ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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578話

 

 

命の危険のない場所でゆっくりと休むことができたせいかカミルは自分で歩くこともできるようになっていた。

彼は怪我をしていたもののソリトゥス軍兵士によるリンチであったために見た目は派手にやられているものの出血はあまりなく、倒れていたのも脱水症状と空腹によるものであったためにそれも改善されたからだ。

一時は玄界(ミデン)に亡命したいと言い出したが、それは単に厳しい現状から逃げ出したいという程度のものであったから、自軍に戻って仲間に再会できれば精神的にも安定することだろう。

あと4時間のほどで準備完了となるため、ツグミは迅とふたりでカミルをプセフティス軍の宿営地へと送り届けることにした。

場所はカミルもわからないとのことなのでボーダー謹製光学迷彩ドローンを飛ばして調べておいた。

これはアフトクラトル遠征で使用するために作られたのだがその時は使わずにいて、その後の近界(ネイバーフッド)の国々を訪問する際に見世物として使用していたものである。

ようやく本来の目的で使用することになり、一番操縦の上手いリヌスがドローンを飛ばしてボーダーの遠征艇の北約1.5キロメートルの場所にプセフティス軍の宿営地があることを確認したのだ。

カミルが歩いて行くことができると言うので、3人で徒歩によって向かうことになった。

幸いなことに目的地までは平坦な草原が続くので、4時間もあれば十分に往復できる距離であり、カミルの事情を彼の上官に話す時間もたっぷりあるだろう。

ただし万が一ツグミと迅が予定どおりに帰還できなかった場合にはゼノンのタキトゥスの(ブラック)トリガーを使ってツグミと迅を連れ戻すことになっている。

ここでトラブルに巻き込まれて無駄に時間を浪費することはできない。

リコフォスには救出を待っている三門市民がいて、一日も早い帰国は彼らだけでなくボーダーや三門市で家族を待つ人々の願いなのだから。

 

 

ソリトゥスの大地は他の近界(ネイバーフッド)の国と同様に決して豊かだとは言い難い土壌で、地面を覆う雑草にも生気がないようにツグミには感じられた。

一年を通して寒冷で一年の4分の3の期間を雪で覆われるキオンであっても雪のない季節には植物が力強く芽吹いて花を咲かせている。

それは(マザー)トリガーから抽出したトリオンを十分とは言えないまでも広く行き渡らせているからであり、その大地から生み出される農作物にもトリオンは含まれる。

したがってトリオンを戦争にばかり使っていれば大地がどんどん衰えていき、農作物もトリオンが含まれないものになってしまう。

トリオンを多く含む作物を多く摂取することでトリオン能力が上がるというツグミの仮説は証明されていないものの、それが真実であれば戦争ばかりやっている近界民(ネイバー)たちは自分で自分の首を絞めているようなものなのだ。

ツグミとしては少しでも早くこの仮説を証明して多くの近界民(ネイバー)に周知させたいと考えている。

トリオンを多く必要とするのなら他国から奪うのではなく、自国で「トリオン価」の高い農産物を生産してそれを摂取し、正しい医療知識を覚えて幼くして命を失う子供たちの数を減らせば人口増が見込めて労働力とトリオンを確保できると理解してもらいたいのだ。

近界(ネイバーフッド)の国々と、そこに住まう近界民(ネイバー)(マザー)トリガーの存在によって存在を()()()()()()」という「(ことわり)」に逆らうことはできない。

どんなにトリオン能力が高い人間を「神」にしたとしても必ず寿命が訪れるのもまた真理。

しかし人々の努力によって変えることができることもある。

トリオンを消費しない経済活動を進め、(マザー)トリガーを酷使しないようにすれば「神」の寿命も延びて犠牲になる人間の数を減らすこともできるというものだ。

 

(トリオン依存の体質から抜け出すためには近界民(ネイバー)ひとりひとりの意識を変えることが重要で、それぞれが心の中に持つ『世界を変える引き金(ワールドトリガー)』を引くことさえできれば世界はきっと今よりもずっと優しくなれるはず。世界を変える引き金(ワールドトリガー)を引くことはとても勇気のいることだけど、誰でもやろうと思えばできること。現状維持を望み、変革を恐れる人にはできないことだけど、本気で幸せになりたいと思うのなら一歩前に足を踏み出すだけでいい。そして戦争はゼロにはならないだろうけど、それでもひとつでもふたつでも減ることで引き裂かれる家族や哀しむ友人も減ることに間違いない。それで十分なのよ)

 

ツグミはソリトゥスの景色を眺めながらそんなことを考えていた。

 

 

◆◆◆

 

 

プセフティス軍の宿営地の近くまでやって来るとすぐに数人の兵士がツグミたちの周囲を囲んだ。

カミルは慌てて事情を説明し、ツグミと迅が玄界(ミデン)の人間であり森の中で倒れていた自分を助けてくれた恩人だとわかると態度が一変する。

トリガー使いではない一般兵であっても貴重な戦力であるから、敵軍から脱走してきた()()としてのカミルとそんな彼を助けたツグミたちのことを歓迎するのは当然のことだ。

それにツグミと迅が敵ではないのであれば危険はなく、さらに玄界(ミデン)の人間であるというのだから上官に引き合わせなければいけないという義務感もあり、兵士たちは丁重に総司令官の待つテントへと連れて行った。

 

総司令官のヴァンニは50代前半くらいの白髪の男性で、ツグミと迅が挨拶をしてボーダーの人間であると知ると意外だというような顔で不躾な質問をしてきた。

 

「きみたちは本当にあのアフトの角つき野郎たちを倒したというのか?」

 

アフトクラトルが近界(ネイバーフッド)でも一二を争う軍事大国であることは近界民(ネイバー)にとって常識である。

そんなアフトクラトルと戦争をしてボーダーが勝ったという噂は広まっており、ヴァンニもそれは耳にしていたようだ。

しかしトリオンの知識や技術がほとんどない玄界(ミデン)の組織がアフトクラトルに勝てるはずがなく、自分の聞いている噂が事実ではないと信じ込んでいるのだ。

 

「正直言って俺は信じられないでいる。おまけにアフトが玄界(ミデン)に屈して配下になったと言われても信じられるはずがないだろ?」

 

ツグミはそう言われてムッとしたが、その気持ちは心の中に納めてにこやかに答えた。

 

「どうやらプセフティスの総司令官殿はいくつか思い違いをされているようですね。たしかにボーダー(わたしたち)玄界(ミデン)に攻め込んで来たアフトの遠征部隊と戦って勝ちましたし、さらわれた仲間を連れ戻すためにアフト本国へ遠征して無事に全員で帰国することができました。ですがアフトは玄界(ミデン)に屈して配下になったのではありませんよ。そういう噂が流れているようですが事実は違います。玄界(ミデン)とアフトは同じ考え方を持ち、同じ方向を向いて一緒に歩いているだけですから対等です。どちらが上とか下とかはありません。それはキオンも同じで、他に同盟に加盟しているエウクラートンとメノエイデスも国の規模や経済的・軍事的な強さなど関係なく対等に接しています。ボーダーが主宰する同盟はわたしたちの考え方に賛同してくれた国であればどんな国でも受け入れています。アフトは玄界(ミデン)に屈したのではなく、わたしたちの考え方に納得して協力しようと国王陛下が申し出てくれたから同盟に加わってくれたんです。一度は敵として刃を交えましたが、今では良き友人となってくれました。もうアフトは玄界(ミデン)の敵ではありませんし、配下であったことなど一度もありません」

 

ツグミがそう説明してもまだ納得できないという顔のヴァンニ。

しかし彼女にとって相手がどう考えようともかまわないのだ。

 

「別に信じてもらえなくてもこちらは痛くも痒くもありません。プセフティスが仲間になろうというのであればこちらも快く受け入れたいと思いますが、無理に加わってもらおうとは考えていませんので。この訪問は貴国の兵士を送り届けるという目的であり、それを果たしたのですからもうこちらの用事は終わりましたので失礼させていただきます」

 

そう言って一礼すると帰る素振りを見せるツグミ。

するとヴァンニは慌てて引き留めた。

 

「待ってくれ。別にきみたちが嘘を言っているなんて思ってはいないし、噂の確認をしたかっただけだ。俺の知っている話とは違っていたからな」

 

「そうですか。でもこれ以上話すことはないと思いますけど」

 

ツグミは年長者に対して基本的に無礼なことはしないのだが、ヴァンニの態度には少々腹が立っていた。

 

(こういう時にはまず自分の部下を救助してくれたことに対して礼を言うのが当然じゃないの。別にお礼をしてほしいからカミルさんを連れて来たわけじゃないからそれはいいけど、いきなり自分の知っている噂話の確認だなんて失礼極まりないわね。まあ、それだって百歩譲って許すとしても司令官という立場の人間なら他にすべきことがあるんじゃないの?)

 

ツグミはカミルからいくつかの情報を得ていた。

これがヒュースなら絶対に「祖国の情報を漏らすことはありえない」と言って黙っていただろうが、カミルは比較的簡単に自分の置かれている状況やプセフティスのことについて話してくれたのだ。

プセフティスはトリオン能力主義が非常に強く、トリオン能力が高い人間はあらゆる面において優遇され、低い人間は冷遇される。

これは軍人に限ったことではなく民間人であっても同じだという。

軍の中ではトリオン能力によってトリガー使いになれる者となれない者に分けられ、前者は衣食住すべてで後者に比べて優遇されている。

例えばトリガー使いと一般兵では食事の内容と量に大きな格差があり、トリガー使いは宿舎でも個室をもらえるが一般兵は6-8人が大部屋で暮らしているそうだ。

もちろん給料も大きく違い、自分のような最底辺の一般兵では家族を養うことなど不可能なので一生結婚することもできないだろうとカミルは言っていた。

能力のある者とない者に差をつけることはどの国でもどんな組織でも当たり前にあることだが、トリオン能力は生まれつきのものであってそれによる差別は納得しがたい。

一般に貴族などの上級国民にはトリオン能力の高い者が多く、庶民レベルの人間となるとトリガー使いになれるほどのトリオン能力者は滅多にいない。

もしかしたらそれはトリオンを含む食料の摂取量に違いがあるためではないかとツグミは考えている。

十分な量の食事ができる階級の人間はトリオンを摂取できるが、貧しくて日々の食事にも困窮する階級の人間では食事によるトリオン摂取は難しい。

したがってトリオン器官が十分に成長できず、軍に入っても一般兵として使い捨ての駒のように扱われてしまうという。

近界(ネイバーフッド)のどの国でも似たようなものだから、ツグミの仮説はますます信憑性が高くなるというものだ。

 

(カミルさんは一般兵でトリガー使いほど戦闘力は高くないけど、まずは無事に戻って来たのだから上官として労ってやるべきではないの? これじゃあカミルさんが亡命したいって言い出すのも無理はないわね。…でもだからって安易に彼の亡命を受け入れてしまえばプセフティスとの関係は望まぬ方向へ向かう恐れがある。やっぱりカミルさんに冷静に考える時間を与えたのは正解だったわ。復路でもここに寄らなければならないんだから、答えはその時に聞けばいい。それでも亡命したいと言うのならその時にはできる限りのことはしてあげよう)

 

ツグミはヴァンニという人間に対話をする価値はないと判断し、自分たちは先を急いでいるのだと話した。

ヴァンニはまだ何か聞きたいことがあるようだが、ここで時間をかけて話をしたとしても()()()()()()()()益となるものはない。

さらに引き留めようとするのならボーダーでも精鋭を揃えた遠征部隊と事を構える覚悟があるのかという素振りを見せてプセフティス軍の宿営地を後にしたのだった。

 

 

◆◆◆

 

 

「おまえにしては珍しい態度だったな?」

 

帰りの道すがら迅はツグミに言う。

 

「だってあの男の態度が気に入らなかったんですもの。近界(ネイバーフッド)ではトリオン能力が重要だってことは理解できるけど、ますます納得できなくなってきたわ。あの程度の人間性で総司令官になれるくらいだもの若い頃からトリガー使いとして活躍してきたんでしょうね。でもわたしは認めたくない。上に立つ者として下の者に対する愛情や労わりの気持ちがなければダメ。そういう意味で城戸司令は上司として立派な人間だとわたしは思います。ただしあの人のことを良く知っている人間でないと誤解を招くという点が問題ですけどね。悠一さんはそう思いませんか?」

 

「たしかにおまえの言うことに同意だな。トリガー使いが貴重な人材だってことはわかるが、遠征部隊全体で200人くらいしかいないんだから簡易トリオン銃で武装した一般兵だって重要な戦力だ。だから帰って来てくれたことは嬉しいんだろうが、それはカミルという人間に対してじゃなくて駒のひとつを失わずに済んだからってのが気に入らない。体調が回復したらどうせまた最前線に送り込まれて戦わされるんだろう。おまえのことだからあいつを救わなきゃって言い出すかと思ったぞ」

 

「亡命させるということですか? それはまだできません。わたしたちには遂行すべき任務があって、他国の戦争に関わっている余裕はありません。それに完全に見捨てたわけではありません。復路でもう一度この国に寄港しなければならないんですから、プセフティス軍とトラブルになるようなことは避けなければならず、カミルさんを亡命させるということは自軍を脱走させることと同義です。あの司令官じゃ絶対にカミルさんの亡命を許さないでしょうし、裏切り者として処分しようとする可能性があります。穏便に事を進めたいとは思いますが人道的に問題があるとわかればあらゆる手を尽くして救わなければいけないと考えています。そのひとつが亡命という手段で、可能な限り避けたいとは思っているんです。カミルさんひとりが苦労しているのではなく同じように一般兵で雑兵扱いされている人たちが100人以上いるわけで、カミルさんひとりを亡命させたところで根本的な解決にはなりません。それに近界(ネイバーフッド)にはこの何十倍何百倍もの虐げられている人たちがいて、その人たちをすべて受け入れることはできません。そして彼らが祖国を捨てる手伝いをするのは嫌ですし、彼らが住みやすい国にしてあげることこそ重要なんです。ただし今は拉致被害者市民の救出が最優先なので、他所の国の人のことにまで深入りできません」

 

「だからあいつには時間を与えて考えさせ、それでも亡命したいと言うなら緊急性を要するってことか」

 

「はい。その場合はプセフティスとの関係は好ましからざるものになるでしょう。それでも三門市に攻め込んで来るような度胸はないでしょうから心配はいりません。それにあの司令官なら賄賂を握らせておけば現地で戦死したか捕虜になってソリトゥスで拘束されたままだとか報告してくれると思いますよ」

 

「賄賂って…」

 

迅が呆れたような口ぶりで言うと、ツグミは反論した。

 

「一般に賄賂というとイメージの悪さがありますけど、この場合はカミルさんというひとりの人間を購入する代価だと考えればわかりやすいと思います。近界民(ネイバー)たちの間では人身売買は道義的に問題ありません。その証拠にわたしは拉致被害者市民を購入したヒエムスやレプトなどの国の政府に対して道義的責任を要求したことはありません。エクトスが第一次侵攻で400人以上の市民をさらったことに対しては許すことはできませんが、エクトスから市民を購入した国に対しては人身売買が当たり前の世界において玄界(ミデン)のルールを押し付けようとは思いません。彼らは何も悪いことをしたわけではないのですから」

 

「ま、金で解決するのが楽だし後腐れないしな」

 

「もちろん玄界(ミデン)の貨幣に意味はありませんから、いつものように玄界(ミデン)の珍しい食品や消耗品で済ませますけど。悠一さんが許してくれるならぼ〇ち揚げを10ケースくらい譲ってもらいたいかな~って思ってます」

 

「おいおい、俺の帰りの分を丸ごと渡すと言うのか? それは勘弁してくれよな」

 

「人ひとりの命には代えられません。それにカミルさんが亡命せずに祖国で頑張って生きていくと言うのならそれが一番ですから、わたしはそうなるよう願っています」

 

 

ツグミと迅がそんな会話をしながら遠征艇へと戻って来るとそれぞれの役目を果たすために行動をし、予定どおりにソリティスを発つことができる目処が付いた。

現地近界民(ネイバー)とのトラブルもなく、カミルの件があっても計画に遅延はなくすべては順調に進んでいる。

戦闘になることをこっそり期待していた太刀川をガッカリさせることになったが、ツグミにとっては何もないことが一番なので満足をしていた。

そして予定していた時間にすべての準備は完了し、来た時と同じように遠征艇は音もなく(ゲート)の向こう側へと消えたのだった。

 

目的地のリコフォスまであと約100時間。

リコフォスに着いてからがツグミにとって本当の()()なのである。

 

 

 

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