ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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580話

 

 

突然サルシドから頭を下げられてしまい、ツグミは驚いてしまった。

没落したとはいえ一国の宰相が他所の国に人間に頭を下げるともなれば尋常ではない。

そして彼の表情からは藁にも縋るといった感があり、それだけリコフォスという国に終末の危機が迫って来ているということの証である。

 

「宰相閣下、お顔を上げてください。わたしたちにどれだけのことができるのかはわかりませんが、可能な限りの助力はいたします。まずはこの国の現状を把握し何が必要なのか、そして玄界(ミデン)の技術や知識で何ができるのかを考えることから始めましょう」

 

ツグミはそう言って優しく微笑んだ。

その心の中にあるのはリコフォス国民に対する慈悲深さや友愛といったものではなく、この状況を利用できるという「計算」である。

リコフォスには荒戸を含め36人の拉致被害者市民がいる。

これは36人の人質を取られているようなもので、ここで対応を間違えてしまえばサルシドは交渉に応じなくなってしまう恐れがあり、逆にここで上手く立ち回れば比較的楽に拉致被害者市民の帰国が叶うことだろうと考えたのだ。

ツグミの()()()からはそのようなことを目論んでいるようには思えず、純粋に人道によるものだとサルシドは受け取ったようであった。

 

「ありがとうございます! ではお疲れのところ申し訳ありませんが、早速 ──」

 

「お待ちください。わたしはかまいませんがここにいる4人の他に艇の中で待機をしている仲間は少々疲れておりますので、どこかゆっくりと身体を休めることのできる場所を提供してくださいませ」

 

ツグミがそう言うとサルシドは慌てて謝罪した。

 

「すみません。自分のことばかり考えていてついうっかりしてしまいました。では艇の中で待っていらっしゃるみなさんにもここへ来ていただき、滞在中はこの迎賓館をご自由に使っていただくということにしましょう。部屋割りなどはそちらにお任せします。…ただお恥ずかしいことにみなさんが満足していただけるようなもてなしはできないと思われます。そこはどうかご勘弁ください」

 

「いえ、そのようなことは気になさらないでください。国民が疲弊している時に他所から来た客をもてなすことに力を入れるなど愚の骨頂。わたしたちもここへ来るまでに貴国の現状を目にしています。もし宰相閣下が豪華な食事や派手な歓待をしたら逆にあなたのことを軽蔑して貴国の危機を見捨てようとしたことでしょう。わたしたちは手足を伸ばして安心して眠ることができればそれで十分です」

 

「ご厚情に感謝いたします」

 

サルシドは部下を呼んで直ちに手配を行い、場所を変えて宰相執務室で相談をすることになった。

そこに迅が声を上げる。

 

「俺はツグミの護衛兼補佐官です。一緒に連れて行ってください」

 

ここで迅が相談に加わっても大勢に影響はないが、ツグミにとっては非常に心強く安心できるというものだ。

 

「宰相閣下、わたしからもお願いします。彼の同行をお許しください」

 

「もちろんかまいませんよ。私の執務室に若い人が訪ねて来ることなど滅多にありませんから多い方が私もやる気が出てくるというものです。ですがその前に昼食を用意させましょうか。うっかりしていましたがお日様が真上を過ぎていましたからね。他の方々の分もちゃんと用意させますのでご安心を」

 

サルシドは明るく振る舞おうとしているがその裏には国の行く末を案じている宰相としての顔が見え隠れしている。

玄界(ミデン)という自分たちとはまったく違う文明が発達した世界の人間の協力を得ることができそうだという安心感と、協力を得られたとしても国を救う手立てが見付かるかどうかの不安が心の中に混在しているからであろう。

 

 

◆◆◆

 

 

こうしてツグミたちは想定外の問題に取り組むことになり、並行して拉致被害者市民の帰国交渉も行うことになった。

とは言ってもまずはリコフォスの問題を解決に導く手掛かりを与え、それを実現したければ三門市民を帰国させるという交換条件に持っていくのだ。

そのためにはリコフォスの現状を知る必要があり、軽い昼食 ── 国賓に対してもライ麦パンにサラミを挟んだサンドウィッチとハーブティーという粗末なもの ── を済ませるとすぐにサルシドがツグミたちに説明を始めた。

 

「我がリコフォスは近界(ネイバーフッド)において非常に古くから栄えた国で、起源は今から約1万年前に遡ります。…ですがこれは伝承であって証拠のようなものはありませんが、少なくとも近界(ネイバーフッド)の国々の中では最古の国だと伝えられてきました」

 

サルシドは自慢げに言う。

しかしツグミが知りたいのは歴史よりも現在のことで、それが目を背けたいものであっても()()()知らなければ国を救うなどということができるはずがないのだ。

もっとも栄えた時期は今から1000年ほど前で、その頃には人口が400万人を超えていたという。

玄界(ミデン)と比べたら大したことではないが、近界(ネイバーフッド)の国々では小さい国だと人口が数万人レベルであり、50万から100万人クラスの国がほとんどだ。

だから400万といえば人口面では超大国で、サルシドが自慢したくなるのも無理はないが、現在は20万人を下回っている。

それは三門市の28万人よりも少なく、かつて栄華を極めたといっても往時の面影はまったくない。

没落の原因となったきっかけは今から約500年前の国王の交代であったそうだ。

代々男性の王が治めてきたこの国はそれまで他国との戦争が絶えず、人口も最盛期の3分の1にまで落ち込んでいた。

若いトリガー使いが大勢いて他国への侵攻を進めていたのだが、それは逆に国内の生産力を低下させていく。

長期にわたる他国への侵攻は兵士たちの体力や精神力を削っていき、とある国に侵攻した際にその国で蔓延した流行り病に彼らは感染して兵士の約半分を病気で失ってしまったことでその戦争は「痛み分け」となってリコフォスは帰国した。

得るものはなにもなく大きな人的損失のみ残った侵攻であったため、当時の国王はその責任を取る…というわけではないが引退し、彼の娘が女王として即位する。

彼女は国内の生産力を回復することこそ最優先であると考え、生き残った兵士たちを全員農作業要員として全国に派遣し、同時に(マザー)トリガーを操作して大量のトリオンを農地へと注いだのだった。

それが効果を見せたのは2年ほど経ってなのだが、急激な国の運営の方針変更は国民にとって戸惑うばかりであった。

結果的には成功であったものの、トリガー使いであった兵士たちには大きな不満が残るものとなった。

幼い頃からトリガー使いになるための厳しい訓練を受けてようやく兵士として最前線で戦えるようになったというのに、突然トリガーを手放して農作業をしろと命令されて気分が良いものではない。

トリオン体での作業だから生身の農民よりも作業効率はアップし収穫量は増えたものの、彼らの心情は複雑なものであったために王家の求心力は衰えていく。

そして戦場で戦う日々を懐かしむようになり、そのうちに他国へ逃亡する者が現れるようになった。

祖国を捨てるということは覚悟がいるものだが、それ以上にトリガー使いを重用してくれる国で戦いたいと思ったのだ。

もし彼らに扶養すべき家族がいたとすれば「家族のために」という気持ちで踏ん張ることはできたかもしれないが、当時のトリガー使いの多くは独身であり、また両親やきょうだいのいない男性が多かった。

こうして綻び始めたリコフォスは坂道を転がる石のように没落していく。

女王は(マザー)トリガーを酷使して大量のトリオンを抽出し、農作物の生産量の拡大と人口増に努めたことによって約100年で人口は200万人にまで回復したものの、(マザー)トリガーの寿命が数十年も短くなってしまったのだった。

新しい「神」に相応しい人物、つまりトリオン能力の高い人間はそう簡単に見つからない。

同胞から生贄を出したくないといっても他国から拉致するだけの兵力もなくなっていたので、仕方なく王家の人間からひとりを選んで「神」になってもらうという道を選んだ。

王家の人間は一般庶民と比較してトリオン能力は高い。

しかしボーダーの基準で言えば10から20くらいのレベルなので(マザー)トリガーを酷使すればすぐに寿命は尽きてしまう。

そうして「神」の交代の回数が他国よりも増えていき、トリオン能力が高いと知られると生贄にされるという噂が国内に流れ、該当しそうな人間は逃亡してしまうことになる。

もちろん一般市民から「神」を選ぶようなことはせず、また他国から拉致して無理やり(マザー)トリガーに放り込むようなこともしていないというから、王家の人間としての責任感と矜持は持っているといえよう。

そしてまた次第に国は疲弊していき、果てはエクトスから玄界(ミデン)の人間を購入するという最後の手段に出たのだった。

 

「宰相閣下、貴国が我が同胞を購入したという点に関しましては特に責めるようなことはいたしません。それにお話ですとリコフォス国民と同等もしくはそれ以上に手厚く保護をしてくださったとのことですから。ただし疑問がございますのでそれにお答え願いたいと思います」

 

ツグミが質問をする。

それは以前から気になっていたことで、その内容によっては交渉の内容も変更することになるかもしれないからだ。

 

「疑問、とは?」

 

ツグミは交渉決裂にならないように言葉を選びながら訊く。

 

「失礼ながら貴国はかつて繫栄したとはいえ現在ではその面影もありません。それなのに36人という数の人間を購入することができました。その代価となるべきものはどうやって用意したのでしょうか? こちらの調べではエクトスが三門市から拉致した約400人の市民は9ヶ国に売り払われたことが判明しています。すでに3ヶ国約150人の安否を確認し、全員の帰国もしくは一時帰国を果たしました。その際にはそれぞれの国に相応の代価を支払って()()()()ということをしています。ですから貴国にも妥当と思われる代価を支払うつもりでまいりました。ですが貴国の状況ではエクトスに十分な支払いができたとは思えません。もしかしたら貴国には何か秘密があって、その情報や知識など形のないものをエクトスに譲るという形で売買契約が結ばれたのではないかとわたしは考えたのです」

 

「……」

 

「もちろん貴国への内政干渉をするつもりはありませんし、教えてくださらなくても当初の計画どおりに交渉を進めていきたいと思っております」

 

ツグミの言う「当初の計画どおり」という言葉にサルシドはわずかに反応した。

彼女の計画の中にはリコフォスを救うというものはなく、同胞を取り戻したらそれで縁を切ってしまうだろうという含みを持たせていることに気が付いたのだ。

そうなるとサルシドはボーダーが支払うことのできる上限を正しく見極めて交渉を行わなければならなくなる。

ここで選択を間違えると元も子もなくなることがわかっているのだ。

 

(今のところボーダーは同胞を取り返すために事を穏便に進めたいと考えているが、こちらの出方次第では武力行使を考えているにちがいない。明らかにトリガー使いと思われる連中を同行させているのがその証拠。おまけに玄界(ミデン)はキオンやアフトクラトルと同盟を結んだというから下手に逆らえば奴らも敵に回すことになるだろう。エクトスにも秘密を明かしたのだからボーダーにも知られたところで大勢に影響はない)

 

ツグミが遠征部隊に優秀なトリガー使いを同行させたのは寄港地ソリトゥスでのトラブルに巻き込まれた時のためであり、リコフォス政府にに圧力をかけるためではない。

ところがサルシドは勘違いをしてしまったようで、素直に事情を打ち明けることに決めたのだった。

 

「わかりました。正直にお話ししましょう。過去の遺物などというものを後生大事にして国民の生活を蔑ろにするなど宰相として失格ですからね。しかし私の独断ではできませんので女王陛下に報告してまいります。そしてお見せしたいものもありますので少々お待ちください」

 

そう言ってサルシドは執務室を出て行き、20分ほどして小さな箱を持って戻って来た。

その箱とは何らかの金属製で大きさは縦約15センチ、横約20センチ、高さ約10センチの直方体で、蓋を開けるとそこには金色のコインが数十枚入っている。

 

「これは我が王家に代々伝わる家宝で、アウルムと呼ばれる金属だそうです」

 

「アウルム」とはラテン語で「金」を表す言葉で、金の元素記号「Au」の元になっていることはツグミも知っている。

だからサルシドから見せられたものが金貨であることはすぐにわかったが、なぜそんなものがここに存在するのか疑問を抱いた。

近界(ネイバーフッド)にも金属は存在するのだが、それはすべてトリオンによって作られたものであり、ボーダーの使用する遠征艇もトリオンによって作られた金属によって造られている。

 

(このコインはとても古いものだわ。博物館で見た古代ローマ時代に使用されたものに似ている。だけど近界(ネイバーフッド)には元々金という金属は存在しないはず。ということは玄界(ミデン)から持ち込まれたと考えるのが自然ね。そうなると何千年も昔から近界民(ネイバー)玄界(ミデン)に来ていたということになる。…いえ、逆に玄界(ミデン)の人間が近界(ネイバーフッド)へ行っていたということも考えられる。ま、それはいいとして、()()()金があるという事実は特別な意味を持つ。これがリコフォスの()()なんだわ)

 

ツグミにはこの重要さにすぐ気が付いたが、迅には理解できていないようである。

 

「宰相閣下、これは古い時代に玄界(ミデン)から持ち込まれたものですね?」

 

「はい、我が一族にはそう伝えられています。この国の始祖となった人間が異世界から持って来たもので、この他にもアルゲントゥムやオリカルクムというものもありました」

 

アルゲントゥムは銀、オリカルクムは真鍮を意味するラテン語である。

 

「これもご覧ください」

 

サルシドはそう言って袖を引っ張り上げて手首を出した。

そこにはルビーのような真紅の石が嵌めらえたバングルがある。

 

「そしてこれが王家の人間の証である(ぎょく)です。カルブンクルスという石で、近界(ネイバーフッド)には存在しないものです。もっともこれはトリオンによって複製されたもので、本物は王冠に嵌められていて神殿に安置されており儀式の時にしか使用されません」

 

そう言うサルシドにツグミは換装を解いて生身の自分の首に着けてあるチョーカーを見せた。

 

「わたしも同じようなものを持っています」

 

「それは…サッピールスではありませんか!? なぜあなたがそれを…?」

 

「サッピールス…つまりサファイアですね。ここだけの話ですけどわたしはエウクラートンの王家であるオーラクル家の血筋なんです。近界民(ネイバー)の父と玄界(ミデン)の母の間に生まれました。現女王のエレナ・オーラクルはわたしの大叔母で、以前に祖父であるリベラート皇太子からいただいたものです」

 

「あなたがエウクラートンの…。これは大変失礼いたしました。そうなるとあなたも古くて高貴な血筋の方なのですね。これも言い伝えですが近界(ネイバーフッド)にはこのような(ぎょく)を持つ王家が5つあり、ルビー(カルブンクルス)サファイア(サッピールス)エメラルド(スマラグドゥス)トパーズ(トパジウス)、そしてダイヤモンド(アダマース)をそれぞれ王家の家宝としています。そして一族の人間はそれをトリオンによって複製した(ぎょく)を装飾品として身に付ける慣習があるのですよ」

 

リベラートからチョーカーを渡された時にそのような説明はなかったが、サルシドがこのような嘘をつく意味はないので本当のことだろうとツグミは判断した。

 

「ということはエウクラートンもリコフォスのように歴史のある国だということになり、他にも同じような国が3ヶ国あるということですね?」

 

「そうなります。しかしエウクラートンの王族が玄界(ミデン)のために働いているとは意外でした」

 

「ええ、いろいろと事情がありまして。それに自身の出自を知っていてボーダーに入ったのではなく、ボーダーで働いているうちに知ることになったんです。今は近界(ネイバーフッド)玄界(ミデン)を繋ぐ架け橋になりたいと思っています。わたしの両親のように生まれ育った世界は違っても共に生きようとする意思があったからこそ結婚できたのだと思いますから。それはそうと金属はともかく近界(ネイバーフッド)にはその国土の成立過程からしてこのような鉱物は存在しえない。つまり近界民(ネイバー)玄界(ミデン)から持ち込まれた鉱物や金属をトリオンで複製して使用しているということ。わたしはトリオンでできているものを見分けることができるんですが、いくつかの国で見た金貨や銀貨はすべてトリオン製でしたが、この金貨は本物の金を使用していることがわかります。…そしてエクトスに支払った代価とは玄界(ミデン)から持ち込まれた物質の本物(オリジナル)だった、というのではありませんか?」

 

「…はい、そのとおりです。渡したのはマルガリートゥム。これはその一部ですが、この大きさが倍近くある大きくて形の良いものを3つ渡しました」

 

サルシドはそう言って直径が7から10ミリくらいの大きさの真珠を見せた。

 

「これの倍というと14ミリから20ミリ…それで形が良いというと非常に珍しくて高価なものですね。それなら玄界(ミデン)で拉致した人間36人分の代価にはなりそう。そしてそれをトリオンで複製して貴族に売ればかなりの儲けになるでしょうし。これで貴国がエクトスに支払った代価の謎いついては納得できました。このような秘密を明かしてくださったことで宰相閣下のお気持ちはわかりました。この国の将来について希望が持てるよう全力で力をお貸しすることをお約束いたします」

 

ツグミがそう言うとサルシドは泣きそうな笑顔で言った。

 

「ありがとうございます! この感謝の気持ちは言葉で言い表せるものではありません。ですからあなたの期待を裏切らない形でお礼をさせていただきます」

 

「はい。お互いに皆が幸せになれる道を模索しましょう。まずは現在の麻疹(はしか)の流行状況から教えていただきましょうか」

 

こうしてリコフォスの抱える問題について腰を据えて対処することになったツグミであった。

 

 

 

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