ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
三門市に戻って来た遠征メンバーは帰国の感傷に浸る余裕もなくすぐに作業を開始した。
最優先はトリオンキューブになっている拉致被害者市民を本部基地へ運んで解凍をすることで、彼らの意識が戻ったところで健康診断を行う。
その後でなければ家族との面会が叶わないからだ。
健康診断が必要なのは拉致被害者が健康かどうかはもちろん知る必要があるのだが、彼らは異世界で長い間生活していた人間であるから未知の病気に罹っている可能性があって、そのウィルスなどの病原体を
ボーダーの人間は健康チェックが行われるまでトリオン体で行動してもらうことを原則としているので彼らが病原体を持っていても広めてしまうことはないのだが、拉致被害者は民間人であるためそうはいかない。
これまで行われた
拉致被害者市民の家族もこの日を一日千秋の思いで待っていたのだから、作業に手間取って対面が遅れてしまうなどということはあってはならない。
そこですでに遠征艇の中から到着予定時刻を本部基地に伝えてあり、非番の防衛隊員を招集した作業班が国際港で待っていた。
その作業の指示をするのが修の仕事で、トラックの荷台にトリオンキューブをひとつひとつ丁寧に運び込み、その作業が完了したことを確認した後に遠征メンバーが2台の車に分乗して本部基地へと向かった。
本部基地に着いた一行は拉致被害者市民の健康診断が終わるまで仮眠室で休憩し、それが終わると彼らの健康チェックを行う。
しかし修はトリオン体のままで総司令執務室へ直行し、城戸に今回のアウデーンス遠征に関する報告書を提出して口頭で簡単に説明を行う仕事がある。
これまでツグミがそうしていたように修もやろうと考えて報告書は艇の中で書き上げてあり、今回のイレギュラーな件についても正確に説明できるよう何度もイメージトレーニングもした。
だから自信満々で総司令執務室のドアをノックすることができたのだった。
「三雲です」
「入れ」
普段と変わらない城戸の声を聞き、妙な安心感を覚えた修。
これまでなら彼の声を聞くだけで緊張してしまい、総司令執務室に入る時には足が震えてしまうほどだった。
それなのに今では緊張するどころか無事に三門市に帰って来たのだと実感して安心してしまうのだから、修はずいぶんと変わったものだ。
そして修がドアを開けて中へ入ると、城戸はいつもと同じ表情で彼を迎える。
「長旅お疲れだった。早速だが遠征のあらましを報告してくれ」
「はい」
修は往路でワスターレに寄港した時にその国の第1王子のラウロ・ワスターレを保護したことから始まり、アウデーンスで拉致被害者市民のひとりである田上徹が宰相として取り立てられていることや、国王オルフェオ・アウデーンスが「個人的な理由」で来訪することとなったためにツグミたちがアウデーンスに残ることになったという話を簡潔に説明した。
事前の連絡でオルフェオが同行していることは知っていた城戸だから驚きはしないものの面倒事が増えたと言わんばかりに顔の傷を指で擦る。
しかし修を労うことを忘れない。
「ご苦労だったな、三雲くん。イレギュラーなことが多かったというのに良くやってくれた」
「いえ、ぼくは霧科先輩の指示に従って行動しているだけです。それからこれは先輩から城戸司令に宛てた手紙です。これを渡せば司令が上手く取り計らってくれると言っていました」
そう言って修はツグミの書いた城戸への手紙を渡した。
その手紙を読む城戸は次第に表情が和らいでいき、最後には気持ちを抑えられなくなったのか彼らしくもなくニヤリと笑った。
「事情は良くわかった。オルフェオ陛下のことは国賓として対応しなければならないが、きみにはやってもらわなければならないことが山ほどある。そこで陛下の接待に関しては私と唐沢くんでやることにする」
「城戸司令と唐沢部長のおふたりで、ですか!?」
「そうだ。この手紙によると私と唐沢くんが適任だというのだ。国王ともなれば私がお相手をせねば礼を失するというもの。それにツグミにはアウデーンスという国がボーダーにとって重要な国となるという確信があるらしい。ここで
「はあ…」
「長生きしたいのなら身体を動かせ。陛下は街を視察すると言うだろうから、私が案内をしろということなんだろうな。フッ…あの子らしい」
そう言って微笑んだ城戸の顔を見て修はふと以前に見た1枚の写真のことを思い出した。
その写真とは城戸の顔にまだ傷痕がなくて明るく朗らかな笑顔を浮かべていた旧ボーダーメンバーの集合写真である。
(そうだ…これが霧科先輩の言っていた『本当の城戸司令』の片鱗なんだ。あの頃のようにはまだ笑うことはできないのかもしれないけど、いつかあの写真のように心の底から笑えるようになるはずだ)
玉狛支部でかつて城戸が使用していた個室を現在は修が使っている。
部屋の片づけをした際に引き出しの中から旧ボーダーメンバーの集合写真が出てきてどうすべきかと考えた結果、修は元の引き出しに戻していた。
その引き出しを使えないのは不便だが写真を捨てるには忍びなく、だからといって城戸に渡すのも躊躇われたので元あった場所に戻したのだ。
だから今でもその写真は城戸が
(城戸司令が本気で写真と過去を捨てる気だったら引き出しではなくゴミ箱に放り込んでいたはず。それができなかったのは未練があったからに違いない。そして再び手に取ることができるようになる日を願ってボーダー創設時の理念を引き継ぐ玉狛支部という『希望』に賭けたのかもしれない。そして城戸司令が
ピピッ、ピピッ
修の携帯電話にメールの着信があった。
その内容はオルフェオとトールの健康診断が終わり、問題がないと判断されたというリヌスからの業務連絡だ。
「オルフェオ陛下とトール閣下…拉致被害者の田上徹さんの健康診断が終わったそうです。ゆっくりと休んでいただくためにリヌスさんが応接室にご案内してくれるそうなので、城戸司令にご挨拶をしていただきたいのですがどうでしょうか?」
「ああ、もちろん行こう。ツグミに言わせれば彼らはボーダーと足並みを揃えて
「霧科先輩がそんなことを手紙に…」
「国賓を待たせるわけにはいかない。さあ、行こうか、三雲くん」
「はい!」
修は城戸と共に総司令執務室を出て幹部専用エレベーターへと向かう。
そしてエレベーターのカゴに乗り込むと城戸が修に訊いた。
「ところできみはツグミのことを霧科先輩と呼んでいるが、総合外交政策局の局員ならばあの子のことは霧科局長と呼ぶのが普通ではないか? 別に問題があると責めているのではなく、単に好奇心というか理由が知りたいだけだ」
「それですか…。実は最初は局長と呼んだのですが、霧科先輩が『今までどおりの方がしっくりくる』と言って。先輩が言うには誰かひとりでも局長と呼べば他の局員も同じようにしないといけないと考えてみんな局長と呼ぶようになる。先輩は管理職になったけど上下関係なくこれまでと同じようにやっていきたいと考えていて、それでこれまでと同じように呼ぶようになったんです。もちろんこれはボーダー内でのことで、部外者がいる時にはケジメをつけて局長と呼びますけど」
「なるほどな。あの子らしい。それに考えてみれば私も無意識にあの子のことをツグミと呼んでしまっている。きみたちと同じように対外的には霧科局長と呼んでいるが、
「はい。たしかにぼくの上司ですけど偉ぶったりぼくたち部下を軽んじることは絶対になく、玉狛支部にいた時に世話になった先輩と全然変わっていません。先輩と出会ってもうすぐ3年になりますが、その頃から面倒見が良くてぼくたち後輩を正しく導こうとしてくれました。ぼくたちが先輩の言動の意図を理解できずにいて関係が拗れたこともありましたが、先輩はそれでもぼくたちのことを見捨てずにいてくれました。そして防衛隊員であるぼくを否定することなく、それよりもぼくに向いている総合外交政策局の仕事、ぼくにとっての居場所というべきものを勧めてくれたんです。ぼく自身もこっちの方が向いていると思いますし、先輩がぼくに期待して重要な役目を与えてくれるまでに成長できたと実感しています」
「たしかにきみは成長した。…私がきみと初めて会ったのはきみが隊務規定違反を犯した時だったな」
「はい」
「あの頃のきみは問題を起こしてばかりでいろいろと厄介事を持ち込んでくれた」
「…すみません」
「しかし迅とツグミにはきみの未来が視えていたらしい。迅には
「……」
「それは単に私に見る目がなかったからなのかもしれない。あのふたりには
「はい。ぼくは遠征に参加したい一心で目先のことだけしか見ていなくて、その先にあるもの…遠征の目的を達成することと無事に帰還することを考えていませんでした。本来ならぼくの実力ではアフト遠征には参加できなかったはずなのに霧科先輩はC級隊員の救出という遠征の目的を達成することと同時にぼくが無事に帰還できる作戦を考えてくれたんです。ぼくを死なせたくないなら遠征に参加させなければいいというのに、ぼくの気持ちをわかってくれたからこそ自分が潜入調査という危険な任務を引き受けてくれたのだとゼノンさんから教えてもらいました。ぼくはそんなこと全然知らずにいて、ぼくが自分の足で歩いていた道も先輩が切り拓いてくれていたのだと感謝しているんです。そんな先輩がぼくのことを信頼して任せてくれたんですから、ぼくは先輩に失望されない結果を出したいと思っています」
修がはっきりとした口調で言うと、城戸は嬉しそうに頷いた。
「そう思うのならしっかりと役目を果たしてくれ」
「はい!」
エレベーターが地平階に到着すると扉が開き、修と城戸は再び歩き出した。
◆◆◆
拉致被害者市民救出計画において修は常にツグミの仕事を一番近くで見ていた。
それはツグミが自分の後継者として修を選んだからであり、教えるというよりも見て学ばせるという方針なので修自身が望まない限り成長はなかっただろう。
そして今では能力に見合う肩書を得てプロジェクトの中心となって頑張っている。
だから今回のアウデーンス遠征においてはほぼ全部修が仕切っていた。
さすがに正式な文書の署名等ボーダー総合外交政策局長でなければならないものはツグミが行うが、あとはすべて修に丸投げしていた。
丸投げというと人聞き悪いものの、全責任は自分が負うから好きにやっていいと修に「お墨付き」を与えてやりたいようにやらせたというもの。
仮に修が失敗したとしてもそれをフォローする準備と覚悟があり、彼なら満足できる結果を出してくれるという確信があったからこそツグミは彼に任せたのだ。
そして帰国しての一連の流れも修はきちんと把握していて、自分で考えて行動できるようになっている。
さらに仲間にも適切な指示を出せるようになっていて、ここまでのところ滞りなく進んでいる。
ワスターレでのトラブルによる計画の遅延はあったものの、それすらも仲間たちの協力のおかげで予定よりも3時間ほどの遅れで済んだ。
拉致被害者市民のトリオンキューブ解凍と健康診断も無事に終了し、翌日の午前に家族との対面と昼の帰国パーティーも予定どおりに行われるはずだ。
今回は37人のうち19人がアウデーンスへ戻る予定なので、18人の帰国者のうち住む家のない11人の住宅の確保や就学・就職の斡旋については三門市のサポートセンターに依頼することになるのだが、そちらもすでに終わっている。
そして記者会見は12月1日の午後に行われることになり、そちらの準備はメディア対策室に一任している。
今回の遠征では拉致被害者市民の半数以上がアウデーンスに残って暮らすという異例の結果となり、さらにオルフェオが記者会見において発言をしたいというものだから、修は自分の手に負えないと判断して根付に任せることにしたのだ。
もっともツグミが根付宛に書いた手紙に「オルフェオと玲子の婚姻を利用することで一般人の
残るはアウデーンスに戻って暮らすという人たちのため、帰国後の生活に役立てるための物資の購入や遠征艇への搬入などの手配を残すのみだ。
そちらもリストは完成しているので、業者の仕事の完了を待つのみだ。
ラグナ遠征に続いてこのアウデーンス遠征でも修が中心となって仕事を進めている姿を城戸をはじめとした幹部たちは修の仕事ぶりを「本物」だとして評価をしている。
いくらツグミの指示どおりに動いているとしても手際良く進めることができたのは修の能力と彼を支える他の局員たちが彼を信頼しているからこそであり、誰もが彼を次期局長として認めている。
当初は修に対して良い印象を持っていなかった鬼怒田や根付が最近の彼の仕事ぶりを見て総合外交政策局の仕事が彼の天職ではないかと思うくらいだから、彼のボーダーでの地位は不動のものとなったと言って過言ではないだろう。
三門市民の中には修のことを「アフトクラトルによる大侵攻でC級隊員がさらわれた元凶を作った戦犯」だと考える者も少なからずいたが、彼の拉致被害者市民救出計画における功績を見ればぐうの音も出ないはずだ。
他者はあらゆることにおいて「結果」で判断する。
その結果に至る経緯などは彼らのあずかり知らぬところで、いくら血の出るような努力をしたところで勝負とは勝ち負けで勝たねば意味がない。
だから三門市民はその結果しか知らないわけで、修が誰もが納得する結果さえ出せば過去の汚名をそそぐことなどいくらでもできる。
そして修は過去の弱い自分から抜け出し、B級ランク戦さえまともに見学することのなかった無力なC級隊員からボーダーという組織に欠かせない重要人物にまで駆け上がったのだった。
それを一番喜んでいたのは母親である香澄だろう。
何度もボーダーを辞めさせようと考えていたがボーダーの仲間たちの誰ひとりとして修を辞めさせるべきだと言うことはなく、むしろツグミをはじめとして大勢の仲間が支えてくれたことで今があると理解をしている。
自分の息子が三門市の役に立っているということはもちろんだが、大勢の良い仲間に支えられているという事実が彼女にとって一番嬉しいに決まっているのだ。
◆◆◆
そしてその修が久しぶりに実家に戻って来たのは30日の夜であった。
アウデーンスを発つ前にツグミから「時間に少しでも余裕ができたら必ず家に帰って香澄さんに元気な姿を見せるのよ」と言われていて、それを実行できたのが記者会見の前日の夜になってしまったのだった。
もちろん帰宅することは電話で伝えてあり、彼の好物の「香澄特製クリームコロッケ」がこれでもかと言うほど食卓に並べられていた。
「母さんの料理、久しぶりだな」
修が感慨深げに言うと、香澄は相変わらずのクールな態度で言い放った。
「あなたがなかなか帰って来ないからでしょ」
「…そのとおりです。面目ないです」
修はしゅんとしてしまうが、クリームコロッケをひと口食べると笑顔で言う。
「うん、相変わらず美味しいよ。さすがは母さんだ」
すると香澄がほんのわずかだが目元を細めて微笑んだ。
「あなたの好みは一から十まで知っているんだもの、世界中探したってこれ以上の味はないはずよ」
「そうだね。この料理には母さんの愛情がいっぱい詰まっているから。…ぼくは親不孝なことをしていると思う。でもこうしてぼくを待ってくれている母さん…家族がいるからこそ
「いい先輩に巡り合えて良かったわね。私もツグミさんのことは信頼している。あなたの
「……」
「あなたたちがアウデーンスという国へ出発する前に彼女から電話をもらっていたの。その電話では自分はあと1年ほどでボーダーを辞めることになっていて、自分の後任をあなたにしたいと言っていたわ。あなたがやりたいと思うようになり、誰もがあなたを適任だと認める結果を出したら総合外交政策局の局長の座を譲りたい。あなたはまだ自信がないと言うかもしれないけど、必ずあなたの口から局長をやりますって言わせるように育てるから楽しみに待っていてほしいとも言っていた。私はあなたがやりたいことをやってくれたらそれでいい。だってあなたは私の料理を食べるために絶対に死なないって言い切ったんだから、その言葉を信じて待つことにするわ」
香澄の言葉を聞いて修は目頭が熱くなり、心の一番奥にあった言葉を吐き出すように言った。
「ありがとう、母さん」
すると香澄は息子以外に見せることはない母親らしい笑みを浮かべながら言う。
「さあ、冷めないうちに食べちゃいなさい。明日はまた忙しい一日になるんだから、早くお風呂に入って寝なきゃダメよ」
「はい」
修は母親の愛を感じながらクリームコロッケを味わったのだった。