ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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612話

 

 

第5次拉致被害者市民救出計画アウデーンス遠征の遠征部隊を乗せた遠征艇は三門市へ向けて順調に航行していた。

途中で寄港地のワスターレでワスターレ軍とクピドゥス軍の戦闘に巻き込まれるアクシデントがあったものの大きなトラブルに発展することはなく、その影響で現地での滞在時間が予定よりも十数時間延長してしまっただけで済んだ。

あと10時間ほどで三門市に到着する予定である。

艇の中は三門市の時間に合わせてあるので現在は午後9時。

交代で艇の運行を担当しているゼノン以外のメンバーは自室やミーティングルームで自由時間を過ごしていた。

その中で修は自室 ── レイジと京介の使っていた部屋が空いたので、ひとり部屋として使わせてもらっている ── で黙々と仕事をしていたのだが、ふと思い立って厨房へと向かう。

そしてふたり分のコーヒーを淹れると自室へは戻らずに操縦室へと足を向けた。

 

「ゼノンさん、修ですけど中へ入っていいですか?」

 

ドア越しに声をかけるとすぐに返事があった。

 

「どうぞ」

 

「失礼します」

 

修はそう言って操縦室の中へ入る。

艇の操縦のできない修が操縦室へ入ることは滅多になく、ここでゼノンとふたりきりになるのは初めてだった。

 

「きみがここに来るなんて珍しいな」

 

「はい。ぼくは艇の操縦はできませんからね。…あの、もしよろしければどうぞ」

 

そう言って修は紙コップのコーヒーを見せる。

 

「それはありがたい。いただこう」

 

修の差し出した紙コップを受け取ると、ゼノンは美味しそうにコーヒーを飲む。

 

「うん、美味い」

 

「インスタントですけどね。でもこんなものでさえ近界民(ネイバー)にとっては貴重品で庶民には口に入らないものだということは近界(ネイバーフッド)を旅していて良くわかりました。コーヒーだけでなく嗜好品と言われるもの全般が一部の上級国民だけにしか普及していない高級品となっています。それは近界(ネイバーフッド)の国々全体が貧しいからで、どの国も小麦やジャガイモといった主食となりうるものを中心とした農業を行っていて、他には十数種類の基本的な野菜や果物ばかり。砂糖はビートから作られていますからコーヒーのように貴重品ではありませんが、日常の料理に使うだけでお菓子のような特に必要としていないものにまで行き渡りません。いかにぼくたちが()()だと思っていた生活が近界民(ネイバー)にとって贅沢なのだとつくづく実感しました」

 

「そうだな。きみが玄界(ミデン)で生まれ育った以上はそれがあらゆるものの基準となる。玄界(ミデン)での常識が近界(ネイバーフッド)では通用しないことは多く、俺たちが三門市に来てしばらくは戸惑ったものだった。キオンで生まれ育ち、近界(ネイバーフッド)の多くの国を歩き回った俺にとって玄界(ミデン)は俺の30余年の人生で培った常識が通用しないことばかりだったからな。今ではだいぶ慣れたが、それでもまだ驚くことがあるのも事実だ」

 

「それでその両方の世界のことを良く知っているあなたに相談したいことがあります。近界民(ネイバー)近界(ネイバーフッド)のことを教えてください」

 

近界(ネイバーフッド)のことならリンジに訊けば教えてくれるだろ」

 

ゼノンが意外そうな顔で訊く。

 

「それはそうなんですけど、麟児さんは諜報員といっても工作活動が主な仕事だったことと子供の時に三門市に潜入していたことで近界(ネイバーフッド)のことに関してはそれほど詳しくはないそうです。むしろ調査活動の多かったゼノンさんたちの方がぼくの知りたいことをたくさん知っていると思って」

 

「そういうことか。…それにしても意外だな」

 

「どういうことですか?」

 

「きみのことはきみが戦闘員だった頃から見ているが、いつもいっぱいいっぱいで余裕がなかった。目の前のことにしか見えず、大局を見極めることができない人間だった。だから俺にはきみがボーダーで働くことは向いていないと思っていたのだが、ツグミはなぜかいつでもきみのことを気にかけていた。アフト遠征でも当初の計画では本格的な戦闘になる可能性が高かったため、自ら危険な潜入工作を行って城郭都市の外側で戦闘を行うことにした。都市内での戦闘になれば住民に犠牲が出るというもっともな理由を挙げていたが、彼女には住民に被害が出ないように前もって避難をさせるという計画も立てていた。しかし建物の多い場所での戦闘ならワイヤー陣を得意とするきみが最前線へ立つことになり、きみのことだから自分のことは顧みず仲間のために無茶をするだろうと彼女は考えたのだろう。そのおかげで戦闘訓練に専念していた他の戦闘員たちにとっては計画を大きく変更されたことで不満の声が上がったが、結果的にはこれが正解だったと断言できる」

 

「そうだったんですか…。霧科先輩はそんなことを言ってなかったので知りませんでした」

 

「別に話す必要もないことだったからな。まあ、アフト遠征に限らずきみが戦闘員として伸び悩んでいることを常に気にしていて、無理をせずに辞めた方が良いと考えながらも彼女がきみに辞めることを勧めなかったのはきみの意思を尊重してのこと。戦闘員ではない道を示し、自ら武器(トリガー)使わない()()を選択したことで、彼女はきみの素質を見極めて自分の後継者に育てあげようとしている。きみはトリガー使いとして戦うよりも頭を使って戦う方が向いていると俺も感じていた。ただ慣れないことなのでいつもきみは『自分に交渉の才能があるのか』と考えて悩んでばかりいた。しかし最近では気持ちに余裕が出てきたらしく、視野が広くなってきたと感じている」

 

「ぼくの視野が広くなってきた? …それはたぶんぼくが自分の才能を認めることができるようになったからだと思います。でもそれは何か結果を出したからというよりも、先輩がぼくのことを信頼していろいろ任せてくれるようになったからです。先輩がぼくを信じてくれるんですから、ぼくがぼく自身を信じなければ前には進めません。以前のラグナ遠征の時だけでなく今回もぼくに全権委任してくれたってことは、ぼくにならできるという先輩からの保証があったからで、そう思うと不安が消し飛んでしまいました。もちろん今回はオルフェオ陛下というVIPをご案内するだけでなく、坂元玲子さんのご両親に引き合わせるという大事な役目もありますから不安がまったくないというわけではありません。でも先輩が『相手が王族であろうと庶民であろうともてなす心があれば大丈夫』だと言ってくれたことで自分に『できる』という暗示をかけました」

 

「それだけツグミのことを信頼しているってことなんだな?」

 

「はい。先輩はぼくたちが玉狛第2を結成した時からずっと見守ってくれていました。直接指導をしてもらうことはなかったですが、日常の会話の中などで役立つ知恵を授けてくれたり時には叱咤して厳しく意見もしてくれました。その厳しさが理解できなかった時には反発もしましたが、今となってはすべてぼくの成長のために必要だったと理解でき、先輩が()()()道を歩き続ければもう迷うこともないと思えるようになったことで心に余裕が生まれたんだと思います。ぼくのトリガー使いとしての師匠は烏丸先輩ですが、彼からはそれ以外のことは教わることはありませんでした。もし霧科先輩がいなければボーダーに居続ける意味を見出せずに辞めていたかもしれません。霧科先輩からは戦闘員以外の道を示してもらい、それが自分に一番合っているとわかったことでぼくはボーダーに入って今が一番充実していると思えるんです」

 

そう話す修の表情には余裕や自信以外にも「満足」から生まれる笑みがあった。

 

「それでひとまず今回の遠征に関する報告書の作成や三門市に到着してからの一連の流れの確認など事務的な作業は終わったので、時間に余裕のある今のうちに近界(ネイバーフッド)の話を聞いておこうかと思ったんです。霧科先輩はあと1年でボーダーを辞めてしまいます。それまでに先輩のレベルにまで…というのは無理ですけど、先輩が何の憂いもなくエウクラートンへ行くことができるように力をつけておきたい。先輩はやりたいことがあるのならそれに見合う力を身に付けろと常に言っていました。その意味がわかるようになり、これからのぼくに必要なのが近界民(ネイバー)近界(ネイバーフッド)の知識だと判断したんです。交渉において重要なのは相手が何を求めているのかを正しく知ることで、相手を納得させることができればこちらの要求ものんでもらえる。そうなればまずは交渉相手となる近界民(ネイバー)について知ることから始めなければなりません」

 

「……」

 

「霧科先輩の仕事を見ていてわかったのは、先輩は相手の近界民(ネイバー)のことを理解することから始めています。なぜ近界民(ネイバー)玄界(ミデン)に攻め込んで来るのか? それはトリオンが欲しいからで、トリオンが足りないのはそれを生み出す人間が少ないから。人口が少ないのは医療技術が発展していないことで玄界(ミデン)では死なずに済ませることのできる病気でも近界(ネイバーフッド)では治療法がわからないどころか原因さえ不明だという始末。そうなると根本的な解決法として病気や怪我で死ぬ人間を減らせばいい。そうすれば人口は徐々に増えていき、トリオンの量も増えていく。またトリオンを使用しない玄界(ミデン)の技術を導入することでトリオン消費を抑え、その分を国土の維持に回すことで同じ面積から収穫できる作物の量が増え、国民は十分な食事をとることができるようになり、病気になりにくい身体を作ることができるようになるでしょう。そういう状況で一番効果的なものは何なのか? ひとまずその場しのぎではあっても医薬品は最優先で大勢の必要としている人に配りたい。簡単な病気で死んでしまう子供を減らし、彼らに適切な教育の機会を与えることで無意味な戦争をやめようと考える人間が生まれる。ボーダーは近界民(ネイバー)が三門市に攻め込んで来ることさえなければいい。先輩のやり方は一見遠回りに見えても確実な方法に思えるんです。だったらぼくも先輩みたいになりたい。ぼくたちが利益を得られるのと同じように近界民(ネイバー)も利益となる条件を提示して交渉をすることができればスムーズに進み、双方が満足する結果に落ち着くことができる。そのためにぼくは近界民(ネイバー)近界(ネイバーフッド)のことをもっと知らなければならないんです」

 

ツグミの考え方や行動が修に十分浸透しているとゼノンは感じていた。

 

(ツグミは初めからオサムがこうなると推測して教育してきたわけではない。単純に後輩を死なせたくはないという気持ちだけで自分にできることをしてきただけだ。たぶん本人もそう言うだろう。ただその結果が自分の後継者となるに相応しい人物に育ったというだけで、オサム自身が望んでいなければ強制もしなかったはず。あと1年ほどで自分がボーダーを去らなければならない状況でオサムを総合外交政策局のリーダーにすることが最善の道だと考え、ラグナ遠征に続いてすべてを任せたのだ。これまでに失敗でもしていれば躊躇しただろうが、上手くやり遂げたことで本人に自信を持たせることができ、今回のことでさらに一段階進んだ試練を与えている。オルフェオ・アウデーンスという国王を玄界(ミデン)に招き、その接待をさせるのだからよほど信頼していなければ怖くてできはしない。それを任せたとなればこれはある意味最終試験で、それに合格することができたならもう自分に教えることはもうないと言ってツグミは拉致被害者市民救出計画から手を放すことになるかもしれないな)

 

ゼノンはツグミが期待する修という少年に以前から興味はあったものの、彼女が修のどこに()()を感じていたのかはわからなかった。

彼女は「完成されたものよりも、未完成なものの方が魅力を感じる」と言っており、それについても理解ができずにいた。

 

近界(ネイバーフッド)では完成されていないものは意味がない。50パーセントや80パーセントできていても100パーセントでない以上は0パーセントと同じだという考えが普通だった。だから俺たちは100パーセントにならなければいけないと必死になって訓練を続け、()()()()()ことで俺たちは認められて諜報員として働くことになったのだ。ここで完成しなければ俺たちはわずかな賃金でこき使われる肉体労働者として一生を終えなければならなかっただろう。現にそういう仲間を見てきた。あの頃…訓練に耐えられないヤツが訓練場からひとりふたりと消えていった。そいつらが今どこでどうなっているのかはわからない。俺がこれまで生きてこられたのは完成された人間だからであり、中途半端な人間であったら死んでいたかもしれない。だからこそ人間として完成されなければ意味はないと信じていた。…しかし完成されていない人間だからこそ将来を期待することができ、その将来を見てみたいと思うようになるのだ。彼がどのような人生を歩むのかはまだわからないが、いつの間にか俺はそれが楽しみに思えてきた。人間とは『知りたい』と思う欲求を持つ生き物で、完成された人間はそこでおしまいだが未完成な人間には不確定な未来がある。期待のできる人間の不確定な未来に惹かれるというのはこういうことなのかもしれないな)

 

ゼノンは修の「未完成な魅力」を理解し、彼の成長に協力しようと決めた。

 

「わかった。きみがそう望むなら俺は可能な限り協力しよう」

 

「本当ですか?」

 

「ああ。俺の知識や経験がきみの役に立つならそれは回り回って近界(ネイバーフッド)近界民(ネイバー)のためになるのは間違いない。それは俺の望むところだ。それに俺だけではない。事情を話せばリヌスやテオも同じくきみに協力してくれるはず。きみの仕事の都合に合わせて3人の誰かに声をかけてくれればいい」

 

「ありがとうございます!」

 

本心から嬉しいという顔で礼を言う修。

 

「もしかしたら断られるかもしれないと思っていたんですけど、霧科先輩から『ゼノン隊長たちは快諾してくれる。わたしが保証する』って言っていたんです。やっぱり先輩とゼノンさんたちの信頼と絆はぼくが考えている以上に強いんですね」

 

「きみもタマコマ支部の人間だから俺たちがどういう経緯でツグミと出会ったのかは良く知っているだろ? 俺たちは彼女が命懸けでキオンへ行ってスカルキ総統に直談判してくれたことを感謝していてその礼をしたいと考えていたんだが、彼女は俺たちに『困っている友人を助けたいと思えばあれくらい当然のこと。だからお礼なんていらないわよ』だとさ。だから俺たちが彼女と一緒にいるのは彼女へのお礼というのではなく、ツグミという友人がどんな未来を目指しているのかを一緒に見たいと思うからなんだ」

 

ゼノンはそこまで言って気が付いた。

 

(そうか…ツグミ自身も完成された人間ではなく未完成であるからこそ、彼女のやることをそばで見ていたいと思うのだ。彼女が完成されるまで俺は一緒にいることができるかわからないが、それでもできる限り見てみたいと思う。…しかし彼女が完成されてしまったとしたら、そこで魅力は失われるのだろうか? …いや、そんなことはないだろう。きっと彼女なら完成された魅力もあるに違いない)

 

少しぬるくなったコーヒーを飲み干し、ゼノンは修に言った。

 

「オサム、きみの学びたいという意欲は理解できる。しかし今はやるべきことが山積みになっていて時間に余裕はないだろう。そこでアウデーンスへツグミたちを迎えに行く時なら今よりは時間が取れるはずだ。きっと仕事の分担のスケジュールをきみが作成するのだろうから、その時に上手く時間を合わせられるようにしてくれ。そうすれば睡眠時間を削るようなことをせずに済むからな。今のきみに必要なのは近界(ネイバーフッド)の知識よりも睡眠だ」

 

「そ、そうですね…。三門市到着まであと10時間ほどですからすぐに休むことにします。寝不足で着いて大事な仕事が疎かになってしまっては霧科先輩に失望されてしまいますからね。それにゼノンさんの仕事の邪魔になってしまうことにも気が回りませんでした」

 

「いや、ひとりでいるよりも話し相手がいてくれた方が気が紛れて良かったんだが、成長期の若者にはまず睡眠だ。お互いに自由時間の時にたくさん話をしよう」

 

「わかりました。ではこれで失礼します」

 

「ああ。コーヒー、ごちそうさん」

 

修はゼノンと別れて自室へと戻った。

そしてすぐにベッドに横になった。

 

(そうだ、まずは十分な睡眠をとって、霧科先輩から任された仕事を全力でやり遂げよう。ゼノンさんたちに近界民(ネイバー)近界(ネイバーフッド)のことを教えてもらうのはそれからだ。そうして()を蓄え、自分のやりたいことをやれるようになろう。前みたいにやりたいことがあっても自身の力不足で何もできないなんて悔しい思いをしたくはないからな)

 

修は枕元の時計のアラームを8時間後に合わせ、部屋の照明を消すと目を瞑った。

すると瞬く間に深い眠りに落ちていき、アラームが鳴るまで夢も見ることなくぐっすりと眠ったのだった。

「夢は寝ている時に見るものではなく、起きている時に自分の力で叶えるもの」と言ったツグミの言葉をそのままなぞるように…

 

 

 

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