ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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598話

 

 

ツグミの居室はひとり部屋で、5つあるベッドのうち使用していない4つのベッドにはさまざまなものが段ボール箱に詰められて置かれている。

机の上には彼女のノートPCがあって、起動すると幹部にしか公開されていないボーダー全隊員・職員のパーソナルデータのファイルを開いた。

本来なら部外者に見せてはいけない極秘情報なので、操作はツグミがひとりで行って必要なデータ ── 小南のトリオン量の測定グラフを表示してから修に見せた。

 

「これはオサムくんのことを信用して見せたんだから絶対にここで知ったことは口外無用よ、いいわね?」

 

「はい。ここだけの秘密にします」

 

「じゃあ、ここを見てちょうだい。これは第一次侵攻後にボーダーが新体制になった年から全防衛隊員を対象に行っているトリオン量の計測数値の変化のグラフよ。これはコナミ先輩のデータなんだけど、わたしが想像していたとおりだったわ」

 

ツグミの見せた画面には棒グラフが映し出されていて、その数値はなだらかに右肩下がりになっているのは一目瞭然であった。

 

「これって…」

 

「うん。トリオン器官は心肺機能や筋肉と同じようにある程度は鍛えることは可能で、若いうちしか成長しないという性質上防衛隊員のほとんどが10代の若者だということは知っているわよね。歳をとると衰えていくけどしっかり使っていればある程度維持はできるってことになっている。忍田本部長はその例のひとりね。近界民(ネイバー)でもアフトのヴィザ翁とかキオンのコンプソス閣下なんて60歳を過ぎても現役だったくらいだから、トリガー使いならトリオン器官を鍛え続けることは重要だってことは証明されている。そしてコナミ先輩の場合は旧ボーダー時代からずっと鍛えているんだしまだ10代だからトリオン器官は衰えていないはずなんだけど、このグラフからは明らかにトリオン量の減少がみられる」

 

「どういうことでしょうか?」

 

「わたしも専門家じゃないからわからないけど、トリオン器官がしっかりと機能していても生み出されるトリオンの量が減るという可能性は考えられる。あとは…もっと鍛えなければ維持できないのに今の自主トレレベルでは足りないのかもしれない。本部所属の隊員だと暇があれば個人(ソロ)ランク戦をやって常に鍛えているってイメージがあるけど、でもそれってトリオンを消費しない仮想戦闘モードだからトリオン器官はさほど鍛えられていないのよ。これでは戦闘技術は向上してもトリオン器官はみんなが考えているほど鍛えられていないことになる。トリオンを消費する方法で戦闘訓練を行わないと意味はないのだから本部の個人(ソロ)ランク戦は無駄…とまでは言わないけど、コナミ先輩の場合はそんな個人(ソロ)ランク戦すらやっていない。理由は双月という玉狛謹製トリガーのせいだけどね。それはともかく自主トレであってもトリオンを消費する形で訓練をすればこんなことにはならなかったんじゃないかしら。忍田本部長とヴィザ翁、コンプソス閣下は若い頃にトリオンを消費するという形での訓練()()()()()()()()から長い間現役でいられたと言えるわけで、近界民(ネイバー)の場合は一度トリオン体が破壊されたら一定時間復帰できないから訓練であっても真剣に行ってきた。ボーダーでは仮想戦闘モードと緊急脱出(ベイルアウト)のおかげで戦闘技術は短期間で向上したけど、トリオン器官の成長と鍛錬にはあまり効果はなかったみたい」

 

ツグミは防衛隊員であった頃は意識してトリオンを消費する訓練を行っていて、実際にトリオン能力とトリオン量の数値は上昇していた。

ただし無理をしすぎてトリオン不足で倒れたという失態を演じてしまったことで訓練を自粛したということは修も知っている。

トリオン器官を鍛えることと戦闘能力の向上にはそれぞれ訓練のやり方を分けて適切な割合で行わなければいけないということで、小南はそのどちらも不足していることが客観的な数値として顕れていた。

 

「だからコナミ先輩自身も普段の自主トレの時に自分のトリオン能力の減退を実感していて、どうしたらいいのかわからない状態でいたところにキョウスケが地雷を思いっきり踏んでしまったんじゃないかと思うのよ。彼女の場合は元々のトリオン能力はあまり高くないから少し減っただけですぐに影響が出てくる。仮想モードの訓練の時には気付かなくても、大規模侵攻、ガロプラに対する本部基地防衛戦、アフト遠征…と実戦が続いたから嫌でも能力の減退を感じたんじゃないかしら」

 

「そうですね。自分が気にしているとことを突っ込まれたらキレてしまうのも当然かな…。いつもみたいに悪気はなかったとしてもさっきの烏丸先輩の嘘はタイミングが最悪だったと思います」

 

「コナミ先輩にとって人生の半分以上をトリガー使いとして生きてきたわけだから、今さらトリガーが使えない普通の人間に戻ってしまうってことは恐怖だと思う。わたしもトリオン切れで倒れた時にこのまま元に戻らなかったら誰にも必要とされずに見捨てられてしまうんじゃないかって不安になったもの。…でも彼女はプライドの高い人だからその不安を誰かに打ち明けて相談するなんてことはできそうにないし、周囲の人間にも彼女の悩みを察することのできる人がいない。誰も自分のことでいっぱいいっぱいな場合が多いから。オサムくんみたいに自分のことは無頓着で他人のことばかり面倒をみている人の方が少ないもんね」

 

「それって褒め言葉でいいんですよね?」

 

「もちろん。…これでコナミ先輩のキレた原因が推測できたけどまだ仮説でしかない。これはデリケートな問題で、こちらから『トリオン能力のことで悩んでるんですか?』なんて訊くこともできないから、わたしたちは手出ししない方がいいと思う。それにこれは部隊(チーム)の隊長であるレイジさんの仕事だもの」

 

ツグミはそう言うが修には自分が静観しているのはもどかしいようだ。

 

「でも何かできないものでしょうか? それにレイジさんが小南先輩の悩みの原因に気付かないならケアできないですよ。せめてレイジさんに事情を話した方がいいんじゃないですか?」

 

「それはできない。レイジさんにはコナミ先輩のトリオン能力の減退について知る方法はないんだから、誰かから聞かされたんだってすぐにバレてしまう。その情報源がわたしだってこともすぐわかることよ。レイジさんは元々のトリオン量が多いから能力の減退について気が付きにくい。たぶんレイジさんも最盛期に比べたら落ちてきていると思うけど、意識できるほど減ってはいないから気が付かない。そんな彼じゃコナミ先輩の悩みを察するのは不可能。だからわたしがレイジさんに告げ口したって腹を立てる彼女の姿が目に見えるのよ。そしてレイジさんって頼りがいのあるタフガイだってイメージがある。手先も器用だし、欠点といえばゆりさんの前では完全に別人としか思えないくらいポンコツ化することくらい、って玉狛のみんなは思っているでしょ?」

 

「はい」

 

「でもわたしから見ると面倒見がいいように見えて実際は他人とは深く接していないって感じるの。別に友人がいないとは言ってないわよ。本部にも遊び仲間はいるし、玉狛の後輩たちに頼りにされているんだから。そんなボーダーのアニキ的な立場で慕われているレイジさんを悪くは言いたくないけど、わたしはチカちゃんの例の一件で無責任な人だって感じたわ。師匠である以上は彼女が撃てないことについてもっと深く関わって解決する道を考えるべきだったのに、時間が解決してくれるだろうなどと暢気に構えていたし、本人が必死になって告白した時にはあの状態の彼女を認めて受け入れてしまった。まあ、レイジさんは自分よりも7つも年下の女の子のチカちゃんに対してどう接すればいいのかわからなかったようで悩んでいたとは思うけど、結局は放置していたことになる。それでいて問題が解決した、めでたしめでたしなんて態度でいたからわたしはやりたくもない悪役を演じたのよ」

 

千佳の「人を撃てない」という問題は本来ならレイジが師匠として狙撃の技術を教えるだけでなくメンタルケアも行うべきであった。

しかし接し方がわからずにいて、栞の思い切り甘やかすというやり方に賛同して厳しいことを言わなくなった。

そしてレイジが何もしないうちに解決したかのように思える事態となり、彼の師匠としての不甲斐なさに呆れてしまってわざと悪役を引き受けて千佳に厳しい態度で最も触れられたくない部分を暴いたのだった。

 

「誰も責めないんだから撃ちたくなければ撃たなくてもいい、ではない。誰も責めないのだから安心して撃っていいのだと諭すべきだったと思うのよ。それなのにレイジさんは撃てない…ううん、撃ちたくない彼女を肯定してしまった。それで師匠としての役目を果たしたと言える? 師匠になるということは単に武器(トリガー)の技術を教えることだけじゃない。その人間の人生に一瞬でも関わるのだから、関わったことで生じる出来事に関しては責任持たなきゃいけないわ。レイジさんは遠征に参加したいなら撃てなければダメだと言って無理にでも撃てるようにさせなければいけなかった。だってもし遠征先でチカちゃんに何かあった時にレイジさんが責任を取れるとは思わないもの。ううん、責任が取れないだけじゃなく、ものすごく後悔をすることになったと思う。だからあの時わたしはレイジさんに失望した」

 

「それはぼくたちに対しても同じで、それで玉狛支部を出て行ったんですよね?」

 

「そうね、みんながチカちゃんに対して優しくて応援していることはわかるし当然のことだとわたしも承知している。でもその優しさのせいで彼女が近界(ネイバーフッド)で死ぬかもしれないし誰かを死なせてしまうかもしれない可能性があったわけで、その可能性から目を背けて『問題が解決して良かったね』で済ませるみんなに幻滅した。全然解決してないんだもの。…でも一番の理由は別にあるの。これはジンさんにさえ言っていないことだけどオサムくんにだけ教えてあげる。わたしが玉狛支部を出て行った最大の理由はレイジさんへの失望以上に自分の無力さに幻滅したからなのよ」

 

ツグミの告白に修は驚いた。

 

「先輩が…自分の無力さに幻滅?」

 

「ええ。チカちゃんがボーダーに入りたいと言った時にわたしは全力で彼女を応援しようと決めた。遠征に行きたいというのなら行かせてあげたいとも思ったから、時間をかけて遠征に行っても無事に帰って来ることができるだけの実力をつけさせるつもりでいた。それはオサムくんも同じよ。それなのにアフト遠征という緊急で行わなければいけないし戦闘を行うことを前提とした遠征に参加するんだって分不相応なことを言い出した。でも絶対に不可能ではないからまだ応援するつもりでいたけど、あなたたちはB級ランク戦という目先の勝負に勝つことだけしか考えていなくてものすごく危うい気がしたわ。そして周りの先輩や仲間たちがあなたたちを応援してくれることはいいんだけど、無責任であったことは否めない。だって遠征に参加したいからA級になりたい。そのためにB級ランク戦で上位2位までに入りたいと言っているあなたたちの事情を知っていて、B級ランク戦で勝てる小手先の技を指南しているだけなんだもの。たしかにB級ランク戦で勝って上位2位までに入り、A級になれば遠征参加の資格が得られるんだから彼らのやっていることは間違ってはいない。でも万が一のことがあってあなたたちが遠征先で不慮の死を遂げたところで彼らには責任を取ることはできないし、自分たちのせいで死んだなんて考えもしないでしょう。逆に責任感が強ければ自分たちがもっと適切な指導をしておけば死なせずに済んだと後悔をする。本当にあなたたちのことを考えるなら遠征に参加しても必ず無事に帰って来ることができるだけの実力をつけさせるべきだったのよ。そうすれば自然とB級ランク戦でも勝てるだけの力を得ることになったのだから。わたしは玉狛支部の先輩としてそう指導すべきだった。でもわたしが深く関わると遠征に参加できなくなるかもしれないと思って直接指導をすることは避けた。そのためなのかわからないけど、わたしはチカちゃんに信用されていなかったみたい。信用されていないから何も相談をしてくれなかったのだし、嘘をついて周囲の人間を欺いていた彼女のことをわたしは責めた。でもそれはわたしが彼女に信頼されて相談をもちかけてもらえる先輩になれなかったからにすぎない。わたしは自分にできることを精一杯やっていたつもりでも彼女にはわたしの気持ちは届いていなかったんだから、それはわたしの力不足ってことでしょ? そういうわけでわたしは自分が嫌になって玉狛支部を出て行ったのよ。チカちゃんたちの顔を見れば自分の無力さを思い知らされてしまうから」

 

「霧科先輩、先輩は無力なんかじゃありません! それだったらぼくだって同じです。千佳はぼくにだって大事なことを話してはくれなかったし、頼ろうともしてくれなかったんですから。それは昔から誰のことも頼ろうとしないあいつの性格によるもので、先輩が悪いわけじゃないんです。もちろんあいつだって悪くない。ただあいつのことを信じようとしなかった大人がいて、それであいつは自分の殻に籠ってしまうようになったんです」

 

修が必死になってツグミの気持ちに寄り添おうとするものだから、ツグミは優しく微笑んで言った。

 

「オサムくんは優しいね。あれだけ厳しいことを言ったのにわたしを慰めてくれようとするんだ」

 

「たしかに先輩は厳しかったですがそれは全部ぼくたちのためで、おかげでぼくは変なこだわりや思い込みから脱して進むべき道を見付けることができました。…レイジさんたちは優しいです。例えるなら庭に迷い込んできた野良猫に餌をやって可愛がるけど、その猫を飼って死ぬまで世話をする責任を負うかというとそこまではできない。そしてその猫が交通事故で死んだとすると、自分が家で飼ってやれば死なせずに済んだと後悔する。だったらはじめから家に入れて飼ってあげれば良かったのに、という感じでしょうか。霧科先輩はぼくたちの人生を考えた上で導くという責任を意識した優しさだから厳しいと思える態度で接した。無責任な優しさは楽だし嫌われたくないという保身もあって、その人のためというよりも自分のために他人に優しくしているという自己満足的な部分があると思います。先輩の厳しい優しさはわかりにくいけど、わかるとその深い意味に感動すら覚えました。それに結果的にはぼくたちはアフト遠征に参加して無事に帰って来ることができました。それは先輩がいろいろと走り回ってくれてぼくたちが直接戦闘に巻き込まれないような作戦にしてくれたおかげです。もしハイレインたちと全面戦争になっていたらC級隊員を救出するどころか遠征部隊メンバーに犠牲者が出ていたかもしれない。そしてその犠牲者がぼくや千佳だった可能性が高い。それを考えると今でも身震いします。霧科先輩はぼくが玉狛支部に異動して千佳が入隊した時からぼくたちの人生に関わる責任を負い、誰よりもぼくたちのことを大切にしてくれていたって理解しています」

 

「オサムくん…」

 

「先輩の言動のひとつひとつにはちゃんと意味があって、その意味がわかれば信じて従うべきだと思えてきます。だから総合外交政策局でぼくを鍛えてくれていることもぼくのためになる。先輩は自分のためだって言うでしょうけど、たしかに自分のためでもそれ以上にぼくのためになっているんだから感謝してもいいですよね?」

 

「ええ、好きにしてちょうだい。でもわたしは香澄さんと約束したことを果たそうとしているだけなのよ」

 

「母との約束…ですか?」

 

「そう。わたしには父親代わりの大人は何人もいるけど母親代わりの人はいないから、香澄さんという母親を持つあなたが羨ましい。そんなことを思っているわたしに香澄さんは時々メールとか電話をくれるの。わたしのことをテレビで見たといって電話をくれて、頑張るのはいいけど無理はしないでって忠告もしてくれる。それが嬉しいから香澄さんを悲しませるようなことをしないって約束をしたの。オサムくんは三雲家のひとり息子で、香澄さんにとっては自慢の息子なのよ。だからわたしはあなたがボーダーにいる間、そしてわたしがボーダーを離れることになるまでは責任を持って()()()()()()()()って決めた。単に守るだけではなく、あなたが死なないよう強くすることもわたしの責任。そしてその強くするというのもトリガー使いとして戦闘力を高めるというのではなく、どんな世界の荒海でも乗り切って行くことのできる生きるための力。わたしはボーダーを去るという最後の最後まであなたを鍛えるつもり。それがわたしの考える真の優しさだから」

 

ツグミの真意を知り、修は心からの尊敬と感謝の気持ちで頭を下げて礼を言った。

 

「ありがとうございます、霧科先輩」

 

するとツグミは修の頭を優しく撫でる。

 

「人って自分のことですらわからない部分があるんだもの、他人のことなんてわかるはずがない。だからわかり合おうとしてぶつかり、それで傷つくこともある。でもそれを恐れて孤独な世界に引きこもってしまう人もいるけど、人を傷つけたくない、自分が傷つきたくないって逃げていたら人は生きていけないと思うの。傷ついてもそれを成長の糧にできれば意味のあったものになるし、次はもっと上手くやろうって考えるようになればいいのよ。誰とも関わろうとしない人生なんて成長はありえないし、そもそも無人島でひとり自給自足の生活をするのでなければ人と接しないなんて不可能だわ。オサムくんはトリガー使いとしては弱いんだろうけど人としては十分強い。人としての強さには優しさも含まれる。だから自分に優しく、他人にはそれ以上に優しくできる人間になれるよう努力しなさい。自分のことを顧みない人間が他人に優しくできるはずがない。ああ、自分に優しいということと甘いということは別物よ。それは覚えておいてね」

 

「はい、わかりました」

 

修はそう答えて微笑んだ。

 

 

 

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