ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

590 / 721
571話

 

 

アフトクラトルでの滞在は2週間の予定であったが鬼怒田の判断で最終的には20日という長丁場となった。

トリガー技術の先進国から学ぶことは多く、またアフトクラトル側も戦争以外のトリガー開発に関して鬼怒田たちから教えられることはそれ以上に多かったのだ。

ボーダーとアフトクラトル双方にとって実りの多い結果となり、この間に余裕で遠征艇のトリオンタンク2つ分は満タンになった。

ツグミはディルクやヒュースと一緒に国内のいくつかの町や集落を巡って住民たちとの交流をし、何が彼らに必要なものか調べると同時に彼らの生体データの収集を行った。

詳しいことは三門市に戻って検査をしなければわからないが、ツグミの問診によると他の近界民(ネイバー)たちと同様にビタミンやカルシウムなどの身体に必要な栄養素が不足しているために起こる症状を訴える者が多かった。

新しい「神」が決まるまではずっと痩せた大地を耕して栄養分の少ない穀物や野菜を死なない程度にしか食べていなかったのだからそれは仕方がないことだ。

滅びかけていた太陽と国土を復活させて四季を取り戻し、安定した気候の中で大地に多くのトリオンを回すことで作物は十分に収穫できるようになったものの、それまで数年間の栄養不足をすぐに回復させることはできない。

特に栄養素の概念のない近界民(ネイバー)たちは自分の病気が特定の栄養素の不足によるものとは想像もできず、したがって治療方法もわからないという状態になる。

たとえば玄界(ミデン)では女性に多く貧血の症状が見られるが、それが女性特有の生理現象が原因のひとつであることは認知されているので、その症状を改善するために鉄分を多く含む食品を摂るよう心掛けることができるのだ。

近界(ネイバーフッド)における最大の問題は生体エネルギーであるトリオンに依存していることにあり、トリオンを生み出す人間が増えない理由は医療レベルが玄界(ミデン)の中世の頃と大差ないという点にある。

ユニセフのデータによると、日本は新生児が命を落とす割合が世界で最も低い国ということで、1111人に1人だそうだ。

反対にパキスタンでは22人に1人が新生児の段階で死亡しているという。

早産や出生時の合併症、そしてその他の感染症などが主な要因となっているそうだが、近界(ネイバーフッド)の状況も似たようなものらしい。

庶民が病気や怪我で医師に診てもらうことはほぼ不可能で、野山に生えている薬草を飲ませるなどの民間療法しかない。

それではいつまで経っても人口が増えるわけがない。

だからトリオンも増えず、他国から奪うという短絡的な手段を選んでしまう。

そのためにもトリガーやトリオン兵を造らなければならず、国民のために使うべきトリオンもすべて軍備に回ってしまうので、ますます国民は疲弊してしまうのだ。

その負のスパイラルを断ち切るために必要なのは国民が誰でも適切な医療を受けられることであり、レクスは子供ながら誰にも教わることなく自分で医師になることを決めた。

それだけ聡明な子供だということだが、そのせいで彼は両親と離れ離れになって三門市で暮らすことになった。

彼にとってそれが幸福なのか不幸なのかはわからない。

しかし自分で決めた道を途中で投げ出すような子供ではないので、一時的な里帰りは別として医師になるまでは故郷に帰ることはできないのだ。

ハイレインやアフトクラトルに残った大人たちはそのことを知っており、大人である自分たちが何もせずに子供の世代に責任を背負わせるなどということはできないとレクスが帰って来ても落胆しない国を創ろうとしている。

そのためには玄界(ミデン)の技術や知識、知恵などが不可欠であり、形振りかまってはいられないということで、その知識や技術との交換にアフトクラトルのトリガー技術をボーダーに惜しげもなく公開したにちがいない。

そんな彼らの気持ちに応えようとツグミは時間の許す限りアフトクラトルの庶民の生活レベルの向上に役立てるための調査を行い、この結果を元に次回の訪問の際には必要だと思われるものを運んで来ようと考えていた。

そして迅はぼ〇ち仲間となったヴィザと剣を交え、ますます親交を深めた彼はヴィザの屋敷に招かれるようにもなった。

一度だけだがツグミも一緒にヴィザの屋敷を訪問し、彼の数々の戦場での活躍について話を聞かせてもらった。

その話の中にはツグミの仮説を裏付けるものもあった。

ヴィザが若い頃、つまり50年近く前にはトリガー使いの数はそれほど多くはないものの、トリオン能力は現在よりもはるかに優れている兵士ばかりだったというのだ。

ヴィザが60歳を過ぎても現役バリバリのトリオン能力者であるのは、トリオン器官を若い頃から鍛えていたというだけでなく、その頃に食べていた食料に多くのトリオンが含まれていたからではないかとツグミは考えていた。

実際にヴィザの話によれば昔は(マザー)トリガーから抽出したトリオンを農地に多く配分していたので、そこから採れる作物にもトリオンが多く含まれていたはずで、彼が20代半ばの頃から当時の国王が軍備増強に舵を切ったタイミングでトリオン能力者が減っていったということであった。

もちろんこれはヴィザの個人的な感想で証拠があるのではないが、50年以上も最前線で戦ってきたトリガー使いの経験上感じたことなので無視することはできない。

ツグミの「個人のトリオン能力にはその食生活が大きく影響を与えている」という仮説が立証されたなら、もうトリガーホーンなどというリスクを伴う手段を講じる必要もなくなるはずだ。

そしてその国で必要なトリオンは国内で賄えるようになれば戦争も減ることになり、敵意を持って三門市にやって来る近界民(ネイバー)はいなくなることだろう。

ツグミはそう考えているのだが、彼女はそれが容易なものではないことはわかっている。

そして近界民(ネイバー)すべてが友好的な隣人(ネイバー)にはならないことも承知しており、その上でそんな夢物語を実現したいのだと公言しているのだ。

周囲の大人たちも世間知らずな子供の戯言だと一蹴せず、不可能だと思えることをやり遂げようとしている姿を見て何もできなかった自分たちと重ね合わせて応援したくなってしまう。

強く願えば想いは叶うと言う者がいるが、そういった連中は大きな望みはあっても努力や具体的な行動をせずにいる卑怯者だとツグミは考えている。

願うことは重要だがそれよりも重要なのは行動をすることであり、たとえその行動の結果が自分の思いどおりにならずとも不貞腐れて諦めないこと。

世の中が理不尽なことばかりなのは18歳の彼女にだって理解できる。

だからといって指を咥えて我慢するのは性に合わないと、自分のできる範囲で抗ってみせるのだ。

そう話すツグミの姿をヴィザは昔の自分に良く似ていると感慨深く言っていた。

ツグミは気になって詳しいことを聞こうとしたのだが、ヴィザがそう言うと口を噤んでしまった。

誰にでも知られたくないことはあるのだろうとツグミが深く追求はしなかったので、ヴィザが若い頃にどのような志を持って戦っていたのかは彼が再び口を開く時までは謎のままである。

 

 

アフトクラトル滞在の最終日の夜、アフトクラトルの技術者(エンジニア)たちが送別会を開いてくれた。

ハイレインも送別会をしようと考えたのだが国王という立場であるがゆえに主催というわけにはいかず、家臣たちの自発的な行事として認めて自分は様子を見に少しだけ顔を出すということにした。

初めはお互いに警戒し合っていた技術者(エンジニア)たちも今や「金石の交わり」といえる強い絆を結んだようだ。

下戸である鬼怒田を気遣ってノンアルコールの宴会で、20日間も共に過ごした彼らは楽しそうに笑ったり、別れが辛いと泣いたり、果ては酔ってもいないはずなのに肩を組んで大声で歌い出す始末。

そんな技術者(エンジニア)たちの様子をツグミと迅、ハイレイン、ランバネイン、ヴィザ、ディルクの6人は微笑ましいという顔で見ている。

今回のアフトクラトル訪問はアフトクラトルの技術者(エンジニア)による技術指導であったが、ボーダーの技術者(エンジニア)から良い刺激を与えてもらったという思いがけない効果もあった。

それが今後の近界(ネイバーフッド)玄界(ミデン)の関係にどのように影響してくるのかはまだわからないが、少なくとも「あのアフトクラトルが自国のトリガー技術を玄界(ミデン)に伝授した」という()()近界(ネイバーフッド)中に広まることで戦争抑止効果となるだろう。

アフトクラトルが軍事大国の看板を捨てて玄界(ミデン)と同盟を結んだという話はあっという間に広まり、アフトクラトルは以前のように戦争を仕掛けてくることはないと多くの国は考えている。

実際にそのとおりなのだが、そうなると今こそ我らが覇権を…と行動を開始する中堅クラスの軍事国家が台頭してくるだろうとハイレインは言っていた。

たしかに彼の言うことは理解できるしツグミもその可能性は想定している。

だからこそ同盟国を増やし、同盟国に対して第三国が武力侵攻を実行した際にはアフトクラトルとキオンにボーダーを含めた「連合軍」が援軍として駆けつけるとなればさらなる抑止力となると考えたのだ。

自国よりも弱い国へ攻め込んでもその背後から圧倒的な戦力の軍が挟み撃ちにしようとする。

そんなハイリスクを負ってまで他国へ侵攻しようと考えるバカな国は今のところはない。

日本は近代になって「富国強兵」のスローガンを掲げて国内の経済発展を図り軍事力を強化しようとした歴史がある。

この政策は国民にとって多くの利益をもたらしたが、一方で多くの犠牲も生じた。

アジアの多くの国が欧米諸国によって不平等な条約を押し付けられたり植民地化によって圧制を強いられてきたため、日本は強い軍隊を持って対等な立場にならなければならないと考えたのは仕方がないと思われる。

現在の近界(ネイバーフッド)の国々も国を豊かにすることと同時に強い軍を持たなければいけないと考えているが、玄界(ミデン)は対等な立場での同盟国となることを呼びかけており、軍事力をちらつかせることよって不都合な条件を押し付けようというのでもない。

エウクラートンやメノエイデスなど軍事国家ではない国も、アフトクラトルやキオンのような軍事大国であっても対等な立場での交流を進めているとなれば安心して同盟に加わることができるだろう。

そういう意味でエウクラートンにも当初の三国同盟締結に加わってもらったのだった。

キオンやアフトクラトルといった軍事大国だけと手を結ぶのであればボーダーは近界(ネイバーフッド)を支配するために進出してきたと思われるが、そうではなく最低限の約束を守ればどの国でも受け入れると証明している。

そして玄界(ミデン)がその進んだ文明の一端でも無償で()()()()()()となれば飛びつかないという選択肢はありえない。

もちろん同盟国なんてものに頼らずに自国だけでやっていけるという国もあるだろう。

しかし()()アフトクラトルですら武力を専守防衛に限ってでも玄界(ミデン)と手を結んだのはそれだけの魅力があるということで、無理をせずともそれが手に入るのであれば中小の国が自国の中途半端な武力を放棄したところで惜しくはないはずだ。

ボーダーが近界民(ネイバー)たちに強い影響力を与えることにって三門市の平和が確保されるだけでなく彼らのトリガー技術を手に入れることで生活レベルの向上が見込めるとなれば玄界(ミデン)の人間もボーダーの働きを認めざるをえない。

ようするに近界民(ネイバー)であろうが玄界(ミデン)の人間であろうが「楽して得ができる」ことを嫌うはずがなく、むしろそれが可能なら大歓迎だという気持ちになるのが自然なことなのだ。

 

かつてレプリカの提供した惑星国家の軌道配置図を「遠征30回分の価値がある」と称した鬼怒田だが、今回の留学は彼にとってどれだけの価値があったのか…ツグミには想像もできずにいた。

もちろん本人に訊けばいいのだが、鬼怒田の満足そうな顔を見ていればそれだけで十分だということで訊くことはしなかった。

昔、日本でも幕末期に外国からいろいろなものがもたらされたが、そのほどんどが日本人にとって驚くべきものばかりだった。

特に蒸気船を見たインパクトは想像を絶するもので、たぶん城戸たちボーダー創設時のメンバーがトリガーに触れた時も同じようなもだったにちがいない。

そして若者たちが欧米へと留学して多くを学んだように鬼怒田たちも近界(ネイバーフッド)最高レベルのトリガー技術や知識を学んだ。

これは明治維新に続く第2の一大変革となるであろう。

その中心にいるということで鬼怒田たち技術者(エンジニア)は気持ちが高ぶっているらしく、帰国のための作業を行っている時もずっと機嫌が良かった。

帰りたくない気持ちがある反面、早く帰って新しいものを作りたいという気持ちが勝っているのだろう。

ボーダーの遠征艇の倉庫にはアフトクラトルから運び出せる限りのトリオンの知識やトリガー技術が記された書類の他、試作したトリガーの数々が積み込まれている。

これでハイレインたちが三門市に侵攻したことを帳消しにすることはできないが、三門市民にも彼の気持ちが少しは伝わるはずである。

そのためにはボーダーがアフトクラトルから学んだ技術を市民生活向上のために転用した()()()()道具(トリガー)が必要で、さっそくその計画に乗り出している。

帰国すれば鬼怒田たちはこれまで以上に忙しくなるだろう。

ただその忙しさも攻め込んで来る近界民(ネイバー)に対しての防衛策ではなく、三門市民がより良き生活を送ることができるようになるものだとすれば気分も楽になる。

どうやら鬼怒田は実家に帰した妻子を三門市に呼び寄せて一緒に暮らすことに決めたらしい。

家族とは一緒にいなくてもその絆が断たれることはないが、やはり一緒にいるべきものなのだから。

 

 

◆◆◆

 

 

ひと月以上の旅を終えて帰国すると、三門市は夏真っ盛りになっていた。

学生たちは夏休みに入り、本部基地の個人(ソロ)ランク戦ロビーは大勢の隊員たちで賑わっている。

B級ランク戦がない日でこの状態だから、隔週水曜と土曜日はもっと混雑しているということだろう。

なぜこのように皆が熱心に訓練を行うようになったのかは簡単である。

三門市防衛のために組織されたボーダーだが、その敵となる近界民(ネイバー)の出現がほぼゼロになっている状況で、これ以上防衛隊員の数は増やす必要はないと判断した上層部が新規募集の数を減らした。

いや、正確に言うと厳選するようになったのだ。

もちろん正隊員が辞めてしまうことは当然あるのだから一定の数は維持する必要はある。

そうなると重要なのは隊員の()()で、ボーダーに残りたいと思う隊員は訓練に励むことになる。

しかしボーダーの正隊員の給料はそれほど魅力的なものではないのだから防衛隊員を続ける理由はなさそうなものだが、「ボーダーの防衛隊員とオペレーターは就職に有利」だという噂が流れたものだから、ある程度の()()を残すために頑張っているのである。

いずれ警察や消防などでもトリオン体を使用することになることは明白で、その時に()()()ならば就職だけでなく給与面で優遇してもらえるとなれば若い今のうちにトリオン器官を鍛えるだけ鍛えておこうという気にもなる。

ボーダーで働いているといっても途中で辞めて別の職に就くことを前提としている者が多いということで、別の言い方をすればボーダーに残る覚悟のある優秀な防衛隊員やオペレーターは厚遇しなければ組織を維持できない。

こういった問題を上層部で話し合った結果、B級ランク戦のない9月に正隊員を対象に「能力試験」を行うことに決まった。

そこで学校が休みのこの期間に訓練をして、ボーダーに残る者はもちろんのこと別に就職することを考えている者は「内申書」を良くするために能力試験に挑もうということなのだ。

いずれにせよ熱心に訓練に臨む姿勢は良い傾向で、その訓練の結果はすぐに効果が表れずとも人生の中で無駄であったということにはならないはずだ。

 

 

ツグミがロビーを横切ろうとすると向かいから修、遊真、千佳の3人が玉狛第2の隊服を着て近付いて来た。

 

「霧科先輩、お帰りなさい。お疲れさまです」

 

修が礼儀正しくお辞儀までするものだから、遊真と千佳もそれに倣って頭を下げる。

 

「ただいま。なんだか懐かしい恰好をしているじゃないの、みんな」

 

「ぼくたちも総合外交政策局の仕事がない時には訓練に参加しておこうと思って。これからも近界(ネイバーフッド)へ行くことがあるんですから、自分の身は自分で守るという最低限のことはできないといけませんから。それでこれから麟児さんと合流して影浦隊と鈴鳴第一とチーム戦をやることになっています。以前はチーム戦となるとB級ランク戦という公式な対戦だけでしたが、非公式でもチーム戦ができるようシステムが変わったんです」

 

「へえ~、それじゃやる気のある隊員とない隊員の差がますます開くってことね。わたしも暇ができたら顔を出そうかな? たまには身体を動かさないとトリオン器官は衰えるし、なにより身体が鈍っちゃう」

 

ツグミがそう言うと彼女の背後で声がした。

 

「それなら俺と勝負してみないか?」

 

「え? …あ、麟児さんじゃないですか。ビックリしましたよ」

 

声の主は麟児であった。

彼もまた玉狛第2の隊服を着ている。

 

「俺ならがっかりさせるようなことはないはずだ」

 

「そうですね。近いうちによろしくお願いします」

 

麟児との対戦の約束をし、ツグミは修たちと別れて上層階へと向かう直通エレベーターに乗るためにロビーを後にした。

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。