ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
ツグミと迅がトロポイへ発つ日が1月16日と決まった。
そして今回はボーダーの人間としてではなくエウクラートンの王家の人間、ツグミ・オーラクルとその配偶者という立場で訪問をすることになっている。
それは訪問理由がエクトスの不審な動きにキオン、エウクラートン、リコフォス、トロポイの4ヶ国でどのように対処するかの相談をするためで、ボーダーの目指す友好的な交流目的ではないからだ。
ボーダーの迅悠一としてはトロポイの王族に会うことは叶わない立場だが、ツグミの配偶者であれば問題はないという理由もある。
もっとも前回の訪問の際に迅という婚約者がいるという話をエルヴィンにしたところ「次はその男を連れて来なさい」と言われていたのだから、逆に一緒に行かなければツグミは連れて来なかったことを責められるだろう。
そして今回のトロポイ行きには遊真の個人所有の小型艇を借りることにした。
現在のトロポイの位置は
さらに彼の艇にはレプリカが操縦できるシステムがあるため、同じ型の自律トリオン兵のジュニアにも対応している。
そうなればひとりしかいない操縦士の迅の負担が大幅に減るので、途中の寄港地での滞在時間を短縮できるというメリットもある。
ただし倉庫が小さいために物資を積むにも限界があり、ふたり分の食料と飲料水と生活雑貨を搬入するといっぱいになってしまったので、迅のぼ〇ち揚げの箱はひとつしか積めなかった。
したがってひと月以上の期間をたった12袋で過ごさなければならないことになり、彼にとっては辛い旅になりそうだ。
出発の前日、ツグミと迅は挨拶をするために城戸と面会をした。
ボーダーに在籍しながらボーダーの任務とは直接関係のない渡航を許してもらったのだからきちんと挨拶をしてから出かけるのが礼儀というものだ。
おまけにこれまで溜まりに溜まっていた有給休暇 ── 非正規雇用の防衛隊員にはないが、総合外交政策局員は正式な職員なので与えられている ── を一気に消化することも許してくれたのだから感謝するしかない。
「城戸司令、この度は私用での渡航のお許しをいただきありがとうございます。明日の朝にトロポイへ発つのでその前にご挨拶にまいりました」
ツグミが丁寧に挨拶をすると、城戸は申し訳なさそうな顔で言う。
「たしかに私用だが、おまえたちにはそれだけの資格と権利がある。ボーダーと三門市のためにどれだけ貢献したのかを考えればそのくらい大したことではない。それにおまえたちには10年以上も戦場、それも最前線で戦わせてしまった。子供たちに戦闘を強いるしかなかった不甲斐ない大人のせいで苦労をかけたのだから、おまえたちの願いを叶えることは罪滅ぼしに近い」
「まだそんなことを言っているんですか? わたしに戦う力があったのは定められた運命だったとしても、戦うと決めたのはわたしの意思です。それが幼い子供であっても自分自身で決めたことなんですから後悔はありません。わたしがボーダーに入ることになったのは
ツグミの言葉が嬉しかったのか、城戸は
「…そうだな。私がそんなことをいつまでも言っていると死なせてしまったあの子たちにも叱られてしまいそうだ。あの子たちだって無理やり戦場へ送り込んだのではなく、自らの意思で戦うと決めたのだし後悔はしていないはずだ。そして私にできることはあの子たちに対して罪の意識を持ち続けることではなく、二度とあのような悲劇を繰り返さない努力をすること。そして今を生きている者たちの平和な日常を守り続けることしかない」
「そうですよ。過去は変えられませんし忘れてはいけないことですけど、過去が今と未来の枷になってはいけません。城戸さんはずっと頑張って来たじゃないですか。ボーダーを立ち上げた4人のうち3人が
そう言って微笑むツグミの隣で迅は何も言わないが心の中では彼女に同意し、昔のことを思い出していた。
(
ツグミと城戸の話がひと段落すると、城戸は自分の机の引き出しから何かを取り出して机の上に置いた。
「迅、これをおまえに返そう」
そう言って城戸が迅の前に押し出したのは風刃である。
遊真をボーダーに入隊させるために迅が手放した時点で城戸の預かりとなっていて、それ以降は必要に応じて迅が
それを
「これからはおまえがひとりでツグミを守らなければならない。そのためにはこれが必要だ」
「はい。これがあれば俺はひとりではなく最上さんと一緒に戦うことができます」
迅は風刃を握りしめてそう断言した。
それにもう三門市で風刃を使わなければならないような戦いが起きるようなことはさせないという城戸の強い決意の表れなのだ。
だから迅は迷うことも遠慮することもなく風刃を受け取った。
「おまえたちはまだボーダーの人間であり、
「「はい!」」
「おまえたちが帰って来たら飯でも食いながらトロポイでの話を聞かせてくれ。私が良さそうな店を予約しておく」
「楽しみにしています」
「それならできるだけ早く帰って来ますよ」
ツグミと迅はそう言って微笑み、城戸も笑みを浮かべた。
そして予定どおりに翌日の早朝にツグミと迅は
◆◆◆
ツグミと迅がトロポイに到着すると、イェルンとトリュスのふたりが出迎えてくれた。
トロポイの衛星のような国 ── ゲミトゥスに一時停泊してそこからトロポイへと連絡を入れておいたことで、彼女たちの到着を待っていたらしい。
ゲミトゥスは人口が70万ほどの栄えた国であったが数百年前に疫病で人間がすべて死に絶えてしまい
その見本がこのゲミトゥスなのである。
ツグミが初めてゲミトゥスの大地に降り立った時、恐いとか哀しいとかそういった感情は一切沸き上がらなかった。
目の前にある現実に対して何も心を動かされることはなかった。
しかしゲミトゥスを離れてトロポイに近付いた頃にようやく恐怖の感情が襲いかかって来て全身が震えた。
「何もない」のだから心が動くこともなく、「満たされた」世界に戻れば「無」を恐怖として感じるのは当然のことだろう。
そして無事にトロポイに到着してふたりの出迎えを受けると、人の温もりがあることを「幸せ」だとツグミは感じたのだった。
事前にジュニアが事情を話しておいてくれたため、ツグミと迅はすぐにエルヴィンとの面会に臨むことができた。
「5人の王」のことは国王であるエルヴィンなら当然承知しており、その関係でエクトスが妙な動きを見せていると教えられたのであれば一刻の猶予もないと考えて、ツグミから詳しい話を聞きたいと思うのは無理もない。
エクトスの動きは
休む間もなくツグミと迅は王城内にあるエルヴィンの執務室へと案内された。
「よく来たね、ツグミ。待っていたよ。元気そうで何よりだ」
「エルヴィン陛下もご健勝のご様子、誠に ──」
「そんな堅苦しい挨拶は無用だ。それよりも早くきみの婚約者を紹介してくれ」
エルヴィンは迅のことが気になるようだ。
「はい。彼がわたしの夫の迅悠一です。以前は婚約者と申し上げましたが、5ヶ月ほど前に結婚式を挙げました」
「おお、それは喜ばしい! ジン、もっとそばへ来てくれ」
「はい、陛下」
迅はエルヴィンの前に立つと恭しく礼をした。
「お初にお目にかかります。自分は迅悠一、ツグミの夫です」
「話はツグミから聞いている。幼い頃から兄のようにずっとそばにいて守り、そして戦友として共に戦ってきたとか。まあ、彼女が選んだ男となれば相当な人物であると察せられる。できることなら男同士で語り合いたいものだ」
「そのようにお褒めいただくとは恐悦至極に存じます」
「そう畏まらずとも良い。それはそうとエクトスが妙な行動をしているとのことだが、その話を聞かせてほしい」
「ではわたしがご説明いたします」
ツグミと迅はソファに腰掛け、お茶を運んで来た使用人が部屋を出て行ったのを確認するとすぐに話を始めた。
ボーダーが遠征で訪れたリコフォスにおいてエクトスの工作員が
エクトスの工作員を捕えて吐かせたところ、リコフォス王家が所有する「箱」と「鍵」を奪うために国内を混乱させてその隙に王宮に忍び込む計画であったこと。
そしてツグミがエウクラートンの王族であることを告白したことで「5人の王」と「箱」と「鍵」についての話を聞かされたことなどを的確に説明した。
「なるほど…。そしてキオンとエウクラートンへ行って事情を説明し、残る1ヶ国の我がトロポイへとやって来たということか」
「はい。5つの『箱』と『鍵』をそれぞれ別の国が持つことによって5つの王家の意見が一致しなければ核兵器の再現は不可能です。そしてどの国にどの『箱』があるのかは不明であるはずなのに、エクトスの工作員はリコフォスにユゥアレェィニィアム、つまり
するとエルヴィンが少し考えてから口を開いた。
「リコフォスの王族にはもうひとりいたはずだ。名前は…たしかレグロとかいう男だったと思う」
「いいえ、サルシド閣下からはそのような方の存在を聞かされていません。あの時に教えてもらえなかったというのはそのレグロという方に関して何かしら
エクトスに対抗するには残る4ヶ国の団結が必要で、すでにリコフォスだけでなくキオンとエウクラートンの王族との協力関係が成立していて、残るはトロポイだけとなっていることを話すとエルヴィンも無条件に賛成した。
「ではわたしにひとつ考えがありますが聞いていただけますか?」
ツグミはそう言って説明を始めた。
「遠い昔に5人の王はその愚かな行動によって故郷を捨てて新たな世界を目指すことになりました。その時に
「ツグミの話だとトリオン由来の兵器に効果があるかどうかわからないが、人間に対しては絶大な効果があって爆発した時の威力によって人が死ぬだけでなく放射能の影響によって病気になったり大地が汚染されて農作物が育たなくなるということだからゲミトゥスのような国を増やすことになるというわけだな?」
「そのとおりです。そこでわたしの考えというのはリコフォス、キオン、エウクラートン、そして貴国の4つの『箱』と『鍵』をすべて
「
「はい。たとえば4つの『箱』と『鍵』を
ツグミの言葉にエルヴィンはもちろんのこと、話を聞かされていなかった迅も驚いてしまった。
「難しいことだとは承知していますが、ボーダーが主宰する同盟国に加わる国が増えれば
「しかしそれは自分の身を囮にするってことにはならないか? そんな危険なことをさせる策に私は賛成などできぬ。ジンだってそう思うだろ?」
エルヴィンの言葉に迅も大きく頷いた。
「もちろんです。そんなバカなことをさせないようにと、俺はこいつのそばにいるんです」
「でもわたしが囮になって危険な目に遭ったとしても守ってくれるんでしょ? わたしはあなたの戦力を評価してそれを計算に入れて勝算の高い策を考えたんですよ」
「う…」
ツグミにそう言われてしまっては迅に反論はできない。
「わたしだってエウクラートン国民を巻き込むかもしれないこんな策を好んで選んだのではありません。ですから最終手段であり、他に良い策があるのならそちらに乗り換えることはやぶさかではありません」
一見して自分を囮にしようとするこの正気ではない策には「それならそれ以上の策を考えてくれ」というツグミのメッセージが込められている。
このツグミの考えた策は決して悪手ではない。
エクトスにとって
そのどこかにバラバラに埋めたとなれば回収は不可能だ。
それに彼女は「埋める」と言っているが、有名な某物語のように火山の中に放り込んでしまえば消滅させられるし、重石をつけて深海の底に沈めてしまうという方法もある。
5つの王家は先祖から受け継がれた「箱」と「鍵」を大事に守り続けてきたが、今の
5つの国しかなかった頃は争いなどなく平和な世界であった
5人の兄弟である王たちがバラバラにして厳重に管理すれば大丈夫だと考えたのは間違ってはいないが、それを再びひとつにして危険な兵器を造ろうとする人間が現れるとは想像もしていなかったのだろう。
結論は出ないままであったが、ツグミと迅がトロポイに到着した初日はこうして過ぎていったのだった。