ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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590話

 

 

エウクラートンに到着したツグミと迅。

ツグミは国賓であるが王家の一員であり、迅はその配偶者であるから待遇は特一級となる。

それは他の国賓にはしない豪華な扱いというのではなく、身内なのだから堅苦しいことはしないで楽にいきましょうということ。

出迎えの衛兵や迎賓館の職員たちにも最低限の礼は欠かさないが、緊張せず肩の力を抜いて接してもかまわないということになっている。

ツグミたちは何度もエウクラートンを訪問しているから王宮の関係者とも顔なじみになっており、歳の近い衛兵見習いや女中などは未来の女王から気軽に声をかけてもらえることを光栄に思っているらしい。

いつものように迎賓館の部屋 ── すでにツグミの専用ルームとなっている一室 ── に荷物は運ばれ、ツグミと迅はそのまま政庁のリベラートの執務室へと向かった。

そこでツグミと迅はリベラートに形式的な挨拶をするとすぐに3人で神殿へ行くことになった。

神殿は女王であるエレナが居住しているだけでなく、生後3ヶ月のロレッタと母親のイレーネが暮らしている。

王家の女児は生後1年を神殿で暮らすという習慣があるそうで、女王候補として大事に育てられるということだ。

そのため父親であるリベラートは愛娘の顔を見るために毎日王宮と神殿、そして政庁をぐるぐると歩き回っているらしい。

神殿は原則として男性は入ることすらできないのだが王族であればOKであるため、ツグミと正式に結婚した迅も入ることを許されたのだった。

第一王位継承権を持つツグミの夫であれば、いずれツグミが女王に就任すると王配としてエウクラートンのために生きることになるのだからエレナとしては会っておきたいと思うのは無理もない。

これまでは立場上不可能であったが、ツグミと迅が正式に夫婦となったのだから可能となったのだ。

 

神殿に着くとまずエレナに挨拶をし、その後すぐにイレーネとロレッタが暮らしている部屋に行く。

そこは10畳ほどの広さでの部屋と、隣にドアでつながっている8畳ほどの広さの部屋の2部屋で構成されていて、広い方がリビングでもうひと部屋の方が寝室となっている。

ツグミたちが訪ねるとイレーネがリビングルームにいて、ロレッタは寝室にあるベビーベッドですやすやと眠っていた。

イレーネは産後の肥立ちも良く、栄養のあるものを十分に食べているせいか以前に会った時よりも健康そうに見えた。

母乳の出も良いらしくイレーネはロレッタは母乳で育っているという。

念のためにと玄界(ミデン)から粉ミルクを大量に持ち込んでおいたのだが不要のようで、いずれ民の中で必要としている女性がいたら分け与えることにしたそうだ。

 

3ヶ月前、ロレッタの誕生が知らされると国民は大喜びで祝宴が3日3晩続いた。

リベラートには長い間子供ができなかったために後継者問題は国民の間でも心配の種であった。

しかし女児が生まれたことで彼女が女王になるだろうと安堵する者と、彼女が女王になるまで安心できないという者が現れる。

少なくともあと10年は現在のエレナが女王を続けなければならないが、彼女は54歳で近界民(ネイバー)としては高齢であるからいつ崩御となってもおかしくはない。

またロレッタが女王の資質を受け継いでいなかったとしたら、再び後継者問題で悩むことになる。

以前にオリバがリベラートの息子であり次期女王はオリバの娘であるツグミだと発表をしていた。

しかし女王の交代の時期は未定だったため、改めて彼女が20歳になった時にエレナが女王の座を譲ることになっていると宣言をした。

これでロレッタに女王としての資質があるかどうかの不安は先送りでき、約1年半後に新しい女王が即位すると決定しているとなれば国民の不安は払拭されるというものだ。

リベラートが隠し子の存在を公に発表することで王家に対するイメージを壊す恐れもあったのだがそれは杞憂に終わったようで、むしろ正直に話したことによってリベラートの好感度が増した…らしい。

過去に最愛の女性がいて愛し合った末に生まれた男児がいたことを知らず、孫娘からその事実を知らされたという純愛と悲劇の物語が国民のツボにはまったようなのだ。

少々脚色はしたようだが9割以上が事実であったために王家の側にも国民に正直に話したという気持ちもあって、トータル的には成功であったということになる。

ただしロレッタが将来国民に尊敬される女王になり、国が栄えることにならなければ本当の意味で成功とは言えない。

ツグミが女王になるのはエウクラートンの人間による国の存続のための「中継ぎ」であり、一時的な措置でしかないからだ。

彼女は王家の血筋ではあるが玄界(ミデン)で生まれ育った玄界(ミデン)の人間で、彼女には自分自身の幸せを追い求める権利があるのだから。

 

 

◆◆◆

 

 

ひとまずツグミと迅はロレッタの誕生を祝うための訪問という表向きの仕事を終えると本来の訪問の目的をリベラートに伝えた。

リベラートはツグミの口から王家のみに伝わる伝承のことを聞かされるとは想像もしていなかった。

当然のことだがリベラートもリコフォスのサルシドのように近界(ネイバーフッド)の起源と近界民(ネイバー)の始祖となった5人の王の伝承を承知しており、いずれツグミが女王に就任する時に話そうと考えていたと告白した。

偶然とはいえツグミが重要なことを他国の王家の人間から知らされたということでリベラートは少しショックを受けたようであったが、オーラクル家に伝わる「歴史」についてとさらに5つの王家に関わる物語を話すことにしたのだった。

 

「我々近界民(ネイバー)の始祖が玄界(ミデン)からやって来たということは王家の一族のみに伝えられているのだが、別に国民に知らせてはならないということではない。ただ自分たちが異世界から来た人間の末裔であるという事実を知ることと知らないでいることを比べると知らないでいてくれた方が我々にとって都合が良かったからなのだ。意外かもしれないが近界民(ネイバー)の多くが玄界(ミデン)の存在を知らない。平民で知っているのは玄界(ミデン)の人間をさらって来るエクトスやアフトのような国のトリガー使いか、ヒエムスやラグナのように玄界(ミデン)の人間を購入した国の関係者だ」

 

リベラートはそう説明する。

平民の多くが玄界(ミデン)の存在を知らないのは支配者があえて情報を封じているからで、その方が国民を抑え込むのに楽だからなのだそうだ。

封建制の敷かれている国の多い近界(ネイバーフッド)では生まれついた「階級・身分」がその人間の一生を決めてしまう。

貴族の子供は貴族として生き、農民の子供は畑を耕して一生を終える。

それが当たり前の世界では庶民はどんなに望んでも、いくら努力をしても報われないのが事実だ。

そんな彼らが玄界(ミデン)の存在を知ったらどう思うのか?

近界民(ネイバー)にとっての玄界(ミデン)とは三門市のことで、主権が国民にあり誰もが平等だという考え方は庶民階級の人間にとって憧れの地に思えるだろう。

だからこそ支配階級の人間はそんなもの ── 玄界(ミデン)など存在しないということにして現実から目を逸らせないようにしたいのだ。

つまり「すべての近界民(ネイバー)は敵であり、殲滅すべき存在だ」と考えていた一部の玄界(ミデン)の人間は玄界(ミデン)の存在すら知らない大多数の善良な近界民(ネイバー)さえも憎しみの対象としていたということになるわけだ。

 

近界(ネイバーフッド)と呼ばれるようになる異世界は存在していたが、そこには人はおらず、国土となるものもなかった。そこに5人の王が民を引き連れてやって来たわけだが、きみは5人の王が5つの国を創った時、(マザー)トリガーをどこから手に入れたと思うかね?」

 

リベラートはツグミに問うが、ツグミには答えを口にすることはできなかった。

近界民(ネイバー)の始祖が玄界(ミデン)から来た人間で、何もない空間の近界(ネイバーフッド)に国家を創るとなれば必要なものがふたつある。

国家を形成する要素のひとつは「国民」だが、そちらはすでに存在している。

しかしもうひとつの彼らが安心して住まうことのできる「国土」はまだなかった。

ではその国土を形成するために必要なもの、つまり(マザー)トリガーはどうやって手に入れたのか?

ツグミにはその答えの見当はついている。

人の命とトリオンと強い意思を元にして造られる(ブラック)トリガーが(マザー)トリガーの代用品として用いられたのであれば、(マザー)トリガーも同様の性質を持つものだということは推測できる。

近界民(ネイバー)の先祖は「異世界からやって来た5人の王と5人の妃と500人の民」であった。

そして5つの国土ができあがると5人の王は民を100人ずつ引き連れて行ったというが、そこには「5人の妃」の存在が消えてしまっている。

意図的に触れないようにしていると考えると、彼女たちが()()()()()()のかがわかる気がするのだ。

 

「フッ、きみにはわかっているようだね。そう、(マザー)トリガーは『国母』の命とトリオンと強い意思によって生まれた。(マザー)トリガーの操作ができるのが王家の女性に限られるのはそのためなのかもしれないな。そして人口が増えて狭い国土の中で国民が生きていけないとなると新しい国を創る必要が出てきた。そうなると王家の女性がその身を捧げて(マザー)トリガーとなり、新しい国土を生んだのだ。それを繰り返していき、現在では我が国が確認しているものだけでも大小合わせて200を超える国が存在する。国の数だけ民のために己が身を犠牲にした女性がいたということだ。中には王家が滅びてしまっている国もある。それでも巫女と呼ばれる女性が(マザー)トリガーの操作をしているが、たぶんその女性の血筋を辿るときみのように「5人の妃」に行きつくにちがいない」

 

「はい。だからこそ近界(ネイバーフッド)での争いを止め、玄界(ミデン)の人たちが安心して暮らせる未来をこの手で掴まなければいけない。わたしは自分の行動のすべてが自分のためのものなんですが、ふたつの世界に影響を及ぼすというのであればどちらの世界にも責任を持たなければいけません。何も知らないタダの玄界(ミデン)の少女であったなら自分と手の届く範囲の家族や友人のことだけを考えていればよかった。でもボーダー隊員となって近界民(ネイバー)と関わるようになり、さらに自分の出自を知った以上は自分のことだけ考えて他人との関わりに無関心でいることはできません。…いえ、わたしは霧科ツグミという人間のドラマの主人公であり、その世界の中心いるわけですから世界に対して無関心でいることなんてできるはずがないんです。それはわたしだけでなくすべての人間にも言えることですが、個人によってその世界の広さは全然違う。わたしは普通の人間よりも演じる舞台が広くて関わる人たちが多いだけです。わたしは1年と少し先にこの国の女王となります。それが決定事項である以上はそれまでの間にやれることをやっておかなければ()()()納得して女王になることができません」

 

「だから忙しい身だというのにわざわざ関係国を訪問してエクトスの陰謀を伝えて回っているというんだな」

 

「はい。核の恐ろしさを知っている近界民(ネイバー)はいません。エクトスの人間もひとつの国を一瞬で滅ぼすほどの威力を持つ兵器という認識しかないのだと思います。5人の王は核兵器を玄界(ミデン)に残しておくことができずに近界(ネイバーフッド)へ持ち込んだわけですが、そのままにしておくこともできないために解体して原料となるウラン、そして製造方法の記録も3つに分けて、さらにそうなった経緯についても記録というようにバラバラにして厳重に保管するという方法を選んだのは最善だったと思います。5つの『箱』の『鍵』も別の国で保管しているとなれば自分の国の『箱』さえ開けることができないんですから。でも5つの国が合意すれば核兵器が近界(ネイバーフッド)で使用されるかもしれないですし、玄界(ミデン)に向けて使用されるかもしれません」

 

「しかしそんな危険なものであれば解体したウランを処分し、製造方法も残すべきではなかったのではないか?」

 

リベラートは素朴な疑問を口にした。

 

「ええ、そのとおりですね。でもそれができなかったのは責任を取るためなのではないでしょうか」

 

「責任?」

 

玄界(ミデン)で自分の国を滅ぼして近界(ネイバーフッド)へ逃げてきた5人の王はその愚かな証を消滅させて()()()()()()にはできなかったのでしょう。そして近界(ネイバーフッド)を新天地として争いのない世界にしようとしたのでしょうが、人とは自分と違うものを受け入れられないという(さが)がありますから争いもなくなりません。それが手に負えないほど大きくなった時には…ということなのではないかと想像しました。別にわたしの仮説が事実かそうでないかはともかく、当時の王たちの判断ではそれしか方法はなかったのだと思います。それに彼らを否定したところで意味はありませんからね」

 

「なるほど…」

 

「とにかくリコフォスでは大きな犠牲が生じてしまいましたが、今から警戒すればエウクラートン、キオン、トロポイの3ヶ国は防衛することも不可能ではありません。エクトスが同じ方法を使うかどうかはわかりません。偶然にもわたしたちがリコフォスに行ったことで結果的には失敗しましたが感染症を広げることで国内を混乱させるという手は有効だと証明されてしまいました。玄界(ミデン)から役に立ちそうなものを持って来ましたが数は足りないと思います。そこでいざという時には貴重なトリオンですけど複製をして使っていただければ被害は抑えられるはずです」

 

どういう仕組みなのかはわからないが、近界(ネイバーフッド)には存在しない物質であっても成分さえわかればトリオンで複製できる。

小麦や塩、砂糖などもトリオンで複製できるのだが安易にトリオンを使うことはコスパが悪いので、非常時か金や宝石のような価値の高いものだけしかこの方法は使わない。

医薬品も同様で、通常は玄界(ミデン)から持ち込んでいるのだが足りなくなれば人命に関わることなのでトリオンで複製することになる。

逆に言えば玄界(ミデン)でもトリオンを使えば貴金属を複製できるということだが、それを行うと世界経済に大きな影響を及ぼすだろうということで、ボーダー内でも知っているのはツグミと迅と城戸と鬼怒田の4人だけだ。

 

「ああ、助かるよ。おまえが私の孫というだけでボーダーにはずいぶん便宜を図ってもらっている。その礼をしたいと思ってもなかなかできないのがもどかしい。だからせめておまえがやりたいと思うことには手を貸したいと思う。遠慮なく何でも言ってくれ」

 

「はい。では早速ですがお願いがあります。実は…」

 

ツグミがリベラートにお願いをすると、彼は快諾してくれた。

 

「わかった。キオンに発つまでには仕上げておこう」

 

「ありがとうございます」

 

「それでは疲れているだろうから晩餐の時間まで部屋に戻ってゆっくり休みなさい。晩餐は神殿に運ばせて女王陛下とイレーネを交えた会食にする予定だ」

 

「はい、わかりました」

 

ツグミと迅はリベラートの執務室を出るとふたりだけで迎賓館へと向かった。

もう何度も訪れているから政庁や王宮の中はボーダー本部基地と同じくらい詳しくなり、自由に歩き回ることも許されているのだ。

 

「ロレッタちゃん、可愛かったですね」

 

ツグミが迅にそう言うと、迅は微笑みながら答える。

 

「ああ。赤ん坊なんて珍しい存在じゃないが、普段の生活の中では案外お目にかかれないからな」

 

「イレーネ妃殿下も母親らしい顔つきになっていて、何か羨ましいって気になりました」

 

「羨ましい?」

 

「ええ。だって愛する人の赤ちゃんを生んで、愛情のすべてをその子に注ぐことが彼女の仕事なんですもの。今は狭い部屋の中で不自由な生活のはずなのに、あんなに幸せそうな表情で心穏やかにいられるんですから羨ましいに決まっています。わたしも早く赤ちゃん欲しいって思いました」

 

ツグミがそんなことを言うと、迅は困ったような顔をする。

 

「どうかしたんですか?」

 

「あ…いや、おまえの願いは叶えてやりたいが、いちおう忍田さんとの約束があるからまだしばらくは我慢してもらわなきゃな、って」

 

「?」

 

ツグミには迅の言っている意味がすぐにはわからなかったが、わかると顔を真っ赤にして慌てて訂正をする。

 

「わ、わたし、そういう意味で言ったんじゃなくて、ただロレッタちゃんみたいに可愛い赤ちゃんを抱っこしたかったというか…別に赤ちゃんを作る過程とかそういうのを考えて言ったわけじゃありませんから!」

 

常に冷静で想定外のことが起きても動じないツグミが慌てる様子は滑稽で、迅は笑いを押さえきれずに政庁の廊下で大笑いをしてしまった。

 

「ハハハ…わかってるって。だけどおまえが愛する人の子供を生んで育てることに憧れがあるように、俺も早く自分の子を抱いてみたいという希望はある。だけど忍田さんとの約束だけでなく現状がそれを許さないでいるわけで、その現状を作っているのがおまえだ。別にそれを責めるつもりはないんだが、おまえが『わたしも早く赤ちゃん欲しい』なんて言うからちょっとからかっただけさ」

 

「ば、バカ…」

 

ツグミは照れ隠しなのかそう言うと迅の腕にしがみついた。

 

 

 

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