ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
「なぜきみがユゥアレェィニィアムのことを知っているんだ!?」
レグロは信じられないという顔で訊く。
「箱」と「鍵」の秘密は「5人の王」の末裔である5つの王家の人間しか知らない最高機密のようなもので、
ツグミは平然と答えた。
「エクトスの工作員を捕えたのが偶然リコフォスに居合わせたボーダーの遠征部隊で、わたしが彼らから直接聞いたんです」
「そうか…。そのユゥアレェィニィアムをエクトスに譲渡することを条件に出されたわけだが、今の私にリコフォスの王族に働きかけることなんてできるはずがない。むしろ家族や同胞を裏切って亡命した私のことなど勝手にしてくれと言うだろうと考えた私は神殿や王城などの詳しい情報を教え、エクトスの人間が盗み出せるように協力をしたのだ。それがどんな結果をもたらすのかなど私はまったく想像もしていなかった。詳細は愚弟の手紙に書いてあった。また私は自分の身可愛さでリコフォスを裏切ってしまい、今度は多くの無辜の民の命まで奪ってしまったのだ」
「……」
「たぶん第三者の立場のきみたちの目から見ればすべて私の自分勝手な行動によって招いたことなのだから、おとなしくエクトスの『神』になればいいと考えるだろう。ブランカを哀しませることにはなるがそんなことは些細なこと。多くの人間のために命を捧げることは尊いことで王族の義務のひとつだと言うかもしれないな」
レグロはうつむきながら言う。
しかしツグミは首を横に振った。
「たしかに王族の一員として生まれたのであれば国民のために生きるのは当然だと思います。だから個人の意思や自由がそれに反する場合は我慢するとか諦めるということも必要でしょう。でも最終的にはそうしなければならないのだとしても、最後の最後まで諦めないでやれることをやって、その上でなら後悔はなく身を捧げることを受け入れられるのではないでしょうか? わたしはギリギリまで足掻いて、その結果が満足いくものであってもなくても運命は受け入れる覚悟で生きています。閣下はいかがですか?」
「…!」
レグロはツグミの言葉にハッとして顔を上げた。
そこには慈悲深い微笑みをたたえたツグミがいる。
「サルシド閣下はレグロ閣下がリコフォスに仇をなすようなことは絶対にありえないと信じていました。ですがユゥアレェィニィアムがリコフォスにあることを知っているのはリコフォスの王族の人間だけです。そうなると情報源がレグロ閣下であるとしか考えられない。信じたくはないから真実を知りたいと決心をし、わたしがエクトスへ行くと話すとあの手紙をわたしに託してくれたのです。サルシド閣下がわたしを信頼してくれているのはわたしの人間性を認めてくれたこともあるのですが、理由は他にもあるんですよ」
そう言ってツグミはチョーカーを外してレグロに見せた。
暗い小屋の中ではあるが、
「これは…! きみはエウクラートン王家の人間なのか?」
ユゥアレェィニィアムという言葉を聞いた時以上に驚くレグロ。
そんな彼にツグミは言う。
「わたしはエウクラートン人の男性と
「なんと…」
「サルシド閣下にもそのことはお伝えし、その上で関係するキオンやトロポイにもエクトスの陰謀については報告してありますので、大量殺戮兵器を再現することは不可能です。『箱』と『鍵』も安全な場所に移動させてありますので、ヌンツィオ陛下の手に渡ることは絶対にありません」
ツグミがそう断言するとレグロは安心したのかこれまでになく温和な表情で微笑んだ。
それが演技だとは思えないほど自然なものであったため、ツグミはこれまでの情報 ── サルシドの証言や自分が接して感じたもの等 ── から信じるに値する人物だと認定したのだった。
「閣下と奥様をお助けしたいとは思いますが、わたしにはどうすればいいのかわかりません。この国の問題はこの国の中で解決すべきことですので、部外者であるわたしがヌンツィオ陛下に意見を言うことはできません。『神』問題はエクトス国民の命に関わることですから内政干渉となります。また陛下に次の『神』を誰にするのかを決める権限があるのですから、陛下に他者の意見を聞く耳がなければどうしようもないことです。陛下の側近のアロイス宰相閣下の言葉なら耳に届くかもしれませんが、それでも
「…ならばどうしたらいいのだ?」
「『神』の寿命は
「……」
「だから多くの国では王族の中で最もトリオン能力の高い人物を『神』にするのでしょう。個人の自由や意思などを蔑ろにする行為ですが、王家に生まれた者の義務と考えれば納得できるものです。王族として生まれたなら日々の食事に困ることもなく、また冬に寒さで凍えることもなく暖かい部屋で眠ることもできます。ですが庶民だと満足な食事もできずに健康を害してしまい亡くなる方も多く、どんなに寒くても貧しい家では暖を取る方法が薪しかないのでそれを全部使い切ってしまえば凍死してしまうこともあります。恵まれた生活を送ることができるのは王家の人間だからではなく、国民に対して健康で平和な暮らしを提供する義務を負っているからだとわたしは考えます。庶民同様に生きる道を選ぶことができた人間が、安穏とした人生を送っていながらいざとなると義務を果たしたくないと言うのならそれは単なるワガママというもの。こう言うと閣下を責めているように感じるでしょうが、閣下の行動を見ていると自分が『神』になりたくないといって逃げ回っているだけなのは事実です」
「……」
「運が悪かったのひと言で済ませてしまうのは簡単です。ですがわたしは定められた運命であってもならば最後まで抗って戦うことにします。わたしは
「だがきみは女王になるだけで命を失うわけじゃないだろ!? 私は『神』という名の生贄にされそうになっているのだぞ! きみは私に納得して死ねと言うのか!?」
レグロはそう言って拳を振り上げてツグミにぶつけたい怒りや哀しみの感情を小屋の壁に叩きつけた。
「閣下のおっしゃるように女王になることと『神』になることは同等ではありません。ですが女王になるということは神殿という世界から隔離された場所で限られた人間としか顔を合わせることもなく
「…!」
レグロは心当たりがあるらしく一瞬で顔を真っ青にして、続いて真っ赤な顔になって叫んだ。
「ちくしょう! そういうことだったのか! だからあの男は私を…」
「閣下、わたしが想像した話を聞いていただけますか?」
悔しそうな表情のレグロにツグミは自分が推測したシナリオを披露した。
レグロは「神」になれるほどのトリオン能力を持っており、そのせいで祖国を捨ててエクトスへと亡命した。
それが24年前のことなのだが、その頃ならヌンツィオもエクトスの「神」の寿命が近いということは承知していただろう。
だから次の「神」候補を探すために各国に諜報員を派遣して情報収集をし、そこで得た情報を利用して隊商国家としての体裁を整えていた。
そして8年前に
そしていざという時のためにレグロを確保しておけば心配はいらない。
結果、三門市民の約400人が拉致されたのだが「神」となる人物はその中にいなかった。
ヌンツィオにとってはその事実は残念なことではあったものの絶望するものではない。
そのためにはレグロがエクトスから逃げ出さないように十分な贅沢をさせていた。
彼が頭の良い人間であるために国政に関わらせると面倒なことになると考えて悠々自適で趣味に夢中になれる環境を整えた。
さらにエクトスの女性と結婚すればさらにこの国に対する執着心が湧くというものだから、彼がブランカという女性と出会ったのもヌンツィオの計略であったかもしれない。
仮にそうだとすると夫人もヌンツィオの企みの片棒を担いでいて、彼女を「神」にするという話はレグロを逃がさない口実である可能性も出てくる。
さらにヌンツィオには別の算段もあった。
彼は「5人の王」の末裔であるのだから過去に先祖が使用した核兵器のことは知っていて、自国には製造方法の一部が書かれた書面が厳重に保管されていることも知っている。
核兵器を再現することができれば
レグロも自分と妻の命が助かるためであれば仕方がないと、「箱」と「鍵」の強奪計画に協力をする。
彼はエクトスの諜報員が神殿に忍び込んでこっそりと盗み出すものだと考えていただろうが、実際にはリコフォス国民の4割が死亡することになる生物テロが行われて、「箱」と「鍵」は無事だという結果となった。
ヌンツィオとレグロは「箱」と「鍵」の強奪が成功したという報告を待っていたわけだが、ツグミの訪問によってそれが失敗したことを知る。
「そうなるとヌンツィオ陛下にとっては望みの綱がレグロ閣下だけとなり、身の危険を察知した閣下が
「え…」
「怯えさせる気はありませんが警戒しておくべきだとは思います。それと…」
ツグミはそこまで言いかけて口を噤んでしまう。
そして険しい顔になって言った。
「アロイス閣下にお会いして話を聞いてみましょう。会うことができれば…ですけどね」
意味深な言い方をするツグミ。
彼女の頭の中にはアロイスが非常に悪い立場に置かれていて、身柄を拘束されている姿が浮かんでいた。
「今夜はレグロ閣下とお話ができて良かったと思います。それを踏まえた上で明日からのヌンツィオ陛下とお会いすることにします」
「それでは私の話を信じてくれたってことだな?」
ようやく冷静になったレグロはツグミに訊くと、彼女は小さく頷いた。
「全面的に信用しているというわけではありませんが、わたしが閣下と話してあなたが悪人ではなくタダの弱い人間だということもわかりましたから」
「私が弱い人間…だと?」
「ええ。でもそれは悪いことではありません。王族だろうが庶民だろうが人間とはそういうものですから。でも閣下は自分の前に立ち塞がった困難に対して立ち向かうことをせず逃げ出して、今また24年前と同じように逃げることしか考えていない。弱い人間で、悪人ではないけれども卑怯な人間だという印象です。閣下がリコフォスから逃げた後、『神』となったのは女王であった閣下のご母堂です。長い間女王としての務めを果たし、最後が『神』であったというのですから彼女にとっては自分のための人生なんてものはなかったかのように思えます。ですがわたしは彼女のことを尊敬しています。王家に生まれた義務を全うし、息子が負うべき役割も代わりに引き受けてくれたんですから」
「……」
「彼女は自分の意思で王家に生まれたのではありません。ですから定められた王族としての運命や役割に納得はしていなかったとは思います。ならば諦めていた、仕方がないから役目を引き受けたのでしょうか? わたしは彼女に会ったことがないのでどのような人物なのかはわかりません。ですがサルシド閣下からお聞きしたお話ではすべての人間の長所も短所も包み込んで広い心で受け入れる慈愛に満ちた美しい女性だったということです。自分の母親のことですから多少は美化しているのでしょうけど、それでも閣下の言葉の端々から素晴らしい方だったと感じました。きっと彼女は運命に抗うよりも受け入れることこそが尊いと考えたのではないかとわたしは思うんです」
「……」
「わたしのように抗うことを選ぶ人間もいれば素直に受け入れる人もいる。どちらが正しいとか間違っているとかいう『正解』はありません。ただ彼女は『神』になることを拒んで逃げたあなたのことを恨んだり責めたりはせず、自分がその役目を負うことにしたのだとわたしは想像しています。女王の役目は予定よりも少々早くなりますが娘に引き継いでもらって自分が『神』となる。これはわたしの勝手な想像ですけど、もしかしたら女王の引継ぎが早く進めば一度は決まったあなたが『神』となる決定を覆して自ら『神』になることであなたを守ろうとしたのではないでしょうか? だって彼女にとってあなたを含めたふたりの息子と娘の3人は顔も知らない国民以上に大切で愛おしい存在だったはずです。彼女はリコフォスの女王である前に3人の子供たちの母親だったんですから」
ツグミの言葉を聞いたとたん、レグロの目から大粒の涙が零れ落ちた。
「愛する者のためなら女王でも『神』にでもなれる。リコフォスという国の母、国母としてその役目を立派に勤め上げたご母堂に恥ずかしくない行動をしてくださいませ。ならばわたしはわたしにできる限りの助力はさせていただきます。…さあ、これで涙を拭いてください」
そう言って自分のハンカチをレグロに差し出すツグミ。
そのハンカチを受け取るとレグロは嗚咽し、彼の気持ちが落ち着くまでツグミは彼の隣に座って背中を優しく撫でてやった。
迅としてはあまり気分の良いものではないが、ツグミのやることを黙って見守ることに決めた以上は彼女の意思を尊重するしかない。
それから15分くらいしただろうか、レグロは涙を拭ってから顔を上げた。
「…ありがとう、ツグミ。きみに言われてようやく自分の愚かさに気が付いたよ。たしかに母は素晴らしい女性だった。私が幼い頃、彼女はすでに女王であったから神殿の奥でひっそりと暮らしていた。だがある時私は母恋しさにこっそりと神殿に忍び込んで彼女にひどく叱られた。いずれこの国の指導者として民のために働かなければならないのだからここへ来るよりも自分のやるべきことをしなさい、と。すると私は泣いて甘え、そんな私を彼女は追い出そうとすることはなく今のきみのように私が泣き止むまで寄り添ってくれた。彼女だって自分の息子が可愛くないわけがない、自分の手で育てたいと思っただろう。しかし女王は家族といえど極力他人と接触しないよう定められていて、孤独に生きる彼女にとっても私が会いに来てくれたことは嬉しかったはずだ。それでもあのように厳しい態度でいたのは法や規則というものは国を正しく運営していく上で長い時間をかけて作り上げられたもので、それを王族の人間が破るということはあってはならない。率先して守るべきなのだと教えてくれたのだとわかったのは数年経ってからだった」
「人間とは本能のままに生きるようでは獣と同じ。知性と理性というものを持ち合わせているのですから感情のおもむくままにやりたい放題ではいけません。それを縛るのが法や規則というもの。人は法が自分たちを守ってくれるものだと勘違いをしていますが、人が法を守らなければ社会秩序は崩壊してしまうでしょう。だからご母堂は幼い息子であっても法を守ることの大切さをあなたに教えてくれたのでしょうね。ただし法が必ずしも正しいものかどうかは別です。中には理不尽だと思われるものもあって、いくら女王といえども実の子供に会えないなんてわたしは納得できません。もっとも女王という絶対無二の存在である人物が不慮の事故や病気で亡くなるようなことになれば国の存亡がかかった一大事です。だから女王の命を守るために神殿で暮らして外に出ることはせず、病気をうつす可能性のある外部の人間を近付けさせないようにしているのだと思います。法や規則にはそれぞれ定められた理由があるわけですが、それが慣習となってしまっていて疑問を抱いたり改正しようとしない方がおかしいとわたしは考えます」
「なるほどきみはそう考えるのか…。きみと話しているとサルシド…愚弟がきみを使者とした理由がわかった気がする」
そう言ってからレグロは何かを決心したようで迷いのない目で続けた。
「私は戦うことからもう逃げはしない。母が今の私の姿を見て幻滅しないよう、私は自分で考え、そして相手が誰であっても立ち向かうことにする。しかし私ひとりだけではできないことは多い。だから私に力を貸してはくれないか?」
するとツグミは静かに微笑みながら答えた。
「もちろんですとも、閣下。そのかわりに閣下にはわたしの戦いに手を貸していただきますから、その時にはよろしくお願いしますね」
「ああ、わかった。私にできることなら何でも…とは言えないができる限りのことをすると約束する」
こうしてツグミはまたひとり味方を得たのだった。