ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
ツグミが総司令執務室に入ると城戸だけでなく忍田も彼女のことを待っていた。
予定よりも期間が長引いてしまい、メノエイデスを発ったタイミングで本部基地への連絡が可能となったのでそこで簡単に報告はしてある。
しかしその連絡がないことで不安にはなっていただろう。
場合によっては期間が延びるということは伝えてあったものの6日も延長したのだから忍田だけでなく城戸も心配していたにちがいない。
そして三門市に到着したことを伝えたので、忍田は城戸の部屋で待ち構えていたのだ。
彼の顔は娘のことを心配していた父親のものだが、ツグミが帰還の挨拶もそこそこに城戸に報告書を提出する様子を見てボーダー本部長の顔になった。
「今回のアフトクラトル訪問につきましては主たる目的が
「うむ、ご苦労だった。さっき鬼怒田室長から報告書を受け取ったが、なかなか実りのあるものとなったようだな?」
「はい。住む世界が違っても
「戦争に使っていたトリオン兵を農作業に使うとは
「はい。
現物はそこにはないが頭の中でモールモッドが畑を耕している様子を想像したのか、城戸がわずかに表情を緩めたことにツグミはすぐ気が付いた。
「そんな我々の役に立たない玩具を作って喜んでいたのか」などと非難されるかもしれないと少し不安であったツグミは胸を撫で下ろす。
(今さら改造したトリオン兵を
少しずつでも「昔の城戸さん」が戻ってきていることがツグミにとってはなによりも嬉しいことなのだ。
「本日一五〇〇時から臨時幹部会議を行う。それまでゆっくりと休んでくれ。以上だ」
「はい」
城戸への報告という仕事を終えたツグミを待ち構えていたかのように忍田が彼女の声をかける。
「ツグミ、迅はどうした?」
「今は仮眠室で休んでいるはずです。トリオン補給は不要ですが艇の操縦には操縦者のトリオンが必要で、今回の渡航では操縦のできる人間が彼だけだったので少し無理をさせてしまいました。だから休んでもらうようお願いをしたんです。3時間くらい眠れば元気になるでしょうから」
「それならおまえだけでいいから一緒に昼飯を食おう。話はまた別の機会に時間を作ればいい」
「わたしたちに何か話があったんですか?」
「まあ…な」
忍田しにしては歯切れの悪い言い方なのでツグミは少し気になったが、相手が言いたくなさそうなことを無理に訊くのは失礼だ。
「わかりました。急ぎの話ではないのならゆっくりと落ち着いて話せる場所や時間の方がいいでしょうし。それで昼食はどこへ行きますか?」
「給料をもらったばかりだから久しぶりに寿司でも食いに行くか?」
忍田がそう言うと、ツグミは首を横に振った。
「そんなことじゃダメですよ。回転寿司ならともかく昼間からそんな無駄遣いをしていては老後の蓄えが不安になります。下の食堂にしましょ?
ツグミに窘められてへこむ忍田。
忍田は娘のツグミを食事に誘ったのだが、ツグミは本部長と総合外交政策局長という職場の同僚のつもりでいるから当然の反応である。
そんなふたりの様子を見ていた城戸が言う。
「忍田本部長、ツグミの言い分はもっともだ。親子の会話は定時に仕事を終えてからにするのだな」
城戸は忍田の気持ちは理解できるもののここはツグミの言い分が正しいと判断したようだ。
しかし
今日は早く家に帰って家族団らんの時間を過ごせばいいということなのだ。
「わかりました。では、失礼いたします」
「わたしもこれで失礼いたします、城戸司令」
忍田に続いてツグミも総司令執務室を出て行った。
◆
「いくら私の懐具合を心配しているからといって
エレベーターの中で文句を言う忍田。
そんな彼にツグミは反論した。
「ええ、わかっています。これはお金の問題ではなくわたしの都合によるものですから」
「おまえの都合?」
「はい。これは自分が蒔いた種のようなものなんで忍田本部長にも真史叔父さんにも責任はありません。実は…総合外交政策局長としてマスコミへの露出が増えたことで街を歩いていると市民から声をかけられるようになりました。いえ、それよりもずっと前の例の有人
「なるほどな。これで合点がいった」
忍田がうんうんと頷きながら言う。
「その点で
「たしかにおまえの言うとおりだ。しかし食堂は混雑しているだろうから時間がかかるかもしれないぞ」
「それは夏休みになって中高生の隊員が熱心に訓練をするようになったからですか?」
「ああ。ボーダーも組織内の改革をしなければならない時期が来たからな。これでボーダーに残るか、高卒もしくは大卒のタイミングで辞めて別の道へ進むかを決める判断材料になると思う。これからは防衛任務よりも
「だから防衛隊員の質の向上を図り、個々の才能や能力に見合ったポストを与えたり、戦闘能力の低い隊員には別の分野…たとえば災害救助等の戦闘とは直接関係はないがトリオン体を使って公共の利益につながる仕事に就くよう勧める、ということですね?」
「そのとおりだ。そしていずれこの三門市だけでなく
「その後…とは何ですか?」
「それは城戸さんのみぞ知る、といったところだ。あの人は他人に素の姿を見せてくれない人だ、長い付き合いの私にすらあの人はわからないことが多い。ただひとつ言えることはあの人が優しい人だということ。それはおまえにもわかるだろ?」
「もちろんです。でもそれだけで十分ではありませんか? わたしたちはそんな城戸さんを信じて支えていくだけです」
「ああ」
エレベーターの扉が開き、食堂のあるフロアに到着するとふたりで食堂に向かった。
食堂は昼食の時間帯ということで混雑しており、一番奥の目立たない場所にあるボックス席に空きがあるのを確認すると忍田に席の確保をお願いしたツグミはふたり分の料理 ── ツグミはカツ丼で、忍田はカツカレー ── の食券を買って列に並ぶ。
食堂内には見知った顔がいくつもあるのだが彼女が幹部の制服を着ているものだから気付かないのか遠慮をしてなのかわからないが声をかけてくる者はいない。
だから彼女もあえて声をかけようとはせず、料理を受け取ると忍田の待つ席へと直行した。
窓側の明るい場所であり最奥の席なのでふたりだけで食事をするのには適している場所だ。
「お待たせしました」
ツグミは忍田の前にカツカレーを置き、自分の前にはカツ丼を置いた。
そして「いただきます」と言うと食べ始める。
「おまえがカツ丼なんて珍しいな。おまえはここの塩ラーメンときつねうどんが好きだと言っていたから、そのどちらかにするかと思っていた」
忍田がそう言うと、ツグミが笑みを浮かべて答える。
「たしかにそれも食べたいと思いましたが今日はどうしてもカツ丼が食べたい気分だったんです。
「だからカツ丼か。でもそれならカツカレーでもいいんじゃないか?」
「カレーは昨日の夜に食べました。レトルトのものを温めただけですけど」
「そういうことか。…話は変わるがおまえの留守中にこちらでいくつか
「はい。ひと月以上も離れていればその間に何かあるに決まっています。それが良いニュースならいいんですけど」
「まあ、ボーダーに関わることは良いニュースだと言えるのだが、個人的なところでは悪いニュースがある」
急に忍田は険しい顔になった。
「悪いニュースの方は食事の後にしよう。こういう場で話すことではないからな。それで良いニュースだが主要な点を掻いつまんで話す。詳しいことはおまえの執務室のPCに送ったデータを後で読んでもらえばいい。まずはおまえが気にしていた拉致被害者家族の帰化
「第一次侵攻やアフトの大侵攻の直後でしたらそうはいかなかったでしょうが、アフトの侵攻からでも2年半も経ちましたから
「ああ、そうだ。子供たちも基本的な読み書きや計算などを教えてから入学させているから授業にもついていけるようだし、なによりも勉強したいという意欲がこちら側の世界の子供と違う。希望者はこの夏休みに補習をするらしいからまったく心配はいらないということだ」
「それは良かったです。
「そう言うということは、会議で配る書面はすでにできているということだな?」
「あとは印刷するだけです。今日の会議がいつもよりも開始時間が遅いので助かっています」
すると忍田はやれやれという顔で言う。
「それは雑務に費やす時間ではなく、帰国したばかりで疲れているおまえたちに気遣って遅くしただけだと思うぞ。ゆっくり食事をして、身体を休めてから仕事をしてくれということだ」
「あ…それはそうですね。城戸司令はいつでもわたしたちのことを良く見ていますから、ほんの少しの変化でも気付いてくれます。以前にわたしがトリオン切れで倒れた時にもわたしの好物を覚えていてお見舞いに持って来てくれたんです。それがわたしだからというのではなく他の隊員や職員でも同じく目を配ってくれています。優しい人ですが、あの見た目と
本気で申し訳ないと思っているものだから、ツグミは表情を曇らせた。
「城戸さんはそんなこと気にしてはいないさ。昔おまえがメノエイデスで捕虜を逃がしたとして隊務規定違反でB級降格などの処分をした時には『あの子なら賢いからいつかわかってくれる時が来る』と言っていたんだ」
「それは初耳です。でもちゃんとわたしのことを見ていてくれたということですね。なんだかちょっと嬉しい…」
そう言ってツグミは目を細めて微笑んだ。
忍田もコロコロと変わる
◆◆◆
食事が終わるとツグミと忍田はそれぞれ自分の執務室へと戻り、幹部会議の準備や雑務に取り掛かった。
ツグミは総合外交政策局長として
どちらも重要な仕事であってなくてはならないものなのだが、2年半前のアフトクラトルによる大規模侵攻以前には「
総合外交政策局という部署も1年と少し前に創設されたというのに、現在ではボーダーの活動の多くを占めるようになっている。
三門市民も第一次
そうなると総合外交政策局の仕事の比重が増えてきて、現在のメンバーのみでは今後増大するであろう仕事を回していくことは不可能となる。
そこで幹部会議の場で総合外交政策局の拡大を申し出るつもりでいて、ツグミはアフトクラトルからの復路で提案書を書き上げていた。
(これはわたしの希望であってボーダーのためになることだと思っている。でもボーダーの存在感が増せば増すほど対外的には面倒なことが増えるのは明らか。特にこれは急いでやろうとすればその分だけ反動が大きい。これからはトリオン兵よりも利権に群がろうとする金の亡者たちと戦わなゃいけない。その矢面に立つのは唐沢部長だけど、わたしが利用される可能性がある。さすがに前の時のように拉致されることはないだろうけど、みんなに心配をかけないように行動すべきだわ。それにまだボーダーに対して悪意を向ける人間もいる。順風満帆のように見えるけどそういうわけにはいかないんだから気を引き締めていかないといけないぞ!)
プリンターで文書を印刷しながらそんなことを考えているとドアが開く音がして迅が入って来た。
まだ少々眠そうだが3時間ほど仮眠したことで帰国時の様子とは一変している。
「悠一さん、おはようございます。お目覚めはいかがですか?」
「ああ、だいぶ楽になった。早く帰りたいからってちょっと無茶したかな?」
迅が頭を掻きむしりながら言うと、ツグミは当然という顔で答えた。
「それはそうですよ。
「俺もそれは反省しているが、おまえのようにぶっ倒れるまで ──」
「すみません。それは心から反省しています。こんなわたしにあなたを責める資格なんてなかったんです。ごめんなさい」
素直に謝るツグミに迅はそれ以上何も言えない。
「わかっているならいい。早く帰りたいと無茶したのは事実だし、その時におまえは無理するなと言ったのにそれを俺は大丈夫だと言って強行した。そしておまえに心配をかけてしまったのだから今回は全部俺が悪いんだ。俺も反省しているからこの件はこれでおしまい。これからは俺も十分に気を付けるよ」
「そうしてください。ところでこの後一五〇〇時から幹部会議があります。わたしは出席しますけど、あなたはどうします?
「う~ん、そうだな…俺はここで休んで会議が終わるまで待つよ」
「わかりました。それでは会議が終わるまで待っていてください。忍田本部長があなたに話したいことがあると言っていましたので」
「俺に話? 何だろな? …ま、会えばわかるか」
迅は眠そうな顔で考えるが頭が回らないようですぐに諦めてしまうのだった。