ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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650話

 

 

エウクラートンの眩い朝日を浴びながら2隻の遠征艇が暗い(ゲート)の向こう側へと消えて行った。

その様子を見送る人々の中にエレナの姿もある。

ツグミから「女王だって外に出て太陽の光や風を感じることを禁止される筋合いはない。むしろ女王なのだから健康な身体と精神を育むために外に出るべきだ」と言われて歩く練習をした。

それは彼女にとって大変なことだったが、その甲斐あって自分自身の足で歩いて神殿の庭に出て宙に浮かんだツグミたちの乗る遠征艇を見送ることができたのだった。

エレナの目に映るその光景は輝かしい未来を象徴しているかのようで、ツグミの願いが叶うよう心から祈っていた。

遠征艇の中にいるツグミには地上でエレナが祈っていることなど知る由もないが、多くの人たちの期待が自分の双肩にかかっていると思うとやる気に満ちてくる。

そんなふたりの想いに応えたかのように、太陽の光は豊饒の大地を力強く照らし出していた。

 

 

◆◆◆

 

 

エウクラートンからエクトスへは約10日の行程だが、旅慣れていない賓客を乗せているために途中2ヶ国でそれぞれ1日ずつ滞在をすることになっている。

なにしろリコフォスのイェリンとトロポイのイザイアは国外へ出るどころか王城や神殿の外にすら出たことがないのだから、あらゆるものが初めて見るものや経験するものばかり。

牛乳や牛肉を使った料理を口にすることはあっても牛を見たことがないと言うのでツグミは寄港地で停泊している間に家畜を積んだ艇に案内して本物を見せた。

すると初めのうちは近付くのも躊躇っていたのだが、ツグミが慣れた手つきで牛をブラッシングしてやると興味をそそられたようで、イザイアは自分でもやってみたいと言い出した。

そして直接触れてみて牛の体温や鼓動を感じ、自分が当たり前に食べていた肉が自分と同じく()()()()()ものの命を()()()()()()()ことを知って少しショックを受けていたようだった。

帝王学によって国民の幸せとか国の繁栄などを叩き込まれるのだが、一般常識と呼ぶジャンルはまったくと言っていいほど何も知らない。

それは彼らに問題があるのではなく、単に知らなくても良いことは教える必要がないという周囲の大人たちが決めつけていただけだ。

ところがツグミが各国の王族と交流するようになり、国王や女王などの意識が変わり始めたのだ。

従来の価値観に囚われずに自身の経験や知識から導き出した「答え」を披露し、相手の立場や考えを尊重しながらも「彼女の言っていることが正しいのかもしれない」と思えてくるよう()()する。

彼女がエウクラートン王家の人間だということを知らず、彼女をただの玄界(ミデン)の少女だと思っている近界民(ネイバー)は多い。

しかしそれでも彼女の言葉に耳を傾けて慣習を改めようとするのは、彼女の言葉そのものに「力」があるからに違いないのだ。

将来の国王や女王だから大切に育てなければならないので王城や神殿の中から出さないというのは理に適っているかのようだが、それは近界(ネイバーフッド)の医療技術が未熟でちょっとした風邪や怪我でも死につながる環境で生きているからである。

ならば戦争にかまけているのではなく国民が健康で生き生きと暮らせるよう医療面に力を入れるようにすべきで、ボーダーは同盟国に加われば玄界(ミデン)の医薬品を譲り、医療技術の向上を望むなら医師育成のための留学も受け入れると提案した。

元は玄界(ミデン)の人間で1万年前に近界(ネイバーフッド)へ渡った一族の末裔である近界民(ネイバー)はトリオンという万能とも言えるエネルギーの存在を知っていたがためにトリオン依存の文明を築き上げた。

それはそれでかまわないのだが、人間がより良く生きるために進歩していけば今頃素晴らしい世界になっていたかもしれない。

だが彼らは「強者は弱者から奪い、弱者は強者に従う」「欲しいものがあれば他者から奪い、奪われたくないのなら自分自身が強くなって守らなければならない」といった弱肉強食の世界となってしまった。

しかしそんな世界にすべての近界民(ネイバー)が疲れ切っていたのかもしれない。

トリオンが大量に必要で足りないというのにトリオンを使って軍備を整え他国から奪うという考え方自体が矛盾していることと、トリオンを生み出す人間の数を増やすだけでなくトリオン依存からの脱却を目指そうという()()()()のことに気付かされたことで意識改革がなされた。

ただ弱小国の人間が声を上げたところで聞く耳を持たない連中ばかりなのだが、キオンやアフトクラトルが武力行使をせずに玄界(ミデン)と平和的な交流によって国力を高めていくのだと宣言すれば影響を受ける国は多い。

さらに玄界(ミデン)と敵対すれば同盟国のキオンやアフトクラトルが黙っていないとなれば、同盟国に加入するかどうかはともかく余計な手出しはしないはずだ。

トロポイも自国の進んだトリガー技術が他国に流出しないよう徹底した鎖国を行っていたが、その技術を戦争ではなく人々の生活の向上に役立てる方針へ転換し、同盟国に限って門戸を開くようにもなった。

そうなると同盟国に加入すればかつてその名を馳せたトリガー先進国が技術供与してくれるということになり、ますます同盟国加入のメリットが高まってまだボーダーと縁のない国からもアプローチがあるだろう。

そうやってずっと続いてきた「停滞」という名の近界(ネイバーフッド)の悪しき慣習を破壊しようとする人間が(ゲート)の向こう側からやって来た。

「5人の王」の直系の末裔であるツグミが玄界(ミデン)の人間として近界(ネイバーフッド)に降り立ち、新たな(ことわり)を創ろうとしているのは偶然ではなかろう。

そんな彼女のそばにいて同世代の若者が影響を受けないはずがなく、彼女たちがエクトスに到着する頃には玄界(ミデン)の価値観や思考を学んだ王族の人間がふたり増えていた。

テスタは年齢的に若者とは言えないものの考え方が先進的で柔軟な思考を持っているのでツグミとは初めて会った時から良き理解者である。

そんな3人を味方につけたツグミはツグミ・オーラクルとしてエクトス国王ヌンツィオ・エクトスに謁見を求めたのだった。

 

 

◆◆◆

 

 

ヌンツィオはアロイスからツグミたちの到着の報告を受け、それが前回の訪問で約束した「神」問題解決のための実験で再訪したのだと思っていた。

しかし彼女たちの他にキオンのテスタ、トロポイのイザイア、リコフォスのイェリンといった各王家の代表と共にというのだからただ事ではないと考えたのだが、最後にツグミがボーダーの総合外交政策局長霧科ツグミではなくエウクラートンのツグミ・オーラクルと名乗ったことでヌンツィオは驚愕した。

キオン、トロポイ、リコフォス、エウクラートンという4ヶ国の王家の人間がエクトスに揃ったとなれば「5人の王」の末裔が一堂に会するということになり、その理由がヌンツィオの「罪」を断罪するものになると想像するのは無理もない。

5つの国の王族が集まるということは近界(ネイバーフッド)の有史以来初の出来事で、ヌンツィオは覚悟を決めるしかなかった。

 

 

アロイスはツグミたちを迎賓館へと案内し、午後7時からの歓迎晩餐会においてヌンツィオは各国の代表と顔を合わせることになると説明した。

しかしツグミだけはその前に話がしたいと、着いて休む間もなく王城の国王執務室へと来るよう指示され、彼女はそれを承諾する。

彼女自身もヌンツィオに話しておくべきことがあり、言われなくても謁見を申し出る予定だったのだ。

 

 

アロイスと共に執務室へと向かうツグミだが、彼女がエウクラートンの次期女王であることを知ると態度が一変してしまった。

 

「知らなかったこととはいえこれまでの非礼の数々を深くお詫びいたします、ツグミ殿下」

 

そう言ってアロイスは床に跪いてツグミに謝罪をした。

するとツグミはしゃがんでアロイスに言う。

 

「頭を上げてください。閣下の態度がわたしに対して非礼だったことなどありませんし、そもそもわたしが内緒にしていたからであなたに罪はありません。むしろわたしの方こそ前回の訪問の際に隠していたことをお詫びしたいくらいです。ですからそれでお互い様ということにしましょう」

 

「おお、なんというご慈悲を…。ありがとうございます」

 

「そう言われると困ってしまいます。あの時点でわたしはヌンツィオ陛下がリコフォスに対して何をしようとしていたのかを知っており、その上で別の理由での訪問のように見せかけていたんですから。詳しいことはお教えできませんが、この国で何が起きているのかを知ることとレグロ閣下をリコフォスにお連れすることが真の目的でした。ですがボーダーの人間としての訪問でしたから、そちらの任務であったように振る舞っていたのです。上司である城戸総司令にはヌンツィオ陛下とのやり取りを報告し、同時に約束したように貴国にとっても不利益とはならないよう交渉に臨んでもらうよう頼んであります」

 

「それはかたじけない。その上我が国の『神』問題に一筋の光明を見出す提案をしていただけるとか。感謝の念に堪えません」

 

「それはわたしの仮説を立証するために実験をさせていただきたいというもので、成功すれば貴国だけでなくすべての近界(ネイバーフッド)の国と近界民(ネイバー)にとって『神』という名の生贄を出さずに済むはずです。本来はもう少し時間をかけて準備をし、確実性を高めてからと思ったのですが貴国の状況を見れば一刻を争うものだと判断しました。ですがヌンツィオ陛下が納得しなければ実験は行いません。これは貴国の内政に干渉することになりますから」

 

「それならきっと陛下は首を縦に振ることでしょう。もし渋ったとしても私が説得します」

 

「その時にはぜひお願いします。でもきっと陛下は良い返事を下さると思っています。だって陛下もエクトスの民のことを大切に思っていて、そのせいで他国の人間を犠牲にしようとした()()なんですもの。好んで人の命を奪おうというのではなく、それしか道がなかったから。でも別の方法があるとなればわたしの提案を邪険にはしないでしょう。さあ、立ってください。5ヶ国の王族の代表が一堂に会する歴史的な会談の前哨戦です。貴国にとっても実りのある結果を出しますから期待していてください」

 

「はい!」

 

 

ツグミとアロイスは再び歩き始め、国王執務室の前に着くとアロイスがドアをノックする。

 

「ツグミ殿下をお連れいたしました」

 

「入りなさい」

 

ヌンツィオの声が聞こえた。

機嫌が良いのか悪いのかは声だけで判断はつかないものの、部屋の主が会いたいと言っているのだから少なくとも拒絶されているわけではない。

 

「失礼いたします」

 

ツグミはアロイスの開けてくれたドアを抜けて部屋の中へ入る。

するとすでにヌンツィオはソファに腰掛けており、テーブルを挟んだ向かい側の席を彼女に勧めた。

 

「そこに掛けなさい。それからふたりだけで話がしたいからそちは席を外してくれ、アロイス」

 

ヌンツィオとツグミをふたりきりにして良いものなのかとアロイスは心配になるが、ツグミが大丈夫だという顔で小さく頷いた。

 

「…それでは失礼いたします」

 

そう言ってアロイスは執務室を出て行く。

そうして彼がドアを閉めると部屋にはヌンツィオとツグミのふたりだけになった。

 

「今回は隣の部屋に護衛のトリガー使いのみなさんはいらっしゃらないようですね」

 

ツグミが意地悪く言うとヌンツィオは苦い顔をして答える。

 

「そんなことはせぬ。余はそちと玄界(ミデン)を敵に回すのは得策ではないと考えて例の計画も受け入れた。しかしまさかそちがエウクラートンの王族だとは夢にも思わなかった」

 

「わたし自身が知ったのも数年前のことでしたから。おかげで面倒事に巻き込まれ、こうして『5人の王』の『箱』と『鍵』の件で近界(ネイバーフッド)を飛び回っていて休む暇もありません。リコフォスで陛下が奪おうとしていた『箱』と『鍵』ですが、現在はわたしの管理下にあります。もちろんキオン、エウクラートン、そしてトロポイのものも同様に厳重に管理しています。あとは貴国の『箱』と『鍵』さえ手に入れば遠い昔にわたしたちの先祖が造った核兵器を再現することができます」

 

「つまりそちは余に『箱』と『鍵』を預けろと言いたいのだな?」

 

「いいえ。わたしは陛下にお願いはしますが強制はしません。他の国でも同様で、どの国も快く預けてくださいました。その結果、エウクラートンに保管されていた歴史書を読むことができ、その内容については5者会談の時に各国代表にお渡しすることにしています。陛下にはそれを読んだ上でご自身が正しいと思う判断を下していただきたい。そして会談で『箱』の中身をどうするべきかの答えを出したいと考えております。近界(ネイバーフッド)にこんな危険なものを持ち込んだ責任は『5人の王』の末裔であるわたしたちが決着をつけなければいけないことなんですから」

 

「『箱』の中身をどうするか…か。余はエクトスの民が安心して暮らせるのならばどんなことだってやろうという覚悟がある。だから非道なマネもした。国王とは自国の民のことだけを考えれば良い。それが正しいのだと先代の王…我が父からそう教えられ、余はそれを疑いもせずに成長していった。好き好んで人をさらって売り払うようなことなど誰がするというのだ。『神』の寿命が来なければ余もこのようなことはしなかった。言い訳のように聞こえるだろうがそれが真実だ」

 

ヌンツィオはそう言ってテーブルに肘をつき、両手を強く握った。

 

玄界(ミデン)の民とリコフォスの民には惨いことをしてしまった。それでエクトスの民が幸せになれたわけではなく、現状は日々刻々と悪化している。愚かなことをしたと心から悔いている。だから余にできることなら何でもする。それで罪をなかったことにできるわけではないが、少しでも償いになればそれでいい」

 

「それが本心であるのなら二度とバカなことは考えないようご自身の最善だと思うこと、エクトスの民が陛下のことを尊敬できる答えを出してください」

 

「ああ、承知した。…では話は変わるが、例の件について詳しく説明をしてくれ。前に話を聞かされた時にはその突拍子もない内容に驚いたものだ。余もその可能性を考えてみたが、(マザー)トリガーのトリオンによって生かされているのは人間だけでなく動物や植物も同様に(マザー)トリガーの恩恵を受けている。動物にもトリオン器官があるのならそのトリオン能力の高いものもいるかもしれぬ。それをさらに人工的に高めて『神』としようなど誰も考えたことなどなかったぞ」

 

「わたしは近界(ネイバーフッド)を何度も行き来していて、ラグナとアウデーンスで長期滞在をしているうちにふと気が付いたんです。トリオンで創造された大地に植えられた植物にはトリオンが吸収されているのだから、それを食べた牛や馬にもトリオンは吸収される。それが蓄積されて体内にあるトリオン器官の成長を促し、その個体のトリオン能力は高まる。実際に農業国でトリオンに恵まれている国の民のトリオン能力の平均値はそうでない国の民と比べて高いという結果が出ています。1年ほどかけて玄界(ミデン)の家畜に近界(ネイバーフッド)で育った飼葉を餌として与えた結果、トリオン能力の向上が見られました。そして今回はエウクラートンで育った家畜を数頭連れて来ています。健康状態やトリオン能力、寿命などを考慮して牛が最も条件が良いと思われます。人間よりも寿命が短い生き物ですから『神』となっても数十年が限界でしょうが、『神』用にトリオン能力の高い家畜を育てておけばそれを繰り返すことで人間を犠牲にせずに済むことでしょう」

 

「ふむ…。それは良い考えだが、家畜なのだから知恵はないのだろ、それで役に立つのか?」

 

「これは推測の域を出ませんが、『神』とは(マザー)トリガーの出力を向上させるための増幅器となるもので、(マザー)トリガーで生み出されたトリオンを何倍にも拡大させるために必要なのだと考えています。(マザー)トリガー単独でも機能はしますが、十分な力を発揮できないのはそのためでしょう。それに関しては状況証拠しかありませんが否定する証拠は今のところないので間違ってはいないはずです。『神』になるために必要なのは知性や理性ではなく、純粋に生物の持つトリオン器官の性能だとわたしは考えています。感情を持つ人間を『神』にしたら…きっとわたしたちはその犠牲によって()()()()()()()という意識で生きていかなければならないと思うんです」

 

「まあ、(マザー)トリガーと融合した後に何百年も意識があったとしたら『神』となった人間は耐えがたい苦痛を覚えるだろうな。だから本能だけで生きている動物の方が辛いとか哀しいなどという感情がない分楽かもしれない」

 

「はい。だからこの実験は必ず成功させたいんです。貴国…エクトスを実験場に使うことになってしまいますが、そのお許しをいただきたい。陛下、どうかよろしくお願いいたします」

 

「許すも許さないもない。我が国は『神』を必要としている。エクトスの民を犠牲にしたくはない。他国の民だとて犠牲にするのはもう嫌だ。わずかでも可能性があるのならやってくれ。失敗したところで失うものはないのだからな」

 

「ありがとうございます。5者会談が終わったらすぐに開始したいと思います」

 

「ならば一刻も早い方がいいから5者会談を明日の午前に行い、その結果次第だが午後には実験ができるようにしよう。これから余は神殿へ赴き姉上に報告をしてこようと思う。それでそちにも同行してもらいたい」

 

「わかりました」

 

ツグミはヌンツィオと共に神殿へと向かった。

そこには彼の姉であり巫女のシーラ・エクトスが新しい「神」が決まるのを待っているのだ。

 

 

 

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