ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
「それで本題に戻るんだけど、レイジさんたちの問題はどうすればいいと思う?」
「それは…小南先輩の悩みがトリオン能力の関係だとして、それにレイジさんが気付かなければ相談に乗ってあげることもできないわけで、でも霧科先輩は手出ししない方がいいって言うんですからどうすればいいのかわかりません」
修はお手上げといった顔でツグミに言うが彼女は首を横に振る。
「もっと考えて。あなたには考える力があるんだから。たしかにコナミ先輩の悩みの原因についてはわたしたちが教えることはできないけど、オサムくんにできることは他にあるじゃないの」
「他に…ですか?」
「そう。このトラブルの原因はコナミ先輩のことだけじゃないわ。レイジさん自身にも何か悩みがあるんじゃないかってわたしは思うのよ。さっきのあなたの話でレイジさんが『俺も少しイライラしていたことろがある。何かに打ち込んでいる時には忘れていられるんだが、時間に余裕ができるとつい考えてしまうんだ』って言っていたと教えてくれたじゃない」
「ああ、そうか。レイジさんにも何か悩みがあって、そのせいでイラついていたから小南先輩に対してああいう言い方をしてしまったのか。…でもレイジさんの悩みって何だろ?」
「それをオサムくんが相談に乗ってあげてもいいんじゃない? 今のあなたは後輩ではあっても対等に話すことのできるひとりの人間だもの、レイジさんもあなたのことを後輩としてではなく仲間と認めて信頼していれば話してくれると思うわよ。それでレイジさんが話してくれないならそこまでだけど、わたしだったらあなたが自分のことを心配してくれたって嬉しく思う。相談して解決するかどうかじゃなくて、気にかけてくれたってことと勇気を出して声をかけてくれたことに対して嬉しいと感じるのよ」
「そういうものですか…」
「そうよ。オサムくんが悩んでいる時にユーマくんやチカちゃんが声をかけてくれたら嬉しいでしょ?」
「もちろんです」
「それで自分のことで心配していたって知れば申し訳ないって気持ちになって、同時にこれ以上心配かけたくないから何とか解決しようって思う。でも自分だけじゃ解決できないから悩んでいるわけで、それならせっかくだから相談してみようという気になる。レイジさんの性格上頭ごなしに『余計なお世話だ!』なんて言うはずはない。これがコナミ先輩だと『あんたには関係ないんだから放っておいてよ』とか言うのよ。自分が弱いって思われたくない人だから虚勢を張ってしまい、後になって悔やむんだわ。だから先にレイジさんの悩みを解決して、あとは彼に任せた方がいい。コナミ先輩もレイジさんの言うことには従うから」
「そうですね! ぼく、レイジさんのところに行ってみます」
「うん、その意気よ。でもちょっと待って。それでレイジさんが
「そうか…」
「そこはさりげなくコナミ先輩のことに触れて、『なんでトリオン器官がストレスを受けて能力が減退するなんていう烏丸先輩の嘘にあんなに反応したんでしょうかね?』なんて言えば気が付いてもらえるんじゃないかな」
「なるほど…」
「これでコナミ先輩の悩みの原因が自分のトリオン能力の減退だったとすれば解決の道は開かれるし、そうでなかたっとしたら別の悩みがあるってことが確定する。試してみる価値はあると思うわ。ついでに言うとキョウスケにも何か悩みがあるみたい。こっちの原因にはわたしに思い当たることがあるんだけど聞く?」
「はい、もちろんです。それで烏丸先輩の悩みってなんですか?」
「キョウスケもこのままボーダーを続けるべきか否かで悩んでいるんだと思う。キョウスケには来年中学と高校に上がる弟妹がいて、中学はともかく高校生になれば学費とかいろいろお金がかかる。だからボーダー隊員で得られる給料よりも割のいいところに就職すべきなんじゃないかって。そうなるとボーダーとの兼業はできなくなる。給料面では今までよりもアップするだろうけど、ボーダーを辞めるって言い出しにくいんだと思うわけよ」
「それで迷っているということでしょうか?」
「わたしはそう考えているけど本当のところは本人に訊かなきゃわからないわね。キョウスケの家は家族が多い分いろいろ悩みはありそう。弟妹の勉強をみてやりたいけど忙しすぎて時間がないとか。自分からそういったプライベートなことは一切話さないからわからないのよね。でもオサムくんなら訊けるんじゃない? さりげなく『先輩の弟さんや妹さんはお元気ですか?』なんて彼の家族のことを話題にするとかで」
修は少し考えてからツグミに言った。
「霧科先輩、いろいろアドバイスありがとうございました。やれるだけのことはやってみます。玉狛第1の先輩たちにはお世話になったんですから、何か恩返しをしたいと思ってはいたんですけど、これで役に立てば恩返しになるかなって思うんです。それにこの遠征の成功がかかっていると考えればこれはぼくがやらなければならないことです。ぼくひとりではできないことでも先輩がこうして背中を押してくれるんですからやれるという気になりました」
「うんうん」
「たぶん先輩も以前なら自分でやろうって考えたでしょうね? でも今は全部自分でやろうとしないで誰かを頼ろうとする。そんな先輩がぼくを頼ってくれるのはすごく嬉しいです」
そんな修の言葉にツグミは嬉しくなり、つい目がうるっとしてしまった。
「そんな嬉しいことを言われると泣きそうになっちゃうわよ。昔は哀しいことでよく泣いたけど、今では嬉しいことがたくさんあって泣くことが増えたわね。いつもこうして嬉しいことばかりでいっぱいだったらいいのに…」
「大丈夫ですよ、先輩が嬉しいことで溢れかえる世界を創ろうとしているんだから。ぼくはまずレイジさんのところに行って、結果はあとで報告しに来ます。あまり期待をされても困るんですが、
「頼もしくなったね。出会った時とは別人みたいだもの。ジンさんはこうなる未来を視ていたのかもしれないわ」
「ぼくもそう思います。迅さんはぼくにとって大恩人で、最上さんの形見の風刃を本部に返すなんて苦渋の選択だったと思うんですがそんな犠牲が生じてでもぼくたちを守ってくれたことに一生頭が上がりませんよ」
「チカちゃんの願いが叶い、ユーマくんの延命も現時点でできることは全部やった。オサムくんも自分が何をすべきなのか見定まったみたいだし、全部ジンさんのおかげね」
「はい。…実を言うとぼくが総合外交政策局で働こうと決めたのは霧科先輩が『ボーダーを
「そうね。だったら成功させたという報告ができるよう頑張らなきゃ。それからあなたのお父さまが帰国したらわたしにも会わせてくれる?」
「もちろんです。ぜひ会ってください」
そんな会話をし、修は意気揚々とツグミの居室を出て行った。
◆◆◆
修はレイジが使っている居室に向かい、ドアの前で深呼吸をひとつするとドアをノックした。
「レイジさん、いますか? 修です」
修が声をかけると中からレイジの声がした。
「何か用か?」
「はい。お話があるんですけど、少しお時間いただけますか?」
「ああ、入れ」
レイジの許しを得た修が部屋の中へ入ると、レイジがひとりでベッドに腰掛けていた。
髪が濡れていてそれをタオルで拭いた痕跡があるので、ミーティングルームを出た後にシャワールームで汗を流してから戻って来たらしい。
「修、さっきはおまえたちの勉強を邪魔して悪かったな」
レイジがそう謝ると修は近付い言う。
「レイジさんが謝ることはありません。あれは誰が悪いわけではなく、それぞれに他人にはわからない事情があり、単に間が悪かったというだけのことです。レイジさんがそうやって落ち込んでいるのは普段なら小南先輩にあんなことは言わず、他に場を収める方法があったのに自分に心の余裕がなかったために騒ぎを起こしてしまったと考えているから。違いますか?」
修から図星を突かれたのか、レイジは驚くがすぐにまた萎れた状態になる。
「ああ、おまえの言うとおりだ。今の俺は自分のことでいっぱいいっぱいになっている。情けないことだが、答えは出ているというのにその答えが正しいのかそうでないのか悩んでいるような状態で、さらに自分がどうするべきか迷っている。その迷いが小南や京介にも不安を与えてしまっているのであれば隊長失格だな、俺は」
「隊長失格かどうかは自分で判断するのではなく、小南先輩や烏丸先輩が決めることです。それよりも悩みがあってそのせいで仲間の不協和音を生むとわかっているのならその悩みというものを解消するしかありません。ぼくにはその悩みが何であるのかはわかりませんし、レイジさんがぼくを頼るとも思えませんが、ぼくは先輩たちが悩んでいるのを見ているだけなのは嫌なんです。それはぼくのワガママですが、そのワガママを許してもらえるなら話をしてもらえませんか? 他人に話を聞いてもらうだけで気持ちが楽になるともいいますから」
レイジは自分の悩みが修にも影響していると知り、ますます落ち込んでしまう。
(不甲斐ないな、俺は。…でも考えてみれば俺は旧ボーダー時代からの戦闘員の生き残りで、周りからいろいろと頼りにされることが多かった。だから玉狛支部で
レイジにリーダーとしての資質があるかどうかなど誰にもわからない。
そもそも正解と呼べる答えなどなく、彼を囲む仲間たちが彼をリーダーと認めるならそれで十分だ。
問題があるとすればそれは自分ひとりで解決できない悩みを抱えているならば誰にも悟られないように隠し通して平然としているか、恥も外聞も気にせず相談をしてスッキリをすべきなのにどちらもできないこと。
イライラして他人に当たり、トラブルを生じてしまっただけでなく、修という無関係な後輩たちにも心配をかけてしまったことが事態を悪化させていて、それでもまだウジウジしていることである。
まだ態度をはっきりとさせることのできないレイジに修が再度言う。
「ぼくにはレイジさんの悩みを相談するだけの価値はありませんか? たしかにぼくはレイジさんに比べると人生経験は少ないですし、気の利いたことも言えない人間です。でもひとつだけ自信があるのは自分のことは顧みずに他人のこととなると突っ走ってしまうという点で面倒見の鬼なんて言われていることです。それじゃダメですか?」
修の性格や行動についてはレイジもそばでずっと見守っていたから良く知っている。
「自分が『そうするべき』と思ったことから一度でも逃げてしまえば、本当に戦わなければいけない時にも逃げるようになる」と言って無謀な戦いにも挑むくらいで、大規模侵攻ではレイジに千佳を「死ぬ気で守れ」と言われて本当に死にかけてまで守ろうとしたくらい真っ直ぐな人間だ。
(だから今の修が俺のために相談に乗ろうとしていることが『そうするべき』ことだと信じていて、納得するまでは絶対に引き下がることはないだろう)
レイジは意を決して告白した。
今のボーダー隊員でいる生活に不満はなくむしろ充実してはいるものの、父親と同じレスキュー隊員になりたいという気持ちが今でも熾火のように心の奥底で燻り続けており、タイムリミットのことを考えるとそろそろボーダーを辞めて消防士になるための試験を受けなければいけないと考えている。
しかし自分がボーダーを辞めることは自分だけの問題ではなく、玉狛第1の解散によって小南と京介に影響を与えることになるので言い出せずにいたのだと話すと修は即答した。
「レイジさんの人生なんだからやりたいようにするのが一番だと思います。ボーダーを辞めることになるのは残念ですけど、ずっと答えは出ていていつ言い出そうか悩んでいただけなんですよね? だったら今がそのタイミングなんですよ、きっと」
「だが小南や京介を捨てるような形で去ることになる。あいつらならソロでも十分やっていけるだろうし、本部の連中の
「小南先輩たちが恨むはずありません。レイジさんがやりたいことを我慢して自分たちの隊長でいるよりは、夢を叶えるために旅立つのならそっちに賛同しますよ。そして寂しくても笑顔で送り出してくれるはずです。だって今生の別れというのではなく、いつでも会える場所にいるんですから」
「そうだろうか?」
「もちろんです。むしろ何でもっと早く言ってくれなかったのかって責められるかもしれませんよ」
「そうかもしれないな。…俺はボーダーを辞めることをネガティブなものと捉えていた。だが一生ボーダーにいることができない以上はいつかそれぞれが別の道を歩むことになる。実際に仲間の何人かはボーダーを辞めて別の人生を始めている。そいつらのことを逃げたなどとは思わない。それなのに自分のことは逃げ出すのだと考えてしまった。バカだな、俺は。それに気付かせてくれたおまえに感謝する、修」
レイジの顔に笑顔が戻り、修は自分が彼のために役立ったことが嬉しくなった。
そこでツグミに言われたように小南のことを話題にすることにした。
「お礼なんていいんです。ぼくはこれまでレイジさんにたくさんの恩があります。それを少しでも返したいと思っていたので、むしろぼくの方がお礼を言いたいくらいです。…ところでふと思ったんですが、小南先輩はなんでトリオン器官がストレスを受けて能力が減退するなんていう烏丸先輩の嘘にあんなに反応したんでしょうかね? 」
「そう言えばそうだな。京介の嘘に騙されるのはいつものことだが、嘘とわかってからの反応が尋常ではなかった。俺だって小南の態度にカチンときたからあんなことを言ってしまったわけだが、このまま放置していてはいけないことはわかっている。解決するのは俺の責任だ。俺が小南に話をしてみる。心の問題なら俺よりも同性のツグミか雨取に頼んだ方がいいのかもしれないが、あの時みたいな人任せにして逃げるようなことは二度としたくない」
「あの時」とは千佳の人を撃てないという悩みを知っていて何もしなかったことを言っている。
レイジは時間が解決してくれるだろうと適切なメンタルケアをせず傍観していただけで、千佳がようやく苦しい心の内を告白してそれを認めてやるだけで済ませてしまった。
撃てないことを肯定するのであればこれまで何もしなかった時と同じで、人を撃てないことは人間として当然のことだと言うのなら逆に人を撃てるようになった
たしかに誰でもすぐに人を撃てるようになったわけではなく努力の結果であり、千佳が努力をしたとしても人を撃てない以上は遠征参加にストップをかけるのが師匠としての役目であったはずなのだ。
人型
旧ボーダー時代の遠征であれば
ところが命を失う戦闘が遠い昔のことになったものだから彼も戦うことへの覚悟が甘いものになってしまっていたのだった。
「人を撃てない」という理由で鳩原が遠征に参加できなくなったことも城戸たち旧ボーダー時代の大人たちの判断として適切なものであった。
レイジも目の前で死んでいく仲間の姿が目に焼き付いていたならば絶対に千佳を遠征に参加させないと反対しただろう。
もしくはどんな状況でも冷静に狙撃できるよう育て上げたはずだ。
ところがレイジに限らず小南や迅も千佳の遠征参加を反対はしていない。
それは例の遠征の後にこの3人は城戸によって記憶の操作が行われており、仲間を助けようとして命を散らしていったメンバーの断末魔の声や四肢が千切れて血まみれになっている光景、むっとする鮮血の臭いなどトラウマになる原因をすべて取り除かれてしまっていた。
戦闘中は悲惨であったが、帰国途上の遠征艇の中でも別の意味で目も当てられない状態であった。
食べ物はすべて血の臭いがし、目を瞑れば仲間の手足が千切れてえぐられた腹から内臓が飛び出している様子が瞼の裏に浮かんでしまう。
城戸たち大人組はなんとか我慢できたのだが、レイジたち子供組にとっては精神的に耐えられなかったようだ。
せっかく生き残ったというのに食事も睡眠もとることができずにいればいずれ衰弱死してしまう。
そこで帰国するとすぐに記憶の操作を行ったのだった。
おかげで迅は自分の目の前で瀕死の最上が
レイジと小南も自分たちを助けようとして敵の攻撃の盾となった仲間の最期を見ていたがその悲壮な姿を覚えてはいない。
だから遠征で多くの仲間を失ったことは事実として記憶にあるものの、その時の悲劇は具体的に思い出すことはできない。
そのせいで今も普通にボーダー隊員を続けていられるとも言えるわけだが、大事なことも記憶からすっぽり抜け落ちてしまっているのだ。
戦争で戦えば人は死ぬのだと頭ではわかっていてもその悲惨さを想像することができないから、レイジと小南と迅の3人は千佳のアフトクラトル遠征を反対することはなかった。
しかしツグミは違っていた。
例の遠征に参加しておらず、第一次
換装が解けてしまった状態で戦場に取り残され、死に直面した時の恐怖もはっきりと覚えている。
だから
B級ランク戦に参加して
千佳に対して執拗かと思えるほど人を撃つ覚悟を強いたのも、自分が撃たなかったせいで仲間が死ぬという可能性があることを叩き込むためで、自分が生きて帰るために絶対にも必要な覚悟なのだと教え込んだ。
それでもまだ不十分な状態で遠征参加が確定したことで、ツグミは可能な限り遠征部隊が大規模な戦闘に巻き込まれないような作戦を立て、拉致されたC級隊員の居場所を確定するなどの危険な潜入調査を自ら引き受けたのだ。
それらのツグミの血の滲むような努力をレイジはずっと見ていた。
だから自分が師匠 ── 人を導く役目を引き受けたにも関わらず
それを繰り返したくはないと考えて、自分で小南の問題に向かい合おうとしているのだった。
「小南先輩のこと、よろしくお願いします。ぼくは烏丸先輩に用があるのでこれで失礼します」
修はそう言ってレイジの居室を出て行った。