ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
エウクラートンでの用事を済ませ、キオンへ発ったツグミと迅。
今回の渡航目的はリコフォスでの事件について王家の人間に報告をすることなので親善訪問というわけではない。
またキオンの王族とはまだ面識はなく、テスタやゼノンたちから聞いた情報しかないためどのような人物なのか想像もつかないのでツグミは少々不安であった。
わかっているのは女王の名前が「ライサ・キオン」だということだけで、容姿どころか年齢すらわからないという。
ただこの「ライサ」という名前も代々の女王が同じ名前を名乗っているとのことで、実際には「何もわからない」というのが事実である。
女王といっても実質的な最高権力者は総統であるテスタ・スカルキで、国会で決まった「トリオンの配分」について女王に伝えるにはテスタが書面にしたものを神殿にある受付口に届けるだけで、その時に誰かに会うということもないので神殿の中がどうなっているのかをテスタですら知らないらしい。
一般に
性別が女性の女王が多いがそれは
また配偶者の男性が国王となり、王家の血筋の女性が「巫女」という肩書で
前者の例がエウクラートンやラグナで、後者の例がヒエムスだ。
さらにアフトクラトルのように
政治形態はさまざまだがすべての国とその国民は
女王や巫女は神殿の奥深くで暮らしているので人前に姿を現すことはないが、宰相を務める者が外の世界との橋渡しをしている。
しかしキオンにはその宰相役がおらず、女王と外の世界を繋ぐものは「書状」のみ。
それもテスタが一方的に女王に送るだけで、女王側からの発信は一切ない。
彼女がどのように生活しているのかも不明で、誰一人として彼女の正体を知る者はいないのだ。
キオンは
だから同じく製造方法の一部を持つエクトスに狙われる可能性があるわけだが、アフトクラトルと並ぶ軍事大国に手を出すことはハイリスクなので「箱」と「鍵」を奪うのは難しい。
ただし軍事侵攻ではなく生物兵器によるテロという手段を使えばそう難しいことではない。
事実、リコフォスでは大きな被害が出ており、偶然にツグミたちボーダーの遠征部隊が居合わせたことで失敗したのだが、もしエクトスの思惑通りに事が進んだとしたら「箱」と「鍵」は奪われていた可能性が高いのだ。
キオンの首都・マーグヌスを初めて見たツグミは「要塞のようだ」と称した。
その要塞都市の中央にある総統府の地下深くに神殿があるため、そこまでたどり着くのは不可能なので奪われる心配は要らないのだろうが、それでも警戒はしておくべきである。
リコフォスのように国民に大きな犠牲が出てからでは遅いのだ。
もっとも女王に会えずともテスタに報告しておけば彼がすべて上手くやってくれるのだから特に問題はないだろう。
それとは別にツグミはキオンの女王が「箱」と「鍵」についてどのように考えているのかを知りたいと思っていて、できることなら会いたいというのがツグミの意思であった。
(わたしがエウクラートンの次期女王だからといってそう簡単に謁見を許されるとは思えない。どんな人物かわからないからお土産も無難なものしか用意できなかった。会えたらラッキーという程度に考えておかなきゃいけないわね。…それにしても身の回りのお世話をする人間がいるはずだし食料とか日常で使用する消耗品なんかを納入する業者とかはどうなってるんだろ?)
人が生きていく上で衣食住は欠かせないが、「衣」と「住」は贅沢さえ言わなければ何とかなるが「食」に関してはそうもいかない。
まさか女王が自ら畑を耕して小麦や野菜を作っているなどということは考えられず、そもそも太陽の光の届かない地下神殿の中では植物は育たないのだ。
だとすれば外部から食料を得ていることになるが、テスタですら知らない手段を講じているというのも不思議でならない。
(トリオンでいろいろな物質を複製できるから、食料もトリオンで複製してたりして…。まさか、ね)
ツグミはそんなことを考えながらキオンに到着するまで仮眠を取るのだった。
◆◆◆
キオンでは本格的な冬に突入したらしく、ツグミたちの乗った遠征艇はが
音もなく降り続く雪は気温が低いせいでひとつひとつがはっきりとした結晶の形を維持したまま地面に重なるように降り積もっていく。
「雪の結晶は
黒いコートの肩や腕に舞い降りた雪の結晶を見つめながらポツリと言うツグミ。
そんな彼女の頭の上にも雪は静かに降り積もっていく。
「ツグミ、迎えが来たようだぞ」
少し離れた場所で立っている迅がツグミに声をかけた。
彼の視線の先にはエクウスに騎乗した衛兵と、エクウスの引く橇がある。
エクウスはキオンで使用されている馬の代用品のトリオン兵で、ツグミたちが初めてキオンに来た時にも同じエクウスの橇に乗った。
先に到着した衛兵 ── 軍服の肩章がリヌスとなので階級は大尉と推測できる ── はエクウスから降りるとツグミの前へ来て敬礼をする。
「ようこそいらっしゃいました、ツグミ様」
「お出迎え恐縮です。これはスカルキ閣下への書状です。お渡しくださいませ」
「承知いたしました。では先に戻り、閣下に到着の報告をいたしますので、その時にお渡しします」
「お願いしますね」
衛兵はエクウスに跨るとひと足先に首都へと向かった。
そして少し遅れて橇が到着し、さっきの衛兵よりも若くて階級が下 ── 肩章の星がなく線が1本なので准尉と思われる ── がふたりツグミに対してぎこちないながらも敬礼をした。
そして緊張しているようだが嬉しそうな笑顔で言う。
「こちらにお乗りください。自分たちが責任を持ってお送りいたします」
「ありがとう。よろしくお願いしますね」
「い、いえ、こちらこそ光栄です。コンプソス元総司令…じゃなくて副総統閣下との模擬戦を見物させてもらいました。あの時のあなたの活躍は今でもはっきりと覚えています。キオン最強のトリガー使いと相討ちにまで持ち込んだのですから。副総統閣下が現役を引退してしまった以上、今この国にいる最強のトリガー使いあなたですよ」
去年の1月にツグミがキオンを訪れた時、なりゆきで当時軍総司令だったサーヴァ・コンプソスと模擬戦を行うことになり、軍の練兵場で約600人の観衆の見守る中で戦った。
結果は相討ちで、わずかにツグミの方が先に換装が解けてしまったのだった。
その模擬戦を彼らも見物していて、その時にツグミのファンになったらしい。
そんなアイドル的な彼女の出迎えとなれば他にも希望者はいただろうが、このふたりの准尉がその役目を見事に勝ち取ったのだ。
ツグミは苦笑しながら言う。
「それは大げさですよ。それにわたしよりもここにいる彼の方がずっと強いんですから」
そして迅に視線を向けると准尉たちは驚いて迅を見た。
すると迅は照れ隠しなのか頭をポリポリとかきながら笑って見せる。
「彼はわたしの護衛官です。わたしよりも強いのは当然でしょ? でもトリガー使いとしてコンプソス閣下と戦って必ずしも勝てるとは言えません。彼の持つ
ツグミの言うように迅は彼女よりも強いがサーヴァの
ツグミの旋空弧月を防ぐ防御力があり、接近しようとすれば
それでは迅のノーマルトリガーのスコーピオンとエスクードとシールドでは勝ち目はないだろう。
ツグミは遠征用トリガー編成でメインに
すべてのトリガーを一定レベル以上で使える彼女だからこそできた芸当だともいえる。
もっとも風刃を持つ迅であればサーヴァの射程の外側から遠距離攻撃を繰り出すことで勝てるかもしれないが。
「それからお手数ですが艇の倉庫にスカルキ閣下へのお土産が積んでありますので、下すのを手伝ってもらえますか?」
「喜んで!」
どこかの居酒屋の店員のように元気良く返事をしたふたりの准尉を見ているとテオを思い出すツグミであった。
そしてふたりの手を借りて橇に積めるだけの荷物を積み、残りは改めて取りに来るということでツグミたちは総統府で待つテスタの元へと向かった。
◆◆◆
総統府では執務室でテスタと秘書官のジルドがツグミたちを歓迎してくれた。
「久しぶりだね、ツグミ、ジン。去年私がミカド市を訪問して以来だから1年以上会っていなかったことになる」
「ええ、お久しぶりです、閣下。こちらもいろいろと忙しかったのでなかなかお伺いすることもできずにいました」
「きみの活躍は耳に入っているよ。ヒエムス、レプト、ラグナ、リコフォス…と拉致された市民の帰国も順調に進んでいるようじゃないか」
「詳しいですね。さすがはキオンの総統閣下、あらゆる場所に有能な諜報員を派遣しているのでしょうね」
「まあな。それにしても突然の訪問だが、何か困ったことでもあったのかい?」
「困ったことと言えばそうなんですけど、ボーダーや
ツグミがそう言うとテスタの顔が真顔になった。
「詳しく聞かせてもらおう。立ち話というわけにはいかなそうだ、座りたまえ」
テスタは人払いをしてからツグミの話を聞いた。
ツグミも「箱」と「鍵」については王家の人間にしか話せないことなので、「王家に伝わる秘宝」という言い方にしてリコフォスであったことを説明すると、テスタの表情は険しいものとなる。
「ツグミ、きみの話だけではいろいろと不明な点が存在する。きみのことだから話せることは全部話してくれて、話せないことを隠しているから不明な部分が残ってしまうのだと思う。キオンの指導者としては国民に危険が迫っているとなれば詳しく知りたいと思うのだが、私個人としては貴重な友人を失いたくはないからこれ以上は追及しない。それでいいかな?」
「ありがとうございます。そしてこの事件の鍵となる『王家に伝わる秘宝』に関しては王家の人間にしか伝えられていないものですので、可能であればライサ・キオン女王陛下にお会いして直接説明をしたいと思っていますが…やはり無理でしょうか?」
ツグミが遠慮がちに訊くとテスタは腕を組んで「う~ん」と考え込んでしまった。
「まあ、普通に外国からの賓客というのであれば無理かもしれないが、きみの言う『
「ぜひお願いします。…あ、エウクラートンの王族だという証のこれをお渡ししておきます。これがあればわたしの話も信じてもらえるかもしれませんから」
そう言ってツグミは自分の首につけていたチョーカーを外してテスタに渡した。
5つの王家にはそれぞれ特定の「宝玉」があって、それを複製したものを身に付けることで王族であることを証明する。
ツグミはリベラートから
その
「わかった。預からせてもらおう」
テスタの側から女王へ伝えることは可能だが、女王が返事をくれる理由がなければ彼女からの反応はない。
国会で決まったトリオンの配分についても女王はYESともNOとも返事をせず、
彼女の意思はそこになく、テスタの要望書のとおりにしてくれているのだそうだ。
だからツグミが謁見の申し込みをしても返事がない可能性は高い。
それでもテスタにエクトスに警戒することを伝えておけば最悪の事態は免れるはずだ。
「それから感染症への対策に必要なものをいくつか選んで持って来ています。万が一の時にはそれを使用して被害を食い止めてください。艇の倉庫に置いてあるので、後で誰かに運んでもらうよう手配をお願いします」
エウクラートンの時と同じく量はそれほど多くはないが、足りない時にはトリオンで複製してもらえば問題はないだろう。
◆◆◆
翌朝、ツグミと迅が一緒に彼女の部屋で朝食を取っていると、ジルドが興奮気味な様子で姿を現した。
「ツグミ殿、女王陛下があなたに会うとたった今連絡がありました!」
「ええっ!?」
ツグミは驚いて持っていたティーカップを落としそうになってしまう。
会える可能性が低いと考えていたので、昨日の今日で返事があったことは想定外のことだったからだ。
テスタがライサに事情を伝える書状を届けたのは昨日の夕方で、今朝ジルドが書状の受け渡し場に確認に行くと彼女からの返事が置いてあったというのだ。
その書状には「ツグミ・オーラクルに会う」とだけ書かれていたそうで、特に日時の指定はなかったためにテスタは一刻も早くという意味でジルドを寄こしたのだった。
「わかりました。身支度が終わりましたらスカルキ閣下のお部屋にお伺いしますので待っていてくださいとお伝えください」
ジルドに伝言を頼むと、ツグミは大急ぎで食事を終えて身支度を整える。
キオンの女王に謁見するのだから正装でなければならず、また心の準備があるので迅には自分の部屋で待っていてもらうことにした。
そして支度が整うとひとりで総統府のテスタを訪ね、テスタとふたりで地下にある神殿へと向かう。
「女王陛下が自らの意思を示したことはこれが初めてのこと。よほどきみに会いたいと思ったのだろう」
「ええ。わたしも会いたいと心から願っていましたから、その気持ちが通じたのかもしれません」
「そうだな。それにしても5つの国に王家に伝わる秘宝とは何か知りたいという気持ちはあるが、きみは教えてくれないのだろうね」
「申し訳ありません。それに関しては
「きみのことを信じよう」
そんな会話をしながら神殿の入口とも言えるホールに到着した。
そこには直径が1メートル、高さが70センチくらいの大理石でできた小さな円卓があり、そこにはアンティークな呼び鈴が置かれている。
「いつもはここに書状を置いて呼び鈴を鳴らすんだ。そして私は帰る。それだけなんだが、今朝はもしかしたら返事があるかもしれないと思ってジルドをここに遣わせた。そうしたらきみに会いたいというメッセージが残されていたというわけだ」
テスタは呼び鈴を手に取るとそれを振った。
すると静かなホールに澄んだ鈴の音が響く。
「私はこれで失礼しよう。頑張れ、ツグミ」
そう言ってテスタはホールを出て行った。
それから数分後、どこからともなく女性の声が聞こえた。
「ツグミ・オーラクル、中へお入りなさい」
するとホールの壁の一部が音も立てずに開いた。
そこから中へ入れという意味だろうと、ツグミは迷うことなく足を踏み入れる。
部屋…と言うべきなのかどうかわからない何もない空間がそこにはあり、入ったとたんに背後の
「恐れることはない。そなたが5人の王の末裔ならば、私のいる場所がわかるはずだ」
若くも年老いてもいない凛とした女性の声。
「
だから恐れることなどなく、むしろ導かれるように声の元へと歩いて行く。
それからどれぐらいの距離を歩いたのかわからない。
たった十数メートルのような、また何百メートルも歩いたような不思議な感覚でいると急に目の前が明るくなって、その明かりの正体が巨大な
そして
彼女が女王のライサ・キオンであることは間違いないとツグミは確信した。
単に
自分もそうだと言うのではないのだが、ツグミには同じ種類の人間であると感じたのだった。
「ツグミ、こちらへ来なさい」
ライサに招かれてツグミは彼女のそばへとゆっくり近付いた。
(声もそうだけど容姿でも年齢がわからない。若いように見えて歳を取っているようにも見える。これまで何人かの女王や巫女といった女性たちに会ってきたけどその人たちは年齢相応の容姿だった。でもこの人はわからないわね。…そういえば昔のアニメの登場人物の中にこういう人がいたっけ。どこか星の女王で、主人公たちを呼び寄せてコスモ何とかというものを渡すのよ。そう、その女王と雰囲気が似てるんだ。あー、何か気のせいか声まで似てるような気がしてきた)
そんなことを考えているとまるでツグミの心の中を読んだかのようにライサが言う。
「余計なことを考えているな、ツグミ。そう気にすることもない。そなたのことが気に入ったら何でも話してやろう」
ライサは目を細めて微笑んでいるような怒っているようなどちらともわからない表情を浮かべた。