ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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近界の理と現実
577話


 

 

リコフォスへの旅は順調に進んでいた。

遠征に慣れたメンバーばかりであり、場の空気を壊すような行動や発言をする者もいないので人間関係でのトラブルはなく、可能な限り安全な航路を選んでいるので寄港地での現地近界民(ネイバー)との接触もせずに済んでいる。

しかし間もなく到着するソリトゥスは現在プセフティスとの戦争中であり、航路中どうしても避けては通れず、また水の補給が必須であるために約18時間の滞在を予定している。

その間にソリトゥスとプセフティス双方もしくは一方に発見されると最悪戦闘状態になると推測されているため今回の遠征には有能な戦闘員を同行させているのだ。

だから次第に艇の中の空気は張りつめていき、ソリトゥス到着のカウントダウンが始まると全員が緊張はピークに達した。

場合によっては(ゲート)をくぐり抜けた先が戦場の真っただ中という可能性もあるからだ。

基本的に大きな街から離れた森や放棄地など人目に付かない場所に(ゲート)を開くのだが、そこが戦場になっているということもありうる。

そうなればいきなり出現した他国の艇に対して攻撃を仕掛けてくるのは火を見るよりも明らかで、その場を逃げても追われて水の補給どころではなくなるだろう。

ゼノンたちが三門市潜入の際に使用していたキオンの艇は小型であったために艇自体をバッグワームで覆ったような状態にしてレーダーから逃れるという方法が使えたのだが、ボーダーの遠征艇ほどの大きさとなるとそれは不可能だという。

ソリトゥスとプセフティスのレーダーの効果範囲の外に(ゲート)を開くことができれば約18時間発見されずに済んで無事にリコフォスへ旅立てるのだが、水のある場所となれば近くに人家があるはずで、民間人であっても現地の近界民(ネイバー)に見付かってしまったら彼らの口をふさがなければならない。

まあ口をふさぐと言っても手荒なことをする気はなく、玄界(ミデン)の菓子など食品ひとつで騒ぎを収めることは可能だろう。

 

 

(ゲート)を開くぞ」

 

操縦席で艇の操縦をしているゼノンの声がミーティングルームに流れた。

いつでも出撃可能なように準備をしている戦闘員たちは固唾をのんで()()()()を待つ。

(ゲート)を抜けて真っ暗なソリトゥスの上空に出た艇は静かに森の中の草地に着地した。

少なくとも戦場の近くということはなさそうで、待機レベルを一段階引き下げても良いと判断したことで全員が安堵の表情を浮かべる。

しかしまだこれで安全というわけではないということなので、交代で待機を続けることとなった。

さらに周囲の様子を確認するために玉狛第1の3人がバッグワームを起動した状態で艇の半径50メートルの範囲を捜索することになった。

栞のオペで視覚支援があれば真っ暗闇でも簡単に捜索ができるし、下手に懐中電灯などを使用してしまえばその明かりで存在がバレてしまうこともありうるというものだ。

そして菊地原の強化聴覚(サイドエフェクト)によって艇の停泊している場所から西に約30メートルの位置に池がある ── 彼の耳には魚が跳ねて水面が揺れる音が聞こえた ── ということで、艇からホースを伸ばして水を汲み上げる作業を風間隊と太刀川隊で行う。

1分1秒でも早くソリトゥスを離れることは遠征部隊の安全のためには必要なことで、残りのメンバーは交代でトリオン抽出作業や艇のメンテナンス作業を急いで行う。

ツグミはこの国の土壌や植物の採取を行い、近界(ネイバーフッド)()()()()情報収集を進めていた。

ゼノン隊のように諜報員を各国に派遣してその国の国情を調べるということは多くの国が行ってきたことだが、科学面での調査ということは一切行われていない。

そもそも自国がどのような土壌であるのかなど知ろうとも考えておらず、どのような状態の土が作物に適しているかなど土壌と作物の生産性に大きく関係があることを想像もできないでいた。

植物を育てる上で「窒素・リン酸・カリウム」の3大要素は欠かせないと言われているのだが、近界民(ネイバー)にはその概念すらなく(マザー)トリガーから抽出するトリオンが多ければ収穫量が増え、少なければ減るという認識しかないのだそうだ。

また連作障害についての知識もない。

毎年同じ場所に同じ野菜(あるいは同じ科の野菜)を栽培することを連作というのだが、そうするとその野菜を冒す病原菌や有害線虫が多くなったり、土壌の中の養分が不足したりして野菜の生育が悪くなる。

そのことを連作障害といい、ひとつの野菜を同じ場所に栽培しない「輪作」、休耕期に土壌を入れ替えて堆肥を十分に与える「天地返し」などを行うことで連作障害を防ぐという手段は玄界(ミデン)の農業従事者なら当たり前のように知っていることだ。

近界(ネイバーフッド)での食料の供給についての改善がなければいくら病気や怪我での死亡者が減っても十分な食料が得られずに飢えてしまうことになる。

そのためにも玄界(ミデン)の人間が正しい知識や技術を広める必要が出てくる。

現在はトリオン能力者をさらうためにやって来る近界民(ネイバー)だが、食料不足に陥れば今度は食料を奪うためにやって来るかもしれないのだから。

そこでツグミは近界(ネイバーフッド)各国の水や土、大気などの成分を調査してその国に適した作物の栽培やそのために必要な肥料 ── 極力化学肥料を避けて有機肥料を使う ── を広めようと考えているのだ。

近界民(ネイバー)たちにそこまで手厚く面倒をみてやる必要があるのかと文句を言う人間もいるだろうが、彼女の考え方では少しでも可能性のある危険因子は取り除いておこうということで、別に近界民(ネイバー)に対する博愛主義者という意味ではない。

ともかくそれぞれが自分の役目を果たすために深夜にも関わらず行動を開始したのだった。

 

 

 

 

ボーダーの遠征部隊がソリトゥスに到着して約8時間が経ち、ようやく空が白み始めた。

作業は夜を徹して行われたおかげで順調に進んでおり、この分なら予定どおり出立できることだろう。

この日の朝食の当番は修と遊真と千佳の3人で、作業を中断して艇へ戻って来た隊員たちは交代で食事をし、仮眠をとると再び作業に戻ることになっている。

夜間に付近の巡回をしていた玉狛第1のメンバーはゼノン隊と交代をして仮眠に入り、ゼノンたちが巡回をしようとしたところで艇の周囲に設置しておいたセンサーが反応し、何者かが艇に近付いたことを知らせるアラームが鳴った。

すると一気に警戒レベルが上がり、仮眠をしているメンバーと留守番の遊真と千佳以外のメンバーは全員換装して反応のあった場所へと向かうことにした。

 

朝霧が立ち込める中、捜索隊が発見したものは全身が青アザだらけで息も絶え絶えな状態のひとりの青年であった。

近界民(ネイバー)であることは間違いないのだがソリトゥスとプセフティスのどちらの人間なのかはわからない。

この様子なら仲間に知らせに行くことはできないだろうから安心だが、人として放っておくことはできない。

現地の近界民(ネイバー)との接触は極力避けるべきではあるが、このまま放置しておいて誰にも発見されなければ衰弱して死んでしまうかもしれないのだ。

 

「わたしはこの遠征部隊の責任者としてこの人を救助することにします。遠征艇へ連れて行きましょう。大丈夫、残り時間はあと10時間弱ですから、その間彼を艇の中に拘束しておけば外部との接触はできないので、彼からの情報漏洩はありえないと判断をします」

 

ツグミはそう断言し、ゼノンたちに指示して近界民(ネイバー)の青年を艇まで運んでもらった。

その間青年は苦しそうな呻き声を上げるだけで自分の身に何が起きているのかすらわからないようだ。

念のために麟児と修に周囲の警戒を頼み、青年の手当てはツグミが行うことにした。

遠征中に急病や怪我人が出た時のために総合外交政策局員は全員赤十字社の救急法の講習を受けており、日常生活における事故防止や手当ての基本、胸骨圧迫や人工呼吸、AEDの使用方法、止血の仕方、包帯の使い方、骨折などの場合の固定、搬送、災害時の心得などについての知識と技術を習得している。

そして検定を受けて全員が赤十字ベーシックライフサポーター認定証を交付されている。

ツグミはその他に子どもを大切に育てるために、乳幼児期に起こりやすい事故の予防とその手当て、かかりやすい病気と発熱・けいれんなどの症状に対する手当などの知識と技術を学ぶ幼児安全法の講習も受けて検定にも合格をしていた。

だから近界民(ネイバー)であっても目の前の怪我人を放っておくことなどできず、適切な手当てができる自信があったことで彼を艇へと運んで来たのだった。

多目的室に近界民(ネイバー)の青年を運び込むとツグミと助手のテオは早速手当てを始めた。

 

「こいつ、この軍服だとプセフティス軍の兵士だと思う。トリガー使いではなさそうだから一般兵で、武器(トリガー)による怪我じゃなくて殴る蹴るの暴行を受けたみたいだから、ソリトゥス軍に捕まった捕虜だろうな」

 

テオが冷静に判断をしてツグミに言う。

 

「拷問にあったとか?」

 

「いや、一般兵じゃ軍の末端だから知っていることなんてほとんどないよ。ただ上からの命令で戦ってるだけだから。こういう場合は単に憂さ晴らしで捕虜をいたぶってるだけさ。自国に攻め込んで来た国の兵士だもん、おまえたちが侵攻して来なきゃ戦争なんてやらなくても良かったんだぞ、って。どっちの国だってこんな末端の兵士は戦争なんてやりたくないんだから、状況が逆なら自分が捕まってボコボコにされていたかもしれないのにさ」

 

「……」

 

「それでもトリガー使いなら捕虜交換で役立つから暴力は振るわない。あとで面倒なことになるからだ。でも一般兵はトリオン兵と同じようなもんで、使い捨ての感覚しかない。たぶんこいつはプセフティスの下層階級の出身で、食ってくために軍に入ったもののトリガー使いにはなれなかったんだろうな」

 

「納得はできないけどそれは事実だもんね。プセフティスに限ったことじゃなくて、これまで寄港や訪問した国でもトリガー使いは厚遇されていて、一般兵は衣食住のすべてが最低限のレベルだった。たしかにトリオン能力と言われるようにトリオンの量はその人の能力のひとつで、走るのが速いとか重いものを持ち上げられるといったものと同じように個人で差があって、能力の高い方が役に立つことが多いから尊敬されるし低ければ蔑ろにされるのは仕方がないと思う。だけど人としての価値はそれだけじゃない。いくら優秀なトリガー使いでも人間としてはダメダメだったエネドラの例もあるわけで、こういった点でも近界民(ネイバー)のトリオン至上主義の問題が垣間見えるのよね」

 

ツグミは傷口を消毒してから手際良く包帯を巻いていく。

打ち身の部分には張り薬で腫れを抑え、手当てが済むとテオに頼んで経口補水液とシリアルバータイプの栄養補助食品を持って来させた。

 

「わたしはここでこの人の様子を見ているから、テオくんは本来の仕事に戻ってちょうだい。

 

「ひとりで大丈夫かよ?」

 

「ええ。もしこの人の目が覚めたとしても暴れるほどの体力は残っていないし、わたしの見た目ならソリトゥスの兵士じゃないってことでおとなしく話を聞いてくれると思うから。万が一の時にはユーマくんとチカちゃんが留守番をしてくれているから助けを呼ぶこともできるもの」

 

「わかった」

 

テオは多目的室にツグミと近界民(ネイバー)の青年のふたりを残して出て行った。

ツグミにも自分の仕事があるものの、自分の責任において背負い込んだトラブルなのだから最後まで面倒をみるのが当然だと考えているのである。

 

 

 

 

それから2時間ほどして近界民(ネイバー)の青年が目を覚ました。

見たこともない場所に自分が寝かされていることに驚くが、もっと驚いたのはそこにいたのがプセフティスでもソリトゥスの人間でもないと思われる少女であったからだ。

 

「ここは…」

 

「目が覚めたようですね。ここは玄界(ミデン)の艇の中です。わたしはボーダーという組織の人間で、名前は霧科ツグミといいます」

 

玄界(ミデン)の艇…。オレはプセフティス軍のカミルです。だけどオレはソリトゥス軍の牢から脱走してわけがわからないうちに森の中に逃げ込んでしまい、そのうちに力尽きて倒れ込んでしまったはず。それなのに…」

 

困惑しているカミルにツグミは事情を説明した。

 

「あなたが誠実で善良な人間であると信用して事情を説明します。わたしたちはリコフォスへ行く途中でこの国に立ち寄っただけでプセフティス・ソリトゥス両国と刃を交える気は一切ありません。ですからあなたを助けることによって戦争に介入してしまう可能性があるので無視してしまっても良かったのですが、あなたの状態を見れば放っておくと死んでしまうかもしれないと思いここへ運んで手当てをしました。応急処置なのでたいしたことはできませんが、それでも止血と炎症を抑えるための薬を塗っておきましたから楽になるはずですよ」

 

そう言われて自分の身体に包帯が巻かれていることに気付き、貼り薬のツンとくるにおいが鼻をついてすべて現実の出来事であるとカミルは理解できた。

 

「助けてくれたことに感謝します。オレはプセフティス軍の兵士といってもトリガー使いではなく一般兵なものだから捕虜になってしまうとこういう目に遭わされるんです。オレだって戦争なんてしたくてソリトゥスへ来たわけじゃありません。だからこんなに痛めつけられるのは不本意です。現地の人間に見付かったらもっとひどい目に遭わされていたかもしれませんが、それでもこのままだと殺されてしまうかもと思って逃げ出しました。オレを見付けてくれたのが玄界(ミデン)の人で命拾いしました」

 

テオが推測したとおりであった。

そしてこのような状況に追い込まれる人間が彼だけではなく、近界(ネイバーフッド)のいたるところにいるという事実をツグミは改めて思い知らされた。

 

(今でも三門市に(ゲート)が開くことは2-3ヶ月に1回はある。ボーダーがキオンやアフトの同盟国となったことを知らない国なんだろうけど、未だにトリオン兵を送り込んで三門市民をさらおうとする。でも(ゲート)の発生を国際港のある山の中に誘導して警報も鳴らさないようにして、詰め所に防衛隊員を24時間待機させているから対応も早くて被害はゼロ。だから市民には近界民(ネイバー)の出現をゼロだと報告している。これで本当に敵意のある近界民(ネイバー)が来なくなればいいんだけど、近界(ネイバーフッド)で戦争が続いている以上は難しいのよね。これが人型近界民(ネイバー)なら捕まえて二度と玄界(ミデン)に来るなと言い含めて追い返すんだけど、トリオン兵じゃ退治するだけでおしまい。これじゃ対処療法でしかないから根本的な解決にはならない。カミル(この人)の様子だとボーダーや同盟のことも知らないみたいだから、プセフティス軍の駐屯地に送り届ける時にきっちり話をしておいた方が良さそう。そうすれば少なくともプセフティスはボーダーを敵とみなすことはなくなるだろうから)

 

ツグミがそんなことを考えていると、カミルが申し訳なさそうな顔で言う。

 

「すみませんがのどが渇いているので水をもらえませんか?」

 

「あ、気付かないでごめんなさい。…さあ、これをどうぞ」

 

ツグミはベッド脇のテーブルに置いてあった経口補水液のペットボトルの蓋を開けてからカミルに手渡した。

それを物珍しそうに眺めてから彼は口をつけた。

 

「…少し甘いですね。これは普通の水じゃないんですか?」

 

カミルがそう言うと、ツグミは彼に説明をする。

 

「これは経口補水液といって身体の中の水分が不足する現象…つまり脱水症の症状がある人に飲んでもらうようにできている特別な飲料水です。身体に吸収されやすいようにナトリウム、カリウム等の電解質が多く含まれているので少し味があるんです。ただ普通なら少ししょっぱいと感じるものですが、味がないとか甘いと感じるようですと軽度の脱水症になっていると思われます。ですからもっと飲んでください」

 

カミルは言われたように500ミリリットルのペットボトルを少しずつ飲み、最終的には空にしてしまった。

 

「その様子だと命の危険を感じて逃げて来たのだと思い、ずっと飲まず食わずでいたはずだと判断してこれも用意しておきました」

 

シリアルバータイプの栄養補助食品の箱を見せ、中から1本出してカミルに渡す。

 

「固形のものですけど食べられますよね? 味も悪くないと思いますのでどうぞ」

 

ザクッ、という音を立ててシリアルバーを噛み砕いたカミルはその味に驚いて目を丸くした。

 

「美味しい…。これはエンバクを加工した食品だということはわかりますが、この味は今までに食べたことのないものです。これは何の味なんですか?」

 

「チョコレートです。玄界(ミデン)では誰でも手軽に手に入れることのできるお菓子なんですよ」

 

「チョコレート…聞いたことはある。しかし貴族階級の嗜好品だということだが、玄界(ミデン)では庶民でも食べられるものなのか?」

 

「ええ。子供でも自分の小遣いで買って食べます。それくらい普及していて人気があります」

 

玄界(ミデン)では庶民の子供でも食べることができるものが近界(ネイバーフッド)では貴族階級の人間しか手に入れられない。玄界(ミデン)は恵まれた国なんだな」

 

そう言ってカミルは悲しそうな顔をして口を噤んだ。

彼の心の中には「どうしてオレたちは貧しくて苦しい生活を強いられるのだろうか?」という疑問が浮かぶ。

彼はプセフティスの市民階級の生まれで、両親とも幼くして亡くしたことで苦労をして育ってきた。

そして生きていくために12歳で軍に入ったもののトリオン能力が低いためにトリガー使いにはなれず、10年以上一般兵として数々の戦場へ送り出されていた。

今までは無事に済んでいたもののソリトゥス遠征でとうとう捕虜になってしまい、敵兵の隙を見て逃亡したのだった。

 

「ツグミ、オレを玄界(ミデン)へ連れて行ってくれないか?」

 

カミルは今の戦争ばかりの暮らしに耐えられなくなり、とうとう祖国を捨てて逃げ出したいと思うようになっていたようだ。

 

玄界(ミデン)なら腹を空かして他人のものを奪って食べるようなことはしなくてもいいんだろ? チョコレートみたいな美味しいものを食べてみんな笑顔でいられるんだろ? だったオレもそんな国で生きていきたいよ」

 

するとツグミは首を横に振った。

 

「申し訳ありませんが、それはできません。亡命の意思があるということはわかりますが、今のわたしたちには最優先でやらなければならないことがあり、あなたの希望を叶えてあげることはできないんです。ここでプセフティスとソリトゥスの戦争にボーダーが介入してしまえばわたしたちは両国の敵となってしまいます。今もわたしたちはリコフォスへと向かっている途中で、この国へ水の補給のために立ち寄っただけで一刻も早く出発しなければならない状態です。ですからあなたをプセフティスの陣営へ送り届けることはできても、あなたが玄界(ミデン)に亡命したいなどということになれば軍の総司令官が快くあなたを送り出してくれるはずがないので揉めることになるでしょう。あなたの個人的な事情でボーダーの計画が遅延するのは責任者として認めるわけにはいかないんです」

 

「……」

 

「自軍に戻れば少なくとも罰せられることはないでしょうが、戻らなければあなたは逃亡兵として追われることになるかもしれません。また将来プセフティスと玄界(ミデン)が同盟関係を結ぶことになったとしたら、ボーダーは逃亡兵を匿ったということで信用を失います。ですからあなたの亡命をわたしの一存で認めることができないということは理解できるはず。冷たいようですが、わたしには今あなたを連れて行くことはできません。あなたを見捨てることになるわけですが、わたしはさらわれた同胞36人を救出するという使命があり、わたしにはあなたひとりの自由の確保よりも7年以上も近界(ネイバーフッド)で苦労を強いられている同胞を救出する方が大事なんです。わかっていただけますか?」

 

「……」

 

「ですがいつになるかわかりませんが、わたしたちはリコフォスからの帰途にもこの国に寄港することになるでしょう。ですからひとまずわたしたちはあなたをプセフティス軍へ送り届け、ボーダー及び玄界(ミデン)はプセフティスの敵ではないのだとわかってもらいます。そしてその時にまだあなたが同じ気持ちであったなら、その場合にはあなたの上官と話し合ってできる限り希望に沿う答えを導きたいと思っています。これがわたしにできる精一杯の誠意です」

 

カミルにもツグミの気持ちがわかるだけの理性はある。

 

(命の恩人でもある彼女が今は一時的に見捨てるようなことをしても、もう一度ソリトゥスに立ち寄ると言う。その時には上官と交渉をしてくれると言うのだからもうしばらく我慢しようと思うのが男というものだ。オレ自身がそれまで生き残っていさえすれば希望はあるんだ)

 

「わかった。命の恩人に無理を言って申し訳ない」

 

「こちらこそあなたの希望に応えられなくてすみません。ですがその希望は捨てないでください」

 

「ああ」

 

「わたしたちはあと8時間弱でこの国を離れます。プセフティスとソリトゥスの戦争に巻き込まれたくはないのでもうしばらくここでじっとしていなければなりません。ですからあと4時間くらいはここで休んでいただいても結構です。その後にわたしの仲間があなたを送り届けますので、ゆっくりと身体を休めながら自分の将来について考えてみてください。今の生活が苦しいからと亡命するという安易な方法を選んだことで、二度と故郷に戻れなくなることにもなりかねないのですから」

 

「…あなたの心遣いに感謝します」

 

そう言ってカミルは再びベッドに横になって目をつぶった。

 

 

 

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