ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
「第5次拉致被害者市民救出計画アウデーンス遠征」は修の主導で進んでいた。
ただし進んでいるといってもツグミのように順調ではなく、ひとつひとつの工程で時間がかかってしまうので全体を見ると前回のリコフォス遠征までと比べて進展具合は遅い。
しかし重要なのは手早くやることよりも確実にやることであり、修の仕事についてツグミが背中を押すことはあっても決して急かすことはなかった。
アウデーンスで待つ拉致被害者市民と三門市で待つ家族や友人たちのためにはツグミがやった方が良いのだが、修が仕切ることはそれ以上に意味のあることだとツグミと城戸は判断した。
だから他の局員たちも修のサポートをしながらミスのないようにひとつひとつの事柄をクロスチェック ── ふたりで行い、1回目の確認方法とは異なる方法や視点で2回目のチェックする方法 ── を行っている。
この方法はひとりでは気付かなかったことも発見できるというだけでなく、別の人間がそれぞれの立場でチェックすることでミス発見の精度が高くなるという利点がある。
例えば
それをすべての事柄でやっているから時間がかかってしまうのだが、ひとつのミスがすべてを台無しにしてしまうこともあるために必須なのであった。
修はツグミが別件で忙しいことを知っているのでできる限り遊真たち「チーム玉狛」と「ゼノン隊」のメンバーでやっていて、どうしても彼女でなければ進まないという案件だけは相談していた。
総合外交政策局の仕事の多くはツグミの「人徳」やこれまでに築いた「信頼」によって進められていた部分があり、彼女なら先方の担当者と電話1本で済むことでも修だといちいち書面にしたものを先方に渡して通常のルートで担当者に届けられるために時間がかかってしまうのは無理もない。
そこでツグミは修を連れて挨拶回りをし、その際に修の肩書を「総合外交政策局拉致被害者市民救出計画班主任」ということにした。
もちろん城戸の許可は得ていて、名刺も作ってもらっている。
取引先の担当者と面通しをしてツグミ自ら「自分同様三雲修をよろしく」とお願いしているのだから、これからの作業はこれまでよりは捗ることだろう。
そして11月3日に遠征部隊がアウデーンスへ向けて出発することになった。
アウデーンスへは片道約10日で、途中の寄港地であるワスターレという国は調査した時点でクピドゥスの侵攻を受けており、この2点では前回のリコフォス遠征とはほぼ同じ条件である。
そこでリコフォス遠征での計画案を参考にして戦闘員を同行させることになり、総合外交政策局員の迅、ゼノン、リヌス、テオ、麟児の他に玉狛第1の3人が参加することになった。
本部のA級からは参加がないのは10月から再開した「A級ランク戦」のためであった。
アフトクラトルによる大規模侵攻以降、ボーダーは慌ただしくてA級隊員はランク戦を行うことができずにいた。
B級ランク戦を行うためには防衛任務のローテーションが通常よりもタイトになるため、B級ランク戦が行われている間はA級隊員がその穴埋めをしなければならず、A級隊員のランク戦は延期となっていたのだ。
そしてアフトクラトル遠征が終了してA級昇格試験も行われ、二宮隊がA級に復帰したことで9
これはB級ランク戦のように決まった試合日があるわけではなく、対戦する
しかしせっかく再開したA級ランク戦も拉致被害者市民救出計画が本格始動したことでなかなか進まずにいる。
日常の防衛任務とランク戦と拉致被害者市民救出計画を並行して行うことはA級隊員にとって負担が大きくなるからだ。
そこで拉致被害者市民救出計画にはランク外の玉狛第1を起用し、可能な限り少人数で行うこととした。
ワスターレで戦闘に巻き込まれる恐れはあるが、8人の戦闘員は
出発日は決定したのだが準備に手間がかかり、結局すべての作業が完了したのは出発日前日の午後であった。
それは修が考えた計画に無理があったのではなく、ツグミと違って細かい気遣いが少し足りなかっただけである。
ツグミは納品予定日の3日前には必ず担当者に確認の連絡をし、納品の時間も午前や午後という大雑把なものではなく時間単位で把握していた。
しかし修にはそこまでやることは無理だった。
手配を終わらせてしまえばそれでおしまいだと考えていたらしく、当日になって配送会社から納品が遅れるという連絡が来ると慌てて対応に遅れが出てしまう。
それが重なると大きな進行の遅れとなってしまうため、あらかじめ遅れることがわかっていれば作業の順序を入れ替えるなど計画を変更して対応すればいいのだが、並行処理能力に長けているツグミのようにはいかない。
それを考慮に入れて時間に余裕がある計画を立てているのだから問題はないのだが、さすがに作業の完了が出発の16時間前ともなれば焦ってしまうのは仕方がない。
作業完了まで冷や汗を流しながら駆け回っていた修ではあったがツグミから見れば十分合格点に達していて、あとは回数を重ねて経験が精神的余裕につながれば大丈夫だという考えている。
ただしこれは準備の段階の評価であり、コース料理ではまだ前菜すら出ていない状態である。
いわば食材を揃えて調理の準備ができたというところで、これからアウデーンスまでの往路の行程、現地に到着してからの交渉、そして復路…と順に料理を作って出さなければならないようなものだ。
だからこの時点で全体を想像して評価すべきではないが、ツグミにはアウデーンス遠征が無事に終了するだろうという確信があった。
それは修の「可能性」を本人以上に把握してずっと
◆◆◆
アウデーンスへ出発して寄港地のワスターレまでは特に問題もなく時間だけが過ぎていく。
そうなると時間を持て余すことになるわけで、すでに未来を見据えているツグミや修たち以外の人間はそれぞれが自分の将来について思い悩むことになる。
玉狛第1の3人 ── レイジと小南と京介はそれぞれが自分の進む道について考えていた。
レイジは今でも尊敬している亡き父親のようなレスキュー隊員になりたいという気持ちがある。
人を救うという仕事ではボーダーもレスキュー隊員も等しく重要な仕事なのだが、今の彼にボーダーを辞めるという覚悟はない。
旧ボーダー時代から10年以上もトリガー使いとして
レスキュー隊員になるためにはまず試験を受けて消防官になる必要があるが、受験資格の年齢制限が30歳未満となっている。
さらにレスキュー隊員になるためには消防官としてのキャリアを積んで試験を受けるのだが、こちらは35歳未満なのであまりのんびりと構えてはいられない。
もっともレイジなら試験にパスして現場でも重宝がられることだろう。
過酷な環境でも黙々と仕事をし、父親以上に人々のために働くことができるはずだ。
そのための第一歩はボーダーを辞めること。
その一歩が踏み出せなければ前には進めないのだが、玉狛第1の隊長として個人的な理由で
小南は星輪女学院系列の短大へと通っている。
彼女も大学へ行っても何を学びたいという目的はなく、両親から「大学くらいは行っておきなさい」と言われたから推薦でエスカレーター式に進学しただけである。
卒業をしてからどうするかも本気で考えておらず、いざとなればボーダーを続ければいいなどと暢気に構えていた。
なにしろボーダー隊員の中には卒業後もそのまま防衛隊員を続けるという人間もいる。
ただし給料が一般企業よりも低く、一生の仕事にはできないのでほとんどの人間は早いうちに
彼女なら旧ボーダー時代からの優秀な戦闘員であるから
ボーダーが界境防衛の役割を減らして
実際にトリオン能力の減退を感じていて、いつかトリオン体に換装すらできなくなってしまうのではないかという不安が頭をよぎるようになっていた。
彼女の両親は彼女がボーダー隊員でいることに反対はしていないものの、正直なところは「早く辞めてカタギの仕事をしてもらいたい」と考えている。
本人に直接言うことはないが、日常の会話の中でボーダー関連の話題が出るとお互いにぎくしゃくしてしまうので彼女も何となくは感じているようだ。
だからひとりで静かにものを考える時間ができたので真剣に将来のことを考えることにしたのだった。
しかし幼い頃からトリガー使いとして生きてきて「誰よりも強い」ということが彼女の矜持であったから、トリガー使い以外の自分を想像できない。
それにこの「強い」がなくなってしまえば小南桐絵という人間の
京介もこのままボーダー隊員を続けるのかどうか悩んでいた。
今の生活に不満はないが、彼の家庭の事情が彼を悩ませているのである。
彼には中学生や高校生の弟妹がいて、弟妹にもっと学校生活を楽しませてやりたいと思っている。
自分がアルバイト三昧であったことを後悔はしていないが、下校時間に同級生と語らったり部活動をやってみたいと思ったことがないわけではない。
だから愛する弟妹に自分と同じような思いをさせたくはない。
ボーダーの戦闘員を続けながら働くとなればこれまでのようにアルバイトの掛け持ちをするしかないが、ボーダーを辞めればどこかの企業で正社員として働くことが可能になり給料も今よりもずっと増えるはずだ。
ボーダーのスポンサーとなっている会社でもいいし、現在アルバイトをしているレストランやスーパーでも正社員として雇いたいと言ってくれるオーナーもいるのだから就職だって選り取り見取りであった。
残念に思って引き留める仲間はいるだろうが、京介本人の人生なんだから自由にすればいいと背中を押してくれるはずだ。
それなのに彼が悩んでいる理由はひとつだ。
ボーダーを辞めるということは玉狛第1を抜けることになる。
玉狛製のワンオフトリガーを使用していることでランク戦には参加できずランク外のA級という立場だから順位に拘っているわけではないのだが、レイジや小南という共に戦ってきた仲間に対して途中で抜けるのだから申し訳ないという気持ちがあるのだ。
もちろんふたりがダメだというはずはないのだが、逆に引き留めてもらえないとなると自分の存在意義について不安になってしまうという気持ちがなくはない。
しかし悩んだり迷ったりするのは自分の目指す目標がないからで、家族のためにとか仲間たちの感情などを理由にしてそれを
京介は家族や仲間思いの良い奴ではあるが、逆の立場であった時のことが想像できない点でダメ男だ。
弟妹のために働いているというが、弟妹からすれば「大好きな兄ちゃんがぼくたちのためにやりたいことを我慢しているなんて嫌だ」という気持ちになると想像できない。
彼が身を粉にして働けば働くほど両親や弟妹たちは申し訳ないという気持ちになってしまうのが家族の愛情というもの。
それに気付けば家族と相談をして最善の道を模索することができるのだが、京介はそれができずにいたのだった。
ボーダーの防衛隊員としてはパーフェクトに見える3人だが、それぞれ他人には相談できない悩みを抱えていた。
しかしとある出来事をきっかけにして彼らは重大な結論を出すことになる。
◆◆◆
それは三門市を出発して4日目の夜のことだった。
交代で夕食を済ませた後にミーティングルームでは麟児が修と遊真と千佳に勉強を教えていて、レイジ、小南、京介の3人はそれぞれ筋トレや読書をしていた。
そこで修たちの様子を見た小南が彼らに声をかけたことから始まった。
「あんたたちはいいわよね。大学へ行くにしても高校で終わりにしてもボーダーに就職するって道が確定してるんだから。あんたたちの行ってる一高なら簡単に卒業させてくれるんだもの無理して勉強しなくてもいいんじゃない?」
その言葉は自分の未来に不安を持っている小南の正直な気持ちなのだが、その言い方に少々棘があったものだから、そばで筋トレをしていたレイジが手を止めて彼女を軽く諫める。
「小南、そういう言い方はよせ。いくらボーダー推薦で入学して学校側がいろいろ融通を利かせてくれているといっても一定の成績が残せなければ退学だってありうるんだぞ。だからこうして公欠扱いをしてもらう代わりに宿題を与えられてやっているんじゃないか」
「でもそれってタダの計算ドリルでしょ? なになに…3次式の展開と因数分解? 初歩の初歩じゃない。普通に学校で授業を受けていれば誰でもできるレベルじゃないの」
修のテキストを見て小南が言う。
「その普通に学校で授業を受けられないからこうして遠征途中でも麟児くんに教えてもらって勉強しているんじゃないか。…小南、なんだかイライラしてるみたいだな?」
「はあ? あたしのどこがイライラしてるっての!? そういうレイジさんこそ最近はいつもこんな顔してるじゃない」
そう言って小南は口をへの字に曲げて仏頂面をする。
「お、俺はだな…おまえたちと違っていろいろ考えなければならないことがあるんだ」
「それってまるであたしたちは何も考えてないみたいじゃないの! あたしだって考えなきゃならないことがあって、それで…」
「それでイラついて修たちに突っかかってるのか」
「突っかかってないわよ! あたしはタダ正直な感想を言っただけ」
小南とレイジが口喧嘩を始めたものだからその原因となった修たちは困ってしまう。
するとその様子をずっと傍観していた京介が小南に言った。
「小南先輩、イライラするとトリオン器官がストレスを受けて能力が減退し、トリオン量が減ってしまうそうですよ。なあ、修?」
「え?」
突然自分の名前を出されて修は驚くが、それ以上に小南が反応した。
「うそ!? そんなの初めて聞いたわ! ストレスが原因でトリオンが減るなんて…どうしよう、このままじゃあたし…」
「すいませんウソです」
京介が表情も変えずにぼそりと言うと、小南は一瞬固まってしまう。
そして放心状態が解けると京介に対して怒りをぶつけた。
今までも同じように「京介が嘘を言う → 小南が騙されて慌てる → 京介が嘘だとばらす → 小南が京介ではなく巻き込まれた人間(主に修)に当たり散らす」という図式になるのだが、今回ばかりは違っていた。
「とりまる…あんた、どうしてそんなウソをつくのよ?」
その声は低く、本気で怒っているということが誰にでもわかるほどだ。
「いや、いつもみたいに場の雰囲気を変えようと…」
「あんた、地雷を思いっきり踏んだわよ、今」
「え?」
「あたしがどれだけ悩んでいるのか知らないくせに、どうしてそんなことを平気で言えるのよ!」
「いや、何を悩んでいるのかなんて知りませんよ。知らないから ──」
「もういい! あたし、部屋に戻るから!」
小南はそう叫ぶとミーティングルームのドアを乱暴に開けて出て行ってしまった。
その様子はその場にいた全員が目撃していたものの、あっという間の出来事で声をかける暇さえなかった。
そして残されたメンバーはそれぞれが自分のせいで小南がキレたと思ってしまう。
「俺が修たちの勉強をここじゃなく居室でやれば良かったのかな…」
麟児がぽつりと言うと、それに修が反論した。
「そんなことはありません。居室だと机がひとつしかないから広いミーティングルームでやるのは当たり前です」
「ああ、そうだ。ここは全員が自由に使える場所だ。だから遠慮なんてすることはない。たぶん小南も悪気はなかったんだろうが、俺があいつの態度を非難したからいけないんだ」
レイジが「やっちまった」という顔で言う。
彼は玉狛第1の隊長という立場なので隊員の言動に関して責任を持たなければいけないと自分を無意識に追い込んでしまっていた。
だから小南が修たちに対して棘のある言い方をしたので諫めた。
しかしそれが逆効果となり、さらにそこに京介が悪気はなく油を注いだことで炎上してしまったのだった。
「すみません、レイジさん。俺が怒らせたせいで…」
京介もいつものノリで嘘をついたことを反省していた。
「まあ、間が悪かったというだけだ。誰にでも虫の居所が悪いってことはある。まあ、俺も少しイライラしていたことろがある。何かに打ち込んでいる時には忘れていられるんだが、時間に余裕ができるとつい考えてしまうんだ。悪い、ちょっと頭を冷やしてくる」
そう言ってレイジは立ち上がるとミーティングルームを出て行った。
そうなると京介もなんとなく居づらくなって席を立つ。
「騒がして悪かった。俺も部屋に戻るから続けてくれ」
そしてミーティングルームには修たち4人だけが残された。
この雰囲気で勉強を続ける気にはなれず、自然と解散しようという流れになったところでツグミがミーティングルームに入って来た。
そして重苦しい空気を感じ、彼女は修に訊いた。
「何かあったの? さっき通路でコナミ先輩とすれ違ったんだけど、ものすごくイライラしている感じだった。ケンカでもしたの?」
何も知らないツグミに修が事情を話すことにした。
「なるほど…。狭い艇内に押し込められているだけでもストレスは溜まるけど、あの3人にはそれ以外にも精神的に追い込まれる何かがあるんでしょう。このままじゃ良くないんだけど、原因がわからないと改善への道が見付からないわね」
「ぼくも何をしたらいいのかわかりませんが、だからといって何もしないでいて取り返しのつかないことになったらぼくは後悔する。ぼくはこの遠征の現場責任者ですし、先輩たちが悩んでいるのに何もできないなんて自分が不甲斐なく感じてしまうんです」
「オサムくんらしいわね。たしかにこのままじゃいけないわ。予定ではあと約30時間後にワスターレに到着する。現地はどうなっているかわからなくて、最悪の場合は戦場の真っただ中に飛び込んでしまうかもしれない。メンバーが険悪な雰囲気のままでは出せる実力も100パーセントというわけにはいかないから、ワスターレに着くまでに何とかしたいわね」
「はい」
「じゃあ、オサムくん、あなたに任せたわよ」
「え?」
修が目を丸くしてツグミの顔を見た。
彼の表情は「手伝ってくれるんじゃないんですか?」と言いたげで、ツグミはそれをわかっていてにこやかに続ける。
「大丈夫。あなたは玉狛支部でレイジさんたちと一緒に暮らしていてそろそろ3年が経とうととしているのよ。3人がどういう人間なのかわかっているでしょ? そしてどう接すればいいのかもわかっているはず」
「わかっていると思ってもその人の全部を知っているわけじゃなく、表面上のことだったりその人の一面しか知らないというのであれば下手に相談に乗ろうなんて考えたらますます状況が悪化しそうで怖いです」
修は不安を訴えるがツグミは笑みを湛えたままだ。
「それがわかっているなら大丈夫。…それにこの騒ぎの原因、コナミ先輩の言う『地雷』が何なのか今わかった気がする」
「本当ですか?」
「ええ。その確証が欲しいからちょっと調べものをするわ。オサムくん、あなたもわたしの部屋まで来て」
「わかりました」
修はわけがわからないままツグミに引っ張り出されて彼女の居室へと連れて行かれることになった。