ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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592話

 

 

「こちらへ来なさい。なに、恐れることはない。そなたもエウクラートンの女王となる身なのだ、(マザー)トリガーを見たことはあるだろうに」

 

気後れしているツグミにライサが声をかける。

 

「いえ…エウクラートンの(マザー)トリガーはこれほど大きくありませんので少し驚いただけです。エウクラートンのものよりも2倍くらいありますから」

 

「それは当然だ。キオンは広い国土を維持しなければならないのだからな。まあ、そんなことはどうでもよい。こちらで茶でも飲みながら話をしよう」

 

「はい…」

 

ツグミはライサに招かれて(マザー)トリガーから少し離れた場所にあるカウチソファーとテーブルの置いてある一角へと進んだ。

ライサが仕事の合間に休憩をするスペースなのであろう。

彼女ひとり分のソファーしかない。

ツグミは立ったままがいいのか、それとも床に座るべきなのかと迷っているとライサが言った。

 

「すまぬ。気が付かなかった」

 

そして目を瞑って何か考えているような素振りを見せると、何もない場所に突然ひとり掛けのソファが現れた。

 

「ええっ!?」

 

驚くツグミの様子を見てカウチソファーに腰掛けたライサは笑う。

 

「フフッ…驚かずともよい。それはこの空間に漂うトリオンを使って私が頭に思い描いたものを具現化しただけだ。さあ、座りなさい」

 

ツグミは言われたとおりにソファに腰掛けた。

 

「これがトリオンでできているんですね…。本物の布と木材の質感で、言われなかったらトリオンでできているなんで信じられません」

 

「当然だ。近界(ネイバーフッド)に存在するものはすべて玄界(ミデン)にあったものをトリオンによって複製したものとその子孫とも言えるものなのだからな。そなたが玄界(ミデン)で慣れ親しんだものと寸分違わぬ」

 

ライサの言葉にツグミはすぐに反応した。

 

「わたしが玄界(ミデン)の人間だということをご存じなんですね? スカルキ閣下からお聞きになっていらっしゃいましたか」

 

「いいや、違う。当然あの者からの報告はあったが、私はその前から知っておったのだ。そなたが初めてこの国にやって来た瞬間からそなたのこの国における行動はすべて把握しておる。なかなか興味深い娘だとは思っておったが、まさかエウクラートンの王族とは想像もしていなかったがな」

 

「わたしが初めてキオンに来た時から知っていた…とおっしゃるんですか? この地下神殿にいる陛下がどのようにして ──」

 

「女王だからだ。…いや、女王だからすべてを知っているという言い方は正しくないな。正確に言うと私は存在自体がこの国と一体化しているから手に取るようにわかるのだ」

 

「一体化しているとはどういう意味でしょうか? 差支えがなければ教えていただきたい」

 

「ならばその前にそなたにやってもらうことがある。その(マザー)トリガーがそなたを認めたのであればすべて話す。その上で頼みがあるのだ」

 

「何だかよくわかりませんが、たぶんわたしをここに招いたのはそれが目的だったようですね。いいですよ、お望みのままにいたしましょう。ですがどうすれば(マザー)トリガーに認められたことになるのですか?」

 

「そなたがエウクラートンの神殿でやったことと同じことをすればよい。そうすれば(マザー)トリガーが教えてくれる」

 

意味深な目でライサは言う。

ツグミも後には退けないと、(マザー)トリガーの下へ歩いて行くと操作ユニットに嵌め込まれているプレートを見付けた。

彼女がエウクラートンの神殿で行った時には真球であったが、キオンではそれがコンソールパネルに埋め込まれた縦30センチ、横50センチくらいの水晶のような透明な板である。

両手をかざすとエウクラートンの時と同じようにそのプレートは強い光を発し、ライサはその結果に満足するように静かに微笑んだのだった。

 

「そなたにはその光の意味がわかるであろう。もしやと思って確かめてみたが、やはりキオンとエウクラートンの王族の間には特に強いつながりがあるようだ」

 

ツグミがライサの元に戻って来るとテーブルの上にはティーカップがふたつとティーポットが置かれている。

それもまたライサがソファを具現化したように、お茶もトリオンで複製したのだ。

 

「そなたは近界民(ネイバー)の始祖が玄界(ミデン)からやって来た5人の王と彼らに率いられた民であることを知っておるか?」

 

「はい。リコフォスを訪問した時にとある事情で王族の方と面会して、5人の王の話だけでなく『箱』と『鍵』についても教えてもらいました。実は今回のキオン訪問もそれに関係することで、王族の秘密につきましてはスカルキ閣下にも話はしていませんが、エクトスに対して警戒をするようには伝えてあります」

 

「エクトスが何か良からぬことを企んでいるのか? まあ、それはあの者に任せておけばよかろう。それでそなたは我が国のためにわざわざ足を運んでくれたということか。かたじけない」

 

「いえ、キオンには言葉にはできないほどの恩義を感じておりますから。それにリコフォスで見た惨状をエウクラートンやキオンで繰り返してはなりません。罪のない民をこれ以上死なせてはなりませんから」

 

「誠にそのとおりだ。国家とは民あってのもの。この国も昔は民のことを考えた為政者が善政を布いていたのだが、ある時に国土の拡大と軍事力の強化こそが国の繁栄につながるとほざいて(マザー)トリガーを酷使し、『神』の寿命を大幅に縮めてしまった。もっとも国土の拡大は当時人口が増えつつあったのだから必須であったものの、軍事力の拡大に関してはしばらく後に知ったことだった。一度拡大した国土を維持し続けるには大量のトリオンが必要となり『神』の寿命も短くなる。しかしだからといって無暗に民を人身御供にすることはできぬと、まず私の父、そして母がその身を捧げた。それで約250年。そして次は妹。彼女のおかげで約150年の時間が稼げた。しかし王族は女王の私ひとりになってしまった」

 

哀しそうに目を伏せるライサにツグミが言う。

 

「ちょっと待ってください。陛下のご両親と妹君が身を投じたことで約400年の時間を稼いだとおっしゃいますが、そうなると陛下御自身は400年前から生きていらっしゃるというように聞こえるんですけど…」

 

「まさにそのとおりだ。私は…いや、我ら一族は特殊な方法で非常に長く生きることができるようになっており、私はいつの間にか歳を取らず永遠に生きられるようになってしまった」

 

「そんな…いったいどうして…?」

 

驚くツグミにライサは言う。

 

「その説明をする前に5人の王の時代の話から始めよう。どこまで知っているのかはわからぬが、私の話を聞いておくれ」

 

ライサは静かに語り始めた。

 

「遠い昔に玄界(ミデン)からやって来た5人の王とその妃、そして500人の民は足を下すことのできる大地を欲し、まずこのキオンの大地を創造した。(マザー)トリガーとなったのは長男の妃だった女性で、彼女の犠牲のおかげで長旅で疲れた民は地に足を下すことができた。しかし王は5人いたのだからあと4つの国を創らねばならぬと、残り4人の妃が同様に(マザー)トリガーとなり、それぞれ100人ずつ分かれて国を創造した。それがエウクラートン、トロポイ、リコフォス、エクトスだ。この5人の王は5人兄弟で、長男とのちにエウクラートンの王となる次男は双子であったそうだ。だからキオンの王とエウクラートンの王は兄弟の中でも非常に近い存在であったらしい。よってキオンとエウクラートンは常に寄り添う軌道を持つようになった。古い時代には双方の王族の間で婚姻関係を結ぶこともあったらしい。そして残る3人の王は『箱』と『鍵』をそれぞれ持ち、民を率いて近界(ネイバーフッド)の各地へ散って行った。…という伝承がある。そして製造方法の一部と、どこかの国の『箱』の『鍵』がこの神殿の奥に安置してある。歴史に関してもっと詳しいことはエウクラートンの『箱』に納められているらしい。各国の王族が知っている歴史は近界(ネイバーフッド)へ来てからのことだが、エウクラートンにはそれ以前…玄界(ミデン)にいた頃のことやなぜ戦争が起きて近界(ネイバーフッド)へ来ることになったのかが記されているのだろうな」

 

「ですが『鍵』がどの国にあるのかわからないとなれば、5つの国が協力してくれなければ開けられない。それは核兵器の製造方法も同じで、仮に製造方法がわかってもリコフォスにある『材料』がなければ製造はできない。だからエクトスは強引に奪い取ろうとしてリコフォスに…リコフォス国民を犠牲にした。絶対に許しがたい蛮行です」

 

「ああ。なぜエクトスが今頃になってそんな危険な遺物に手を出そうと考えたのかはわからぬが、近界(ネイバーフッド)の秩序を守るためには残りの4ヶ国が奴らの暴挙を阻止しなければならぬ。そなたはそのために奔走しているのだな」

 

「はい。わたしはエウクラートンの次期女王という立場ですが今はまだ自由に行動できるので、近界(ネイバーフッド)に関わることであればできる限りのことはしておきたいと」

 

「賢明なことだ。女王となってからでは神殿から出ることもままならぬ。もっとも慣れてしまえば快適な空間ではある。暑くも寒くもなく、孤独すら慣れてしまえばなんということはない」

 

ライサはティーカップのお茶を飲み干すと自らポットのお茶をカップに注いだ。

 

「そろそろ陛下御自身の秘密を教えていただけるんですよね?」

 

「ああ。教えてやることはかまわないが、ここで見聞きしたことはそなたの心の内に納めておくように。他言無用だ」

 

「はい。お約束します」

 

「ならば聞くがよい。私の歩んだ長い道のりを」

 

ライサは自らの生い立ちをツグミに話して聞かせた。

彼女は女王である母ゆずりのトリオン能力を持っており、16歳の時に女王に就任した。

前女王に健康上の問題があったというのではなく、キオンでは16歳になると女王になることが定めであったからにすぎない。

そしてまだ若い前女王は子づくりに専念する。

女王として現役であるうちは神殿の中で暮らしていて王配である夫とは頻繁に会えないが、女王を娘に譲った時点で彼女は神殿を出ることができ新たな後継者の資質を持つ子供をつくることができるようになる。

そして生まれたのがライサの妹であった。

妹にも女王の資質があったから将来ライサに万が一のことがあっても女王の血筋が途切れることはない。

いや、神殿の奥にいる彼女に万が一のことがあるとすれば、それはキオンという国自体が滅びに瀕している状態だということだ。

 

これまで何事もなかったようにこれからも何もない平穏な日々が続くと思われた。

ところが思わぬ事態が発生した。

当時の宰相はライサの父であったのだが軍総司令官によるクーデターが発生してライサの父は軍によって軟禁状態となり、人質を取られたことになるライサは軍総司令官の指示で(マザー)トリガーを操作せざるをえなかった。

ここで無茶なトリオンの抽出をしたものだから「神」の寿命は一気に短縮し、わずか1年半で太陽の勢いが衰えて冬の季節が長くなってしまう。

このままでは作物は育たなくなり、国民が飢えてしまう状態になるまで半年もかからないとわかった時点で軟禁を解かれたライサの父が「神」となった。

クーデターを阻止できなかったことに責任を感じていたために、新たな「神」を国民の中から選ぶことを良しとしなかったのだ。

これがきっかけとなりライサの母は病に伏せり、食事を受け付けなくなってしまった。

しかし彼女はその後100年生きることになる。

 

近界民(ネイバー)の平均寿命は50から60歳と聞いたことがありますが、どうして100年以上も生きられたんですか? 食事も受け付けなくなったなら衰弱してもっと早く死んでしまってもおかしくはないのに」

 

「それはこれから話す。信じられないかもしれぬが、実際にそなたの目の前にいる私がその証拠だ」

 

ライサは(マザー)トリガーに視線を向け、遠い昔を思い出すかのように話した。

 

(マザー)トリガーは特定の人間にしか操作できない。それは『血』が関係している。(マザー)トリガーになった女性の直系の女性にのみその資質が受け継がれるため、その資質を持った者が女王となる。中には政を司るのは王配であったり王族とは関係のない人間だという場合もあるのだが、とにかく(マザー)トリガーを操作できるのは王族の女性のみだ。したがって王族の女性にのみ口伝によって代々伝えられてきたことがある。私と妹は母からそれを教えられ、その()()を使って生き永らえてきた」

 

ライサの言う「秘術」とはツグミにとって想像もしていないことであったが、話を聞いてみると納得できるものがあった。

(マザー)トリガーとは国を身体とすれば心臓に当たる器官で、トリオンは血液に例えられるらしい。

したがって操作をする女王は国のこと ── 国土の状態やその上で暮らし国民の様子など ── が手に取るようにわかるという。

だから日の当たらない地下神殿にいても今が昼か夜か、季節はいつなのかなど自然にわかってしまう。

女王と(マザー)トリガーは一体となっていて、どちらが欠けてしまってももう片方が滅びてしまうような密接なものになる。

そこで女王の資質のある女性は神殿にいると(マザー)トリガーからトリオンを摂取して、それによって生命を維持できるようになるのだそうだ。

もちろん女王だからといって自然にできるようになわるわけではなく、意識して行う必要があるのだがそう難しいことではないという。

 

「自らの身体の中にあるトリオン器官は死ぬまでずっとトリオンを生み出し続けるが、ほとんどの人間はその量が少ない上に使うこともないために自然に身体から蒸発するように消えてしまう。多少トリオン能力のある者はそれを利用してトリガー使いになって戦うこともあるが、そうやってトリオンを消費してしまうから食事という行為によってトリオンを回復させなければならない。ところが私のような王族の女性はトリオン器官が発達していて多くのトリオンを生み出すがトリオンを使用するような行為といえば(マザー)トリガーの操作くらいだ。そして余ったトリオンは(マザー)トリガーに吸収される。この(マザー)トリガーに吸収されてしまうトリオンを体内に留める方法があり、それができると食事をせずとも肉体を維持できるようになるのだ。そして経験を積めばこの場に存在するトリオンを吸収でき、肉体の時間を止めて老いることもなくなり、おかげで私は400年以上生き続けている」

 

ライサが嘘をつく理由はなく、その内容がいくら信じられないものであっても否定する根拠がない以上は「真実」であるとツグミは判断した。

神殿の(マザー)トリガーのある空間はトリオンで満ちている。

それはツグミの目にははっきりと見え、入って来た時からわかっていた。

トリオンでできているものを検索(サーチ)できる彼女の目にはトリオンがキラキラと光る細かい星屑のように見えている。

それがライサを中心としてゆっくりと渦を巻くように漂っていた。

そしてライサがソファを複製した時にはそのトリオンの粒が集まって形を作ったところをその目で見ている。

 

「陛下が嘘を言うはずがないので驚くべきことでも真実だとわかりますが、そんなことはエウクラートンやリコフォスでは聞いたことがありません。エウクラートンの現女王であるエレナ大叔母は老いており、わたしが現れるまで次期女王選びで悩んでいたくらいですから」

 

「それは彼女らが知らないだけだ。なに、そう難しいことではない。少し練習をすればそなたでもできるようになるだろう。もっともそんな必要がなければその方が良いに決まっておる。私は必要に迫られ、150年以上も孤独に過ごしてきたのだからな」

 

そう言ってライサは哀しそうな顔をした。

 

ライサの母は「神」の寿命が近付くと次は自分が身を捧げると言い出しライサとその妹を残して「神」となった。

そして150年ほど経ってライサの妹が「神」となり、とうとう彼女はひとりぼっちになってしまったのだった。

 

「相変わらず地上の人間は戦争に明け暮れていて、トリオンを軍備の増強に使おうとする。だから私は地上との連絡手段を書面によるものひとつに絞り、それ以外の方法は受け付けなくした。そして国会で決まったことで民意だからなどと言う連中の言葉にし従ったフリをしながら私は自らの判断でトリオンを配分していた。だが今から10年ほど前にテスタ・スカルキが総統となってからは様子が変わった。あの者はこれまでの為政者と違って民のためを考えて行動をしておる。信頼のできる人間だと私は考えて、あの者のやり方をしばらく傍観することに決めた。そして今から2年半前にそなたがこの国にやって来た時、私はキオンだけでなく争いの絶えない近界(ネイバーフッド)が大きく変わることを確信した。ぜひそなたに会ってみたいと思っておったのだが、私が地上の出来事を把握していることがバレてしまうと考えて黙っていた。だがこうしてそなたの方から会いに来てくれたのだからこれほど嬉しいことはない。それに人と話をしたのは150年ぶりだからな」

 

ツグミには想像もできなかった。

たったひとりで150年も孤独に生きてきた女性がいて、自分のことを待っていたということに。

 

「陛下は逃げ出したいと思ったことはないんですか? わたしはまず自分の幸せのために生き、手の届く範囲の家族や友人の幸せのために戦い、それ以外の人たちがどうなっても良いとは思いませんが、あなたのようにすべての国民のために自分の幸せを放り出してしまうなんてできません」

 

ツグミが自分の正直な気持ちを言うと、ライサは優しく微笑んで言った。

 

「そなたの気持ちは良くわかる。それが当たり前なのだからな。私も女王になったばかりの頃は自分がすべての国民を救うことができるのか考えたことがあり、そのために自分が犠牲になることについて納得できない時もあった。しかしそなたもいずれわかるだろう。女王となれば初めの頃は雑念が頭を過ぎるが、そのうちに(マザー)トリガーと一体化して、顔も知らない国民ですら愛おしいと思えるようになる。自分の肉体の一部のように感じ、大事にしなければいけないと感じるようになるのだ」

 

「……」

 

「辛いとか哀しいという気持ちさえ意識しなければないも同然。…しかしそなたに会ってしまったことで人間らしい感情が戻って来た。私は寂しい。ひとりでいることが寂しいということは妹が『神』になってしまった時に感じたが、それも数年経つと消えてしまった。誰にも会わなければ寂しいということに気付かないが、会ってしまえば気付いてしまう。だから私は人を拒絶した。150年ぶりにそなたに会って、嬉しいとか哀しいとか人であった頃の感情が蘇ってきたようだ。ありがとう、ツグミ。私は女王である前に人であったことを思い出したよ」

 

そう言うライサの目から涙が零れ落ちた。

 

 

 

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