ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
命の危険のない場所でゆっくりと休むことができたせいかカミルは自分で歩くこともできるようになっていた。
彼は怪我をしていたもののソリトゥス軍兵士によるリンチであったために見た目は派手にやられているものの出血はあまりなく、倒れていたのも脱水症状と空腹によるものであったためにそれも改善されたからだ。
一時は
あと4時間のほどで準備完了となるため、ツグミは迅とふたりでカミルをプセフティス軍の宿営地へと送り届けることにした。
場所はカミルもわからないとのことなのでボーダー謹製光学迷彩ドローンを飛ばして調べておいた。
これはアフトクラトル遠征で使用するために作られたのだがその時は使わずにいて、その後の
ようやく本来の目的で使用することになり、一番操縦の上手いリヌスがドローンを飛ばしてボーダーの遠征艇の北約1.5キロメートルの場所にプセフティス軍の宿営地があることを確認したのだ。
カミルが歩いて行くことができると言うので、3人で徒歩によって向かうことになった。
幸いなことに目的地までは平坦な草原が続くので、4時間もあれば十分に往復できる距離であり、カミルの事情を彼の上官に話す時間もたっぷりあるだろう。
ただし万が一ツグミと迅が予定どおりに帰還できなかった場合にはゼノンのタキトゥスの
ここでトラブルに巻き込まれて無駄に時間を浪費することはできない。
リコフォスには救出を待っている三門市民がいて、一日も早い帰国は彼らだけでなくボーダーや三門市で家族を待つ人々の願いなのだから。
ソリトゥスの大地は他の
一年を通して寒冷で一年の4分の3の期間を雪で覆われるキオンであっても雪のない季節には植物が力強く芽吹いて花を咲かせている。
それは
したがってトリオンを戦争にばかり使っていれば大地がどんどん衰えていき、農作物もトリオンが含まれないものになってしまう。
トリオンを多く含む作物を多く摂取することでトリオン能力が上がるというツグミの仮説は証明されていないものの、それが真実であれば戦争ばかりやっている
ツグミとしては少しでも早くこの仮説を証明して多くの
トリオンを多く必要とするのなら他国から奪うのではなく、自国で「トリオン価」の高い農産物を生産してそれを摂取し、正しい医療知識を覚えて幼くして命を失う子供たちの数を減らせば人口増が見込めて労働力とトリオンを確保できると理解してもらいたいのだ。
「
どんなにトリオン能力が高い人間を「神」にしたとしても必ず寿命が訪れるのもまた真理。
しかし人々の努力によって変えることができることもある。
トリオンを消費しない経済活動を進め、
(トリオン依存の体質から抜け出すためには
ツグミはソリトゥスの景色を眺めながらそんなことを考えていた。
◆◆◆
プセフティス軍の宿営地の近くまでやって来るとすぐに数人の兵士がツグミたちの周囲を囲んだ。
カミルは慌てて事情を説明し、ツグミと迅が
トリガー使いではない一般兵であっても貴重な戦力であるから、敵軍から脱走してきた
それにツグミと迅が敵ではないのであれば危険はなく、さらに
総司令官のヴァンニは50代前半くらいの白髪の男性で、ツグミと迅が挨拶をしてボーダーの人間であると知ると意外だというような顔で不躾な質問をしてきた。
「きみたちは本当にあのアフトの角つき野郎たちを倒したというのか?」
アフトクラトルが
そんなアフトクラトルと戦争をしてボーダーが勝ったという噂は広まっており、ヴァンニもそれは耳にしていたようだ。
しかしトリオンの知識や技術がほとんどない
「正直言って俺は信じられないでいる。おまけにアフトが
ツグミはそう言われてムッとしたが、その気持ちは心の中に納めてにこやかに答えた。
「どうやらプセフティスの総司令官殿はいくつか思い違いをされているようですね。たしかに
ツグミがそう説明してもまだ納得できないという顔のヴァンニ。
しかし彼女にとって相手がどう考えようともかまわないのだ。
「別に信じてもらえなくてもこちらは痛くも痒くもありません。プセフティスが仲間になろうというのであればこちらも快く受け入れたいと思いますが、無理に加わってもらおうとは考えていませんので。この訪問は貴国の兵士を送り届けるという目的であり、それを果たしたのですからもうこちらの用事は終わりましたので失礼させていただきます」
そう言って一礼すると帰る素振りを見せるツグミ。
するとヴァンニは慌てて引き留めた。
「待ってくれ。別にきみたちが嘘を言っているなんて思ってはいないし、噂の確認をしたかっただけだ。俺の知っている話とは違っていたからな」
「そうですか。でもこれ以上話すことはないと思いますけど」
ツグミは年長者に対して基本的に無礼なことはしないのだが、ヴァンニの態度には少々腹が立っていた。
(こういう時にはまず自分の部下を救助してくれたことに対して礼を言うのが当然じゃないの。別にお礼をしてほしいからカミルさんを連れて来たわけじゃないからそれはいいけど、いきなり自分の知っている噂話の確認だなんて失礼極まりないわね。まあ、それだって百歩譲って許すとしても司令官という立場の人間なら他にすべきことがあるんじゃないの?)
ツグミはカミルからいくつかの情報を得ていた。
これがヒュースなら絶対に「祖国の情報を漏らすことはありえない」と言って黙っていただろうが、カミルは比較的簡単に自分の置かれている状況やプセフティスのことについて話してくれたのだ。
プセフティスはトリオン能力主義が非常に強く、トリオン能力が高い人間はあらゆる面において優遇され、低い人間は冷遇される。
これは軍人に限ったことではなく民間人であっても同じだという。
軍の中ではトリオン能力によってトリガー使いになれる者となれない者に分けられ、前者は衣食住すべてで後者に比べて優遇されている。
例えばトリガー使いと一般兵では食事の内容と量に大きな格差があり、トリガー使いは宿舎でも個室をもらえるが一般兵は6-8人が大部屋で暮らしているそうだ。
もちろん給料も大きく違い、自分のような最底辺の一般兵では家族を養うことなど不可能なので一生結婚することもできないだろうとカミルは言っていた。
能力のある者とない者に差をつけることはどの国でもどんな組織でも当たり前にあることだが、トリオン能力は生まれつきのものであってそれによる差別は納得しがたい。
一般に貴族などの上級国民にはトリオン能力の高い者が多く、庶民レベルの人間となるとトリガー使いになれるほどのトリオン能力者は滅多にいない。
もしかしたらそれはトリオンを含む食料の摂取量に違いがあるためではないかとツグミは考えている。
十分な量の食事ができる階級の人間はトリオンを摂取できるが、貧しくて日々の食事にも困窮する階級の人間では食事によるトリオン摂取は難しい。
したがってトリオン器官が十分に成長できず、軍に入っても一般兵として使い捨ての駒のように扱われてしまうという。
(カミルさんは一般兵でトリガー使いほど戦闘力は高くないけど、まずは無事に戻って来たのだから上官として労ってやるべきではないの? これじゃあカミルさんが亡命したいって言い出すのも無理はないわね。…でもだからって安易に彼の亡命を受け入れてしまえばプセフティスとの関係は望まぬ方向へ向かう恐れがある。やっぱりカミルさんに冷静に考える時間を与えたのは正解だったわ。復路でもここに寄らなければならないんだから、答えはその時に聞けばいい。それでも亡命したいと言うのならその時にはできる限りのことはしてあげよう)
ツグミはヴァンニという人間に対話をする価値はないと判断し、自分たちは先を急いでいるのだと話した。
ヴァンニはまだ何か聞きたいことがあるようだが、ここで時間をかけて話をしたとしても
さらに引き留めようとするのならボーダーでも精鋭を揃えた遠征部隊と事を構える覚悟があるのかという素振りを見せてプセフティス軍の宿営地を後にしたのだった。
◆◆◆
「おまえにしては珍しい態度だったな?」
帰りの道すがら迅はツグミに言う。
「だってあの男の態度が気に入らなかったんですもの。
「たしかにおまえの言うことに同意だな。トリガー使いが貴重な人材だってことはわかるが、遠征部隊全体で200人くらいしかいないんだから簡易トリオン銃で武装した一般兵だって重要な戦力だ。だから帰って来てくれたことは嬉しいんだろうが、それはカミルという人間に対してじゃなくて駒のひとつを失わずに済んだからってのが気に入らない。体調が回復したらどうせまた最前線に送り込まれて戦わされるんだろう。おまえのことだからあいつを救わなきゃって言い出すかと思ったぞ」
「亡命させるということですか? それはまだできません。わたしたちには遂行すべき任務があって、他国の戦争に関わっている余裕はありません。それに完全に見捨てたわけではありません。復路でもう一度この国に寄港しなければならないんですから、プセフティス軍とトラブルになるようなことは避けなければならず、カミルさんを亡命させるということは自軍を脱走させることと同義です。あの司令官じゃ絶対にカミルさんの亡命を許さないでしょうし、裏切り者として処分しようとする可能性があります。穏便に事を進めたいとは思いますが人道的に問題があるとわかればあらゆる手を尽くして救わなければいけないと考えています。そのひとつが亡命という手段で、可能な限り避けたいとは思っているんです。カミルさんひとりが苦労しているのではなく同じように一般兵で雑兵扱いされている人たちが100人以上いるわけで、カミルさんひとりを亡命させたところで根本的な解決にはなりません。それに
「だからあいつには時間を与えて考えさせ、それでも亡命したいと言うなら緊急性を要するってことか」
「はい。その場合はプセフティスとの関係は好ましからざるものになるでしょう。それでも三門市に攻め込んで来るような度胸はないでしょうから心配はいりません。それにあの司令官なら賄賂を握らせておけば現地で戦死したか捕虜になってソリトゥスで拘束されたままだとか報告してくれると思いますよ」
「賄賂って…」
迅が呆れたような口ぶりで言うと、ツグミは反論した。
「一般に賄賂というとイメージの悪さがありますけど、この場合はカミルさんというひとりの人間を購入する代価だと考えればわかりやすいと思います。
「ま、金で解決するのが楽だし後腐れないしな」
「もちろん
「おいおい、俺の帰りの分を丸ごと渡すと言うのか? それは勘弁してくれよな」
「人ひとりの命には代えられません。それにカミルさんが亡命せずに祖国で頑張って生きていくと言うのならそれが一番ですから、わたしはそうなるよう願っています」
ツグミと迅がそんな会話をしながら遠征艇へと戻って来るとそれぞれの役目を果たすために行動をし、予定どおりにソリティスを発つことができる目処が付いた。
現地
戦闘になることをこっそり期待していた太刀川をガッカリさせることになったが、ツグミにとっては何もないことが一番なので満足をしていた。
そして予定していた時間にすべての準備は完了し、来た時と同じように遠征艇は音もなく
目的地のリコフォスまであと約100時間。
リコフォスに着いてからがツグミにとって本当の