ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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582話

 

 

翌日の午後、全国各地の集落の代表が集められて荒戸が麻疹(はしか)の予防と発症してしまった患者に対するケアの方法をレクチャーした。

さらに感染症に限らず日常的にも手洗いやうがい、換気が重要であることを説明して徹底させることになった。

そして麻疹(はしか)であろうとなかろうと関係なく、住人に何らかの身体の変調があった場合には生身の身体のままで接触するのではなくトリオン体に換装できる人に看護を頼むように指示する。

念のために飲用水は煮沸してから使用し、見ず知らずの人間に接触したり見慣れぬものを拾う等の行為を禁止。

最後に何かあった場合は早急に政庁に知らせることを約束させて解散となった。

これで十分とは言えないが、誰にでもできる対策としてはこれくらいだ。

 

 

◆◆◆

 

 

リコフォスは拉致被害者市民36人のうち男性22人と女性4人がトリガー使いとして、女性10人を花嫁要員として購入している。

国の規模や戦時中かどうかなどの条件で考えるとトリガー使いの人数が多く感じるが、それはリコフォスの軍の中にトリガー使いとして戦えるほどのトリオン能力者がおらず、軍人約150人のうちトリガー使いはわずか6人だけしかいない。

そこで国防のためにトリガー使いをエクトスから買ったのだが、ツグミにはリコフォスに侵攻しても「奪う」ものがあるようには思えなかった。

近界(ネイバーフッド)で延々と続くの戦争の理由はほとんどが「トリオンを奪うため」である。

トリオン能力者が多ければそれだけトリガー使いを育成できるし、単純にトリオンを抽出するための()()にすることもあるだろう。

アフトクラトルのように「神」の交代が迫っている場合には同胞を犠牲にせずに済む。

ところがリコフォスにはそれだけの()()はない。

ならば国防のためのわざわざ高額なトリガー使いをエクトスから買う必要はなく、トリオン体に換装した一般兵に簡易トリオン銃を持たせるレベルで十分だとツグミは考えた。

しかしその考えは間違っていて、この国には他国から狙われる「何か」があるのではないかと思うようになっていた。

 

近界(ネイバーフッド)の起源については近界民(ネイバー)であっても知る者はいない。玄界(ミデン)の起源は人類が誕生する前のことだから記録にないのは当然だけど、近界(ネイバーフッド)の場合は違う。異世界…たぶん玄界(ミデン)の人間が創造したもので、その時に役に立ちそうなものを持ち込んだ。その一部が昨日見せてもらった金貨。オリジナルさえあればそれをトリオンで複製して()()同じ物質を生み出すことができる。…そうなると他にも価値のあるものがこの国に存在して、それを大量に複製すれば儲かる。もしくはそれと同等の結果が得られるもの、つまり()()があるってことになって、それを手に入れるために麻疹(はしか)をこの国に広めた人間がいてもおかしくはない。戦争でリコフォスを陥落するよりも感染症で国民を全滅させる方がノーリスクハイリターンだもの。いくら強大な軍事力を注ぎ込んだとしても、追い詰められた時に(ブラック)トリガーを作られたら戦況は逆転するということだから、戦争なんてコストのかかることをせずに感染症でダメージを与えるという手はわたしだって考えるわ。実際にガロプラの件で使ったけど。…これはわたしの妄想に近い仮説だけど、気になるからサルシド宰相に訊いてみよう。もちろん秘密であれば隠そうとするだろうけど、そんなものを持っているから狙われるのだと言えばあの人なら話してくれる、きっと)

 

国民の生活を第一に考えて政を行っているサルシドなら秘密を抱えて国民を危険に晒すことを良しとしないはずだと、ツグミは思い切ってリコフォスの「謎」を究明することに決めたのだった。

 

 

◆◆◆

 

 

ツグミは「重要な話がある」と言ってサルシドの執務の合間に1時間だけ時間を割いてもらいことになった。

 

「お互いに忙しい身ですから単刀直入に言います。貴国は他国から狙われるようなものを隠し持っていますね?」

 

ツグミはそこまで断言できるだけの証拠を掴んだとばかりの迫力で訊く。

するとサルシドは一瞬表情を強張らせたものの、すぐに穏やかな表情に戻って逆に訊いた。

 

「他国から狙われるものなど心当たりはありませんね。あなたは何を根拠にそのようなことを言うんでしょうか?」

 

「根拠ですか? たしかにこれはという証拠はありませんが、この国に来て見聞きしたことや感じたこととわたしがこれまでの経験から判断したのです。ご希望があればひとつひとつご説明いたしますがいかがでしょうか?」

 

ツグミの言動が()()()()ではないことを理解しているサルシドは隠し通せば国益を損なうと判断して白状することにした。

 

「わかりました。心当たりがないというのは嘘です。()()を他国が狙っているのかどうかはわかりませんが」

 

「アレ、とは?」

 

玄界(ミデン)から持ち込まれた()()のひとつで、ユゥアレェィニィアムと呼ばれています。これだけは他のものと違って厳重に封印されていて中身を確認したことはありません」

 

「ユゥアレェィニィアム…」

 

それはラテン語読みであってあまり馴染みはないものだが、一般的に日本では「ウラン」とか「ウラニウム」と呼ばれる物質である。

そしてウランから想像されるもので一番に頭に浮かぶのは「核兵器」で、厳重に封印されているという点から中に入っているのは天然ウランではなく人の手が加わった「濃縮ウラン」の可能性が高い。

 

「これについては代々決して触れてはいけないものとして神殿の奥に安置した宝物とは別に管理していて、その存在は王家の者でも神殿に出入りできる直系の人間しか知らないはずです。ですから他国の人間が知るはずないので、狙われているとは考えられないのですが…」

 

そこまで言ってからサルシドは言葉を詰まらせた。

否定していながらもまったく心当たりがないという話ではなさそうなのだ。

 

「王家の直系の人間なら知っているわけですから、その人物から情報が漏れたということは考えられないのですか?」

 

「!?」

 

サルシドの反応からツグミの言葉が図星であったことはハッキリとした。

 

()()とは玄界(ミデン)でウランと呼ばれる物質で、玄界(ミデン)の人間はそれを利用した核兵器という愚かな兵器を生み出してしまいました。実際に使用されたのは過去に2回だけですが、その被害があまりにも甚大で非道なものでしたので、国際的な使用や保有を規制する条約が定められたほどです。非常に大きなエネルギーを生み出すものですので利用方法を間違えなければ有益なものですが、やはり危険なものであることには違いありません。この話は玄界(ミデン)の人間なら普通に知られていることですから、もし玄界(ミデン)の人間と接触したことでウランの利用方法を知り、リコフォス王家の管理している宝物の中にウランがあると知っていればそれを使おうと考えるかもしれません。麻疹(はしか)を流行らせて、その混乱に乗じて神殿に侵入して盗み出そうとした、とは考えられないでしょうか?」

 

「……」

 

「トリオン体に換装していればトリオンによる攻撃以外は効果がないということになっていますが、核兵器による攻撃に耐えうるのかどうかはわかりません。生身の人間でなら核攻撃を受ければ即死。仮にその時に生き残ったとしても放射能に汚染された土地では人だけでなく動物も植物も死に絶えます。それほど恐ろしい兵器の元になる物質ですから、金や宝石とは違った意味で価値のあるものなんです」

 

「……」

 

「実際に使用しなくても使うと脅しをかけるだけでも効果はありますからね。トリオン兵を何百匹も投入した戦争をするとなればトリオンが大量に必要ですが、核兵器ひとつ持つことで相手を屈服させることは可能。とても効率の良い戦い方ではありませんか? 核兵器をひとつ作ってどこかの国で使用する。そうすればあとはその恐ろしさが近界(ネイバーフッド)中に広まり、実際に使用しなくても相手国に対して使用を匂わせることで簡単におとなしくさせることができます。なぜ貴国の始祖となった人物がこんなものを近界(ネイバーフッド)へ持ち込んだのか意図は不明ですが、決して触れてはいけないものとして厳重に管理されていたということですから、もしかしたら過去の愚かな戦争を忘れないようにという()()のつもりだったのかもしれませんね」

 

ツグミの言葉にサルシドは茫然としてしまった。

 

古代核戦争説というものがある。

四大文明よりも前に栄えていた超高度な文明が核兵器で滅亡したという説のことだが、この荒唐無稽な説に対して肯定派・否定派双方が存在する。

肯定派は古代インドの叙事詩「ラーマーヤナ」等の記述やモヘンジョダロ遺跡から発見された遺骨や遺物の状態から超高温の熱線と致死量の放射線が周囲に放散された、つまり核兵器が使用されたとの根拠を示す。

一方、否定派はその核兵器を製造した証拠がないと言う。

そして肯定派が主張する現象も別の理由で説明ができるということで、結局両者の水掛け論になってしまい結論は出ていないものだ。

ツグミはオカルト的なこの手の話に興味はなかったが、近界民(ネイバー)の祖が玄界(ミデン)の人間である可能性が高まり、さらに突如として消えてしまった超古代文明を築いた人類の行先が近界(ネイバーフッド)ではないかという仮説を立てたくらいである。

だからはるか昔に玄界(ミデン)の人間が核を使用して玄界(ミデン)を捨てなければならない状態に追い込まれたために、その戒めとしてあえてウランを持ち込んで厳重に管理しているのではないかと想像してしまったのだ。

別に古代核戦争の真偽はどうでもかまわない。

ただリコフォスの神殿の奥にウランが安置されていて、それを利用しようとする人間がいて奪うために麻疹(はしか)ウィルスを撒いて国民を全滅させようとしたというストーリーが事実であったとしたらその影響はリコフォスだけに留まらず近界(ネイバーフッド)全域にも及ぶ恐ろしいものとなる。

 

「宰相閣下、わたしはあなたを脅かそうとしているのではなく、いくつもの状況証拠から推測されることをお話ししただけです。でもこうして整理してみるとなぜ麻疹(はしか)が国内で流行してしまったのかという疑問が解けます。そして敵意のある何者かが諦めずに次の手を打ってくる可能性があり、ボーダーの精鋭部隊が滞在している今ならなんらかの対策が立てられる…と思いませんか?」

 

「!」

 

「わたしは物事を進める上でどんな時にでも対応できるよう常に備えています。貴国の状況については想定外のことでしたが、それでも対応不可能ということはありません。わたしは閣下から麻疹(はしか)に関する対応を依頼され、そちらの方はひとまずできる範囲のことは終わりました。そうなると本来の目的である拉致被害者市民の帰国に関する交渉を行うわけですが、それが終わればわたしたちはすぐに帰国することになります。玄界(ミデン)にはわたしたちの帰りを待っている人が大勢いるのですから。その後は貴国のみで対応してもらうわけですが、生物兵器での攻撃が失敗したとなれば次は本格的な戦闘となるでしょうね。三門市民が帰国してしまえば貴国の軍にはトリガー使いが6人しかいないのですから勝ち目は薄い。すぐに王都が陥落して神殿にあるウランも奪われてしまうことになれば災厄は貴国だけに留まりません」

 

「……」

 

「わたしが危惧しているのはウランがあれば核兵器を作ることができるわけではなく、貴国にあるウランを手に入れて核兵器を作ることのできる知識や技術を持つ玄界(ミデン)の人間が絡んでいる可能性があるということです。玄界(ミデン)では禁止されていることでも近界(ネイバーフッド)ではその範疇ではないので使用することも問題はない。いえ、使用しなくてもその恐ろしさを認知させれば誰もが言いなりになってしまう。そしてその実験場にこの国が使用された時のことを考えると恐ろしい。『敵』が近界民(ネイバー)だけでなく玄界(ミデン)の人間が関わっていたのであれば界境防衛機関ボーダーとして解決すべき問題です。ですから麻疹(はしか)ウィルスを持ち込んだ人物をはっきりとさせたいと思います」

 

「しかしそいつがどこの誰かわからないのではどうしようもない」

 

「ですがまだこの国の中にいて様子を窺っていると思われます。そして失敗したことを確認してから報告に戻るでしょう。現在この国に近付いている国の可能性は近く、今ならまだ国内にいる工作員を捕まえることができるかもしれません」

 

「どうすればいい?」

 

「わたしたちに一任していただけるのならこちらでやってみましょう。ちょっとした策があります」

 

「ああ、どうかよろしくお願いします」

 

サルシドはそう言って頭を下げた。

 

麻疹(はしか)の件と含めてこれで貸しはふたつになりますね。早速行動に移りたいと思いますが、標的を逃がさないために(ゲート)を強制封鎖してください。あとはこちらで上手くやりますからお任せください」

 

ツグミは約束どおり1時間で話を済ませ、直ちに次の行動を開始するのだった。

 

 

◆◆◆

 

 

ツグミが執務室を出て行ってひとりになったサルシドは20年近く前のことを思い出していた。

 

(もしかしたら兄上が…)

 

サルシドの頭の中には兄の顔が浮かんだ。

 

(いや、兄上がそんなことをするはずがない! …しかしユゥアレェィニィアムのことを知っているのは他に姉上と私しかいないのだから、もしツグミの言うように王家の秘密が漏れたとするならそれは兄上しか考えられない)

 

尊敬していた兄の顔を振り払うように頭を振るサルシド。

 

(ありえない! 兄上がこの国を出奔してからの消息はまったくわからないが、あの高潔な兄上が国家の機密を他国に漏らすようなことはありえない。どこかの国に亡命したのだろうが、あれから20年以上も経っていて今さら祖国に仇なすようなことをするはずがないのだ。きっとツグミの思い込みにちがいない。ユゥアレェィニィアムの価値を知った何者かが麻疹(はしか)を流行らせて、その混乱に乗じて神殿に侵入して盗み出そうとしたなど彼女の夢物語にすぎない。きっとそうだ)

 

24年前、リコフォスの(マザー)トリガーの「神」の寿命が尽きようとしていた時、次の「神」としてサルシドの兄であるレグロ・リコフォスが候補となった。

それは王家の一族の中で最もトリオン能力が高かったからにすぎず、これまでの慣習として受け入れるのが当然という流れであった。

しかし本人は自分こそ宰相として女王の補佐をするに相応しいと考えており、祖国のためとはいえ生贄になるなど御免だとして突然王城から姿を消してしまったのだ。

「神」候補がいなくなってしまったためにその事実を知る政府の中枢は大混乱となり、当時の女王 ── サルシドやレグロの母 ── はその責任を負うとばかりに自ら女王の座を娘のカロリーネに譲り、(マザー)トリガーに身を投じたのだった。

そうしてリコフォスの「神」問題は解決したことでレグロの出奔についてはそれ以上触れないことになり忘れ去られていた。

 

(兄上が王城を出て行く際に宝物の中から持ち出せるだけの金貨や宝石を盗んだことをすっかり忘れていたな。あれだけの宝物があればどこかの国の王族に助けを求め、貴族待遇で暮らしていることだろうと安心していた。生贄にされそうになれば私でも同じことをしたはずだ。しかしツグミの話は与太話として無視できるものではないほど理に適っている。このまま有耶無耶にできるものではなく、真相をはっきりさせることで兄上の無実が証明される。ならば私は兄上の無実を信じ、ツグミたちに真相究明を任せてみよう。我が国にとって益となっても損にはならないのだ、下手に玄界(ミデン)と縁を切ってしまうよりもいいだろう)

 

兄のことを信じていると言いながらも心の片隅には一抹の不安が残っていた。

だからこそはっきりさせたいと考え、ツグミに頼ることにしたのだった。

 

 

◆◆◆

 

 

(サルシド閣下にはあんなこと言っちゃったけど、さてどうしようかな…?)

 

ツグミは政庁の廊下を歩きながらこれからどうしようかと考えた。

自身満々で策があるようなことを言ったが、それは彼女らしい()()()()であった。

まったくの嘘ではないが、そこで自信なさげな態度であれば若い女性の彼女は相手に見下されるからと虚勢を張っているのだ。

 

(まずは標的(ターゲット)の捕獲だけど、昨日わたしたちが到着するまでは半ば成功という状態だったからまだこの国にいる可能性が高い。(ゲート)を強制封鎖してもらったから今からじゃもう国外へは出られないから、あとは人海戦術で探せばいい。…ううん、場所はある程度限定できるから人手は数人で済むわね。ドローンもすぐに起動できる状態になってるし、みんなに招集をかける前に情報収集をしておいて、いざという時には総動員で取り押さえればいい。艇にはトリオン補給のためにチカちゃんと麟児さん、メンテナンスでゼノン隊の3人がいるはずだから今から行ってみよう)

 

ツグミは行先を迎賓館の自室からボーダーの遠征艇が格納されている軍総司令部の格納庫へと変更した。

本来なら軍の中枢に他国の人間を入れることはありえないが、ボーダーが敵になることが絶対にないという確信があるからこその配慮である。

ここだとツグミたちが寝泊まりしている迎賓館から徒歩10分という至近距離にあり、保守管理に便利であるというサルシドの気遣いによるもので、さっそく復路のためのトリオン補給を始めていた。

 

(そろそろお昼の休憩時間ね。早く行ってゼノン隊長に相談して、午後一で行動開始よ!)

 

そう思うと歩くスピードが自然と早まってしまうのだった。

 

 

 

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