ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
ツグミたちがトロポイから帰国して10日後、今度はエルヴィンと従者のイェルン、そして
エルヴィンの訪問は同盟加入の調印のための公式なものだが、彼にとってはそれ以上にプライベートな旅行の意味合いが強い。
滞在期間は5日と短いが、それでも彼にとってが最初で最後の旅となるであろう。
だからこそ心残りがないようにとツグミは前もって彼の希望をリストアップしており、視察場所の見学許可もすべてクリアしてある。
初日は長旅の疲れを癒してもらうためにすぐにホテルにチェックインしてもらい、そこで城戸たち上層部メンバーが面会して歓迎晩餐会へと流れる予定だ。
今やVIP
ここなら警護も楽であるし、なによりもホテルスタッフが信頼できるので安心して任せることができる。
もちろんツグミと迅のふたりが本館に部屋を取り、お世話係として待機することになっているのでホテルスタッフが直接顔を合わせることはない。
そういった万全の受け入れ態勢を整え、ツグミと迅は国際港でエルヴィンたちの到着を歓迎した。
「ようこそ
ツグミが恭しく挨拶をすると、エルヴィンは苦笑しながら近付いて来た。
「おいおい、そんな堅苦しい挨拶は無用だと何度も言っているではないか。まあいい、きみたちの顔を見たことでここが
エルヴィンは辺りを見回しながら言う。
「ここは
「ハハハ、冗談に決まっている。きみたち
「はい、残念なことですがこの三門市はエクトスによる大侵攻によって多くの市民が犠牲となり、その傷はまだ癒えておりません。ですから少しずつ時間をかけて
「わかった。しかしその前にどうしても行きたい場所がある。私たちはそのために
エルヴィンが訊くとトリュスとイェルンは大きく頷いた。
「その行きたい場所とはどこですか?」
「オリバの眠る場所だ」
当然とばかりにエルヴィンは答えた。
トロポイの人間にとって織羽と有吾は救国の英雄であり、特にイェルンにとって織羽は命の恩人でもある。
ならば真っ先に墓参りをしたいと思うのは人として当たり前の感情だ。
「わかりました。それではさっそくまいりましょう」
ツグミはエルヴィンたちを車に案内した。
その車は大口スポンサーの某自動車メーカーが提供してくれた特別仕様のワゴン車で、世界で初めて車体にトリオンを使用したものだ。
まだ試作の段階であるため世界に1台しかないもので、今後トリオンの安定供給態勢が整えば一般販売用の生産を行う計画である。
なにしろ車体がトリオン製ならトリオンによる攻撃…いや、トリオン由来の衝撃を受けない限り破損することのない頑丈な車になることは間違いなく、そうなれば金に糸目を付けぬ金持ちどもが我先にと争って手に入れようとするのは目に見えている。
それを見込んで多くの企業がスポンサーになってくれたのだから、ボーダーとしては少しずつでも
ただしエンジンや内装など車体以外は通常のもので外装をトリオンコーティングしているだけなので見た目は普通の車にしか見えない。
ちなみに時速80キロメートルで走行する大型トラックとの衝突実験では車体に傷ひとつ付かずトラックの方が大破したという頑丈さだが、衝撃は大きいようで載せていたダミー人形が破損してしまったとのことなので、これまでのように事故には気を付けなければならないということになった。
これでは普及するのは難しいように思えるが、唐沢はスポンサーに問題ないことを説明してある。
「乗員にはトリオン体に換装してもらうことで安全を保証する」と言うと彼らは納得した。
修のようにトリオン能力が低い人間がほとんどなのだが、彼らは戦闘をするのではなく単にトリオン体に換装できるだけの能力があれば十分なので、99パーセント以上の人間にとって何ら問題はない。
ボーダーの
それは三門市に敵性
「これが
エルヴィンが車窓の景色を見ながら感想を口にする。
二十数年前に有吾がトロポイを訪れた時に
しかし国王という立場上それが叶わぬ願いだと理解していながらも諦めきれずにいて、それがとうとう叶うという機会がやってきたのだから無茶を通そうとした彼の気持ちもわかるというもの。
まるで子供のように窓に張り付いて見るものすべてが珍しいらしく、助手席に腰掛けているツグミにいろいろ質問を投げかけてきた。
トリュスとイェルンも訊きたいことが山ほどあるようなのだが、エルヴィンに遠慮して黙っていた。
もっとも彼らの質問の半数以上をエルヴィンが質問をしているのでそれで十分なのかもしれない。
市街地の花屋で花束を購入し、織羽と美琴の眠る墓地に到着した。
霧科文蔵の養子ではあるが霧科家代々の墓には埋葬せず、忍田家の墓の隣にふたりだけの墓を作ったのだった。
その墓碑にはふたりの名前が刻まれているのだが、その下には小さく「ふたりは
たしかに
そんなふたりに相応しいメッセージを入れたのは城戸の希望だということで、ツグミにはそれが
その墓にエルヴィンたちはそれぞれ花束を供え、旧友たちの安らかな眠りが永遠に続くことを祈るのだった。
◆◆◆
墓参りを終えてホテルに到着すると別館の玄関で城戸、忍田、林藤、鬼怒田、根付、唐沢が整列してエルヴィンたちを出迎えた。
城戸が一歩前に歩み出てエルヴィンに挨拶をする。
「ようこそいらっしゃいました、エルヴィン・トロポイ国王陛下。私が界境防衛機関ボーダーの最高司令官の城戸正宗です。お目にかかれて光栄です」
「私も
ふたりは握手をし、カメラマン役の迅が向けるカメラに笑顔を向けた。
これは調印式を含めすべてを非公開で行うため映像として記録をし、後日トロポイと公式に同盟関係を結んだことを公にする際に使用するための撮影だ。
スチール写真はツグミが愛用のデジカメで撮影をし、彼女が写っている写真が必要な場合には迅が代わって撮影することになっている。
挨拶を終えたエルヴィンたちはツグミの案内で別館の部屋へ向かい、城戸たちボーダー幹部は歓迎晩餐会の時間まで本館で待つことになっている。
開始は午後7時からなのでまだ2時間弱は休むことができるため、それぞれ温泉大浴場で入浴したりマッサージを受けたりと日々忙しい彼らにとって良いリフレッシュタイムになることだろう。
ツグミはエルヴィンたちに部屋の照明や暖房の使い方、浴衣の着方などの説明をし、最後に風呂の入り方について説明をするために露天風呂へと案内をした。
「なんということだ! これほど贅沢な風呂を見たことはない。大きな湯船に湯が贅沢なほど溢れていて、この湯が健康に良い成分を含んでいるとは驚きだ。ユーゴはこの温泉というものを『贅沢の極み』と言っていたが、まさにそのとおりだ。ここに入って好きなだけ湯を浴びてかまわないのだな?」
「ええ、もちろんです。わたしたち日本人にとって温泉はひとつの文化であり、単に入浴をして身体を清潔にするだけでなく娯楽の意味も大きいんです。また湯船は屋内にあるものが普通ですが、こうして屋外に設けて外の空気や太陽の光を浴びながら入浴する露天風呂がとても人気があるんですよ。晩餐会まで時間はたっぷりとありますのでひと休みしたらお風呂に入ってみてはいかがでしょうか?」
「それはいい。しかし屋外で裸になるというのはなんとも不思議な気分だ」
「それが良いんです。初めのうちは抵抗があるかもしれませんが、慣れると非常に心地良いものですよ。この別館には陛下とトリュスさんとイェルンさんの3人だけしか滞在していませんので、他の人間と接触する心配はありません。もちろん陛下の裸を覗こうなどという不届き者はおりませんので安心してお入りください。外は少々冷えていますので露天風呂ではなくこちらの内湯でもよろしいでしょう。どちらのお湯も疲労回復や神経痛、切り傷や肩こりなどの効能のあるお湯ですから、5日間の滞在中ずっと入浴すれば少しは効果があらわれるかと思います」
「わかった」
そしてツグミはエルヴィンたちにお茶を淹れてから言う。
「わたしと迅は別室で待機しておりますので、何かご要望がありましたら遠慮なくすぐに呼んでくださいませ。では、失礼いたします」
ツグミはそう言って退出した。
◆
歓迎晩餐会は別館のダイニングルームで行われる。
参加者はエルヴィンたち3人とボーダーの幹部6人と迅、そしてツグミの11人という
料理は
トロポイに限らず
それも生食となると生臭さや鮮度の面で不可能であるため焼くか蒸すか煮るという料理法しかないので、有吾から聞かされていた「刺身」は想像もできない憧れの料理であった。
それが今まさに目の前にある。
この日の向付は甘鯛、鰤、鮪、ホタテ、ホッキの五点盛で、トリュスとイェルンは少々抵抗があるのか箸をつけるまでに時間がかかったが、エルヴィンは臆せず刺身を口に入れた。
その後「美味い」とひと言だけ言うと無言で刺身の味を堪能し、その様子を見てようやくトリュスとイェルンも口に入れて顔をほころばせる。
食事の中の会話では「オリバ」と「ユーゴ」の名が頻繁に出てきて、城戸と忍田と林藤は自分の思い出の中にあるふたりのことをエルヴィンたちに話した。
◆◆◆
翌日は午後からボーダー本部基地の講堂で同盟加入の調印式が行われることになっている。
前日に非番の正隊員だけでなく訓練生も動員して会場の設営が行われ、当日の午前中には祝賀パーティーの準備も予定どおりに完了している。
今回は非公開となる式典だがスポンサー企業の中から数社を選んで代表者に出席してもらうことになっていて、須坂誠吾や小笠原雪弥たちが見届け人となる。
彼らも調印式が始まる午後2時を待ちきれないのか、早めに本部基地に着いてしまい食堂で若い隊員たちに囲まれながらうどんやカレーなどで昼食を済ませていた。
あとは
「定刻になりましたので、只今からボーダー及びトロポイによる同盟締結調印式を行います」
根付の司会で式典が始まった。
舞台の緞帳がゆっくりと上がり、舞台中央の席には本日の主役となるエルヴィンと城戸、上座にトリュスとイェルン、下座にツグミを含めたボーダー幹部たちが着席している。
根付が全員の紹介をし、続いて総合外交政策局長であるツグミからトロポイという国の紹介と今回の同盟締結に至った経緯の説明が行われた。
トロポイは
つい最近まで鎖国をしており、ボーダー遠征部隊の訪問をきっかけとして平和のために足並みを揃えて働こうということになり、こうして同盟加入となったのだという経緯についても話した。
そしてボーダーがかつて敵とみなして戦っていた
その後に城戸が「
臨席した
続いてエルヴィンが三門市民に向けてメッセージを送る場面になった。
「ミカド市のみなさん、トロポイ国王エルヴィン・トロポイです。この場をお借りしましてみなさんへのご挨拶と感謝の気持ちを伝えたいと思います」
エルヴィンは観客に声をかける。
「私たちトロポイの人間は過去にどの国とも手を結ぶということはありませんでした。別にすべての国を敵視していたのではなく、どの国とも敵にも味方にもならない中立を保つ立場でいることを望んだのです。他国の侵略を認めず、他国へ侵攻しないことで平和を維持するということで、それが最善の道だと私たちは信じていました。ところが二十数年前に
エルヴィンの覚悟はその場にいた人間の胸にしっかりと届いていた。
だから演説が終わると万雷の拍手が沸き上がり、それが収まるまで数分を費やした。
そしてエルヴィンの話が終わると彼は自分の席に座り、そのまま城戸がマイクを受け取って目の前の三門市民とテレビカメラの向こう側にいる大勢の人間に訴えた。
「我々はこうしてまた新しい仲間を迎えることになりました。彼らは
城戸はそう言って客席に向かってお辞儀をした。
これで調印式の式次第は終わりとなり、ビデオカメラを止めると祝賀パーティーのために席を移動するのだった。