ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
オルフェオの使者からの伝言でツグミと迅は指示された軍の練兵場に向かった。
広い練兵場のどこに行けばいいのかは知らされておらず、使者の「行けばわかる」というメッセージを頼りに歩いているとその言葉の意味がすぐにわかった。
軍の敷地の約4分の1が司令部や兵士たちの宿舎などの建物が建っている部分だが残りの4分の3は平坦な空き地となっていて、その空き地にトリガー使い及び一般兵が戦闘訓練を行う練兵場と「畑」がある。
畑では軍で使用する野菜や穀物などが栽培されていて、その世話は一般兵の仕事となっている。
アウデーンスは専守防衛の国で他国に侵攻することはないため軍事訓練は原則として都市防衛のみであるから、毎日朝から夜まで訓練に明け暮れるということはない。
兵士たちの勤務時間の大部分が農作業を行うことになっていて、この時間は全員で畑エリアに行っているようであった。
そのため練兵所には人の影はなく、どこに行けばいいのかと辺りを見回す必要もなかったのだ。
「お~い、こっちだ~!」
ツグミが声のした方に視線を向けると、200メートルほど離れた場所からオルフェオが大きく手を振りながら叫んでいた。
一国の王としては子供っぽい態度だが、他国の人間にも飾らない
もちろんそれは友愛の意味の好感なのだが、迅には頭で理解していても納得はできない。
ツグミも同様に手を振って返事をしているので、その様子は恋人同士がデートの待ち合わせをしていたかのようにも見えてしまうため、迅はその苦々しい顔をツグミに悟られないよう横を向いてしまった。
オルフェオのそばには2匹…と言うか2機と呼ぶべきかわからないが、例の飛行型トリオン兵 ── 名称は「ペテスタイ」だとオルフェオが教えてくれた ── が置かれている。
それはこれに分乗して王都から離れた場所へ行くというという意味で、荷物置き場にはオルフェオが使っている機材やその他の荷物が載せられたいた。
従者や護衛官がいないようなので、ツグミはオルフェオに訊いてみた。
「陛下おひとりですか?」
「ああ、そうだよ」
「護衛の方がいないと不用心ではありませんか?」
「ハハハ…この国に私に仇なすような人間はいないよ。それにこれでも私はこの国でも五指に入るトリガー使いで、敵対する輩が立ち塞がったのならこの私が全力で排除する」
「それでも万が一ということもあります」
「その時はその時だよ。それが私の運命だったということ。それに巫女と違って王が死んだとしても国は続く。新しい王なんてものはすぐに見付かる。それに比べて巫女はそうはいかない。巫女になれる資格を持つ女性は限られている。だから歴代の巫女は神殿の奥深くで大切に
「……」
「そんなことよりも今日はこんなに天気が良いんだから早く出かけよう。私はこちらに乗るから、きみたちはそちらに乗ってくれ。ああ、操縦は非常に簡単だ。操縦席に座ればあとは操縦者の意思が自動的に伝わるようになっている。物は試しだ、少し動かしてみるといい」
迅はオルフェオに言われたようにペテスタイの操縦席に座った。
すると前面のコンソールパネルからレプリカの測定索のようのものが2本伸びてきて迅の両手首に巻き付く。
これで操縦者の思考を読み取り、その意思どおりに動くというものなのだろう。
(飛べ)
迅が頭の中で飛ぶイメージを思い浮かべるとペテスタイはヘリコプターのように助走なしで浮かび上がる。
(高度は5メートル、速度は時速4キロメートル、前へ進め)
すると5メートルの高さまで上昇し、その高度を維持して人間の歩く速度くらいのゆっくりとしたスピードで前へ進む。
(速度を時速10キロメートルへ変更。200メートル進んだところでUターンをして元の位置で着陸しろ)
迅の操縦するペテスタイは徐々に速度を上げ、200メートル進むとくるりと向きを変えて戻って来て、元の位置に来ると静かに着陸した。
「これはいい。振動がなくて静かだし、難しい操作をせずに頭で思い描くだけで簡単に操縦できる。ツグミ、おまえも乗ってみろ」
そう言って迅はツグミに手を伸ばしてペテスタイの後部座席に引っ張り上げる。
後部座席は普通の椅子で、ツグミはそこに腰掛けた。
「ツグミ、ちょっと飛んでみるぞ」
迅はそう言ってさっきと同じように練兵場の上を飛び回った。
その乗り心地は遊園地のアトラクションのようで、ツグミには怖いというよりも楽しいという気持ちの方が大きかった。
(これ、
空を飛びながらそんなことを考えるツグミ。
オルフェオはツグミたちが飛ぶ様子を楽しそうに見ていて、適当なところで声をかけた。
「操縦に問題がないようだからそろそろ出発しよう。私の後に付いて来てくれ」
そう言ってオルフェオは自分専用のペテスタイの操縦席に乗り込むと発進させた。
そして南東に進路をとり、王都を出ると果てしなく広がる畑の上空を飛んで行くのだった。
◆
王都から10キロほど離れたのは広さが1万平方メートル以上もあるジャガイモ畑で、ちょうど収穫期を迎えていたことで7-8人の農夫が作業を行っている様子が上空から確認できた。
彼らの邪魔をしないように少し離れた場所にペテスタイを下し、そこから徒歩でひとりの若い農夫に近付いて行った。
するとオルフェオの顔を見て驚くものの、ニコニコしながら親しげに言う。
「国王陛下、お久しぶりです。春に陛下のご指示で植え付けをしたジャガイモがこうしてたくさん実りました。また来年の植え付けについてご指導ください」
「ああ。わかっている。だからこうして土の様子を調べに来たんだ。来年はジャガイモではない別の作物を栽培しないといけないからね。近いうちに収穫したジャガイモを取りに来させるから、その時に来年の作物について何を栽培するか指示しよう」
「はい、ぜひお願いします。じゃあ、作業に戻ります」
若い農夫は一礼をしてから作業に戻った。
その様子を見ていたツグミが言う。
「国民から慕われているんですね。それに農業指導もしていらっしゃるようですけど、そちらの分野に詳しいんですか?」
「いいや、そんなことはないんだが、同じ作物をずっと続けて栽培していると収穫量が減るという事実があって、いろいろと調べていたら1年から3年ごとに別の種類の作物を植えると良いということがわかったんだ。なぜそうなるのかという理由はわからないが、違う作物を植えると良いというのなら全体のバランスを考えてこの地域一帯の作物の栽培計画を考えて、その計画どおりに栽培してもらうことにしている。そのおかげなのか私が王位に就いてからは収穫量がだいぶ増えてきていて、味も良くなってきていることがわかっている」
同じ場所で同じ種類の作物(ナス科、ウリ科等)を植え続けると病害虫の被害を大きく受けたり収穫量が減っていくなどの問題が生じてしまうことを「連作障害」と呼ぶ。
そしてどうしたらいいのか試行錯誤した結果、同じ作物を続けて同じ土地で栽培しなければいいという結果に達したようだ。
連作障害の起きる作物の栽培に関しては個人の判断ではなく計画的に生産を行うために政府が管理をしているのだとオルフェオは説明してくれた。
オルフェオは連作障害を防ぐための方法のひとつである「輪作」に
そんな彼にツグミは土壌改良のためにシロツメクサを植えて育ったら一緒に畑の土を耕す時に混ぜると良いという方法があることを教えた。
現にキオンとエウクラートンではすでに行っていて、その後の作物の収穫量が増えている事実があることを話すと乗り気になり、王城に戻ったらもっと詳しい話を聞きたいとまで言い出す始末。
オルフェオに言わせると王城の中で政治をやるよりも外に出て畑を耕したり森で狩りをする方が性に合っているとのことで、王城の中庭の一角に彼の趣味で作った畑があるそうだ。
そこにシロツメクサの種 ── ツグミは
今回のオルフェオの調査とは作物栽培が終わった、つまり収穫時の畑のトリオン量の測定である。
つまり年1回だけ堆肥や農薬代わりのトリオンを撒いて、それ以外はノータッチなのだそうだ。
ゆえに最初と最後に土壌のトリオンの量を測定して、次の年に必要なトリオン量を決めるということで、それを国王が自ら
農業主体の国だから力を入れるのは当然だが、国家元首自ら行うという点でその本気度がわかるというもの。
もっとも他の分野の仕事は政庁でそれぞれの担当者がやってくれて、その承認をするだけだから大して時間を取られることはない。
それは部下のことを信頼して任せていると言えるのだが、ツグミには宰相のトールが不在がちの国王の代理で決済をしている姿が目に浮かんできて苦笑するしかなかった。
ツグミと迅も手伝って土壌の調査を行う。
土中のトリオン量だけでなく窒素やリン、カリウムなどの微量元素の測定も行い、その結果と測定方法をオルフェオに教えることにした。
作物栽培においてこれらの元素は欠かせないもので、連作障害もこれらの元素の欠乏が原因のひとつであることを知っておいてもらう必要があると判断したからだ。
オルフェオも自分が時間をかけて調べ上げたことが
農夫たちが休憩をするタイミングでツグミたちも昼食を取ることにした。
丘の上にある大きなカシワの木の木陰でツグミの作った弁当を開く。
メニューはおにぎり3種という簡単なものだが、具は彼女の手の凝ったものが入っている。
「これは…? 見たことのない食べ物なのだが、これは何なんだい?」
オルフェオがツグミに訊く。
「おにぎりという
ツグミが説明するとオルフェオはネギ味噌入りのおにぎりにかぶりついた。
「…!」
言葉にはならないがその表情から「美味い」ということはわかる。
そしてゆっくりとひと口ひと口を大事に味わうように咀嚼し、全部食べてしまうとこれ以上ないという幸せそうな顔で言った。
「…美味い。私はこれまでにこれほど美味いものを食べたことはない…というのは大げさだが、異世界の料理にこれほど感銘を受けるとは思ってもいなかった」
「お気に召していただけたようで作ったわたしも大満足です。今朝はあまり時間がなかったことと用意できる材料が少なかったことでこれくらいしかできませんでしたが、再びこの国を訪問することになりましたらその時には
「ああ、ぜひ頼む」
和やかな雰囲気でのランチタイムが終わると次の場所に移動して午前中と同様な土壌の調査を行った。
そして太陽が西に大きく傾いた頃に3人は王城へと帰還したのだった。
◆◆◆
その頃王都にある政庁では修とトールが拉致被害者市民の帰国に関する事務手続きと事前交渉が行われていた。
トール自身が拉致被害者市民であるというのにオルフェオは彼に任せている。
それはトールがアウデーンスに不利益とならない判断を下すと信じているからで、トールも自分を重用してくれたオルフェオを裏切るようなことはしたくないと考えている。
だからオルフェオは責任は自分が取るという条件で面倒なことはトールに全部任せたのだった。
修はツグミのサポートを続けていたからどんなことをすればいいのかはわかっているのだが自分でやるのは初めてである。
緊張しながらも相手が同じ
オルフェオが交渉の窓口にトールを指名したのは宰相であるというだけでなく同胞であるという安心感を与えるためであったに違いない。
そして午後には拉致被害者市民全員が政庁の会議室に集められ、そこでボーダーという組織の説明をしてから迎えに来たのだと話すと涙を流しながら喜ぶ女性の姿が見られた。
アウデーンスでの暮らしは楽ではないもののオルフェオが手厚く面倒を見てくれたこともあって辛くはなかった。
しかしずっと故郷に帰りたいという気持ちはあっていつか帰れる日が来ることを信じて待っていたのだから感無量で涙をこぼしてしまうのは無理もない。
そしてトールを含めた拉致被害者市民全員の面接をして、彼らから帰国もしくは一時帰国の希望を調査する。
その時に修は辛い仕事をしなければならない。
37人のうち4人には家族に犠牲者がいること、そしてひとりの女性には三門市で待つ家族がいないことを伝えなければならないのだ。
喜んでいる彼らに絶望を与えることになるわけだが、遠征の責任者として避けては通れない道である。
ツグミが他の国で行ってきた姿を修はそばで見ていてその辛さは知っているが、その辛さも含めて自分が遠征の責任者になると決めたのだった。
家族が犠牲となった4人にその事実を説明し、最後に本人以外家族が全員死亡したという現実を伝えなければならない順番が来た。
(名前は鮎川みすずさん、年齢は拉致された時が14歳で今は21歳か…。当時は両親と兄の4人構成で、本人以外は全員遺体が発見されて三門市外に住んでいる親戚が本人確認をしたってことになっている。せっかく帰れるとわかっても待っていてくれるはずの家族が知れば辛くて耐えられないんじゃないかな…)
それでも事実を隠し通せるものではなく、修は覚悟を決めてみすずを部屋の中に呼び入れた。
「鮎川みすずさん、お入りください」
するとすぐにみすずが中へ入って来た。
食料事情が良いためなのはもちろんのことだが、オルフェオが自国民として手厚く保護しているからだ。
「こちらにお掛けください」
修は机を挟んだ向かい側の席をみすずに勧めた。
「鮎川みすずさん、本人確認をさせてください。三門市に住んでいた時の住所、誕生日、エクトスにさらわれた時の年齢と現在の年齢をお願いします」
「はい。住所は三門市緑が丘町×-×-×、誕生日は19XX年12月8日、14歳で拉致されて今は21歳です」
「ありがとうございます。本人確認はこれで結構です。ではあなたのご家族のことについてですが ──」
修が説明しようとするとみすずはそれを遮った。
「知っています」
「え?」
「…あの日、わたしは両親と兄と一緒に東三門にあるレストランで食事をすることになっていました。両親の結婚記念日を祝うためで、兄がアルバイトで稼いだお金で招待をするってサプライズでした。ですがそれがアダとなってしまいました。突然現れたトリオン兵はわたしたち家族を襲い、わたし守ろうとして父、母、そして兄の順でトリオン兵に殺されていくのをこの目で見ています」
「……」
「最後に兄がわたしに『逃げろ』と叫んだのを聞いて、その直後にわたしはトリオン兵に食われてしまいました。その瞬間わたしも死んだと思ったんですが、恐いとは感じませんでした。これで両親と兄と一緒に天国に行けるのだと思うとなぜか安心してしまったんです。ところが気が付いた時には
「そうでしたか…。では補足だけさせてもらいます。鮎川さんのご両親とお兄さんのご遺体は行政で回収し、七尾市に住む親戚の方が本人確認をしてご遺体を引き取り三門市にある公営墓地に埋葬したということです。だから三門市に戻ればお墓参りはできますし、三門市で暮らすのであれば行政とボーダーから補償金が支給されて ──」
「わたしはこの国で生きていきます。なにしろこの国で新しい家族ができましたから、彼らを残して三門市に帰ることはできません。もちろん一度は戻ってお墓参りはしますが、それが済んだらすぐにアウデーンスに
みすずにとっての故郷はアウデーンスとなっていたのだ。
修は彼女に深く頭を下げて言った。
「ありがとうございます。説明は以上です。帰国の日程等詳しいことはまだ決まっていませんが、近いうちに三門市へお送りすることになるでしょうから準備をしておいてください。また新しいご家族にもお伝えください」
「わかりました。ではこれで失礼いたします」
みすずはそう言って部屋を出て行った。
これで修にとって最も気が重い仕事は終わったわけだが、彼女の生きる力強さに救われたような気がした。
(目の前で家族を殺されて
ここで重荷を下せたことで気が楽になり、修はひと休みしてから次の人との面接を行うことにした。