう近界(ネイバーフッド)の秩序を保たなければと頑張っています。そのうちに城戸さんから報告書が回って来ると思いますが、今回のラグナ遠征では大きな収穫があったみたいですよ」

 

「それは楽しみだな。…しかし第一次侵攻の拉致被害者市民の救出計画はまだ3分の1が終わったに過ぎない。今後どのような方向へ進んでいくのかはわからないが、少なくともあの子が中心になって近界(ネイバーフッド)玄界(ミデン)というふたつの世界を大きく変えていくことになる」

 

そう言ってから忍田は素振りをやめ、迅の方に身体を向けて言う。

 

「私には本部長という役目がある以上はあの子のそばにいて守ってやることはできない。だからおまえに頼むしかないんだ。迅、ツグミのことを命を懸けて守ってくれ。そしておまえも絶対に死ぬな。その約束ができないのなら二度とこの家の敷居を跨がせないぞ」

 

「はい、約束します。絶対に忍田さんの期待を裏切らない男になります」

 

力強く返事をする迅。

忍田はフッと表情を緩めて言った。

 

「最近いい顔つきになってきたな。以前の実力派エリートを気取っていた頃と違って落ち着きが出てきた」

 

「当然ですよ。俺がボーダーにいる理由は三門市民のためなんて大層なものじゃなくて、ツグミひとりを守りたかっただけなんです。あいつの未来のことが気になるから未来視(サイドエフェクト)()()()選択肢を選ぶんだと気を張っていましたし、周囲に俺の存在感をアピールしたいって思ってあんなことを言っていました。でもそれがくだらないって気が付いて、自然体でいられるようになったんです。俺が未来視(サイドエフェクト)を使えば使うほどあいつは俺が苦しむと言って、人が死んだり傷ついたりする未来を視ることはないようにボーダーの戦力アップをするんだとあいつなりの戦いをしていました。そのおかげなのか最近では悪い未来は視えなくなりました。もっとも確定した未来し視えなくなっているんですけど、それでも何ら問題がないのは悪いことが起きなくなっているからだと思うんです。近界民(ネイバー)が三門市に攻め込んで来なければ誰も傷つくことはない。ツグミがそうなるよう動いてくれているからです。アフトの大侵攻とその一連の出来事もあいつが積極的に動いたからこそ最善から最悪まであったいくつもの未来の中で最善のものへと導いた。それにあれほど頑なだったヒュースを説得してエリン家を味方にしたことで情報収集は楽になり、遠征でも誰ひとりとして傷つくことはなく無事に終了しました」

 

「そうだったな。アフト側に協力者がいたからこその大成功だった」

 

「そしてハイレインによる報復の可能性もあったわけですが、ボーダーがキオンと手を組んだことによってヤツも簡単に手出しができなかった。それだってあいつがゼノンたちの心を掴んだからこそで、そのきっかけとなったミリアムの(ブラック)トリガー強奪未遂事件だってあいつの機転がなければ大変なことになっていたでしょう。あいつは何を根拠にしているのかわかりませんが、自分の選択に迷いがありません。俺なんていくつもある未来から最善のものを選ぼうとしても必ずどこかで後悔するような結果となってしまいますが、あいつはその時の最善だと思われる結果へと自分の力で導いてしまう。その行動の原動力は俺が辛い未来を視ることがないようにという健気なものなんです。あいつが俺のことを愛してくれているのだと思えば俺にそれだけの価値があるのだと信じてもいいでしょう。俺はあいつに相応しい男にならなきゃいけないと思うと肩肘張ってしまいましたが、あいつは俺の自然体が好きなんだと言ってくれました。無理をせずにありのままでいればいいって。俺は誰のためでもなくあいつと自分のためだけに生きていい。その結果三門市民が幸せになれるんなら一石二鳥。あいつは俺の背負っていた無意味な責任感から解放してくれました。そのおかげでしょうね、きっと」

 

「ああ。人は誰だって他人のためではなく自分のために生きている。自分が幸せになりたいからそのために何が必要なのかを考えて自分で判断していくつもの選択肢から選ぶんだ。自分を犠牲にしてまで他人にために生きるなんてことはできるはずがない。それは偽善だ。もっとも何もしないよりは偽善であっても行動するべきだが、他人のためにやっているという輩は胡散臭くて小さな人間でしかないと私は考えている。むしろあの子のように自分は利己主義者(エゴイスト)だと堂々と言える人間の方が正直で信用できるというものだ」

 

「あなたの言いたいことは良くわかります。あいつのいいところは他人の評価よりも自分がやるべきことをやったという達成感の方を重視する点です。前には他人の期待に応えなければ自分は価値のない人間だと思い込んでしまうところがあって無理してばかりでしたが、それよりも大事なことがあると気付いたことで大きく変わりましたからね。自分がやりたいことをやって納得できる形で終わらせたいというあいつの気持ちは清々しく感じられます」

 

ツグミを愛おしいと思うふたりの男たちがそんな会話をしていると、台所からツグミの声がした。

 

「真史叔父さ~ん、ジンさ~ん、ご飯ができましたよ~」

 

すると忍田と迅は顔を見合わせて微笑んだ。

 

「これが私たちの求めている最高の幸福だと思わないか?」

 

「はい、そうですね。家族と一緒にメシを食う。そんな当たり前のことが一番の幸せで、それを守ることが一番難しい。大事なものほど壊れやすく、一度失ってしまったら取り返しがつかないですからね」

 

「ああ。ではその一番の幸せを満喫するとしよう」

 

忍田は縁側に放り出してあったシャツを着ると迅と一緒に居間へと向かった。

テーブルの上にはすでに3人分の鮭の塩焼き、ダシ巻き玉子、ホウレンソウの胡麻和え、キュウリの糠漬け、ワカメの味噌汁とホカホカの白ご飯が並べられている。

昨夜のうちに手間のかかるものは準備をしておいたので手早く用意ができたのだ。

エプロン姿のツグミが台所からお茶を運んで来て、3人は食卓についた。

忍田は久しぶりのツグミの手料理を目を細めてひと口ずつ大切に味わい、そんな彼の姿を見るツグミは至高の幸せを感じているようであった。

迅はこのふたりの間に存在する「家族の絆」に自分も加えてもらえるのだと思うとそれだけで失ったものよりも手に入れたものの方がはるかに大きいのだと思えたのだった。

 

 

忍田を送り出した後、ツグミと迅は洗濯と掃除を始めた。

ここしばらくは忍田も特に忙しいということはなく、週一の休日にはきちんと家事をしていたようだ。

それでもボタンのとれたシャツがあったり、穴が開いた靴下をそのまま履いていたりと、女手がないとダメな部分がいくつか目についてしまう。

 

「やっぱり真史叔父さんにはパートナーがいないとダメだわ。沢村さんには何度もチャンスを作ってあげたのにそれを活かすことができていない。それはふたりとも現状に満足してしまっているから。彼女は真史叔父さんのことが好きなのにボーダーで一緒にいることで次の一歩が踏み出せないでいる。たぶん告白して玉砕してしまったらボーダーにいられなくなる。そんなことになるくらいなら仕事のパートナーで十分だと考えているのね。それって昔のわたしと悠一さんみたい。ううん、わたしたちは両想いであったけど、真史叔父さんは沢村さんに対して仕事のパートナーとしては認めているけど個人的な感情は抱いていなさそう。それじゃあ彼女も博打はできないわよね。ねえ悠一さん、この困った大人たちをどうしたらいいと思いますか?」

 

ツグミにも手の負えない問題を迅に解決できるはずもない。

 

「俺に訊かれてもな…。そもそも忍田さんって恋愛とかしたことがあるのかな? 俺の知る限りそういう女性がいたという記憶はない。俺が子供で気付かなかっただけかもしれないが、あの人に意中の女性がいたとは想像できないんだ」

 

「あの人の愛情はわたしにだけ注がれていたから、たぶんいなかったんでしょうね。一緒に暮らしていてもそんな気配さえなかったから。でもあの人にだって思春期ってものはあったはずで、同級生とか気になる人はいたと思う。でも10代でボーダーなんていう殺伐とした組織の一員になっちゃったから、それどころじゃなかったのかも」

 

ツグミと迅は勝手な想像をしているが、ふたりとも大きく外れている。

たしかに忍田にも誰もが通過する時代を迎えたものの、彼にとって恋愛よりも重要なものがあったのだ。

簡単に言えば太刀川と三輪を足して2で割ったような若者で、剣術に夢中になって強い者と戦いたいという「剣バカ」であり、姉の美琴のことが好きすぎて他の女性など目もくれない「シスコン」であった。

ところが近界民(ネイバー)の襲撃によって美琴は他界してしまい、抱えていた思慕の気持ちが砕かれてしまったことからますます剣バカの道を歩んでしまったのだ。

そんな彼が女性や恋愛などというものから縁遠くなるのは無理もなく、30代の半ばを過ぎても仕事一筋の堅物となってしまったのはツグミという姉の忘れ形見の存在があったからだ。

いくら沢村が頑張ったとしても美琴に似ているツグミに勝てるはずがない。

ただしツグミが結婚してしまえばさすがの忍田も変わるかもしれないので、沢村が諦めなければまだチャンスはあるというもの。

沢村の不幸は忍田真史という男を愛してしまったことで、彼女もボーダーに関わらなければ今頃幸せな結婚をしていたかもしれない。

そう考えると近界民(ネイバー)とは罪深い存在である。

 

午前中のうちに洗濯と掃除が終わってしまったので、ツグミと迅はふたりで買い物がてら散歩に出かけることにした。

 

 

 

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