ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
ツグミは城戸との面会の約束を取り付けるとすぐに総司令執務室へと向かった。
彼女に与えられた時間は30分弱なので段取り良く進めないとタイムアップとなってしまう。
普段の報告であれば報告書を読んでもらうことがメインで口頭はその補足的な部分が大きいのだが、書面に残すことのできない最高機密なのですべて口頭で行わなければいけない。
「箱」と「鍵」の件はボーダー幹部でも城戸と忍田のふたり、そして迅しか知らないことで、前回キオンやエウクラートンなどの4ヶ国訪問をした際に同行してもらったゼノンとリヌスでさえ訪問理由は聞かされていない。
ゼノンとリヌスはツグミが極秘任務で動いていることを感じてはいるようだが、彼らは理由について問うことはない。
さすがはキオンで鍛えられた優秀な諜報員である。
上官の命令であればどのようなものであっても従う姿勢は3年経っても変わらない。
そして黙々と与えられた任務を確実に遂行するところはまさに軍人の鑑といえよう。
もっともツグミのことを友人だと考えているから彼女の行動にハラハラすることもあるが、基本的に全幅の信頼を寄せているので黙って従うだけなのだ。
たぶん「箱」と「鍵」の件はすべてが解決したとしても公にはせず、関係者の記憶の中だけでに留められることになるだろう。
そして関係者がすべて鬼籍に入り覚えている者がいなくなると同時に歴史の裏側に消えていくことになるはずだ。
ツグミからの報告を聞いた城戸の表情は険しい。
エウクラートンで保管されていた「歴史」の文書の内容を知らされたなら、普段の険しい顔がますます強張るのは無理もない。
遠い昔にトリオンの存在を確認して使用してきただけでなく、核兵器さえ作ってしまったマニュスの民が
そんな彼らがウランを独占しようと考えてメスキナを支配するためにウランを使用した兵器を開発したのだが、その威力は彼らの想像以上の破壊力を持っていてすべてを吹き飛ばしてしまった。
現代の
しかしエクトスの人間は単に強大な破壊力を持つ兵器という認識しかないため、使用後の環境汚染や健康被害など知る由もない。
だから危険なのだ。
「…わかった。ただおまえが言うようにエクトスの事情がわからない以上は手の打ちようがないな。だからおまえのエクトスへ行って国王と話をしたいという気持ちはわかる。しかしそれは自ら危険な罠に飛び込むようなものだし、『神』問題が原因であるのなら誰にも解決することはできないのだぞ」
「はい。城戸司令のおっしゃるとおりです。ですから仮に『神』を探すために核兵器を再現しようとしているのであればキオン、エウクラートン、トロポイ、リコフォスの4ヶ国で武力行使をして他国への侵攻を止めることも選択肢に加えてあります。武力行使は最終手段ですけど、そうしない限り最悪の未来があるというならやむをえません。麟児さんの話ではエクトスという国自体は兵器開発で後進国ですからキオンやトロポイの軍を動かせば押さえつけることはできるでしょう。でもそれではこれまでずっと守ってきた
「たしかにそのとおりだ。すべては極秘裏に済ませたいというおまえの気持ちはわかる。それでどうするつもりなのだ?」
「そうですね…ひとまず『箱』と『鍵』の件は置いておいて、ボーダーの総合外交政策局長として訪問するのはどうでしょう? こちらが軍事侵攻ではなく話し合いをしたくて来たとなれば門前払いということにはなりません。それにエクトス側はリコフォスでの潜入工作が失敗したヴィート隊の3人が亡命したことは知りません。諜報員は定期的に本国に連絡を入れなければならないルールがあり、彼らがリコフォスに亡命したということは知られていないでしょうけど、任務に失敗して失踪したのではないかと判断されている可能性もあります。先日リコフォスを訪問した時にサルシド閣下からエクトスによる新たな工作はなかったと聞いています。警戒を厳重にしているからなんでしょうが、もしかしたらすでに諜報員が潜入していて二度と失敗しないように様子を窺っているかもしれません。そこで『箱』と『鍵』の存在を知らないボーダーの人間が第三者として政庁で見聞きしたことという形で教えてあげたら無謀であったと考え直すんじゃないかと考えました」
「教えるって何をどのように教えるんだ?」
「あくまでも
「そうなるとボーダーがエクトスを訪問する理由をどうするかだ。エクトスが拉致した三門市民の情報がボーダーに掴まれていることは奴らもわかっているだろう。
「だから
ツグミの言うことはもっともだ。
三門市がエクトスによる侵攻を受けて大きな被害を出した時から三門市民はエクトスを「敵」として認識している。
約8年前のことでありエクトスにとってはすべてが終わっている過去の出来事だが、ボーダーにとっては拉致被害者市民の救出をリアルタイムで行っているのだから現在の出来事だ。
エクトス側としてはいろいろ問題を抱えて解決までに時間がかかるという時に新たなトラブルが生じるとなれば対応を間違えてはならないと慎重になる。
ここでボーダーの使節団を門前払いすれば今度は同盟国であるキオンやアフトクラトルを引き連れて再訪する可能性が生まれ、そんなことになれば
ならば会うだけ会おうという気になり、入り込んでしまいさえすればあとはツグミが上手く対応するという確信がある。
これまでも相手がキオンの総統であろうとアフトクラトルの王であろうと
むしろ理に適っているように思え、反対する理由が見当たらずにいた。
少なくとも現時点で4つの「箱」と「鍵」を握っているのが彼女だということは知られていないのだから、人質にされて「箱」と「鍵」との交換要求をしてくることはない。
「いきなり『箱』と『鍵』の件で4ヶ国の代表が現れるよりも、ワンステップおいてからの方がエクトス側の印象も変わってくると思います。もっともボーダーの霧科ツグミがエウクラートンのツグミ・オーラクルであったと知れば一杯食わされたって愕然とするでしょうね。でもその時にはもうこちらの土俵にひっぱり上げられてしまっているわけですから簡単に下りるわけにはいきません。そしてすべての『箱』と『鍵』を手に入れようとすれば4ヶ国を説得しなければならず、王族を人質にして要求するというのならキオンとトロポイはもちろんのこと同盟国のアフトクラトルやボーダーが全軍を率いてエクトスに攻め入ることになるわけですから、そのリスクを考えれば無茶はしないと思います。むしろエクトスが頭を下げるのであれば同盟国が問題解決のために協力すると説明し、核兵器の再現を諦めさせることができるでしょう。まあ、例の文書を読んでもらえば核兵器が危険な存在であることがわかるでしょうし、それでもわからないというのなら
ツグミの説明は続いた。
「何事も最悪の事態を想定して行動しなければなりませんし、今回は4ヶ国の要人も巻き込んでしまうわけですから念には念を入れて対策を練ります。エクトスに人質にされそうになった場合には逃げることができるようにタキトゥスの
こうなったらやりたいようにやらせるしかないと城戸は考えたようで、ツグミの望む答えを口にした。
「いいだろう、好きなようにやってみろ。しかし無断ではやるな。そして私がダメだと判断した場合には諦める。その約束ができるのならおまえに任せる」
「了解しました、城戸司令」
ツグミは笑顔で敬礼をした。
「それとまだ少しお時間があるようなので別件のお話があります」
「何だ?」
「去年わたしがラグナに半月ほど滞在した時にその経験から仮説を立てて実験をしていることは覚えていらっしゃいますよね?」
「ああ、もちろんだ。個人のトリオン能力にはその食生活が大きく影響を与えていて、トリオン由来の作物ならば作物にもトリオンが含まれているだろうから、トリオンが豊富なものを食べ続けることでトリオン器官が発達するだろうというものだったな。それで実際にエウクラートンやラグナ、そしてメノエイデスといった農業国で収穫された穀物や牧草を仔牛に食べさせて、
「そうです。あれから1年が経ちました。離乳期直後の仔牛でしたからそろそろ結果が出ているのではないかと思います。唐沢部長の紹介してくれた酪農家の方にお願いして任せきりなので、近いうちに訪問して結果も確認してこようと思っています。もしこの仮説が定説と認められたなら、長期的な計画を立てることで
「本気…なんだな?」
「もちろんです。もしわたしの考えているとおりになったなら、
ひと通り「報連相」を済ませてしまうともう用はないとばかりに退出しようとするツグミ。
それは忙しい城戸に迷惑をかけまいとしてビジネスライクに進めているからなのだが、城戸にとっては娘のように見守ってきた彼女が他人行儀な態度でいるため少し寂しくなってしまった。
「ツグミ、もし都合がつくのなら久しぶりに…いや、いい。おまえにはやりたいことがたくさんあるというのに時間は全然足りないのだからな」
城戸は「都合がつくなら久しぶりに一緒に飯でも食おう」と言おうとした。
しかし彼女に残された時間は限られており、自分のワガママで彼女の時間を奪うことは許されないと思ったのだ。
「…たしかにわたしにはやりたいことはたくさんあって時間が足りないのは事実です。急いでやらなければならないこともあり、優先順位を付けることで順位の低いものは諦めるしかありません。でもわたしにとって最優先なのは家族や友人と過ごすことです」
「…!?」
「あと半年しかない霧科ツグミでいられる時間をどう使うかはわたしが決めます。…城戸
ツグミはそう言って優しく微笑んだ。
まるで城戸の心の中を読んだかのようで、城戸は驚くと同時に胸が熱くなった。
「それは嬉しいな。近いうちに3人で都合を合わせておまえたちの家に伺うとしよう」
「はい。わたしも楽しみにしています」
そう言うとツグミは軽く会釈をしてから総司令執務室を出て行ったのだった。
その後ろ姿を見つめながら城戸は思った。
(わたしにとって最優先なのは家族や友人と過ごすこと…か。私たちのことを今でも家族だと思ってくれているのだな。織羽と美琴…両親と暮らした時間よりもはるかに長い時間を私たちとボーダーで過ごしてきたのだからそう思うのも当然かもしれない。私は常に戦場に身を置き、子供たちと共に戦ってきた。本来なら私たち大人が子供たちを守らねばならぬというのに、こんな老いぼれが残ってしまい次代を担う若者を大勢死なせてしまった。しかしツグミは生き残ってくれた。そのおかげでわたしはボーダー創設時の夢を思い出し、織羽と有吾と最上との約束を果たすことができる一歩手前まで来ることができたようだ。
城戸は窓際へと歩いて行き、窓の外に広がる景色に視線を向けた。
荒れ果てた警戒区域や放棄地区の向こう側には日々を懸命に生きる三門市民の家々が見える。
(8年前の大侵攻はこの街と人々の心に大きな傷跡を残し、それは完全に癒えることはない。しかし人はたくましく生きている。三門市は人口の大量流出を危惧したが心配するほどではなかった。それは
城戸が自嘲気味に笑うとドアをノックする音がし、続いて唐沢の声がした。
「城戸司令、唐沢です。入ってよろしいですか?」
「ああ。待っていたよ。入ってくれ」
城戸の許しを得た唐沢は総司令執務室の中へ入って来るなり言った。
「やっと政府が重い腰を上げたようです。これでようやく新たな一歩を踏み出すことができますね」
「そうか…。では詳しいことを報告してくれ」
「はい」
唐沢は携えていた書類の束を城戸に手渡した。