ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
第5次拉致被害者市民救出計画アウデーンス遠征の遠征部隊を乗せた遠征艇は三門市へ向けて順調に航行していた。
途中で寄港地のワスターレでワスターレ軍とクピドゥス軍の戦闘に巻き込まれるアクシデントがあったものの大きなトラブルに発展することはなく、その影響で現地での滞在時間が予定よりも十数時間延長してしまっただけで済んだ。
あと10時間ほどで三門市に到着する予定である。
艇の中は三門市の時間に合わせてあるので現在は午後9時。
交代で艇の運行を担当しているゼノン以外のメンバーは自室やミーティングルームで自由時間を過ごしていた。
その中で修は自室 ── レイジと京介の使っていた部屋が空いたので、ひとり部屋として使わせてもらっている ── で黙々と仕事をしていたのだが、ふと思い立って厨房へと向かう。
そしてふたり分のコーヒーを淹れると自室へは戻らずに操縦室へと足を向けた。
「ゼノンさん、修ですけど中へ入っていいですか?」
ドア越しに声をかけるとすぐに返事があった。
「どうぞ」
「失礼します」
修はそう言って操縦室の中へ入る。
艇の操縦のできない修が操縦室へ入ることは滅多になく、ここでゼノンとふたりきりになるのは初めてだった。
「きみがここに来るなんて珍しいな」
「はい。ぼくは艇の操縦はできませんからね。…あの、もしよろしければどうぞ」
そう言って修は紙コップのコーヒーを見せる。
「それはありがたい。いただこう」
修の差し出した紙コップを受け取ると、ゼノンは美味しそうにコーヒーを飲む。
「うん、美味い」
「インスタントですけどね。でもこんなものでさえ
「そうだな。きみが
「それでその両方の世界のことを良く知っているあなたに相談したいことがあります。
「
ゼノンが意外そうな顔で訊く。
「それはそうなんですけど、麟児さんは諜報員といっても工作活動が主な仕事だったことと子供の時に三門市に潜入していたことで
「そういうことか。…それにしても意外だな」
「どういうことですか?」
「きみのことはきみが戦闘員だった頃から見ているが、いつもいっぱいいっぱいで余裕がなかった。目の前のことにしか見えず、大局を見極めることができない人間だった。だから俺にはきみがボーダーで働くことは向いていないと思っていたのだが、ツグミはなぜかいつでもきみのことを気にかけていた。アフト遠征でも当初の計画では本格的な戦闘になる可能性が高かったため、自ら危険な潜入工作を行って城郭都市の外側で戦闘を行うことにした。都市内での戦闘になれば住民に犠牲が出るというもっともな理由を挙げていたが、彼女には住民に被害が出ないように前もって避難をさせるという計画も立てていた。しかし建物の多い場所での戦闘ならワイヤー陣を得意とするきみが最前線へ立つことになり、きみのことだから自分のことは顧みず仲間のために無茶をするだろうと彼女は考えたのだろう。そのおかげで戦闘訓練に専念していた他の戦闘員たちにとっては計画を大きく変更されたことで不満の声が上がったが、結果的にはこれが正解だったと断言できる」
「そうだったんですか…。霧科先輩はそんなことを言ってなかったので知りませんでした」
「別に話す必要もないことだったからな。まあ、アフト遠征に限らずきみが戦闘員として伸び悩んでいることを常に気にしていて、無理をせずに辞めた方が良いと考えながらも彼女がきみに辞めることを勧めなかったのはきみの意思を尊重してのこと。戦闘員ではない道を示し、自ら
「ぼくの視野が広くなってきた? …それはたぶんぼくが自分の才能を認めることができるようになったからだと思います。でもそれは何か結果を出したからというよりも、先輩がぼくのことを信頼していろいろ任せてくれるようになったからです。先輩がぼくを信じてくれるんですから、ぼくがぼく自身を信じなければ前には進めません。以前のラグナ遠征の時だけでなく今回もぼくに全権委任してくれたってことは、ぼくにならできるという先輩からの保証があったからで、そう思うと不安が消し飛んでしまいました。もちろん今回はオルフェオ陛下というVIPをご案内するだけでなく、坂元玲子さんのご両親に引き合わせるという大事な役目もありますから不安がまったくないというわけではありません。でも先輩が『相手が王族であろうと庶民であろうともてなす心があれば大丈夫』だと言ってくれたことで自分に『できる』という暗示をかけました」
「それだけツグミのことを信頼しているってことなんだな?」
「はい。先輩はぼくたちが玉狛第2を結成した時からずっと見守ってくれていました。直接指導をしてもらうことはなかったですが、日常の会話の中などで役立つ知恵を授けてくれたり時には叱咤して厳しく意見もしてくれました。その厳しさが理解できなかった時には反発もしましたが、今となってはすべてぼくの成長のために必要だったと理解でき、先輩が
そう話す修の表情には余裕や自信以外にも「満足」から生まれる笑みがあった。
「それでひとまず今回の遠征に関する報告書の作成や三門市に到着してからの一連の流れの確認など事務的な作業は終わったので、時間に余裕のある今のうちに
「……」
「霧科先輩の仕事を見ていてわかったのは、先輩は相手の
ツグミの考え方や行動が修に十分浸透しているとゼノンは感じていた。
(ツグミは初めからオサムがこうなると推測して教育してきたわけではない。単純に後輩を死なせたくはないという気持ちだけで自分にできることをしてきただけだ。たぶん本人もそう言うだろう。ただその結果が自分の後継者となるに相応しい人物に育ったというだけで、オサム自身が望んでいなければ強制もしなかったはず。あと1年ほどで自分がボーダーを去らなければならない状況でオサムを総合外交政策局のリーダーにすることが最善の道だと考え、ラグナ遠征に続いてすべてを任せたのだ。これまでに失敗でもしていれば躊躇しただろうが、上手くやり遂げたことで本人に自信を持たせることができ、今回のことでさらに一段階進んだ試練を与えている。オルフェオ・アウデーンスという国王を
ゼノンはツグミが期待する修という少年に以前から興味はあったものの、彼女が修のどこに
彼女は「完成されたものよりも、未完成なものの方が魅力を感じる」と言っており、それについても理解ができずにいた。
(
ゼノンは修の「未完成な魅力」を理解し、彼の成長に協力しようと決めた。
「わかった。きみがそう望むなら俺は可能な限り協力しよう」
「本当ですか?」
「ああ。俺の知識や経験がきみの役に立つならそれは回り回って
「ありがとうございます!」
本心から嬉しいという顔で礼を言う修。
「もしかしたら断られるかもしれないと思っていたんですけど、霧科先輩から『ゼノン隊長たちは快諾してくれる。わたしが保証する』って言っていたんです。やっぱり先輩とゼノンさんたちの信頼と絆はぼくが考えている以上に強いんですね」
「きみもタマコマ支部の人間だから俺たちがどういう経緯でツグミと出会ったのかは良く知っているだろ? 俺たちは彼女が命懸けでキオンへ行ってスカルキ総統に直談判してくれたことを感謝していてその礼をしたいと考えていたんだが、彼女は俺たちに『困っている友人を助けたいと思えばあれくらい当然のこと。だからお礼なんていらないわよ』だとさ。だから俺たちが彼女と一緒にいるのは彼女へのお礼というのではなく、ツグミという友人がどんな未来を目指しているのかを一緒に見たいと思うからなんだ」
ゼノンはそこまで言って気が付いた。
(そうか…ツグミ自身も完成された人間ではなく未完成であるからこそ、彼女のやることをそばで見ていたいと思うのだ。彼女が完成されるまで俺は一緒にいることができるかわからないが、それでもできる限り見てみたいと思う。…しかし彼女が完成されてしまったとしたら、そこで魅力は失われるのだろうか? …いや、そんなことはないだろう。きっと彼女なら完成された魅力もあるに違いない)
少しぬるくなったコーヒーを飲み干し、ゼノンは修に言った。
「オサム、きみの学びたいという意欲は理解できる。しかし今はやるべきことが山積みになっていて時間に余裕はないだろう。そこでアウデーンスへツグミたちを迎えに行く時なら今よりは時間が取れるはずだ。きっと仕事の分担のスケジュールをきみが作成するのだろうから、その時に上手く時間を合わせられるようにしてくれ。そうすれば睡眠時間を削るようなことをせずに済むからな。今のきみに必要なのは
「そ、そうですね…。三門市到着まであと10時間ほどですからすぐに休むことにします。寝不足で着いて大事な仕事が疎かになってしまっては霧科先輩に失望されてしまいますからね。それにゼノンさんの仕事の邪魔になってしまうことにも気が回りませんでした」
「いや、ひとりでいるよりも話し相手がいてくれた方が気が紛れて良かったんだが、成長期の若者にはまず睡眠だ。お互いに自由時間の時にたくさん話をしよう」
「わかりました。ではこれで失礼します」
「ああ。コーヒー、ごちそうさん」
修はゼノンと別れて自室へと戻った。
そしてすぐにベッドに横になった。
(そうだ、まずは十分な睡眠をとって、霧科先輩から任された仕事を全力でやり遂げよう。ゼノンさんたちに
修は枕元の時計のアラームを8時間後に合わせ、部屋の照明を消すと目を瞑った。
すると瞬く間に深い眠りに落ちていき、アラームが鳴るまで夢も見ることなくぐっすりと眠ったのだった。
「夢は寝ている時に見るものではなく、起きている時に自分の力で叶えるもの」と言ったツグミの言葉をそのままなぞるように…