ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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586話

 

 

エクトスの諜報員 ── ヴィート隊の3人は自分たちの正体がバレたことで観念したようであった。

祖国の情報は麟児から漏れているようだし、今回の任務内容についてもリコフォス王家に伝わるユゥアレェィニィアムの強奪であったことも調べがついている。

そうなると彼らは任務に失敗したことになり、これ以上恥を晒すのであれば自死という道しかないのだがそれすらも叶わない。

ツグミの作る料理だけが楽しみで、この日の朝食はメイプルシロップをかけたパンケーキとベーコンエッグであったが、それも彼らにとっては至高の味であったから次の食事がまた待ち遠しいという状況だ。

ここでツグミが「美味しいものが食べたかったら全部白状しなさい」などと言えば反発するのだが、彼女はそんなことを言わずただ料理を喜んでもらいたいという気持ちでいるからヴィートたちは困惑してしまう。

これまで捕虜になるという無様なことはなかったが、捕虜になったらどういう扱いを受けるのか、またその時にはどのように()()()()()()()()()かなど先輩たちから聞かされていた。

それが想像していたものと大きく違っていて、諜報員の育成所で寝坊して遅刻したり門限を破った時には罰を与えられたが、それよりもはるかに重大な失敗をしたというのに任務遂行中よりも良い待遇となっている。

不味い戦闘糧食を食べ続けた日々と比べたら夢のようで、この夢がずっと続けばいいとさえ思ってしまうほどだ。

 

すべては祖国エクトスのためであり、祖国に忠誠を尽くすことこそ国民の義務であると教えられてきた彼らだが「では祖国は自分たちに何をしてくれたのだろうか?」と考えてしまう。

彼らのような諜報員は親きょうだいのいない孤児が多い。

だから大切な家族を守りたいという気持ちは一切なく、生きていく上で他に道がなかったというケースがほとんどだ。

懸命に任務に励んだところで国からわずかばかりの報奨金が出るだけ。

任務で死ぬ ── 殉職したところで家族がいれば遺族年金が出るものの、独り身であればそれすら意味はない。

任務をやり遂げた達成感などなく、今回のように命じられたままリコフォスの罪のない国民を大勢殺してしまったとなれば罪悪感さえ覚えてしまう。

彼らは「リコフォスへ行って感染症を流行させ、国内が混乱している隙に王都の神殿の奥に安置されている『箱』と『鍵』を奪って来い」と命じられ、リコフォスに来て最初に出会った少女に上官から渡された麻疹(はしか)ウィルスをうつした。

その後は経過を見守るだけで、王都に潜入するタイミングを窺っていた。

ただ彼らは麻疹(はしか)がこれほど多くの人間を死なせる病気だとは聞いておらず、赤ん坊から老人まで何万という無辜の民を殺してしまった。

これも任務だから仕方がないと自らに言い聞かせてはいたが、さすがに良心の呵責に胸を痛めていたところにツグミたちが現れて罪深い自分たちを捕えて罰するものだと覚悟した。

ところがそんな様子はなく、それが逆に精神的な苦痛を与えることとなる。

まるで「全部洗いざらい吐いてしまえば楽になれる」のだと言わんばかりの優しい態度で、祖国を裏切って楽になってしまおうと思ってしまうのだ。

何もしてくれない祖国に忠誠を誓うよりもすべてを捨ててしまって他国に逃げてしまえばやりたくもない任務からも解放される。

ここですべてを白状して罪を償えばもう苦しまずに済むと思うと観念して素直に従うべきと判断したのだった。

尋問には麟児とゼノンのふたりが担当することになったが、彼らが呆気ないと感じるほどヴィートたちは従順だった。

しかし末端の諜報員が知っていることは自分の任務についてのみで、それすら判明してしまっているので白状するといっても大した情報はない。

仮に拷問をしたところで知らないことを言うことはできず、もっぱらエクトスという国の現状について聞くことくらいしか叶わないのだった。

 

 

 

 

形式だけの尋問を終え、麟児とサシャは倉庫でふたりきりにしてもらった。

同じ道を歩いていた幼馴染が十数年ぶりに意外な再会をしたわけだから、積もる話があるだろうとゼノンが自分の権限の範囲内で許可をしてくれたのだった。

ヴィートとシモンはゼノンがミーティングルームへと移動させ、総合外交政策局員の中で一番美味しいという評判のゼノンの淹れたコーヒーでコーヒーブレイクとなった。

機関室には艇のトリオン供給当番としてリヌスとテオがいるので何かあれば彼らだけで対処ができるからである。

 

「リンジ、なぜおまえが玄界(ミデン)の人間と行動を共にしているんだ? まさかそれが今の任務なのか?」

 

サシャに問われて麟児は無言で首を横に振った。

 

「ああ、そうか…任務については仲間であっても口外しない決まりだったな。答えられないのは当然か」

 

麟児がYESともNOとも言わないので、サシャはそう勝手に判断したようだ。

すると麟児は申し訳なさそうな顔で答える。

 

「違うんだ。…内緒にしていたかったが親友のおまえに嘘はつきたくないし、こういう形で再会したのはこれが運命だったんだと思う。だから俺の話を聞いてもらいたい。それでもし俺のことを軽蔑して見限るというのであればそれも甘んじて受け入れようと思う」

 

「なんだか深刻な話みたいだな。とにかく話してみろよ。オレはおまえの親友だし、これからも親友でいたいと思っているんだ。余程のことじゃないかぎり見限るなんてことはないさ」

 

「そうだよな…逆の立場なら俺だってそう言う。しかしそんな俺が不安になるほど深刻な話なんだ」

 

麟児はそう前置きしてから話を始めた。

自分が玄界(ミデン)へ派遣されて三門市民の中に紛れて情報収集をし、玄界(ミデン)の人間が「第一次近界民(ネイバー)侵攻」と呼ぶ()()に手を貸したこと。

その時に偽の記憶を植え付けて入り込んだ家族に愛着を覚え、特に妹のことを守りたいと思うようになったこと。

エクトスの侵攻の際に拉致されないよう当日は危険区域から離れた場所へと逃がし、侵攻後は理由をつけて三門市に残ることにしたこと。

それからしばらく三門市に滞在して雨取家(偽の家族)の一員としての人生を過ごしていたが、千佳()のために祖国(エクトス)を裏切る道を選んだこと。

エクトスで機密書類を盗み出して玄界(ミデン)へ戻り、すべてをボーダーに告白して罪の償いとしてボーダーで働くことにしたこと。

現在では玄界(ミデン)の戸籍を得てエクトスの諜報員であったリンジは死に、雨取麟児という人間として生きているのだと淡々と話したのだった。

それをサシャは最後まで黙って聞いていて、エクトスを裏切ったことを後悔していないと言う麟児に向けて静かに微笑んだ。

 

「おめでとう。ようやくこれでおまえが望んでいた安住の場所を得られたということだな。どちらが先に願いを叶えるか競争しようと言ったことを覚えているか?」

 

「ああ」

 

「孤児院にいた頃、お互いにどちらが早く家族を得られるか勝負をしようと言い出したのはオレで、おまえは家族なんていなくても仲間さえいれば十分だと言った。そんなおまえが祖国よりも家族を選んだというのだから余程大事なものなんだろうな」

 

「そうだ。かけがえのないもので絶対に失いたくないと思っていた。ところが俺は自分がエクトスの諜報員で三門市に大きな被害をもたらした張本人であることを隠していて、そのことがバレてしまったために守りたいと思ったものを失ってしまった。家族だと信じていた男が赤の他人で自分たちを騙していたのだから当然だ」

 

「……」

 

祖国(エクトス)を裏切るという形で捨てた俺には行く当てもなく、玄界(ミデン)に大きな被害を与えたのだから罰せられるのは覚悟でいたんだ。ところがツグミは俺にひとつの道を示してくれた。ボーダーに入って働くことで罪を償う方法と居場所を与えてくれた。上官からは反対されたようだが、彼女のそれまでの仕事ぶりと結果は評価されていたから認めてもらえた。それだけでも感謝すべきことだ。しかしそれだけではなかった。両親だった人たちは俺のことを見限ったが、妹の千佳が俺のことをまだ兄だと慕ってくれて俺の心の支えになってくれた。俺が兄だと偽っていたとしても一緒に暮らした日々は本物で、その思い出は自分にとってかけがえのない大切なものだと言ってくれたんだ。それがとても嬉しくて、それだけでも十分幸せだと感じていた。最近では俺のボーダーでの働きが認められたのか、両親だった人たちとも和解できた。元の家族には戻れないがやり直すことができるのだとわかり、俺は今の生活を守るために戦っている。戦うといっても武器(トリガー)を使う戦いではない。近界(ネイバーフッド)の各地に散らばって故郷に帰る日を待っている三門市民を全員帰国させるための交渉という名の戦いだ。まあ、そうはいってもツグミの手助けをするのが精一杯だが、諜報員だった頃よりも働き甲斐というものを感じているんだ。…いや、生き甲斐と言った方が合ってるかな。諜報員だった時には生きるために仕方なく働いていたが、今はこの仕事に携わることで自分が世界に受け入れられていると感じているんだ」

 

初めのうちは辛そうに過去を語っていた麟児が最後には幸せそうな笑みを浮かべていることにサシャは気が付いた。

そしてそれを羨ましいと思う自分がいて、可能であれば自分も同じように罪を償いながらささやかな幸せを掴みたいと考えるようになっていた。

 

「迷いや葛藤もあったようだが、最終的には望みが叶って良かったな、リンジ。オレもこの10年間でいろいろあったが、人を騙し、人を傷つけ、そして今回みたいに何の罪もない民間人を大量に殺す手先となっただけで得るものは何もなかった。得るものがないだけではなく心も身体もすり減らしてしまい、人としての良心というものを失ってしまったよ」

 

サシャは苦しそうに言った。

 

ヴィート隊の遠征艇がリコフォスに到着した時、彼らは予定外に時間がかかってしまったことで水のタンクが空になってしまっていた。

水場を探しても見付からないで困っていた時に少女と出会い、彼女はヴィートたちが余所者だというのに親切に水場まで案内してくれた。

そこで彼らは少女に対しお礼だと言って香水の小瓶を渡したのだが、その小瓶には麻疹(はしか)ウィルスが入っていて、それを使うことで病気が広まることを承知の上で恩を仇で返すという卑劣なことをした。

そして香水の小瓶を貰った時に少女の笑顔が忘れられないと言い、自分の行為がここまで被害を拡大させるとは想像もしていなかったと心から後悔していた。

 

「これまでもオレたちは祖国のためという理由で多くの人間を犠牲にしてきた。祖国のためにやることなのだからすべて正しいのだと自らに言い聞かせ、自分の心を騙しながら他人を騙してきたんだ。それが正しいはずがないというのにな。オレはあの少女の今の幸せな日常だけでなく、未来の可能性もすべて奪ってしまった。オレは今になってその罪の重さに気付き、誰かに罰してもらいたいと願っている。いっそ殺してくれたらせいせいする。…それなのにおまえみたいに新しい生き方をしたいとも思ってしまった。おまえは人を直接殺めたわけではないが大勢の人間を死なせる手伝いをしたのに今はそれを許されて幸せに生きている。それならオレにだって許しが与えられてもいいじゃないかと思ってしまったよ。おまえのことが羨ましいと言ったらおまえは嘲笑する(わらう)だろうか?」

 

サシャの言葉に麟児は首を横に振って言う。

 

「そんなことができるほど俺は立派な人間じゃない。俺の方こそ祖国を裏切って逃げたクズ野郎として罵られても当然の人間なんだぞ。それに人は誰だって幸せに生きる権利がある。おまえにだってある。しかし他人の幸せを奪った人間にその権利を主張する資格はない。だから俺は思うんだ。過去は変えられないが未来は変えることができる。奪うことではなく与える仕事を一生続けることで()()()()()()()での幸福を手に入れよう、と」

 

「その仕事というのがボーダーなのか?」

 

「そうだ。生まれ育った国に特別な思い入れがあるのは当然だが、国の奴隷となってやりたくもないことをやり続けるよりも、やりたいことができる国へ行ってその国のために尽くせばいいとツグミは言っていた。彼女は時々突拍子もないことを言うが、それは筋違いということはなくむしろ的を射ているものばかりだ。たぶん彼女はサルシド宰相との面会を終えたらここに来るだろう。そしておまえたちと話を…ああ、これは尋問とかではなく個人的に対話をしたいというだけで気を張ることはない。その時に正直な気持ちを話してみるといい。けっして悪いようにはしないはずだ」

 

「おまえがそう言うのなら信じてみよう。いや、今はもう信じるしかないんだ、オレたちは」

 

サシャはそう言って冷めたコーヒーを飲み干した。

 

 

◆◆◆

 

 

サルシドとの面会を終えたツグミがボーダーの遠征艇に来ると、ミーティングルームではゼノンがヴィートを相手にチェスをやっていた。

 

「どちらが優勢なんですか?」

 

ツグミは盤面を見ながらゼノンに訊く。

 

「五分五分ってところだな。宰相との話は終わったのか?」

 

「はい。みなさんにお話しすることはできませんが、とても重要なお話で今回の事件の全体像が掴めてきました。麻疹(はしか)の流行も沈静化しつつありますから、本来の目的である拉致被害者市民の帰国交渉を進めることができそうです。早ければ明日にも交渉会議を開いてくださるとのことです」

 

「それは良かった。それはそうと俺の判断でこいつらを倉庫から出したんだが…」

 

「ええ、かまいませんよ。エクトスのみなさんのことはゼノン隊長に全権委任しているんですから。…あら、コーヒーだけですか? 厨房の棚にまだ封の切っていないクッキーの袋があったのに。わたし、自分用のお茶を淹れるんですけどみなさんはどうします? コーヒーならゼノン隊長の方が美味しく淹れられますけど、紅茶ならわたしの勝ちですよ」

 

「それじゃあ紅茶を淹れてもらおうかな。…そうだ、シモン、倉庫に行ってリンジとサシャの話が終わったようならこっちで一緒にツグミの茶を飲もうと声をかけてきてくれないか?」

 

チェスの勝負を真剣に見ていたシモンにゼノンが言う。

 

「わかりました。では、行ってきます」

 

そう言ってシモンはミーティングルームを出て行く。

そんな彼を視線で見送ったツグミがゼノンに訊いた。

 

「いつの間にか打ち解けてしまっていますね。やっぱり諜報員という同じ立場だからでしょうか?」

 

「それもあるが、同じ人間同士なんだ、話をしてみればそいつが良い奴か悪い奴かはわかる。そしてこいつらは良い側の人間だ。俺はそう判断したからこうして艇の中では拘束はせずに自由にさせている。エクトスという国に生まれ、親と死に別れたことで望まぬ人生を強制されているこいつらに同情していると言われたらそうなのだが、俺はツグミに与えられたものをこいつらに与えてやりたいと思った。もちろん罪の償いはしてもらうが、それはこいつらを肉体的精神的に追い詰めて苦しめることではなく、二度とこのような罪深い行いを繰り返さないよう先達である俺たちが導いてやるべきだと考えている」

 

かつてツグミを拉致したゼノンたちは捕虜となった時にキオンに戻っても強制収容所で一生過ごすことになると覚悟を決めた。

しかしツグミが命懸けでキオンへ乗り込んでテスタに直談判をして罰を軽くするどころか昇進させてしまった。

自らの意思で赴いたというのに彼らは任務に成功したのだと言い切った度胸をテスタが気に入ったという事実がある。

一か八かの賭けのようなものであったが、ゼノンたちのことを本気で助けたいという彼女の強い想いがテスタの気持ちを揺さぶったのだ。

太刀川はB級ランク戦の解説の際に「気持ちの強さは関係ないでしょ」と明言したが、ツグミの仕掛けた()()には「勝負を決める戦力・戦術あとは運」があったからこそで、単に気持ちだけで押し通したものではない。

トリオンを必要としない文明を持つ玄界(ミデン)にただならぬ興味を持っていたテスタが喜びそうな土産を選んで持って行くという「戦力・戦術」、そして到着した時に彼の機嫌が良かったという「運」も彼女に味方をしたからこそである。

そうやって第二の人生を歩んでいるゼノンだからこそ同じ立場のヴィートたちを助けたいと思うのは無理もない。

そしてそんな気持ちをツグミも理解している。

 

「今回の件はリコフォスとエクトスの国際問題ですからボーダーは第三者(オブザーバー)となりますので立ち会うことはできても決定権はありません。ですがサルシド閣下がわたし個人に対して意見を求めてくるでしょうから、その時には良い事例としてゼノン隊のことをお話ししたいと考えています」

 

「ああ、わかっている。だから無理はせずやれることをやればいい、頼むぞ」

 

ゼノンもヴィート隊の()()が極刑となっても文句は言えない許されざる罪となることを承知している。

だからそれ以上のことは言えず、ツグミにすべてを委ねるしかできない。

 

少しだけ空気が重くなったタイミングでシモンが麟児とサシャを連れて戻って来た。

 

「ツグミ、俺はリヌスとテオを呼んで来る。あいつらもそろそろ休憩の時間だからちょうど良いだろう。ツグミ、美味い茶を淹れてくれ」

 

「了解です、ゼノン隊長」

 

ツグミはおどけてゼノンに敬礼をし、厨房へと向かった。

そして人数分の紅茶を淹れるとミーティングルームへ運び、お茶会を始める。

捕まえた側の人間と捕虜という組み合わせの不思議な集まりだが、古くからの友人たちが再会したかのように和やかな空気が漂っていた。

 

 

 

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