ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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594話

 

 

「ツグミ、私はそなたに礼を言わねばならぬ。テスタ・スカルキ…あの者をここに連れて来てくれて感謝している」

 

ライサはそう言ってツグミに頭を下げる。

 

「陛下、そのように恐縮なさってはこちらが困ってしまいます。わたしは感謝されるようなことをしたのではなく、自分がそうすべきことだと思ったからしただけです。それよりも陛下が外部の人間と会おうとする勇気を出してくださったことをわたしは喜んでいます。これは慣習を打破する第一歩で、これから陛下がどのように生きるかは御自身で決められるようになるはずです。わたしは少しだけそのお手伝いができたことを光栄に思っています」

 

ツグミがそう答えるとライサは微笑みながら言う。

 

「そなたは気概のある娘だな。普通の人間なら何かを壊そうとすることに尻込みをするものだ。特に古くから無批判・無条件に受け入れている慣習や価値観は多くの人間が何の疑問も抱かずにそれに倣っている。当然ながら長い間に培われた規律や決まり事もあるのだが、時代にそぐわないものも多い。そんな状況においてそなたのように合理性を疑って妥当だとは思えないものは撤廃しようとするには勇気がいる。人とは変化を求めていながら変化を恐れる生き物だ。今の暮らしで満足できなくともこれ以上悪くならないのならそれでいいと現況に甘んじてしまう。私もそうだ。私や多くの人間はそなたと違って停滞してしまっている。そなたが川を流れる水であれば、私や多くの人間は池に溜まっている水のようなもの。流れる水は常に清らかだが、淀む水は腐っていく。まさにそれだ」

 

「……」

 

「私はこうしてそなたと話をしていることを楽しいと思う。はるか昔に父や母、妹と共に暮らしていた時には家族の間だけだが会話はあった。父は外の世界のことを私たちによく話してくれた。地上には太陽の光が満ち、大地には色鮮やかな花が咲き、民の額に汗して働く姿は尊いのだと。私もそんな様子を見てみたいとは思ったが、女王になる身ではそれは叶わないと諦めていた。…そして父、母、妹が先に逝ってしまったというのに私はその後を追うこともできない身となってしまった。その代わりなのか私には地上の様子が手に取るようにわかる能力を身に付けた。この目で直接見ることは叶わないが、父が話してくれた地上の世界を私は()ることになった。私が想像していたものとずいぶん違っていたが、民が限られた命を精一杯生きていることは()()()()、なんとも愛おしいと思えた。だから私は彼らのためにできることを、(マザー)トリガーを操作して民の生活を豊かにしたいという一心で生きてきた」

 

「……」

 

「愚かな為政者のためにこの国は長い冬に閉ざされることになったが、テスタ(あの者)のおかげで少しずつ変わり始めている。あの者もどうしたら良いのか悩んでいる時期もあったが、戦わずして近界(ネイバーフッド)の統一を目指すという困難な道を歩み出した。強大な軍事力で押さえつけるという従来のやり方の方が楽だというのに、あの者はあえて困難な道を進もうとする。その姿はそなたに似ているのだ。たとえイバラの道であろうともそれが正しいと信じているからこそ前に進むことができる。あの者にとってもそなたとの邂逅は僥倖であったといえよう。そなたは知らぬだろうが、あの者は同志を得たとばかりに喜んでおり、ますますやる気を出して精力的に働いているのだぞ」

 

「たぶんわたしたちは巡り合うべくして出会ったのでしょう。天命というか…たぶんエウクラートンの王族の血が引き寄せたのではないかとわたしは思います」

 

「そうかもな。…さあ、そなたが外の世界で経験したことを教えてもらえないか? 私はそなたの生き方に興味がある。私に外の世界をこの目で見たいと思わせてほしい」

 

「ええ、喜んで」

 

ツグミはライサに乞われるままに話をした。

オリバが親友の有吾と玄界(ミデン)へやって来たことから始まる「物語」はライサにとって非常に魅力的なものであったらしく、現在に至るまで話し終えるまで数時間を要したのだが一度もツグミから視線を逸らすことはなく身を乗り出して聞いていた。

同じ王族の血を引きながらも自分はただ命じられたままに女王となって役目を果たしているだけだが、ツグミはたくさんの経験をし、多くの人間と出会って交流をし、近界(ネイバーフッド)のいくつもの国を回って同志を増やしている。

それを羨ましいと思うのだが、その中でも最も羨ましいと思ったのは迅の存在であった。

ツグミが身も心もすべて委ねることのできる相手がいて、ふたりが常に共にあることをライサは知っている。

迅の存在がツグミの行動原理となっており、彼女がふたつの世界を変革しようとして行動する理由が「迅が人が死んだり傷つく未来を視て辛い思いをしなくて済むようにしたい」という健気なものであったことに胸を打たれたのだった。

女王としてすべての国民を平等に愛するという気持ちはライサにもあったが、特定の人間を命懸けで愛するという気持ちは知らなかった。

伴侶を得る前に外界との唯一のつながりであった父を喪った時、もし彼女に慣習を破る勇気があったなら未来は変わっていたかもしれない。

そんなことを今になって嘆いても意味はないとライサは思うが、ツグミの蒔いた「種」が間もなく芽吹くことになることをまだ知らないだけだ。

 

 

「ところで地上は陽も沈んで夕食の時間になる頃だが、そなたはそろそろ空腹になったのではないか?」

 

話がひと段落したところでライサがツグミに訊いた。

 

「いえ、別にそんなことは…。でもそういえば今日は朝食だけで昼食は取っていなのに全然お腹が空いていません。それにトイレにも…」

 

「それはそなたもこの空間に馴染み始めている証拠だ。何も教えていないのに体内でトリオンを循環させることができるとは、やはりそなたもこの(マザー)トリガーと()()()()()()のは間違いない」

 

「わたしが…?」

 

ツグミは(マザー)トリガーに視線を向けると気のせいか輝きが強くなったように感じた。

 

(わたしの気持ちに反応している? それに女王陛下の周りを漂っているトリオンの粒子がいつの間にかわたしの周りにも静かに渦巻いている。鼓動と呼吸に合わせて動いていて、なんだか暖かい春の風のように心地良い。…そうか、(マザー)トリガーから抽出したトリオンのごく一部がこの空間に滞留しているんだ。女王でなくてもわたしにはトリオン物質が肉眼で見えるからトリオンの存在を意識しやすい。それで呼吸をする時にトリオンを吸収して身体の中に留め、トリオン器官で生み出したトリオンと融合して生体機能を維持することで空腹にならないとか生理現象が起きないということなのかも。トリオンはあらゆる物質を複製できるから、身体を構成する細胞をイメージすることで肉体を維持しているのだとすれば陛下の不老不死のからくりもそれで説明がつく)

 

そんなツグミの心の中を読んだかのようにライサが言う。

 

「そうだ。私は母…先代の女王から己と(マザー)トリガーを一体化する方法を学んだ。心を静めて(マザー)トリガーの()を聞くのだ。初めは何も聞こえなかったが、そのうちに耳を通してではなく直接頭の中に流れ込んでくるかのように聞こえてきた。声といっても言葉ではなく、例えるなら心臓の鼓動だ。その音に自分の心臓の鼓動が重なるようになると、呼吸をするたびにトリオンが身体の中に入って来るような気がしてくる。それを身体の中に留めるようなイメージを頭に浮かべると自分のトリオン器官で生み出したトリオンと混ざり合う。慣れないうちは違和感を覚えるが、慣れてしまうとむしろ心地良くなってくるものだ」

 

「ええ、暖かい春の風に吹かれているかのように気持ちがいいです。それに悠一さんに抱きしめられている時の力強くて安心できる感覚にも似ているような気がします」

 

「私には春の風も愛しい人に抱かれている感覚もわからないが、この気持ち…感覚を悦楽と呼ぶのだろうな」

 

「なんだかここを離れがたくなってしまいそうです。でも私には地上で待っている人がいますから、明日の朝にはお暇させていただくことになります。陛下をひとり残していくことに後ろめたい気持ちになりますが、陛下の事情を知っているスカルキ閣下がいらっしゃるのですからきっと会いに来てくださいます。その時に陛下が拒絶しなければ寂しい思いをせずに済むと思いますよ」

 

「そうだろうか?」

 

「もちろんです。陛下はずっとスカルキ閣下のことを見ていたのですからわかるはずですよ。わたしには未来を視る力はありませんが、これまでの経験からそう断言できるんです。根拠のない妄想なんかではありません」

 

「そうだな。そなたの言葉に嘘はない。(マザー)トリガーがそなたを受け入れたのもそなたが信用できる人間だからこそで、私が心穏やかにいられるのもそなたが心優しい娘だからだ。いくら私を慰めるためだと言っても嘘はつかぬだろう」

 

「陛下の前では嘘をついてもバレバレでしょうから騙したり隠し事をしようとは思いません。それにその場しのぎで陛下が喜ぶようなことを言ったところで現実がそのとおりにならないのなら失望はその何倍にもなります。わたしは陛下にこれ以上の辛い思いをさせたくはありません。そして今できることは短い時間であっても陛下のお心をお慰めすることで、わたしがキオンを去った後でも楽しい思い出として記憶に残ることになれば幸いだと思っています」

 

ツグミの言葉を聞いたライサは嬉しそうに目を細めて微笑んだ。

 

(フッ…この娘は本当に優しいな。きっとこの子を見守ってきた大人たちが優しい人間だったのだろう。実の両親に代わって育ててくれた養父とその友人たち、そしてそばで支えてくれた仲間たちのことを語るこの子の顔はとても幸せそうだった。それがこの子の人格形成に大きく影響し、魂の片割れとも呼べるユウイチという男の存在がこの子を強くしている。さらにジンと愛し合う気持ちが性愛であっても結果的には世界中の人間を大切に思う博愛となり、この私にもこの子の愛が注がれているのだ。出会ってまだ半日も経たぬというのにな…)

 

宙を漂うトリオンの粒子を興味津々で見回しているツグミの横顔を見ながらライサは思う。

 

(王族の女性として生まれた者の運命(さだめ)を当然のように受け入れて、国のためという大義のために自らの意思を殺してきた歴代の女王たち。ツグミは自分の人生を諦めてしまった女性を否定しているのではない。同じ運命(さだめ)を受け入れるとしても自分を犠牲にすることなく国民の幸せと己の幸せは両立することができると信じているのだろう。だから心穏やかに()()()を迎える瞬間まで悔いのないよう生きている。エウクラートンの皇太子夫妻の娘がツグミの次の女王となるというがその子が無事に育つかどうかわからぬし、育ったとしても(マザー)トリガーとの適性がなければツグミは女王を引退できぬ。…この子は女王として国に縛り付けておくのではなく、世界を自由に飛び回って自分の思い描く最善の未来とやらのために働く方が似合っているというのに…)

 

そうは思ってもライサには何もできない。

キオンの女王である以上は自国の民のために(マザー)トリガーの()()()をするだけで、他国の女王となるツグミを気にかけてもどうすることもできないのだ。

 

(せめて女王になるまでは自由に羽ばたいていてほしいものだ。最悪の場合、この子は私と同じ道を辿ることにもなりかねないのだからな)

 

ライサはツグミに会うことで自分の正体を明かすことは覚悟していた。

しかし話をしただけで何も教えていないのにツグミは体内でトリオンを循環させ(マザー)トリガーと()()()方法を覚えてしまったというのは想定外のことで、今になって少し後悔をしていた。

 

(この子のことだから後継者が生まれなければ自分が女王を続けると言うにちがいない。自分自身で決めたことだからなどと笑って周囲に心配をかけないようにするのだろうが、本人が望んではいないのは確かだ。(マザー)トリガーの操作のできる者がいなくてもすぐに国が滅びるというわけではないが長い目で見れば不都合が生じることは明らかで、それをこの子が放っておけるはずがないのだ)

 

近界(ネイバーフッド)とは玄界(ミデン)から「5人の王」たちが来る以前は何もない宇宙空間のようなものであった。

そこに人間が居住するためには足を下す場所が必要で、(マザー)トリガーの力によって玄界(ミデン)とほぼ同じ大地を創造した。

ここで人間が生存するためには(マザー)トリガーが不可欠となり、それを操作する人間 ── 女王の存在も欠かせないものとなる。

「5人の王」の末裔であり特殊な一族であるから王族は国民から尊敬され特別な扱いをされているのだが、それは単に生まれ育った土地から一生離れることができない庶民階級の人間にとって王族のご機嫌を損なえば自分たちが生きていくことができないからに過ぎない。

いざとなれば王族は他国へと亡命するという手段があるが、庶民階級はそうもいかない。

だから自分たちが生きるために「女王」を必要としている。

 

過去に某国は他国から侵攻を受け、その国の王は戦争に負けて従属させられるくらいなら国が滅びてもかまわない考え、(マザー)トリガーの「核」を譲渡するから一族の亡命を受け入れるようボーダーに命じた。

結果、王がが(マザー)トリガーを国土から切り離したことで国は滅び、国民はすべて国と運命を共にした。

さらに侵攻して来た敵国の軍隊もその巻き添えになったため、玄界(ミデン)へその手が伸びることはなかった。

当時のボーダー隊員、いわゆる旧ボーダーのメンバーがその半数を喪うという悲劇に見舞われた遠征のおかげで三門市とそこに住む市民は危機を免れたものの、その半年後にはエクトスによる第一次近界民(ネイバー)侵攻によって大きな被害を受けた。

その後、譲渡された「核」を使用してボーダー独自の()()()()()()()()(マザー)トリガーが誕生し、それが原動力となって新体制のボーダーが短期間で現在のような規模の防衛組織に成長したのだった。

この事実は当時の責任者であり王族と「取引」をした城戸のみが知る事実だったが、彼はツグミにだけその「罪」を告白している。

迅の未来視(サイドエフェクト)によって遠征をしなければ三門市にも大きな被害が出るとわかっていたために無理を承知で同盟国の戦争に参戦したのだが、結果としては同盟国の国民を犠牲にして三門市を守ったともいえるのだから、城戸はそれが胸に刺さった棘となって苦しんでいた。

ツグミに事実を告白したのはそれが必要であるというボーダー総司令としての判断と、懺悔をしたいという城戸正宗個人の気持ちによるものであったのは間違いない。

ツグミもこの話を聞いて城戸を責めることはなく、彼の苦渋の判断を支持した。

それによって城戸は長い間胸に納めていた秘密を吐き出したことでずいぶんと気持ちが楽になったようで、これまで以上にツグミに対する信頼度は増していく。

ツグミに言わせれば「過去に大きな犠牲者を生じたことを悔やむのではなく、今を生きている人間に対して全力を投じて救済の手を伸ばすことはボーダーの義務である」ということで、城戸がやっていることは「正しい」のだと彼女は断言した。

それが拉致被害者市民救出計画にも大きく影響していて、このプロジェクトが本格的に進行し始めて1年と8か月で拉致被害者市民の約46パーセントの189人が帰国もしくは一時帰国という結果を出している。

ボーダーにとってツグミは欠かせない人材だが、エウクラートン国民にとっても彼女はたったひとりの「希望」である。

ボーダーの総合外交政策局長は代替えが利くが、エウクラートンの女王は彼女しかいないということでツグミは後者を選んだ。

傍から見れば彼女は自らを犠牲にしているように思えるが、本人は「自分の目指す未来にはエウクラートンの安定は欠かせないもので、嫌々ながら選んだのではない」と主張するだろう。

彼女は自分の長い人生を先の先まで見通していて、現在の選択が後にどのような効果を生み出すかわかっている。

体内でトリオンを循環させ(マザー)トリガーと()()()方法を覚えたからといってそれはひとつの手段であり、それを使わない道を選ぶのは本人の意思だ。

 

(この子なら自分を犠牲にしてまで民のために生きるとは言わない。だからといって責任を放棄するのでもない。きっと頭を使って何か方法を探すだろう。どんな困難に遭遇してもこれまでの経験の積み重ねから最善の答えを導き出すに決まっている。ツグミとはそういう娘だ。私が心配したところでこの子はきっと笑い飛ばす。他人のことよりも自分の幸せを考えろと)

 

そう思うと気が楽になってきて、つい思い出し笑いのように笑ってしまった。

するとそれに気付いたツグミが訊く。

 

「陛下、何か楽しいことでも思い出しましたか?」

 

「いや、そうではない。私には楽しい思い出というものは何もない。家族と共に過ごしたのもはるか昔のことで、もう思い出すこともできはしないのだよ」

 

「では何が可笑しかったのですか?」

 

「そなたの前向きな姿勢なら女王の責任とか国民に対する義務といったもので悩むことはあってもその重荷に押し潰されることはないのだろうなと思ったのだ」

 

「ええ、もちろんです。わたしにはそばで支えてくれる人がいますから。それに遠く離れても家族や友人がいると思うと励みになります。エウクラートンの女王になってもいつか必ず玄界(ミデン)に帰ると約束したからこそ、彼らはわたしの決断を許してくれたんです。ですから役目を終えて玄界(ミデン)に帰る時に心残りがないよう女王の務めを果たし、胸を張って帰国したいと思っています」

 

「そうか。そのような覚悟であれば私が心配することなどないな。隣国に若く溌溂とした女王が誕生することは喜ばしい。離れていても同じ志を持つ者がいると思うと私も心強いな」

 

「わたしが陛下の精神的な支えになるとおっしゃるように、わたしにとっても陛下が隣の国にいるとなればとても安心できます。陛下は『楽しい思い出というものは何もない』とおっしゃいましたが、それならこれからたくさん作りましょう。明日の朝までまだ12時間以上もあるんですから」

 

 

それからツグミは徹夜でライサとの会話を楽しみ、太陽が雪原を照らし始める頃にツグミは名残惜しいと思いながらも地下神殿を去ったのだった。

そんな彼女を見送るライサの目には涙が浮かんでいた。

それは150年ぶりの哀しみの涙だった。

 

 

 

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