ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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587話

 

 

リコフォス国内に麻疹(はしか)が大流行したのはエクトスの諜報員による工作であったことは明らかになった。

しかしこの事実を知っているのはごく一部の人間だけである。

ボーダー側の人間は全員知っているものの、当事者のリコフォス側では宰相のサルシドだけ。

事件の解明はあえてリコフォス側には極秘に進めていた。

それは現状で麻疹(はしか)の流行が終息しつつあり、悪意ある人為的なものであったと公にすればさらに国内が混乱するためである。

したがって関係者は限られており、誰かが漏らさない限り真相は永遠に闇の中ということだ。

翌日、ヴィートたちはサルシドから判決を言い渡されることになり、ボーダーの遠征艇にサルシドがわざわざ足を運ぶこととなった。

本来なら軍総司令部の法廷に連れ出されるべきものなのだが、最後まで極秘に進めるための措置である。

 

ヴィート、サシャ、シモンの3人はミーティングルームでサルシドと対面した。

国民の約4割、約13万人の無辜の民を()()()()のだからサルシドの表情は険しく、迂闊なことを言えばその場で斬り殺されてしまうのではないかと思えるほど神経質になっていることがツグミたちの目にも明らかであった。

しかし一国の宰相が感情で行動してしまえばどうなるかくらい本人は承知しているはずで、ボーダーの遠征艇という「第三国」の中で刃傷沙汰は起きないはずだ。

ヴィートたちはまな板の上の鯉の状態だから「なるようになれ」とばかりに殊勝な態度でいる。

 

 

「おまえたちは我がリコフォス国民13万4386人を死に至らしめた極悪人だ。極刑は免れないことは承知しているな?」

 

サルシドが低い声で言うと、ヴィートたちは黙って頷いた。

 

「ならばどのような罰が与えられても素直に受け入れる覚悟もできていると思う。そこでおまえたちにはエクトス…祖国を捨てて我がリコフォス国民の同胞となってもらうことにした」

 

サルシドの発言にヴィートたちは自分の耳を疑った。

自国民を大量に殺された国の宰相が言う言葉ではないからだ。

祖国を捨てろという前半部分は理解できても、罪深い自分たちを同胞として受け入れると言うのだから信じられないのは当然だ。

 

「どうせおまえたちはエクトスに戻っても任務に失敗したことで相応の罰は受けるだろうし、評価が下がったことでこれからの人生も順調にはいかないだろう。場合によっては望まぬ仕事を強制され、人としての尊厳を奪われるかもしれない。…しかしおまえたちのしたことは国家の命令であり、拒絶をする権利さえなかったのだから仕方がない。それに今さらおまえたちを責めたところで失った命を取り戻せるものでもない。そこで私としてはリコフォスの利益のために最善の策を考え、おまえたちにこの国のために働いてもらうことに決めた」

 

「……」

 

「幸いなことに今回の事件について真相を知る者は少ない。ボーダーのみなさんのおかげですべてな内密に進めることができ、この国の人間で知っているのは私だけだ。したがって私が口を噤んでいれば誰もおまえたちのことを殺人者だとは気付くことはない。エクトスから亡命してきたトリガー使いを受け入れたと公式に発表してしまえば、おまえたちは我が国民から歓迎されることだろう。これはおまえたちのためではない。今回の事件を他国の人間によるものだとは国民に知らせたくはないのだ。悪意ある人間による人為的なものではなく、不測の事態による悲劇であったということで納めたい。私自身も心の整理をつけるまでには時間がかかった。殺された国民の数ではない。たとえたったひとりであっても罪のない人間を殺したのであれば極刑に処したいのは当然だ。しかしリコフォス国民に『今回の麻疹(はしか)の流行はエクトスの諜報員によってばら撒かれたウィルスが原因だ』なとと言えば彼らはエクトスという国を恨むことになるのは間違いない。中には復讐をしようと言い出す者も現れるかもしれない。気持ちはわかるが、私は彼らにそんなことをしてもらいたくはないのだ。誰かを憎み、恨み、復讐をしてやろうと思う負の感情を彼らに抱いてもらいたくはない。彼らには健全な精神と身体を持ち続け、健やかに生きてもらいたいのだよ、私は。そのためなら私は国民に対して嘘をつくという罪深い行いをすることを厭わない。そんな覚悟で私はこの処分を決めた」

 

「……」

 

「正直言うとボーダーのみなさんには言葉に言い尽くせないほどの恩を受けた。恩人であるボーダーの目的はこの国にいる同胞を全員帰国させることなのだが、そうなるとトリガー使いの数が激減してしまい防衛力に不安が生じてしまう。だからおまえたちには我が国の国民のために戦ってもらいたいという気持ちがあり、こういう処分になったのだ。つまりお互いにとって利益となる方法が『おまえたちをリコフォス国民にしてしまって働いてもらおう』ということで、打算が働いたと言えばそれまでだ。だからこの処分の根底にあるのは私に寛大な心があるとか、おまえたちに温情をかけたなどということではなく単に損得勘定で動いたということ。そういうことだからおまえたちも自分の利益となるかどうかで判断するのだな。ここで私の判決を受け入れるか、もしくはこの国を出て行ってどこかで野垂れ死ぬか、好きな方を選べ」

 

サルシドはこの「判決」を出す前にツグミに相談をしていた。

彼個人としてはヴィートたちを1万回銃殺にしても飽き足らないほど憎いのだが、法治国家の宰相としては法に照らし合わせて正当な罰を下さなければいけない。

そこでキオンの諜報員だったゼノン隊がボーダーで働くようになった経緯をツグミから聞かされていたものだから彼女に()()()としての意見を求めたのだった。

ツグミはゼノンたちが職務に忠実で優秀な諜報員であると同時に紳士的で人として尊敬できると判断したため、彼らを()()()()()()()とキオン本国まで乗り込んで総統であるテスタに直談判したと話した時、サルシドは目の前にいる少女がエウクラートンの次期女王であるということに納得がいった。

彼女は生まれながら人を統べる器を持ち合わせており、その資質を育て磨き上げることのできる環境に身を置いていた。

彼女自身は自分の出自など知らずに育ち、近界民(ネイバー)玄界(ミデン)に手を伸ばさなければ彼女はエウクラートン王家の血のことなど知ることもなく普通に人生を謳歌していたことだろう。

ところが近界(ネイバーフッド)玄界(ミデン)というふたつの世界は彼女を必要としていたようだ。

かつて玄界(ミデン)から近界(ネイバーフッド)へ渡った一族の末裔の男性と玄界(ミデン)の女性が結ばれて生まれたツグミという人間に「世界を変える引き金(ワールドトリガー)」は託された。

それが何者の意思なのかはわからないが、そうは思わずにいられない。

サルシドは彼女と同じく古から続く高貴なる血族の人間として確信をした。

彼女の意思が世界の意思なのだと。

そこで「この状況においての最適解」をツグミに訊ねた。

その答えはサルシドにとって理解に苦しむものであったが、取り返しのつかない過去を嘆くことよりも未来への禍根を残さぬようにすべきというツグミの言葉に頷いたのだった。

 

サルシドの「判決」にヴィートたちは迷うことなく従うことにした。

自分たちの犯した罪に対してこの処分はあまりにも軽いもので、素直に受け入れることに戸惑いはあった。

しかしここで処刑されてリコフォスの土となったところで何の意味もなく、むしろリコフォスの大地を耕して少しでも多くの作物を収穫できるように尽力する方が()()がある。

奪った命に対して真摯に向き合い、その償いをするためには自分たちが死ぬことよりも生きて貢献することこそ重要だ。

現に麟児は玄界(ミデン)に大きな被害を与える一端を担ったわけだが、今は玄界(ミデン)のために働いている。

彼は自分の犯した罪を誰も許してはくれないが、その罪を含めて自分を受け入れてくれていると言っていた。

ならば自分たちも同様に許されなくても受け入れてもらえるのなら感謝してその気持ちに応えようと決心したのだった。

 

「サルシド閣下、我々は閣下の温情に感謝し、閣下の臣下となってこの命を捧げることをお約束いたします」

 

ヴィートが3人を代表して返事をすると、サシャとシモンと一緒に深々と頭を下げた。

するとサルシドは表情を和らげツグミたちに見せるような優しい笑みを浮かべて言った。

 

「おまえたちが罪人である事実は変わらないが、そのことでおまえたちを責める者はこの国には存在しない。だから安心してリコフォス国民として国のために働いてもらいたい。今までエクトスに対しても同様に働いてきただろうが、たぶんかの国はおまえたちに何も与えてはくれなかっただろう。だが我が国では誰であっても働けば見返りは必ずある。それに満足できるかどうかは個人の感じ方次第だが、意に添わぬことはさせないと約束しよう。他国の人間がこの国に攻め込んで来た時には戦ってもらうが、こちらから侵略戦争をしかけることはないのだからおまえたちに他国の無辜の民を死なせるようなことは絶対にさせない。それは心得ておいてくれ」

 

「はい、わかりました」

 

今後ヴィートたちはエクトスからの亡命者としてリコフォスで受け入れることとなる。

彼らが麻疹(はしか)を広めた張本人であることは誰も知らないので、リコフォス国民は温かく彼らを受け入れてくれることだろう。

国民に嘘をつくことに関してはサルシドがその罪をすべて背負うという。

嘘をついて騙すのであればそれ以上に国民に安らぎと豊かな暮らしを与えればそれが償いになると考えたのだ。

これでヴィートたちの「処分」が決まり、麻疹(はしか)に感染した患者もほぼ完治したということでサルシドは近々「終息宣言」を正式に発表することにした。

そしてようやく拉致被害者市民の帰国交渉を本格的に進めることができるようになり、これまでのボーダー側の働きが交渉会議において役立つことは間違いない。

 

 

◆◆◆

 

 

拉致被害者市民の帰国交渉会議にはボーダー側からはツグミ、迅、修、そして遊真の4人が出席する。

これまで遊真はこうした会議の場に出席することはなかった。

彼のサイドエフェクトがあれば相手が嘘をついていないかどうかわかるため同席するのが当然のように考えられてきたが、ツグミは相手を初めから疑ってかかるのは嫌だと言っていたために会議に出席することはなかった。

しかし今回は本人が「相棒(オサム)がどんな仕事をしているのか知っておくのは当然だろ?」と言って出席を望んだのでツグミが承諾した。

トリガー使いとして戦うことではなくそれ以外のことで修を支えたいと考えた遊真の選んだ道が修と同じ道を歩くというものだった。

トロポイでトリオン体の改造をしてもらって生命維持のためのトリオンを有吾の(ブラック)トリガーから供給するのではなく近くにいる人間から集める ── これを「ラッド方式」と呼んでいる ── に変更したことで有吾の(ブラック)トリガーの寿命はかなり延びたはずである。

しかし戦闘体に換装して戦えるほどのトリオンには足りないため、原則として彼は戦闘禁止とし、ボーダー施設の仮想空間においてのみ戦闘ができることとなった。

戦えない自分に価値はないと言う遊真にツグミはそれ以外のいくつかの道を示し、彼は修の総合外交政策局員を続けるという意思に寄り添うことにしたのだ。

近界民(ネイバー)との交流はますます増えていくのだから近界(ネイバーフッド)のことを熟知している遊真(とレプリカ)がいれば修も心強いだろうし、逆に武器(トリガー)を使う戦いは減っていくことは間違いないのだからトリガー使いとしての意味はなくなるのだからちょうどいい。

これが遊真にとって最善の道なのかどうかは本人にしかわからないが、ツグミは大賛成で可能な限り協力することを約束した。

 

そして政庁の会議室で交渉会議は始まった。

既に拉致被害者市民の希望は調査済みで、36人全員が帰国を希望している。

ただしこの中で7人の女性の家族はリコフォスに残りたいというので、一時帰国はするがリコフォスで家族と一緒に暮らす意思があるということであった。

玄界(ミデン)での暮らしを経験している女性たちにとってリコフォスでの暮らしはいろいろと不便を強いられるのだが、家族が玄界(ミデン)での新しい暮らしを望まないのであれば自分も残ると言うのは無理もないことだ。

そこでいつものように全員を帰国させ、リコフォスに戻りたい者は送り届けるということになる。

今回の拉致被害者市民の帰国に際してボーダーがリコフォス政府に支払う代価だが、極端に人口が減ってしまったこの国に必要なのは「これ以上減らないようにする手段」で、医薬品や衛生関係の生活雑貨はもちろんだが医療に関する「知識・技術」及びそれに必要な「機材」だ。

そうなるとリコフォスの医師を玄界(ミデン)の医師のレベルに育て上げる必要があり、拉致された当時三門市立大学医学部4年だった荒戸が復学を希望しているので、彼と一緒に数名の医師を()()させることに決めた。

もちろん大学側との調整も必要なため確約はできないものの、一時帰国者を送り届けた際に返事をすることとした。

この一連の流れはリコフォス側がサルシドひとりの判断で決定できるのでスムーズに進んだ。

これが国会で承認を得てからなどと言っていたら時間がかかっただろうが、サルシドの独断で済むものであったためにわずか半日で終わったのだった。

近界(ネイバーフッド)の国々では王政がほとんどだが、一部民意を反映させるために議員を選出して国会を開いてそこで決めることも珍しくない。

リコフォスも約30人の国会議員がいて国会でさまざまなことを決定するのだが、麻疹(はしか)によって残ったのが12人と半数以下になってしまったことで新たに議員を補充しなければならない状態だ。

そこで緊急措置としてサルシドの独断で拉致被害者市民の帰国が決まったというわけだ。

 

 

◆◆◆

 

 

ツグミたちの帰国が2日後の午後に決まり、それまでの間は各自自由行動を許可された。

やるべきことをやってしまったメンバーは連れ立って街へ遊びに出かけたが、ツグミはサルシドに「見せたいものがある」と呼ばれて神殿へと向かっていた。

 

「見せたいものというのはもしかしたら例の『箱』と『鍵』のことでしょうか?」

 

並んで歩くサルシドにツグミが訊く。

 

「きみは勘が良い。そのとおりだよ、ツグミ。きみがエウクラートンの王族であるとなれば知っていて損はない。いや、知っておくべきだと思う。いつか役に立つ時が来るかもしれないのだからな」

 

本来なら王家の人間しか足を踏み入れることのできない神域である神殿に招かれるというのは、彼女がエウクラートンの王家の人間であり次期女王だからである。

近界(ネイバーフッド)の始祖となった5人の王というのが5人兄弟であったため、元を辿ればツグミとサルシドは同じ血筋の一族で、それゆえの特別待遇だとも言える。

エウクラートンでも神殿に入ることができるのは女王の世話をしている限られた使用人のみで、ツグミは一族の人間であったからこそ許されていたのだった。

 

「それときみのことを女王陛下にお知らせしたところぜひ会いたいとおっしゃられた。今回の事件のことは陛下にも内密にしておかなければならないので、きみもそのことを承知しておいてほしい」

 

「わかりました。女王陛下にはご機嫌伺いと陛下の質問に答える程度の会話で済ませましょう」

 

「そうしてくれ。陛下には雑事に煩わされず健やかに過ごしていただきたいのでな。陛下は健康状態に何ら問題はないが、立場上常に国民のことを心配して身も心もすり減らしてしまっている。だから余計なことを耳に入れたくはないのだ」

 

「そのお気持ちは良くわかります。エウクラートンの女王であるエレナ様もご心労がたたってご病気になってしまいました。ですが今は回復してお元気でいらっしゃるそうなので安心しています。近界(ネイバーフッド)の国は(マザー)トリガーによって支えられていて、それを操作できる女王は国の象徴であり命綱のようなものですからね」

 

そんな会話をしながら神殿の中へ入り、「箱」と「鍵」が安置されている部屋の前までやって来た。

サルシドが重厚な扉を開けて祭壇の前まで来るとツグミを招いた。

 

「ツグミ、入りなさい」

 

部屋の広さは4畳半くらいで、天井までは3メートル弱しかないという狭いものだが、入った途端にその厳かな空気に圧倒されてしまうツグミ。

しかし拒絶されるのではなくむしろ彼女を待っていたといった感じで、彼女は臆することなく前に進んだ。

そして祭壇の上に置かれている「箱」と「鍵」が目に入った。

トリオン製であることは間違いのないその「箱」と「鍵」は長い間その場所にずっと存在し、限られた人間以外誰の目にも触れることなく永遠にそこにあり続けるはずのものだ。

 

「エクトスはこれを奪おうとしたんですね。これにどれだけの価値があるとしても、人の命を犠牲にしてまで手に入れるなど絶対に許せない。でも犠牲が生じてしまったのは事実。ならばもうこれ以上の犠牲が出ないようにしなければいけませんね」

 

「そうだ。エウクラートンの神殿にもこれと同じ箱と鍵がある。その箱の中に何が入っているのかわからないが、女王陛下と皇太子殿下ならご存じのはずだ。きみにも知る権利はあるのだ、いつか訊いてみるべきだな。いや、いずれきみが女王となるのだから知る義務がある。きっとおふたりはきみが女王に即位する時に話すつもりでいたのだと思うが、それが少し早まっても問題はなかろう」

 

「ええ。そしてキオンとトロポイにも行ってエクトスが狙っている可能性があることを伝えたいとも考えています。このふたつの国なら心配はいらないと思いますが念のために報告はしておいた方がいいと思うんです」

 

「それはきみに任せよう。しかしトロポイの場所はわかるのか? トロポイはどの国もその場所すら把握していない謎の多い国だ。まさかボーダーでは場所を把握しているというのか?」

 

「えっと…いろいろと事情があってボーダーは把握していませんが、わたし個人は知っているんです。誰にも言わないという約束ですから閣下にも内緒です」

 

ツグミはそう言ってジュニアの納められているバングル型のトリガーを見つめた。

 

「そう…なのか。きみがそう言うのなら好きにするといい。それでは女王陛下の部屋へと案内しよう。この時間なら私室で休んでいる時間だ」

 

「はい」

 

ツグミとサルシドが出ると、「箱」と「鍵」が安置されている部屋の扉は再び閉ざされた。

 

 

 

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