ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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608話

 

 

「ところで今の三門市はどんな様子なんだい? 私も久々に里帰りするわけだが、その前にいくつか知っておきたいことがあるんだよ」

 

食後のお茶を飲みながらトールがツグミたちに言う。

 

「三門市での滞在が5日、最長でも1週間までということだから、その短い時間を効率良く使いたい。そのためには予習をしておいた方がいいと思ってね」

 

「それはアウデーンスの宰相としてこの国のために役立てたいということでしょうか?」

 

ツグミが訊くとトールは頷いた。

 

「そうだ。私が近界(ネイバーフッド)で感じたことは日常生活のレベルが玄界(ミデン)と比べて100年以上も遅れていて、ものによっては数百年以上遅れているものもある。特に政治形態は中世の封建制そのもので、国王を頂点とした貴族連中があらゆるものを支配していて平民が虐げられているというのが当たり前だというのだから、私たちのような()()()玄界(ミデン)の人間からすると不自由極まりない。かと思うとトリガーの技術に関しては非常に進んでいて、それを日常生活の向上に向ければ素晴らしい国になりそうなものなのだが、ほとんどの国は武器や兵器の開発に熱心で戦争ばかりしている状況だ。あらゆるものにトリオンが使われているのだから常にトリオン不足で喘いでいて、トリオンを生み出す人間の数が増えないのだから奪えばいいという考えが蔓延っているからだ。この国でもかつてはそうだったと国王陛下から聞かされた。陛下の父君、つまり先代の王は国民に犠牲を強いることは間違っていると考え、クーデターを起こして当時の愚王を追放して自らがその座に就いたのだ」

 

「クーデターのお話は陛下から聞いています。巫女が自ら命を絶ち、(マザー)トリガーを操作する人がいなくなったために国内が大混乱になったそうですね。その時に当時外務大臣だった陛下の父君が正しい判断をしたことで、この国と国民は命を繋ぐことができたのだと。陛下の母君が巫女としての力があったということで、一度は滅びかけた国を10年近くかけて復興したのが今のアウデーンスだと教えてもらいました」

 

「陛下がきみに…。よほどきみのことを気に入ったのだろうな。陛下はこの国のためであれば自らの手を汚すことも良しとし、あらゆるものを利用しようとする人間だ。こんなことを言うと誤解をされそうだが、きみにならわかってもらえると思う。きみと話をした陛下自身が自分ときみは似ているところがあると言っていたからな」

 

「はい。利用するという言い方は良い印象を与えませんが、お互いに相手の力を借りて双方が得になるというのですから()()()()()()()()()のであれば何の問題もありません。むしろ積極的にお互いに自分の利益になることと提供できることをさらけ出し、納得いくまで話し合うべきだとわたしは考えます。それに陛下がわたしたちボーダーを徹底的に利用しようとするのなら、こちらも陛下の持つ()をとことんまで利用させていただきます」

 

「win-winというわけだな」

 

「そのとおりです。ですからこちらはアウデーンス側に可能な限りの支援をすることで()()()()()()()()18人を三門市へ連れ帰るのですから、それだけの代価を支払う覚悟はできています。それなら陛下もアウデーンスのみなさんも納得してもらえるはずです。それでいずれお互いが自由に行き来できるようになればアウデーンスに残ると決めた拉致被害者の方々も満足するはず。みんなが幸せになれる方法は必ずあるはずなので、それを模索するためにはお互いの理解が不可欠です。トールさんに伝えれば陛下にも正しく伝わるわけですから、こちらはどんな質問にでもお答えします。ただしボーダーという組織に関することとなるとわたしにはお答えできない部分もありますが、それについてはご勘弁くださいませ」

 

「わかっている。どこにも企業秘密というものはあるのだし、近界民(ネイバー)と戦う組織となればあらゆる技術はトップシークレットだろうし、公にはできないような後ろ暗いところもあるだろうからね。答えられないことを無理に訊こうとはしないさ」

 

「ご理解いただきありがとうございます」

 

こうしてツグミはトールの質問に答えるように現在の三門市の様子を伝えた。

第一次近界民(ネイバー)侵攻によって三門市が大きく様変わりしてしまったことからボーダーが近界民(ネイバー)による侵攻から市民を守っていること、そして現在では近界民(ネイバー)との共存やトリガーの民間での活用について模索されていることなどトールは頷きながら訊いていて、気になることがあると詳しい説明を求めた。

個人の興味というものではなく、一国の宰相としてアウデーンス国民のために役立つ情報であると考えているからである。

それは彼がもう三門市民ではなくアウデーンス国民であるという間違いない証拠だ。

しかし彼には三門市に両親がいる。

親しい友人だっているはずなのに事前の調査で彼はアウデーンスで暮らすことを望んでいて、両親を説得して納得したらふたりをアウデーンスへ連れて行って一緒に暮らしたいということであった。

近界民(ネイバー)の家族と三門市で暮らしたいという希望は今までにもあったが、三門市で暮らしている家族を近界(ネイバーフッド)へ連れて行きたいというケースは今回が初めてである。

それが意味するものはアウデーンスという国がとても暮らしやすい場所であるということ。

多少不便なことはあってもそれ以上に「住みたい」という魅力があるのは間違いなく、それは彼以外の拉致被害者市民の中にも同様に考えている人が何人もいる。

そして拉致被害者市民救出計画の一連の取引が終了してもボーダーとの縁が切れることがないという確信を持っていて、アウデーンスで生きることが三門市という故郷を捨てることにはならないで済むという安心感からの決断なのだ。

ボーダーの仕事は第一次近界民(ネイバー)侵攻で拉致された約400人の三門市民を帰国させることであったが、近界(ネイバーフッド)に残りたいという人間を無理やり連れ戻すことはしない。

一時帰国でも三門市に連れ帰ったのちに本人の意思で近界(ネイバーフッド)に戻るというのなら無関係な市民や外野の人間たちもボーダーに対して文句は言えず、近界(ネイバーフッド)に戻る元三門市民に対して相応の補償をすれば済むことだ。

総合外交政策局にとってもそれはありがたいことで、近界民(ネイバー)と共存したいと考える人間が増えることは今後の仕事がやりやすくなるというものであるからトールのような人間はむしろ大歓迎なのである。

同盟国間ではそれぞれの国の人間が自由に行き来できるシステムを構築したいとツグミは考えている。

地球上の国々を民間人が観光や仕事で行き来しているのと同じように適切な出入国管理を行い、玄界(ミデン)へやって来る近界民(ネイバー)()()()()()()()()()()()()()()であるとなれば受け入れる側の玄界(ミデン)の人間も安心できるはずだ。

経済活動もこれまではエクトスのような交易を専門に行っている国が各国を回って取引をしているだけだが、同盟国間をお互いに行き来するようになれば自国の特産品を売り込むことも容易になるし、欲しいものがあれば直接その国へ行って買い付けすることもできるようになる。

さらに人的交流が増えれば「混血」が増えることになり、遺伝的な多様性という面ではメリットになりうる。

人口が数万から数十万という国が多い近界(ネイバーフッド)では玄界(ミデン)に例えると市町村単位の中だけで婚姻が繰り返されているといえる。

したがって近界(ネイバーフッド)の国はそれぞれ単一民族の国家とも言えるわけで、それが人口の増えない理由のひとつになっている可能性もある。

またリコフォスでは麻疹(はしか)によって全国民約32万人のうち4割近くの国民の命が失われたという悲劇があったばかりだが、このウィルスが特定の遺伝子に甚大な被害を与えるもので、リコフォス国民の持つ遺伝子がそれに合致してしまったのではないかと考えられる。

仮にそうだったとしたら遺伝子の多様性は重要なことなのだ。

人々の交流は今後重要なものとなっていくのだが、そのためには目的地まで安心して行くことができる手段が必要で、まずは戦争をなくすことから始めなければならず、ツグミの壮大な構想が実現するまで彼女はボーダーにいることができない。

残り1年では種を蒔くことくらいしかできず、あとは修たちがどう花を咲かせてくれるのかを見守るだけ。

自分のことよりもボーダーの仕事や近界民(ネイバー)との交流に夢中になるのは無理もない。

迅をはじめとした周囲の人間も当初はツグミに自分の身体を労わるよう忠告したものだが、今ではもう何も言わなくなっていた。

誰も彼女を止めることなどできないのだ。

もし彼女に無限の時間があったなら、ずっとボーダーにいて近界(ネイバーフッド)玄界(ミデン)の交流のために働くことができただろう。

しかし本人は時間がないことを残念だとは考えていない。

短い時間であってもできることを精一杯やることで後悔はないと言えるからで、トールのような同志を得たという感触を得た瞬間が彼女にとって無上の喜びなのであった。

多くの国にボーダーの味方がいれば近界(ネイバーフッド)を旅する時にも安全が確保され、修たちを安心して送り出せるというもの。

自分の夢を託す後輩たちを危険な目に遭わせるわけにはいかないと考えて、ツグミは「今」を未来に繋げようとしているのだ。

 

 

「それはそうと三門市はトリガー特区として近界(ネイバーフッド)の技術や知識を導入しているということだが、問題は起きていないのかい?」

 

ひと通り話が終わったところでトールがツグミに訊く。

 

「今のところは別段ありません。先ほどもお話ししたようにトリガーを使用しているのはスマートシティ建設現場のみで、使用者は身元がしっかりしている人間を選び、本人以外には起動できないようプログラミングしてあります。敷地内から外に持ち出すことは不可能で、万が一持ち出したとしてもエリア外では起動できないどころか機密保持のためにボーダー本部基地から操作してトリガーを破壊するシステムになっています。さらにGPSで追跡して犯人のアジトを割り出すこともできます。ですのでトリガーを盗もうとしても警戒が厳しいですので不可能でしょう。…ですがトリガーの技術を軍事に使用しようとする輩がいるのは事実です。以前にも防衛隊員と技術者(エンジニア)を拉致してトリガーと一緒に国外へ連れ出そうとした事件がありましたが、幸い怪我人も出ずに事件は解決しました。今後三門市では民間人によるトリガーの使用は増えるでしょう。生身の身体をトリオン体に換装するだけでほぼ無敵な状態になりますからね。それだけでも戦争をしたい人間にとって『不死の兵士』を手に入れられるのですから喉から手が出るほど欲しいはず。そのために人に危害を加えることなど厭わない連中は世に腐るほどいます。ボーダー(わたしたち)は敵性近界民(ネイバー)だけではなくそういった輩から平和を守るために戦うことも使命であると考えています」

 

「なるほど…そこまで考えているのならこちらから提供できるものとしてトリガーの技術も選択肢のひとつにできるな」

 

「え?」

 

「拉致被害者市民18人を返すということは彼らを購入した代価をボーダーに支払ってもらうことで帳消しになるが、今度はアウデーンスが同盟に加えてもらうためにこちらから提供できるものが必要となる。この国にはキオンのように他国への威嚇となる軍事力はないし、特産品といったものもない。提供できるのは他国にはないトリガーの技術くらいだ。トリオン兵を騎乗用にしたり農耕用にするという国は近界(ネイバーフッド)の多くで見られるが、この国のペテスタイのように飛行型のトリオン兵は珍しいはず。陛下はボーダーが平和的利用をするならその技術を提供したいと考えているんだ。私たちのように玄界(ミデン)で生まれ育った人間なら移動手段として空を飛ぶことを当たり前のように考えているが、近界民(ネイバー)にはそういった考えはない。戦争で上空から偵察をしたり爆撃をするということはあっても空を飛んで移動をするということは考えもしないらしい。あのペテスタイも私が陛下に提案したもので、この国には友好国のトロポイの技術もあるから他所の国とは少し違うトリガーやトリオン兵の使い方をしているんだよ」

 

「トロポイですって!?」

 

ツグミは聞いたことのある国名がトールの口から出たことで驚いてしまう。

当然その場にいる修や遊真にとっても馴染みのある国名なので3人で顔を見合わせてしまった。

 

「きみたちはトロポイのことを知っているのか?」

 

ツグミたちの反応に驚くトールが訊く。

 

「ええ。トロポイとはわたしやユーマくんの父親と縁があって、同盟国ではありませんがいろいろと便宜を図ってもらっています。国王のエルヴィン陛下や技術者(エンジニア)のトリュスさんとは個人的にも親しくしていただいていています」

 

「エルヴィン陛下とも知り合いだとは驚きだな。あの国は徹底した秘密主義の国で、余程信頼できる相手でなければその存在自体も明らかにしないのだが…。つまりきみたちにはそれだけの()()があるということなのだな。これでますますボーダー(きみたち)とは長い付き合いをしたくなってきたぞ」

 

「でもアウデーンスがトロポイと親密な関係にあるというのなら、アウデーンスの技術にはトロポイ由来のものがあって、それを他国に提供するとなれば間接的にトロポイの技術を第三国に漏らしていることになりませんか? トロポイは愚かな戦争を放棄してそれまでの軍事技術を封印してしまったくらいで、他国にその技術が流れ出ないようにと鎖国のようなことをしているくらいですから」

 

ツグミがそう反論すると、トールは微笑みながら頷いた。

 

「そこまで知っているのならトロポイ…エルヴィン陛下がきみたちのことを信頼しているのだということがわかる。トロポイは謎に包まれた国だ。古い人間にはトロポイの名を知っていてもその正体を知っている者は今となっては皆無だ。私はきみたちのようにトロポイのことを知っているとなれば、それはあの国と親しい関係にあるということ。ツグミ、きみが陛下と親しいというのならトロポイ由来の技術を取り入れたトリガーか何かを貰ったんじゃないか?」

 

「はい。詳しいことは約束ですから申し上げられませんが、非常に有用なものを個人的にいただきました」

 

それは遊真のレプリカやツグミのジュニアのことなのだが、その存在は内緒にしておくという約束になっているので言うことはできない。

 

「そうか…。そのことを陛下にお伝えしよう。そうすれば陛下が良いように取り計らってくださるはずだ。先王陛下とエルヴィン陛下は親友だということだから、先王陛下にもお伝えしてくれると思う。そうなったら先王陛下がきみたちに会いたがるかもしれないな」

 

「先王陛下がわたしたちに、ですか…。恐れ多いことですけどお望みであれば喜んで謁見の名誉を賜ります」

 

修と遊真は困惑気味の顔だが、ツグミは余裕の表情だ。

 

「さて、もっと話をしたいところだがまもなく午後の執務の時間になるので政庁へ戻らなければならない。この国では昼休みが2時間もあって、それでいて残業は滅多にない。とてもホワイトな職場だよ、この国の政庁は。きみたちは急ぎの用がなければ街を散策してから帰るといい」

 

「わかりました。ではまた明日の交渉会議でお会いしましょう。そしてどうもごちそうさまでした。とても美味しい料理でした」

 

「そうだろ。この国の野菜は近界(ネイバーフッド)の国の中でも一番美味いと私は自負しているんだ」

 

トールが自慢げに言うものだから、ツグミは言い返した。

 

「エウクラートンの野菜の方がもっと美味しいですよ。まあ、お互いに身内贔屓なだけなんでしょうけどね」

 

「え? それはどういう意味なんだい?」

 

ツグミは答えずに意味深な笑みを浮かべるだけであった。

 

 

◆◆◆

 

 

トールと別れたツグミたちは特に急ぎの用事がないということで街の散策をすることにした。

どの国でも王都と呼ばれる場所は貴族や特権階級の屋敷が王城に近い場所に集まっていて、城壁に近い外周に庶民の居住エリアがあるものなのだが、アウデーンスでは少し違う。

先王が身分制度を廃止したことで金を持っている連中は祖国を捨てて他所の国へと亡命してしまったので、この街に住むのは王家の人間と一般市民だけだ。

かつて貴族の館として使用していた建物はほとんど取り壊され、一部は公共施設として使用している。

その周りには市民公園としての緑地帯や集合住宅が建ち、さらにその周りに商業エリアがあって、それらの多くがここ10年以内に整備されたものらしい。

その商業エリアを歩いているといたるところから住民の元気で楽しそうな声が聞こえてきて、オルフェオが正しい政を行っていることが実感できる。

 

 

しばらく歩いていると繁華街の近くにある住宅地に民家と比べてずっと大きくて立派な建物が建っていた。

興味を持ったツグミが何人もの男女が出入りしている正面のドアを開けてみると、そこには見覚えのある光景が広がっていた。

 

「いらっしゃいませ~。3名さまですね?」

 

受付カウンターにいた女性は拉致被害者の坂元玲子(さかもとれいこ)で、修の顔を見ると立ち上がって呼びかけた。

 

「…あ、あなたはボーダーの人じゃないですか? どうしてここへ? いえ、どうぞお入りください」

 

玲子はツグミたち3人を受付カウンターの横にある休憩所へと案内した。

 

「あの…確か坂元さんですよね? もしかしたらここで働いているんですか?」

 

修が訊くと玲子は頷いて答えた。

 

「はい。以前は郊外の村で農家の手伝いをしていたんですけど、国王陛下がこの銭湯を建てたことで受付や清掃の仕事をすることになりました。なぜわたしがスカウトされたのかは知りませんが、こういった玄界(ミデン)の施設を模したものを建てたから玄界(ミデン)の人間の方が運営に携わる方がいいと判断したんでしょうね。ちなみに支配人は一緒に三門市から来た福田さんという男性です」

 

話を聞くとこの銭湯はトールの意見を取り入れてオルフェオが自ら指揮して造らせたもので、地下にある水脈の水を(マザー)トリガーから抽出したトリオンで温めたものを汲み上げている「源泉かけ流し」なのだそうだ。

近界民(ネイバー)は風呂に入る習慣はあまりなくシャワーや行水で済ませるのが一般的で、初めの頃は馴染みのない銭湯を使うのは拉致被害者ばかりであったが、その気持ち良さと自身の清潔さを維持するために有用だとわかるとアウデーンスの人間も使うようになったらしい。

営業は午後1時から10時までで、昼休みや仕事終わりに労働者が大勢入浴を楽しみにやって来るという。

ちなみにこの銭湯の建物の隣には洗濯屋があって、入浴した後に汚れた衣類を預けていく労働者もいるそうだ。

どちらも拉致被害者が玄界(ミデン)の文化や習慣を伝えたことで生まれたものである。

 

「せっかくですからみなさんも入っていきませんか? 温泉ではないですけどとても気持ちいいですよ」

 

玲子に誘われて、ツグミたちは入浴していくことにした。

 

 

 

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