ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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653話

 

 

5者会談が無事終了したことで、ツグミの次なる役目は(マザー)トリガーと「神」として捧げられる牛を同化させる作業である。

迅たちによって牛は全身を綺麗に洗われていて、家畜独特のにおいも弱くなっている。

その牛を(マザー)トリガーのある広間へはツグミが連れて行く。

実験を計画したのが彼女であるから当然なのだが、神殿に足を踏み入れることができるのはその国の国王や巫女などの王族の許しが得られた人間だけなのだから彼女しかいない。

航海中ずっとツグミがブラッシングや餌やりなどを積極的にやっていたから牛は彼女の言うことに素直に従い、ケージから出して神殿の入口までおとなしく歩いていた。

しかし神殿の中の空気に何かを感じたのか、広間の入口付近で牛は立ち止まってしまう。

 

「ずっと騙していてゴメンね。でもこうすることが大勢の人間にとって役に立つことなの。そんなこと自分には関係のないっておまえは言いたいだろうけど勘弁してちょうだい。でも約束する。おまえの命を絶対に無駄にしないって。それに(マザー)トリガーと同化するのに苦痛を感じることはないそうだから。だからお願い、動いてちょうだい」

 

ツグミが牛に語りかけると牛は哀しそうな目をしながら「モー」とひと声だけ鳴いてゆっくりと(マザー)トリガーに向かって再び歩き始めた。

彼女の言葉を理解したとは思えないが、自分の世話をしてくれた人間が頼むのだから聞き届けてやろうという気になったのかもしれない。

そして一辺が20センチほどの立方体となった(マザー)トリガーの真下に着くとそこで立ち止まった。

するとその様子を見つめていたシーラが立ち上がり、ツグミたちのそばに近付いて来た。

 

「ご苦労であった、ツグミ。この牛が我がエクトスの『神』となってくれるのか?」

 

「はい。ではシーラ様、あとはお願いいたします」

 

「わかった」

 

シーラが操作パネルに手をかざすと(マザー)トリガーは眩い光を放ち、牛はその光に包まれていって最後には目を開けていられないほど強い光を放った次の瞬間、牛の姿は消えていて(マザー)トリガーのキューブは1辺が150センチくらいの大きさにまで拡大していた。

光が収まるとシーラは(マザー)トリガーが正常に動いていることを確認し、ツグミに言った。

 

(マザー)トリガーはあの牛を『神』として受け入れたようだ。今のところ(マザー)トリガーに異常は見られない。これからトリオンの抽出の操作をやってみて、それで問題がなければひとまず成功だと言えるだろう」

 

「キューブの状態はいかがなものでしょうか?」

 

「…やはり人間の時とは少々違うように感じるが、それが何か影響を与えるのかどうかはまだわからぬ。お主は結果を確認するためにしばらく滞在すると言っておるようだな?」

 

「はい。現在は問題がないようですが、これから先何が起きるかわかりません。そこで1ヶ月から2ヶ月くらい滞在して経過を観察したいと思っています。それくらいの時間をかければこの疲弊している国土の状態も解消して豊かな実りを生み出す大地へと変貌することでしょう。ただ寿命がどれくらいなのかは未知数です。あとは(マザー)トリガーのキューブの大きさの変化を観察して再び必要となった時にすぐに()()できる家畜を用意しておくことが重要です。そちらに関しては貴国の畜産の仕事をしている方にお願いをしてもらいます。トリオンたっぷりの飼料を与えればトリオン能力が上がることは確認済みですから」

 

「ああ、承知した。…それで『箱』と『鍵』の件はどうなった?」

 

「はい。そのうちにヌンツィオ陛下がご報告にいらっしゃると思いますが、全員一致でわたしに任せてくれるということになりました。わたしがどのような手段で処分をするのかは誰にも教えず、わたしだけの秘密にするつもりです。『5人の王』にとってこの結果が望ましいものなのかそうではないのかわかりませんが、わたしは過去の人間の気持ちよりも未来に生きる人たちのために最善だと思うことをしたい。ヌンツィオ陛下をはじめとした4人の王家の代表の方々がわたしに一任してくれたのですから、たぶんこれで正しいのだと思います」

 

「お主は近界(ネイバーフッド)から戦争がなくなると思っているのか?」

 

シーラがツグミに問う。

するとツグミは穏やかな笑みを浮かべながら答えた。

 

「いいえ、それはありえません。争いのない世界とは究極の理想であり、現実には叶わない『夢』そのものですから」

 

「夢?」

 

「はい。例えばふたりの人間がいれば考え方はふたつあり、それが相反するものであれば言い争いに発展することはありえます。そこで和解しなければ自分の味方になる人間を探してきて数の上で優位を得ようとし、そうなるともう一方も同様に味方をしてくれる人を連れて来ます。そんなことをやっていればそのうちに規模が拡大して、それが国家間のレベルに達すると戦争となります。この場合武力を持ち出すことは明らかですから、人が傷付いたり死んだりするのです。トリオン体で戦うなら余程のことがない限り怪我さえしないということになっていますが、そんなことは幻想です。現に8年前にエクトスが玄界(ミデン)に侵攻した時、トリガー使いの少年が犠牲になっています。彼は換装が解けてしまった状態で玄界(ミデン)の少女に襲いかかったのですが、その少女がトリガー使いであったために斬り殺されてしまいました。その少女だって襲いかかってきた兵士がトリガー使いだから死なないと思い込んで斬りつけたのですが、まさか生身だったなんてあの混乱の中ではわかるはずがありません。これを不幸な事故だと片付けてしまうことはできません。トリガー使いの少年は命を失い、玄界(ミデン)の少女ははからずも人を殺してしまうという心に一生消えない傷を負ってしまいました」

 

「……」

 

「人間には欲というものがあります。食欲とか睡眠欲といった一時的欲求と呼ぶ人間が生きていく上で欠かせない欲求は人の力でコントロールすることはできませんが、金銭欲とか支配欲などは個人の意思で抑えることができるものです。誰だって美味しいものをたくさん食べたいからお金が欲しいと思うし、大きな権力を持つことで自分が他人よりも強いのだと思い込みたい。まあ、それについては個人差があってすべての人間がそうだとは言いません。でも多かれ少なかれ誰でも持っているもので、それを欲望のままに追い求める者もいれば節度を持って行動をする者もいます。要は自分さえ良ければいいと人を傷つけてでも手に入れるという手段に出てしまう短絡的な考え方が間違っているんです。人が100人いれば100通りの考え方ややり方がありますから争いは生まれるでしょう。ですがその争いを避けるために行動できる人が増えればゼロにできないまでも極力減らすことは可能です。今のわたしはボーダーの人間ですから近界民(ネイバー)玄界(ミデン)の人たちの命や平穏な暮らしを脅かさないように行動しています。そのうちのひとつが(マザー)トリガーと『神』の問題を解決することで、トリオンが無限に湧いてくるのではないのだから節約して使おう、足りない部分は別の手段で補おうと意識を変えることで(マザー)トリガーの負担は減るはずです。『神』の寿命が近付くと自国の民を犠牲にしたくなからと玄界(ミデン)へやって来て人をさらおうとする国もありますから、この『神』問題を解決することによって近界民(ネイバー)による加害がなくなり、三門市民は安心して暮らせるようになれるはずなんです」

 

「……」

 

玄界(ミデン)には近界(ネイバーフッド)の国の数よりもはるかに多い核兵器が存在します。敵対する近界民(ネイバー)だと断定したら即刻その国へ行って核兵器を使用して国土と国民をすべて吹き飛ばすことも可能です。ですがそんなことをしないのはボーダーが無差別殺戮を望むような危険な人間の集団ではなく、対話によって問題を解決しようという考えを持つ人間が導いている組織だからです。自分たちの敵、邪魔になる存在をすべて消し去ってしまえば楽だというのに、あえて面倒な手続きや長い時間をかけてでも武力を行使しない道を選びました。それはボーダーの創設理念が『近界(ネイバーフッド)玄界(ミデン)の友好の架け橋になる組織を作りたい』というもので、その理念を叶えようと努力している人間が諦めていないからです。諦めなければ希望の灯は消えません。ボーダー(わたしたち)が諦めてしまったら近界(ネイバーフッド)玄界(ミデン)は互いに相手を滅ぼそうとして『敵』がいなくなるまで戦い続けることにもなりかねません。玄界(ミデン)では近界民(ネイバー)のすべてが敵だと考えて殲滅してしまえという過激な考えを持つ人間もいます。だから全面戦争にならないよう、わたしは近界(ネイバーフッド)の国々に対話という手段で技術交換や文化交流を勧めています」

 

「……」

 

「3年前までは武器(トリガー)を使って敵性近界民(ネイバー)と戦うことがわたしのすべきことだと考えていましたが、武器(トリガー)など使わずともできることがたくさんあることを知ってそれこそがわたしに与えられた役目なのだと気が付いたんです。ボーダーの外交担当部署の責任者となり、わたしはわたしの信念のままに行動することができるようになったのも、ボーダーの城戸総司令がわたしの良き理解者であるから。貴国は玄界(ミデン)に対して武力侵攻をし、多大な被害を与えた加害国です。ですから玄界(ミデン)の人間は貴国を憎んでいます。家族や友人を殺した憎き仇なんですから当然ですね。ボーダーは玄界(ミデン)の意思を代表する組織なのですから、わたしはヌンツィオ陛下に対して謝罪と賠償を求めなければなりません。しかし城戸総司令はわたしの判断に任せてくれると言ってくれました。ですのでわたしはヌンツィオ陛下には二度と玄界(ミデン)に邪悪な手を伸ばすことがないよう確約して、それを謝罪の言葉と共に玄界(ミデン)の人たちに宣言してもらうだけで済ませるつもりでいます。もちろんそれで皆が納得してくれるはずがありませんが、時間をかけてでも納得してくれるよう努めるだけです。もっともわたしにはそれだけの時間がありませんので途中で手放すしかありませんが、わたしと志を同じくする仲間がきっと引き継いでくれるはずです」

 

「お主には心強い仲間がいるのだな?」

 

「はい。だって人は誰でも戦場で戦うよりも家族や親しい友人たちと一緒に笑いながらご飯を食べる方が好きなんですから。優しい時間が流れる穏やかな日々。いくら仲が良くてもたまには諍いや口喧嘩をすることもあるでしょう。でも心が通い合った仲なら必ず和解できます。わたしがそうでしたから。お互いの信念から生まれた些細な出来事が2年以上も相手のことを信じられなくなってしまいました。でもこれも些細なきっかけで互いの想いを伝えて和解できたんです。それにわたしの護衛をしてくれているゼノン隊長、リヌスさん、テオくんの3人はわたしを誘拐して(ブラック)トリガーを奪おうとしたキオンの諜報員です。そんな彼らともこうして共に行動できるんですから強い意思とどんな困難でもへこたれない根性さえあれば夢はいつまでも追い続けることはできます。争いのない世界は夢ですが、夢を叶えることよりも追い続けるという行動自体が尊いものだとわたしは思っているのです」

 

「そんなお主の気持ちを理解できる人間がいてくれるから、お主は彼らに支えられてやりたいことをやれるのか…。たぶん彼らもお主と同じように優しくて困難に立ち向かう勇気のある者たちなのだろう」

 

「そのとおりです。拉致被害者市民救出計画も初めのうちはわたしが仕切っていましたが、今ではすべて彼らにお任せしているくらいです。理解ある上司と頼もしい後輩たち、そして住む世界は違っても同じ気持ちで結ばれている友人たちがいることはわたしにとっての最大の財産とも呼べるもの。だから彼らを傷つけようとするものがいれば、その時にはわたしもあらゆる手段を講じて彼らを守ります。そのために武器(トリガー)が必要ならばわたしはトリガー使いに戻って敵を排除する所存です」

 

ツグミの覚悟はシーラにも伝わった。

その強い想いに身震いするほどで、近界(ネイバーフッド)(ことわり)をも覆してしまうかもしれないとさえ思えるようになる。

 

(この娘はエウクラートンの女王になるために生まれてきたのではない。優しくて勇気のある大人に囲まれて育ったことで女王に相応しい人物になったのだ。玄界(ミデン)の人間だと信じて生きてきたのに突然自分の父親が近界民(ネイバー)だと知って衝撃を受けただけでなく、エウクラートンの女王になってくれと言われて戸惑ったにちがいない。生まれつきその人生を定められていた私には巫女とならない自分など想像もしたことはなく、自分の出自を嘆くようなこともなかった。だからこの娘の葛藤などわかりはしないが、逆にこの娘は私や他国の女王の哀しみや苦しみを理解してくれている。人の心に寄り添うことができるこの娘ならきっとエウクラートンの将来は明るいものになる。…いや、エウクラートンを中心として近界(ネイバーフッド)全体が希望に満ちたものになるだろう。そう期待せずにはいられない)

 

シーラの視線の先には勢いと輝きを取り戻した(マザー)トリガーある。

 

(気のせいか…? (マザー)トリガーに意思などあるはずがないというのに、なぜか喜んでいるように感じる。この娘に新たな生命を与えられたおかげなのだろうか?)

 

シーラは首を傾げるが、それこそが(マザー)トリガーとの同化の第一歩であることに彼女はまだ気が付いていないようであった。

 

 

◆◆◆

 

 

ツグミは(マザー)トリガーの変化のデータを集めるためにエクトスに残り、迅を除く他のメンバーは帰国することになった。

その旅立ちの前夜、ツグミがヌンツィオに依頼をしておいた「誓約書」が完成してそれに5つの王家の代表がそれぞれにサインをして、中身を出して空になった「箱」に納めて歴史書のコピーと共に国へ持ち帰るようにした。

「鍵」は不要となったのでその「鍵」を元にしてプレートを作り、二度と過去の愚かな過ちを繰り返さないことを誓い、5つの王家の代表が一堂に会して恒久的な平和を目指すことを約束したという証拠となるものを誓約書という形で残したのだった。

「5人の王」が同胞と共に近界(ネイバーフッド)へやって来て、彼らが近界民(ネイバー)の始祖となったことはいずれすべての近界民(ネイバー)に知らせるべきだが、核兵器のことについては5ヶ国の秘密にするという約束も交わされた。

5ヶ国の王族の人間は絶対に忘れてはいけないことだが、それ以外の無関係な国の人間が知る必要のないことであり、災いの種になりそうなことは永久に封印してしまう方がいい。

大切なのは当事者がその事実の重さを胸に刻み、それをより良き未来のために生かすことである。

 

イェリンやイザイアにとって得るものの大きい旅であったらしく、国を発った時と比べて顔つきや振る舞いに成長が見られた。

「百聞は一見に如かず」のことわざは日本に限ったものではなく、近界民(ネイバー)であっても自分の目で見て経験したことは他人から聞かされて得た知識よりもはるかに身に付いて役に立つものとなるということなのだ。

本来ならそれぞれの国まで同行して礼を述べるべきなのだが他にやることがあるため、ツグミはカロリーネとエルヴィンとライサ宛にそれぞれ丁寧なお礼の手紙を書いてイェリンとイザイアとテスタに持たせることにした。

これで「箱」と「鍵」の件は無事に終了し、近界民(ネイバー)たちのほとんどが何も知らないままに近界(ネイバーフッド)は平和へ大きく前進したのだった。

 

 

 

 

テスタたちを見送ったツグミと迅はこれから最長2ヶ月間エクトスに滞在して(マザー)トリガーの状態を調査することになっている。

毎日決まった時間に様子を確認し、トリオンの量や質に変化はないのか、またシーラが操作をする際に違和感はないのかなどをチェックするのだ。

この実験が成功であれば近界(ネイバーフッド)の国々にも手順を教え、人間が犠牲とならない「神」の交代を行ってもらうつもりでいる。

仮に期待していたものでなかったのならヌンツィオには急いで「神」となる人間を選出してもらわなければならないが、その結果が直ちに失敗であるとは限らない。

準備が不十分であったというのに緊急を要するために前倒しで行ったことで望む結果が得られなかったとも考えられるからだ。

ツグミは実験の発案者であり責任者でもあるため、最後まで見届けたいと考えている。

しかし場合によっては半ばで手放さなければならないかもしれない。

そう思うと今の自分にできることを精一杯やって心残りがないようにするしかないと決意を新たにするのだった。

 

 

 

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