ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
翌日の午後、全国各地の集落の代表が集められて荒戸が
さらに感染症に限らず日常的にも手洗いやうがい、換気が重要であることを説明して徹底させることになった。
そして
念のために飲用水は煮沸してから使用し、見ず知らずの人間に接触したり見慣れぬものを拾う等の行為を禁止。
最後に何かあった場合は早急に政庁に知らせることを約束させて解散となった。
これで十分とは言えないが、誰にでもできる対策としてはこれくらいだ。
◆◆◆
リコフォスは拉致被害者市民36人のうち男性22人と女性4人がトリガー使いとして、女性10人を花嫁要員として購入している。
国の規模や戦時中かどうかなどの条件で考えるとトリガー使いの人数が多く感じるが、それはリコフォスの軍の中にトリガー使いとして戦えるほどのトリオン能力者がおらず、軍人約150人のうちトリガー使いはわずか6人だけしかいない。
そこで国防のためにトリガー使いをエクトスから買ったのだが、ツグミにはリコフォスに侵攻しても「奪う」ものがあるようには思えなかった。
トリオン能力者が多ければそれだけトリガー使いを育成できるし、単純にトリオンを抽出するための
アフトクラトルのように「神」の交代が迫っている場合には同胞を犠牲にせずに済む。
ところがリコフォスにはそれだけの
ならば国防のためのわざわざ高額なトリガー使いをエクトスから買う必要はなく、トリオン体に換装した一般兵に簡易トリオン銃を持たせるレベルで十分だとツグミは考えた。
しかしその考えは間違っていて、この国には他国から狙われる「何か」があるのではないかと思うようになっていた。
(
国民の生活を第一に考えて政を行っているサルシドなら秘密を抱えて国民を危険に晒すことを良しとしないはずだと、ツグミは思い切ってリコフォスの「謎」を究明することに決めたのだった。
◆◆◆
ツグミは「重要な話がある」と言ってサルシドの執務の合間に1時間だけ時間を割いてもらいことになった。
「お互いに忙しい身ですから単刀直入に言います。貴国は他国から狙われるようなものを隠し持っていますね?」
ツグミはそこまで断言できるだけの証拠を掴んだとばかりの迫力で訊く。
するとサルシドは一瞬表情を強張らせたものの、すぐに穏やかな表情に戻って逆に訊いた。
「他国から狙われるものなど心当たりはありませんね。あなたは何を根拠にそのようなことを言うんでしょうか?」
「根拠ですか? たしかにこれはという証拠はありませんが、この国に来て見聞きしたことや感じたこととわたしがこれまでの経験から判断したのです。ご希望があればひとつひとつご説明いたしますがいかがでしょうか?」
ツグミの言動が
「わかりました。心当たりがないというのは嘘です。
「アレ、とは?」
「
「ユゥアレェィニィアム…」
それはラテン語読みであってあまり馴染みはないものだが、一般的に日本では「ウラン」とか「ウラニウム」と呼ばれる物質である。
そしてウランから想像されるもので一番に頭に浮かぶのは「核兵器」で、厳重に封印されているという点から中に入っているのは天然ウランではなく人の手が加わった「濃縮ウラン」の可能性が高い。
「これについては代々決して触れてはいけないものとして神殿の奥に安置した宝物とは別に管理していて、その存在は王家の者でも神殿に出入りできる直系の人間しか知らないはずです。ですから他国の人間が知るはずないので、狙われているとは考えられないのですが…」
そこまで言ってからサルシドは言葉を詰まらせた。
否定していながらもまったく心当たりがないという話ではなさそうなのだ。
「王家の直系の人間なら知っているわけですから、その人物から情報が漏れたということは考えられないのですか?」
「!?」
サルシドの反応からツグミの言葉が図星であったことはハッキリとした。
「
「……」
「トリオン体に換装していればトリオンによる攻撃以外は効果がないということになっていますが、核兵器による攻撃に耐えうるのかどうかはわかりません。生身の人間でなら核攻撃を受ければ即死。仮にその時に生き残ったとしても放射能に汚染された土地では人だけでなく動物も植物も死に絶えます。それほど恐ろしい兵器の元になる物質ですから、金や宝石とは違った意味で価値のあるものなんです」
「……」
「実際に使用しなくても使うと脅しをかけるだけでも効果はありますからね。トリオン兵を何百匹も投入した戦争をするとなればトリオンが大量に必要ですが、核兵器ひとつ持つことで相手を屈服させることは可能。とても効率の良い戦い方ではありませんか? 核兵器をひとつ作ってどこかの国で使用する。そうすればあとはその恐ろしさが
ツグミの言葉にサルシドは茫然としてしまった。
古代核戦争説というものがある。
四大文明よりも前に栄えていた超高度な文明が核兵器で滅亡したという説のことだが、この荒唐無稽な説に対して肯定派・否定派双方が存在する。
肯定派は古代インドの叙事詩「ラーマーヤナ」等の記述やモヘンジョダロ遺跡から発見された遺骨や遺物の状態から超高温の熱線と致死量の放射線が周囲に放散された、つまり核兵器が使用されたとの根拠を示す。
一方、否定派はその核兵器を製造した証拠がないと言う。
そして肯定派が主張する現象も別の理由で説明ができるということで、結局両者の水掛け論になってしまい結論は出ていないものだ。
ツグミはオカルト的なこの手の話に興味はなかったが、
だからはるか昔に
別に古代核戦争の真偽はどうでもかまわない。
ただリコフォスの神殿の奥にウランが安置されていて、それを利用しようとする人間がいて奪うために
「宰相閣下、わたしはあなたを脅かそうとしているのではなく、いくつもの状況証拠から推測されることをお話ししただけです。でもこうして整理してみるとなぜ
「!」
「わたしは物事を進める上でどんな時にでも対応できるよう常に備えています。貴国の状況については想定外のことでしたが、それでも対応不可能ということはありません。わたしは閣下から
「……」
「わたしが危惧しているのはウランがあれば核兵器を作ることができるわけではなく、貴国にあるウランを手に入れて核兵器を作ることのできる知識や技術を持つ
「しかしそいつがどこの誰かわからないのではどうしようもない」
「ですがまだこの国の中にいて様子を窺っていると思われます。そして失敗したことを確認してから報告に戻るでしょう。現在この国に近付いている国の可能性は近く、今ならまだ国内にいる工作員を捕まえることができるかもしれません」
「どうすればいい?」
「わたしたちに一任していただけるのならこちらでやってみましょう。ちょっとした策があります」
「ああ、どうかよろしくお願いします」
サルシドはそう言って頭を下げた。
「
ツグミは約束どおり1時間で話を済ませ、直ちに次の行動を開始するのだった。
◆◆◆
ツグミが執務室を出て行ってひとりになったサルシドは20年近く前のことを思い出していた。
(もしかしたら兄上が…)
サルシドの頭の中には兄の顔が浮かんだ。
(いや、兄上がそんなことをするはずがない! …しかしユゥアレェィニィアムのことを知っているのは他に姉上と私しかいないのだから、もしツグミの言うように王家の秘密が漏れたとするならそれは兄上しか考えられない)
尊敬していた兄の顔を振り払うように頭を振るサルシド。
(ありえない! 兄上がこの国を出奔してからの消息はまったくわからないが、あの高潔な兄上が国家の機密を他国に漏らすようなことはありえない。どこかの国に亡命したのだろうが、あれから20年以上も経っていて今さら祖国に仇なすようなことをするはずがないのだ。きっとツグミの思い込みにちがいない。ユゥアレェィニィアムの価値を知った何者かが
24年前、リコフォスの
それは王家の一族の中で最もトリオン能力が高かったからにすぎず、これまでの慣習として受け入れるのが当然という流れであった。
しかし本人は自分こそ宰相として女王の補佐をするに相応しいと考えており、祖国のためとはいえ生贄になるなど御免だとして突然王城から姿を消してしまったのだ。
「神」候補がいなくなってしまったためにその事実を知る政府の中枢は大混乱となり、当時の女王 ── サルシドやレグロの母 ── はその責任を負うとばかりに自ら女王の座を娘のカロリーネに譲り、
そうしてリコフォスの「神」問題は解決したことでレグロの出奔についてはそれ以上触れないことになり忘れ去られていた。
(兄上が王城を出て行く際に宝物の中から持ち出せるだけの金貨や宝石を盗んだことをすっかり忘れていたな。あれだけの宝物があればどこかの国の王族に助けを求め、貴族待遇で暮らしていることだろうと安心していた。生贄にされそうになれば私でも同じことをしたはずだ。しかしツグミの話は与太話として無視できるものではないほど理に適っている。このまま有耶無耶にできるものではなく、真相をはっきりさせることで兄上の無実が証明される。ならば私は兄上の無実を信じ、ツグミたちに真相究明を任せてみよう。我が国にとって益となっても損にはならないのだ、下手に
兄のことを信じていると言いながらも心の片隅には一抹の不安が残っていた。
だからこそはっきりさせたいと考え、ツグミに頼ることにしたのだった。
◆◆◆
(サルシド閣下にはあんなこと言っちゃったけど、さてどうしようかな…?)
ツグミは政庁の廊下を歩きながらこれからどうしようかと考えた。
自身満々で策があるようなことを言ったが、それは彼女らしい
まったくの嘘ではないが、そこで自信なさげな態度であれば若い女性の彼女は相手に見下されるからと虚勢を張っているのだ。
(まずは
ツグミは行先を迎賓館の自室からボーダーの遠征艇が格納されている軍総司令部の格納庫へと変更した。
本来なら軍の中枢に他国の人間を入れることはありえないが、ボーダーが敵になることが絶対にないという確信があるからこその配慮である。
ここだとツグミたちが寝泊まりしている迎賓館から徒歩10分という至近距離にあり、保守管理に便利であるというサルシドの気遣いによるもので、さっそく復路のためのトリオン補給を始めていた。
(そろそろお昼の休憩時間ね。早く行ってゼノン隊長に相談して、午後一で行動開始よ!)
そう思うと歩くスピードが自然と早まってしまうのだった。