ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
翌日、ツグミと迅は忍田と一緒に三門スマートシティ内にある多目的施設「ミカドシティコミュニティドーム」を訪問した。
この施設はシティ内のほぼ中央に建設された楕円形ドーム型の建物で、学校の体育館が少し大きくなった程度の規模でしかない。
中央には長さ約60メートル×幅約40メートル×約20メートルの長方形の
建物の外観は地方に良くある小型のドーム施設に似ているが、規模はそれに比べても小さいのでコンサートなどのイベントにも使用可といっても市民会館の大ホールレベルの収容力しかないように思える。
ただしここが三門市という
この施設を建設したのが愛信建設で、ボーダーのスポンサーであることからこの
愛信建設の代表取締役でありスマートシティプロジェクトの事務局長の小笠原雪弥はツグミたちにその
「お忙しいところを申し訳ありません。この施設の見学の許可をお願いしただけなのに案内までしてもらうなんて…」
忍田が申し訳なさそうな言い方をすると、雪弥は笑顔で答える。
「そんなこと全然気にしないでください。この施設が完成したのはボーダーの技術あってのことで、こんな世界にただひとつの素晴らしい施設を建設した者として非常に誇らしい。そしてそれをツグミくんたちにお披露目するのですから、むしろ喜んでいるくらいですよ」
「そう言っていただけると安心します」
「それではさっそく中をご案内しましょう。詳しいことやいろいろな数値はのちほどお渡しする資料に書いてありますので簡単に説明させていただきます。さて、その前にこれをお渡しします」
そう言って雪弥は3人にトリガーを手渡した。
「これはトリガーですよね? それがどうして…?」
ツグミが訊くと雪弥はニコニコしながら答えた。
「それは見てのお楽しみ。まずはトリオン体に換装してくれるかい?」
最初に案内されたメインホールに入ると彼女にはその意味がすぐにわかった。
「訓練室にそっくり…。つまりここはボーダーの施設にある訓練室の技術を応用しているということですね?」
ツグミが雪弥に言うと大きく頷いた。
「そう。きみならすぐにわかると思ったよ。ここはきみたちが普段訓練に使っている訓練室と同じで、管理室にある操作機材を使用してさまざまなケースに合わせて仮想空間を再現する。たとえば…」
雪弥はそう言って携帯電話を取り出し、管理室にいる部下に指示をした。
「例のヤツをやってくれ」
すると何もない殺風景な部屋が一瞬にして見渡す限り一面の花畑になり、数十メートル先の少し小高くなっている丘の上には白い小さなチャペルが建っている。
「すごい…。仮想空間には慣れていますけどこんなにきれいな場所は初めてです。こういった場所での戦闘なんて想定されていませんからね。…なるほどこれならデータの入力次第でどんな場所でも再現できる。そうなるとアレも見た目だけでなく中もちゃんと再現されているということですね?」
アレとはチャペルのことだ。
「そうだよ。中を見てみるかい?」
「もちろんです」
仮想空間内の建物は映像だけではなく実際にそのものが存在するかのように再現される。
訓練で使用する場合も建物は実物のものと寸分違わずに再現されているために、コンクリートブロックをグラスホッパーで飛ばしたり、建物の破片で
だからチャペルも木造の上に白い漆喰が塗られているとか、中に入ると木製のベンチが並んでいるとか、触れてみると質感がリアルなので仮想空間であることを忘れさせてしまう。
「ボーダーの技術はすごいね。これまでもVRを使ったエンターテイメントやビジネスでの利用はあるけど、その場合はゴーグルをかけるとか自分でコントローラーを動かすなど没入感は低い。一方ここではトリオン体で仮想空間を体感できるのだからねすごいよね。これは
「つまりこのシステムでいくつものデータを入力しておけばどんな状況にも対応できるということですね?」
「そうだ。結婚式ならチャペル周りの風景を高原の白樺林やハワイの海岸など個人の好みに合わせることも可能だし、これが葬儀で使用するなら故人のゆかりの場所にすることもできる。また宗教の点では会場を神社や寺院にするなどひとつの場所でさまざまな条件に対応できるようになる。なだ試験運用だからいくつかの条件はあるが、普通の冠婚葬祭やイベントのレベルであれば十分だと思うよ。元々葬祭場を兼ねたコミュニティホールの計画だったけど、ボーダーが技術提供をしてくれたからこれほどのものが建設できたんだ。そして唯一の懸案だったトリオンの調達も目処が付いたということだから大々的に宣伝しようと考えている」
「そんな話、わたしは聞いていませんでした」
「それはそうだよ。きみには内緒で計画を進めていたからね。別に隠していたというのではなく、忙しいきみに話している暇がなかっただけさ。気を悪くしないでくれ」
「別にそんなことはかまいません。それに城戸司令のことだからわたしに余計な情報を与えず、自分の仕事に専念しろという意味だったのだと思います。悪気がないことを承知していますし、わたしのためを思ってやったことだと信じていますから。そして8月の正式オープンの前に個人的に使用させてもらうわけですが、それも計画の一部ということはないですよね? 祖母のことがあって、これは好都合…ということではないかとわたしは想像するんですけど。ねえ、忍田本部長?」
ツグミが忍田に視線を向けて訊くと、忍田はバツが悪そうに答えた。
「おまえの言うとおりだ。計画の段階でおまえを加えずにいて、一般市民の目線で感想を言ってもらいたいと考えた。とはいえトリガー使いで仮想訓練室を使った経験のあるおまえが一般市民の目線というわけにはいかないだろうが、それでも無関係な市民に協力してもらうわけにもいかない。どうしようかと考えていたのだが、おまえたちが帰国したのでちょうどいいと城戸さんが決定をした。
すると雪弥が残念そうに言った。
「ぼくも出席したかったけど、そうなると須坂会長や緒方県警本部長、それに自進党の大迫先生たちも招待しなければならないってことで遠慮することになったんだ。だから式の
「申し訳ありません。でもわたしが二十歳になったらお世話になったみなさんを招待して披露宴をしますのでそれまで待っていてください」
「ああ、いいとも。きみたちのことだから心配はしなくてもいいだろうが、約束をするからには無謀なことはしないでくれよ」
「肝に銘じておきます」
そう答えてツグミは微笑んだ。
それから雪弥が自らメインホールは3分割してそれぞれ別々に使用できるとか、また
◆◆◆
そして7月30日、結婚式の当日がやって来た。
朝からしとしと小雨が降り続いているあいにくの天気だが、それは忍田たちツグミの父親を自認している男たちの嬉し涙かもしれない。
ミカドシティコミュニティドームはまだこけら落としもしていないために基本は無人だが、雪弥と仮想空間を作る操作のための女性スタッフのふたりがツグミたちを待っていた。
「迅くん、ツグミさん、ご結婚おめでとうございます。本日はお日柄も良く…とは言えませんが、中では青空の下で花々が満開の状態になっています。どうか素敵な思い出を作ってください」
雪弥はそう挨拶をして、女性スタッフがツグミたち一行を控室へと案内をした。
控室は普通の部屋でソファやテーブルなどが置いてあって簡易キッチンのある「貴賓室」から折り畳みのパイプ椅子と長机が置いてあるだけの普通の会議室のような部屋と何種類かある。
そして貴賓室には広い窓の外の景色を仮想空間でいろいろなものに変えることができるというので、ツグミたちは試しにいくつかの景色に変更をしてみた。
白い砂浜が広がる海岸リゾートホテル、白樺林の向こう側に湖の見える高原の別荘などのシチュエーションで、そこに実際にいるかのように感じられるところはボーダーの仮想訓練室の技術の応用である。
もちろん天気や朝夕などの時間の設定も可能で、8月7日にマスコミと市民向けにお披露目会を開くというから、その時に彼らが驚く顔が目に浮かぶ。
ツグミたちボーダーの人間でも初めて仮想訓練室を使用した時には驚いたくらいなので、民間人がこれを体験したらボーダーの力を見直すことになるだろう。
雪弥が式を執り行う牧師の到着を告げ、ツグミたちは式場となるメインホールへと移動を開始した。
すでにメインホールは満開のラベンダーが咲き乱れる花畑の先にある丘の上に白いチャペルが建っているというシチュエーションに設定されていて、チャペルまで続く道には白いカーペットが敷かれていてその上を歩いて行くようだ。
先に花婿の迅と立会人である城戸と林藤が向かい、準備ができたら花嫁のツグミと父親の忍田が向かうという順になる。
準備ができるまでの間、ツグミと忍田はふたりきりになった。
「美琴姉さんが織羽義兄さんと結婚式を挙げた時のドレスだが、20年以上も昔のものだというのに母さんが丁寧に保管していたから新品同様…とは言えないがきれいな状態を保っていられた。きっと母さんはおまえに着せようと思っていたのだろうな」
「おばあちゃんは真史叔父さんのお嫁さんに着せたかったのかもしれませんよ。それはともかくこのデザインってなんとなくエウクラートンで着た正装のドレスに少し似ている気がします。もしかしたらお父さんが故郷のことを懐かしんでお母さんに着てもらおうと特注で作ってもらったのかもしれませんね?」
「ああ、そう言われるとそうだな。おまえがエウクラートンでリベラート殿下の孫としてお披露目をした時の写真を見せてもらったが、たしかに似ている」
ツグミの着ているドレスはエウクラートン王家の女性の正装に似ていた。
純白の生地に豪奢な刺繍の施されたマーメイドドレス。
エウクラートンでは金色と紺色の糸で刺繍してあったが、このドレスは銀糸で刺繍してある点が異なる。
さらに銀製のティアラには直径3センチほどの大きさのスワロフスキーのクリスタルがはめ込まれていて、それはエウクラートンで王家の人間を示すトリオン製の
そして迅の衣装は白いタキシードで、スタンドカラーのシャツに直径3センチくらいの紺色の玉のブローチを着けるようになっていた。
こちらは男性の正装に似ているのだから、これは偶然ではないはずだ。
「そうなると…もしかしたらお父さんは自分の父親がリベラート殿下だったことになんとなく気が付いていたんじゃないかと思えてきました。ミリアムさんとリベラート殿下はオリバに真相は話していないということですけど、成長して王家直属の
「そうなると姉さんも義兄さんの出自を知っていた可能性がある。いつか娘のおまえを連れて里帰りすることを夢見ていたのかもしれないな」
「ええ。きっとそうですよ」
ツグミと忍田がそんな会話をしているうちにチャペル内での準備ができたようで、雪弥がチャペルの前で手を振って合図をする。
「行こうか、ツグミ」
「はい」
忍田の腕に自分の腕を組んだツグミは雪弥の待つチャペルの入口まで歩いて行く。
雪弥がチャペルのドアを開いてくれて、賛美歌のメロディーが静かに流れる中そのまま真っ直ぐに進んだ。
聖壇前で待つ迅の横へと来ると、迅は忍田からツグミの手を受け取り、ふたりは牧師の前に並ぶ。
ここで本来なら参列者が賛美歌を斉唱するのだが、ここは省略。
そして牧師が聖書を携え、結婚にまつわるキリスト教の教えを読み上げると、ここからメインイベントの誓約と指輪の交換となる。
ツグミと迅は声を揃えて誓約書を読み上げた。
「本日はわたしたちの結婚式にご列席くださり、誠にありがとうございます。わたしたちは病める時も、健やかなる時も、生涯お互いに支え合うことを誓います。未熟なわたしたちですが、末永く見守っていただけますと幸いです。XX年7月30日、新郎、迅悠一、新婦、忍田ツグミ」
続いて指輪の交換で、これも織羽と美琴が結婚式で交換した指輪を使う。
ふたりがキオンの諜報員に殺害された時にもふたりの指にはこの指輪があって、事件の後に忍田が外して預かっていたものだ。
もちろん新しいものを用意することもできたのだが、ツグミが両親の指輪がいいと言うので使うことにした。
当然これから先ずっとふたりの指にはその指輪が輝き続けることになる。
婚姻の誓約を立てたことでふたりを隔てるものがなくなったという意味を表すためにツグミの顔を覆っているベールを迅が上げ、誓いのキスをする。
これまでに何度も交わしたキスだが、これでやっと迅にとっての
最後に迅とツグミ、続いて証人となる忍田、城戸、林藤が結婚証明書に署名を行い、牧師による結婚宣言がなされる。
こうして正式に夫婦となった迅とツグミは腕を組んでバージンロードを歩いて退場し、チャペルの前で記念写真を撮影してすべての儀式は終了したのだった。
ここまでの様子はすべて雪弥と女性スタッフのふたりが動画撮影をしていて、この写真や動画はミカドシティコミュニティドームのPRに使われることになっている。
もちろん本物の結婚式ではなくPR動画のために三門市の有名人のふたりにカップルを演じてもらったということにする。
なにしろ有人機による
そんなふたりだから宣伝効果があるということで起用した…ということにしたのだ。
8月7日のお披露目会でマスコミに配る資料に使うため、写真と動画は急いで三門スマートシティ・プロジェクト協議会事務局へと届けられた。
担当スタッフは最優先でパンフレットの印刷や動画の編集を行うことになるだろう。
雪弥に利用された感もあるが、とにかく無事に済んで関係者は全員安堵していた。
この後は雪弥を含めた6人でささやかな宴を開き、そこで城戸が結婚祝いとして2日間の有給休暇と「RESORT HOTEL NANAO」のスイートルーム1泊をプレゼントしてくれたのでツグミと迅は新婚初夜を高級リゾートホテルで過ごすことになった。
◆◆◆
「城戸さんのプレゼント、気が利いてるよな。そう思うだろ、ツグミ?」
迅はキングサイズのベッドに寝転んで隣のベッドに腰掛けているツグミに言う。
「ええ。いちおう新婚初夜だもの、寮の部屋で過ごすのでは哀れだと思ったんじゃないかしら?」
「哀れってのはオーバーだけど、たしかにいつもの部屋でいつものように寝て起きる。そして朝ごはんもいつものように自分で作るというのじゃ味気ないと考えたんだと思います。これまでもこのホテルには何度か宿泊しましたが、それは全部仕事でのこと。高級ホテルだからプライベートでの宿泊は無理だと思っていたからなんか夢を見ているみたい」
「ああ、そうだな。ところでおまえ、式の前に忍田さんに例のヤツ、やったのか?」
「例のヤツって?」
「『長い間お世話になりました』って挨拶するアレだよ」
「ええ、もちろん。そうしたら真史叔父さんは想像していたとおりに泣いちゃいました。結婚式を挙げたからって遠くに行くわけではなくこれまでどおりに市内で暮らすんだし、仕事も本部基地なんだからいつでも会える。おまけに休み明けの2日には幹部会議だってあるんだから寂しくないのに」
「花嫁の父親なんてそんなもんなんだろ。大切な宝物を他の男に取られるんだから」
「他の男と言っても子供の頃から可愛がっていた悠一さんじゃないの。わたしたちは兄妹みたいにして育ったんだから、真史叔父さんから見れば悠一さんだって息子のようなもの。どこかの馬の骨というんじゃないんだから歓迎すべきことなのに」
「そりゃそうだ。ま、あの人の気持ちはあの人にしかわからない。それよりも林藤さんなんて別れ際にこんなもん、くれたんだぜ」
迅はそう言ってポケットから小さな包みを取り出して見せた。
それはツグミにとって知識はあるが本物を見るのは初めてである。
林藤としては新婚のふたりには必要なものだが迅のことだから用意はしていないだろうと気を利かせたのだが、気の回しすぎだとツグミは呆れてしまった。
その「包み」とはコ〇ドームで、明らかに林藤はツグミたちが今夜
まあ新婚初夜なら
「俺は使うことはないと思うんだが、でもおまえがどんなものか知りたいから使ってくれと言うのなら使ってもいいけど、どうする?」
迅が意地悪く訊く。
するとツグミはわざと挑発するように寝転がっている迅の上に跨って言った。
「悠一さんの理性の歯止めが効かなくなった時には必ず使ってください」
迅は返答に詰まってしまった。
「…まあ、これは記念にとっておこうかな。そしていざという時のために使うってことで」
「わたし以外の誰かのために使ったら絶対に許しませんからね」
「わかってるさ。それにおまえ以外の女を抱きたいとも思わない」
「お尻は触るのに?」
「もうやってないぞ。おまえが俺のことを男として好きだって告白してくれた時から神に誓ってやってない」
「その言葉、信じます」
ツグミはそう言って微笑んだ。
そして迅の隣に寝転がると、天井を見ながら言う。
「それにしても今回のことは何もかも仕組まれていたってカンジですね。きっかけはおばあちゃんのことだと思うんですけど、城戸司令や小笠原社長たちに都合が良すぎます」
「たしかにそのとおりだが、俺たちにとっても都合が良かったんだからこれこそwin-winだろ。ただマスコミや市民向けのお披露目会でも俺たちがデモンストレーションをするってことになって、ますます有名人になっちまうのは勘弁してほしいんだけどな」
「同感です。これでますます街中を歩いていると面倒なことになりそう。本来こういう広報の仕事は嵐山隊に任せるべきなんですけど、彼らの人気を考えたら花婿役に嵐山さん、花嫁役にキトラちゃんか綾辻さんてことになってファンの人たちが大暴れしそう。だからそういった面倒のないわたしたちにやらせたんじゃないかと思います」
「そりゃそうだ。ボーダーのイメージ戦略の要とも言うべき広報部隊・嵐山隊。あいつらにはスキャンダルなんてものはご法度だから、恋愛禁止で休日に羽目を外して遊ぶことも禁じられている。市民の目があるからな。窮屈な立場だが三門市民のために必死になって働いてくれているんだ。だから俺たちがちょっと窮屈になるくらい大したことじゃないさ」
「それはそうですね。それに事情を知らない人たちはわたしたちが本当に結婚したなんて想像もしないでしょう。この組み合わせは例の有人機による
「俺も同感だ。…旧ボーダー、か。そろそろ城戸さんにも安らぎと
迅はそう言ってツグミの手を握った。
「ええ。絶対にあの人に笑顔を取り戻さないといけませんね。ふたりで頑張りましょう」
そう返事をして迅の手を強く握り返したツグミであった。