ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
ツグミたちが遠征艇を出て迎賓館へ戻ろうとしていたところに麟児がやって来た。
「麟児さん、こんな時間に何かご用ですか?」
「ああ。さっき連れて来た捕虜の3人組なんだが、そのうちのひとりになんとなく見覚えがあるような気がしたんだ。たださっきはちらりと見ただけだし10年以上も前の記憶だから俺も自信はないんだが、会って話をしてみればはっきりと思い出すだろう。もしよかったら俺にヤツラと話をさせてもらえないか?」
麟児はエクトスの元諜報員で
諜報員がそう簡単に口を割ることはないのだから麟児が彼らの正体を知っていたら助かることは間違いない。
「ええ、かまいませんよ。むしろこちらからお願いしたいところです。ほんの少しでも手掛かりがあるのならそれに縋りたい。よろしくお願いします」
そこでツグミたちは遠征艇に引き返し、敵諜報員たちの食事が終わったであろうタイミングで倉庫のドアをノックしてまずツグミだけが中へ入った。
すると敵諜報員たち ── ヴィートとサシャとシモンの3人 ── はツグミの顔を見てぎこちない笑顔を見せた。
「料理はいかがでしたか? お口に合ったならいいんですけど」
ツグミがそう訊くと、ヴィートが答える。
「美味しかったよ。今まで食べたことがないものなのに、なぜか懐かしい気がした。不思議なものだ」
続いてサシャとシモンも同様に感想を言った。
「ごちそうさまでした。
「また明日も食べられると思うと捕虜も悪くないと思ったよ」
「どうやら気に入ってもらえたようでよかったです。…それではお互いの
料理のこともあって和やかな雰囲気だ漂っていた倉庫内の空気を壊さないようにとツグミは言葉を選んで用件を伝える。
するとヴィートたちも仕方がないとばかりに無言で頷いた。
「それは了解したと受け取ります。…麟児さん、中へ入ってください」
ツグミが麟児を呼ぶと彼と入れ替わるように廊下へ出て、麟児はこれ以上ないという厳しい表情で中へ入って来た。
彼の諜報員としての勘がそうさせていたのだ。
そして3人のうち20歳前後の男性 ── サシャの顔を見て言った。
「おまえ、サシャだよな? 俺のことがわかるか?」
するとサシャは驚きと困惑と懐かしさの入り混じった微妙な顔で答えた。
「リンジ…久しぶりだな」
そう言ってから諦めの表情で自嘲的な笑みを浮かべた。
そして自分の身元がバレたということは秘密の半分以上を知られてしまったことになると考えたサシャは自分の疑問を麟児に向けた。
「おまえがなぜ
「…それについては長い話になる。知りたいというのならおまえには話してもかまわない。しかし今の俺はボーダーの人間で、その意味はおまえにもわかるだろう。俺は過去の清算のために今を生きている。ツグミは俺の上官で、彼女は拷問をしないと言っているが俺は彼女のためであれば汚れ仕事もする覚悟はある。幼馴染のおまえに対しても容赦はしない。それを踏まえた上でおまえたちがどのような道を選ぶか考えてほしい」
「…ああ、わかった」
サシャはそうひと言だけ言って目を伏せた。
麟児は倉庫を出ようとするが、別れ際にサシャに言う。
「10年ぶりに会ったが、おまえは全然変わっていないんで驚いたと同時に懐かしい気持ちになった。できることならこんな出会い方はしたくはなかった。でも人は変わることができる。心も、これからの人生も…だ。俺は
「……」
サシャは黙ったままで麟児が出て行くのを見送った。
◆
麟児のおかげで敵諜報員がエクトスの人間であることは判明した。
ツグミは換装を解いた3人の素顔を見て、彼らの人相が麟児に似ていた ── 面立ちが東洋人っぽくてひとりは完全な黒髪をしていた ── のでもしかしたらと思ったのだが当たりであった。
道すがらツグミは麟児に訊く。
「サシャさんという方は麟児さんの幼馴染なんですか?」
「ああ。俺と同じ孤児で、同い年だったものだから仲が良かったし、同じ年に軍の幼年学校へ入学してトリガー使いになるための厳しい訓練も一緒にいたから耐えられたんだ。そういう点では親友とも呼べるヤツで、ライバルでもあった。だが俺には例の能力があったことで諜報員になるための別カリキュラムに進むことになり、そこで俺とヤツは別の道を辿ることになった。そして俺が
同じ国の諜報員同士であっても自分の任務については一切口外しないことがルールになっていて、お互いに任務先で出会うことはほとんどないのだそうだ。
だから仲間が何のために行動しているのかなどまったく知らず、偶然出会ったとしても仲間の邪魔をしないことが暗黙の了解となっている。
「俺が鳩原を連れてエクトスに帰国した時には任務で国を離れていたようだから会うことはできなかった。あの様子だと俺が拉致した三門市民の売却先リストを盗んで逃亡したことは知らされていないようだ。ま、軍も部下の裏切り行為を許すことはできないが、追いかけて制裁を下すほど暇じゃないってことで俺を追うことはしなかったんだろう。機密事項といってもそんなものを欲しがるのは
「エクトスは隊商国家と呼ばれているくらいだからいろいろな国に諜報員を派遣して国情を探るのだと前に聞いたことがあります。だからリコフォスにも同様に諜報員を潜入させて調査させるのはわかりますが、今回のテロはあきらかに国内を混乱に陥れて神殿の奥深くに安置されているウランを盗み出そうとする工作です。そうでなければ彼らがユゥアレェィニィアムなんて単語を口にするはずがないんですから。エクトスは何をしようとしているんでしょうか?」
「それは俺にもわからないし、ヤツラも知らされていないだろうから知る由もない。ただリコフォスにウランが存在することを知っているヤツがいて、それを欲しがっているヤツもいる。それが同一人物かどうかはわからないが、ウランの価値を知っていることには間違いない。
「つまりサルシド閣下に訊くということですね。教えてくれるかどうかはわかりませんし、あの人がどこまで知っているのかもわかりませんが訊いてみるしかないでしょう。他に手掛かりがないんですから。明日の午前中に面会の約束を取り付けておきましょう。まだこの時間なら間に合うはず。急ぎましょう」
ツグミは歩く速度を上げ、政庁の時間外窓口へと向かう。
そこには常時受付係がいて、サルシドに緊急で知らせなければならないことがあればここで受け付けて本人に直接伝えてくれることになっている。
ツグミは敵の正体がエクトスの諜報員であることと、その件で至急面会を求めていることを伝えてから迎賓館で待つことにした。
自室に着いて休んでいるとサルシドの使者が現れて、翌朝9時に執務室まで来てほしいと伝えられた。
ただしツグミだけにしか会えないということで、それを承諾するしかないのだった。
◆◆◆
翌朝、ツグミはボーダーの遠征艇にいるヴィートたちに朝食を届け、その際に同行してくれた麟児とゼノンのふたりが彼らの「尋問」を行う。
そしてツグミは政庁へ赴き、サルシドへの経過報告とユゥアレェィニィアムの秘密について話を聞くことになる。
サルシドがツグミにしか話せないことがあるということであればそれは今回の事件の核心に迫るものだが他人には教えられない極秘事項であるということは明らかだ。
「ツグミ、きみたちの見事な仕事ぶりには感服した。たった1日で我が国を滅ぼそうとした敵を捕らえ、その正体まで掴んだのだから賞賛に値する」
サルシドが手放しで褒めるものだから少し恥ずかしくなってしまったツグミだが、自分の役目はしっかりと把握している。
「お褒めいただきありがとうございます。ですが現状は良くなるどころかむしろマズい状態に進んでいるのは事実です。さっそく本題に入りましょう」
「そうだな。たぶんきみが私に面会を求めたのはユゥアレェィニィアムのことについて知りたいからだろう。昨日は話さなかったが、王家に伝わる『先祖伝承』について触れなければこの件は終わりそうにないことは理解している。だから同じ
「だから人払いをしてわたしとふたりきりになったということなんですね?」
「そうだ。長い話になりそうだ、座ってゆっくりと話そう」
ツグミとサルシドは向かい合ってソファに腰掛け、侍女にお茶を淹れさせると執務室から退出させるだけでなく隣にある控室での待機を禁止した。
盗み聞きをしようと思えば部屋をつなぐドアに耳をつけて聞くことができる環境なので、控室からも出て行くようにしたのだ。
それだけ重要な内容の話をするということで、ツグミは柄にもなく緊張してしまう。
そしてサルシドの話は彼女が想像していたよりもずっと深刻なものであった。
「
「なんですって!?」
ツグミは国名を聞いて驚いた。
5ヶ国すべてがボーダー…ツグミと関わりを持つ国であったのだ。
「私もエクトスの名を聞いて驚いたよ。しかし納得がいったという気持ちにもなった。エクトスの王家の人間ならこの我が国に『秘密』が存在することを知っていて当然だからな」
「秘密とはどういう意味でしょうか?」
「まあ、慌てるな。今から話すことは
サルシドはそう前置きをしてから語り始めた。
その時に宝石や金貨などとともに何種類かの金属や鉱石を
それは核戦争に用いられた兵器の材料となるもので、
そして5人の王が「材料(ウラン)」「歴史と由来が記載された書」3つに分けた「製造方法」を別々に封印という形で管理することにした。
それらをトリオン製の箱に納め、鍵は別の国の王が持ち、それぞれがどの国にあるのか不明であるという。
つまり核兵器を再現するためには5つの国の国王が全員同意して一同に会しなければならないというシステムなのだ。
リコフォスには材料となるウランが封印されているのだが鍵は他の4ヶ国のどこかの王家が管理しているために開けることはできないし、どこの国の箱の鍵かわからない鍵があって王家の人間だけに伝えられている。
エウクラートン、キオン、トロポイ、エクトスの王家にも同様に箱と鍵が代々受け継がれていて、そのエクトスの諜報員がリコフォスにある「材料」とどこかの国の箱の鍵を奪おうとしているとしたら他の3ヶ国に対しても同じように諜報員を送り込んで工作を行った、もしくは行う計画があるということだ。
エクトスがすべての国の箱と鍵を手に入れたら核兵器を再現できてしまい、
つまりエウクラートンにもエクトスの手が及んでいるかもしれないと想像でき、ツグミは顔が青ざめてしまった。
「そんな恐ろしいことを…。だとしたら一刻も早く対処しないと取り返しのつかないことになってしまいます。エウクラートンとキオンとトロポイにも知らせないと ──」
慌てるツグミにサルシドが言う。
「ツグミ、落ち着きなさい。たぶん他の国への手はまだ伸びていないはずだ。エウクラートンとキオンは
「…そう、ですね。取り乱してしまい、申し訳ございません」
「いや、謝ることはない。きみがどれだけ
「わたしも閣下が交渉に前向きになっていただけたようなので安堵しております。貴国の人口減少につきましては時間をかけて戻していくしかありませんが、これ以上人を減らさないようにする手段はいくらでもあります。条件も他の国同様に人口減少に歯止めをかけるための医薬品等の供与や医師の育成、そして今回の
「もちろんだ。トリガー使いが大量にいなくなってしまうとなると同盟に加えてもらった方が心強い。そちらの件も話し合いたいがいいだろうか?」
「ええ、大歓迎です。では閣下にはそのための時間を作ってくださいませ。わたしはいつでもかまいませんから」
「わかった。とりあえず今日は雑務を済ませてしまいたい。だから明日からの予定を調整して交渉会議に臨もうと思う」
「よろしくお願いします」
こうしてツグミとサルシドの秘密の会見は終わり、
しかしそんなことよりも先を急がなければならないことがあり、早くリコフォスにおける拉致被害者市民の帰国交渉を済ませて帰国し、それが終わったらエウクラートンとキオンとトロポイにリコフォスでの一件を知らせてエクトスへの警戒をしなければならない。
特にこの3ヶ国に伝えるためにはツグミ自身が赴いて王族の人間に直接話をする必要があり、対エクトスの協力を依頼して4ヶ国と
(
万が一核兵器がエクトスの手によって再現されたとして、それを向ける対象が
そんなことを考えながらツグミはボーダーの遠征艇に向かって歩いていた。
(麟児さんがいることでゼノン隊長たちも無茶なことはしていないと思うけど少し心配。エクトスの3人も上からの命令に従っていただけ。いずれリコフォス側に引き渡さなければならないけど、その時に酷い罰を与えられないよう素直になって心象を少しでも良くしてもらいたいものだわ)
その頃、遠征艇の倉庫の中ではエクトスの陰謀などまったく知らない麟児とサシャがふたりで話をしていた。