ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
レグロとの会談を終え、自分の部屋に戻ったツグミはこれまでに集めた情報を精査していた。
(ユゥアレェィニィアム…ウランの在処を知っていたのはレグロ閣下で、ヌンツィオ陛下にそのことを教えたことはマズいけど、ヌンツィオ陛下がレグロ閣下に『箱』の中身を言わせたのは罪の意識を植え付けさせるためだったんだと思う。最終的には5つの『箱』と『鍵』を揃えなければ意味はなく、リコフォスの『箱』に何が入っていようともかまわないんだから。レグロ閣下とヌンツィオ陛下が手を組んで世界征服を企んでいる…という話はなさそう。レグロ閣下は自分が『神』になりたくないから必死で、夫人を人質に捕られているとなれば逃げることもできない。レグロ閣下の話が真実かどうかわからないけど、少なくとも夫人が人質というのは本当だろうな。ちょっと調べれば夫人が人質だなんて話は嘘か本当かわかることだもの。そこで嘘をついたことがバレたら一気に信用を失くすから賢い閣下がそんな危険なことをするはずがないし、それに自分だけが助かればいいのなら『私たちに協力して』とは言わない。だから閣下には夫人がいて、彼女は人質になっている。ただしレグロ閣下にも言ったようにエクトスの女性と結婚させることでエクトスに対する執着心が湧くように仕向けたのであれば、夫人とヌンツィオ陛下が
エクトスの「神」の寿命が迫っていることは紛れもない事実で、その問題の解決には新しい「神」が必要だ。
その「神」候補がレグロで、ヌンツィオは24年前の亡命時にはこの計画を立てていたのかもしれない。
もしツグミたちがエクトス訪問をしなかったらレグロの存在は闇から闇へと葬られた可能性もあり、そう考えるとリコフォスでの生物テロ事件があったからこそこの陰謀が明るみになったとも言えるかもしれない。
もっともまだ証拠がないのだから断定はできないが、これまでの状況がヌンツィオを限りなく黒に近い灰色だといっているのだ。
(今回の訪問はリコフォスでの工作が失敗したことを知らせることで核兵器の再現が現状では不可能となったことをヌンツィオ陛下に伝えることと、8年前のことでボーダー側は
そうツグミは考えるのだが、だからといって助けを求めてきた人間を放り出して帰国できるはずがない。
それにサルシドからレグロに帰国の意思があるのなら連れて帰って来てほしいと頼まれており、それについては明確な返答はもらっていないもののNOと言うことはないという確信はある。
(レグロ閣下自身はエクトスから逃げ出したいけど夫人は人質になっているからということで、閣下だけを連れ出すことができても夫人がいるから逃げられないって言うだろうな。でも
深夜であるために行動を起こすことはできないことがもどかしく、ツグミはベッドに入ってからもなかなか寝付かれずにいた。
(エクトスの『神』のことなんてわたしには関係ないことなのに全然眠れない。今頃ヌンツィオ陛下は高いびきを掻いて寝てるんだろうと思うとすっごくムカつく。『神』問題はそれぞれの国で解決すべきことで、自国の人間を犠牲にしたくないから他所の国を連れてきてOKなんて
気分転換をしようとツグミはベッドを出て窓際まで行き、窓を開けて夜空を見上げた。
空には雲がないからいくつかの星は見えるのだが、月がない ── エクトスの月はその存在を維持できないくらいに
エクトスの隣国は「神」の寿命がまだ十分あるようで、太陽が燦然と輝いていることでその国も一等星のように明るく輝いて見えるのだが、その国からエクトスを見ても太陽の力が衰えているので肉眼で辛うじて見えるレベルの六等星くらいにしか見えないだろう。
(この国が消えるということは34万人の国民が故郷を失うということ。単に命を繋ぐだけなら他の国に分散してその国の人間として生きていけばいいと思うけど、そういう問題ではないのは明らかだ。生まれ育った場所というのは人間にとってアイデンティティの形成に重要な役割を果たしているもので、
ツグミの言うベンサムとはイギリスの哲学者のジェレミ・ベンサムのことで、言葉とは「最大多数の最大幸福」である。
この考えは全体の合計としての幸福を重要視するもので、例えば100人の人間がいて60人の幸福と40人の幸福が相反するものであった場合、人数の多い前者の幸福の方が価値があってそちらを選ぶべきだということになる。
そうなると突き詰めれば99人の幸福のためならひとりが不幸になっても仕方がないという考えになってしまう。
しかしこれは一見して理屈に適っているように思えるのだが、個人の幸福というものが単純に数値で表せるものではない以上は「真理」とはいえないのだ。
(エクトス国民にとってはリコフォスのレグロ閣下が『神』になることで哀しんだり不幸になることはない。閣下ひとりが犠牲になれば34万の人間が幸せになるというのだからヌンツィオ陛下にとっては万々歳よね。だけどレグロ閣下が『神』になることをリコフォスで待つサルシド閣下たちは絶対に望んでいないし許せることでもない。いくら亡命したといっても家族なんだもの、みすみす他国の『神』にさせはしないわよ。わたしだってレグロ閣下がエクトスの人間であったなら何も言えないけど、友好国リコフォスの王族から可能であれば連れ帰ってほしいと頼まれているくらいだもの、このままにしてはおけない)
冬の外気に触れたせいで身体が冷え切ってしまったツグミは窓を閉めてベッドに戻った。
そして毛布に包まると急に眠気が襲ってきたようですぐに深い眠りの中へと落ちていったのだった。
◆◆◆
朝食を済ませるとツグミはすぐにアロイスとの面会を希望すると申し出た。
しかし答えはいつものように「宰相閣下はお忙しいので面会は不可」との返事。
それは想定内のことであったので、彼女はすぐに「アロイス閣下にお会いできないのであればもうこの国に用はない。そしてこちらが差し伸べた手を振り払うような国とは友好関係を結ぶことはできないので、ボーダー上層部にはその旨を伝える。そうなるとわたしが彼らに口添えすることもままならない。したがってエクトスという国との外交をどうすべきか
すると政庁の受付で頑なに「NO」と言い続けていた役人は慌てて「もう一度頼んでみます!」と言って、さらに「1時間以内に返事を届けますので迎賓館で待っていてください!」と加えて政庁の
それからきっちり1時間でヌンツィオの使者がやって来て、国王自ら会うというメッセージをツグミに手渡した。
それは明らかにアロイスとツグミを会わせたくはないヌンツィオのやむをえない判断で、彼女にはアロイスがどこかに幽閉されているのではないかという想像ができた。
そして午前11時に王城にあるヌンツィオの私室へと来るように指示され、ツグミは迅ではなくテオを同行させることを条件として承諾した。
テオを同行させるのは彼が遊真と同じく嘘を見抜けるサイドエフェクトを持っているためで、この時点でツグミはヌンツィオが自己防衛のために嘘をつくことを確信しているからである。
ツグミはテオたちをすぐに呼び寄せると打ち合わせをした。
これから本格的な
ツグミたちがエクトスの「闇」に近付いていて、ヌンツィオにとって彼女が危険な存在だと認識するようになったのだから当然だ。
念のためにゼノンとリヌスには遠征艇をすぐに発進させられるように準備を済ませておいてもらい、迅にも彼らと一緒に待機してもらうことにした。
◆◆◆
ヌンツィオの私室はこれまでに見たこともないほど豪奢なインテリアで埋め尽くされていて、部屋も昼間だというのにガンガン暖房を効かせて、照明もここまでしなくてもいいじゃないかと思えるほど明るい。
それは限りあるトリオンの無駄遣いというもので、国難に瀕しているというのに暢気なものだとツグミは呆れてしまった。
「きみはアロイスに会いたいそうだが、彼はいろいろと忙しい身で外国の賓客と会う時間がどうしても取れないということで余が代わって話を聞くことにした。それでかまわぬな?」
ヌンツィオは作り笑顔でそう訊くものだから、ツグミもわざとらしい笑顔で答えた。
「お忙しいのであればお仕事の邪魔をしてまで会いたいなどというワガママは言えませんね。もちろん陛下とお話できるのなら何も問題もありません。むしろ直接用件を伝えることができるのでありがたいです」
「おう、それなら結構だ。それでどんな話をしたいというのだ?」
「はい、実は昨夜のことですが、レグロ閣下にお目にかかることができ、その時に例の手紙をお渡ししました。その手紙にはレグロ閣下に帰国を求める旨が書かれており、閣下がリコフォスに戻らないのであればリコフォス政府は貴国に身柄の引き渡しを要求するというのです」
「何だと!?」
「場合によっては国軍を動かすとのことですが、できればそこまで騒ぎを大きくしないで済ませたいという気持ちはあるようです。そしてレグロ閣下はその要求を突っぱねました。理由は言ってくれませんでしたが、リコフォスに帰りたくはないというのではなくどうしてもエクトスに残りたいという感じを受けました。理由がわかれば協力すると申し出ても帰らないと言うだけで埒が明かないのです。そこでアロイス閣下に相談をしようと思ったのですが会えなくて困っていました。そんな時に陛下が会ってくださるということで助かりました。わたしもあまり長居できる立場ではありませんので、こうして陛下とお話をして結論が出ればそれを持ち帰り、それでわたしの貴国での任務は終了ということになります。そういうことで陛下はどのようにお考えでしょうか?」
ツグミがそう問いかけると、ヌンツィオは当然とばかりに言う。
「帰りたくないと言うのは帰国すれば周りから責め立てられると考えているからだろう。エクトスとしてはリコフォスと事を構えようとは思わない。こちらは謝罪せねばならない立場であるのだから、むしろ説得して帰らせても良いかと考えているくらいだ。しかし事情を知ってなお亡命を受け入れたのだから、今さら帰れとも言うことはできぬのだ」
「そうですよね…。でも何でレグロ閣下はそれほど帰国を拒むのかわかりません。サルシド閣下から手紙を預かった時にはこれまでの罪を問わないから帰ってもらいたいと言っていたんですけどね。レグロ閣下にはこの国に残りたい重要な理由でもあるのでしょうか? もしこの国に大切な家族や友人がいて別れたくないというのであれば納得できるのですが、昨日お会いした様子では閣下にはご家族はいらっしゃらないようですし、友人関係も特にないように感じられました。あの歳でお子様どころか奥様もいらっしゃらないなんて不思議です」
「それは余にもわからぬが、帰りたくないというものを無理に帰れとは言えぬな」
「ですがこの国で陛下に逆らえる者はおりません。無理は承知ですが、ひと言で良いので陛下から言っていただけませんか? それでなおレグロ閣下が嫌だと言うのであればそれをそのままサルシド閣下へ報告するのみです。…そうだ、陛下がレグロ閣下を呼び出して命令をしている様子をわたしが動画で記録します。それをサルシド閣下にお見せすることで、陛下は帰国するよう促したというのにレグロ閣下がそれを拒否したという証拠となってリコフォスとエクトスの間には確執は生じず、単にレグロ閣下のワガママだということで収まりがつくでしょう。そうなればサルシド閣下も怒りを陛下に向けることはできません。サルシド閣下が国軍を動かすというのも脅しに過ぎませんから、陛下は形だけでも体裁を整えておけば良いのではないでしょうか?」
口の上手いツグミにそう言われるとヌンツィオもそのとおりだと思うようになってきた。
彼女がレグロと会って話をしたことは事実であるが、愛する妻を人質に取られている状態でレグロはリコフォスへ帰ることはできない。
ならば自分が芝居で帰れと言ったところでレグロが頷くはずがないと確信し、ツグミの提案に賛成した。
「わかった。そちの言うようにしよう。余が帰れと申したのにそれを拒否したとなればリコフォスは諦める。それでレグロも安心してこの国に骨を埋めることができると安心することだろう」
ヌンツィオが自信ありげに言うものだから、ツグミは心の中でほくそ笑んでいた。
(これでお膳立てはできた。あとはレグロ閣下がわたしの茶番劇を察して上手く演じてくれたらOK。閣下ならわたしの意図を理解してくれるはずだし、仮に帰国しないと断言したのであれば無理強いはしないということでわたしは引き下がるだけ。わたしに火の粉が降りかかってくることはない。でもこれはひとつの大きな賭け。閣下が自分の責任を
こうしてツグミの描いたシナリオは順調に進んで行き、ヌンツィオとの面会は無事終了した。
そして午後にレグロをヌンツィオの執務室に呼び出して、ツグミの立ち合いのもとでリコフォスへと帰るよう命じる「芝居」をすることに決まったのだった。
◆◆◆
迎賓館への道すがら、ツグミとテオは声を潜めて会話をしていた。
「念のためにと来てもらったけどテオくんの力も借りずに済んじゃったわね」
「ああ。でもあの国王はなかなかの食わせ者だぜ。ま、ツグミはそれを上回る曲者だけどな。オレたちが
テオの問いにツグミは当然という顔で頷いた。
「あの部屋はトリオンではないから、その壁の後ろにいるトリオン体の存在にはすぐ気が付いたわよ。たしか4人いて、隣の部屋へつながるドアの辺りで聞き耳を立てていた奴がひとりいて、残り3人は合図があったら駆けつけられるように準備万端だった。おまけに殺気が駄々洩れで、おかしくって笑いそうになっちゃった」
「だよな~。国王の護衛だからトリガー使いとしてはエリートなんだろうけど、隠密行動には絶対向いていないタイプだぜ。それにこの国じゃ諜報員っていってもレベルは低い。リコフォスで捕まった連中も油断してユゥアレェィニィアムのことを口走ったからそれが決定打になったって言ってたろ?」
「ええ。とにかくこれであとはレグロ閣下任せで、わたしたちはその結果によってふたつの道のどちらかを選ぶか決まる。…それからアロイス閣下は知ってはいけないことを知ったとか、触れてはいけない部分に触れてしまったからどこかに軟禁されていると考えるのが妥当ね。命を奪われるってことはないだろうけど、このままにしておくわけにはいかない」
「だとしたらオレたちの出番だな。こういうことは専門家に任せておけ。
「そのとおり。こういう時、テオくんたちの存在はとっても心強いわ」
「ヘヘッ。じゃ、ツグミは時間まで自分の部屋で待ってろよ。それまでに何か掴んで来てやるからよ」
「うん、任せたわよ。でも危険なことはしないでね。それに何かあったら国際問題に発展することもありうるから注意してちょうだい」
「了解。なんだかワクワクしてきたぜ。久しぶりだからな、こういうの」
「わたしもこういう緊張感は嫌いじゃない。むしろ好きかも」
「そりゃそうだろ。こういう時のおまえの顔ってものすごく楽しそうだもんな」
「そう? 自分ではそう思ってなかったけど他人からそう見えるなら今後気を付けなきゃ」
などという内容は真剣なものでありながらも楽しそうに会話をするツグミとテオであった。