ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
イヴァはツグミに対して「許す」とか「許さない」といった言葉を一切言わなかった。
それはすなわちツグミをレネーの墓に案内した時点で彼女には「許す」という気持ちがあったのだと思われる。
ツグミも彼女から「許す」と言われることを期待していたのではなく、気持ちの整理のためには遺族に事実をそのまま伝えたいという希望があって、それが叶えられたのだから十分であった。
そして軍部でのレネーは作戦行動中行方不明ということになっていたが、ツグミの証言によって公式に戦死として記録されることになる。
ただし彼女が軍に報告した内容は少々事実と違っており、レネーは
彼が民間人と思われる少女に危害を加えようとしたとなると軍人の風上に置けない愚劣な人間として非難されるだろうし、なによりも彼がツグミに襲いかかった真の理由が不明である以上は彼の名誉のためにも秘匿すべきだと考えたのだ。
そのおかげでレネーはエクトスの軍人として誉ある戦死を遂げたということで、イヴァにはその遺族として遺族年金に加えて報償金が与えられることになった。
イヴァはその報償金 ── 年金の約1年分 ── をすべて国家に返納し、それを庶民階級の人間の生活レベル向上に役立ててほしいと言ってツグミに託した。
ツグミも彼女の気持ちを大切にしたいと、彼女のためにも役立つ使い道を考えた。
エクトスに限らず
そういった女性たちは娯楽というものがないため同じような立場の女性たちと歓談することが唯一のレジャーといえる。
そんな彼女たちに天気を気にせず集まっておしゃべりをしたり情報交換などをする場所が必要だとツグミは考えていたので、女性が気軽に集まることのできるコミュニティーセンターの建設費の一部にしてもらうようアロイスに頼んだ。
もちろんアロイスはすぐにヌンツィオへ報告し、3日後にはコミュニティーセンターの建設が正式に決定した。
そしてツグミがエクトスを離れた後に完成したそのコミュニティーセンターの名称は「Recordatus Renee」── 意味は「レネーを偲ぶ」── と名付けられたのだった。
◆◆◆
エクトスの
元々それほど広い面積を持たないこの国は十分な農地もなくトリガー技術もないので
だから
太陽の力が復活したことは誰の目にも明らかで、昨日までずっと冬だったのに突然今日から春になったと思えるほどだ。
だから農家は急に仕事が忙しくなり、軍の兵士たちが駆り出されて畑を耕して種を蒔いた。
こうした環境の変化は数値としても表れており、観測地のトリオン量は平常時とほぼ同じ値にまで復活している。
これらの状況から人間以外の動物を「神」にすることは可能であり、残る課題は寿命がどれくらいなのかという点だ。
しかし現在の「神」の寿命が尽きるまでツグミが観測するということはできないので、あとはエクトスの科学者に任せるしかない。
ところがツグミが2ヶ月の滞在を終えて帰国する間際になってシーラは
トリオンを大量に抽出しようとして操作をしても少しずつしかトリオンを得られないというのだ。
すぐにツグミはその原因について調べるのだが、当然彼女はトリオンやトリガーの研究者や
「これはあくまでもわたしの推測でしかありませんが『神』が人間であった頃と比べて
ツグミがシーラに言うと彼女は少し苛立った様子で訊く。
「それは失敗ということか?」
「いいえ、そうではありません。断言はできませんが、これは単に一度にたくさんのトリオンを抽出できないというだけで、
「どういうことなのか説明をしてくれ」
「はい。口で言うよりも図に書いて説明する方がわかりやすいと思いますので、これに描いて説明しますね」
そう言ってツグミは持参していたタブレットPCに同じサイズの水槽の絵をふたつ描き、それぞれ底に近い部分に蛇口をつけた。
「これは大きな水槽でここに水が満杯になっているとします。そしてその上に落し蓋のように木の板を浮かべます。さらにその板の上に大きな石と小さな石を乗せます」
そう言いながら石の絵を描いて続ける。
「そしてこの水槽から水を出すために蛇口を全開にします。この水は上からの圧力によって水が出るようになっているので、圧力が大きいほど水圧も大きくなって蛇口から水が大量に出ますが、圧力が小さいと水は少しずつしか出ません。ですが全体の水の量はどちらも同じで、小さい石の乗っている水槽の水は少しずつしか出ませんが長時間水を出し続けることができます。大きい石の方は大量に水が出ますがすぐに水槽は空になってしまいます」
「つまり大きい石が人間で小さい石を牛として考え、同じ量のトリオンであっても牛の方は一度にたくさん抽出することはできないが少しずつ長く抽出できるということか?」
「そのとおりです。『神』とは
ツグミの意見にシーラは同意だという顔で頷いた。
「そうだな。戦争などしなければトリオン兵を造ることはなく、その分を民のために使えば良い。それに得られるトリオンを増やすよりもトリオンを節約して『神』の寿命を延ばすことに力を入れることの方が重要だ。
「シーラ様、少しお待ちください」
ツグミはシーラの言葉を遮った。
「キオンやリコフォスなどの国は
「……」
「まずはヌンツィオ陛下が公式に謝罪をするところから始めなければなりません。遺族や被害者たちの心情を理解し、自らの犯した罪に対して真摯に向き合い、心からの謝罪の言葉を述べるだけでなく二度とこのようなことがないとの確約が必要です。わたし個人としてはそれだけで十分だと思うのですが、ボーダーの上層部の人間や実害を受けた三門市民が納得するかわかりません。ですからそう簡単に
「……」
「しかし多数派の意見が常に正しいとは限らず、少数派の意見にも耳を傾けようという声も上がっています。わたしがどこまでできるのかはわかりませんし残された時間もわずかです。できる限り尽力することをお約束します」
不安そうなシーラの手を握ってツグミは力強く言った。
「そう言ってくれると希望が持てる。感謝する、ツグミ」
「いいえ、わたしとシーラ様は『5人の王』の末裔。5人兄弟の子孫なんですから赤の他人ではありません。…といってもずいぶんと遠い親戚になりますけどね。とにかくこうして出会ったというのは縁があってのこと。それならその縁を大切にしたいとわたしは思っています。エクトスと
「証、か…」
神殿の中だけで生きているシーラでも外の世界の情報は入って来る。
その中からキオンやアフトクラトルといった国が軍備を増強して台頭してきたのだが、
それは
世界統一といっても考え方の違う国を強制的に自分たちに都合の良いよう改めさせるものではなく、欲しいものがあれば他者から奪うという安易な考え方は捨てさせ、自国のみで手に負えないのであれば他国と協力して問題を解決するという道もあると教えるだけである。
武装放棄をさせるわけでもなく、専守防衛に必要な軍備は残しておくことを誰も咎めない。
そして同盟に加わることで自国の独立を保ちながら経済・科学・技術・文化・情報等の交流を行うことができると知れば無意味な「奪う・奪われる」の関係を愚かしいと考えるようになるはずなのだ。
すでにいくつかの国は同盟に加わってくれているし、そういった情報は各国に諜報員を派遣しているエクトスなら耳に入らないことはありえない。
シーラとヌンツィオは自国が
だから期待するのも無理はないが、これは契約のようなものだから
いかに
ヌンツィオの謝罪の言葉だけでは全然足りないことは明らかだ。
「…そうだな。すべてはこちらに否があるのだし、同盟に加わることをお願いする立場なのだから致し方ない。どうすればいいのかわからぬが、精一杯できることをするしかない。お主の気持ちにも応えねばいかぬな」
「わたしはあと4日でお暇させていただく予定ですので、それまでに何か
「ああ、わかった」
ツグミは第一次
しかし彼女はどんなに可能性が低くても諦めずにチャレンジし、これまでの人生の中で紡いできた「絆」が最強の武器となる。
ならば不可能を可能にすることだって彼女にならできないはずがない。
ただし彼女には時間がない。
自由に行動できるのはあと2ヶ月ほどしかなく、彼女がエウクラートンの女王となれば国を出ることも叶わないのだから。
◆◆◆
その夜、ヌンツィオがツグミを呼び出して書類の束を手渡した。
「陛下、これは何でしょうか?」
「我がエクトスの諜報員たちが何年もかけて集めた
「何ですって!? …失礼いたしました。ですがどういうことなのか詳しく教えていただけますか?」
「ああ、もちろんだ。先に言っておくが我がエクトスとはまったく関係のない第三国が独自に
「そんなに大勢…」
第一次
このリストはボーダー単独では捜索しきれない拉致被害者の手掛かりとなるはずだ。
「それにも書いてはあるが見たところ健康状態はすべて良好で、今でも大事に扱われているはずだ。これをそちに譲渡する。これがすべてというわけではなく一部ではあるが、我がエクトスの謝罪の証として受け取ってもらいたい」
ツグミがシーラに話したことでいろいろ考えた結果、ボーダーと
実際にエクトス以外の国によって拉致された
「どうもありがとうございます。ボーダーを代表して心からの感謝の気持ちを申し上げます」
ツグミは深々と頭を下げて感謝の気持ちを表した。
「これくらいのこと…余が指示した蛮行の償いには全然足りぬというものだ。だからこれだけで許してくれとは言わぬ。だが今のところこれくらいしかできぬのだ」
「承知しております。これを最大限に活かすためにわたしにできることを考えます」
「かたじけない」
そう言ってヌンツィオも頭を下げた。
その日はそれでおしまいとなり、ツグミはこの
◆◆◆
そしてツグミたちがエクトスを去る日、最後のデータ収集を終えて機材の撤収を行うと遠征艇の積み込み等の作業を迅とイリジーたちに任せて神殿へと向かった。
前夜にお別れ会を開き、それとは別にツグミとシーラふたりだけのお茶会もしており別れは済んでいたのだが、最後にどうしても言っておきたいことができたのだ。
「シーラ様、最後にひとつ申し上げておくことがあって参りました。もしわたしの力不足で同盟加入が叶わずとも、他の手段でこのエクトスの人たちにも
ツグミの言葉にシーラは何度も頷きながら言う。
「信じておる。すべては相手を信じる気持ちから始まるのだと」
「そのとおりです。わたしもシーラ様とヌンツィオ陛下と、このエクトスの人たちのことを友人だと信じております。いつかわたしが女王の役目を終えた後、友好国の使者としてもう一度お会いしたいと思います。それまでごきげんよう」
「お主も達者でな」
再会したいという気持ちは本物であるが、互いの立場とシーラの年齢ではその願いが叶うかどうかはわからない。
いくらツグミが「定められた未来であっても捻じ曲げて自分の望むものにする」という強い意思があっても彼女の力だけではどうすることもできないことはある。
もちろんそんなことは百も承知の彼女だが、諦めることだけはしたくないと希望は持ち続ける。
それこそが彼女の生きる原動力でもあるのだから。
◆
エクトスの夕日は初めて見たそれと比べてとても美しいものに見えた。
ツグミと迅の乗った遠征艇はオレンジ色から青色に変わっていく空にぽっかりと開いた
そして