ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

667 / 721
648話

 

 

第一次近界民(ネイバー)侵攻でその存在が公になり、約半年後に新体制の界境防衛機関ボーダーが活動を本格的に開始した。

それまで三門市民に知られることなく活動をしていた旧ボーダーとは大きく違った組織だが、隊員や職員を公募できるようになったことで組織は拡大していった。

しかしボーダーはすべてを公開したわけではなく、むしろ秘密にしている部分の方が多い。

特にトリオンとトリガーの技術並びに三門市民の敵が同じ人間であることは極秘事項であって、一般に「近界民(ネイバー)」とはトリオン兵のことだと思われていた。

ボーダー関係者でも知らされていないことは多く、トリオンの概念についてはB級隊員以上にしか公表されていない。

技術者(エンジニア)による武器(トリガー)を開発し、防衛隊員がその武器(トリガー)を使用して敵性近界民(ネイバー)(主にトリオン兵)と戦うということがボーダーの主たる役目となっていた。

したがってボーダーとしては「トリオンとは何か?」という研究は行われていないため、ボーダーと提携している三門市立大学の大学院の実験室においてトリオンの構造を明らかにする研究を行っていた。

ただしその研究内容がボーダーの活動の役に立つかどうかは明確ではないので細々と極秘で行われているというレベルである。

ところがツグミが「トリオンを含む食品の摂取によってトリオン器官が発達するかもしれない」という仮説を立てて、それがわずかではあるが良好な結果を出したものだから彼女の仮説を立証するための実験の依頼をすることになった。

本格的な実験をするとなるとサンプルの数を増やさなければならず、トリオンを含む飼料は近界(ネイバーフッド)から取り寄せるしかない。

現在玄界(ミデン)から最も近いメノエイデスから仕入れる契約をしているので、その量を増やすことができるかの交渉が必要となる。

その交渉はツグミの仕事ではあるが彼女と総合外交政策局員たちはレグロたちをリコフォスへ送り届けるため、さらに一刻も早くエクトスの一件を解決するために準備が出来次第リコフォスへ出発することになっている。

そこで城戸は彼女の代わりに唐沢をメノエイデスへ派遣して交渉をすることに決めた。

メノエイデスは同盟国であり、A級隊員を数名護衛として同行させれば大丈夫だろうと判断したのだ。

それになによりも交渉事なら唐沢の方が手腕は上で、メノエイデスは外相のフーガが交渉相手となってくれることが確実なのでスムーズに進むことは明らかであるから、ツグミも全面的に唐沢にお願いすることで納得している。

 

レグロとブランカの夫婦は玄界(ミデン)の庶民生活を経験したことでリコフォス国民に何が必要なのか、また今後の国の方針についてどうあるべきかなどを自分なりの答えを見つけたらしい。

これまで三門市にやって来た近界民(ネイバー)たちと同様に()()としてさまざまなものを購入し、ボーダーの遠征艇の倉庫いっぱいに運び込んだ。

その中で大部分を占めているのが子供たち向けの学習道具で、ノートや鉛筆などの筆記用具から学校で使用する黒板や三角定規と分度器などの備品、さらには体育の授業で欠かせないマットや跳び箱などもある。

それは将来を背負って立つ子供に対する「投資」が重要だと判断したからで、日本のように義務教育制度を制定したいという希望を聞いたツグミは時間の許す限り彼らに同行して必要だと思われるものを調達した。

そして3日後、遠征艇の準備が完了したことでツグミたちはリコフォスへと向けて出発したのだった。

 

 

◆◆◆

 

 

レグロは24年ぶりに故郷の土を踏んだ。

ところが懐かしいとか感慨に耽る気分にはなれなかった。

それもそのはずで、彼の知るリコフォスの姿とはまったく違ってしまっていたからだ。

彼がエクトスへ亡命した理由は「神」の寿命が迫っていて自分がその生贄にされそうになっていたからであり、彼が最後に見た風景は作物が育たない荒れ果てた大地がずっと続いているものだった。

しかし彼が祖国を去ったのちに女王が責任を取る形で「神」となり、女王は娘のカロリーネが継ぐこととなった。

一時的には(マザー)トリガーの力は復活したものの彼女のトリオン能力では20年を過ぎたあたりから力が衰え始め、現在では近いうちに新たな「神」を探さなければならない状態だ。

だから広い畑があっても作物の成長はあまり芳しくなく、農作業をしている人の姿はまったくない。

本来なら農民が収穫作業を行っているはずなのだが、この畑の小麦を育てていた村人はいないのだ。

エクトスの諜報員による生物テロによって多くの国民を失ったリコフォスでは労働力の低下が顕著で、特に王都郊外の農村のいくつかは全滅してしまったために農作業を行うことが困難となった。

しかし作物を育てなければ国民が飢えてしまうため、軍人や政府の職員などが駆り出されて慣れない農作業を行っている。

ひとまず種を蒔けばあとは(マザー)トリガーの力で自然に育つようにして、収穫作業だけは人間が行うことにした。

だからこの畑は収穫の順番を待っている状態なのだろう。

おまけに村のあった場所には荒れ果てた民家といくつもの新しい墓標が並んでいる。

レグロには責任はないもののエクトスの手によって同胞の多くが命を奪われたことは事実で、エクトスで何も知らずに暢気に生きてきた彼はその愚行を恥じて自らを責めることしかできない。

遠征艇の窓から故郷の光景を見つめながら涙しているレグロに声をかけることもできず、ツグミたちは王都へ向けて真っ直ぐに進んで行った。

 

 

 

 

政庁の正面玄関ではサルシドがツグミたち一行の到着を今か今かと待っていた。

リコフォス上空に(ゲート)が開いた時点でボーダーの遠征艇の存在を確認しており、到着時間を計算して早めにスタンバイしていたようだ。

ツグミたちボーダーの人間よりも24年ぶりに()()()した兄を出迎えたいがためで、公務よりも私情の方が優先してしまっている。

レグロが誰にも知られずに出奔してしまった時、多くの人間が彼のことを責め立てたのだが、サルシドだけは彼の味方であり今までずっとレグロ()のことを信じて待っていた。

そしてようやく久しぶりに会えるとわかり、居ても立ってもいられなくなってしまったのだった。

 

 

「兄さん! お帰りなさい!」

 

サルシドはまるで10代の少年のように満面の笑顔でレグロとブランカのふたりに向かって駆け出した。

ツグミからサルシドが帰国を望んでいると聞かされていたレグロだったがその目で確かめるまで不安でいた。

しかし家族の中で一番仲の良かった弟が以前と変わらず自分を慕ってくれていると知って、両目に熱いものが込み上げてきてしまった。

 

「兄さん、お元気そうでなによりです。そしてお義姉さん、初めまして。私がサルシド・リコフォスです」

 

「初めまして、ブランカです。こうしてあなたに会える日が来るとは思ってもいませんでした」

 

「おふたりとも長旅お疲れだったでしょう。いろいろお話を聞かせてもらいたいですが、ひとまず身体を休めてください」

 

「ありがとう、サルシド。おまえにはすいぶんと苦労をかけたようだな」

 

「そんなことは気にしなくてもいいんです。とにかく今夜は女王…カロリーネとその娘のイェリンを招いて王城で歓迎晩餐会を開きますので楽しみにしていてください」

 

「ああ」

 

こうして兄弟は再会し、レグロとブランカはサルシドの侍女に連れられて王城へと歩いて行った。

するとすぐにサルシドがツグミたちの前へやって来て頭を深く下げた。

 

「このたびは誠にありがとうございました。兄が元気に帰国できたのはみなさんのおかげです。居場所がわかって私が赴いても兄は私を拒絶したことでしょう。きっかけは悲劇的な事件で宰相としては残念なものでしたが、個人的には再び兄に会えて…こう言うのは不謹慎なのですが良かったなと思っています」

 

少し照れくさそうに笑うサルシドにツグミは言う。

 

「たしかにそのとおりですね。大勢の人たちが哀しみの涙を流したでしょうけど、レグロ閣下の帰国はそれ以上の多くの人に笑顔をもたらすことになるでしょう。後で詳しいお話をしますが閣下は玄界(ミデン)を視察して子供たちの教育に力を入れたいと考えているようです。どの国でも子供はその国にとっての宝ともいうべきもので、身分や経済的な理由で教育を受けられない子供たちの中にも優秀な人材が埋もれているかもしれません。閣下は玄界(ミデン)の教育システムを導入したいとおっしゃっていました。もしそれが叶うならば、きっとリコフォスは以前よりも豊かで国民の誰もが安心して暮らせる国になるはずです」

 

「たぶん兄は罪の意識で胸がいっぱいになっているのでしょう。その罪の償いのために残りの人生をすべて祖国のために捧げるという覚悟でいて、それが兄の望むことであれば好きなようにやってもらうつもりです。そもそも兄は私よりも政務の才能に優れていて、できるなら私が宰相の座を兄に譲りたいと考えていたのですが、兄には兄の考えがあるようですから近いうちに相談しようと思います」

 

「そうですね。これは今後のリコフォスという国の未来を決める重要なことですから。それからサルシド閣下には例の件で報告することがございます。お忙しいでしょうが時間を作って下さいませ」

 

「承知した。…そうだな、午後の会議の前、1時頃なら1時間ほど空いているからそれでどうだ? きみたちの昼食を早めに用意させるから、その後に私の執務室へ来てくれないか?」

 

「はい、わかりました」

 

「滞在中は前回使用した部屋を使ってくれ。そしてもう一度礼を言わせてほしい。ありがとう」

 

そう言って頭を下げたサルシドの目から涙が落ちて地面に染みができたのをツグミは見逃さなかった。

 

 

◆◆◆

 

 

昼食後、ツグミはひとりで政庁内のサルシドの執務室へと向かった。

本来なら迅が同伴するのだが、一日も早くリコフォスを発って次の目的地であるトロポイへ行きたいのでゼノン隊だけではなく迅の手も借りたいということなのだ。

玄界(ミデン)から運んで来たレグロの購入品や拉致被害者市民の返還に応じてくれたリコフォス政府への()()()のための物資などの運び出しにはリコフォスの兵士たちが手伝ってくれているので夕方までには終わるだろうとのこと。

ツグミは自分自身の仕事に専念すればいいという環境を迅たちが整えてくれているのだ。

彼女はそんな気持ちに感謝しながら政庁の廊下を歩いて行き、サルシドの執務室の前にやって来るとドアをノックした。

 

「サルシド閣下、よろしいでしょうか?」

 

ツグミが声をかけると中からサルシドの声がした。

 

「入ってくれ」

 

入室の許しを得たツグミが中へ入ると、ソファにはサルシドとレグロのふたりが腰掛けていた。

 

「レグロ閣下もいらしたのですね。帰国早々お仕事なんて、玄界(ミデン)からの長旅でお疲れではありませんか?」

 

ツグミがそう言うとレグロは笑って答える。

 

「旅の間ずっと客でいた私よりもきみたちの方がずっと疲れているだろう。それなのにきみが仕事をするというのだから、私がのんびりしているわけにはいかないよ」

 

「まあ、それもそうですね。リコフォスの王族である閣下にも関係のあることですから、同席してくださった方が良いのは間違いありません。では早速ですがエクトスでヌンツィオ陛下と話したことと今後についてどのような約束になっているのかをお話いたします」

 

ツグミはエクトスでの出来事について詳細にサルシドに説明した。

それをサルシドとレグロは黙って聞いており、「箱」と「鍵」の()()についての提案にはふたりとも賛成をしてくれた。

すでにリコフォスだけでなくトロポイとキオンとエウクラートンの「箱」と「鍵」は王族の許可を得てツグミが預かり、現在はボーダーの本部基地で厳重に管理してある。

そこで4ヶ国の代表がエクトスへ行って、「箱」と「鍵」の問題をどのように解決するのかを相談し、ヌンツィオを説得してツグミがエクトスの「箱」と「鍵」を預かり玄界(ミデン)で5つの「箱」と「鍵」を()()()消滅させる。

そしてエウクラートンで保管されていた歴史書については4部コピーをしてエウクラートンは原本、それ以外の4ヶ国はコピーをそれぞれ保管し、二度と愚かなことを繰り返さないようにすることを誓うというのが彼女の計画である。

さらにエクトスでは「神」の実験を行い、その結果によって他の国にもその()()を広めるつもりであることも話した。

この「神」の実験についてはサルシドとレグロも初耳であったために驚いていたが、これが成功すればリコフォスでもすぐに条件の整った家畜を選んで「神」としたいと言い出した。

実際のところ現在の「神」の力もだいぶ衰えてきたので新しい「神」候補を探さなければならないとサルシドは考えていたし、レグロも国の様子を見て「神」交代が近いことを察していた。

最悪の場合は今度こそ自分が身を捧げようとさえ考えていたくらいだからツグミの実験の成功を心から願っている。

 

こうして「箱」と「鍵」の問題と別件の「神」の実験のふたつについてリコフォスは全面的にツグミの提案に賛成するという結論を出し、ボーダーの遠征艇の準備が出来次第リコフォス王家の代表として王女のイェリンが同行することとなった。

 

 

◆◆◆

 

 

リコフォスでの滞在をわずか72時間で終え、ツグミたちはトロポイへ向けて出発した。

同行するイェリンは生まれて初めて神殿の外に出るため、見るものすべてが初めてで知らないものばかりだからツグミを質問攻めにしていた。

19歳で同性だということもあってツグミのことを慕い頼りにしているものだから、ツグミも同い年の()のように接してやった。

先天性白皮症のために陽に当たることは厳禁だがそれ以外に健康上の問題はなく、遠征艇の外に出る時には必ずトリオン体に換装することで健康を害することはないだろう。

玄界(ミデン)にも健康上の問題で外出どころか自分の足で歩くことさえできない人は多い。

そういった人たちのためにもトリオン体に換装する技術は広めたいとツグミは考えており、織羽が使用していたトリオン製の義手など義肢技術についてトロポイ政府に技術供与を願い出ることにしている。

彼女のやろうとしていることは直接彼女の利益になることではないが、彼女の周囲の人間にとってささやかでも役に立てばそれが彼女の幸せに繋がる。

彼女にとって家族や友人たちの笑顔こそが自分の幸福なのだと信じているからだ。

現にイェリンはツグミが玄界(ミデン)近界(ネイバーフッド)で経験したことを話すと目を輝かせて聞き入っていて、特に玄界(ミデン)へ行って海を見たいというイェリンの言葉を聞いたツグミはその願いを叶えてやりたいと思った。

自分の言葉で影響を受ける人間がいて、その人が喜んだり笑ったりしている姿を見ていると自分のことのように嬉しくなる。

そういった気持ちを生まれながらに持ち合わせていた彼女こそエウクラートンの女王に相応しいのではないだろうか。

傍で見ている迅やゼノンたちは誰にも言わないがそう思っていたのだった。

 

 

◆◆◆

 

 

トロポイに到着するとすぐにエルヴィンに謁見を求め、リコフォスの時と同じようにエクトスでの出来事について彼に説明をした。

そして彼もまた「箱」と「鍵」の()()についての提案に賛成をし、次期国王のイザイア王子がツグミたちと同行することを許可してくれた。

イザイアはまだ15歳だがエルヴィンは三門市を訪問した時に11歳のレクスの聡明さに感心し、自分の孫にも同じように「外の世界」を学ばせようと考えたのだ。

一般に近界(ネイバーフッド)の王族は次代の王や女王となる子供に対して過保護と思えるほど大切に育てるのだが、それは国の命運を託すことになるので事故や病気で死なせてしまうわけにはいかないからでもある。

それは仕方がないことなのだが、神殿の奥深くで外界の人間とは一切関わらないために世間知らずな子供のまま大人になってしまう。

さらに政治は別の人間に任せて本人は決済印を押すとか(マザー)トリガーの操作をするだけだから学力も体力も必要ない。

三門市の一般的な子供と比べても体格、体力、学力などのどれもが平均値よりもだいぶ劣っている。

ただし帝王学と呼ばれる特別学習は行われていて、王族として知っておくべき知識や王族としての振る舞いや作法などは十分に教えられているから、彼らは「自分の家系を後世へ存続させ、国民のために奉仕する」こと以外は何も求められない。

だから自国の国民の数や身分構成、どのような作物が生産されているとか軍人の数などについては知っていても、多角形の面積の求め方や植物が育っていく過程などは知らないという偏った知識しかないのだ。

たしかに知らなくても何の問題もないが、そういったものに興味を持つことすらできない環境では本人のためにならないとようやく親世代が気付いた。

そこで次期女王や国王となる若い王族に「経験」をさせるためにツグミに()()()のだった。

 

こうしてトロポイを発ったツグミたち一行は次の目的地であるエウクラートンへと向かうことになった。

トロポイからエウクラートンへは約14日という長期間となるのだが、イェリンとイザイアのふたりは毎日が新しい経験ばかりなので飽きるようなことはなく、ふたりでツグミの時間を奪い合いながらさまざまな知識を身につけていった。

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。