ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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625話

 

 

エルヴィンたちの滞在最終日は庶民の娯楽を経験するということでスーパー銭湯と呼ばれる日帰り入浴施設と一般的な銭湯の2ヶ所へ行く予定となっている。

ツグミからアウデーンスでは王都に公衆浴場があることを教えられたエルヴィンは「玄界(ミデン)の入浴文化」に興味を抱いていた。

近界民(ネイバー)たちでも入浴の習慣はあるのだが、それができるのは一部の裕福な人間だけで、それも季節によって異なるが5日から10日に1回か2回できれば贅沢だというレベル。

それが庶民となれば身体の汚れは濡れタオルで拭き清めるだけでおしまいとなる。

庶民階級ではトリオンを使わず森や山で焚き木を拾ってきたり薪を割るなどして湯を沸かさなければならないので、井戸で水を汲む手間と合わせると入浴どころか沐浴でさえ贅沢な行為とも言えるのだ。

ところがアウデーンスには庶民向けの公衆浴場があると聞き、エルヴィンはぜひトロポイにも導入したいと考えた。

さらに自分が実際に温泉に入ってそれが身体の清潔を保つためだけでなく心身ともにリフレッシュする感覚を体験したことで、具体的にどのような施設を建てて運営をしていくのかを直に見たいと希望した。

そこでツグミはアウデーンスにあるような普通の銭湯と、娯楽施設としてのスーパー銭湯の2ヶ所を見てもらってトロポイ独自の入浴文化を広めてもらおうと考えたのだった。

 

 

まずは三門市郊外にある「みかどの湯」へ行く。

ここはどこにでもあるごく一般的な日帰り温泉施設で、大浴場、露天風呂、サウナ、ジャグジー等の入浴設備だけでなく、レストランやマッサージルーム、さらに宿泊設備も整っているために「健康ランド」的な面が強い。

ここは水着を着用するので温泉文化に慣れていない外国人でも抵抗なく入浴できるだけでなく、男女一緒に楽しむことができる。

一度に100人近く入ることのできる大きな湯船に感激するエルヴィンたち。

露天風呂は自然石を並べた湯船の他に寝ながら湯に浸かる「寝湯」やジャグジーバス、うたせ湯もあり、様々な方法で入浴を娯楽や癒しとして体験できるようになっている。

トロポイの人間にとってこのような施設を経験するのは初めてで、3人とも良い意味でカルチャーショックを受けたようだ。

日本人にとっては日常の中に当たり前にある温泉も近界民(ネイバー)にとっては未知の存在であり、健康促進に効果があるとなれば取り入れたいと思うのは無理もない。

エルヴィンも「アウデーンスで可能ならトロポイでもできるはずだ」とやる気満々だ。

 

 

風呂の()()()をして、湯疲れしないようにと湯上り処で休憩も入れ、3時間ほど楽しむと施設内にあるレストランで昼食をとることにしたツグミたち。

畳敷きの大広間には食事をしている家族連れや高校生くらいの男女のグループが数組いた。

前日の3月1日に卒業式を済ませた3年生らしく、彼らの会話を聞いていると進路の決まった者とこれから大学の入試を受ける者と半々のようだ。

 

(そういえばオサムくんとユーマくんも昨日卒業式だったっけ。お祝いメールを送ったら『これからはボーダーの仕事に専念します』って書いてあった。オサムくんって自分のやるべきことだと決めたら絶対にやる人だもの、総合外交政策局の仕事をそうだと定めてくれたのはすごく嬉しい。拉致被害者市民救出計画も次の目的地が決まったことでまた一歩前進したってことだし、優秀なブレインがそばにいるからオサムくんも安心よね)

 

そんなことを考えていると迅が声をかけてきた。

 

「ツグミ、おまえは何にする?」

 

ランチメニューのページを広げて見せる迅にツグミは答えた。

 

「えっと…この平日限定のレディースセットがいいかな。写真を見るとデザートにイチゴとミニアイスが付いてるみたいだし」

 

「そっか。おまえはイチゴが好きだもんな。…これで全員決まったな。じゃあ、注文しようか」

 

迅は5人分の注文メモを持って食券を買いに行った。

そのシステムが珍しいのか、トリュスが迅と同行して見学をさせてもらうようだ。

近界民(ネイバー)たちの文明は「トリオン」という一点においては玄界(ミデン)のそれと比べて比較にならないほど進んでいるのだが、それ以外のこととなると玄界(ミデン)に軍配が上がる。

あらゆるものをトリオンで創造し、トリオンの大小で優劣が決まる近界(ネイバーフッド)にはトリオンを用いない技術や文化はあらゆるものが珍しく興味深いものとなのだ。

一方、玄界(ミデン)ではトリオンという物質の存在さえ20年ほど前に知られるようになった未知の物質だからそれを根源とした文化が栄えるはずもなく、近界民(ネイバー)にとってはトリオンを使わない文明を発展させた玄界(ミデン)の繁栄ぶりが羨ましいと思うのは無理もない。

近界民(ネイバー)の文明はトリオンによる無限の可能性を秘めていて、トリオンを様々な形状に変えて道具(トリガー)を創造する。

トリオンはエネルギーにもなり、物質の()()としても利用される便利な物質だからトリオンが大量にあれば何でも可能にすることができそうだ。

しかしトリオンが生体由来のもので、それを生み出す人間の質と数が十分でなければ限界がある。

さらにその大地が(マザー)トリガーによって支えられているとなると「神」のトリオン能力が大きく影響して、国民の生活も大きく左右されることになっているから、(マザー)トリガーから抽出されるトリオンの量をどう配分するかで頭を悩ませてしまう。

だから「足りないのなら他国から奪う」となってしまうわけだ。

近界民(ネイバー)の先祖は遠い昔に玄界(ミデン)から渡った人間で、彼らは当時進んだ文明を築き上げ強大な武力によって他国を支配する大国の人間だった。

しかしその進んだ文明が自らを滅ぼす原因となるものを生み出してしまい、新たな天地 ── のちに近界(ネイバーフッド)と呼ばれる異世界で生きる道を選んだ。

たぶん初めのうちは慎ましく生きてきたことだろう。

ところが彼らは「強者は奪い、弱者は奪われる」ことを繰り返してきた人類の末裔であるから、足りなければ他者から奪い、奪われたくないのなら自衛をして奪われないようにすべきだと考えてしまう。

それが道具としてのトリガーを武器に転用し、さらに威力を増すための開発を続け、数を増やすために多くのトリオンを注ぎ込んでいく。

そうなるとさらにトリオンが不足することとなり、トリオンを生み出す人間を他国から奪おうとして強力な武器(トリガー)を手にして侵攻を開始する。

そんなことを繰り返していて現在の近界(ネイバーフッド)近界民(ネイバー)となっていったのだ。

もしかしたら彼らの遺伝子に刻まれた玄界(ミデン)の人間であった頃の記憶が呼び覚まされて、トリオンによって人生が大きく影響される今の境遇を嘆き、トリオンのない世界への憧憬の気持ちを抱くようになっていったのかもしれない。

それにしてもトリオンを欲する近界(ネイバーフッド)にはトリオンを生み出す人間が少なく、トリオンと無縁な玄界(ミデン)には大勢の人間がいるとはなんとも皮肉なものだ。

 

 

「好きな場所を選び、そこで注文する料理を決めたところで食券なるものを自動販売機で購入。それを受付に出すと食券の半分をちぎって内容を厨房へ伝達し調理をする。客は料理ができるまで座って待っていて、料理が出来上がると食券の番号で呼び出されて半券と引き換えに料理を受け取って自分でテーブルへと運ぶというシステム。非常にシンプルで合理的だ」

 

ツグミたちの待つ席へ戻って来たトリュスは迅から詳しい説明をしてもらったらしく、ひとり言を呟きながら手帳に書き込んでいる。

 

「これなら注文を受け付ける係、料理を作る料理人、できた料理を客に引き渡す係という最小限の人員で回していくことができる。客に手伝いをさせることによって手間を省くことができることで、客にも質の良いものを安価で提供できるのだから客も満足だろう。もちろん全部従業員がやってくれる店もあるが、こうした庶民が気軽に利用できる食堂ではこのシステムは双方にとって都合が良い。考えた人間はどんな人物だったのだろうか…」

 

トリュスはこれまで技術者(エンジニア)としての目線でいろいろな場所を視察してきた。

前日はエルヴィンが保育園と小学校を訪問している間、迅たちと一緒に自動車の工場や風力発電所を見学しており、その興奮が冷めやらぬ中で3日目は全員での玄界(ミデン)の入浴文化体験となった。

彼女には他にも行きたい場所があったものの数が多すぎてその半分でも無理だとわかったため諦めたという経緯がある。

しかし同盟国の技術者(エンジニア)であれば今後は比較的簡単に三門市へやって来ることが可能となるため渋々だが承知したのだ。

いずれ個人的に()()()来るだろうと予想され、そんなトリュス()に振り回されるイェルン()の苦労が目に見えるとツグミは心の中でほくそ笑んだ。

 

 

◆◆◆

 

 

食事を終えてから1時間ほど休憩し、次は三門市街地の一角にある銭湯「熱海湯」へと向かった。

入浴施設ではあるが「みかどの湯」と比べると小規模で浴室と脱衣所と小さな休憩室しかない普通の銭湯なので見劣りしてしまうが、トロポイで実際に建てようとすればこちらの方が現実的である。

この銭湯は宮造り銭湯の典型的な例の古い建物で、創業から約70年経つのだがその立地が幸いして第一次近界民(ネイバー)侵攻では被害をほとんど受けることはなく、当時家を失った避難民たちを無料で受け入れたということで店主は三門市長から感謝状をもらったということだ。

「熱海」とは日本の温泉地で非常に有名な場所で昔は海から熱い温泉が沸いていたから「熱い海」すなわち「熱海」なのだとエルヴィンたちに教えると興味を示し、男女別に分かれて暖簾をくぐった。

 

この「熱海湯」は温泉ではなく大量の湯を沸かすため燃料として未だに「薪」を使っている非常に珍しい銭湯だ。

重油やガスで湯を沸かす銭湯が多い中、ここの店主は薪を使うことに拘っている。

薪を使うことで湯がやわらかくなるということで、創業当時からまったく変わっていないそうだ。

薪を集めることが大変な現在でも創業者の信念は受け継がれている。

第一次近界民(ネイバー)侵攻で破壊された木造家屋の残骸を集めて使用していた時期もあったということで、この銭湯は三門市と三門市民の歴史の証人でもあるのだ。

脱衣所はレトロな雰囲気を漂わせており、木製のロッカーや籐のカゴが年季を経て良い風合いを醸し出している。

ツグミも銭湯を使うのは久しぶりで、見るものすべてに興味を持って質問をしてくるトリュスにいろいろ説明をしながら服を脱ぎ、まだ誰もいない浴室へと足を踏み入れた。

 

「わぁお…」

 

トリュスが感嘆の声を上げた。

彼女の視界には正面に見たことのない美しい山の絵が飛び込んで来たのだ。

 

「あれは富士山といって日本人にとっては特別な意味を持つ山です。銭湯の壁にはこうした『ペンキ絵』が描かれている場合が多いですね。ずいぶん昔のことですが、とある銭湯の主人が殺風景な壁じゃ面白くないからと言って壁に絵を描いてもらうことにしたところ、その絵を描いてくれた人の故郷から富士山が良く見えたということで、その富士山を大きく壁いっぱいに描いたということから始まったそうです」

 

「なかなか見事なものだ。手前にあるのは湖か?」

 

「いいえ、これは海ですね。たぶん西伊豆の海岸から海越しの富士山を見たという構図のようです。実際にわたしはこのような風景を見たことはありませんが、絵画でもこんなに見事なんですから本物はもっとすごいんだろうなって思います」

 

「海…そういえばユーゴが言っていたな。玄界(ミデン)の…自分の故郷には海というものがあって、人類はその海から生まれた生物なのだと教えてくれた。だから人は海を見ると懐かしくなるのだとも言っていた。我々近界民(ネイバー)玄界(ミデン)を捨てて近界(ネイバーフッド)へ渡って来た一族の末裔だ。きっと私の身体の中にも海を懐かしむ何かがあるのかもしれないな…」

 

トリュスは目を細めてそう言った。

 

「トリュスさんは海が見たいんですか?」

 

ツグミが訊くと、トリュスは小さく頷いた。

 

「ああ。しかしこの短い滞在時間の中で効率良く視察を行うためには優先順位を付けなければならず、海を見るというわたしの希望はずっと下の方だった。だがこうして銭湯の絵であっても海が見られたのはまさに僥倖というもの。良い土産ができた」

 

そうは言うものの、彼女の笑顔は少し寂しそうだ。

 

 

◆◆◆

 

 

銭湯から出たツグミたちはボーダー本部基地へと向かっていた。

これで視察は予定どおり終了し、城戸たちに挨拶をしてから帰国するだけとなっている。

エルヴィンたちは満足している様子だが、ツグミは銭湯で見たトリュスの寂しげな顔が気になっていた。

 

 

総司令執務室には城戸と忍田と唐沢の3人が待っており、エルヴィンが滞在中のお礼について述べたところで公式訪問の全過程が終了したことになる。

するとエルヴィンは城戸とツグミだけを残して人払いをしてくれるよう頼む。

その意味がわかる城戸は承諾して、忍田と唐沢は退出し、迅とトリュスとイェルンは先に車に戻っていることになった。

そして部屋の中には3人だけになり、城戸は金庫の中から白い布で覆われた「包み」を取り出して机の上に載せる。

その包みをエルヴィンが外すと、そこにはどんな材質でできているのかはわからないA4サイズの紙が入るくらいの大きさで厚みが7-8センチくらいの「箱」と古めかしい「鍵」のようなものが出てきた。

 

「まさか…!」

 

ツグミはその「箱」と「鍵」に心当たりがあるものだから驚いてしまった。

そしてエルヴィンの顔を見ると彼は真剣な顔でツグミに言う。

 

「きみには説明は無用だな。私はトロポイ国王としてこの『箱』と『鍵』をきみに預けたいと思う。トロポイを発つ時にはまだ迷っていたが、この数日間きみと一緒に玄界(ミデン)を見て回ったことで決心をした。きみに全責任を負わせるような形になるが、これはきみが管理してくれることによって最善の結果への近道となるだろう。残りの国がどのような判断をするのかわからないが、トロポイがエウクラートンのツグミ・オーラクルを信頼して託したのだと知れば他国の王たちも自らどうするべきなのか考えてくれるはずだ。きみはエクトスに乗り込む覚悟でいるそうだな。それならエウクラートン、キオン、リコフォス、そして我がトロポイの4ヶ国が意見を一致させたという『証』があった方がいい」

 

「……」

 

「4ヶ国が同意してボーダーに4つの『箱』と『鍵』が揃うとなるとエクトスにとって都合が良いわけだが、一方ボーダーという堅牢な砦の奥に集めておく方が守る側にも都合が良い。安全な場所だということとボーダーの人間が信頼できる人物だという確信があるからこそ私は持ち帰ることはなく預けたままにしておくことに決めたのだ。しかし受け取るか否かはきみ次第だ。…こんなやり方を卑怯だときみは思うかい?」

 

エルヴィンに問いかけられて、ツグミは黙ったまま考え込んでしまった。

 

(城戸司令が中身に驚かなかったということは預かった時点で包みが何であるか知っていたということ。それにこの様子だと4ヶ国分の『箱』と『鍵』を預かることになったとしても拒絶するようなことはなさそう。ただエクトスが奪いに来る可能性はあって、それは三門市民を危険に晒す恐れがあるということだ。そのリスクに気付かない城戸司令じゃない。ということはわたしがボーダーを辞める前にこの問題を解決することができると考えているってことかも? わたしもこの問題を解決しなければ国民に対しての義務が果たせない人間のひとりだ。エウクラートンの女王になる前にこんな面倒事は解決してしまいたい。そうでなければ安心して神殿の中で(マザー)トリガーの()()()なんてできないもの)

 

ツグミは意を決してエルヴィンと城戸のふたりに言った。

 

「わかりました。エルヴィン陛下、この『箱』と『鍵』はわたしが責任を持ってお預かりいたします。これから残りのキオン、リコフォス、エウクラートンへと赴いて陛下のお考えとわたしの決心について説明をし、3つの『箱』と『鍵』を回収してきます。…そして城戸司令、わたしがエクトスへ赴いて決着をつけてくるまで4つの『箱』と『鍵』をここボーダー本部基地で管理していただけませんでしょうか?」

 

「それはかまわないが、どうするつもりだ?」

 

城戸は険しい顔で訊く。

 

「5つの『箱』と『鍵』があってそのうちの4組が手に入れば3つの『箱』を開けることができます。ですからこちらとしては開いた『箱』の中に何が入っていようとも()()してしまうだけで済みます。ですがエクトスは製造方法の3分の1とどこかの国の『箱』を開ける『鍵』を持っているだけで、すべての『箱』と『鍵』がなければ核兵器を再現できないのですから勝ち目はこちらにあります。こちらで処分したと言ったところでエクトスが信用するのかはわかりません。だから彼らの目の前で焼却してしまうなどして存在を消してしまわないと納得はしないでしょう。そしてこの『箱』と『鍵』の問題が解決してもそのことで逆恨みされても面倒ですから、彼らが納得する方法で処分する他に道はないと考えています。今のところ名案は浮かびませんが、強力な()()があれば戦うことに対して何の恐れもありません」

 

「そうか…おまえのことだからそう言うとは思っていたが、やはりそう決めたか。ならば私はもう何も言わぬ。おまえのやりたいようにやればいい。…しかし忍田にこの話をすれば反対するのは目に見えている。だから人払いをしたわけだが…そちらは私が何とかしよう」

 

「ぜひお願いします」

 

そう言ってツグミは城戸に深く頭を下げた。

 

 

 

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