ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
ここで話すボーダーの
詳しいことは当章471話で説明しておりますのでご参照ください。
2時間の幹部会議では鬼怒田によるアフトクラトルでの「収穫」についての説明が大半を占め、普段はしかめっ面の彼がこれ以上ないというほどの笑顔でアフトクラトルのトリガー技術がいかに素晴らしいかを語った。
今後の課題はそれを
訓練生用のトリガーに
ごく一部の人間しか知らないが本部基地の地下には
ボーダーの
そうなると
そこで以前から考えられていたのは一般人から少しずつ提供してもらおうというものであった。
防衛隊員になるためにはトリオン体に換装するトリオンだけでなく武器を生成して戦うだけのトリオンが必要となるのでその能力の有無で選抜されるのだが、どの人間にもトリオン器官はあってわずかでもトリオンを生み出している。
そして誰もそのことに気付くことなく日々を送っているわけで、もしそのトリオンを集めることができたなら相当な量に達することは明らかだ。
三門市だけでも人口が約28万人もいて、彼らから当人の負担にならない方法によって集めることができたならボーダーのトリオン不足は解消されるだろう。
それに彼らがトリオン体で戦闘を行うのではないのだからトリオン能力が低くとも問題はないわけで、まずは三門市で試験運用されることを前提として市内にトリオン収集のトリガーを設置することにした。
これは以前であれば想像もしていなかったことだが、アフトクラトルとの戦いを経て民間人からのトリオンを集めるというアイデアに行きついた。
アフトクラトルによる大規模侵攻の際に事前調査としてラッドが大量に送り込まれていて、そのラッドは周囲の人間から少しずつトリオンを集めてイレギュラー
そのシステムを利用してアフトクラトル遠征では防衛隊員以外にも簡易トリオン銃を持たせ、その銃のエネルギーとなるトリオンは遠征艇に残る千佳から自動的に供給できるようにした。
気付かないうちにトリオンだけ吸収されているというのであれば献血のように本人の負担にはならないし、使用しなければ無駄になるトリオンを有効利用するとなれば反対する人間はまずいないはずだ。
アフトクラトルへ向かう前にツグミが大迫と面会したことで政府はトリガー使用に関する法案に本格的に着手しており、専門の委員会を設置していた。
三門市全域を「トリガー使用特区」に認定し、市内においては民間人でもトリガーの使用が許されることになるだろう。
現在では三門スマートシティ内に限定されているエリアを市内全域に広げるのだ。
そしてその運用結果を元にして全国展開を目指した法案を作製するという順になる。
したがって開発室は最優先でトリオン収集のためのトリガー作製に取り組むことになった。
アフトクラトルではトリオン能力が低い人間ばかりであり国民そのものの数が少ないので不可能なシステムだが、三門市であれば相当な量のトリオンが永続的に集めることができるだろうということで実現することとなり、システム自体はそう複雑なものではないので結果はすぐに出ると思われる。
城戸を始めとした上層部メンバーもこの計画には大賛成で、さっそくトリガーの作製とその設置場所の選定に入ることになった。
トリオンを集める目処はついたが、それをどのように使うかを決めるのは主に外務・営業部と総合外交政策局の役目となる。
今のところ建設現場や福祉施設などで体力を使う仕事に従事している人たちの身体の負担を減らすためにトリオン体を使用しているが、換装できないとか仕事の途中で換装が解けてしまうというトラブルは生じていない。
トリガーの管理も徹底しているので使用エリア外への持ち出しなどの問題もなく、トリガー使用による犯罪も発生はしていないので三門市内全域への使用許可が下りるだろうとのことだ。
そこで使用範囲を広めるのだが、ここから先は唐沢の手腕がものを言う。
ツグミでは海千山千の連中をあしらうには無理があるが、唐沢のアシスタントであれば彼の力を倍増できる。
夜の宴席に付き合わせることに忍田は納得していないが、ツグミが18歳になった以上は彼女を引き留めることはできない。
本人も飲酒はNGだが会合やそれに続く懇親会には積極的に参加して話をスムーズに進めたいと考えてはいる。
そうなるとますます彼女の仕事量は増えることとなるため総合外交政策局の拡大、つまり人員の拡充は避けられない。
可能であれば新しい部署を設置し、
ツグミ自身は
むしろ
相手国との交渉にはツグミがいた方がスムーズに進むだろうが、ならばその時には彼女が同席すればいいだけだ。
そこでツグミは自分の今の立場と気持ちを城戸たちに伝え、その上でどうしたらいいのかを判断してもらおうと提案書を作成して配ったのだった。
「…たしかにツグミくんの言い分はもっともです。新しい部署を設置するという案は彼女の仕事をこれ以上増やさないという意味もありますが、そもそも別の分野ですから総合外交政策局が両方の仕事をする方がおかしいでしょう」
初めに意見を述べたのは唐沢であった。
「スポンサーとの交渉の際に彼女を同伴させていた張本人が言うのもなんですが、我々大人が彼女に頼っている部分が大きいのも問題です。18歳の女の子ひとりに重責を負わせているのは事実。本人が望んでやっていることであっても、それに甘えていては大人として情けない。そうは思いませんか?」
そう言われては城戸たちも頷くしかない。
「この提案書に書かれているように拉致被害者市民救出計画の進行と並行して
「新しい部署を作ることは簡単だが、その責任者となるべき人材に心当たりはあるのかね?」
城戸が唐沢に訊く。
「現ボーダーの若い隊員や職員には難しいでしょうね。ですからここは外務・営業部の中に新しくトリガー管理担当の人間を置きたいと思います。責任者にするには無理がありますが実務を行う人間なら何人か心当たりはありますから」
政府や行政などとの折衝も行うのだから外務・営業部が行うことに無理はないどころかそれが当然の流れだと言えよう。
それに唐沢が言うのだから自分が責任を持つということで、それなら城戸たち他のメンバーも異論はない。
「でも必要であればツグミくんをお借りしたい。なにしろ『霧科ツグミ』という人間の価値はみなさんもご存じでしょうからね。ツグミくんもそれくらいなら協力してくれるだろ?」
唐沢に訊かれ、ツグミははっきりと答えた。
「はい、もちろんです。わたしは後輩たちに全部任せても安心できるというレベルになるまでは拉致被害者市民救出計画から離れるわけにはいきませんから。たしかにわたしのことをご指名してくる方もいらっしゃいますから、可能な限りお手伝いさせていただきます。…でもそれだとわたしの仕事量はそれほど減りそうにありませんね。他にもやりたいことがあったのに時間が取れそうにありません」
ツグミの言葉にいち早く反応したのが忍田だった。
「他にやりたいこととはなんだ?」
「それは自動車の運転免許の取得と、遠征艇の操縦をマスターすることの2点です。自動車の運転と遠征艇の操縦…どちらもできるようになったら便利だと思って。でも無理そうなのでもうしばらく迅局員には頑張ってもらいます」
「それでいい。しかしおまえが車の免許など取る必要はない。総合外交政策局には迅だけでなく雨取麟児も免許を持っているし、いざとなれば他の隊員や職員で手の空いている者を使えばいいのだ。それに遠征艇の操縦など局長であるおまえの仕事ではないぞ。操縦にはトリオンを必要とするのだ、また倒れでもしたら目も当てられぬ」
「では…迅局員にはわたしの専属運転手兼ボディーガードになってもらいましょう。それでいいですよね、城戸司令?」
「ああ。総合外交政策局の中でのことであれば責任者はおまえだ。自由にすればいい」
城戸のお墨付きを得たことで、ツグミは迅と常に一緒にいる大義名分を手に入れたことになる。
これは彼女の計画外の副産物ではあるが、彼女にとって何よりの収穫だ。
◆◆◆
会議を終えて定時に仕事を終えることが可能となった忍田はツグミと迅を連れて自宅へと向かっていた。
忍田はまだツグミに「悪いニュース」について教えてはいなかったし、迅にも話しておきたいことがあるということなので3人で夕食 ── 馴染みの店の個室での食事 ── を済ませてからの帰宅だ。
食事している間はアフトクラトルでの出来事や艇の中での話をして和やかな雰囲気であったものの、車に乗ると忍田は運転に専念するためかずっと黙ったままでいた。
玄関の扉を開けて家の中に足を一歩踏み入れたツグミはいつもと様子が違うことに気付き、それが忍田の言う「悪いニュース」に関係のあることだと直感でわかった。
「真史叔父さん、もしかしたら…」
「中へ入りなさい」
忍田はそう言ってツグミと迅を中へ入れ、そのまま玄関のすぐ脇にある6畳の和室へと招いた。
そこは2年半ほど前まで祖母が使用していた部屋で、老人介護施設に入所してからは主のいない部屋になっている。
たまにツグミが帰宅すると掃除をするとか、忍田が部屋の一角にある仏壇に線香や花を供える時に入るくらいなので少々暗くて埃っぽい空気が漂っている部屋だ。
部屋の照明を点けると仏壇の前に白い布を被せたテーブルが置かれ、そこには新しい位牌と骨壺覆いが被せられた骨壺が載せられている光景がツグミの目に入った。
「……」
それを見れば事情がわかる年齢であるため、ツグミは無言で忍田の顔を見た。
「おまえには話してはいなかったが、母さんは膵臓がんだった。おまえが心配するから黙っていろと言われていて黙っていた。このがんは早期発見が難しく、手術での根治も難しいものなのだそうだ。それでも本人は冷静で体調は安定していたからすぐにどうこうということはないと油断をしていた。ところがおまえたちがアフトに発ってから1週間ほどして病院から急激に容態が悪化したと連絡が入った。そして亡くなったのは先月の29日で、葬儀は私と城戸さんと林藤の3人で済ませ、四十九日が過ぎたらおまえたちと一緒に納骨をしようと思いここに安置したのだ。何も知らせていなかったからショックを受けただろうが、ひとまず線香をあげてやってくれ」
「…はい」
ツグミは祖母の遺骨に線香をあげ、迅もそれにならって同様に線香をあげた。
「悪いニュースとはおばあちゃんのことだったんですね?」
「ああ。おまえに内緒にしていたことで後ろめたい気持ちはあったんだが、絶対に知らせるなと口止めされていた。母さんはおまえがボーダーで活躍していることを知っておまえの出演したテレビは欠かさず見ていたし、新聞や雑誌の切り抜きもしていた。たまにおまえが見舞いに来てくれた時にはすごく嬉しそうにしていて、医師や看護師に自慢をしていたそうだ。ただでさえ忙しいおまえが知ったら見舞いやその他で身体を壊すんじゃないかと思ったのだろう。だから自分の病気のことを知られたくなかったのだ。悪気があったわけじゃない」
「わかっています。家族とはそういうものですから。…お茶でも淹れましょうか。他にも話があるでしょうから座ってゆっくりとしましょう」
忍田と迅は居間へ移動し、ツグミは台所で4つの湯呑茶碗に緑茶を注ぐとひとつを祖母の位牌の前に供え、残りの3つを居間へと運んで来た。
そしてそれを飲みながら話を再開する。
「迅と相談をしていたんだが、納骨は来月の21日にすることに決めた。そしてその前におまえたちにやってもらいたいことがある」
「やってもらいたいこと?」
「実は母さんはおまえの花嫁姿をひと目見たいと言っていて、その願いを叶えてやれなかったことだけが心残りなんだ。そこでおまえたちには近いうちに結婚式を挙げてもらい、その写真を骨壺に入れてから納骨したいと思っている」
忍田の口から「結婚式」という言葉が出たものだから、ツグミと迅は顔を見合わせてしまう。
二十歳になるまでお預けということでまだ1年半も先のことだと考えていたから突然言われても戸惑うばかりだ。
「結婚式といっても身内だけのささやかなもので、披露宴のようなものはまた別の機会にやればいい。今回は教会で式だけ行い、立会人は私と城戸さんと林藤の3人だけだ。籍は入れても入れなくてもかまわない。まあ、写真撮影だけでも良さそうなものだが、せっかくなので式だけはしておきたいと思ってな」
「俺はいいですよ。断る理由はないし、忍田さんとツグミの婆ちゃんがそれで気が済むなら俺は大賛成」
迅は場の沈んだ雰囲気を払拭しようと明るく言う。
「わたしも反対はしません。おばあちゃんが喜ぶことなら何でもしたいから」
「それなら決定だな。…そうなると一番早い大安の7月30日にしよう」
忍田はさりげなく言う。
大安ともなれば他のカップルの結婚式の予約が入っているはずで、突然式をしようと言ってもできるわけがない。
そうなるとすでに手配は整っていると考えられる。
しかし祖母の死が6月末であることから、式の手配は7月になってからのはずなのだ。
ツグミが訝しがっていると忍田が種明かしをした。
「場所のことなら心配はいらない。以前に小笠原社長から三門スマートシティの計画書を見せてもらった時に中に公共施設のひとつとしてセレモニーホールを建設すると説明があっただろ? それが先日完成して8月から正式に運営開始となっている」
セレモニーホールというと葬儀を専門に行う式場のことを指してここもそうなるはずだったのだが、途中で計画を少々変更して葬儀だけでなく冠婚葬祭すべてに対応した多目的施設になったのだった。
他にもスポーツ大会やコンサートなどのイベントにも使用可で、スマートシティ内の住民だけでなく三門市民なら誰でも格安で使用できる。
簡単に言うと体育館のように大きな空間を持つ施設なのだが、ちょっとしたカラクリがあってどのようなイベントにも対応できるのだそうだ。
しかしツグミにはその施設を使うと言うのだがそれと身内だけのこぢんまりとした結婚式とが結び付かないでいた。
「その顔はピンとこないという感じだな? まあ、たしかにイメージは湧かないと思う。それなら明日にでも小笠原社長に頼んで中を見学させてもらおう。あの人に頼めばすぐに手配してくれるからな」
忍田はそう言うがこれはすべて仕組まれたことにちがいないとツグミは確信した。
(おばあちゃんが亡くなって結婚式の写真を遺骨と一緒にお墓に納めたいというのは事実。だけど当事者であるわたしと悠一さんが留守の間に本人たちの意思を確認せずに場所や日程まで決めてしまった。これはわたしたちがNOと言わないという確証があったからだわ。別に嫌ということはないけどなんかモヤモヤするな…)
ツグミにも自分の理想とする結婚式というものがあり、それを無視されお膳立てされたもので一生に一度のイベントを行うのだから不満があるのは無理もない。
迅は特にそういったものがないので気にしていないようで、その態度が彼女のモヤモヤの原因のひとつになっていた。
そして翌日の午後に見学をさせてもらうことになり、ツグミと迅は忍田に寮まで送ってもらったのだった。
◆
「帰国早々とんでもないことになってしまったな…」
ツグミの部屋で缶ビールを飲みながら迅がそう呟いたのをツグミは聞き逃さなかった。
「わたしと結婚式を挙げることがとんでもないこと、なんですか?」
すると迅は慌てて否定する。
「いや、そういう意味じゃなくて ──」
「冗談ですよ。わたしだって式を挙げることは問題ありませんが、想像もしていなかった展開にまだ気持ちの整理ができていませんから」
「だよな…。でも忍田さんの気持ちもわからなくはない。自分がボーダーなんてものに関わったことで親にいろいろ心配をかけてしまったと後悔しているようだし、なによりもおまえをボーダーに入隊させたことで結果的には家族3人が別々に暮らすことになってしまった。そして死に際の願いを叶えてやりたいと思うのは当然だ。せめて墓で眠る時には家族みんな一緒にと思い、形式だけでも整えて式を挙げさせようというのだから俺たちはあの人のために快く引き受けてやればいいと俺は思うんだ」
「わたしだって真史叔父さんの気持ちはわかります。ただ本当なら叔父さんこそが結婚して花嫁さんをおばあちゃんに見せてあげるべきだったんじゃないかしら? 息子が35にもなって独身のままで恋人すらいないという状態の方がおばあちゃんにとって未練だったんじゃないかって思います」
「それは言えてるな」
「それでもわたしの花嫁姿を見たかったというおばあちゃんの気持ちも本物。だったらせめて写真だけでも持たせてあげたい。だから式を挙げることにNOとは言いません。形はどうであれこれでわたしは公式に悠一さんの伴侶として認めてもらえるってことですからね」
「それじゃ籍は入れるのか?」
「そっちは二十歳になってからです。まだ忍田ツグミでいたいという気持ちがありますし、式を挙げることと入籍はまた別のことですから当初の約束で守ることができるものは守りたいです。だから式を挙げても生活は今までと変わりません。ただあなたの奥さんになったという気持ちで接していくつもりです」
「うん、それでいいんじゃないかな。それにみんなに祝福されて結婚式を挙げたいというならあと1年半経ってからでも十分だし、その頃には拉致被害者市民救出計画もほぼ終わっているだろうし、三門市が平和で誰もが笑顔でいられる状態になっていれば安心して新婚旅行にも行ける」
「新婚旅行か…。
「いいね~。それじゃあ、まずはやるべきことをやってしまってお互いに心残りのないようにしなきゃな」
「はい」
ツグミは二十歳になったらエウクラートンへ行って女王になることがほぼ決まっている。
その時には迅もエウクラートンに同行して女王の伴侶である「王配」となるわけで、ふたりとも三門市を離れなければならない。
だから「心残り」がないよう限られた時間を精一杯