ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

674 / 721
655話

 

 

イヴァはツグミに対して「許す」とか「許さない」といった言葉を一切言わなかった。

それはすなわちツグミをレネーの墓に案内した時点で彼女には「許す」という気持ちがあったのだと思われる。

ツグミも彼女から「許す」と言われることを期待していたのではなく、気持ちの整理のためには遺族に事実をそのまま伝えたいという希望があって、それが叶えられたのだから十分であった。

そして軍部でのレネーは作戦行動中行方不明ということになっていたが、ツグミの証言によって公式に戦死として記録されることになる。

ただし彼女が軍に報告した内容は少々事実と違っており、レネーは玄界(ミデン)のトリガー使いと勇敢に戦いながらも力及ばずで換装が解けてしまい、換装が解けたことに気付かなかった玄界(ミデン)のトリガー使いにそのまま斬り殺されてしまったことになっている。

彼が民間人と思われる少女に危害を加えようとしたとなると軍人の風上に置けない愚劣な人間として非難されるだろうし、なによりも彼がツグミに襲いかかった真の理由が不明である以上は彼の名誉のためにも秘匿すべきだと考えたのだ。

そのおかげでレネーはエクトスの軍人として誉ある戦死を遂げたということで、イヴァにはその遺族として遺族年金に加えて報償金が与えられることになった。

イヴァはその報償金 ── 年金の約1年分 ── をすべて国家に返納し、それを庶民階級の人間の生活レベル向上に役立ててほしいと言ってツグミに託した。

ツグミも彼女の気持ちを大切にしたいと、彼女のためにも役立つ使い道を考えた。

エクトスに限らず近界民(ネイバー)の女性たちは都市部に住んでいると市場での商売や食堂で調理をするなどの職業が多く、都市部以外は農業従事者がほとんどである。

そういった女性たちは娯楽というものがないため同じような立場の女性たちと歓談することが唯一のレジャーといえる。

そんな彼女たちに天気を気にせず集まっておしゃべりをしたり情報交換などをする場所が必要だとツグミは考えていたので、女性が気軽に集まることのできるコミュニティーセンターの建設費の一部にしてもらうようアロイスに頼んだ。

もちろんアロイスはすぐにヌンツィオへ報告し、3日後にはコミュニティーセンターの建設が正式に決定した。

そしてツグミがエクトスを離れた後に完成したそのコミュニティーセンターの名称は「Recordatus Renee」── 意味は「レネーを偲ぶ」── と名付けられたのだった。

 

 

◆◆◆

 

 

エクトスの(マザー)トリガーは勢いを取り戻したことで国土の隅々にまでトリオンを行き届かせることができるようになっていた。

元々それほど広い面積を持たないこの国は十分な農地もなくトリガー技術もないので近界(ネイバーフッド)の各地を回って交易をすることで国を存続させてきた。

だから(マザー)トリガーが力を取り戻せば比較的早いうちに大地は回復する。

太陽の力が復活したことは誰の目にも明らかで、昨日までずっと冬だったのに突然今日から春になったと思えるほどだ。

だから農家は急に仕事が忙しくなり、軍の兵士たちが駆り出されて畑を耕して種を蒔いた。

こうした環境の変化は数値としても表れており、観測地のトリオン量は平常時とほぼ同じ値にまで復活している。

これらの状況から人間以外の動物を「神」にすることは可能であり、残る課題は寿命がどれくらいなのかという点だ。

しかし現在の「神」の寿命が尽きるまでツグミが観測するということはできないので、あとはエクトスの科学者に任せるしかない。

ところがツグミが2ヶ月の滞在を終えて帰国する間際になってシーラは(マザー)トリガーの変化に気が付いた。

トリオンを大量に抽出しようとして操作をしても少しずつしかトリオンを得られないというのだ。

すぐにツグミはその原因について調べるのだが、当然彼女はトリオンやトリガーの研究者や技術者(エンジニア)ではないので明確な答えは出ない。

 

「これはあくまでもわたしの推測でしかありませんが『神』が人間であった頃と比べて(マザー)トリガーから抽出できるトリオン量が減ったのは『神』の能力が劣るからだと思います」

 

ツグミがシーラに言うと彼女は少し苛立った様子で訊く。

 

「それは失敗ということか?」

 

「いいえ、そうではありません。断言はできませんが、これは単に一度にたくさんのトリオンを抽出できないというだけで、(マザー)トリガーの能力を減退させるというものではないと考えます」

 

「どういうことなのか説明をしてくれ」

 

「はい。口で言うよりも図に書いて説明する方がわかりやすいと思いますので、これに描いて説明しますね」

 

そう言ってツグミは持参していたタブレットPCに同じサイズの水槽の絵をふたつ描き、それぞれ底に近い部分に蛇口をつけた。

 

「これは大きな水槽でここに水が満杯になっているとします。そしてその上に落し蓋のように木の板を浮かべます。さらにその板の上に大きな石と小さな石を乗せます」

 

そう言いながら石の絵を描いて続ける。

 

「そしてこの水槽から水を出すために蛇口を全開にします。この水は上からの圧力によって水が出るようになっているので、圧力が大きいほど水圧も大きくなって蛇口から水が大量に出ますが、圧力が小さいと水は少しずつしか出ません。ですが全体の水の量はどちらも同じで、小さい石の乗っている水槽の水は少しずつしか出ませんが長時間水を出し続けることができます。大きい石の方は大量に水が出ますがすぐに水槽は空になってしまいます」

 

「つまり大きい石が人間で小さい石を牛として考え、同じ量のトリオンであっても牛の方は一度にたくさん抽出することはできないが少しずつ長く抽出できるということか?」

 

「そのとおりです。『神』とは(マザー)トリガーのトリオン抽出のための増幅器の役割を担い、その力の大小は一度に抽出できるトリオンの量を左右する。トリオン兵を造ろうとか遠征艇を建造しようなどと考えて大量のトリオンを必要とした時には十分な量をすぐには得られない。でもそんなことをする必要などなく国土の維持だけに使うのであれば何の問題もないと思いますがいかがでしょうか?」

 

ツグミの意見にシーラは同意だという顔で頷いた。

 

「そうだな。戦争などしなければトリオン兵を造ることはなく、その分を民のために使えば良い。それに得られるトリオンを増やすよりもトリオンを節約して『神』の寿命を延ばすことに力を入れることの方が重要だ。玄界(ミデン)はトリオンを使わぬ文明が発達したと聞く。ヌンツィオの話だと同盟に加われば文化交流や技術支援などをしてくれるそうではないか。ならば我が国も ──」

 

「シーラ様、少しお待ちください」

 

ツグミはシーラの言葉を遮った。

 

「キオンやリコフォスなどの国は玄界(ミデン)に対して一度も敵対したことはありません。ですが貴国(エクトス)は8年前の侵攻によって玄界(ミデン)に多大な被害を与えたのですからそう簡単にはいきません。過去にアフトクラトルが同様に侵攻して被害を与えましたが、貴国のそれはその比ではありません。したがって玄界(ミデン)の人間の感情を考慮すれば同盟加入など不可能だと言えます」

 

「……」

 

「まずはヌンツィオ陛下が公式に謝罪をするところから始めなければなりません。遺族や被害者たちの心情を理解し、自らの犯した罪に対して真摯に向き合い、心からの謝罪の言葉を述べるだけでなく二度とこのようなことがないとの確約が必要です。わたし個人としてはそれだけで十分だと思うのですが、ボーダーの上層部の人間や実害を受けた三門市民が納得するかわかりません。ですからそう簡単に玄界(ミデン)の恩恵を受けられるとは思わないでください。一度失われた信頼を取り戻すのは難しいですが、元々信頼関係のなかった貴国によって害されたのですからさらに難しいものになるのは当然です。ボーダーが『近界(ネイバーフッド)玄界(ミデン)の友好の架け橋になる組織を作りたい』という理念で創設されたといっても、現在の最も重要な役目は同胞の生命と財産を守ることです。それなのにあれだけ多くの同胞の命を奪われ、拉致されたとなればわたしが同盟加入に賛成だと言っても残りの人間がすべてダメだと言えばダメなんです。わたしの生まれ育った日本という国は民主主義を唱えており、多数決を原則としています。より多くの人間の意見を大事にしようという考えで、ひとりの意見よりも10人の意見の方を採用するというものです。その方が国民の意思に沿っているからです。ですからわたしひとりがエクトスは友好国だから過去の過ちは許そうと言っても他の大勢の人が許さないと言えばそれっきり。そういうシステムなんです」

 

「……」

 

「しかし多数派の意見が常に正しいとは限らず、少数派の意見にも耳を傾けようという声も上がっています。わたしがどこまでできるのかはわかりませんし残された時間もわずかです。できる限り尽力することをお約束します」

 

不安そうなシーラの手を握ってツグミは力強く言った。

 

「そう言ってくれると希望が持てる。感謝する、ツグミ」

 

「いいえ、わたしとシーラ様は『5人の王』の末裔。5人兄弟の子孫なんですから赤の他人ではありません。…といってもずいぶんと遠い親戚になりますけどね。とにかくこうして出会ったというのは縁があってのこと。それならその縁を大切にしたいとわたしは思っています。エクトスと玄界(ミデン)の不幸な過去をなかったことにはできませんが、未来に良好な関係を築いていくことはできるはずです。そのためにも貴国の側から敵ではないという証を立てる必要はありますね」

 

「証、か…」

 

神殿の中だけで生きているシーラでも外の世界の情報は入って来る。

近界(ネイバーフッド)の国々は長い間ずっと「奪う・奪われる」という戦乱の中にあった。

その中からキオンやアフトクラトルといった国が軍備を増強して台頭してきたのだが、近界(ネイバーフッド)を二分するかと思われた情勢の中で平和路線へ軌道修正する兆しが見え始めた。

それは玄界(ミデン)という異世界からの使者、つまりツグミがキオンを訪問したことがきっかけであり、敵であったアフトクラトルという二大軍事大国がボーダーの主導によって同盟を結び、武力を伴わない世界統一が行われようと動いているのだ。

世界統一といっても考え方の違う国を強制的に自分たちに都合の良いよう改めさせるものではなく、欲しいものがあれば他者から奪うという安易な考え方は捨てさせ、自国のみで手に負えないのであれば他国と協力して問題を解決するという道もあると教えるだけである。

武装放棄をさせるわけでもなく、専守防衛に必要な軍備は残しておくことを誰も咎めない。

そして同盟に加わることで自国の独立を保ちながら経済・科学・技術・文化・情報等の交流を行うことができると知れば無意味な「奪う・奪われる」の関係を愚かしいと考えるようになるはずなのだ。

すでにいくつかの国は同盟に加わってくれているし、そういった情報は各国に諜報員を派遣しているエクトスなら耳に入らないことはありえない。

シーラとヌンツィオは自国が玄界(ミデン)に対して侵攻したことで同盟加入などないと考えていたのだが、ツグミがボーダーの対近界民(ネイバー)の外交責任者であるということで可能性が生まれてきた。

だから期待するのも無理はないが、これは契約のようなものだから一方(エクトス)が望んだとしてももう一方である玄界(ミデン)の人間が納得しなければ成り立たない。

いかに玄界(ミデン)の人間に受け入れてもらえるようにするかを考えなければならないが、ツグミの言うように難しいことであるのは事実。

ヌンツィオの謝罪の言葉だけでは全然足りないことは明らかだ。

 

「…そうだな。すべてはこちらに否があるのだし、同盟に加わることをお願いする立場なのだから致し方ない。どうすればいいのかわからぬが、精一杯できることをするしかない。お主の気持ちにも応えねばいかぬな」

 

「わたしはあと4日でお暇させていただく予定ですので、それまでに何か玄界(ミデン)の人たちの心証を良くする案が浮かんだら相談してください」

 

「ああ、わかった」

 

ツグミは第一次近界民(ネイバー)侵攻の加害国であるエクトスが玄界(ミデン)の人間に許してもらえる可能性は非常に低く、ほぼ不可能だという彼女の言葉は本心からのものだ。

しかし彼女はどんなに可能性が低くても諦めずにチャレンジし、これまでの人生の中で紡いできた「絆」が最強の武器となる。

ならば不可能を可能にすることだって彼女にならできないはずがない。

ただし彼女には時間がない。

自由に行動できるのはあと2ヶ月ほどしかなく、彼女がエウクラートンの女王となれば国を出ることも叶わないのだから。

 

 

◆◆◆

 

 

その夜、ヌンツィオがツグミを呼び出して書類の束を手渡した。

 

「陛下、これは何でしょうか?」

 

「我がエクトスの諜報員たちが何年もかけて集めた近界(ネイバーフッド)の国々の情報だ。ボーダーでもキオンの諜報員からいろいろと教えてもらっているだろうが、これには近界(ネイバーフッド)の各地にいる玄界(ミデン)の人間のことが書かれている」

 

「何ですって!? …失礼いたしました。ですがどういうことなのか詳しく教えていただけますか?」

 

「ああ、もちろんだ。先に言っておくが我がエクトスとはまったく関係のない第三国が独自に玄界(ミデン)から拉致してきた人間たちのことが書かれているものだ。潜入調査の際に玄界(ミデン)の人間だと思われる人物がいたという報告をまとめたもので、これがすべてというわけにはいかないが、11ヶ国で24人が確認されている」

 

「そんなに大勢…」

 

近界民(ネイバー)によって玄界(ミデン)からさらわれた人間の正確な数は把握できていない。

第一次近界民(ネイバー)侵攻のように明らかに拉致されたとわかる人間だけでなく、三門市やその周辺で行方不明になっている人物の中にも近界(ネイバーフッド)へ連れ去られたケースはある。

このリストはボーダー単独では捜索しきれない拉致被害者の手掛かりとなるはずだ。

 

「それにも書いてはあるが見たところ健康状態はすべて良好で、今でも大事に扱われているはずだ。これをそちに譲渡する。これがすべてというわけではなく一部ではあるが、我がエクトスの謝罪の証として受け取ってもらいたい」

 

ツグミがシーラに話したことでいろいろ考えた結果、ボーダーと玄界(ミデン)の人間の心証を良くするためにはこれが最適だと判断したのだろう。

実際にエクトス以外の国によって拉致された玄界(ミデン)の人間は多数いると考えられていたし、手掛かりがないので第一次近界民(ネイバー)侵攻時の拉致被害者の救出が完了した後にどうやって探すかと悩んでいたわけだから、このリストは非常にありがたいプレゼントだ。

 

「どうもありがとうございます。ボーダーを代表して心からの感謝の気持ちを申し上げます」

 

ツグミは深々と頭を下げて感謝の気持ちを表した。

 

「これくらいのこと…余が指示した蛮行の償いには全然足りぬというものだ。だからこれだけで許してくれとは言わぬ。だが今のところこれくらいしかできぬのだ」

 

「承知しております。これを最大限に活かすためにわたしにできることを考えます」

 

「かたじけない」

 

そう言ってヌンツィオも頭を下げた。

その日はそれでおしまいとなり、ツグミはこの()()を持ち帰って自室でどのように使うのかを考えるのだった。

 

 

◆◆◆

 

 

そしてツグミたちがエクトスを去る日、最後のデータ収集を終えて機材の撤収を行うと遠征艇の積み込み等の作業を迅とイリジーたちに任せて神殿へと向かった。

前夜にお別れ会を開き、それとは別にツグミとシーラふたりだけのお茶会もしており別れは済んでいたのだが、最後にどうしても言っておきたいことができたのだ。

 

「シーラ様、最後にひとつ申し上げておくことがあって参りました。もしわたしの力不足で同盟加入が叶わずとも、他の手段でこのエクトスの人たちにも玄界(ミデン)の恩恵が届くようにいたしますので希望を捨てずに待っていてください。必ずわたしか代理の者が良い報告を持って再びエクトスを訪問しますから」

 

ツグミの言葉にシーラは何度も頷きながら言う。

 

「信じておる。すべては相手を信じる気持ちから始まるのだと」

 

「そのとおりです。わたしもシーラ様とヌンツィオ陛下と、このエクトスの人たちのことを友人だと信じております。いつかわたしが女王の役目を終えた後、友好国の使者としてもう一度お会いしたいと思います。それまでごきげんよう」

 

「お主も達者でな」

 

再会したいという気持ちは本物であるが、互いの立場とシーラの年齢ではその願いが叶うかどうかはわからない。

いくらツグミが「定められた未来であっても捻じ曲げて自分の望むものにする」という強い意思があっても彼女の力だけではどうすることもできないことはある。

もちろんそんなことは百も承知の彼女だが、諦めることだけはしたくないと希望は持ち続ける。

それこそが彼女の生きる原動力でもあるのだから。

 

 

 

 

エクトスの夕日は初めて見たそれと比べてとても美しいものに見えた。

(マザー)トリガーの力が復活したことで太陽が以前のように明るくて暖かな日差しを地上に投げかけるようになっていて、沈む直前まで大地を照らしているのだ。

ツグミと迅の乗った遠征艇はオレンジ色から青色に変わっていく空にぽっかりと開いた(ゲート)の中に吸い込まれていく。

そして(ゲート)が消えると何もなかったかのように静かに太陽が地平線の向こう側に消えて、そこにはただ静まり返った大地があるのみだった。

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。